連載小説
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桃とすね毛
「旦那様。美味しそうな桃を参拝客の方からもろうたので、よければ一緒に召し上がりませんか?」
山田利一が自宅のリビングで仕事用の資料を整理していると、春代が声をかけてきた。
時刻は午後三時を少し過ぎたころ。こちらの進捗具合をさりげなく見つつ、タイミングを見計らってくれていたのであろう。妻の優しさと厚意を嬉しく思いながら返事をする。
「ちょうど一段落着いたところだったし、そうしようかな。用意してもらえる?」
「はい。すぐに用意するんでお待ちください。」
「急がなくていいからねえ。」
「ふふ、分かっちょりますよぉ〜。」
浮き浮きとキッチンへと向かう妻の後姿を見つつ、同じ姿勢を続けて凝り固まった体を伸ばしながら資料を片付け、利一は机の上を整理した。

「いただきます。」
「いただきます。」
二人の間に、綺麗に皮をむき切られた桃がガラスの器に盛られている。
部屋に広がる芳醇な香りに食べる前から思わず頬をほころばせつつ、隣合って座った妻と手を合わせ食事の挨拶を交わした。そして用意されたフォークで桃の一切れを取り頬張る。瑞々しい果実の甘みと酸味が口一杯に広がり、一噛みごとにじゅわりと沁みだす果汁が乾いた喉を癒してくれる。切る直前まで冷蔵庫で冷やされていたのであろう、ひんやりとした桃の心地よさが食欲を刺激する。丁寧に咀嚼し、たっぷりと味わいほうっと感嘆の息を漏らした。
「ああ、これは美味しいねえ。」
「ええ。本当に。」
二人で顔を見合わせ、にっこりと笑い合う。
小さな口で品良く桃を咀嚼しながら、嬉しそうに微笑む妻の姿を眺めると、余計に桃が美味しく感じて仕方がない。そんな幸せをもっと味わいたくて、利一は一切れ桃を取り口に放り込む。

「なんやえらい賞をもらった人気のある果樹園の桃らしいんですが、評判通りの美味しさですねえ〜。」
「ただ甘いだけじゃなくて酸味が絶妙だ。」
「おかげで後味がさっぱりして、食べる手が止まらへんです。」
「夏は色んな果物が美味しいけど、やっぱり桃はいいなあ。」
「まさに夏の風物詩ですね〜。どんなに良い桃でも、やっぱり夏のこの時期に食べるんが、一番美味しゅう感じます。」
「そうだね。用意してくれてありがとう。」
「こうして旦那様と一緒に食べるんが、うちにとってなによりです。」
再び二人で微笑み合い、色々な話を交わしながらゆっくりと桃を味わった。


「そういえば…」
「はい?」
そんな会話の途中で、ふと春代に尋ねてみようと考えていたことを思い出した。
「いや、春代に聞いてみようと思ったことがあってね。」
「ふふ。旦那様がうちに聞きたいこと…なんやろなあ。」
「まあ、そんな大したことじゃないんだけど…。」
「なんであっても、旦那様と話せるならうちは嬉しいですよ。」
「春代ってさ…すね毛ってどう思う?」
「はい?すね毛って足の毛の…?」
さしもの春代も、一瞬ぽかんと呆けていたが、すぐに可愛らしく小首をかしげ怪訝な表情を浮かべた。
「そう、そのすね毛だよ。」
「はあ。」

話は少し前に遡る。
日頃取引のある出版社の社員さんたちと話をしていた時に、確か夏らしく海水浴などの話からだったと思うが、夏場になると肌の露出が増えるという流れで、ムダ毛処理の話になった。利一はそう体毛が濃い体質ではないこともあって、髭や鼻毛など必要最低限の処理はきちんとしているが、他の場所の脱毛処理はしておらず、それを随分と驚かれてしまった。処理に余念がないというつるつるの足を見せてくれた年下の男性社員さんは、奥さんにどう思うか是非聞いてみた方がいいですよと力説した。
「まあ、そういうわけで…春代はどう思ってるのかなあって。」
「はあ、なるほど。」
「調べてみたら、まあ剃ったり、クリームで脱毛したり色々あるみたいだし…春代がその、すね毛が生えているのが嫌だったら脱毛してみようかなあって思ってね。」
「うちは…」
しばらく考えていた春代は、まっすぐに利一を見ながら口を開いた。
「無理に脱毛せえへんでもええと…思いますよ。」
「つるつるの足じゃなくて、いいの?」
「うちはほら、足が無いやないですか。」
妻がそっと自身の美しい蛇の下半身を撫でる。
「だから自分にはない旦那様の足って、とってもセクシーに感じるというか。」
「ああ、僕が春代の尻尾にすごく惹かれるのと…」
「それと近い感情やと思います。だからこそありのままというか、すね毛が生えているワイルドな、男らしい感じがとってもええなあって思ったりするんです。」
春代のいうことがすとん腑に落ちた。
「ただ…」
「ただ?」
「うちの嘘偽りない気持ちではあるんですが、それも建前というかなんというか…」
何故か春代は頬をうっすらと染め、手をもじもじとさせながら潤んだ目で利一をじっと見つめる。
「建前?」

「ええ。ムダ毛処理する時間があるなら…その時間でうちを愛してほしいなあって思うんです。はい。」

俯く妻から感染したようにぽっと利一の頬が熱くなる。
周りがどうかは別として、最愛の妻がよしとするならば、そのままでいいのだろう。男性社員の彼がいうように、聞いてみてよかった。なにより改めて春代を愛おしく思い、その気持ちを伝えるためそっと妻の手を取った。

「じゃあ、今から愛していい?」
「はい、勿論です♡」

口づけた妻の唇は、ほんのり桃の甘い香りがした。


20/09/12 09:00更新 / 松崎 ノス
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■作者メッセージ
昔、変につるつるな男の足は気持ち悪いっていう考えの女性と、部屋が汚れないしムダ毛処理はマナーだという考えの女性が意見をぶつける場に遭遇したことがありまして、ふっとそれを思い出し、魔物娘、特にラミア種のように足を持たない彼女たちはどんな風に考えるのかなあと妄想しこんな話ができました。

あとは美味しい物を魔物娘さんと一緒に食べたい(笑)。

相変わらずへんてこりんな話ですが、最後まで読んでいただきありがとうございました!

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