連載小説
[TOP][目次]
後編
 
 ノアが目を覚ますと、暗闇の中だった。 
 身体を動かせず、体中を細い管のようなものが這っている感覚がする。
 不快感は無い。むしろ、抱きしめられているような心地よさを感じた。
「あれから、15日目。ようやく起きたか」
 スルーズの声が聞こえた。
「待っていろ、動けるようにしてやる」
 その言葉と共に、身体に自由が戻った。
 自分はうつぶせに寝転がった姿勢なのだと気付き、身体を起こす。
 スルーズと出会った部屋だった。
 ただ一つ違うのは、黒鋼の鎧があった場所には何もないという点だ。
 身体を見ると、自分がその鎧を着ているのが分かった。
「お前の身体を生かすために、装着させたのだ。悪く思うな」
 ノアの考えを先読みするように、スルーズの声がした。
 自分が切腹した場所には血の染みが広がっていて、あの出来事が夢ではなかった事を証明していたが、腹と喉には痛みどころか違和感すらない。
「どうだ?私の生命治癒装置(リジェネレーター)は。中々のものだろう?」
「僕の考えが読めるのか?」
「ああ、私とお前は一心同体。思考を読むくらい当然だ」
「だったら、僕が今考えていることは分かるか?」
「……ば、馬鹿!あれだけやってまだ足りないか!」 
 恥ずかしそうな声でスルーズは怒鳴った。
「魔力充填率100%。通常行動、戦闘行動共に完璧な動作が可能。性交しても仕方ないだろう!」
「嫌か?」
「そういう事じゃ……とにかく、それは後だ!」
「残念だ。なら、兜を開けてくれないか?」
 兜の装甲が首襟に引っ込み、ノアの顔が露出する。
 その目には迷いがあった。
 主神教団の部隊から逃げ出した自分には、もう帰る場所は無い。
「一つ提案があるのだが」
「なんだ?」
「外に出よう。日の光を浴びたい」
 期待がこもった声に、ノアは思わず微笑んだ。

 柔らかな日差しが、木々を優しくなでていた。
 鳥の鳴き声と、通り抜けるそよ風の音が、鬱蒼とした森の中に響いている。
 ノアは木々の間を通り抜けながら、葉の間から差し込んでくる光のぬくもりを感じた。
「ふふ、暖かいなあ。暖かくて気持ちいいなあ」
 ノアの頭の中で、スルーズは機嫌よく笑った。
「こんなにすがすがしい気分なのは、造られて初めてだ。やはり、復讐なんて馬鹿馬鹿しいな。うん」
 自分の過去を棚に上げるスルーズに苦笑しながら、ノアは辺りを見回した。
 背の高い木々がわずかな隙間をおいて密生し、深く色濃い闇を形成している。
 方角どころか、現在の位置が分からない状態で、この森から出るのはほとんど不可能のように思われた。 
「こんな時は、人に聞くしかないだろう」
 スルーズが言った。
「ちょうど、右前方に生命反応がある」
「人?こんな深い森に人がいるのか?」
「いや、人ではなく魔物だな」
「会って大丈夫なのか?魔物は人を喰うんだろう」
 ノアは緊張した。
 仲間たちがなすすべもなく連れ去られていく光景が、いまだに頭に焼き付いている。
「喰うといえば、その通りなのだが……とにかく会ってみろ」
「本当に大丈夫なんだろうな」
「私を信じろ。お前を危険に晒したりするものか。それと――」
 スルーズは宣告した。
「浮気は認めん」
 なんの事か分からぬまま、ノアは右前方に向かって歩き出した。

 ノアが目にしたのは、魔物が人間を捕食している現場であった。
 草むらの中で、地面に倒れた男に、頭に巨大なキノコを生やした魔物が跨っている。
 響く男女の喘ぎ声と、淫らな水音からして性交しているのは明らかであった。
 男は主神教団の鎧を着ていた。ノアの仲間である。
「助けないと」
「待て」
 助けに向かおうとしたノアを、スルーズが止めた。
「なぜだ」
「あれはマイコニド。一か所に生えるのをやめて森の中を徘徊するキノコの魔物。それゆえに魔力の消費が激しく、性交を邪魔すれば魔物の命に関わる」
「見捨てろというのか」
「そうではない。見ていろ」
 木陰からしばらく様子を見ていると、マイコニドの身体が大きく震えて動きが止まった。
 少しの間をおいて、今度は男がマイコニドに覆いかぶさり、腰を激しく振り始めた。
「よし、今なら話を聞けるぞ」
「わかった」
 ノアは男とマイコニドに近づく。
「すまない、聞きたいことがある」
 性交に夢中なのか、男は反応しない。
 ノアは男の耳元で呼びかけた。
「聞きたいことがある!」
「はぁ……はぁ……その声、ノアか?」
 男は腰の動きを止めずに答えた。
「そういうお前は、ランド。生きていたか」
「俺はもうダメだ……この子がかわいくて愛おしくて仕方ねえ……」
「諦めるな。主神の教えを忘れたか?」
「主神の教えじゃ、身寄りのない寂しさを埋めてくれなかった。この子は、俺の全てを満たしてくれる」
「一時の欲求に振り回されているだけだ」
「違う。この子と何週間も一緒にいた。心の底で、本能で、魂で結ばれたんだ。俺はこの子と共に生きる。この子を守って生きる」
 ノアは、心の奥に刻み込まれた主神の教えを噛みしめ、それからランドの強い意志とそれを天秤にかけた。
 天秤は傾いた。
「それが、お前の本心なら仕方ない。森を出たい。方角は分かるか?」
「コニ、森の出口は分かるか?」
 ランドの下で喘いでいるマイコニドが、ランドの肩の向こうの方角を指さした。
 ノアは思考でスルーズに語り掛ける。
「スルーズ、これでなんとかなるか?」
「ああ、方角を記録した。あとは踏破するのみ」
 思考会話を終えると、ランドはコニを抱きかかえて頭を撫でていた。
「よくやったぞ、コニ」
 コニはランドに頭を撫でられながら、とろけるような笑みを浮かべた。
「さらばだ、ランド。コニ。元気でな」
「ノアも、元気でな。落ち着いたら会いに行くよ。コニと一緒に――」
 その時、風を裂く音が森に響いた。
 ノアが反応する間もなく、ランドの背中から矢羽根が生えていた。
「ランド!」
「ノア!木の上だ!」
 ノアはランドの身体を支えながら、矢が飛んできた方を見上げた。
 木の枝の上に、影が直立していた。
 影はノアの視線を認めると、枝から枝へ飛び移りながら森の奥へ消えた。
「ランド!しっかりしろ!ランド!」
 ノアの呼びかけに、ランドは応えない。矢は心臓を貫通していた。
「ランド……?」
 腕の中で極上の笑みを浮かべていたコニは、恋人の異変を感じ取って、呆然とした表情に変わる。
「スルーズ!」
「矢を抜け!」
 ノアが迷いなく矢を抜くと、そこから血があふれ出た。
「掌で塞げ!生命治癒装置(リジェネレーター)を使う!」
「わかった!」
 鎧を脱がし、傷口を掌で塞ぐ。スルーズの赤い魔力がほとばしり、出血が治まっていく。
 だが、ランドの意識は戻らない。
「心臓をもう一度動かさねば!」
「せりゃあ!」
 ノアの渾身のパンチが、ランドの胸に直撃した。
 ただのパンチではない。魔力を込めた一撃必殺の魔拳である。
 叩き込まれた魔力が、ランドの心臓を揺さぶり、脳まで駆け抜けていく。
「ごほっ!ごほっ!」
 ランドは咳き込みながら、覚醒した。
「ランド!」
「ノア……?俺はいったい……」
「死んでいた。魔物を狙うものがいる」
「くそっ、コニを守ると言ったのに、こんなに容易く……」
 ランドはコニを抱きしめながら、無念の涙を流した。
「俺に強さがあれば……!」
「ランド……」 
 ノアの胸に去来したのは、疑問だった。
 主神の教えでは、魔物を殺し、人間を愛せよ。とある。
 だが、たとえ魔物であっても、愛し合っているもの同士を引き裂き、殺すのは正しいことなのだろうか。
 疑問を呑み込み、立ち上がる。
 主神の教えがどうであれ、ランドを貫いた凶矢を放った者を許すわけにはいかない。
「いくぞ、スルーズ」
「戦う気か」
「僕は、剣なき者の剣になる。盾なき者の盾になる」
「さすが私が認めた男。その心意気や良し!射手が逃げた方角は既に分かっている」
 スルーズは影が逃げた方角を告げた。
「森の出口だ!」
 ノアとスルーズは人鎧一体と化し、黒い風となって森を駆け抜けた。

 森を抜けた先は、草原だった。
 雲一つない青空が、どこまでも澄み渡っている。
 ノアの視線の先には、凶矢を放った男が立っていた。
 距離はおよそ10歩。
 男は主神教団の鎧を着込み、腰に長剣、背には長弓を帯びている。
 歴戦の戦士の風格があった。
 ノアの部隊の隊長、グラントである。
「ノアか。その鎧、お前も魔に堕ちるとはな」
「グラント隊長。堕ちたのはあなたです。背後から矢を放つ外道に堕ちたんです」
「黙れ!」
 グラントは猛った。
「魔物相手に卑怯などない!お前も見たはずだ!魔物に連れ去られていく皆を!主神の教えをはぎとられ、魔の手先になっていく皆を!」
「だから殺すんですか!?」
「そうだ!それこそ主神の教え!たとえこの森を焼き払う事になろうとも、私は教えを全うする!」
「何人殺したんですか」
「魔物どもめ、隠れるのが上手い。ようやく裏切り者を一人といったところだ」
「僕が生かしました」
「余計な事を。ならば、貴様の血を以って戦いの先触れとしよう」
 グラントは長剣を抜いて構えた。
 剣を肩に担ぐような構えである。
 教会剣術・聖風の構え。広い空間で戦う事を意識した、機動特化の構えである。
「スルーズ」
「ああ、ついに私の武装を使えるときが来たか」
 スルーズは感慨深く言った。
「私の性能(みりょく)を、ようやくお前に見せられる」
「絶対に殺すな」
「無論よ。そもそも、私の武装は既に殺傷力がない。魔力を傷つけて、対象を無力化することしかできん」 
「なぜだ」
「私も魔物だという事だ。行くぞ、戦闘形態準備!」
 思考会話が終わると、ノアとスルーズの思考が一体化する。
 ノアとスルーズの思考が同期することで、戦闘の場面に応じた適切な武装を使えるのだ。
 首襟から装甲が展開し、ノアの頭を覆うと、竜頭の如き兜が形作られる。
 鎧の表面を走る赤色の溝が光り、強大な魔力が鎧の隅々に行き渡る。
 戦闘準備完了。
 ノアは拳を構えて、グラントに応じた。
「外道に容赦の必要なし!参る!」
「魔物殺すべし!いざ!」
 草原に死闘の開始を告げる風が吹いた。
 両者は走り出した。
(アームエンチャント起動!)
 スルーズの声と共に、両腕が魔力を帯びて赤く光る。
 グラントは突撃の勢いを上げて、剣を振りかぶる。
 激突。突き出した拳と振り下ろされた剣が火花を散らす。
 反対の拳で腹を狙った時、グラントは素早く後ろに下がった。
(魔剣ヴァリアント!)
 スルーズの思考を読み、ノアは短剣を抜いた。
 短剣に魔力が流れ、刃の先に赤い刀身が形作られる。
 多大な魔力を使用して形成される非実体の長剣。魔剣ヴァリアントである。
 魔力の消費量が人間の持つ量を超えていたために封印されていたが、ノアとスルーズが14日間かけて生成した魔力量ならば十分に威力を発揮できるのだ。
 ノアは魔剣の切っ先を、グラントに向けて突き出した。
 グラントはそれをかわし、真上から切り返す。
 ガキン、と金属音。
 防いだのは、エンチャントされた魔導鎧の篭手である。
 そして、もう片方の手に握られた魔剣ヴァリアントがグラントの腹を薙いだ。
「ぐはあ!?」
 グラントは腹を押さえて後ずさった。
 実体なき剣に鎧は無意味。恐るべき魔剣は、たしかにグラントの身体を切り裂いていた。
「ま、魔物如きに……」
「とどめ!討たせていただく!」
 ノアは魔剣に更に魔力を注ぎ込む。
 刀身に赤い稲妻が走り、暴走寸前まで込められた魔力がグラントに狙いを定めた。
(ルーンインパクト・ソーン!)
「雷滅!」
「ぐわああああああああ!!!」
 赤き雷を纏った袈裟斬りが、グラントを両断し、爆散した。
 ノアはグラントに背を向けると、爆発を背景に納刀した。
 外道滅殺。
 爆発は、草原を赤い光で染め上げた。
「ノア……」
 地面に倒れたグラントが呼びかけた。
 ノアは振り返り、見下ろした。
「私たちは、元より魔物のエサにされる運命だった……」
「どういう事です!?」
「魔物の侵攻によって、教団の物資は不足……お前たちのような、身寄りのない孤児の兵士は真っ先に切り捨てられた……」
「もしかして、隊長も……」
「そうだ。私は教会に必要とされ、私は信仰を必要とした。だが、私は教会に捨てられた。主神に見捨てられた。それが、許せなかった」
「隊長……」
「気をつけろ。教会ではお前は死んだことになっている。戻れば、お前は狙われる」
「ご忠告、ありがとうございます」
「行け。自分の罪の始末は、自分で付け――」
 その時、黒い影が空から舞い降りてきて、グラントの身体を捕まえて飛び去って行った。
「ブラックハーピー。私たちの戦いを見ていたわけか」
 青空の彼方の、小さな黒点と化したグラントを見ながら、スルーズは呟いた。
 ブラックハーピー。草原や山岳に生息する、知能の高いハーピー種の魔物だとスルーズの思考が伝えてきた。
 グラントという魅力的なオスに目をつけ、連れ去る隙をうかがっていたのだろう。
 戦闘形態解除。
 兜は収納され、魔力の高ぶりもおさまった。

「ノア」
 森の方から声がした。
 ランドである。その腕にしがみつくようにしてコニもいた。
「見ていたのか」
「ああ、全部な……」
 沈黙が漂う。
 今まで教会に育てられてきた二人である。親に捨てられたのと同義であろう。
「ランド」
 口を開いたのは、意外にもコニである。
「南に、魔王軍がいて、人と魔物の夫婦を保護してくれるって」
「誰から聞いたんだ?」
「森のみんな。ランドのお友達たちもそこに行くって」
「そうか……」
 ランドは決意を固めた目で、ノアを見た。
「お前はどうする?」
「僕も、一緒に行こう」
「保護を受けるのか?」
「いや、魔王軍に参加する」
 ノアは拳を握った。
「たとえ主神の教えなれど、教団の軍勢が戦う術のない者に剣を振るうのを、黙ってみているわけにはいかない」
「だったら俺も……」
「コニがいるだろう」
 ノアはランドの肩に手を置いた。
 心なしか、コニがしがみつく強さも増した気がした。
「お前は、コニを幸せにする責任がある」
「だがお前は……」
「私は構わん。戦うために造られたのだからな」
 鎧をすり抜けて、赤髪の少女姿のスルーズが現れ、コニに対抗するようにノアの腕を抱え込んだ。
 全裸姿ではなく、町娘のような白いブラウスに茶色のスカートという服装だ。
「スルーズ、その格好は?」
「記憶を覗いたぞ。こういうさっぱりした格好が好みらしいな?」
「ノア、その人は?それに、鎧の中からなんで?」
 困惑気味のランドに、ノアは苦笑で返した。 
「話すと長いんだ。歩きながら話そう」
 そして、南を見た。左手に森が、右手に草原が広がっている。
「さあ、行こう。日が暮れるまでに着きたい」
 二組の魔物のカップルは歩き出した。
 南に展開する魔王軍の野営地に向けて。
 果たして、魔王軍に加わったノアとスルーズの行く末は。
 主神教団を相手に、いかなる活躍を見せるのか。
 その物語は、また別の機会に語られるだろう。
 今はただ、より多くの魔物たちを守るため。
 戦えノア!纏えスルーズ!振るえ魔剣ヴァリアント!
 世界が完全に、魔物の手に堕ちるその日まで!


20/11/17 04:02更新 / KSニンジャ
戻る 次へ

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33