連載小説
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想い
「単刀直入に確認したい事あります」
「はい」
「貴方はこの件で貞操を失いましたか?」
「……」
オラシオは一つ息をつき、心の中に手塩にかけて育ててくれた両親の顔を思い浮かべて謝罪した。
「はい」
これで後戻りはできない。教団領の上流階級において女性の貞淑は極めて重要だ。
誤魔化すことなくそれを放棄した今、自分は思い描いていた将来からは外れることになる。
しかしこの事件から目を逸らして、ウーズラの覚悟に甘えて。
自分は胸を張って歩けるだろうか。
そんな事は許さない、自分が許せない。
「そうですか……」
理事長は少しの間目を閉じた。
彼女にとっても無念であろう、将来有望な在学生の経歴に大きな傷がついてしまったのだ。
しかしそれも一瞬のことですぐに元の冷徹な目に戻った。
「二人で魔物に捕らえられた直後どうなったのですか?」
オラシオは記憶を探る。
記憶はおおまかには戻ったが、やはり細部は時間をかけてもやを取り除かないと思い出せない。
「捕らえられた私達は鎖で拘束され、抵抗のできない状態にされました……魔力が篭っているものだったのか、それで魔法は封じられてしまいました……あと、その魔力の効果かわかりませんが不思議と鎖での拘束なのに痛くありませんでした」
「……」
理事長は無言で続きを促す。
「そうして……ええと……ああ、そう、魔物の一人がウーズラ君に近寄ってその身体に触れ始めたんです……何か、品定めでもするように、それを見て私はウーズラ君が食べられてしまうと思い、拘束された状態で無理やり飛びついてその魔物の腕に噛み付きました」
「噛み付いた、とは……歯で?」
「はい」
「まあ……」
言葉にして説明すると相当無茶な蛮行だ、しかしその時は必死だった、何よりウーズラが触れられる場面を見て頭に血が上ったのだ。
「魔物はどう反応しましたか?」
「涙目になってました、いい気味でした」
理事長は目じりを押さえた、気の強い生徒だと思っていたがここまでとは。
「報復はされませんでしたか?」
「……むしろ、これでウーズラ君から対象が自分になればいいと思ったんですが……彼女達、いや、魔物達は何かこう……いやらしい笑みで私達を見ました」
思えばその時だ。
その時から自分の気持ちは見抜かれていたのだ。
卑劣な彼女達は理解していたのだ、自分を辱め、堕としめる最も効果的な方法を。
「それから……少し、記憶が途切れています……多分、魔法で眠らされたんだと思います……」
「魔物はあなた方を殺そうとはしなかったのですか?」
「恐らく、辱める事が目的だったんだと思います……」
辱め。
そう、記憶はここから思い出すことが耐え難いほど恥辱にまみれたものになる。
恥辱と、辱めと、惑乱と、快楽と、幸福と、ウーズラ君の、熱い、熱い……
オラシオはいつの間にか記憶に陶酔している自分に気付いて頭を振った。
違う、そうじゃない、あの記憶を幸福なものだなんて捉えてはいけない、あれは、辱めだったのだ、忘れたい記憶なのだ……そうな、はずだ……
ふと、思い悩むオラシオの鼻先をいい香りがくすぐった。
顔を上げてみるといつの間にか目の前に湯気を立てるカップが置いてある。
「落ち着いて、少しづつ思い出しなさい」
意外に思った。
この理事長は就任した時から知っている、優秀だけれど人間味が薄く冷徹な人という印象があった。
しかし流石に今の自分の境遇には同情する部分があるのかいつになく優しい声色をしている。
「……ありがとございます」
カップを取って口を付けた。温かい。
じんわりと体に熱が籠る感覚。
「……」
連想。
この、体が熱を持つ感覚。
似た感覚をあの時にも、味わった……。
「次に覚ました時には違う場所に送られていました……お城、のような場所の一室……そこに軟禁されました」
「それはどこなのかわかりませんか?」
「わかりません、少なくともこのあたりの近くにはあんな大きなお城はなかった、はず……転移魔法か何かで遠くに運ばれたんだと思います」
「ふむ……」
「意図はわかりませんが、二日の間怪我の治療に……食事を与えられました、口にするのは危険だとは思いましたが兎にも角にも生き延びなければと思い、食べました」
「体に変調は?」
「その時点では起きませんでした、しかし、後の事を考えるとやはり何か混入されていたのではないかと思います」
「後の事?」
「順を……順を追って説明します」
「失礼……その間ウーズラ・ボナークはどうしていましたか?」
「姿は見えませんでした、私の世話役の魔物に問うと自分と同様に怪我の治療を施されている所なので安心しろと伝えられました。信用ならないので会わせろと言っても聞き入れてもらえませんでした」
「どんな心理状態でしたか?」
「肉体的には復調しましたが精神的にひどく摩耗しました。自分の行く末はどうなるのか、魔物の意図はなんなのか、ウーズラ君はどうなったのか……」
「その状況であってもウーズラ・ボナークの事が気にかかったのですか?」
「それは……そう、です、クラスメイトです、し、心配します……」
「それだけですか?」
「……」
隠しておく事はできない。
この後にウーズラの無実を証明する為にも、自分に「下心」があった事を認めなくてはいけない。
「クラスメイトだから、というだけではありません」
「というと?」
「私は以前から彼に目をつけていました」
わざとぶっきらぼうな物言いで言ったが、その頬は今までで一番赤く染まっている。
毅然とした表情の中でその頬だけが歳相応の恥じらいを見せていた。
「ふうむ……貴方が彼を、ですか……」
理事長が見せた一瞬の懐疑的な表情にオラシオの目尻が釣り上がる。
「おかしいですか」
「いえ、おかしいとは」
「失礼ながら理事長は「彼の罪を被るために思ってもいない事を証言しているのでは?」とお考えではないでしょうか」
「いえそこまでは」
「誰も彼もが彼を悪し様に言います、私が少しでもフォローすると彼の汚点を強調してきます」
オラシオは知らずに椅子から身を乗り出す。
「成績や外見のよさだけで人を測るのは間違いだと思います。成績に現れない人間的な美点、例えば謙虚さや優しさ、懸命さ、人の目に届かない自己犠牲。それらこそを神は尊ぶのではないでしょうか、それに外見だってカエルみたいって言われるけどカエルはチャーミングじゃないですか、あの丸くてつぶらな瞳とか大きくて愛嬌のあるくちも……と……」
「……」
理事長の眼鏡の奥の視線の生暖かさに気付き、オラシオはおずおずと席に腰を落ち着けた。
「失礼、しました……」
「いいえ、気持ちは十分に伝わりました」
理事長はあくまで冷静な態度を崩さない。今のオラシオにはありがたかった。
「二日の間、と言いましたね、三日目から何が起こったんですか」
「私は……」
オラシオは俯いて記憶を探る。
「ウーズラ君に……ウーズラ君に会いました」
「どのような状況でですか?」
「部屋に来ました……その部屋に魔物がウーズラ君を連れてきたんです……その時……その時……」
オラシオは両手で顔を覆う。
「おかし、く……わたし、おかしくなってたんです、その時は何か……変だったんです、わたし……わたし……」
「落ち着きなさい、何があったのですか?」
オラシオは指を組み合わせた手を額に当て、首を振った。
相当に口にし辛いらしい。
「オラシオさん」
顔を上げると理事長は眼鏡の奥で意外なほど穏やかな目をしていた。
「ウーズラ・ボナークが無実の罪で投獄されたというのであれば私も理事長として見過ごす訳にはいきません。その為に実際には何が起こったのか、ウーズラさんの証言との食い違いを理解しておかなくてはなりません」
「……先生……」
「辛いのはわかります、ですが聞かせて下さい」
自分はこの人の事を誤解していたのかもしれない。
そうだ、ウーズラの無実を証明するためには自分がしっかりしなくては。
「わっ……」
オラシオは顔を真っ赤にしながら喋り出そうとしながらやはりつっかえる。
いきなり核心から言おうとするからいけないのだ、そこに至るまでの過程から話しはじめよう、そう考えた。
「ご存知……だと思いますが、私の家は軍人の家系です」
「ふむ」
理事長が知る限り八代から続く名家だ。
「将来は家が定めた許嫁と結婚し、家訓を継ぐものです」
「不満が?」
「いいえ、ありません。結婚とはそういうものです」
オラシオは平然と言う。
それも理解できる。
上流階級に生まれた女にとって恋愛結婚というのは憧れはすれど所詮物語の中の寓話に過ぎない場合がほとんどだ。
「だから、その時……ウーズラ君と再会できた時……魔が……魔が差した、というのかもしれません」
「魔が差した、とは?」
オラシオは小さなため息をついた。
「わ……私は……家に誇りを持っていました……その名に恥じない人間になるため……学校で訓練を受けて体を鍛えて……心も鍛えられた、そう……信じていました、思っていました」
オラシオの眉が無念に駆られるように寄せられた。
「例え敵に囚われようと……家名を汚さぬよう毅然として……潔く……そうできると、やれると思い込んでました……駄目、でした……全然だめでした……いざそうなってわかったんです……私の中に覚悟なんてなかった、ある気になっていただけだった……怖かった……怖かったんです……捕らえられてから時間が経って、考える時間ができて……これからどうなるんだろう、どうなってしまうんだろう、こうして生かされているのは何故だろうって考えると……」
目尻にまた涙が浮かんだ。
「あ……悪魔の生贄にされるかもしれない……見せしめに八つ裂きにされるかもしれない……いえ……魔物を楽しませるために拷問されて……残酷な殺され方をされるかもしれない……そんな事ばかり考えてたんです……ウーズラ君に会った時……ほっと安心した時……それが溢れて……」

どうしよう、ウーズラ君どうしよう私達どうなっちゃうんだろう、殺されるんだよね……?酷い目に合わされるんだよね……?嫌だ、やだよ、怖い、怖いよう、どうしたらいいの……。

「みっともなく取り乱して……矜持も誇りも忘れて……ウーズラ君にとりすがってわあわあ泣いて……」
目尻に溜まった涙がはらはらと落ちた。

大丈夫っすよオラシオさん!俺やりますよ!こんな日のために毎日頑張ってきたんすから!何とか……何とかします!体張ってどうにかします……!ええと、具体的にどうっていうと、その、アレですけど……チャンスはあるはずっすから!神様見てますから!どうにかなるっすよ!

「彼……震えてたんです……肩も、手も、声も、体中震えてたんです……ウーズラ君だって怖かったんです……もしかして、私よりも……なのに、必死で……私を元気づけようとして……」
オラシオの青ざめた頬に赤みが差した。
「それに気付いた時、胸が、突き上げられるみたいに苦しくなって……もう死んじゃうかもしれないって捨て鉢な気持ちと、大好きって気持ちが合わさって、夢中で、彼を……求め、ました……」
「性行為に及んだ、という事でいいんですか?」
オラシオは小さく、しかし確かに頷いた。
「彼は拒否しなかったのですか?」
「最初、すごくびっくりしたみたいで……逃げようとしたんですけど……私がその、あんまりに必死だったから……最後は、彼も……求めて、くれました……」
告白の最後あたりになるとオラシオの顔は真っ赤になっていた。
「きっかけは自分だった、と」
「はい……私が、そうしました……」
「貞操を失った経緯はわかりました、その後は何が起こったのですか?拷問や処刑をされそうになった?」
理事長はあくまで冷静に質問を続ける。
「いいえ……処刑、とか、拷問、とか……そういう事はありませんでした……」
「では何を?」
「は……辱め、を……すごく、すごく……」
オラシオは息を吐いた、熱い息だった。
「み……淫ら……な……いやらしい……すごく……いやらしい……事を……させられて……いっぱい……いっぱい……」
もぞ、とオラシオは椅子に座り直した、無意識にかひどく艶かしい動きだった。
「具体的にどういった事ですか?」
オラシオはつい恨みがましい視線を送った、これを言葉にして報告しろというのか、この辱めの記憶を。
しかし理事長の冷静な目を見て思い直す、そうだ、正確な証言が必要なのだ。
ウーズラを救うために恥ずかしいだのなんだのと言ってられない。
19/09/01 07:35更新 / 雑兵
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■作者メッセージ
前後編で収まると思っていた、などと供述(ry

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