連載小説
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事故
 ウーズラ・ボナークは今まさに幸福の絶頂にあった。
胸に感じるたおやかな肉のうねり、うなじから届く華やかな香り。
触れてみるとわかる華奢な中にも秘められたしなやかな強靭さ。
オラシオ・デルキャンタの肢体をこうして腕に抱く事ができるだなんて考えた事もなかった。
二人は同じ学園に所属する生徒だった。
それしか接点はなかった。いや、学園の憧れの的であるオラシオと学園ヒラエルキー最下層のウーズラとでは王族と下民ほど身分に隔たりがあった。
ウーズラ・ボナークは背が低い。
馬に乗るときにあぶみに足が届かず、乗馬を断念するほどの短躯に「カエル」と同級生から揶揄される顔が乗っている。
自分でも似ていると思う、人によっては愛嬌があると称してくれる時もあるが……。
成績はそこそこだが、本番の弱さが災いしてやはり下から数えた方が早い。
対してオラシオ・デルキャンタは美しい女生徒だった。
高貴な出身に相応しい美貌と立ち居振る舞い。それでいて村娘のような快活さと親しみやすさも兼ね備えた彼女は生徒からも教師からも人気が高い。
加えてあの「ソラン・ストーサー」の再来と言われる武才を秘めている。
そんな彼女に自分が触れるどころか密着できるとは僥倖以外のなにものでもない。
しかしそんな僥倖の中にあってウーズラの胸中は苦渋に満ちていた。
これがベッドの上であったらどれだけ嬉しいだろう。いや、たまたまぶつかって訪れたハプニングでもいい。しかし、今の状況は。
「ウーズラ君、大丈夫?」
背負っている自分を気遣って振り返る彼女のトレードマークのポニーテール。
いつも動物の尻尾のようにチャーミングに跳ねるそれは雨に濡れてべったりとうなじに張り付いている。
そしてこめかみに流れる雨の水滴に混じる一筋の赤い血。
「だっ……大丈夫っす……もう、もう平気っすから、歩けるっすから」
ウーズラは空元気を出したが、実際右足首は熱を持ち、ジンジンと痛みが伝わってくる。
「さっきもそう言うから下ろしたらひょこひょこ歩きしてたのはどちらさんかな?」
「う……」
そう言うとよいしょ、とウーズラを背負い直して歩き始める。
「す……すいません……」
「本当よ、もう……あなたのせいなんだからね、帰ったらそうだね……食堂でラズベリーケーキ奢ってよ、一年分、あ、待って、日替わりケーキ一年分の方がお得かな」
オラシオは軽い口調で言う、しかし事態はその口調程軽いものでないことは二人共わかっている。
いつもの野外での魔法講習。
魔法は周囲の環境に大きく影響を受けるため、あらゆるロケーションを経験しておく事が重要だ。
今回は雨の山中での講習となった。
そんな中、得意でない魔法に四苦八苦するウーズラが放った火球魔法が的を逸れてあらぬ方向に飛び、地面に着弾した。
同級生たちの笑い声はすぐにざわめきに変わった。
地響き。
雨で緩んだ地盤が衝撃を受けて土砂崩れを起こしたのだ。
他の生徒達は離れていたため危険に晒される事はなかったが、当事者であるウーズラ一人が雪崩れ落ちる土砂の真下に位置していた。
あっ、と皆が思った。思うしかできなかった。
他の生徒に教えていた監修の教師は距離が遠すぎた。
皆がただウーズラの小柄な影が土砂に襲われるのを固まって見ていることしかできない。
時が止まってしまったような空間の中を物凄い速度でウーズラに向かって走る影があった。
教官に「牝鹿のよう」と称された瞬発力で生徒達の頭上を軽々飛び越えたオラシオは呆然と立つウーズラの横腹にタックルをし、降り注ぐ大岩を回避する。
しかし土砂崩れは連鎖的に大きくなり。二人は転がりながら山の崖下に大量の土砂と共に転落していったのだった。
気を失っていたウーズラが顔に降り注ぐ雨粒に覚醒すると右足に激痛が走った。
見てみるとその足にずぶ濡れのオラシオが必死に回復魔法をかけている。
あれ程の災害に見舞われてその程度の怪我で済んだのは彼女が咄嗟に発動した防御魔法のお陰だったが、緊急過ぎてカバーしきれなかったらしい。
困り顔で「回復魔法だけは苦手なんだゴメン」と笑う彼女にウーズラは一人で救援を呼びに行って欲しいと言ったが、その要求は当然のように突っぱねられた。
「……」
「そんな沈痛な顔しないの」
背負っている相手の表情など見えるはずもないが、オラシオの言う通りの表情をウーズラはしていた。
「お……俺の、俺のミスっす……そのミスで死にかけて、助けてもらってこうして迷惑を……」
「んー……」
オラシオは何も言わない、ウーズラはますます不安になる。
「あの……」
「ねえ、別の話しない?」
「え?」
「ウーズラ君とこうして話すの初めてだしさ」
言われて気付く、自分の名前を覚えていてくれたのかと。
一つのクラスはかなり人数が多いのでてっきりこちらしか名前を知らないものかと思っていた。
多分これは彼女の気遣いだろう、自分を責めないようにとこの事態から気を逸らそうとしてくれている。
しかしここで気の利いた会話の一つでも交わせるようならウーズラはクラスから浮いてない訳で。
「ええと……は、話しっていってもその……ええと……」
「そうだね……ウーズラ君は」
と、何かを言おうとしたオラシオは黙り込んだ。
「オラシ……?」
どうしたのか、と問いかけようとしたウーズラはその背中から伝わる緊迫感に黙り込む。
「ああ……折角いい雰囲気になりそうだったのになあ……」
よくわからない事を呟くとオラシオはウーズラを大きな木の影に隠すように下ろした。
「オ、オラシオさん……?」
「……元気でね」
目尻の下がった少し寂しそうな笑顔を見せてオラシオは言った。
その時になってウーズラも気付いて思わず周囲を見回した。
姿は見えない、しかし森の中に複数の気配があるのがわかる。それらはまるで二人を囲むかのように蠢いている。
視線を戻した時、ウーズラは何かを言おうとして何も言えなかった。
オラシオの顔に既に先程の笑みはなく、神話に語られる戦乙女を思わせる冷たい顔が張り付いていたからだ。
ぐい、とこめかみの血を拭うとオラシオは腰の剣を抜いた。
「待っ……!」
オラシオの考えを察したウーズラが呼び止める前にその姿は飛び跳ねるように森の中へ消えて行った。







 山中で起きた講習中の崩落事故から一ヶ月後。
学園の生徒達は浮き足立って一人の生徒の帰還を心待ちにしてた。
オラシオ・デルキャンタ
あの事故で消息を絶った二人の生徒の一人。
必死の捜索の結果、事件から一週間後に二人は山中にて身柄を確保された。
その喜ばしい知らせは学園にすぐに知らされ、全生徒が彼女の復学を心待ちにしていたのだ。
「あっ……来た!」
一人の女生徒の声をきっかけにクラスの全生徒が講義室を出て廊下に彼女を迎えに出た。
彼女の無事を目で確かめるため、復学おめでとうの声を掛けるため、あるいは消息を絶っていた間の武勇伝を聞くため。
しかし迎えに出た生徒達はその姿を目にした瞬間一様に身を竦ませて足を止めた。
ポニーテールを揺らして廊下を歩くのはオラシオ・デルキャンタその人に違いない。
しかし、彼女の全身から今までの学園生活で一度も見せたことのないものが溢れ出ていた。
怒気。
機嫌が悪い、とかそういうレベルではない。苛烈な怒り。
目尻は釣り上がり、口元は引き締められ、その目にほとばしるような怒りをみなぎらせたその顔はいつも朗らかな彼女からは想像もつかない表情だった。
囲もうとしていた生徒達は自然に彼女の進路から身を退け、割れるように道ができる。
その道をオラシオは周囲の生徒達が目に入らないかのように歩く。
向かう先は学園の理事長室。







 コン、コン、コン、
理事室の扉がノックされる。
「どうぞ」
日の差し込む理事室は学園でもっとも大きく、豪奢な作りになっている。
椅子に座る年若い女性理事長はそのノックが来ることを予測していたかのように応えた。
「失礼します」
一礼して入ってきたのは一人の女生徒、オラシオ・デルキャンタ
理事長は眼鏡の奥の冷たい目で静かに怒りを燃やす女生徒を見る。
顔を上げてオラシオも見返す。
「復学おめでとう、オラシオさん」
「ありがとうございます」
理事長は非常に美しい。しかしどこか機械的で冷たい印象を与える笑顔で生徒を祝った。
オラシオは目に火を灯したまま答える。
「さて、挨拶をしに来ただけという訳ではなさそうですが?」
「質問があります」
背筋を伸ばし、オラシオは射抜くような視線で理事長を見据えながら言う。
「何かしら」
「今回、私と共に救助されたもう一人の生徒に対する処遇はどういった経緯で成されたものなのでしょうか」
「ああ……」
カチャ、と眼鏡を直すと理事長は手元にあらかじめ用意してあった資料に目を落とす。
「ウーズラ・ボナークの事ですか」
「……終身刑とは、どういう事でしょう」
震えそうになるのを堪えた声でオラシオは言う。
「強姦未遂に対しては温情のある判決と言えますね。本来は極刑が妥当ですから」
ウーズラ・ボナーク
同級生オラシオ・デルキャンタを自らの失敗によって起こった事故に見せかけて拉致。
一週間に渡る監禁の末、強姦に及ばんとする。
下された判決は終身刑。
オラシオは「あの」一週間の後丸三日間眠り続け、養成にもう半月の時間を要した。
しかしその間誰に問うてもウーズラの所在や処遇を教えてもらう事はできなかった。
処遇を知らされたのは復学の直前、学校でならば再会できるであろうと期待していた昨晩だった。
「どんな確証があって有罪判決に至ったのでしょうか」
「状況証拠と本人の証言です、特に当人からの証言が決定的でしたね」
二人が発見されたのは山中の浅い洞窟の中。
一糸まとわぬ姿でシーツに身をくるんで並んで眠っていたという。
無くなった衣服は見つかっておらず、眠る二人にかけられていた場違いに高級なシーツの出処は未だに掴めていない。
先に目を覚ましたウーズラに二人が裸である事の経緯を聞いた所。不埒を働こうとした自分の所業であると認めたという事だ。
「その証言を引き出すために尋問が行われたという事はありませんか」
「ウーズラ・ボナークは目を覚まして間もなくにその証言を行っています、尋問する間もなかったでしょう」
(どうして……!)
オラシオは唇を噛む。
どうしてウーズラはそんな嘘をついたのだろう。なんの目的で。
「貴方の知る事実とは違いますか?」
「全然違います、あれは本当に事故でした、それに私も彼に不埒を働かれては……」

ドクン

え?
オラシオの思考は一瞬停止する。
何があったっけ
崖の下でウーズラ君の怪我を治療しようとして、彼をおぶって移動して。
そこで何かに遭遇して……。
「では、貴方の記憶では何が起こったのですか?」
「えっ……?あ、と、ウーズラ君は怪我をしていて……それを私が背負って移動して……」
理事長の言葉につっかえながら答える。
「その後は?」
その後……。
不穏な複数の気配、飛び込んでいった自分の目の前に現れたのは……。
「魔物……」
「魔物ですか」
「そう……そうです!魔物です!」
青い肌に赤い瞳、豊満な肢体。
同様の配色をした小柄な少女。
複数の女の魔物達。
先頭に立っていたのは、白い髪と、真紅の瞳の……。
「強大な……強大な魔物、でした……太刀打ち、できなかった……」
ぎゅ、と膝の上で拳を握り締めてオラシオは自分を責めるように俯く。
「その後は?」
そのオラシオの様子を気にすることなく理事長は質問を続ける。
その後、その後どうなったっけ。
オラシオは歯噛みした、どうしてこうも思い出す事が困難なのだろう。
記憶を探ろうとすると霞がかかったようにぼんやりとしてしまう。
「私は、どうにかしてウーズラ君だけでも逃がそうとして……」
「失敗したのですか」
「……はい」
努力も虚しく、結局は二人共魔物達に捕らえられてしまったのだ。
「魔物に捕らえられて生還したのですか?」
「そう……いう事に、なります……」
「一週間もの間どうやって生き延びたのですか?」
魔物によって行方知れずになった人間が帰ってきた例はほぼ皆無だ。
食い殺されているというのが周知の事実のはずだ。
その人食いの怪物に捕らえられてどうして自分とウーズラは生きて帰ったのか。
「……」
思い出せない、いや、ダメだ、思い出さなくては。
自分がちゃんと証言して事実を伝えなくてはウーズラの濡れ衣は晴らせない。
どうなった?
捕らえられた後何があった?

ドクン

ええと

ドクン

そう、確か

ドクン

二人は

ドクン
ドクン

人は余りに衝撃の強い体験をするとそのショックから精神を保護するために強制的に記憶を封じる事がある。ある種の安全装置のようなものだ。
しかし不安定なその装置は些細なことで解除される。
例えばその記憶を連想させる音。

カチャ

理事長が眼鏡を直す。
懸命に記憶を探るオラシオの耳にその音が届いた時。その音に何かを連想した。
鎖。
カチャ、チャラ、という金属的な音を鳴らす鎖。
絡みついて拘束する鎖……。

安全装置が外れた。
「あっ……」
封じていた記憶。
毒と蜜を混ぜた劇薬のような記憶がどっと脳内に溢れた。
ちゃりん、ジャララ、ぐちゃ
びちゃ、ぬちゅ、ぐちぃっ、ずちゅっずちゅっずちゅっずちゅっ
ひっ、ひっ、ひっ、あひっ、あひん、はヒぃんっ、おねがいゆるしてそこだめゆるしてゆるしてぇ
あらあらこんなにボッキさせちゃってもっと奥にほらもっと深く深くふかぁく
ウーズラくんウーズラくんおねがいそんなにしゃせいしたらまたしきゅうがぁわたしのしきゅうがぁ
むにゅぐちゅもにゅんたぷんじゅぴぴちゃくちゃ
とけるとけちゃうおっぱいとけちゃうちがうのこれちがうのこしがかってにぃ
じゅるじゅぷちゅぷちゅぱくちゃ
おいひい おいひい しゃぶるの やめらんない

ウーズラくん の おいしい

「どうかしましたか」
「……は……はっ……はっ……」
オラシオは両手で自分の肩を抱き締め。小刻みに震えていた。
目尻に涙が浮かび、カタカタと歯が鳴っている。
「それ程に恐ろしい目にあったのですか?」
「……」
恐ろしい?恐ろしい体験とあれは呼べるだろうか。
逆に甘美、と呼べるだろうか。
どう言ったらいいのか、こんな、こんな事……。
はっとオラシオは気付く。
ウーズラが罪を被ってまで隠そうとしたのはこれだ。
この一週間の真実。
きっと、自らの生涯全てを棒に振ってもウーズラは隠し通すだろう。
他でもないオラシオのために。
オラシオの将来と自分の将来を秤にかけ、ウーズラはオラシオを救うことを選んだのだ。
彼らしい。馬鹿みたいに彼らしい。
だけど自分はそれで納得できるのか。
できる訳がない。
「オラシオさん?」
理事長の言葉にオラシオは再度顔を上げて背筋を伸ばした。
「ウーズラ・ボナークの証言は事実と違っています」
「どう違うのでしょう?」
「強姦は確かに発生していました」
「それは事実に違いはないという事ではないのですか?」
「被害者と加害者が違います」
「と、言いますと?」
唇を震わせながらオラシオは言葉を紡いだ。
「被害者はウーズラ・ボナーク、加害者はオラシオ・デルキャンタ」
「……」
「強姦罪は、私に課せられるべき罪です」
冷たい無表情だった理事長の表情が流石に訝しげなものに変わった。
オラシオは心の中で苦笑した。
そうか、ウーズラ君はここまで考えて証言したんだ。
私とウーズラ君の証言、どちらに信憑性があるかと言うなら。考えるまでもなく私の証言の方が信じられないだろう。
でも舐めないで欲しい、私の覚悟を舐めないで欲しい。
「……どういう事でしょう」
「言葉のままの意味です」
理事長は小さくため息をついた。
「説明しなさい、一週間に何があったか仔細に至るまで余す所なく」
「……は、い……何があったのかを……全て、説明、します」
小刻みに震えながらオラシオは宣言した。
「……椅子にかけなさい」
19/09/01 07:35更新 / 雑兵
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■作者メッセージ
ネタが降ってきたから書いた、本当は読み切りにするつもりだった
などと供述しており

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