第一話 サバト支部の五大老
「お兄ちゃんが欲しいのう……」
先代支部長である、バフォメットのザッハーグがぽつりと漏らした。
バーの中に冷たい空気が流れた。場末のテーブルを囲む、彼女と他の魔物娘たちは逆にヒートアップした。
「そうだよね。私にもご主人様が欲しいな」
ザッハーグに同調するように頷いたのは。キキーモラのイラリア。この支部の情報管理部長だ。
「だいたい、機会が無さすぎるのよ。私だってお兄ちゃんと深海ランデブーしたい……」
愚痴を漏らすのは、スキュラのパスティナ。この支部の海上情報収集部長。
「そもそも、なぜ我々からお兄ちゃんを探さねばならんのか。お兄ちゃんから来るべきだろう!」
怒鳴るのは、ドラゴンのガルニア。この支部の航空情報収集部長。
「私だけのお兄ちゃん……いいわね……」
恍惚しながら呟くのは、エキドナのボローニャ。この支部の陸上情報収集部長。
彼女たち五人は、支部内で『五大老』と呼ばれている。
寿命の概念が薄く、幼化の魔法によって皆が幼女の外見をしているサバトでは、百年以上を生きる魔物娘であっても老人扱いされることはない。
しかし、ルーニャ・ルーニャ・サバトの古参であり、この支部を立ち上げた創立メンバーであるがゆえに、彼女たちは敬意を持って『五大老』と呼ばれているのだ。
彼女たちは、支部の根幹を担う役職につき、誰よりも有能で、誰よりも古株で、そして皆が独身であった。
「独身。そこが問題なんだよねえ……」
五大老のテーブルから離れたバーカウンターで、現支部長の魔女のアルラが言った。
グラスにはフレイムタンという度数の強い蒸留酒が注がれており、彼女の心労がうかがえる。
「そもそも、男漁りに集中したいからって私に支部長のポストを押し付けたのに、抱えてる業務が彼女にしかできないことばかりだから……」
「アルラはよくやってるよ。それに、彼女たちは大手を振ってお婿さん探しができる身分じゃないし……」
バーテンダーのナイアスがアルラを慰める。この十歳前後に見える少年はアルラの伴侶であり、パートナーだ。
「え?ビラ配りに混ざればよくないですか?みんなそうやって男を捕まえてるんでしょう?」
「バカ。万が一にも主神教団に捕まって、情報を引きずり出されたらうちは終わりだよ」
がたいのいい青年の意見をラタトスクが尻尾でどつきながら封殺する。この二人もパートナー同士である。
ラタトスクのミールは情報部員であり、元傭兵のエドは支部の武術顧問という立ち位置だ。
「この間も、そうやってビラ配りに混ざろうとしたザッハーグさんを止めるために十人がかりで魔法を使わなきゃならなかったし……」
「それは……大変だったね……」
「『アルラにはわらわの気持ちなんて分からんのじゃ!』と言われた日なんか……お兄ちゃん、どうしたらいいのお……」
「うんうん……」
アルラの愚痴を聞きながら、ナイアスはアルラの頭をなでる。
「たしかに支部の重要な地位にいる者が、気軽に外に出るわけにもいかないですよね」
エドがビールをあおりながら言う。
「ふふん、そもそも私たちはもう独身じゃないから、彼女たちの気持ちなんてわかんないというか」
ミールは炒りナッツをつまみながら余裕そうな笑みを浮かべ、エドの背中を尻尾でさすりながら言った。
それがいけなかった。
「ほう……ずいぶんとお熱いのう。ミールや」
ミールは魔力のこもった声を背中から浴びせられ、後ろを振り返る。
そこには殺気のこもった視線をテーブルから向ける、五匹の魔物娘。
「いや、その、あの……」
「ちょうどよい。一緒に呑もうではないか。そこの殿方と一緒にな」
ザッハーグが手を上げて、指をくいと曲げると、見えない糸で縛られたようにミールとエドの身体が硬直する。
呪縛の魔法程度は、強大な魔力を持つバフォメットにとって児戯同然だ。もう逃げられない。
「先輩、どうするんですか」
エドは非難する目でミールを見た。
「どどど、どーするって……」
ミールが助けを求めてアルラとナイアスを見れば、アルラは酔いつぶれたフリをしてカウンターに突っ伏し、ナイアスは一心にグラスを磨いている。
「う、裏切り者〜」
「そうじゃそうじゃ、椅子を用意せねばな」
ザッハーグが空いた手の人差し指をぴんと立て、空中を混ぜるように振ると、二つの空き椅子がテーブルに出現した。
それから、呪縛の魔法をかけている指をぐいと引っ張ると、エドとミールの身体が空き椅子の上に出現する。
「ようこそ、ご両人。ゆっくりと語ろうではないか」
ザッハーグは二人に向けて、両手を広げた。
短距離の転移魔法で混乱するエドとミールは、くらくらした目で『五大老』のテーブルを見回す。
「こんばんは、ミールちゃん、エド君。いつもお部屋をキレイにしてて偉いね〜。エド君でしょ。今度、ゆっくりと掃除の仕方を教えてね」
とイラリア。
「エド君いいわね、抱き心地よさそう。今度、一緒に海底探索しない?」
とパスティナ。
「聞いたぞ。エドとやら、なかなか腕が立つらしいな。今度、我と一戦交えようぞ。そ、それからお前の好きなようにされんことも……」
とガルニア。
「エド君〜、私と洞窟で二年くらい閉じこもる気はない?」
とボローニャ。
皆が狩人の目で、エドを舐めまわしている。狼の群れが、羊を狙うように。
「こんばんは」
「こ、こんばんは」
エドとミールは五大老の皆に挨拶をした。
「その、さっきはごめんなさい。聞こえてたみたいで……」
「ははは、良いぞ。もうそのことは良い」
ミールの謝罪を、ザッハーグは笑いとばす。
「そのこと、ってことは、他に要件があるってことですよね」
エドが言うと、ザッハーグは頷いた。
「そうじゃ。さてミールや。おぬし、ハーレムなる言葉に聞き覚えはあるか?」
「ええ、一人の男性と複数人の魔物娘が婚約する……まさか!?」
五大老たちの視線がエドに注がれているのを見て、ミールは泣きそうな声を上げた。
「そうじゃ。我々は慢性的に魔力に飢えておる。わらわは何とかなるにしても、他の者は精補給薬を使うしかない。しかし、それももう限界に来ておる」
「だから、エドと五大老の皆さんが……?」
「うむ。聞けば、エドの生命力は相当なものらしいの。その場で死んでもおかしくない怪我を負いながら、主神教団に大立ち回りしたとか。グレイリア・サバトの医師が驚いておったぞ。それだけの生命力なら、魔力の質も相当なものじゃろうて」
じゅるり、と誰かが舌なめずりをした。場の空気が、さらに引き締まる。
「い、嫌です……」
ミールが勇気を振り絞って言った。
「ほう?」
「エドは、私の、私だけのパートナーです」
「ラタトスクにしては中々骨があるのう。じゃが、エドはどう思っておるのじゃ?」
皆の視線がエドに注がれる。先ほどから黙り込んだままのエドは、顔を上げて答えた。
「俺も、ハーレムには反対です」
テーブルの下で、エドはミールの手をしっかりと握りしめた。
「俺が愛するのは、これからもミールだけです」
毅然としたエドの宣言に、五大老たちの顔が落胆の色を帯びる。
「残念……エド君ならご主人様になってくれると思ってたのにな」
「繋がったままの海底探検、とっても楽しそうなのに……」
「ううむ……このガルニアの誘いを断るとは……」
「お兄ちゃんとの洞窟ラブラブ生活……結局は夢でしかないか……」
各々がため息をつきながら呟く。
「エド……!」
ミールは尻尾をエドの腰に回し、感激のあまり抱きついた。
「どうしてもか?」
ザッハーグの問いに、エドはミールの頭を撫でながらはっきりと答えた。
「どうしてもです。ですが、代わりの案があります」
エドは懐から一枚の紙を取り出し、テーブルに置いた。
「なんじゃ、それは」
「これは、俺が元々所属していた傭兵団からの手紙です。久しぶりに会いたい、という手紙でした」
エドは五大老を見回して言った。
「現在の傭兵団の団員は五名。全員、男です」
五大老たちの顔に期待の色が走り、テーブルの空気が熱を帯びた。
「全員、歴戦の強者です」
五大老たちは、顔を輝かせてエドを見る。
「そこで、彼らをこの支部に招くというのはどうでしょう。招いた後は、各々が品定めして、早い者勝ちで取っていく。どう思いますか?」
エドがザッハーグを見ると、彼女は満足そうに頷いた。
「よかろう。それではエドよ。彼らについて話すのじゃ」
「わかりました」
かくして贄と捧げられるはずの羊は狼の側へと回り、瞬く間に酒場は作戦会議の様相を呈した。
通りすがりの魔女たちも加わった作戦会議は、夜遅くまで続き、ついに作戦が出来上がった。
作戦名は、『背水の羊狩り作戦』。
そして五人の魔物娘は、牙を研ぎ、腹を空かせながら、作戦決行の日を待つことになったのだった。
20/06/08 19:01更新 / KSニンジャ
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