前編
シルフが運ぶ爽やかな風が、青空に雲を流していく。
柔らかな太陽の光が、空を青く清らかに、雲を白く優しく照らす。
一つの大きな流れに従って、空はゆったりとその表情を変えていた。
余暇を過ごすには、最適の空模様だった。
そんな穏やかで澄んだ青空に反し、地上は忙しなく多数の影が入り乱れて混沌としている。ピクニックに丁度よさそうな自然溢れるエグロックの丘は、殺伐とした空気に淀んでいた。
「くるな、くるなぁああ!!」
「クソッ……この、バケモノめぇっ!!」
「いやだ! 助けてくれ、助けてくれぇぇえぇえ!!」
一斉に並んだ兵士が突き出した槍を異形の女は片手で叩き折り、動揺する兵士も文字通り蹴散らした。
兵士の壁に突入してきた異形の剣士が騎士へと切り掛かり、騎士は寸での所で楯を間に合わせ――剣士の剛剣に構えていた楯を弾き飛ばされた。
得物を失った兵士は慌てて逃げようとするも、異形の女が身体をがっしりと掴む。助けを呼ぶ声を戦闘音に掻き消されながら、兵士は異形の群へと引き摺りこまれた。
剣戟と悲鳴と怒号を境に、対照的な二つの軍が衝突する。
武装した人間と異形の女――魔物が、平野を舞台に戦っていた。
魔王軍、そしてヴルカノ連合軍。
ヴルカノ連合軍は迫りくる魔物に脅威を抱くヴルカノ地方の反魔物国家が結束した、人間による連合軍だった。元々旧魔王時代と比較して穏やかながらも着々と勢力を増していた魔物を危険視し強行に排除すべきと主張する者もいたが、教会圏にある反魔物国家ほどに魔物を敵視していなかった。確かに魔物は警戒すべき相手だったが、昔のように頻繁な襲撃を行なわないので敢えて刺激する必要もない。中には商売相手となったり、サイクロプスのように人にとって有益な力も齎されている。なのでヴルカノ地方の人間は魔物と衝突するような状況を避け、争いの種になるような関与を避けていた。
それが今では、正面からぶつかり合い戦っている。
第三次東ヴルカノ戦争と呼ばれたこの戦争は、開戦から既に2年が経過している。
開戦の原因については様々な噂があった。
開拓しようとした所に魔物がいて争いになったとか、好事家が魔物の剥製を欲しがって藪を突付いてラミアを出したとか、金持ちが処分しようとした奴隷を魔物が横取りしたとか、真偽の定かではない話ばかり。
確かなのは大きな不利益を被った権力者が怒り狂い、魔物が本気で戦いを始めたという事だけ。
元はただ辺境から魔物を追い出すという程度の、大規模な賊討伐に等しい小競り合いにすぎなかった。それがいつの間にか魔物対人類の生存競争という、壮大な構図となっている。少なくとも、必死に魔物へ槍を振るう兵士たちの認識はそうだった。負ければ魔物に全てを奪われるという、蹂躙される恐怖から逃れるように兵士は得物を振るう。
だが魔物を敵に回したこの戦いは、土台対等な争いとはならなかった。
強力な魔物の軍勢に、完全に人間は押されていた。
そもそも魔物は人間より運動能力が勝る上に、その身体は人間と比較しはるかに頑丈だ。生身であっても、重武装の騎士より高い防御能力を標準で備えている。
魔王軍は雑兵であっても、鎧を着て剣を持つ騎士が漸く相手を務められるかという相手がゴロゴロしている。しかも魔物は、人間と同じように地に二本の脚をつけて戦う者だけではない。
ケンタウロスは騎兵のように人馬一体を体現し、人馬で全く行動の祖語が無い騎兵として活躍をする。ラミアは下半身を巧みにうねらせ、人の感覚では想定していない一撃を加えてくる。
近接戦闘一つとっても、人間との違いが兵士を惑わす。
また、魔王軍において兵士は大地に立つ者だけとは限らない。
人間が見上げるだけの空にはハーピーが旋回し、隙あらば爪を構えて急降下してくる。その鋭い爪で捕まれば、そのまま力強い羽搏きによって芋虫のように連れ去られる。
サンダーバードはバリバリと稲妻を落し、密集した兵士を纏めて行動不能にする。密集し緊密に連携して戦うという人間が編み出した戦法を、嘲笑うようにねじ伏せ手頃な獲物を摘まんで飛び去る。一網打尽にされた兵士は、別の魔物の餌食となるのだ。
魔王軍には人間の兵士が幾つもの兵種を持つように、全く別の力をもった種族が取り揃えられている。武器や戦法を変え別の役目を与えても、ベースの特性が均一な人間しかいない連合軍とは異なる。
魔王軍は文字通り方向性の違う種族が、渾然一体となって押し寄せる。同じ戦場でも、場所によって180度違う対応を強いられる。目まぐるしく戦う相手の能力が変化し、ただでさえ戦慣れしていない兵士は対応できずついていけない。人間相手の戦争よりも、損耗は激しくなる。
真に恐るべきはこれほど多種が入り乱れていながら、反目もせず協力している事だ。同じ人間でも、国や人種、住んでいる地域によって致命的な摩擦が起こり作戦を妨げる。下手すると、仇敵と戦っている最中でも背中を狙おうとする。
だが魔物にはそれが無い。
『人間を滅ぼす』という一点に、意識が統一されているからだ。
余程、人間の殺戮に情熱と執着を抱いていると見える。
価値観がかけ離れた魔物同士でも、人間を嬲り殺すという共通の欲求が余計な身内の争いをさせないのだ。まさしく殺人のために産まれた生物で、教団が唾を飛ばして説教する通りの『人類の敵』だ。
そんなバケモノを相手にして、人間の雑兵は対人用の貧相な武器で相手をしなければならない。
兵士の槍は簡単に折られ、胸当ては簡単に引き裂かれる。
戦闘能力を欠いた兵士は、瞬く間に魔物の波に飲まれていった。
魔物の群れに嚥下されるように、泣き叫ぶ戦友が消えていく。その場で殺害されず連れて行かれるのが、その用途を兵士たちに想像させ彼らを震え上がらせる。その恐怖が更に兵士の動きを悪くさせ、魔物の快進撃に助力する。背後に控える怒り狂った騎士の督戦がなければ、とっくに逃げ出していただろう。兵士達は絶望的な防衛線を強いられ、完全に時間稼ぎに使われていた。
とはいえ兵士の命で稼いだ時間は、無駄にされていなかった。
弓兵達は大弓を引いて矢を射掛け、魔法兵が強力な魔法を魔物へと投射する。魔物であっても効果が望める威力を持った攻撃だ。兵士が押し止めた敵の頭上に矢や魔法を落とす。
魔物は大群で押し寄せており、めくら撃ちでも簡単に当たる状況だ。
しかし容易い筈の支援は、一向に魔物達を傷付けない。
巨大な魔法の障壁が、魔物達に届く危険を遮断していたからだ。
弓兵や魔法兵が兵士達を支援するように、魔物達を魔法で支援する魔物がいる。その中核を担っていたのは、魔法を行使できる上級の魔物だ。バフォメットや魔女あるいはダークメイジといった魔物が有名だが、この場において主導するのは別の魔物だ。
痛んだボロ布を纏いながらも貴賓があり、その姿は叡智を究めた隠者を思わせる。精緻に装飾された十字の墓石を背負い、濃密な魔力の気配を身に宿した血色の悪い少女。
冷え切った血の気の無い顔は、正しく『死人』だった。
「……グレートウォール、稼働率93パーセント。……余裕を持って都市防衛規模の術を使ってみたが、存外削られない。……再展開術式を搭載してみたが、効果は検証できないかもしれん」
「……頑張ったのに」
「……くふふ」
少女達はリッチと呼ばれる魔物。
命を無くしてなお魔術の研究を続ける、不死の賢者だ。
この通り魔法を振るっているが、些か奇妙な光景だった。彼女達の気質からして、魔王軍の支援をするような種族ではない。普段は不死の都に篭って外に出てくることは滅多になく、暇さえあれば魔法の研究をしているのがリッチという種族だ。住処に攻め込まれたら迎撃するが、このように真昼間から遠出して戦うなんてことはあり得ない。
そのリッチが最前線に出向いて、強力に支援している。会話はどことなく実地試験の体で研究成果を楽しむような内容だったが、間違いなく戦いのために赴いている。
この場所で連合軍は何度か魔王軍と戦っているが、リッチが現れたのは今回が初めてだった。突然現れた高位の不死者に、連合軍は窮地に立たされた。周辺から援軍を募り対応するも、飛び道具から一軍を丸々守る魔法は連合軍を追い詰めていた。
油断なく戦場を俯瞰していたリッチの一人が、目を細める。
「……大魔法の予兆を確認。……念のためだ、都市防衛のシナリオ14に従って攻撃に備えろ。……絶対に攻撃を通すな」
「……わかった」
「……くふふ、追加防壁展開」
アンデッドの魔力を濃く宿した細い指を空中に這わせば、輝く魔法文字が後を追い魔法の骨組みが形を成す。完成された魔法の装甲板は障壁に重なり、堅固な守りを更に厚くする。
着々と増強が進められる、リッチが戦場に建てた魔力の要塞。
それに挑むのは、最前線より離れた高台に布陣している魔法兵の一団だ。数十名が一定間隔で整然と並び、個々の位置関係に合わせた詠唱を行って一つの魔法を構築する。
かなりの練度を必要とし、魔法を武器として平素からその力を鍛えてきた精鋭だからこそできる技だ。
「詠唱完了! 発射する、射線上から退避しろ!!」
戦闘の初期から続けていた大魔法の詠唱がようやく完成し、魔法兵団の頭上に眩い光が現れる。炎の魔法をより高次元に高め、太陽の再現を目指して作られた大魔法だ。
戦場に突如生まれた太陽は空へと飛び立ち、兵士の歓声とどよめきを跨いで魔物の軍勢へと向かう。発射された巨大な火球は魔王軍後方へと飛んで行き、後衛から前衛までも焼き尽さんと落下する。
魔法の城塞に巨大火球が衝突し、大地が燃え尽きるような熱と光が戦場を包む。地平線に沈む様に巨大火球は敵軍に落ち、炭も残さず焼き尽くさんと燃え盛る。
人間の歓声は、期待に大きく膨れ上がり――そして萎んだ。
炎が晴れた場所には、体が焦げてさえいない健在の魔物が残っていたからだ。
リッチが展開していた魔法の防壁を境に、大地も緑と黒で別たれている。巨大火球は魔法の城壁に一切の被害を与えておらず、魔法兵達が死力を尽くした希望の反撃はリッチの魔法で完全に遮断されていた。魔法兵達は軽々と止められ四散した巨大火球の残滓を、唖然と見送った。
彼等が積み重ねてきた力が微塵も通用しておらず、全く歯が立たない。
人間の魔法使いにも天才はいる。しかしリッチは才能ある人間が死して成り、その長き年月を魔法の研鑽に充ててきた魔物だ。人間の探究心に恵まれた魔力と悠久の時間が加わった、魔物の中でも魔導においては最上級の錬度を誇る存在だ。
彼女達が単独で積み重ねてきた力は、人類が培ってきた英知を個人で体得している。その魔法の鬼才が数名協力すれば、人間が力を合わせて放つ大魔法も容易く粉砕する。
魔力量も、技術力も上回れば、格下の完封など『当たり前』だった。
魔術師の支援が受けられないと悟った兵士達は、徐々に後退していく。目の前で軽々と防がれた虎の子の巨大火球を見れば、殆どの兵士は臆病風にも吹かれる。下がるなと声を張り上げていた騎士達も、苦い顔で後方を確認する。
このままでは、魔物に押し切られた末に敗北する。
誰でも予見できる、明らかに敗色濃厚な劣勢だった。
「……」
後退を続ける軍勢の中から、一人の兵士が飛び出した。
逃げる兵士達を追い抜くように疾駆し、しかし彼らとは真逆の方へ駆ける。兵士達を追い立てる魔物の方へと、男は突進していく。突き出された槍のように、男は真っすぐ魔物たちに向かっていった。
男は突撃を是とする重装騎兵ではない。
軽装とも言える皮鎧を着け、兜の代わりに銀色の外套を纏い覗き穴がついたフードを被っているだけだ。覆面フードには穴が開き、その覗き穴からは鋭い水色の瞳が魔物を睨んでいる。
怪訝そうなリッチの眼前で、兵士は素早く背負った荷物を降ろした。
手にしているのは華奢な台座に据えられた、弓の無いクロスボウのような武器だ。その纏まっていたシルエットは、地面に置かれると同時に台座が炸裂音を伴い破裂し崩れる。四散した台座からはワイヤーが張られ、一瞬にして本体を地面に縫い付けた。
「……貴方が『国崩し』、そしてそれが噂の秘密兵器。……確かに、強力な魔力を秘めた絡繰り……グレムリン辺りに見せたら、大喜びしそう」
リッチは興味深そうに、『国崩し』が広げた武器を観察する。
ワイヤーとはいえ立派な台座で地面に据えられたその見た目は、最早クロスボウではなく歴とした破城兵器のバリスタだ。だが弓を巨大化したような無骨な機械で構築されるバリスタと違い、野太い腕木もなく部品は薄く細くスマートだ。その各所には魔鉱石を埋め込まれ、フレームには魔法文字が彫られていて、素人目にも魔力の胎動を感じさせる。
それがこの『破城魔砲』だ。
リッチ達へと照準された筒に、『国崩し』は弾となる太い槍を番えた。
そして即座に引金を引くと、本体に灯りが灯ったように魔力が通う。
燃え上がるように爆発的な魔力が生じて、破城魔砲の中で乱れ狂う。
だがその魔力の嵐は、指向性を持って規則正しく組み合わさっていく。
一瞬にして、破城魔砲内部に芸術的な魔力の構造物が完成し――番えた槍弾が射出された。
ズガァァアアンッ
「……きゃっ!!」
「……わっ!」
「……くぅっ!!」
そして野太い槍弾は一瞬で距離をつめ、障壁に突き立った。
破城魔砲の名にふさわしい威力が、魔力の防壁に突き刺さる。
魔法の城壁は奇妙な揺らめきが大きく歪んで、火球と同じくその突撃を受け止めた――が、均衡したのは一瞬だけだった。
直ぐに空間がひび割れるような轟音が鳴り響き、魔術防壁が大きく捻じ曲がり爆発した。槍弾に秘められていた魔力の放散と、魔術防壁の崩壊が合わさり激しい魔力の嵐が戦場に吹き荒れる。魔物達も爆風にたまらず押し流され、追撃の勢いが完全に殺されていた。
「……信じられない。……稼働率90パーオーバーのグレートウォールが一撃で破られて、再展開術式ごと完全に破壊された。……これでも人間の魔法攻撃を完全に遮断できる計算の魔術障壁でだったが、まさか撃ち抜いて来る者がいるとは」
「……グレートウォールの再展開は間に合わないけど、どうする」
「……くふふ」
『国崩し』が番えた二本目の槍弾は、確実に魔術防壁の守りを剥がれたリッチを狙う射角だ。先程の威力からして、リッチといえど無事で済まない威力だ。
それでも彼女達は闘争心――あるいは探究心に火が点いたのか、戦意を滾らせている。
どちらも生半な攻撃はせず、次の攻撃は双方に決定的な結果をもたらす予感がある。
睨み合う、水色の瞳と暗い藍色の瞳。
「……ん? この子は」
ぶつかり合っていた視線を先に外したのは、一人のリッチだった。
彼女の眼の前に、一匹の蝙蝠がぱたぱたと降りてくる。
リッチは蝙蝠と言葉を交わすと、ボンヤリとした瞳を『国崩し』に向けた。
「……当初の目的は達成した。となればもうここで戦い続ける必要もない、撤収するぞ。……というわけでさよならだ『国崩し』、再び戦場で遭わない事を願おう」
「……帰っちゃうの?」
「……くふふっ。……データは取れたけど、実験は自室が一番だ」
リッチ達は戦意を消して、戦場から遠ざかっていく。
兵士と戦っていた魔物たちも、リッチ達を追うように退いていった。
魔王軍が完全に撤退したのを見届けると、『国崩し』も番えていた槍弾を背にしまって腰を上げる。
固定されていた破城魔砲のワイヤーが外れて巻き取られ、驚くほど簡単に外れた。それを軽々と背負うと、追撃すべきと騒ぐ兵士たちの間を縫って戦場を後にする。
悲鳴ばかりが聞こえていた戦場に、勇ましい歓声が沸く。
追い詰められていた兵士の恐怖は、喉を過ぎた熱湯のように消えた。
魔王軍に敗けこんでいたこの頃には珍しく、連合軍の優勢で終わった。
たった一人のもたらした均衡により、劣勢だった連合軍はエグロックの丘に勝利を飾ったのだった。
人間の軍勢が休む駐屯地。
最前線近くに設けられたそこは、常に魔王軍の襲撃の危機に晒されている。
それでも魔王軍の侵攻に対応するには、危険を承知で展開しなければ間に合わない。せめてもの対策として常に見張りが置かれ、いつでも短時間で兵士を展開できるように持ち回りで完全武装の兵士が待機している。
兵士たちが警戒する駐屯地内には、天幕が幾つも並び人や物資が行き来し次の戦に備える。急ピッチで進められているが先の被害は大きく、未だ疲れきった兵士に簡素な食事が出された程度だ。
壊れた装備の再支給や、生存兵と補充兵の確認や、統廃合を含む部隊の再編など、やる事は山積みだ。多くの人間が、死んだように身を横たえて休む兵士の間を行き来し職務を全うする。
そんな居並ぶ天幕の内の一つに、少しばかり毛色の違う天幕がある。
天幕は兵士が雑魚寝する為のものか、貴族がくつろぐためかの二種類に別けられる。前者は酷く簡素なつくりをしていて、後者は無駄に煌びやかに作られているが、どちらも非常に大きい。
しかしこの天幕は一回り小さく、がっしりとした構造をしている。天幕というよりも、組み立て式の小塔のような見た目だ。周りには警備の兵士が立っており、見るものにより物々しい印象を与える。
中は、ごちゃごちゃとしたもので埋め尽くされている。
簡素な長机や椅子はいいとして、床を埋めるように様々な形の武器や何かの部品が雑然と置かれている。
比較的整理された卓上には、ビーカーや試験管に漏斗や抽出器といった錬金術師が使う類の設備が幾つも並んでいた。多種多様な機材に囲まれた青年は椅子に深く座り、背を丸めて覗き込んだ機材の不気味な薄明かりに顔を浮かび上がらせる。
青年は髪を手入れしておらず長髪気味で、頬はこけ体格は筋肉質ながら痩せぎす。浮浪者と見紛う姿だが、目はギラギラと光り戦士特有の生気が宿る。
痩せた餓狼のような男だった。
彼は水色の瞳を、試験管から発する不可思議な蛍光色に染める。
「……」
熱心に見つめる試験管の底には高価そうな宝石が幾つもつめられ、反対側の試験管には透明な棒状の石が置かれている。煮出されている宝石は色を薄めながら溶液を蛍光色に染め、溶液は幾つかの管を通って石棒へと集まっていく。
集まった濃い蛍光液は棒状の鉱石へと集まり、透明の石はほんのりと光を宿し始めていた。
男は試験管から目を離し、手元に視線を移す。
光に照らされながら彼が熱心に見つめる筒状の物は、あのリッチの魔術防壁を破った『国崩し』が使っていた破城魔砲の本体だ。刀身に風の膜を作り剣速と切れ味を高めドラゴンの皮も切断する魔剣――その刀身を何本も結束した射出筒だ。この筒に物を通し魔力を通わすと、剣を加速させる風の膜が発射体を高速で射出する。
この射出筒に、卓上に除けられた円錐の装置を組み合わせる。これは突風で加速しドラゴンを貫く魔槍と、咥内に火の魔力で特殊な薬剤を噴射しドラゴンをひるませる罠、二つの機関部を取り出して作った噴射装置だ。これを射出筒に内蔵して、番えた発射体を一瞬で加速させる。
射出時には射手を殺傷する強烈な爆風が発生するものの、ドラゴンブレスを防ぐ銀の布を改造した覆面頭巾付きの防護服で防げば問題ない。
「射出機関に歪みはなし。次は……台座か」
男は台座に目を向ける。
破城魔砲は凄まじく発射の反動が大きい。本体は急激に後方へすっとび、衝撃波部品に大きな負荷をかけ、噴射装置の爆風は人体に深刻な損傷を与える。
そこで、様々な反動対策を講じている。
まず後退対策には、台座にドラゴン捕獲用の急速展開式ワイヤーを使用。激しく暴れまわるドラゴンを大地に縫い付けるワイヤーが、ドラゴンのように破城魔砲を大地に固定する。
そのワイヤーの展開・回収装置に手を付ける。射出を行なう部品と、巻取りを行なう部位を個別に点検。リールのような物に巻きつけられたワイヤーが綺麗に展開できるよう、しっかりと規則正しく巻き直していく。雑にワイヤーを巻くと、展開時にワイヤーが正確に四方へ広がらず、発射の反動でワイヤーが痛むのでしっかり巻かねばならない。
ワイヤーを巻き終わると、整然と切りそろえられた厚い生地を注視する。
「緩衝材は……こちらは、まだまだいけるな」
部品の反動負荷対策には、ドラゴンの打撃から着用者の身体を守る防具を使った。裁断した断片を部品同士に噛ませて緩衝材にし、反動時に部品にかかる負担を軽減している。
「これも問題なし、と」
部品の殆どが、かつて竜殺しが使っていた道具で作られている。
元々の道具は一つ一つに異なる力と役割があり、これらを使い分けてドラゴンを倒す。そんな武器を一つに纏め、強力な一撃を生むために作り変えたのがこの破城魔砲だ。
しかしただ組み合わせただけでは、それらは効果的に協調して発動しない。
「……よし」
点検した一つ一つの部品を、黒いネジを挿して固定していく。
寄せ集めにすぎない竜殺しの力を一つの武器として繋ぎ合せたのが、この不死殺しの道具だ。聖なる魔力を突き刺したアンデッドの深部に送る、特定波長の魔力伝導性が非常に高い杭だ。これを加工したネジで各部を繋ぐ事で、一つの纏まった武器へと完成する。
仕上げに、各部に油をさす。これは不死殺しが使う祝福された銀を含有する聖油で、魔力の伝導率を更に底上げできる。
「あとは、濃縮を待てばいいな」
試験管の石棒は、透明さがなくなり明らな蛍光色に染まりつつある。
男が指でなぞった破城魔砲の後部には、この石棒を差し込むらしき穴が開いている。この穴は燃料供給口で、光っている石棒は魔力を濃縮した燃料棒だ。
こうした魔力を使う道具は、空気中の魔力を吸収して回復するのが一般的だ。しかし破城魔砲は各部に魔力回路が設けられ、一箇所に集中した供給点から魔石で素早く魔力を補給できる。
しかし並の魔石や宝石では魔力が足らないので、こうして成形した燃料棒に精製した魔力を濃縮する。そうすれば、挿し込むだけで急速に魔力を装置に充填できる。
だがこれには手間も金もかかる。
この燃料棒を一つ作るだけで、一財産作れる宝石を幾つも用い、数日間つきっきりで濃縮作業を行なう。しかもこの燃料棒は破城魔砲の駆動だけでなく、発射体として使用した槍弾の穂先にも装填して用いる。
破城魔砲は、設置、展開、固定、照準、発射、格納、全ての手順で大なり小なり魔力を必要とする。その対価により、身軽な戦士が担いだまま戦える軽さで、戦略魔法に匹敵する一撃を即座に放つ非常識な武器となった。
だが消耗の激しさも非常識で、無視できない致命的な欠陥といえた。
何しろ使う度に莫大な費用がかかり、人生を何度も遊んで暮らせるような報酬を得ても整備して槍弾を作るだけで金が底をつく。運用の実態を知れば大国でも使用に難色を示す武器で、ましてや個人が使うべき代物ではない。
それでも彼は、この武器を使い続けている。
「……」
外が次第に騒がしくなり、燃料棒を見ていた彼の眉が寄る。
天幕を蹴破る様に、テント内に男が飛び込んできた。
戦闘用とは思えない屋内に飾ってありそうな華美な甲冑を身に着け、 出血した様に顔を真っ赤にし額には血管を浮かせている。禿頭を薄く覆った皮脂のように、目をギラギラと光らせている。
「一体どういうつもりだ『国崩し』ッ!」
「……なんだ、デボン卿」
「なんだではない! 貴様と共に布陣していた、魔法兵団の事だ!」
先に巨大火球を撃ち出した魔法兵達は、呆然としている所を別の魔物に攻撃され壊滅した。襲われた者達はそのまま連れ去られ、殆どが帰ってきていない。
『国崩し』も近くに控えており、彼が護衛すれば問題なく帰還できただろう。だが『国崩し』は早々にリッチへと向かい、無防備だった彼らは襲われた。見ようによっては、役に立たない彼らを見捨てたと思われかねなかった。
「命令どおりに動いただけだ。文句を言われる筋合は無い」
「なんだと!?」
「先に破ったのは連中だ、作戦を知らぬ筈はないだろ」
「ぐっ」
元々、あの攻撃は『国崩し』が先に行う筈だった。
正確には、『国崩し』が撃った後に魔法攻撃が始まる予定だった。
そうなれば、無防備になった魔物達は巨大火球に焼き払われていただろう。
「功を焦った連中が、勝手に先んじて詠唱をはじめ、先に魔法を発射して防がれ、勝手に自失して襲われただけだ。逸って計画をぶち壊したバカが死のうが、俺が知ったこっちゃない。いとこかはとこかで親近感を持ち合わせるデボン卿と違ってな」
「っ! 貴様ッ!! 下種の分際で、偉そうに!!」
「俺は下種だが、その下種の足を引っ張って勝手に戦死した血筋の高貴さには傷み入るよ。お貴族様万歳だ」
「貴様ぁ、もう我慢ならんっ! 切り捨ててやる!!」
貴族は剣を抜き、『国崩し』に突きつける。
『国崩し』は彼をねめつけただけで、興味なさそうに視線を試験管に戻す。
「こっちを見ろ、貴様ッ!」
貴族は自分を無視する『国崩し』が意識を割く、小難しそうな機材を払いのけようと愛剣を振るう。
ガキンッ
「……なっ!?」
その剣腹を、破城魔砲の槍弾が払いのけていた。
槍弾は破城魔砲の弾として使っているが、元は魔槍の類を改造した物であり近接武器としても充分通用する。宝物として大事にしまわれるほど敵の血を啜った槍弾の切っ先が、青ざめた貴族の首元に添えられる。
「……知らないようだが、今オレは次の戦いの準備をしている。枢機卿から買われた力を発揮する為に、長々と面倒で退屈な作業を繰り返している。作戦の基軸にもされる、俺の商売道具をぶち壊してどんな言い訳をするつもりだ?」
枢機卿とは、ヴルカノ地方に存在する主神教団の分派組織『ヴルカノ聖教会』の幹部だ。このヴルカノ連合軍成立にもヴルカノ聖教会は関与している。そのため枢機卿は連合軍内部でも強い発言権を持ち、枢機卿と直接契約している『国崩し』には下手に貴族も口出しできない。
自分が虎の尾を踏みかけていると気付き、顔を青ざめさせた貴族に「わかってくれたようでなにより」といいつつ槍弾をどけると、ずいっと顔を貴族に寄せた。
輝く溶液の光で、『国崩し』の顔には深い影が差した。
「次邪魔しやがったら……セルコイド帝の死因を、お前の死体で周知させてやる」
深淵のように深い色の瞳で凝視され、貴族は顔を真っ白にさせた。
二の句を継げぬまま貴族は踵を返し、怯えを誤魔化すように周囲へ当たり散らしながら去っていった。
後には、聞き耳を立てていた兵士たちのざわめきだけが残る。
「何だアイツ、貴族にもあんな強気で」
「知らねぇのか。アレが、噂の『国崩し』様だ。今や太刀打ちできない上級の魔物――さっきみたいな化物が相手でも、勇者でもねぇ癖に撃退しちまう英雄様さ」
「あいつが!?」
「得物の威力だけなら、勇者の物よりも強いってぇ話だ」
「っへぇー、そいつぁすげぇ! 一体何でできてんだ?」
「竜殺しとかの得物を色々組み合わせてつくった特注らしい。ドラゴンとも真っ向からやりあえる威力だから、殆どの魔物相手でも滅法強い」
「竜殺しの得物? んな道具なんてどこで手に入れたんだ?」
「なんでも戦場で、味方の竜殺しを殺して奪ったらしいぜ」
「マジか、味方の?」
「それも相棒で、女だったって話だ。元々道具が目当てで、奪うために近付いて相棒になったんじゃねェかって話さ」
「うっへぇ、そこまでするかね。おそろし、くわばらくわばら」
『国崩し』は外の会話を聞き流した。
他人に何て言われようとどうでもよかったし、あながち彼等の話も間違いではないからだ。
個人で敵国を滅ぼし得る力を持ち、国を傾けるほどの費用がかかる武器を使う奇妙で凄腕の傭兵『国崩し』。彼がそういう世評を受ける前、かつてロギウスと呼ばれる方が多かった頃の彼は、不死殺しの見習いとして生きていた。
ロギウスの家系は、由緒ある不死殺しの一族だった。
アンデッドがもたらす脅威から人を守り、卑しい死の魔力から人々を遠ざける高潔で尊敬を集める生者の守り手。そのために用意した特別な魔道具は、強力なアンデッドをも滅ぼす力を持つ。彼らはアンデッドがもたらす絶望を打ち砕く、誇り高い戦士だったのだ。
だがそんな誇りある戦いの場は、魔王が代替わりした頃から失われた。
新たなアンデッド達には、死の女神の加護がついていたのだ。神聖魔法や、『劇的な効果がある』とされていた聖水などはほとんど――全く効かなくなった。
高位のアンデッドの脅威となった聖剣は、低級アンデッドにようやく手傷を負わせられる程度に弱くなった。銀を溶かし込んだ高価な聖油は、アンデッドの肌を艶やかにするだけになった。道具の力が弱くなったのではなく、アンデッドが強くなりすぎたのだ。
ロギウスは不死殺しとなる事を諦めた。
育ててくれていた祖父が、アンデッドに敗死したのが彼の夢に止めを刺した。祖父は魔王が代替わりする前の戦いを知っていたほど長寿で、骨と皮というアンデッドのような身体で未だ凄腕の不死殺しとして現役だった。
そんな尊敬できる祖父が、かつて鎧袖一触にしたという因縁のアンデッドになす術もなく下された。祖父はそのまま連れ去られ、今頃は殺され不死の人形として弄ばれているだろう。
今の世では、不死殺しにアンデッドと対抗する力はない。憧れた祖父の最期は、彼の夢の最期だった。ロギウスに残されたアンデッドを標的とした力で、彼は人間を標的にする傭兵として戦った。
彼はアンデッドを滅ぼす為に考案された仕掛けを用いた武器を使い、なんとか苛酷な戦場を生き抜いた。幸いアンデッドに効かなくなった不死殺しの武器だが、皮肉にも人間相手には効果的だった。本来の活躍ができない以上、何の慰めにもならなかったが。先祖も、人を守る力で人を殺す子孫を見れば唾棄した事だろう。不死殺しとして返り咲くなど、夢のまた夢だ。そんな諦めの中で、覚えた技術を人殺しに使っていた彼の前に彼女は現れた。
ルギイ。
赤い髪が綺麗で、能天気によく笑う女だった。
しかしその立ち振る舞いには隙はなく、研ぎ澄まされた剣のように身に降りかかる火の粉を払う。男であっても困難な活躍を、彼女は女の身で成し遂げる。
しなやかな体付きに『女らしさ』は少ないが、密林を制する豹のような肉体美に溢れていた。一般的に女らしさを欠くような体付きでも、一目で深い魅力に圧倒される美貌の持ち主でもあった。
彼女は自信を感じさせる勝気な目で、ロギウスが諦めた一族の再興をいつも熱く語っていた。
ルギイの場合は、『竜殺し』として。
彼女の先祖はドラゴンと殺し合い、打ち勝って様々な栄光を手に入れた。金、名声、そして美女――それを多く受け継いだ血筋ゆえにか、ルギイの容姿は優れていた。その容姿を周知させられる活躍を、彼女は望んでいた。
幼少期より祖先から受け継いだ道具の使い方を学び、訓練してきた彼女の技術はその容姿同様に優れたものだった。自分が活躍する青写真に、でへでへと顔を緩ませる残念ささえも愛嬌とするほどに。
彼女に足りなかったのは、倒すべきドラゴンだ。
それさえあれば、彼女の望みは果たされる。
しかし昨今のドラゴンは昔ほど被害を出さず、一部の国では人間にも積極的に協力しており、人類の敵という認識から外れつつあった。しかし今でも、ドラゴンを駆る竜騎兵と敵対する国々からは、ドラゴンは倒すべき敵として嫌悪されている。彼らに協力する形でドラゴンを討伐すれば、再び竜殺しとしての勇名を馳せる事も夢ではない。
現代のドラゴン殺しはある意味でアンデッド殺し以上に困難だったが、諦めた自分よりも見込みがあるとロギウスは思った。
ドラゴンが多く住まうという地、そこに向かうためにルギイは傭兵として戦っていた。目的を失っていたロギウスは、そんな彼女に協力した。戦場では肩を並べて戦い、彼女がドラゴンの住処へと行く資金集めを手伝った。
そうしてドラゴンの住処へ旅する資金は溜まっていき、ようやく目標に届くいう最後の戦い。夢への、最大の飛躍を果す為の大きなステップ。
ルギイはロギウスに竜殺しの旅へ共に行こうと話していたが、ロギウスはこの戦いの後でルギイと別れるつもりだった。確かに二人合わせて行くだけの金はあったが、竜殺しは戦うためにとにかく金が要る。そのための資金は幾らあっても足りず、ロギウスは自分が貯めた全財産を彼女に使ってもらおうと考えていた。
ロギウスは、ルギイに確実に夢をかなえてもらいたかったのだ。
ロギウスはまだ望みある彼女の夢を、叶えられる場所までその背中を押してやりたかった。
彼女が夢を叶える事で、諦めた自分の鬱屈した悔恨がすくわれる気がしたからだ。
二人の夢をかなえるため、ロギウスはルギイとの最後の戦場に赴いた。
そうして二人が向かった最後の戦いは、最悪の血戦だった。
自軍は敵の激しい攻撃に徐々に追い詰められ、戦友は櫛がかけるように減っていく。誰もが敗北を予期し、自らの死を覚悟した。傭兵は旗色が悪くなれば、簡単に逃げたり降伏したりする。彼らが働くのは、国の名誉の為ではなく自分の命の為だからだ。
そんな傭兵が、死力を尽くして戦っていた。傭兵といえども呑気に白旗を振れるような状況では、降伏できる相手ではなかったからだ。
戦争の相手は、悪名高い神聖セルコイド帝国だった。
セルコイド帝国は独特な文化、宗教を持っている。彼らの信仰する宗教では、絶対神セルコ以外を信ずる異教徒は人間と見做さない。犯し、殺し、奪っても、一切の悪徳として見做されない。むしろ、忌まわしいケダモノに裁きを下したと尊ばれる。
故に彼らは、戦争で占領した敵国人を人間扱いせず徹底して辱めて殺すという文化を持っていた。自分たち人間に牙を向いた害獣に、彼らは懲罰を下すように人を殺す。
特に女性達は死にたいと懇願する喉さえ潰れるほど絶叫させ、苦ませてから殺すという。人を人とも思わぬ残虐非道振りから、主神教団からは魔王軍同様に討伐すべき敵と名指しされていたほどだ。
多くの国では、戦争で敗走する傭兵は放っておかれる。だが、セルコイド帝国は敵対した者は傭兵でも徹底的に殺す。そんな傭兵として参加しているルギイが、それも女である彼女が無事に帰れる筈がない。
その美しい容姿に目を付けられ、口にするのも憚られる陰惨な末路を迎えるだろう。
生来の純朴な気質が表れた花のように咲く笑顔も、厳しく鍛えてきた竜殺しの心が生む凛々しさも、焼け落ちた廃屋のように朽ちさせられる。セルコイドの兵士という、最悪の魔手によって。
ロギウスは敵がセルコイド帝国だと知っていれば、こんな仕事は受けなかった。元々別の国と戦っていたのだが、突如隣接する国境からセルコイド軍が越境し強襲してきたのだ。そしてあれよあれよという間に、ロギウス達傭兵は挟み撃ちにされ敵中に取り残された。
想定外の急襲に降伏もできないまま、援軍の見込みもなく抵抗を続けた。
時間が経つにつれ傭兵は数を減じていき、完全に包囲され座して死を待つばかりとなった。絶望した傭兵達に囲まれ、二人は決断した。
『お願いロギウス、私を貴方の手で殺して』
ルギイはそう懇願し、ロギウスは彼女を手に掛けると決めた。
このままではセルコイドの兵士にどんな目に合わされるかも解らない。
ならば自ら命を絶つ。
ルギイは、せめてロギウスの手で死にたいと願った。
自分の手で死ぬより、信頼し同じ戦場で戦ってきた相棒の手で死にたいと。
ルギイの夢を叶えられず、今彼女を守ることさえできないロギウスは、せめてこれだけはと承諾した。
ロギウスは自らの剣を、ルギイの胸に突きたてた。
肉を立つ感触。
切っ先で骨を削り、切り裂く感覚。
手にはっきりと、生涯で一番強く『死』を感じた。
そうして不死を断つ剣は、命の灯火が宿った肉を断つ。
苦しかっただろう、痛かっただろう、しかしルギイは呻きさえ上げなかった。
ルギイはむしろ安らかな顔で死んだ。
彼女の口から呼気が消えた、その『直後』だった。
突然勇者率いる援軍が現れ、勇者様がセルコイド軍を蹴散らしたのは。
劇的な勝利に沸く戦士たちの中心で、ロギウスは立ち尽くした。
ロギウスの手に残ったのは、友軍の勝利と、自らの命と、ルギイの亡骸だけ。
ロギウスは戦いに勝利し、夢も相棒も全てを失った。
戦闘の後、彼は彼女の遺体を幾つかの私物と共に葬った。
そしてロギウスは、ルギイが大事にしていた竜殺しの武器を背負った。
ルギイを手にかけたのは全くの無意味だった、断じてそう思いたくなかった。
彼女に全てを捧げていたロギウスにとって、彼女が『無駄に死んだ』等という戯言を認める訳にはいかなかった。
だから彼は彼女が使っていた竜殺しの武器を手に取った。ルギイが継いできた血に最適化された武器を、彼でも使える強力な武器に改造した。流れの偏狭な研究者や、異様な錬金術師達の手も借りて、伝来の不死殺しの道具も用いて竜殺しの武器を破城魔砲という全く違う兵器を組み上げた。
ロギウスはアンデッドを――曲がりなりにも『人』を殺す力と、竜殺しの武器を組み合わせ、アンデッドやドラゴンのみならず最大限に『敵』を破壊する装置へと作り変えた。
相棒を、それも女を殺して奪った武器で戦う彼を、他の兵士は嫌悪し恐怖した。ロギウスはその『邪悪さ』を証明するように、戦場で破城魔砲を背負って奮戦した。
そうして彼は二度目のセルコイド帝国との戦争を勝利に導いた。
セルコイド帝国は戦争終盤、後背を突く形で参戦した魔王軍と二正面作戦を強いられていた。それでも古くから周辺国家を苦しめた強国らしく奮戦し、これを攻める戦線の進みは牛歩に等しく魔王軍の方が帝都へ先に到着すると思われていた。しかしロギウスの執念と怨恨が、彼を帝都へと先んじさせた。セルコイド帝都が誇る古の魔法を用いた大城壁を、ロギウスの作った破城魔砲が兵士や背後の市街ごと粉砕したのだ。
唖然と立ち竦んだセルコイド兵の始末を友軍に任せ、彼は皇宮に乗り込んだ。
そしてあの戦争で突然に侵攻を決め、戦争を主導した皇帝を惨殺し復讐を果した。
たるんだ身体には刃が鈍らになるほど多くの刃を立てたが、その身体はルギイと違い紙の様に軽く裂けた。その死体は不死殺しの知識を用いて、復活できないように『処置』を施し処分した。
その後セルコイド帝都が陥落してから突然進軍速度を上げた魔王軍が来る前に、ロギウスはセルコイド人への復讐が吹き荒れる帝都より莫大な宝物を奪って姿を消した。
集めた値段のつけられない価値のある宝を、彼は全て破城魔砲の強化に費やした。セルコイド帝国が長い歴史の間に悪逆非道の限りを尽くして集めた宝の全てを、妄執の結晶へと注ぎ込んだのだ。
ルギイという目的を失ったロギウスは、竜殺しで作ったこの破城魔砲を強くする事だけが命題となった。破城魔砲の姿も初期の頃よりだいぶ様変わりし、威力も飛躍的に向上している。
ロギウスはその力をもって、アンデッドやドラゴンだけではなく他の高位の魔物も討とうと考えている。そうして多くの強靭な魔物を駆逐すれば、破城魔砲は最強の武器として認知される。
『国崩し』は勇者と同等か、それ以上の支持を民衆から得られる。
気紛れな神託や、勇者の目覚めよりも、ルギイの死こそが世界にとって大事だったのだと万人に知らしめる。ルギイを手に掛けた『国崩し』の悪徳こそが、世界を救う切欠だったのだと。ルギイという尊い犠牲こそが、世界の救済に繋がったのだと。
だから今もロギウスは戦い続ける。
ルギイの死を最強の力が生まれた切欠にするため。
彼女の死を単なるロギウスの感傷で終わらせないため。
ルギイの死を世界の歴史に記すべき重要な出来事とするため。
これからも彼は彷徨う亡者のように戦い続ける。
ロギウスではなく『国崩し』としか呼ばれなくなった現在も、それは変わらない。
どんよりと狂気に沈んだ水色の瞳の奥で、燃料棒が暗く輝いた。
別の日の昼時、一番大きく豪華な天幕で作戦会議が行われていた。
貴人が集まって会議をする場らしく、簡易的な場であるにもかかわらず高価な調度品が置かれている。その調度品に負けず劣らず、飾った服装の人間が卓を囲んでいた。
茶や摘む菓子も用意され、茶会のように優雅な会議だった。
だがそれは『貴人らしさ』の演出に過ぎず、内面は切羽詰っている。
元々、魔王軍を迎撃する事で敵戦力を排除してから、魔王軍支配地域へと侵攻する別の部隊と合流し戦線を大きく押し上げるという計画だった。リッチが現れるというアクシデントはあったものの、魔法兵団と『国崩し』がいればまだ許容範囲内だった。
それが魔法兵団は自慢の大魔法を過信し、功を焦ったせいで作戦は失敗。『国崩し』の攻撃も逆転の一手ではなく、全滅を回避するため姑息に浪費しただけだった。一発撃つだけでかなりのコストがかかる破城魔砲を、無駄に消費したのだ。
勝てる勝負に負けた挙句、損害すら抱えて帰って来た。
呑気に許してもらえるという方が馬鹿げており、現に戦死した魔法兵団に縁を持つ者たちの首が軒並み飛んだ。『国崩し』に抗議しに言ったという貴族の首も含めて。
だからどんな形であれ、名誉挽回に必死なのだ。
もう一度の失態を犯せば、今度こそ礼儀作法に則って茶を啜る余裕さえなくなる。
緊張感に包まれている中で、異物が混じっている。
当のロギウスだった。
武骨な格好で深く座る彼は一際異質な雰囲気を漂わせ、周囲の貴人とは正反対に粗野な格好をしたまま、茶菓子を掴んでボリボリと齧っている。そのまま戦場に出てもおかしくない姿の彼は、野卑な仕草も相まって周囲のメンツから明らかに浮いていた。
しかしそこにいる誰もが、何一つ嫌味を零さない。
単にこれ以上立場を悪くしないように、『国崩し』を通して枢機卿の怒りを買わないようにという理由もある。だがそれ以上に、彼自身を恐れているからだ。
大国を滅ぼし高位の魔物を撃退する力への恐怖もそうだが、何より『国崩し』という男の気質。行動が読めないという所が、何より恐ろしい。
勇者であれば清廉潔白さを求められ、そのような洗脳に近い教育が施されている。そのためへりくだって良心に訴えかければ、比較的扱いやすく危険は少ない。
対して『国崩し』の場合は、傭兵という人の繫がりが重視される世界で、長く連れ添った大事な相棒を殺してまで力を求める狂人だ。故に権威や常識は通用せず、下手に立場を笠に着て迂闊な真似をすれば躊躇いなく牙を剥く。
権力に訴えようにも、戦争では『国崩し』の方がよほど役に立っている。なので『国崩し』が貴人と揉め事を起こしても、上からは大した処罰も与えられない。多数ある血筋と一つしかない強力な切り札では、どちらが貴いかは明白だ。
自らと『国崩し』の価値を天秤に掛けようとする愚か者はいない。
特に大失態を犯した今、『国崩し』と比べ『貴人』の立場は驚くほど軽い。
無視と言うのは貴人たちの意思表示であり、『国崩し』に対する苦肉の策だった。貴いやり取りを歯牙にもかけない、彼に効果があるかは別として。
奇妙な緊張感に包まれた天幕に、新たな人物が入ってくる。
『国崩し』を雇っている枢機卿に近い将軍だった。
枢機卿は『国崩し』がもたらした功績で地位を更に磐石なものとし、彼を後ろ盾とするこの将軍も出世しこれから始まる作戦の主導を担っている。上手くやっている彼を、円卓の貴人たちは口では称えつつも内心苦々しげに疎んでいた。ちなみにロギウスはそんな円卓の雰囲気ややり取りを察そうともせず、将軍に関しても枢機卿からの命令を受け取るだけのメッセンジャーとしか見ていない。
「我々は前回の失態を、挽回せねばならない。そこで我々の名誉回復に足る、次の作戦目標が決まった……都市ボン。ここの奪還だ」
円卓がどよめいた。
ボンは、早くから魔王軍に奪われた都市だ。とある蒐集癖が有名な大貴族が治めていた地で、彼は魔物の剥製を望み軍を率いて魔物狩りを行なった。結果、激怒した魔物の軍勢が押し寄せボンは滅亡した。件の大貴族は剥製も手に入れられず領地だけを失い、自分の土地を奪還せんと連合に参加した。因みに、そうして参加した彼は連合で自領奪還に勤しんでいるかと思えば、他の貴人と主導権争いをした挙句に暗殺されるという何ともいえない末路を迎えている。
そんな彼の遺志を汲んで奪還するとしているが、実際はボンの町近くにある魔石の鉱山が狙いだ。大貴族の暗殺も、この魔石鉱山の利権が絡んでいるという話もある。
ボンはこの鉱山を勢力下における、非常に価値のある都市なのだ。
そんな場所がなぜ今まで放置されていたかといえば、占領している魔王軍の守りが非常に厚かったからだ。だから莫大な価値を認めながら、指をくわえてみているしかできなかった。
「これから勇者殿、そして三日後に到着する援軍と合流する。援軍の他にも占領後の人員も併せて連れて行く事になるので、非常に大所帯になるだろう」
将軍の発言に皆が首を傾げる。
まるで確実に奪還できるような口振りだ。
そんな簡単に占領後の予定を建てられるなら、これまでボンはほったらかしにされていなかった。奪還できる根拠は何かと尋ねられた将軍は、対魔物用の新兵器が用意されていると自信ありげに答えた。
「新兵器?」
「そうだ。既に実地試験を終え、一定の効果があると確認している。それがあれば、ボンの奪還も容易い」
おお、と天幕がざわめきに包まれた。
魔物に決定的な効果を持つ兵器といえば、『国崩し』が持つ破城魔砲ぐらいだ。
まさか『国崩し』が使うような道具なのでは、ひょっとしたら『国崩し』に頼らずとも戦えるようになるのではとロギウスに視線が集まるも、彼は一切反応しない。
もしも破城魔砲のような類の武器ならば、ロギウスへ別の戦地に動くように指示が来ている。仮に新兵器がロギウスの持つ破城魔砲同様の兵器であっても、それだけの力を持つ兵器は乱用できるものではない。大軍を配置するように、長い時間と多くの人間が必要となる。大軍を前にして暗殺者のように忍び一軍を殺す、超火力と機動力を両立する『国崩し』の優位性は揺らがない。
とはいえ『国崩し』同様の火力をもった兵器が使えるなら、別の任務に『国崩し』を充てるという選択もできる。それでもロギウスがこの地に置かれたままの事実から考えるに、新兵器は破城魔砲とは競合しない類の兵器なのだろうとロギウスは見当をつけていた。
「具体的にはどのような兵器なので?」
「魔物が生きるのに不可欠な餌を根絶する、強力な毒を散布する」
やはりそうかと得心するロギウスに対し、周囲はどよめく。
幾ら魔物相手とはいえ、毒などというものを使うとは思わなかったからだ。不快感を示している者もいるが、不満の声は上がらない。魔物は害獣に分類される生き物であり、毒を獣の駆除に使っても問題はない。
不満そうな者も魔物へ毒を使うことに抵抗はなく、単に剣を振るう戦場に毒が用いられ自らの武名が損なわれるのを嫌っただけだ。
「この毒は当初の目標通りの満足な結果は得られなかったが、一定の効果は確認された。魔物は自分の『餌』が絶える事を嫌う。新兵器が使用されれば、魔物達は餌の保護に奔走しまともな反撃は不可能となる。そこへ勇者殿や補充された魔法兵団の攻撃で、魔物を殲滅し街を奪還するのだ」
「「「おお!」」」
再び与えられた、『確実に勝てる戦い』だ。
だが再び失敗すれば、今度こそここにいる貴人は貴さを失う。
恐怖から目を背けるように、あるいはそもそも見えていないように彼らは約束された勝利に熱狂していた。
「援軍とともに、新兵器が製造されているエイサルの街からから送られてくる。この新兵器の到着を待って、我々も出撃する。それからボンへ三週間かけて向かい……」
「……エイサル?」
突然口を挟んできたロギウスの声に、将軍は怪訝そうに顔を向ける。今まで一言も喋らなかったロギウスの発言に、水を打ったように静まり返った。
「……ああ。エイサルは前線から遠く離れていて、駐留軍が守っており警備も厳重だ。新兵器の製造、保管するのには丁度いい街だ」
「……そうか」
それきり何もいわなくなったロギウスに、将軍は怪訝そうにしながらもこれからの予定を話す。
だんまりを決め込むロギウスは、微かに胸騒ぎを覚えていた。
『エイサルの街』が、新兵器が作られ保管されている拠点となっているという事実が妙に気に掛かった。言い知れぬ不快感が、進む会議に比例して増大していく。
そんな彼の懸念は、すぐに的中した。
息を切らした伝令が飛び込んできて、急報を伝える。
「……エイサルの街が、落ちただと?」
「は、はい。なんでも、アンデッドの軍勢にやられたとかで」
「チッ……エイサルの軍は何をしていた!」
「それが……こちらのエグロッグへの増援として、動かしていたとか。街に残っていた部隊も突然現れた敵軍に、抵抗する間も無かったと。脱出した部隊は、再編し増援を待つそうです」
突然魔王軍に現れたリッチ。
目を引くように現れたのは、エイサルの守備隊を動かす陽動だったのだ。
「くっ……どうするのだ! アレがなければ、作戦は失敗する!! 此度の攻勢は、あの新兵器を主軸において計画されているのだぞ!!」
見えていたはずの希望が早々に潰え、皆が動揺を隠せない。
多くの者が絶句していたが、ロギウスは他と黙っている意味が違っていた。
(エイサルが奪われただと? アンデッドの軍勢に、占拠されただと? ……ふざけるな、ふざけるなよッ!!)
エイサルの街はロギウスにとって破城魔砲に次いで、あるいは破城魔砲以上に大事な場所だ。
あの街には彼女が、ルギイの亡骸が眠っている。
ロギウスがルギイと初めて出会った場所こそ、エイサルの街だった。
夢敗れ傭兵として活動していた彼の前で、ルギイが石畳に蹴躓いて道具をぶちまけた。彼女の持つ道具の特殊さ――自らが持つ道具に近い部分をロギウスが見抜き、二人の話は弾んでいった。互いの身の上話をし、ペアを組んで傭兵活動を行なうようになった切欠の場所だ。
争いのある地域を転々とする生活をしながらも、エイサルの街には彼女とよく訪れ思い出を作った。あの街には、多くのルギイの足跡が詰まっているのだ。ルギイの故郷の場所を知らないロギウスが、彼女の遺体を埋葬する際に知っている中で一番安らかに眠れるだろうと選んだ街でもある。
それから何年も、思い出深いエイサルの街でルギイは静かに眠っていた――今日この時までは。
今は在りし日の思い出と共に、骸を悪しきアンデッドの瘴気に侵されている。
汚らわしい魔力が、ルギイの眠りを妨げようとしている。
おぞましい呪いに、彼女の遺体が利用されようとしている。
絶対に、アンデッド共を許してはならない。断じて、エイサルの街を薄汚いアンデッドの足で踏み荒らさせてはならない。
「……俺がエイサルからアンデッドを排除する」
ギョッとした顔で、将軍がロギウスに振り返る。
将軍はあくまで枢機卿を後ろ盾に持つだけで、『国崩し』の行動に関する決定権はない。『国崩し』が契約しているのは枢機卿であり、将軍が『国崩し』の予定を決める権利はない。
これから行われるボン奪還戦でも、『国崩し』の力は必要となるだろう。エイサルに向かわせて、不測の事態が発生し『国崩し』が奪還戦に参加できないとなれば、手厚くお膳立てを受けていた将軍は破滅だ。
『国崩し』の力は温存しておくべきだが、だからと言って新兵器がないままでは奪還戦も行なえず、やはり将軍の手落ちとなる。苦渋の決断を、将軍は下した。
「……いいだろう、エイサルの街に向かいアンデッドを排除しろ。だがいかに『国崩し』といえど戦力が心許ない、これから合流する勇者殿にも協力してもらい援軍と共にエイサルを……」
「いらん。一人で向かう」
「何?」
「中途半端に手勢を増やしても、アンデッド相手では邪魔になるだけだ」
アンデッドに対し、数は必ずしも強みではない。
骸を再利用できるという特性から、アンデッドは簡単に数を揃えられる。疲労もなく負傷も問題とならない、前進し続ける兵士の軍勢が短時間で準備できる。
呑気に大人数を引き連れて向かえば、対応する戦力を用意させる時間を与えてしまう。そうなれば、兵士のお守りをしながら少しずつの前進となる。時間ごとに疲弊していく兵士に対し、次々に元気で新鮮なアンデッドが補充される。アンデッドの軍勢に数で勝負するのは悪手だと、ロギウスは何度も祖父から口を酸っぱくして聞かされた。
それにそんな悠長に遠足をしていたら、ルギイの骸に間に合わなくなる。
埋葬された遺体はアンデッドの瘴気に暴露された時間に比例して魔物化しやすくなる。アンデッドを退けたとして、肝心のルギイの遺体が魔物化してしまえば戦った意味がない。
だから、単身で占領するアンデッドを排除する事に賭ける。
勝率がゼロに等しい賭けだろうと、ルギイを二度殺すよりはマシだ。
「待て、『国崩し』! 援軍を待ってから出なければ、いかに貴様であれども……ッ!!」
ロギウスの前に出た将軍の手を、長剣じみたロギウスの威圧感が切り落とす。彼が破城魔砲で狙う標的にぶつける殺気は、最前線とは縁遠い場所で生きてきた将軍に道を譲らせた。そのまま天幕を出て、ロギウスは自分の天幕に駆け込む。
用意していた燃料棒や槍弾を、根こそぎかき集めて背負う。彼は今持てる全てをつぎ込んでも、エイサルを奪還する覚悟だった。アンデッドへの殺意を滾らせ天幕を出たロギウスの前に、人影が立ちはだかった。
「危険だ。援軍を待ってからにしてくれ」
「……お前」
強い意志の感じられる瞳の戦士だった。
やけに中性的な顔立ちで、背はそれほど高くない。
髪は肩の辺りで切りそろえられていて、毛先が微風で爽やかに靡いている。
小奇麗だが使い込まれた跡のある鎧に身を包み、腰に佩いた柄の装飾が見事な長剣は『聖剣』の類か。そんじょそこらの兵士が持っている武器とは格が違う。
件の話にあった、合流予定の勇者だった。
そしてこの勇者は、ルギイが死んだ直後に現れロギウスに勝利を齎した勇者だ。だが勇者とはルギイを失って以来久々の再会ではなく、『国崩し』としてロギウスが有名になってから何度か同じ戦場を戦っている。
なぜもう少し早く、ルギイが死ぬ前に来れなかったのか。
なぜもう少し遅く、ロギウスが自害した後に着かなかったのか。
ロギウスとて逆恨みは禁じえず、勇者の事を呪った時期もあった。
しかし今となっては、別段勇者に対して思うところはない。破城魔砲を用いてルギイの夢を叶えるという命題を得てからは、自然と恨み言は消えた。
今となっては勇者に思うところはないが、しかしその提案は聞き入れられない。
「……このお喋りの間も、アイツの骸は辱められている。アンデッドの、薄汚い力に脅かされ、穢されようとしている。待てないんだよ、お前の助けは」
勇者は苦い顔をした。
勇者はロギウスを調べて事情を知っているのだろう、好都合だった。
ロギウスは勇者の横を通り過ぎて、馬を駆り野営地から飛び出す。
そのまま彼は、エイサルの街へと馬を走らせた。
柔らかな太陽の光が、空を青く清らかに、雲を白く優しく照らす。
一つの大きな流れに従って、空はゆったりとその表情を変えていた。
余暇を過ごすには、最適の空模様だった。
そんな穏やかで澄んだ青空に反し、地上は忙しなく多数の影が入り乱れて混沌としている。ピクニックに丁度よさそうな自然溢れるエグロックの丘は、殺伐とした空気に淀んでいた。
「くるな、くるなぁああ!!」
「クソッ……この、バケモノめぇっ!!」
「いやだ! 助けてくれ、助けてくれぇぇえぇえ!!」
一斉に並んだ兵士が突き出した槍を異形の女は片手で叩き折り、動揺する兵士も文字通り蹴散らした。
兵士の壁に突入してきた異形の剣士が騎士へと切り掛かり、騎士は寸での所で楯を間に合わせ――剣士の剛剣に構えていた楯を弾き飛ばされた。
得物を失った兵士は慌てて逃げようとするも、異形の女が身体をがっしりと掴む。助けを呼ぶ声を戦闘音に掻き消されながら、兵士は異形の群へと引き摺りこまれた。
剣戟と悲鳴と怒号を境に、対照的な二つの軍が衝突する。
武装した人間と異形の女――魔物が、平野を舞台に戦っていた。
魔王軍、そしてヴルカノ連合軍。
ヴルカノ連合軍は迫りくる魔物に脅威を抱くヴルカノ地方の反魔物国家が結束した、人間による連合軍だった。元々旧魔王時代と比較して穏やかながらも着々と勢力を増していた魔物を危険視し強行に排除すべきと主張する者もいたが、教会圏にある反魔物国家ほどに魔物を敵視していなかった。確かに魔物は警戒すべき相手だったが、昔のように頻繁な襲撃を行なわないので敢えて刺激する必要もない。中には商売相手となったり、サイクロプスのように人にとって有益な力も齎されている。なのでヴルカノ地方の人間は魔物と衝突するような状況を避け、争いの種になるような関与を避けていた。
それが今では、正面からぶつかり合い戦っている。
第三次東ヴルカノ戦争と呼ばれたこの戦争は、開戦から既に2年が経過している。
開戦の原因については様々な噂があった。
開拓しようとした所に魔物がいて争いになったとか、好事家が魔物の剥製を欲しがって藪を突付いてラミアを出したとか、金持ちが処分しようとした奴隷を魔物が横取りしたとか、真偽の定かではない話ばかり。
確かなのは大きな不利益を被った権力者が怒り狂い、魔物が本気で戦いを始めたという事だけ。
元はただ辺境から魔物を追い出すという程度の、大規模な賊討伐に等しい小競り合いにすぎなかった。それがいつの間にか魔物対人類の生存競争という、壮大な構図となっている。少なくとも、必死に魔物へ槍を振るう兵士たちの認識はそうだった。負ければ魔物に全てを奪われるという、蹂躙される恐怖から逃れるように兵士は得物を振るう。
だが魔物を敵に回したこの戦いは、土台対等な争いとはならなかった。
強力な魔物の軍勢に、完全に人間は押されていた。
そもそも魔物は人間より運動能力が勝る上に、その身体は人間と比較しはるかに頑丈だ。生身であっても、重武装の騎士より高い防御能力を標準で備えている。
魔王軍は雑兵であっても、鎧を着て剣を持つ騎士が漸く相手を務められるかという相手がゴロゴロしている。しかも魔物は、人間と同じように地に二本の脚をつけて戦う者だけではない。
ケンタウロスは騎兵のように人馬一体を体現し、人馬で全く行動の祖語が無い騎兵として活躍をする。ラミアは下半身を巧みにうねらせ、人の感覚では想定していない一撃を加えてくる。
近接戦闘一つとっても、人間との違いが兵士を惑わす。
また、魔王軍において兵士は大地に立つ者だけとは限らない。
人間が見上げるだけの空にはハーピーが旋回し、隙あらば爪を構えて急降下してくる。その鋭い爪で捕まれば、そのまま力強い羽搏きによって芋虫のように連れ去られる。
サンダーバードはバリバリと稲妻を落し、密集した兵士を纏めて行動不能にする。密集し緊密に連携して戦うという人間が編み出した戦法を、嘲笑うようにねじ伏せ手頃な獲物を摘まんで飛び去る。一網打尽にされた兵士は、別の魔物の餌食となるのだ。
魔王軍には人間の兵士が幾つもの兵種を持つように、全く別の力をもった種族が取り揃えられている。武器や戦法を変え別の役目を与えても、ベースの特性が均一な人間しかいない連合軍とは異なる。
魔王軍は文字通り方向性の違う種族が、渾然一体となって押し寄せる。同じ戦場でも、場所によって180度違う対応を強いられる。目まぐるしく戦う相手の能力が変化し、ただでさえ戦慣れしていない兵士は対応できずついていけない。人間相手の戦争よりも、損耗は激しくなる。
真に恐るべきはこれほど多種が入り乱れていながら、反目もせず協力している事だ。同じ人間でも、国や人種、住んでいる地域によって致命的な摩擦が起こり作戦を妨げる。下手すると、仇敵と戦っている最中でも背中を狙おうとする。
だが魔物にはそれが無い。
『人間を滅ぼす』という一点に、意識が統一されているからだ。
余程、人間の殺戮に情熱と執着を抱いていると見える。
価値観がかけ離れた魔物同士でも、人間を嬲り殺すという共通の欲求が余計な身内の争いをさせないのだ。まさしく殺人のために産まれた生物で、教団が唾を飛ばして説教する通りの『人類の敵』だ。
そんなバケモノを相手にして、人間の雑兵は対人用の貧相な武器で相手をしなければならない。
兵士の槍は簡単に折られ、胸当ては簡単に引き裂かれる。
戦闘能力を欠いた兵士は、瞬く間に魔物の波に飲まれていった。
魔物の群れに嚥下されるように、泣き叫ぶ戦友が消えていく。その場で殺害されず連れて行かれるのが、その用途を兵士たちに想像させ彼らを震え上がらせる。その恐怖が更に兵士の動きを悪くさせ、魔物の快進撃に助力する。背後に控える怒り狂った騎士の督戦がなければ、とっくに逃げ出していただろう。兵士達は絶望的な防衛線を強いられ、完全に時間稼ぎに使われていた。
とはいえ兵士の命で稼いだ時間は、無駄にされていなかった。
弓兵達は大弓を引いて矢を射掛け、魔法兵が強力な魔法を魔物へと投射する。魔物であっても効果が望める威力を持った攻撃だ。兵士が押し止めた敵の頭上に矢や魔法を落とす。
魔物は大群で押し寄せており、めくら撃ちでも簡単に当たる状況だ。
しかし容易い筈の支援は、一向に魔物達を傷付けない。
巨大な魔法の障壁が、魔物達に届く危険を遮断していたからだ。
弓兵や魔法兵が兵士達を支援するように、魔物達を魔法で支援する魔物がいる。その中核を担っていたのは、魔法を行使できる上級の魔物だ。バフォメットや魔女あるいはダークメイジといった魔物が有名だが、この場において主導するのは別の魔物だ。
痛んだボロ布を纏いながらも貴賓があり、その姿は叡智を究めた隠者を思わせる。精緻に装飾された十字の墓石を背負い、濃密な魔力の気配を身に宿した血色の悪い少女。
冷え切った血の気の無い顔は、正しく『死人』だった。
「……グレートウォール、稼働率93パーセント。……余裕を持って都市防衛規模の術を使ってみたが、存外削られない。……再展開術式を搭載してみたが、効果は検証できないかもしれん」
「……頑張ったのに」
「……くふふ」
少女達はリッチと呼ばれる魔物。
命を無くしてなお魔術の研究を続ける、不死の賢者だ。
この通り魔法を振るっているが、些か奇妙な光景だった。彼女達の気質からして、魔王軍の支援をするような種族ではない。普段は不死の都に篭って外に出てくることは滅多になく、暇さえあれば魔法の研究をしているのがリッチという種族だ。住処に攻め込まれたら迎撃するが、このように真昼間から遠出して戦うなんてことはあり得ない。
そのリッチが最前線に出向いて、強力に支援している。会話はどことなく実地試験の体で研究成果を楽しむような内容だったが、間違いなく戦いのために赴いている。
この場所で連合軍は何度か魔王軍と戦っているが、リッチが現れたのは今回が初めてだった。突然現れた高位の不死者に、連合軍は窮地に立たされた。周辺から援軍を募り対応するも、飛び道具から一軍を丸々守る魔法は連合軍を追い詰めていた。
油断なく戦場を俯瞰していたリッチの一人が、目を細める。
「……大魔法の予兆を確認。……念のためだ、都市防衛のシナリオ14に従って攻撃に備えろ。……絶対に攻撃を通すな」
「……わかった」
「……くふふ、追加防壁展開」
アンデッドの魔力を濃く宿した細い指を空中に這わせば、輝く魔法文字が後を追い魔法の骨組みが形を成す。完成された魔法の装甲板は障壁に重なり、堅固な守りを更に厚くする。
着々と増強が進められる、リッチが戦場に建てた魔力の要塞。
それに挑むのは、最前線より離れた高台に布陣している魔法兵の一団だ。数十名が一定間隔で整然と並び、個々の位置関係に合わせた詠唱を行って一つの魔法を構築する。
かなりの練度を必要とし、魔法を武器として平素からその力を鍛えてきた精鋭だからこそできる技だ。
「詠唱完了! 発射する、射線上から退避しろ!!」
戦闘の初期から続けていた大魔法の詠唱がようやく完成し、魔法兵団の頭上に眩い光が現れる。炎の魔法をより高次元に高め、太陽の再現を目指して作られた大魔法だ。
戦場に突如生まれた太陽は空へと飛び立ち、兵士の歓声とどよめきを跨いで魔物の軍勢へと向かう。発射された巨大な火球は魔王軍後方へと飛んで行き、後衛から前衛までも焼き尽さんと落下する。
魔法の城塞に巨大火球が衝突し、大地が燃え尽きるような熱と光が戦場を包む。地平線に沈む様に巨大火球は敵軍に落ち、炭も残さず焼き尽くさんと燃え盛る。
人間の歓声は、期待に大きく膨れ上がり――そして萎んだ。
炎が晴れた場所には、体が焦げてさえいない健在の魔物が残っていたからだ。
リッチが展開していた魔法の防壁を境に、大地も緑と黒で別たれている。巨大火球は魔法の城壁に一切の被害を与えておらず、魔法兵達が死力を尽くした希望の反撃はリッチの魔法で完全に遮断されていた。魔法兵達は軽々と止められ四散した巨大火球の残滓を、唖然と見送った。
彼等が積み重ねてきた力が微塵も通用しておらず、全く歯が立たない。
人間の魔法使いにも天才はいる。しかしリッチは才能ある人間が死して成り、その長き年月を魔法の研鑽に充ててきた魔物だ。人間の探究心に恵まれた魔力と悠久の時間が加わった、魔物の中でも魔導においては最上級の錬度を誇る存在だ。
彼女達が単独で積み重ねてきた力は、人類が培ってきた英知を個人で体得している。その魔法の鬼才が数名協力すれば、人間が力を合わせて放つ大魔法も容易く粉砕する。
魔力量も、技術力も上回れば、格下の完封など『当たり前』だった。
魔術師の支援が受けられないと悟った兵士達は、徐々に後退していく。目の前で軽々と防がれた虎の子の巨大火球を見れば、殆どの兵士は臆病風にも吹かれる。下がるなと声を張り上げていた騎士達も、苦い顔で後方を確認する。
このままでは、魔物に押し切られた末に敗北する。
誰でも予見できる、明らかに敗色濃厚な劣勢だった。
「……」
後退を続ける軍勢の中から、一人の兵士が飛び出した。
逃げる兵士達を追い抜くように疾駆し、しかし彼らとは真逆の方へ駆ける。兵士達を追い立てる魔物の方へと、男は突進していく。突き出された槍のように、男は真っすぐ魔物たちに向かっていった。
男は突撃を是とする重装騎兵ではない。
軽装とも言える皮鎧を着け、兜の代わりに銀色の外套を纏い覗き穴がついたフードを被っているだけだ。覆面フードには穴が開き、その覗き穴からは鋭い水色の瞳が魔物を睨んでいる。
怪訝そうなリッチの眼前で、兵士は素早く背負った荷物を降ろした。
手にしているのは華奢な台座に据えられた、弓の無いクロスボウのような武器だ。その纏まっていたシルエットは、地面に置かれると同時に台座が炸裂音を伴い破裂し崩れる。四散した台座からはワイヤーが張られ、一瞬にして本体を地面に縫い付けた。
「……貴方が『国崩し』、そしてそれが噂の秘密兵器。……確かに、強力な魔力を秘めた絡繰り……グレムリン辺りに見せたら、大喜びしそう」
リッチは興味深そうに、『国崩し』が広げた武器を観察する。
ワイヤーとはいえ立派な台座で地面に据えられたその見た目は、最早クロスボウではなく歴とした破城兵器のバリスタだ。だが弓を巨大化したような無骨な機械で構築されるバリスタと違い、野太い腕木もなく部品は薄く細くスマートだ。その各所には魔鉱石を埋め込まれ、フレームには魔法文字が彫られていて、素人目にも魔力の胎動を感じさせる。
それがこの『破城魔砲』だ。
リッチ達へと照準された筒に、『国崩し』は弾となる太い槍を番えた。
そして即座に引金を引くと、本体に灯りが灯ったように魔力が通う。
燃え上がるように爆発的な魔力が生じて、破城魔砲の中で乱れ狂う。
だがその魔力の嵐は、指向性を持って規則正しく組み合わさっていく。
一瞬にして、破城魔砲内部に芸術的な魔力の構造物が完成し――番えた槍弾が射出された。
ズガァァアアンッ
「……きゃっ!!」
「……わっ!」
「……くぅっ!!」
そして野太い槍弾は一瞬で距離をつめ、障壁に突き立った。
破城魔砲の名にふさわしい威力が、魔力の防壁に突き刺さる。
魔法の城壁は奇妙な揺らめきが大きく歪んで、火球と同じくその突撃を受け止めた――が、均衡したのは一瞬だけだった。
直ぐに空間がひび割れるような轟音が鳴り響き、魔術防壁が大きく捻じ曲がり爆発した。槍弾に秘められていた魔力の放散と、魔術防壁の崩壊が合わさり激しい魔力の嵐が戦場に吹き荒れる。魔物達も爆風にたまらず押し流され、追撃の勢いが完全に殺されていた。
「……信じられない。……稼働率90パーオーバーのグレートウォールが一撃で破られて、再展開術式ごと完全に破壊された。……これでも人間の魔法攻撃を完全に遮断できる計算の魔術障壁でだったが、まさか撃ち抜いて来る者がいるとは」
「……グレートウォールの再展開は間に合わないけど、どうする」
「……くふふ」
『国崩し』が番えた二本目の槍弾は、確実に魔術防壁の守りを剥がれたリッチを狙う射角だ。先程の威力からして、リッチといえど無事で済まない威力だ。
それでも彼女達は闘争心――あるいは探究心に火が点いたのか、戦意を滾らせている。
どちらも生半な攻撃はせず、次の攻撃は双方に決定的な結果をもたらす予感がある。
睨み合う、水色の瞳と暗い藍色の瞳。
「……ん? この子は」
ぶつかり合っていた視線を先に外したのは、一人のリッチだった。
彼女の眼の前に、一匹の蝙蝠がぱたぱたと降りてくる。
リッチは蝙蝠と言葉を交わすと、ボンヤリとした瞳を『国崩し』に向けた。
「……当初の目的は達成した。となればもうここで戦い続ける必要もない、撤収するぞ。……というわけでさよならだ『国崩し』、再び戦場で遭わない事を願おう」
「……帰っちゃうの?」
「……くふふっ。……データは取れたけど、実験は自室が一番だ」
リッチ達は戦意を消して、戦場から遠ざかっていく。
兵士と戦っていた魔物たちも、リッチ達を追うように退いていった。
魔王軍が完全に撤退したのを見届けると、『国崩し』も番えていた槍弾を背にしまって腰を上げる。
固定されていた破城魔砲のワイヤーが外れて巻き取られ、驚くほど簡単に外れた。それを軽々と背負うと、追撃すべきと騒ぐ兵士たちの間を縫って戦場を後にする。
悲鳴ばかりが聞こえていた戦場に、勇ましい歓声が沸く。
追い詰められていた兵士の恐怖は、喉を過ぎた熱湯のように消えた。
魔王軍に敗けこんでいたこの頃には珍しく、連合軍の優勢で終わった。
たった一人のもたらした均衡により、劣勢だった連合軍はエグロックの丘に勝利を飾ったのだった。
人間の軍勢が休む駐屯地。
最前線近くに設けられたそこは、常に魔王軍の襲撃の危機に晒されている。
それでも魔王軍の侵攻に対応するには、危険を承知で展開しなければ間に合わない。せめてもの対策として常に見張りが置かれ、いつでも短時間で兵士を展開できるように持ち回りで完全武装の兵士が待機している。
兵士たちが警戒する駐屯地内には、天幕が幾つも並び人や物資が行き来し次の戦に備える。急ピッチで進められているが先の被害は大きく、未だ疲れきった兵士に簡素な食事が出された程度だ。
壊れた装備の再支給や、生存兵と補充兵の確認や、統廃合を含む部隊の再編など、やる事は山積みだ。多くの人間が、死んだように身を横たえて休む兵士の間を行き来し職務を全うする。
そんな居並ぶ天幕の内の一つに、少しばかり毛色の違う天幕がある。
天幕は兵士が雑魚寝する為のものか、貴族がくつろぐためかの二種類に別けられる。前者は酷く簡素なつくりをしていて、後者は無駄に煌びやかに作られているが、どちらも非常に大きい。
しかしこの天幕は一回り小さく、がっしりとした構造をしている。天幕というよりも、組み立て式の小塔のような見た目だ。周りには警備の兵士が立っており、見るものにより物々しい印象を与える。
中は、ごちゃごちゃとしたもので埋め尽くされている。
簡素な長机や椅子はいいとして、床を埋めるように様々な形の武器や何かの部品が雑然と置かれている。
比較的整理された卓上には、ビーカーや試験管に漏斗や抽出器といった錬金術師が使う類の設備が幾つも並んでいた。多種多様な機材に囲まれた青年は椅子に深く座り、背を丸めて覗き込んだ機材の不気味な薄明かりに顔を浮かび上がらせる。
青年は髪を手入れしておらず長髪気味で、頬はこけ体格は筋肉質ながら痩せぎす。浮浪者と見紛う姿だが、目はギラギラと光り戦士特有の生気が宿る。
痩せた餓狼のような男だった。
彼は水色の瞳を、試験管から発する不可思議な蛍光色に染める。
「……」
熱心に見つめる試験管の底には高価そうな宝石が幾つもつめられ、反対側の試験管には透明な棒状の石が置かれている。煮出されている宝石は色を薄めながら溶液を蛍光色に染め、溶液は幾つかの管を通って石棒へと集まっていく。
集まった濃い蛍光液は棒状の鉱石へと集まり、透明の石はほんのりと光を宿し始めていた。
男は試験管から目を離し、手元に視線を移す。
光に照らされながら彼が熱心に見つめる筒状の物は、あのリッチの魔術防壁を破った『国崩し』が使っていた破城魔砲の本体だ。刀身に風の膜を作り剣速と切れ味を高めドラゴンの皮も切断する魔剣――その刀身を何本も結束した射出筒だ。この筒に物を通し魔力を通わすと、剣を加速させる風の膜が発射体を高速で射出する。
この射出筒に、卓上に除けられた円錐の装置を組み合わせる。これは突風で加速しドラゴンを貫く魔槍と、咥内に火の魔力で特殊な薬剤を噴射しドラゴンをひるませる罠、二つの機関部を取り出して作った噴射装置だ。これを射出筒に内蔵して、番えた発射体を一瞬で加速させる。
射出時には射手を殺傷する強烈な爆風が発生するものの、ドラゴンブレスを防ぐ銀の布を改造した覆面頭巾付きの防護服で防げば問題ない。
「射出機関に歪みはなし。次は……台座か」
男は台座に目を向ける。
破城魔砲は凄まじく発射の反動が大きい。本体は急激に後方へすっとび、衝撃波部品に大きな負荷をかけ、噴射装置の爆風は人体に深刻な損傷を与える。
そこで、様々な反動対策を講じている。
まず後退対策には、台座にドラゴン捕獲用の急速展開式ワイヤーを使用。激しく暴れまわるドラゴンを大地に縫い付けるワイヤーが、ドラゴンのように破城魔砲を大地に固定する。
そのワイヤーの展開・回収装置に手を付ける。射出を行なう部品と、巻取りを行なう部位を個別に点検。リールのような物に巻きつけられたワイヤーが綺麗に展開できるよう、しっかりと規則正しく巻き直していく。雑にワイヤーを巻くと、展開時にワイヤーが正確に四方へ広がらず、発射の反動でワイヤーが痛むのでしっかり巻かねばならない。
ワイヤーを巻き終わると、整然と切りそろえられた厚い生地を注視する。
「緩衝材は……こちらは、まだまだいけるな」
部品の反動負荷対策には、ドラゴンの打撃から着用者の身体を守る防具を使った。裁断した断片を部品同士に噛ませて緩衝材にし、反動時に部品にかかる負担を軽減している。
「これも問題なし、と」
部品の殆どが、かつて竜殺しが使っていた道具で作られている。
元々の道具は一つ一つに異なる力と役割があり、これらを使い分けてドラゴンを倒す。そんな武器を一つに纏め、強力な一撃を生むために作り変えたのがこの破城魔砲だ。
しかしただ組み合わせただけでは、それらは効果的に協調して発動しない。
「……よし」
点検した一つ一つの部品を、黒いネジを挿して固定していく。
寄せ集めにすぎない竜殺しの力を一つの武器として繋ぎ合せたのが、この不死殺しの道具だ。聖なる魔力を突き刺したアンデッドの深部に送る、特定波長の魔力伝導性が非常に高い杭だ。これを加工したネジで各部を繋ぐ事で、一つの纏まった武器へと完成する。
仕上げに、各部に油をさす。これは不死殺しが使う祝福された銀を含有する聖油で、魔力の伝導率を更に底上げできる。
「あとは、濃縮を待てばいいな」
試験管の石棒は、透明さがなくなり明らな蛍光色に染まりつつある。
男が指でなぞった破城魔砲の後部には、この石棒を差し込むらしき穴が開いている。この穴は燃料供給口で、光っている石棒は魔力を濃縮した燃料棒だ。
こうした魔力を使う道具は、空気中の魔力を吸収して回復するのが一般的だ。しかし破城魔砲は各部に魔力回路が設けられ、一箇所に集中した供給点から魔石で素早く魔力を補給できる。
しかし並の魔石や宝石では魔力が足らないので、こうして成形した燃料棒に精製した魔力を濃縮する。そうすれば、挿し込むだけで急速に魔力を装置に充填できる。
だがこれには手間も金もかかる。
この燃料棒を一つ作るだけで、一財産作れる宝石を幾つも用い、数日間つきっきりで濃縮作業を行なう。しかもこの燃料棒は破城魔砲の駆動だけでなく、発射体として使用した槍弾の穂先にも装填して用いる。
破城魔砲は、設置、展開、固定、照準、発射、格納、全ての手順で大なり小なり魔力を必要とする。その対価により、身軽な戦士が担いだまま戦える軽さで、戦略魔法に匹敵する一撃を即座に放つ非常識な武器となった。
だが消耗の激しさも非常識で、無視できない致命的な欠陥といえた。
何しろ使う度に莫大な費用がかかり、人生を何度も遊んで暮らせるような報酬を得ても整備して槍弾を作るだけで金が底をつく。運用の実態を知れば大国でも使用に難色を示す武器で、ましてや個人が使うべき代物ではない。
それでも彼は、この武器を使い続けている。
「……」
外が次第に騒がしくなり、燃料棒を見ていた彼の眉が寄る。
天幕を蹴破る様に、テント内に男が飛び込んできた。
戦闘用とは思えない屋内に飾ってありそうな華美な甲冑を身に着け、 出血した様に顔を真っ赤にし額には血管を浮かせている。禿頭を薄く覆った皮脂のように、目をギラギラと光らせている。
「一体どういうつもりだ『国崩し』ッ!」
「……なんだ、デボン卿」
「なんだではない! 貴様と共に布陣していた、魔法兵団の事だ!」
先に巨大火球を撃ち出した魔法兵達は、呆然としている所を別の魔物に攻撃され壊滅した。襲われた者達はそのまま連れ去られ、殆どが帰ってきていない。
『国崩し』も近くに控えており、彼が護衛すれば問題なく帰還できただろう。だが『国崩し』は早々にリッチへと向かい、無防備だった彼らは襲われた。見ようによっては、役に立たない彼らを見捨てたと思われかねなかった。
「命令どおりに動いただけだ。文句を言われる筋合は無い」
「なんだと!?」
「先に破ったのは連中だ、作戦を知らぬ筈はないだろ」
「ぐっ」
元々、あの攻撃は『国崩し』が先に行う筈だった。
正確には、『国崩し』が撃った後に魔法攻撃が始まる予定だった。
そうなれば、無防備になった魔物達は巨大火球に焼き払われていただろう。
「功を焦った連中が、勝手に先んじて詠唱をはじめ、先に魔法を発射して防がれ、勝手に自失して襲われただけだ。逸って計画をぶち壊したバカが死のうが、俺が知ったこっちゃない。いとこかはとこかで親近感を持ち合わせるデボン卿と違ってな」
「っ! 貴様ッ!! 下種の分際で、偉そうに!!」
「俺は下種だが、その下種の足を引っ張って勝手に戦死した血筋の高貴さには傷み入るよ。お貴族様万歳だ」
「貴様ぁ、もう我慢ならんっ! 切り捨ててやる!!」
貴族は剣を抜き、『国崩し』に突きつける。
『国崩し』は彼をねめつけただけで、興味なさそうに視線を試験管に戻す。
「こっちを見ろ、貴様ッ!」
貴族は自分を無視する『国崩し』が意識を割く、小難しそうな機材を払いのけようと愛剣を振るう。
ガキンッ
「……なっ!?」
その剣腹を、破城魔砲の槍弾が払いのけていた。
槍弾は破城魔砲の弾として使っているが、元は魔槍の類を改造した物であり近接武器としても充分通用する。宝物として大事にしまわれるほど敵の血を啜った槍弾の切っ先が、青ざめた貴族の首元に添えられる。
「……知らないようだが、今オレは次の戦いの準備をしている。枢機卿から買われた力を発揮する為に、長々と面倒で退屈な作業を繰り返している。作戦の基軸にもされる、俺の商売道具をぶち壊してどんな言い訳をするつもりだ?」
枢機卿とは、ヴルカノ地方に存在する主神教団の分派組織『ヴルカノ聖教会』の幹部だ。このヴルカノ連合軍成立にもヴルカノ聖教会は関与している。そのため枢機卿は連合軍内部でも強い発言権を持ち、枢機卿と直接契約している『国崩し』には下手に貴族も口出しできない。
自分が虎の尾を踏みかけていると気付き、顔を青ざめさせた貴族に「わかってくれたようでなにより」といいつつ槍弾をどけると、ずいっと顔を貴族に寄せた。
輝く溶液の光で、『国崩し』の顔には深い影が差した。
「次邪魔しやがったら……セルコイド帝の死因を、お前の死体で周知させてやる」
深淵のように深い色の瞳で凝視され、貴族は顔を真っ白にさせた。
二の句を継げぬまま貴族は踵を返し、怯えを誤魔化すように周囲へ当たり散らしながら去っていった。
後には、聞き耳を立てていた兵士たちのざわめきだけが残る。
「何だアイツ、貴族にもあんな強気で」
「知らねぇのか。アレが、噂の『国崩し』様だ。今や太刀打ちできない上級の魔物――さっきみたいな化物が相手でも、勇者でもねぇ癖に撃退しちまう英雄様さ」
「あいつが!?」
「得物の威力だけなら、勇者の物よりも強いってぇ話だ」
「っへぇー、そいつぁすげぇ! 一体何でできてんだ?」
「竜殺しとかの得物を色々組み合わせてつくった特注らしい。ドラゴンとも真っ向からやりあえる威力だから、殆どの魔物相手でも滅法強い」
「竜殺しの得物? んな道具なんてどこで手に入れたんだ?」
「なんでも戦場で、味方の竜殺しを殺して奪ったらしいぜ」
「マジか、味方の?」
「それも相棒で、女だったって話だ。元々道具が目当てで、奪うために近付いて相棒になったんじゃねェかって話さ」
「うっへぇ、そこまでするかね。おそろし、くわばらくわばら」
『国崩し』は外の会話を聞き流した。
他人に何て言われようとどうでもよかったし、あながち彼等の話も間違いではないからだ。
個人で敵国を滅ぼし得る力を持ち、国を傾けるほどの費用がかかる武器を使う奇妙で凄腕の傭兵『国崩し』。彼がそういう世評を受ける前、かつてロギウスと呼ばれる方が多かった頃の彼は、不死殺しの見習いとして生きていた。
ロギウスの家系は、由緒ある不死殺しの一族だった。
アンデッドがもたらす脅威から人を守り、卑しい死の魔力から人々を遠ざける高潔で尊敬を集める生者の守り手。そのために用意した特別な魔道具は、強力なアンデッドをも滅ぼす力を持つ。彼らはアンデッドがもたらす絶望を打ち砕く、誇り高い戦士だったのだ。
だがそんな誇りある戦いの場は、魔王が代替わりした頃から失われた。
新たなアンデッド達には、死の女神の加護がついていたのだ。神聖魔法や、『劇的な効果がある』とされていた聖水などはほとんど――全く効かなくなった。
高位のアンデッドの脅威となった聖剣は、低級アンデッドにようやく手傷を負わせられる程度に弱くなった。銀を溶かし込んだ高価な聖油は、アンデッドの肌を艶やかにするだけになった。道具の力が弱くなったのではなく、アンデッドが強くなりすぎたのだ。
ロギウスは不死殺しとなる事を諦めた。
育ててくれていた祖父が、アンデッドに敗死したのが彼の夢に止めを刺した。祖父は魔王が代替わりする前の戦いを知っていたほど長寿で、骨と皮というアンデッドのような身体で未だ凄腕の不死殺しとして現役だった。
そんな尊敬できる祖父が、かつて鎧袖一触にしたという因縁のアンデッドになす術もなく下された。祖父はそのまま連れ去られ、今頃は殺され不死の人形として弄ばれているだろう。
今の世では、不死殺しにアンデッドと対抗する力はない。憧れた祖父の最期は、彼の夢の最期だった。ロギウスに残されたアンデッドを標的とした力で、彼は人間を標的にする傭兵として戦った。
彼はアンデッドを滅ぼす為に考案された仕掛けを用いた武器を使い、なんとか苛酷な戦場を生き抜いた。幸いアンデッドに効かなくなった不死殺しの武器だが、皮肉にも人間相手には効果的だった。本来の活躍ができない以上、何の慰めにもならなかったが。先祖も、人を守る力で人を殺す子孫を見れば唾棄した事だろう。不死殺しとして返り咲くなど、夢のまた夢だ。そんな諦めの中で、覚えた技術を人殺しに使っていた彼の前に彼女は現れた。
ルギイ。
赤い髪が綺麗で、能天気によく笑う女だった。
しかしその立ち振る舞いには隙はなく、研ぎ澄まされた剣のように身に降りかかる火の粉を払う。男であっても困難な活躍を、彼女は女の身で成し遂げる。
しなやかな体付きに『女らしさ』は少ないが、密林を制する豹のような肉体美に溢れていた。一般的に女らしさを欠くような体付きでも、一目で深い魅力に圧倒される美貌の持ち主でもあった。
彼女は自信を感じさせる勝気な目で、ロギウスが諦めた一族の再興をいつも熱く語っていた。
ルギイの場合は、『竜殺し』として。
彼女の先祖はドラゴンと殺し合い、打ち勝って様々な栄光を手に入れた。金、名声、そして美女――それを多く受け継いだ血筋ゆえにか、ルギイの容姿は優れていた。その容姿を周知させられる活躍を、彼女は望んでいた。
幼少期より祖先から受け継いだ道具の使い方を学び、訓練してきた彼女の技術はその容姿同様に優れたものだった。自分が活躍する青写真に、でへでへと顔を緩ませる残念ささえも愛嬌とするほどに。
彼女に足りなかったのは、倒すべきドラゴンだ。
それさえあれば、彼女の望みは果たされる。
しかし昨今のドラゴンは昔ほど被害を出さず、一部の国では人間にも積極的に協力しており、人類の敵という認識から外れつつあった。しかし今でも、ドラゴンを駆る竜騎兵と敵対する国々からは、ドラゴンは倒すべき敵として嫌悪されている。彼らに協力する形でドラゴンを討伐すれば、再び竜殺しとしての勇名を馳せる事も夢ではない。
現代のドラゴン殺しはある意味でアンデッド殺し以上に困難だったが、諦めた自分よりも見込みがあるとロギウスは思った。
ドラゴンが多く住まうという地、そこに向かうためにルギイは傭兵として戦っていた。目的を失っていたロギウスは、そんな彼女に協力した。戦場では肩を並べて戦い、彼女がドラゴンの住処へと行く資金集めを手伝った。
そうしてドラゴンの住処へ旅する資金は溜まっていき、ようやく目標に届くいう最後の戦い。夢への、最大の飛躍を果す為の大きなステップ。
ルギイはロギウスに竜殺しの旅へ共に行こうと話していたが、ロギウスはこの戦いの後でルギイと別れるつもりだった。確かに二人合わせて行くだけの金はあったが、竜殺しは戦うためにとにかく金が要る。そのための資金は幾らあっても足りず、ロギウスは自分が貯めた全財産を彼女に使ってもらおうと考えていた。
ロギウスは、ルギイに確実に夢をかなえてもらいたかったのだ。
ロギウスはまだ望みある彼女の夢を、叶えられる場所までその背中を押してやりたかった。
彼女が夢を叶える事で、諦めた自分の鬱屈した悔恨がすくわれる気がしたからだ。
二人の夢をかなえるため、ロギウスはルギイとの最後の戦場に赴いた。
そうして二人が向かった最後の戦いは、最悪の血戦だった。
自軍は敵の激しい攻撃に徐々に追い詰められ、戦友は櫛がかけるように減っていく。誰もが敗北を予期し、自らの死を覚悟した。傭兵は旗色が悪くなれば、簡単に逃げたり降伏したりする。彼らが働くのは、国の名誉の為ではなく自分の命の為だからだ。
そんな傭兵が、死力を尽くして戦っていた。傭兵といえども呑気に白旗を振れるような状況では、降伏できる相手ではなかったからだ。
戦争の相手は、悪名高い神聖セルコイド帝国だった。
セルコイド帝国は独特な文化、宗教を持っている。彼らの信仰する宗教では、絶対神セルコ以外を信ずる異教徒は人間と見做さない。犯し、殺し、奪っても、一切の悪徳として見做されない。むしろ、忌まわしいケダモノに裁きを下したと尊ばれる。
故に彼らは、戦争で占領した敵国人を人間扱いせず徹底して辱めて殺すという文化を持っていた。自分たち人間に牙を向いた害獣に、彼らは懲罰を下すように人を殺す。
特に女性達は死にたいと懇願する喉さえ潰れるほど絶叫させ、苦ませてから殺すという。人を人とも思わぬ残虐非道振りから、主神教団からは魔王軍同様に討伐すべき敵と名指しされていたほどだ。
多くの国では、戦争で敗走する傭兵は放っておかれる。だが、セルコイド帝国は敵対した者は傭兵でも徹底的に殺す。そんな傭兵として参加しているルギイが、それも女である彼女が無事に帰れる筈がない。
その美しい容姿に目を付けられ、口にするのも憚られる陰惨な末路を迎えるだろう。
生来の純朴な気質が表れた花のように咲く笑顔も、厳しく鍛えてきた竜殺しの心が生む凛々しさも、焼け落ちた廃屋のように朽ちさせられる。セルコイドの兵士という、最悪の魔手によって。
ロギウスは敵がセルコイド帝国だと知っていれば、こんな仕事は受けなかった。元々別の国と戦っていたのだが、突如隣接する国境からセルコイド軍が越境し強襲してきたのだ。そしてあれよあれよという間に、ロギウス達傭兵は挟み撃ちにされ敵中に取り残された。
想定外の急襲に降伏もできないまま、援軍の見込みもなく抵抗を続けた。
時間が経つにつれ傭兵は数を減じていき、完全に包囲され座して死を待つばかりとなった。絶望した傭兵達に囲まれ、二人は決断した。
『お願いロギウス、私を貴方の手で殺して』
ルギイはそう懇願し、ロギウスは彼女を手に掛けると決めた。
このままではセルコイドの兵士にどんな目に合わされるかも解らない。
ならば自ら命を絶つ。
ルギイは、せめてロギウスの手で死にたいと願った。
自分の手で死ぬより、信頼し同じ戦場で戦ってきた相棒の手で死にたいと。
ルギイの夢を叶えられず、今彼女を守ることさえできないロギウスは、せめてこれだけはと承諾した。
ロギウスは自らの剣を、ルギイの胸に突きたてた。
肉を立つ感触。
切っ先で骨を削り、切り裂く感覚。
手にはっきりと、生涯で一番強く『死』を感じた。
そうして不死を断つ剣は、命の灯火が宿った肉を断つ。
苦しかっただろう、痛かっただろう、しかしルギイは呻きさえ上げなかった。
ルギイはむしろ安らかな顔で死んだ。
彼女の口から呼気が消えた、その『直後』だった。
突然勇者率いる援軍が現れ、勇者様がセルコイド軍を蹴散らしたのは。
劇的な勝利に沸く戦士たちの中心で、ロギウスは立ち尽くした。
ロギウスの手に残ったのは、友軍の勝利と、自らの命と、ルギイの亡骸だけ。
ロギウスは戦いに勝利し、夢も相棒も全てを失った。
戦闘の後、彼は彼女の遺体を幾つかの私物と共に葬った。
そしてロギウスは、ルギイが大事にしていた竜殺しの武器を背負った。
ルギイを手にかけたのは全くの無意味だった、断じてそう思いたくなかった。
彼女に全てを捧げていたロギウスにとって、彼女が『無駄に死んだ』等という戯言を認める訳にはいかなかった。
だから彼は彼女が使っていた竜殺しの武器を手に取った。ルギイが継いできた血に最適化された武器を、彼でも使える強力な武器に改造した。流れの偏狭な研究者や、異様な錬金術師達の手も借りて、伝来の不死殺しの道具も用いて竜殺しの武器を破城魔砲という全く違う兵器を組み上げた。
ロギウスはアンデッドを――曲がりなりにも『人』を殺す力と、竜殺しの武器を組み合わせ、アンデッドやドラゴンのみならず最大限に『敵』を破壊する装置へと作り変えた。
相棒を、それも女を殺して奪った武器で戦う彼を、他の兵士は嫌悪し恐怖した。ロギウスはその『邪悪さ』を証明するように、戦場で破城魔砲を背負って奮戦した。
そうして彼は二度目のセルコイド帝国との戦争を勝利に導いた。
セルコイド帝国は戦争終盤、後背を突く形で参戦した魔王軍と二正面作戦を強いられていた。それでも古くから周辺国家を苦しめた強国らしく奮戦し、これを攻める戦線の進みは牛歩に等しく魔王軍の方が帝都へ先に到着すると思われていた。しかしロギウスの執念と怨恨が、彼を帝都へと先んじさせた。セルコイド帝都が誇る古の魔法を用いた大城壁を、ロギウスの作った破城魔砲が兵士や背後の市街ごと粉砕したのだ。
唖然と立ち竦んだセルコイド兵の始末を友軍に任せ、彼は皇宮に乗り込んだ。
そしてあの戦争で突然に侵攻を決め、戦争を主導した皇帝を惨殺し復讐を果した。
たるんだ身体には刃が鈍らになるほど多くの刃を立てたが、その身体はルギイと違い紙の様に軽く裂けた。その死体は不死殺しの知識を用いて、復活できないように『処置』を施し処分した。
その後セルコイド帝都が陥落してから突然進軍速度を上げた魔王軍が来る前に、ロギウスはセルコイド人への復讐が吹き荒れる帝都より莫大な宝物を奪って姿を消した。
集めた値段のつけられない価値のある宝を、彼は全て破城魔砲の強化に費やした。セルコイド帝国が長い歴史の間に悪逆非道の限りを尽くして集めた宝の全てを、妄執の結晶へと注ぎ込んだのだ。
ルギイという目的を失ったロギウスは、竜殺しで作ったこの破城魔砲を強くする事だけが命題となった。破城魔砲の姿も初期の頃よりだいぶ様変わりし、威力も飛躍的に向上している。
ロギウスはその力をもって、アンデッドやドラゴンだけではなく他の高位の魔物も討とうと考えている。そうして多くの強靭な魔物を駆逐すれば、破城魔砲は最強の武器として認知される。
『国崩し』は勇者と同等か、それ以上の支持を民衆から得られる。
気紛れな神託や、勇者の目覚めよりも、ルギイの死こそが世界にとって大事だったのだと万人に知らしめる。ルギイを手に掛けた『国崩し』の悪徳こそが、世界を救う切欠だったのだと。ルギイという尊い犠牲こそが、世界の救済に繋がったのだと。
だから今もロギウスは戦い続ける。
ルギイの死を最強の力が生まれた切欠にするため。
彼女の死を単なるロギウスの感傷で終わらせないため。
ルギイの死を世界の歴史に記すべき重要な出来事とするため。
これからも彼は彷徨う亡者のように戦い続ける。
ロギウスではなく『国崩し』としか呼ばれなくなった現在も、それは変わらない。
どんよりと狂気に沈んだ水色の瞳の奥で、燃料棒が暗く輝いた。
別の日の昼時、一番大きく豪華な天幕で作戦会議が行われていた。
貴人が集まって会議をする場らしく、簡易的な場であるにもかかわらず高価な調度品が置かれている。その調度品に負けず劣らず、飾った服装の人間が卓を囲んでいた。
茶や摘む菓子も用意され、茶会のように優雅な会議だった。
だがそれは『貴人らしさ』の演出に過ぎず、内面は切羽詰っている。
元々、魔王軍を迎撃する事で敵戦力を排除してから、魔王軍支配地域へと侵攻する別の部隊と合流し戦線を大きく押し上げるという計画だった。リッチが現れるというアクシデントはあったものの、魔法兵団と『国崩し』がいればまだ許容範囲内だった。
それが魔法兵団は自慢の大魔法を過信し、功を焦ったせいで作戦は失敗。『国崩し』の攻撃も逆転の一手ではなく、全滅を回避するため姑息に浪費しただけだった。一発撃つだけでかなりのコストがかかる破城魔砲を、無駄に消費したのだ。
勝てる勝負に負けた挙句、損害すら抱えて帰って来た。
呑気に許してもらえるという方が馬鹿げており、現に戦死した魔法兵団に縁を持つ者たちの首が軒並み飛んだ。『国崩し』に抗議しに言ったという貴族の首も含めて。
だからどんな形であれ、名誉挽回に必死なのだ。
もう一度の失態を犯せば、今度こそ礼儀作法に則って茶を啜る余裕さえなくなる。
緊張感に包まれている中で、異物が混じっている。
当のロギウスだった。
武骨な格好で深く座る彼は一際異質な雰囲気を漂わせ、周囲の貴人とは正反対に粗野な格好をしたまま、茶菓子を掴んでボリボリと齧っている。そのまま戦場に出てもおかしくない姿の彼は、野卑な仕草も相まって周囲のメンツから明らかに浮いていた。
しかしそこにいる誰もが、何一つ嫌味を零さない。
単にこれ以上立場を悪くしないように、『国崩し』を通して枢機卿の怒りを買わないようにという理由もある。だがそれ以上に、彼自身を恐れているからだ。
大国を滅ぼし高位の魔物を撃退する力への恐怖もそうだが、何より『国崩し』という男の気質。行動が読めないという所が、何より恐ろしい。
勇者であれば清廉潔白さを求められ、そのような洗脳に近い教育が施されている。そのためへりくだって良心に訴えかければ、比較的扱いやすく危険は少ない。
対して『国崩し』の場合は、傭兵という人の繫がりが重視される世界で、長く連れ添った大事な相棒を殺してまで力を求める狂人だ。故に権威や常識は通用せず、下手に立場を笠に着て迂闊な真似をすれば躊躇いなく牙を剥く。
権力に訴えようにも、戦争では『国崩し』の方がよほど役に立っている。なので『国崩し』が貴人と揉め事を起こしても、上からは大した処罰も与えられない。多数ある血筋と一つしかない強力な切り札では、どちらが貴いかは明白だ。
自らと『国崩し』の価値を天秤に掛けようとする愚か者はいない。
特に大失態を犯した今、『国崩し』と比べ『貴人』の立場は驚くほど軽い。
無視と言うのは貴人たちの意思表示であり、『国崩し』に対する苦肉の策だった。貴いやり取りを歯牙にもかけない、彼に効果があるかは別として。
奇妙な緊張感に包まれた天幕に、新たな人物が入ってくる。
『国崩し』を雇っている枢機卿に近い将軍だった。
枢機卿は『国崩し』がもたらした功績で地位を更に磐石なものとし、彼を後ろ盾とするこの将軍も出世しこれから始まる作戦の主導を担っている。上手くやっている彼を、円卓の貴人たちは口では称えつつも内心苦々しげに疎んでいた。ちなみにロギウスはそんな円卓の雰囲気ややり取りを察そうともせず、将軍に関しても枢機卿からの命令を受け取るだけのメッセンジャーとしか見ていない。
「我々は前回の失態を、挽回せねばならない。そこで我々の名誉回復に足る、次の作戦目標が決まった……都市ボン。ここの奪還だ」
円卓がどよめいた。
ボンは、早くから魔王軍に奪われた都市だ。とある蒐集癖が有名な大貴族が治めていた地で、彼は魔物の剥製を望み軍を率いて魔物狩りを行なった。結果、激怒した魔物の軍勢が押し寄せボンは滅亡した。件の大貴族は剥製も手に入れられず領地だけを失い、自分の土地を奪還せんと連合に参加した。因みに、そうして参加した彼は連合で自領奪還に勤しんでいるかと思えば、他の貴人と主導権争いをした挙句に暗殺されるという何ともいえない末路を迎えている。
そんな彼の遺志を汲んで奪還するとしているが、実際はボンの町近くにある魔石の鉱山が狙いだ。大貴族の暗殺も、この魔石鉱山の利権が絡んでいるという話もある。
ボンはこの鉱山を勢力下における、非常に価値のある都市なのだ。
そんな場所がなぜ今まで放置されていたかといえば、占領している魔王軍の守りが非常に厚かったからだ。だから莫大な価値を認めながら、指をくわえてみているしかできなかった。
「これから勇者殿、そして三日後に到着する援軍と合流する。援軍の他にも占領後の人員も併せて連れて行く事になるので、非常に大所帯になるだろう」
将軍の発言に皆が首を傾げる。
まるで確実に奪還できるような口振りだ。
そんな簡単に占領後の予定を建てられるなら、これまでボンはほったらかしにされていなかった。奪還できる根拠は何かと尋ねられた将軍は、対魔物用の新兵器が用意されていると自信ありげに答えた。
「新兵器?」
「そうだ。既に実地試験を終え、一定の効果があると確認している。それがあれば、ボンの奪還も容易い」
おお、と天幕がざわめきに包まれた。
魔物に決定的な効果を持つ兵器といえば、『国崩し』が持つ破城魔砲ぐらいだ。
まさか『国崩し』が使うような道具なのでは、ひょっとしたら『国崩し』に頼らずとも戦えるようになるのではとロギウスに視線が集まるも、彼は一切反応しない。
もしも破城魔砲のような類の武器ならば、ロギウスへ別の戦地に動くように指示が来ている。仮に新兵器がロギウスの持つ破城魔砲同様の兵器であっても、それだけの力を持つ兵器は乱用できるものではない。大軍を配置するように、長い時間と多くの人間が必要となる。大軍を前にして暗殺者のように忍び一軍を殺す、超火力と機動力を両立する『国崩し』の優位性は揺らがない。
とはいえ『国崩し』同様の火力をもった兵器が使えるなら、別の任務に『国崩し』を充てるという選択もできる。それでもロギウスがこの地に置かれたままの事実から考えるに、新兵器は破城魔砲とは競合しない類の兵器なのだろうとロギウスは見当をつけていた。
「具体的にはどのような兵器なので?」
「魔物が生きるのに不可欠な餌を根絶する、強力な毒を散布する」
やはりそうかと得心するロギウスに対し、周囲はどよめく。
幾ら魔物相手とはいえ、毒などというものを使うとは思わなかったからだ。不快感を示している者もいるが、不満の声は上がらない。魔物は害獣に分類される生き物であり、毒を獣の駆除に使っても問題はない。
不満そうな者も魔物へ毒を使うことに抵抗はなく、単に剣を振るう戦場に毒が用いられ自らの武名が損なわれるのを嫌っただけだ。
「この毒は当初の目標通りの満足な結果は得られなかったが、一定の効果は確認された。魔物は自分の『餌』が絶える事を嫌う。新兵器が使用されれば、魔物達は餌の保護に奔走しまともな反撃は不可能となる。そこへ勇者殿や補充された魔法兵団の攻撃で、魔物を殲滅し街を奪還するのだ」
「「「おお!」」」
再び与えられた、『確実に勝てる戦い』だ。
だが再び失敗すれば、今度こそここにいる貴人は貴さを失う。
恐怖から目を背けるように、あるいはそもそも見えていないように彼らは約束された勝利に熱狂していた。
「援軍とともに、新兵器が製造されているエイサルの街からから送られてくる。この新兵器の到着を待って、我々も出撃する。それからボンへ三週間かけて向かい……」
「……エイサル?」
突然口を挟んできたロギウスの声に、将軍は怪訝そうに顔を向ける。今まで一言も喋らなかったロギウスの発言に、水を打ったように静まり返った。
「……ああ。エイサルは前線から遠く離れていて、駐留軍が守っており警備も厳重だ。新兵器の製造、保管するのには丁度いい街だ」
「……そうか」
それきり何もいわなくなったロギウスに、将軍は怪訝そうにしながらもこれからの予定を話す。
だんまりを決め込むロギウスは、微かに胸騒ぎを覚えていた。
『エイサルの街』が、新兵器が作られ保管されている拠点となっているという事実が妙に気に掛かった。言い知れぬ不快感が、進む会議に比例して増大していく。
そんな彼の懸念は、すぐに的中した。
息を切らした伝令が飛び込んできて、急報を伝える。
「……エイサルの街が、落ちただと?」
「は、はい。なんでも、アンデッドの軍勢にやられたとかで」
「チッ……エイサルの軍は何をしていた!」
「それが……こちらのエグロッグへの増援として、動かしていたとか。街に残っていた部隊も突然現れた敵軍に、抵抗する間も無かったと。脱出した部隊は、再編し増援を待つそうです」
突然魔王軍に現れたリッチ。
目を引くように現れたのは、エイサルの守備隊を動かす陽動だったのだ。
「くっ……どうするのだ! アレがなければ、作戦は失敗する!! 此度の攻勢は、あの新兵器を主軸において計画されているのだぞ!!」
見えていたはずの希望が早々に潰え、皆が動揺を隠せない。
多くの者が絶句していたが、ロギウスは他と黙っている意味が違っていた。
(エイサルが奪われただと? アンデッドの軍勢に、占拠されただと? ……ふざけるな、ふざけるなよッ!!)
エイサルの街はロギウスにとって破城魔砲に次いで、あるいは破城魔砲以上に大事な場所だ。
あの街には彼女が、ルギイの亡骸が眠っている。
ロギウスがルギイと初めて出会った場所こそ、エイサルの街だった。
夢敗れ傭兵として活動していた彼の前で、ルギイが石畳に蹴躓いて道具をぶちまけた。彼女の持つ道具の特殊さ――自らが持つ道具に近い部分をロギウスが見抜き、二人の話は弾んでいった。互いの身の上話をし、ペアを組んで傭兵活動を行なうようになった切欠の場所だ。
争いのある地域を転々とする生活をしながらも、エイサルの街には彼女とよく訪れ思い出を作った。あの街には、多くのルギイの足跡が詰まっているのだ。ルギイの故郷の場所を知らないロギウスが、彼女の遺体を埋葬する際に知っている中で一番安らかに眠れるだろうと選んだ街でもある。
それから何年も、思い出深いエイサルの街でルギイは静かに眠っていた――今日この時までは。
今は在りし日の思い出と共に、骸を悪しきアンデッドの瘴気に侵されている。
汚らわしい魔力が、ルギイの眠りを妨げようとしている。
おぞましい呪いに、彼女の遺体が利用されようとしている。
絶対に、アンデッド共を許してはならない。断じて、エイサルの街を薄汚いアンデッドの足で踏み荒らさせてはならない。
「……俺がエイサルからアンデッドを排除する」
ギョッとした顔で、将軍がロギウスに振り返る。
将軍はあくまで枢機卿を後ろ盾に持つだけで、『国崩し』の行動に関する決定権はない。『国崩し』が契約しているのは枢機卿であり、将軍が『国崩し』の予定を決める権利はない。
これから行われるボン奪還戦でも、『国崩し』の力は必要となるだろう。エイサルに向かわせて、不測の事態が発生し『国崩し』が奪還戦に参加できないとなれば、手厚くお膳立てを受けていた将軍は破滅だ。
『国崩し』の力は温存しておくべきだが、だからと言って新兵器がないままでは奪還戦も行なえず、やはり将軍の手落ちとなる。苦渋の決断を、将軍は下した。
「……いいだろう、エイサルの街に向かいアンデッドを排除しろ。だがいかに『国崩し』といえど戦力が心許ない、これから合流する勇者殿にも協力してもらい援軍と共にエイサルを……」
「いらん。一人で向かう」
「何?」
「中途半端に手勢を増やしても、アンデッド相手では邪魔になるだけだ」
アンデッドに対し、数は必ずしも強みではない。
骸を再利用できるという特性から、アンデッドは簡単に数を揃えられる。疲労もなく負傷も問題とならない、前進し続ける兵士の軍勢が短時間で準備できる。
呑気に大人数を引き連れて向かえば、対応する戦力を用意させる時間を与えてしまう。そうなれば、兵士のお守りをしながら少しずつの前進となる。時間ごとに疲弊していく兵士に対し、次々に元気で新鮮なアンデッドが補充される。アンデッドの軍勢に数で勝負するのは悪手だと、ロギウスは何度も祖父から口を酸っぱくして聞かされた。
それにそんな悠長に遠足をしていたら、ルギイの骸に間に合わなくなる。
埋葬された遺体はアンデッドの瘴気に暴露された時間に比例して魔物化しやすくなる。アンデッドを退けたとして、肝心のルギイの遺体が魔物化してしまえば戦った意味がない。
だから、単身で占領するアンデッドを排除する事に賭ける。
勝率がゼロに等しい賭けだろうと、ルギイを二度殺すよりはマシだ。
「待て、『国崩し』! 援軍を待ってから出なければ、いかに貴様であれども……ッ!!」
ロギウスの前に出た将軍の手を、長剣じみたロギウスの威圧感が切り落とす。彼が破城魔砲で狙う標的にぶつける殺気は、最前線とは縁遠い場所で生きてきた将軍に道を譲らせた。そのまま天幕を出て、ロギウスは自分の天幕に駆け込む。
用意していた燃料棒や槍弾を、根こそぎかき集めて背負う。彼は今持てる全てをつぎ込んでも、エイサルを奪還する覚悟だった。アンデッドへの殺意を滾らせ天幕を出たロギウスの前に、人影が立ちはだかった。
「危険だ。援軍を待ってからにしてくれ」
「……お前」
強い意志の感じられる瞳の戦士だった。
やけに中性的な顔立ちで、背はそれほど高くない。
髪は肩の辺りで切りそろえられていて、毛先が微風で爽やかに靡いている。
小奇麗だが使い込まれた跡のある鎧に身を包み、腰に佩いた柄の装飾が見事な長剣は『聖剣』の類か。そんじょそこらの兵士が持っている武器とは格が違う。
件の話にあった、合流予定の勇者だった。
そしてこの勇者は、ルギイが死んだ直後に現れロギウスに勝利を齎した勇者だ。だが勇者とはルギイを失って以来久々の再会ではなく、『国崩し』としてロギウスが有名になってから何度か同じ戦場を戦っている。
なぜもう少し早く、ルギイが死ぬ前に来れなかったのか。
なぜもう少し遅く、ロギウスが自害した後に着かなかったのか。
ロギウスとて逆恨みは禁じえず、勇者の事を呪った時期もあった。
しかし今となっては、別段勇者に対して思うところはない。破城魔砲を用いてルギイの夢を叶えるという命題を得てからは、自然と恨み言は消えた。
今となっては勇者に思うところはないが、しかしその提案は聞き入れられない。
「……このお喋りの間も、アイツの骸は辱められている。アンデッドの、薄汚い力に脅かされ、穢されようとしている。待てないんだよ、お前の助けは」
勇者は苦い顔をした。
勇者はロギウスを調べて事情を知っているのだろう、好都合だった。
ロギウスは勇者の横を通り過ぎて、馬を駆り野営地から飛び出す。
そのまま彼は、エイサルの街へと馬を走らせた。
17/01/08 21:58更新 / 鈴繰ビーハイヴ
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