連載小説
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四虫
「・・・大丈夫ですか」
「・・・ナニ、が、デスか?」
コーイが聞くとセヴィは振り返って答える。
「いえ・・・」
コーイが言うとセヴィはふにゃ、と子供のような笑みを浮かべてまた歩き出す。
しかしその歩く進路は徐々に右にずれていき、やがて壁にぺたん、と手を突く。
「・・・う〜ん?・・・」
セヴィは触覚をちらちら動かし、真っ直ぐ歩いていたのにどうして壁にぶつかるのだろう、と首を傾げる。
そしてまた歩き出し、今度は左側に逸れて行って歩道の溝に足を突っ込みそうになる。
「・・・セヴィさん、酔ってますね」
「ヨウ・・・?」
「すいません、やっぱ止めさせておけばよかった」
「・・・ヨッて・・・ません」
ゆらゆらと触覚と頭を揺らしながらセヴィは酔っぱらった人間の常套句を言う。
「チョット・・・キモチイイ、だけ、デス」
そう言ってふらふらと地に足の着かない歩き方をする、いや、無意識に背中の外殻が開いて羽根を広げようとしているのでこのままだと物理的に地に足が着かなくなる可能性もある。
「・・・酔ってます、はい、羽根たたんで下さい」
「あうう・・・♪」
コーイが背中の羽根をそっと手で閉じさせるとセヴィは気持ち良さそうな声を上げる、その声に思わず手を離したコーイにセヴィはとすん、と背中を預けた。
「ふぅぅ・・・」
顔を林檎色にしながらどこか艶めいた吐息を吐く、そんなセヴィを見てコーイは微かに困ったような表情を浮かべ、くるりと背を向けて屈んだ。
「うう・・・?」
「乗って下さい」
「ハイ・・・♪」
いつもなら躊躇する所だが、アルコールで理性が薄まったセヴィは遠慮なくコーイの広い背中にしがみつく。
コーイはセヴィをおぶると一人で歩いているのと変わらない速度で歩き始める。
セヴィはふわふわと天に昇るような気持だった、背中から伝わるコーイの体温、その奥から感じる心臓の鼓動、首筋から感じるコーイの匂い、コーイの歩調の振動、耳に届く人々の喧騒、それら全てからたまらない幸福感と安心感を感じて優しい睡魔に意識を攫われそうになる、しかしセヴィは目をぱちぱちと瞬かせて眠気を払おうとする、こんなに幸せな時間を眠って過ごすのがもったいないと思ったからだ。




体の前面に感じていた温かさが無くなったのをきっかけにセヴィは意識を取り戻した、やはり奮闘空しく睡魔に屈してしまっていたようだ。
コーイがセヴィを下ろしたのはどこかの公園らしき場所のベンチの上だった、日は大分西に傾いており、空は茜色に染まり始めている。
しかし周囲を見回してみると公園にも道にも昼間と変わらないくらいの人通りがある、この祭りは夜を徹して続くらしい。
「・・・大丈夫ですか」
セヴィを下ろしたコーイはそっとセヴィの頬に触れる、セヴィは嬉しそうに身を竦める。
「・・・何か、酔いざましになるもの買ってきます」
そう言ってコーイは立ち上がる。
「アリガ、トウ」
「・・・ここから動かないで下さいね」
そう言い聞かせてから、コーイは店の並ぶメインストリートの方へ歩いて行った。
セヴィはその背にはたはたと手を振るとベンチにもたれかかって空を見上げた。
てっきり自分が浮かれているのでこう感じると思っていたが、こうして座ってじっとしていると心臓がどくどくと脈打っているのがわかる、やはり酔っていたようだ、あんな僅かな量でこんなになってしまうなんて思わなかった。
最も、コーイの飲んでいた酒は非常に度数が高く、それを何杯も飲んでケロリとしているコーイの方がどちらかと言うと異常なのだが・・・。
「もしもし」
「・・・」
「もしもーし」
「・・・エ?あっ・・・ハイ?」
涼しい風と人々の喧騒を感じながら徐々に色を変えていく空をぼんやりと見上げていたセヴィに声を掛ける人物がいた、気付いて横を見ると見知らぬ若い男が何時の間にか隣に座っていた、少しばかりくたびれたコートを着て頭にハンチングを被ったその男は人懐っこい笑みを浮かべている。
「今一緒に居た人、彼氏?」
「・・・え・・・あ・・・ぅ・・・」
見知らぬ人物に急に話しかけられ、セヴィは軽い混乱状態に陥る、それを見て男性は軽く笑って言った。
「ははっごめんごめん、驚かせたちゃったかい?いやぁ、君みたいにちゃんとした身なりのデビルバグってのは珍しいもんでね、少し気になったんだ」
「・・・」
セヴィが懐疑的な眼差しを向けている事に気付いた男性はまた笑みを浮かべた。
「俺はティートって言うんだ、よろしく」
そう言って手を差し出す、セヴィは「ハァ」と生返事をしながらその手を握り返した。
「でさ、話は戻るけど、さっきの人は君の恋人か何かかい?」
「・・・イエ、チガい、ます」
「でも、好きなんじゃないかい?」
「・・・」
言われてセヴィは赤面する、これではそうだと告白したようなものだ。
「どうして告白しないんだい?」
「・・・え・・・デモ・・・ワタシは・・・ムシで・・・」
どうしてこの人にこんな話をしなければならないんだろう、と思いながらも無視する訳にもいかず、セヴィはぽつぽつと自分のコンプレックスをティート相手に漏らす。
「うんうん思った通りだ、自分に自信が持てないんだね?」
「・・・そう、デス」
「そう思って声をかけたのさ、いや、勘違いしないでくれよ?君に魅力がないって意味じゃないんだ、ただ魅力があるのにそれに気付いてないというべきか、発揮の仕方を知らなそうというか・・・」
「・・・?」
「つまりこういう事さ、俺は君に商品を売りたくて声を掛けたんだ、この・・・」
ティートは懐から一つの小瓶を取り出して見せる。
「(誘惑の香水)をね」
「ユウワク・・・?」
その小瓶の中には薄いピンク色の液体が揺れている。
「こいつを一振りすればあの彼も君の魅力に気付いてくれるはずさ」
その言葉で心臓が跳ね上がる、コーイが、自分に振り向いてくれる・・・?
俄然興味を示し始めたセヴィを見てティートはまた笑みを深くした。
「そうそう、効果は抜群だけどそんなに高い物じゃあない、子供の小遣いでも手が届く値段さ」
セヴィは思わず懐の財布の中身を思い浮かべる、長年溜めつづけたお金は結構な金額になっており、今日を置いて使う日は他に無いと思って全額持って来たのだ。
「ほら、ちょっとだけ嗅いでごらん?とっても官能的でいい香りがするんだ」
そう言ってティートはコートのポケットから取り出したハンカチに香水を染み込ませてセヴィに差し出す。
セヴィは恐る恐るハンカチに顔を近付けて香りを嗅いでみる、確かにいい匂いがする、だが、その中にも微かにツンとくるような刺激臭が・・・。
「・・・?」
セヴィは違和感を感じた、嗅覚にその匂いを感じた瞬間全身にぴりり、と奇妙な痺れが走った気がしたのだ。
思わず顔を上げようとしたセヴィの後頭部にそっと優しい動きでティートの手が回される。
「!?」
そしてそっとセヴィの頭を押し、ハンカチでセヴィの口元を覆ってしまう、抵抗しようとしたセヴィは急激に全身から力が抜けるのを感じた。
「・・・おや、どうしたんだい?大丈夫かい?」
ティートはいかにも心配そうな風を装ってセヴィの肩に手を回す、セヴィは全身に痺れが回って動けない。
周囲からは酒に酔った魔物娘が恋人に解放されているようにしか見えない。
「・・・か・・・ア・・・あ・・・」
完全に全身の自由を奪われたセヴィは声も出せなくなっている事に気付く、気付いた時には遅かった、ティートはセヴィを抱え上げるとベンチを立って公園から歩き去って行った、周囲の誰もセヴィの助けを求める声には気付かなかった。




ティートがセヴィを抱えて連れて来たのは、入り組んだ路地裏を通り抜けた先にあった倉庫のような場所だった。
長い事使われていないのか中はがらんどうで床に埃が積もり、天井の隅には蜘蛛の巣が張っている。
「しょっとぉ」
「ぅうっ!?」
人目がある所では丁寧に扱っていたセヴィをティートは荷物のように床に放り出した。
そうして懐から煙草を取り出して火を付け、煙を吐き出した。
「ふぅ・・・連れて来たぜー」
「おお、ご苦労」
声が聞こえて初めてセヴィは倉庫の中に他の人が居る事に気付いた、それも複数居るようだ、不自由な首を何とか動かしてそちらに顔を向けるとその声の主が視界に入った。
「・・・!」
見るからに柄の悪そうな男達が複数居る、しかしセヴィの目はその男達に混じって一人身なりのいい服装をしている中年男性に吸い寄せられた。
一瞬で思い出す、何しろ自分のトラウマを作った相手なのだから。
その中年男性は仰向けに倒れて動けないセヴィに近付いてにやりと笑う。
「やあ、どのくらい振りかな?宿は盛況かね?」
それはあの警棒でセヴィを追いかけ回し、おかみさんに宿を追いだされた中年男性だった。
男性はセヴィの回りをゆっくりと歩きながら話し始める。
「いやいや酒場で君を見掛けた時は実に驚いたよ、まさか・・・こんな街にまで出てくるとはね」
セヴィの頭上で足を止めた男性はセヴィの顔を逆さまに覗き込み、余裕ぶった表情を崩して言う。
「宿に飽き足らず街まで汚しにくるとはね、このゴミ虫めが」
「・・・」
「この街にはただでさえ異形の怪物たちが多い、それはまぁ我慢しよう、私は寛容だからね、だが貴様だけは勘弁ならん、汚らしい虫が堂々と街の中を這い回るのだけはな!」
「・・・」
「何かね、その目は」
セヴィはその男から目を逸らそうとしなかった、ただ、口元をきつく閉じてじっと男の目を見返し続けた。
「ふむ、これから君がどうなるかを教えてやるとしよう、まず、君は社会の役に立ってもらう事にする、宿屋の従業員をしているよりずっと有意義にな」
男はセヴィの腕、虫の部分をこんこん、と叩いて見せる。
「君らデビルバグの最大の特徴とは、そのしぶとさ、丈夫さだ、いかなる環境にも適応し、何でも食べ、爆発的に増殖する、この生命力の強さはうってつけなのだよ・・・医学の、発展にな」
男は残忍な笑みを浮かべた。
「モルモットだよ、その生命力をもってすればあらゆるテストに耐えうるだろう、栄誉な事だろう?君の尊い犠牲の上に沢山の命が救われる薬品が開発されるかもしれないのだ」
「・・・」
男は不意につまらなそうな顔になる、予想していたような怯えも恐怖もセヴィの表情に浮かばないからだ、セヴィはただじっと強い光を宿した瞳で男の目を見返し続ける。
男はふいとセヴィから離れると周囲の男達に言った。
「おい、いいぞ・・・まずは、簡単な耐久テストだ」
その言葉と同時にセヴィの回りにティートをはじめとする男たちが群がる。
「へへっお待ちかねー」
「楽しみだぜぇ・・・」
男達の顔にははっきりと獣欲が浮かんでいる、初めてセヴィの表情に怯えが走る。
「魔物の体は人間と比べモンにならねぇらしいからな、一回味わってみたかったんだ」
「しっかし・・・よりによって虫ってのもなぁ、やっぱサキュバスとやってみてぇよ」
「贅沢言うなよ、それにこいつだって中々・・・」
男達の一人がセヴィの顔に覆いかぶさっている前髪を払いのけると普段隠れているセヴィの幼くも整った顔立ちが露わになる。
「へーぇ?こりゃあ確かに上玉だ」
「魔物ってなぁ男を誘惑するように出来てんだ、不細工が一人もいねぇのさ」
「へへへっ手足は気持ち悪ぃけどよぉ、体の部分は立派に女だなぁ、それも服でよくわからなかったが、結構いい身体してやがるぜ」
男達の無遠慮な手が全身を弄り始め、セヴィはきつく目を閉じる。
怖い、嫌だ、怖い、嫌だ、怖い、嫌だ・・・だけど。
セヴィは今にも絶望で砕け散りそうな心を必死に保ち続け、一つだけを心に念じ続ける。
生きて帰る、絶対に。
あの男の言った通り、自分はしぶとく出来ているのだ、だから、どんな仕打ちを受けても生き延びる事ができる、例えぼろぼろになっても、まともに暮らす事の出来ない身体にされても・・・
必ず耐えて、生きて帰るのだ、あの宿に、おかみさんの元に、コーイの元に。
ビリリッと音が響く、男達の手がセヴィの服を破く音だ、今日の為に悩み抜いて選んだ下着が男達の無遠慮な視線に晒されるのを感じる、男達の下卑た歓声が上がる、晒されたそれに次々に手が伸びる。
嫌だ、嫌だ、助けて、誰か、コーイくん・・・。
悲鳴を上げる心を必死に抑えつける。
かみさま、どうか今一度、この虫けらに勇気を、どんな試練にも挫けない勇気を・・・
きつく閉じたセヴィの目から一筋、涙が零れた。




セヴィは目を開いた、どうして開いたのかは分からない、ただ、何かに導かれるように視線が外を向いた。
自分に群がる男達の背後には路地に面した曇りガラスがある、暗くなってから路地に灯った明かりがガラスを照らしている。
その明かりは一つの人影をガラスに映し出していた、曇りガラスなので誰なのかはわからない。
その人影は奇妙な動きをしていた、片足が高く上がっており、それがゆっくりと地面に振り下ろされる所だった。
そこで気付く、ゆっくり動いているのではない、自分がゆっくりに感じているのだ、男達の動きも何もかも全てがスローモーションだ、音も何も聞こえない。
人影は足で勢いよく地面を踏み締めると、その勢いを腰、肩、腕へと連動させ、その力は最終的に指先に・・・。
セヴィは気付く、それは何かを投げる動きだ、こちらに、ガラスに向かって。
人影の手から放たれた拳大の何かがガラスに向かってゆっくり飛んでくる、やがてその影がガラスに接触し、その個所を中心に曇りガラスに蜘蛛の巣状のひびがさあっと広がるのが見えた。




耳をつんざくようなガラスの破壊音と共に全ての音が戻り、時間の流れも戻った。
セヴィを囲んでいた男達はその音に振り返る、その足元に拳大の石ころがごとんっと落ちる、ガラスを割ったのはこの石のようだ。
男達の視線の先には割れたガラスの破片をパリパリと踏み締めながら倉庫に入り込んでくる一人の男が居た、外からの灯りが逆光になって姿はよく見えない。
「・・・」
男達は立ち上がり、その侵入者の方を向いた。
「誰よ?」
「ヒーローの登場か?」
「あー?この虫女にいんのか?ヒーローとか」
「いるんじゃねぇか?蓼食う虫も好き好きって言うしよ」
どっと笑いが巻き起こる、予想外の乱入者にも誰も動揺していない様子だった。
何故なら男達はそれぞれに腕っ節に自信のある者ばかりで、しかも相手は見た所一人でこちらは七人もいるからだ。
「ヒーローに見せつけながらってのも乙なもんかもな」
「いいなぁそれ」
へらへら笑う男達に対してその侵入者は一言も口を利かない、ただ、俯いてじっと突っ立っている、逆行に照らされた髪の色はくすんだ金髪、闇に薄っすらと浮かんで見える瞳はくすんだ青。
「・・・コー・・・い・・・く・・・」
まだ自由にならない声帯を震わせてセヴィは掠れた声を上げる。
コーイの青い目は目の前に立ち塞がる男達の事は見ていなかった、その奥にいる服を破られ、うずくまっている少女に向けられていた。
セヴィは口をぱくぱくさせて必死に声を出す。
「・・・たす・・・て・・・」
その声とも言えない声はしかしコーイの耳にはっきりと届いた。
「・・・わかりました・・・」
ぼそり、とコーイは呟くように言った。
そしてガラスの破片をパリパリと踏み割りながらのっそりとした動作で男達の方に歩き始めた。
「お、お、やる気だよコイツ」
「いーねぇ、ヒーローはそうでなくちゃなぁ」
別の灯りに照らされてコーイの表情が初めて見えた。
普段と変わらない無表情だった、視線は右下に逸らされており、男達の方を向いていない。
全身から覇気、というか、やる気の様なものが何も感じられない、とてもこれから荒事をはじめようとする態度では無い。
男達の中から一人・・・ティートが進み出た、顔にはあの人懐っこそうに見える笑みを浮かべている。
ティートはコートのポケットから一振りのナイフを取り出し、くるくると手慰みのように弄び始める。
コーイはティートの前で歩みを止めた、しかしいささか近すぎる距離に思える、突き出せばもうナイフが深く届く間合いだ。
ティートはにこにこしながら言った。
「なぁ、平和的にいこうぜ、冷静になってよーく考えてみなよ」
「・・・」
コーイは何も言わない、目線を合わせようともしない。
「あの女・・・「虫女」に命かける価値ってあると思う?」
「・・・」
「ここは理性的な判断「お前」
ティートの言葉に被せるようにコーイは言った。
ティートと目を合わせていた、青い目だった、潤いの欠片も無い、砂漠のように乾ききった青だった。
「自分の、心配をしろ」




セヴィはその声を聞いて気付いた、いつもと同じ抑揚のない声、だがわかる、付き合いの長いセヴィにはわかった。
コーイは怒っている。
怒り狂っているのだ。
12/02/11 04:39更新 / 雑兵
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