クォート祭
クォートの街は地理的に魔界に近い。
さらに世界の魔界化が進んでいるために段々とこの街の空にも赤暗い雲が覆うのだが、それはもう晴れの部類だ。
つまり本日は絶好のお祭り日和である。
「ご、ご主人様!」
「分かってる、予算だろ?ちょっと待て!」
「それと本日のパーティーの件なのですが……」
「人数増えるから飯の量増やせってやつだろ?そっちも待て!」
だがその日。特に祭りが始まる直前、街を治める領主はかなり忙しい。
ついでに私も忙しい。
本日は街の建設記念日。よって年に一度のクォート祭なる物が開催される。
やることは午後に大きなイベントがあるだけで他は一般の祭りと大して変わらない。
その大きなイベントと言うのは、私もまだ知らない。先日、人間、魔物問わず街の住人が大々的に参加するらしいと話に聞いたが、それ以外は一切内容を把握していない。
「リリィ、この書類を実行委員会に持っていってくれ!ついでに臨時で雇った料理人にも食料の調達を頼んで来てくれ!」
「は、はい!畏まりました!」
ご主人様の切迫した声に頷き、要件を済ませる。
これが数回続いていた。
祭りは午前九時から行われる。その為起床も六時に繰り上げ、起き上がりからこの状態である。
クォート祭開催式では領主として開催の宣告をしなければならない。中々忙しい限りだ。
開催式が近付いた頃、やっと束の間の暇が訪れる。
私はご主人様に紅茶をお出しした。
「どうぞ」
「おう、ありがとな」
ご主人様は紅茶を一口飲むと大きく溜め息を吐いた。
「はあぁ、朝っぱらから忙しすぎだろぉ」
「お疲れ様です、ご主人様」
「ああ、リリィ、祭り中は来賓の挨拶があっから付き添いを頼む」
「つ、付き添いですか!?」
「ああ。って言ってもただ側に居るだけで良い。お前に話を振られても俺が対処するから、お前はお辞儀だけすれば良いだけだ」
「は、はい。畏まりました」
お辞儀をする私を一瞥しながらご主人様は時計を確認した。
「……そろそろか。行くぞ」
ご主人様はいかにもだるそうに腰を上げた。
開催式と言っても、特にこれと言った礼式はない。ご主人様が一言二言言って祭りは開催された。
私達は一度屋敷に戻っていた。
これから来賓に挨拶をする。場所はこのビルフォート邸宅前である。
「これはこれは。ビルフォート殿。お久しゅうございます」
「お久しぶりです。グラウディク殿。そちらはご夫人でいらっしゃいますね?お初にお目に掛かります」
「……!」
普段のご主人様とうって変わり、礼儀正しく挨拶する。貴族なら当たり前の態度なのだが、正直意外だ。
「初めまして、ビルフォート殿」
最初の来賓は随分な巨漢とメドゥーサの夫婦だった。
この街には魔物が居ない訳ではないのだが、やはりこの街で魔物の夫婦を目にすると感慨深いものがある。
「先日お父上が亡くなられた様で、ご哀傷をお察しいたします。我々グラウディク家もお父上にはお世話になっていたので大変心苦しゅうございます。もし困った事があれば我々も是非、力になります」
グラウディク様は胸に手をあて言う。見た感じ良い人そうだ。
ご主人様はお父上の話に微妙な表情を見せたが、浮かべた笑みを絶やさず返答した。
「そう仰って頂けるとありがたいです。ささ、どうぞ祭りを楽しんで行って下さい。パーティーは午後の七時からとなります。ご出席をお待ちしております」
「はい。ではまた」
二人は笑みを浮かべ、そのまま去っていった。
「何だか良い人そうですね」
「……お前にはそう見えるか?」
私の呟きにご主人様は溜め息混じりに問う。
「はい?」
「グラウディクの旦那は確かに親父との付き合いが長かったが、その実交流は少ないしそこまで親しい間柄じゃない。しかも大抵が意味不明な商談だったり唐突な見合い話だったりそのどれもが下心丸見えの利益目的だ。親父は大のお人好しだったからまあまあ聞き入れたりはしたけど、良い印象はないな。今回も親父が死んだから俺に目付けて恩を着せようとでも思ってんだろ」
「…………そうですか」
あまりそう言った話には関わった事がないので分からないのだが、貴族のやり取りと言うのは恐いものだ。
「……あれさ、お前の所の奥様じゃね?」
「ふぇ!?」
私は門から入ってくる人影を凝視した。
赤と黒を基調としたドレスと貴族然とした立ち振舞い、そして日傘を差し日光を極力浴びないその姿は一目でヴァンパイアだと分かる。
私の元々の主、カイラ奥様その人だ。
「お、奥様!?」
「リリィ、久しぶり!元気にしてた?」
「お、お久しぶりです!げ、元気です!」
気さくに話し掛ける奥様に慌ててお辞儀する。久しぶりの会合で臨時勤務前の様な姿勢が取れない。
「ふふ、相変わらず良く慌てる娘だわ」
奥様は何処か安堵した様子で笑う。
その後奥様はご主人様に向き直った。
「お久しぶりです。ナイル夫人」
「久しぶり、ルディ。ごめんなさい。貴方の事を無視してしまって」
「いえ。お構い無く」
「そう?所でルディ、リリィの様子はどう?」
奥様は私の方を一瞥し、ご主人様に尋ねる。
何だかどきどきする質問だ。
「しっかりやってくれていますよ。紅茶も美味しいですし」
「そうよね。仕事はうちのメイドでもずば抜けて手際が良いもの」
ご主人様の返答に奥様は口角を上げる。
批判を受けなくて安堵する反面、何だか気恥ずかしい気分になる。
「それに弄れば可愛いですし」
「にゃ!?」
だが直後に不意打ちを食らってしまう。
「だから言ったでしょ?絶対気に入るって」
「良きメイドをありがとうございます!」
「大事にするのよ!」
「はい!」
「何なんですか、もう‼」
勝手に盛り上がるご主人様達は私にはどうする事も出来なかった。
奥様が立ち去った後も、次々と来賓が現れる。それぞれが特徴的な方々ばかりであっという間に時間が過ぎた。
十二時を過ぎた頃、私達は昼食をとった。
本来は来賓も集めて一緒に食事をする所なのだが、来る人も来ていなかったりする状態なので貴族の方々には個人で食事を済ませていただいている。
「そう言えばリリィ」
食事中、ご主人様から声を掛けられる。
「はい」
「午後は五時まで特に予定はないから、街を廻らないか?」
ご主人様のお誘いに私は驚く。
「よ、よろしいのですか?」
「ああ。二時からイベントもあるし、せっかくの祭りなんだ、楽しもうぜ?」
ご主人様は子供の様に笑みを浮かべる。
「あ、はい!」
私はそんなご主人様の笑みを見て、少しだけ頬が熱くなったのを感じた。
外に出ると、街は賑わい色々な屋台が並んでいた。
普段の人混みに比べ圧倒的に人口数が多く、まるで街自体が動いているかの様に人の行き交いが激しかった。
「わぁぁ!」
「どうだ、凄いだろ?」
「はい!」
私はいつになく興奮していた。こんな祭りを見るのは何時ぶりだろうか。
「こっち来いよ!毎年大道芸人が来るんだけど凄くてさ!観に行こうぜ!?」
「はい!ってふぁああっ!」
同じように興奮しているご主人様が私の手を引き走り出す。
ご主人様の大きな手は私の手をすっぽりと包み、少々の温かさが私の手に伝わる。
「ご主人様、速いです!」
「心配すんな、合わせてるって!」
「合ってないから言っているんです!」
ご主人様に合わせて走っているせいで息が苦しくなる。
「ハハハ!」
だが、無邪気な子供の様にはしゃぐご主人様を見ると不思議と不快ではなかった。
走ったせいか分からないが、また頬が熱くなったのを感じた。
午後三時を過ぎた頃、多くの人々がワッペンを付けている事に気がついた。
「あの、ご主人様、皆さんの胸にワッペンが付いているのですが?」
「ああ。あれはこれから始まるイベントの参加章だな」
「参加章?」
そう言えば午後にはイベントがあると言っていた。
「前から気になっていたのですが、そのイベントって何ですか?」
「んん……、まあ、取り敢えず会場言ってみようぜ。その方が早い」
「は、はい。是非」
ご主人様は方向転換し、歩き出す。
この方角は街の中央広場だ。
ご主人様に付いていくと、中央広場に何やら多数の魔物娘達が集結していた。
「お、ちょうど始まるみたいだな」
広場の中央には朝礼台が用意されており、その上に実行委員の腕章を付けたサキュバスが上がった。
彼女は手持ちのマイクに電源を入れ、口に近づける。
『アー、テステス……良し。えー、皆さん長らくお待たせしました。私、実行委員長のシンディ・ローパーと申します』
実行委員長は自己紹介の後、一息吸って、
『夫が欲しいかああああああああああああ!!!!!!!!!』
「「「「「「おおおおおおおおおおおおおお !!!!!!!」」」」」
『結婚したいかああああああああああああ!!!!!!!!!』
「「「「「「おおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」」」」」
会場の魔物達の士気を高めた。
「ピャウ‼」
私はその勢いに気圧される。
「あ、あの、ご主人様、あれは?」
「クォート祭最大のイベント、人魔合同婚活イベントだ」
「こ、婚活ですか!?」
道理で魔物達がやる気を見せる訳である。
「クォートは人間と魔物の結婚が制限されているから、やっぱり不満を持つ魔物が多くてな。そんな魔物のために年に二回婚活イベントが設定されているんだ」
「二回、ですか?」
「ああ。今日、九月十日のクォート祭と大晦日だ」
「はあ」
「で、さっき何人かが付けていたワッペンだが、あれはさっき言った通りこの婚活イベントの参加章。つまり参加者だ。イベント参加者は異性の参加者に声を掛け、語り合い、相手を知り、『この人だ!』と決めた人と結婚する。この婚活イベントは申請を上げれば即結婚できる」
「即結婚……。でも、それだとご主人様は大変なのでは?」
ご主人様の仕事にはこの街の人口、特に既婚者の数の管理も入っている。こんなイベントを行えば仕事量も馬鹿にならないだろう。
「いや、この件については婚活イベントの実行委員会が管理してる。俺は実行委員が上げてくる最終的な参加者名簿と既婚者名簿に目を通して『確認しました〜』って判子押せば終わりだ。まあその名簿が文庫本並みに厚いんだが。特に参加者名簿が」
「…………そうですね」
何となく想像できる。
「まあ、こんなイベントだから他所からも未婚の魔物が寄ってくるんだよな。そう言えばお前ん所のお嬢様も一昨年くらいに参加した事があるぞ」
「そうなのですか?」
彼が言っているのは恐らくアンジェラお嬢様の事だろう。
「ああ。呆気なく敗れ去ったけどな」
「あ、ははは…………」
実にお嬢様らしい。
「あのお嬢様もこれで結婚出来なかったのに良く結婚出来たもんだ」
同感ではあるが決して口にしない。
「ご主人様は参加されないのですか?」
私の問いにご主人様はウーンと唸った。
「しても良いんだが、何分積極的な女性が多くてな。ガツガツ迫ってくる女は苦手だ」
「……はあ」
ご主人様の返答に、私は何故か安堵した。
「それに……」
ご主人様は頬を掻き、チラリとこちらを一瞥する。
「それに?」
「いや、何でもない。そう言うお前は参加しないのか?」
「む、無理です。倒れます」
正直、こんな殺気にも似た獲物狩りの空気に触れただけで体がぶるぶる震えている。
もし参加などすればどうなる事か。
「はは、そうだよな」
ご主人様は「リリィらしい」と呟き笑う。
「なら、もう用はないよな。もう一通り見た筈だし、帰るか」
「あ、はい」
ご主人様は踵を返し、私もそれに付いていった。
五時が過ぎ、パーティーの準備に取り掛かる。
屋敷のホールに机を並べ数々の料理を並べる。
準備にさほど時間はかからず、ほんの二十分で終った。
次に受付なのだが、こちらは料理人同様臨時で雇った役人を配置している。
しかしこの人物、実を言うとご主人様の元執事である。
「お坊っちゃま。お久しぶりでございます」
「ああ、バリー。久しぶり。悪いな、老体に鞭を打つような真似して」
「いえ、またお坊っちゃまにお仕えできる事になるとは、不肖バリー、感激の極みでございます」
「今晩限りだけどな。本当はリリィに任せたい所なんだが、こんなんだしな……」
ご主人様は目を細め私に視線を向ける。
「う、申し訳ございません……」
「そちらが例の?」
「ああ。ナイル家から借りてきたメイドのリリィだ」
「は、初めまして、ご主人様に仕える事ににゃりましたリリィと申しましゅ!」
……また噛んだ。
バリー様はキョトンとしている。
「……まあ、人と話す以外だったらバリーより腕は上だから心配すんな」
「さ、左様でございますか……」
ご主人様が弁明してくれているが今一信じられていないようだ。無理もないが。
六時。受付である。受付はバリー様に任せ、私はご主人様の着付けを手伝う。
正直、緊張する以外何もなかった。
七時。いよいよパーティーである。
「えっと、また付き添いでございますか?」
「そうですメイド様。また付き添いして頂きます」
ご主人様はまた人の事をからかう。
「おっと、来るぞ」
ご主人様の声に合わせてホールの入り口から多数の来賓が入ってくる。
「う、……緊張します」
「大丈夫だ。朝と同じようにしてれば良い」
そして、ご主人様は来賓に次々と挨拶していった。
パーティーは順調に進行していた。
だが、問題が無かった訳でもない。
それはそろそろ社交ダンスに差し掛かろうとしていた時間帯の事。
「お久しぶりです。ビルフォート殿」
「こちらこそ、ようこそ御出くださいました。フェイムズ殿」
ご主人様とフェイムズ様は握手を交わす。
フェイムズ様はとてもおとなしそうと言うか、人がよさそうなお方だった。
「この度はお父上の悲報、誠に残念にございます」
「父を悼んでくださり、誠にありがとうございます」
「…………」
だが、私は緊張が絶えなかった。
彼の後ろの、妻であるエルフの放つ空気が恐ろしく剣呑であったからだ。
「あなた、もう良いでしょう?行きましょう」
「マリー?」
マリーと呼ばれたエルフは夫の手を握る。
「これ以上、彼と話す必要はないと言っているの」
「……」
「ちょっと、何を言っているんだい?」
ご主人様はフェイムズ夫人に目を向けるなり、悟った。
彼女は自分を敵視している。
それは私にも分かった。理由は明らかだ。
「あなた知らないの?彼はダークエルフの血を引いているのよ!?」
「おい、マリー」
フェイムズ様は夫人を止めようとするが、彼女はそれでも止まらない。
「ダークエルフはエルフの道を外れた穢れた存在なの。例え人間と交わろうともそれは同じ。魔物に堕ちた私でもダークエルフと馴れ合う程落ちぶれてはいないわ!」
「…………」
フェイムズ夫人は激昂する。ただ、周りに迷惑が掛からない程度に声を押さえている辺り、理性は保っている様子だ。
エルフは高貴な種族。普段森から出ることはなく、他種族との交流は一切しない。それに対し他種族と積極的に接し、時には非道を行うダークエルフは彼女にとって確かに忌むべき存在だろう。
だが、言い過ぎではないだろうか。
ご主人様は俯いた。
「…………ご主人様?」
「だいたい、人間種の街で、何故ダークエルフが領主を名乗っているの?」
「…………っ!」
「マリー!」
「この街の領主は代々人間が就いている筈よ。なのに何故、そこにダークエルフが人間を装って街を納めているの?」
ご主人様は体を震わせる。
誰も気付かない程小さく。だが、私は気付いた。
「本当に信じられないわね。ダークエルフをめとるなんて」
それは、誰かと聞くまでもない。彼のお父様の事だ。
そして、フェイムズ夫人は吐き捨てる様に続けた。
今度は彼に向けて。
「穢らわしい」
「ーーーーっ!」
ご主人様は顔を背けた。
その時、私は目の当たりにした。
ご主人様の悲痛な表情を、追い詰められた子供の様な怯えた様子を。
僅かに滲み出た涙を。
私はフェイムズ夫人に一歩、踏み出した。
「取り消してください‼」
「ーーーー!」
「……リリィ?」
その時、ホール中が静まった。
訪れた静寂の中、私に注目が集まる。
だが、不思議と気にならなかった。
「貴女がダークエルフを嫌うのは分かります。エルフとはそう言うものなのでしょう。ですが、さすがに言い過ぎだとは思わないのですか?」
「な、何よ貴女……」
フェイムズ夫人は息を呑む。
「貴女は自分の今の言動を恥ずべきものだと思わないのですか?」
「リリィ、よせ」
ご主人様は私を止めようと手を掴む。
「嫌です」
だが、私はそれを振り払った。
「主を愚弄されるのを黙って見ていろと言うのですか!?」
「ーーーー!」
私はフェイムズ夫人に向き直り、胸に沸き上がる衝動を言葉にして放つ。
「ご主人様が今、どれ程苦しんでいるか分かりますか?」
「……五月蝿い」
「貴女の口にした言葉が、どれ程ご主人様を傷付けたか分かりますか!?」
「五月蝿い」
夫人は叫び、後ろに下がろうとする。だが私は彼女の腕を掴み、阻止する。
「貴女は自分が思っている以上に彼の心を傷つけました」
「五月蝿い‼」
「貴女は、ご自分を本当に高潔なエルフ属だとお思いですか?」
「ーーな!」
「私からすれば、貴女は高潔なエルフなんかではありません!貴女は人の抱える闇を、傷を、平気で抉る非情で醜悪な怪物と何も変わりません!」
「だ、黙れぇ‼」
夫人は私に拘束された手をほどき、私の頬を叩く。
彼女は度しがたい怒りを込めた視線を、私に向ける。
私は頬の痛みなどお構いなしに、それに対し静かに睨み返した。
「馬鹿、マリー‼」
フェイムズ様は夫人の肩を掴み、私から引き離す。
「…………」
「…………」
緊迫した状況が続く。
私は彼女から視線を外しご主人様を連れてその場を離れる。
「おい、リリィ……」
「ご主人様、一時お部屋でお休みください。気分が落ち着けるよう、お茶とお香もご用意します」
「……」
私は立ち去りながら、声を張り上げる。
「来賓の皆様、お騒がせして申し訳ございません!どうぞ引き続きパーティーをお楽しみください!」
私達が立ち去ると同時に、奏者による演奏が再開された。だが、先程の空気が払拭されることはなかった。
さらに世界の魔界化が進んでいるために段々とこの街の空にも赤暗い雲が覆うのだが、それはもう晴れの部類だ。
つまり本日は絶好のお祭り日和である。
「ご、ご主人様!」
「分かってる、予算だろ?ちょっと待て!」
「それと本日のパーティーの件なのですが……」
「人数増えるから飯の量増やせってやつだろ?そっちも待て!」
だがその日。特に祭りが始まる直前、街を治める領主はかなり忙しい。
ついでに私も忙しい。
本日は街の建設記念日。よって年に一度のクォート祭なる物が開催される。
やることは午後に大きなイベントがあるだけで他は一般の祭りと大して変わらない。
その大きなイベントと言うのは、私もまだ知らない。先日、人間、魔物問わず街の住人が大々的に参加するらしいと話に聞いたが、それ以外は一切内容を把握していない。
「リリィ、この書類を実行委員会に持っていってくれ!ついでに臨時で雇った料理人にも食料の調達を頼んで来てくれ!」
「は、はい!畏まりました!」
ご主人様の切迫した声に頷き、要件を済ませる。
これが数回続いていた。
祭りは午前九時から行われる。その為起床も六時に繰り上げ、起き上がりからこの状態である。
クォート祭開催式では領主として開催の宣告をしなければならない。中々忙しい限りだ。
開催式が近付いた頃、やっと束の間の暇が訪れる。
私はご主人様に紅茶をお出しした。
「どうぞ」
「おう、ありがとな」
ご主人様は紅茶を一口飲むと大きく溜め息を吐いた。
「はあぁ、朝っぱらから忙しすぎだろぉ」
「お疲れ様です、ご主人様」
「ああ、リリィ、祭り中は来賓の挨拶があっから付き添いを頼む」
「つ、付き添いですか!?」
「ああ。って言ってもただ側に居るだけで良い。お前に話を振られても俺が対処するから、お前はお辞儀だけすれば良いだけだ」
「は、はい。畏まりました」
お辞儀をする私を一瞥しながらご主人様は時計を確認した。
「……そろそろか。行くぞ」
ご主人様はいかにもだるそうに腰を上げた。
開催式と言っても、特にこれと言った礼式はない。ご主人様が一言二言言って祭りは開催された。
私達は一度屋敷に戻っていた。
これから来賓に挨拶をする。場所はこのビルフォート邸宅前である。
「これはこれは。ビルフォート殿。お久しゅうございます」
「お久しぶりです。グラウディク殿。そちらはご夫人でいらっしゃいますね?お初にお目に掛かります」
「……!」
普段のご主人様とうって変わり、礼儀正しく挨拶する。貴族なら当たり前の態度なのだが、正直意外だ。
「初めまして、ビルフォート殿」
最初の来賓は随分な巨漢とメドゥーサの夫婦だった。
この街には魔物が居ない訳ではないのだが、やはりこの街で魔物の夫婦を目にすると感慨深いものがある。
「先日お父上が亡くなられた様で、ご哀傷をお察しいたします。我々グラウディク家もお父上にはお世話になっていたので大変心苦しゅうございます。もし困った事があれば我々も是非、力になります」
グラウディク様は胸に手をあて言う。見た感じ良い人そうだ。
ご主人様はお父上の話に微妙な表情を見せたが、浮かべた笑みを絶やさず返答した。
「そう仰って頂けるとありがたいです。ささ、どうぞ祭りを楽しんで行って下さい。パーティーは午後の七時からとなります。ご出席をお待ちしております」
「はい。ではまた」
二人は笑みを浮かべ、そのまま去っていった。
「何だか良い人そうですね」
「……お前にはそう見えるか?」
私の呟きにご主人様は溜め息混じりに問う。
「はい?」
「グラウディクの旦那は確かに親父との付き合いが長かったが、その実交流は少ないしそこまで親しい間柄じゃない。しかも大抵が意味不明な商談だったり唐突な見合い話だったりそのどれもが下心丸見えの利益目的だ。親父は大のお人好しだったからまあまあ聞き入れたりはしたけど、良い印象はないな。今回も親父が死んだから俺に目付けて恩を着せようとでも思ってんだろ」
「…………そうですか」
あまりそう言った話には関わった事がないので分からないのだが、貴族のやり取りと言うのは恐いものだ。
「……あれさ、お前の所の奥様じゃね?」
「ふぇ!?」
私は門から入ってくる人影を凝視した。
赤と黒を基調としたドレスと貴族然とした立ち振舞い、そして日傘を差し日光を極力浴びないその姿は一目でヴァンパイアだと分かる。
私の元々の主、カイラ奥様その人だ。
「お、奥様!?」
「リリィ、久しぶり!元気にしてた?」
「お、お久しぶりです!げ、元気です!」
気さくに話し掛ける奥様に慌ててお辞儀する。久しぶりの会合で臨時勤務前の様な姿勢が取れない。
「ふふ、相変わらず良く慌てる娘だわ」
奥様は何処か安堵した様子で笑う。
その後奥様はご主人様に向き直った。
「お久しぶりです。ナイル夫人」
「久しぶり、ルディ。ごめんなさい。貴方の事を無視してしまって」
「いえ。お構い無く」
「そう?所でルディ、リリィの様子はどう?」
奥様は私の方を一瞥し、ご主人様に尋ねる。
何だかどきどきする質問だ。
「しっかりやってくれていますよ。紅茶も美味しいですし」
「そうよね。仕事はうちのメイドでもずば抜けて手際が良いもの」
ご主人様の返答に奥様は口角を上げる。
批判を受けなくて安堵する反面、何だか気恥ずかしい気分になる。
「それに弄れば可愛いですし」
「にゃ!?」
だが直後に不意打ちを食らってしまう。
「だから言ったでしょ?絶対気に入るって」
「良きメイドをありがとうございます!」
「大事にするのよ!」
「はい!」
「何なんですか、もう‼」
勝手に盛り上がるご主人様達は私にはどうする事も出来なかった。
奥様が立ち去った後も、次々と来賓が現れる。それぞれが特徴的な方々ばかりであっという間に時間が過ぎた。
十二時を過ぎた頃、私達は昼食をとった。
本来は来賓も集めて一緒に食事をする所なのだが、来る人も来ていなかったりする状態なので貴族の方々には個人で食事を済ませていただいている。
「そう言えばリリィ」
食事中、ご主人様から声を掛けられる。
「はい」
「午後は五時まで特に予定はないから、街を廻らないか?」
ご主人様のお誘いに私は驚く。
「よ、よろしいのですか?」
「ああ。二時からイベントもあるし、せっかくの祭りなんだ、楽しもうぜ?」
ご主人様は子供の様に笑みを浮かべる。
「あ、はい!」
私はそんなご主人様の笑みを見て、少しだけ頬が熱くなったのを感じた。
外に出ると、街は賑わい色々な屋台が並んでいた。
普段の人混みに比べ圧倒的に人口数が多く、まるで街自体が動いているかの様に人の行き交いが激しかった。
「わぁぁ!」
「どうだ、凄いだろ?」
「はい!」
私はいつになく興奮していた。こんな祭りを見るのは何時ぶりだろうか。
「こっち来いよ!毎年大道芸人が来るんだけど凄くてさ!観に行こうぜ!?」
「はい!ってふぁああっ!」
同じように興奮しているご主人様が私の手を引き走り出す。
ご主人様の大きな手は私の手をすっぽりと包み、少々の温かさが私の手に伝わる。
「ご主人様、速いです!」
「心配すんな、合わせてるって!」
「合ってないから言っているんです!」
ご主人様に合わせて走っているせいで息が苦しくなる。
「ハハハ!」
だが、無邪気な子供の様にはしゃぐご主人様を見ると不思議と不快ではなかった。
走ったせいか分からないが、また頬が熱くなったのを感じた。
午後三時を過ぎた頃、多くの人々がワッペンを付けている事に気がついた。
「あの、ご主人様、皆さんの胸にワッペンが付いているのですが?」
「ああ。あれはこれから始まるイベントの参加章だな」
「参加章?」
そう言えば午後にはイベントがあると言っていた。
「前から気になっていたのですが、そのイベントって何ですか?」
「んん……、まあ、取り敢えず会場言ってみようぜ。その方が早い」
「は、はい。是非」
ご主人様は方向転換し、歩き出す。
この方角は街の中央広場だ。
ご主人様に付いていくと、中央広場に何やら多数の魔物娘達が集結していた。
「お、ちょうど始まるみたいだな」
広場の中央には朝礼台が用意されており、その上に実行委員の腕章を付けたサキュバスが上がった。
彼女は手持ちのマイクに電源を入れ、口に近づける。
『アー、テステス……良し。えー、皆さん長らくお待たせしました。私、実行委員長のシンディ・ローパーと申します』
実行委員長は自己紹介の後、一息吸って、
『夫が欲しいかああああああああああああ!!!!!!!!!』
「「「「「「おおおおおおおおおおおおおお !!!!!!!」」」」」
『結婚したいかああああああああああああ!!!!!!!!!』
「「「「「「おおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」」」」」
会場の魔物達の士気を高めた。
「ピャウ‼」
私はその勢いに気圧される。
「あ、あの、ご主人様、あれは?」
「クォート祭最大のイベント、人魔合同婚活イベントだ」
「こ、婚活ですか!?」
道理で魔物達がやる気を見せる訳である。
「クォートは人間と魔物の結婚が制限されているから、やっぱり不満を持つ魔物が多くてな。そんな魔物のために年に二回婚活イベントが設定されているんだ」
「二回、ですか?」
「ああ。今日、九月十日のクォート祭と大晦日だ」
「はあ」
「で、さっき何人かが付けていたワッペンだが、あれはさっき言った通りこの婚活イベントの参加章。つまり参加者だ。イベント参加者は異性の参加者に声を掛け、語り合い、相手を知り、『この人だ!』と決めた人と結婚する。この婚活イベントは申請を上げれば即結婚できる」
「即結婚……。でも、それだとご主人様は大変なのでは?」
ご主人様の仕事にはこの街の人口、特に既婚者の数の管理も入っている。こんなイベントを行えば仕事量も馬鹿にならないだろう。
「いや、この件については婚活イベントの実行委員会が管理してる。俺は実行委員が上げてくる最終的な参加者名簿と既婚者名簿に目を通して『確認しました〜』って判子押せば終わりだ。まあその名簿が文庫本並みに厚いんだが。特に参加者名簿が」
「…………そうですね」
何となく想像できる。
「まあ、こんなイベントだから他所からも未婚の魔物が寄ってくるんだよな。そう言えばお前ん所のお嬢様も一昨年くらいに参加した事があるぞ」
「そうなのですか?」
彼が言っているのは恐らくアンジェラお嬢様の事だろう。
「ああ。呆気なく敗れ去ったけどな」
「あ、ははは…………」
実にお嬢様らしい。
「あのお嬢様もこれで結婚出来なかったのに良く結婚出来たもんだ」
同感ではあるが決して口にしない。
「ご主人様は参加されないのですか?」
私の問いにご主人様はウーンと唸った。
「しても良いんだが、何分積極的な女性が多くてな。ガツガツ迫ってくる女は苦手だ」
「……はあ」
ご主人様の返答に、私は何故か安堵した。
「それに……」
ご主人様は頬を掻き、チラリとこちらを一瞥する。
「それに?」
「いや、何でもない。そう言うお前は参加しないのか?」
「む、無理です。倒れます」
正直、こんな殺気にも似た獲物狩りの空気に触れただけで体がぶるぶる震えている。
もし参加などすればどうなる事か。
「はは、そうだよな」
ご主人様は「リリィらしい」と呟き笑う。
「なら、もう用はないよな。もう一通り見た筈だし、帰るか」
「あ、はい」
ご主人様は踵を返し、私もそれに付いていった。
五時が過ぎ、パーティーの準備に取り掛かる。
屋敷のホールに机を並べ数々の料理を並べる。
準備にさほど時間はかからず、ほんの二十分で終った。
次に受付なのだが、こちらは料理人同様臨時で雇った役人を配置している。
しかしこの人物、実を言うとご主人様の元執事である。
「お坊っちゃま。お久しぶりでございます」
「ああ、バリー。久しぶり。悪いな、老体に鞭を打つような真似して」
「いえ、またお坊っちゃまにお仕えできる事になるとは、不肖バリー、感激の極みでございます」
「今晩限りだけどな。本当はリリィに任せたい所なんだが、こんなんだしな……」
ご主人様は目を細め私に視線を向ける。
「う、申し訳ございません……」
「そちらが例の?」
「ああ。ナイル家から借りてきたメイドのリリィだ」
「は、初めまして、ご主人様に仕える事ににゃりましたリリィと申しましゅ!」
……また噛んだ。
バリー様はキョトンとしている。
「……まあ、人と話す以外だったらバリーより腕は上だから心配すんな」
「さ、左様でございますか……」
ご主人様が弁明してくれているが今一信じられていないようだ。無理もないが。
六時。受付である。受付はバリー様に任せ、私はご主人様の着付けを手伝う。
正直、緊張する以外何もなかった。
七時。いよいよパーティーである。
「えっと、また付き添いでございますか?」
「そうですメイド様。また付き添いして頂きます」
ご主人様はまた人の事をからかう。
「おっと、来るぞ」
ご主人様の声に合わせてホールの入り口から多数の来賓が入ってくる。
「う、……緊張します」
「大丈夫だ。朝と同じようにしてれば良い」
そして、ご主人様は来賓に次々と挨拶していった。
パーティーは順調に進行していた。
だが、問題が無かった訳でもない。
それはそろそろ社交ダンスに差し掛かろうとしていた時間帯の事。
「お久しぶりです。ビルフォート殿」
「こちらこそ、ようこそ御出くださいました。フェイムズ殿」
ご主人様とフェイムズ様は握手を交わす。
フェイムズ様はとてもおとなしそうと言うか、人がよさそうなお方だった。
「この度はお父上の悲報、誠に残念にございます」
「父を悼んでくださり、誠にありがとうございます」
「…………」
だが、私は緊張が絶えなかった。
彼の後ろの、妻であるエルフの放つ空気が恐ろしく剣呑であったからだ。
「あなた、もう良いでしょう?行きましょう」
「マリー?」
マリーと呼ばれたエルフは夫の手を握る。
「これ以上、彼と話す必要はないと言っているの」
「……」
「ちょっと、何を言っているんだい?」
ご主人様はフェイムズ夫人に目を向けるなり、悟った。
彼女は自分を敵視している。
それは私にも分かった。理由は明らかだ。
「あなた知らないの?彼はダークエルフの血を引いているのよ!?」
「おい、マリー」
フェイムズ様は夫人を止めようとするが、彼女はそれでも止まらない。
「ダークエルフはエルフの道を外れた穢れた存在なの。例え人間と交わろうともそれは同じ。魔物に堕ちた私でもダークエルフと馴れ合う程落ちぶれてはいないわ!」
「…………」
フェイムズ夫人は激昂する。ただ、周りに迷惑が掛からない程度に声を押さえている辺り、理性は保っている様子だ。
エルフは高貴な種族。普段森から出ることはなく、他種族との交流は一切しない。それに対し他種族と積極的に接し、時には非道を行うダークエルフは彼女にとって確かに忌むべき存在だろう。
だが、言い過ぎではないだろうか。
ご主人様は俯いた。
「…………ご主人様?」
「だいたい、人間種の街で、何故ダークエルフが領主を名乗っているの?」
「…………っ!」
「マリー!」
「この街の領主は代々人間が就いている筈よ。なのに何故、そこにダークエルフが人間を装って街を納めているの?」
ご主人様は体を震わせる。
誰も気付かない程小さく。だが、私は気付いた。
「本当に信じられないわね。ダークエルフをめとるなんて」
それは、誰かと聞くまでもない。彼のお父様の事だ。
そして、フェイムズ夫人は吐き捨てる様に続けた。
今度は彼に向けて。
「穢らわしい」
「ーーーーっ!」
ご主人様は顔を背けた。
その時、私は目の当たりにした。
ご主人様の悲痛な表情を、追い詰められた子供の様な怯えた様子を。
僅かに滲み出た涙を。
私はフェイムズ夫人に一歩、踏み出した。
「取り消してください‼」
「ーーーー!」
「……リリィ?」
その時、ホール中が静まった。
訪れた静寂の中、私に注目が集まる。
だが、不思議と気にならなかった。
「貴女がダークエルフを嫌うのは分かります。エルフとはそう言うものなのでしょう。ですが、さすがに言い過ぎだとは思わないのですか?」
「な、何よ貴女……」
フェイムズ夫人は息を呑む。
「貴女は自分の今の言動を恥ずべきものだと思わないのですか?」
「リリィ、よせ」
ご主人様は私を止めようと手を掴む。
「嫌です」
だが、私はそれを振り払った。
「主を愚弄されるのを黙って見ていろと言うのですか!?」
「ーーーー!」
私はフェイムズ夫人に向き直り、胸に沸き上がる衝動を言葉にして放つ。
「ご主人様が今、どれ程苦しんでいるか分かりますか?」
「……五月蝿い」
「貴女の口にした言葉が、どれ程ご主人様を傷付けたか分かりますか!?」
「五月蝿い」
夫人は叫び、後ろに下がろうとする。だが私は彼女の腕を掴み、阻止する。
「貴女は自分が思っている以上に彼の心を傷つけました」
「五月蝿い‼」
「貴女は、ご自分を本当に高潔なエルフ属だとお思いですか?」
「ーーな!」
「私からすれば、貴女は高潔なエルフなんかではありません!貴女は人の抱える闇を、傷を、平気で抉る非情で醜悪な怪物と何も変わりません!」
「だ、黙れぇ‼」
夫人は私に拘束された手をほどき、私の頬を叩く。
彼女は度しがたい怒りを込めた視線を、私に向ける。
私は頬の痛みなどお構いなしに、それに対し静かに睨み返した。
「馬鹿、マリー‼」
フェイムズ様は夫人の肩を掴み、私から引き離す。
「…………」
「…………」
緊迫した状況が続く。
私は彼女から視線を外しご主人様を連れてその場を離れる。
「おい、リリィ……」
「ご主人様、一時お部屋でお休みください。気分が落ち着けるよう、お茶とお香もご用意します」
「……」
私は立ち去りながら、声を張り上げる。
「来賓の皆様、お騒がせして申し訳ございません!どうぞ引き続きパーティーをお楽しみください!」
私達が立ち去ると同時に、奏者による演奏が再開された。だが、先程の空気が払拭されることはなかった。
16/01/12 20:51更新 / アスク
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