連載小説
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黒猫報復
その日は本当に暗い夜だった、月も星も雲に隠れ、街灯以外の光源は一切無かった。
その唯一の光源である街灯が等間隔に照らす道の真中で男は立ち止まり、じっと耳を澄ましていた。
「・・・ちっ」
やがて男は自分が無意味な事をしている事に気付いた、人間ならともかく猫の一匹がいたからどうだというのだ。
男はあの事件から猫が大嫌いだった、あの黒猫に引っ掻かれた傷跡は顎や頬に未だにくっきりと残っている、この傷のせいで顔に特徴が出来てしまい、警察から逃げ続ける事を困難にしているのだ。
男は忌々しげに舌打ちをするとまた歩き出そうとした。
「・・・?」
いる、道の先に誰かが。
男の立っている街灯から数えて二つ目と三つ目の街灯の間、灯りの届かない闇の濃い場所に黒い人影が立っている、男の方を向いているのか背を向けているのかは暗くて分からない、歩いている訳ではなく、道の真中にじっと立っているようだ。
「・・・」
男は一瞬引き返そうかとも考えたが、それではかえって怪しまれると思い、普通に歩いてすれ違おうと考えた。
しかし後街灯一間隔分まで近付いた瞬間、その人影はひたひたっと小さな足音を立てて横道に走り去ってしまった。
(くそったれめ)
男は内心罵声を上げながらその人影を追いかけ始めた、普通にすれ違えればよかったのだが今の人影の反応は明らかに自分を見てのものだ、警察にでも通報されて邪魔が入るかもしれない、後の捜査で証言されるかもしれない。
(・・・殺っちまうか?一人も二人も同じだ)
もはや男の目的は(洋二への復讐)から(誰でもいいから殺したい)というものになり始めていた。
凶暴な思考に頭を染めながらその人影を追う男だったがその人影は予想以上にすばしっこく、中々追いつけない、しかし男は訪れる前にここの地形を調べていたのでその人影の逃げる先がどうなっているかを知っていた。
(馬鹿め、その先は・・・)
駐車場だった、それも囲いはしてあるが今は半ば空き地と化していて利用している車は無い、唯一止まっている黒いバンは男の物だ。
その駐車場は入口が狭く、囲いは高い、実質袋小路のような場所になっている。
男が駐車場の入り口に辿り着くと予想通り人影はその駐車場の中に立っていた。
寂れた駐車場に一つだけ設置されている今にも切れそうにぱちぱちと明滅を繰り返している電灯に照らされたその人影の正体は小柄な黒髪の少女だった、黒いワンピースに黒い靴、闇に溶け込むようなその黒ずくめの服装から真っ白な二の腕や足が浮かび上がって見える。
(ほお・・・)
頼りない電灯の光に照らされて浮かび上がるその顔は今まで男が見た事がない程に整っている、長い睫毛を伏せるように半目にした黒目がちな瞳で男をじっと見ている。
不意に男は強い欲望を感じた、本来男は成熟した女が好みであり、目の前の少女は男の好みからは外れているはずだった、しかし目の前のその少女はそういった相手の好みを超えた奇妙な引力を発していた、男を引き付けて止まない魔力のような・・・。
一度意識すると男の頭に充満していた殺意はたちまち醜い欲望に取って代わられた。
そういえば事件以来ずっと警察の影に怯えながら暮らしていたので長い事女を味わっていない。
男の陰茎に急速に血が集まり始め、口元に下卑た笑みが浮かぶ。
それにこの先殺人を犯してブタ箱に入れば、いや、運よく高飛びできたとしても女には恵まれないだろう、ならば娑婆である今の内に・・・。
「運が悪ぃな・・・お前」
言いながら男は一歩、少女に近付く。
少女は動かない、表情も変えない、むしろどこか冷たいものを孕んだ眼差しで男をただじっと見続ける、それがますます男の劣情に火を注ぐ。
(その取り澄ました表情をはぎ取って滅茶苦茶にしてやる・・・!)
男は獣の表情で少女の髪の毛を掴んで引き摺り倒そうと手を伸ばす。
ジジジッ
男の手が届く寸前、切れかけていた電灯が虫の羽音のような音を立てて急激に光を弱めた。
(・・・!?)
男は見た、細かな光の明滅の中でその少女の目が黄金色に輝き、その光の中で瞳がきゅうっと縦に収縮するのを。
伸ばし掛けた手を反射的に引っ込めた瞬間。
ミシィッ
男は自分の頭蓋骨の軋む音を聞いた、何が起こったのかはわからない、ただ何か機械のような容赦のない圧力が自分の頭部に掛けられている。
「むっごっ・・・!!むがっ・・・!?」
訳がわからないままとにかく激痛の原因を取り除こうと自分の頭を捕えている何かを引き剥がそうとした。
手だ、大きな手が自分の顔面を鷲掴みにしているのだ、それも人間の手ではない、ふさふさとした体毛が生えている。
何だ、この手は何処から出て来たのだ、何が自分の顔を掴んでいるのだ。
男は痛みできつく閉じていた目を見開いた。
その手は他でもないその少女の手だった、少女の手首から先だけが獣と人間の中間のような大きな手に変化し、その手が自分の顔を掴んでいるのだ。
異様な光景に竦み上がる男は無我夢中で拳を振り上げ、異形の少女を殴ろうとする。
メリッ
「〜〜〜〜〜〜〜っっ!!?」
しかし顔面を掴んでいるその手が僅かに圧力を強めるともう駄目だった、激痛で頭が真っ白になり、殴ろうと振り上げた手も反射的に自分の顔に張り付いている手をどうにか引き剥がそうとする作業に戻ってしまう。
そして、そのあがきも無駄だった、両手で指を掴んで引き剥がそうとしても叩いても引っ掻いてもその手はびくともしない。
「ふぐっ!んぐっ!ふぅ〜っ!」
まともに言葉を発する事も出来ない男はその手に爪を立てたままただ身悶え続ける。
チカッチカチカッ
薄暗い明滅を繰り返していた電灯がどうにか弱々しい光を取り戻す、その光に少女の顔が照らし出される。
少女の表情は変わっていない、最初に見た時と同じ冷たい無表情だ、しかしその目は黄金色に輝いており、先程見た物が見間違いで無かった事が分かる。
何だ、何なんだこいつは、人間じゃない。
怯える男の顔を少女は僅かに首を傾げて見入り、初めて口を開いた。
「・・・にゃあ」
「・・・・!?!?!」
「にゃあ」
何を言っているのだこのばけものは、猫の鳴き真似・・・!?
男の脳裏に一つの記憶が蘇る、顔の傷を作った猫、あの時バールで殴り殺してやった黒猫。
まさか、そんな。
非現実的な考えだったが、今自分が見舞われている事態そのものが非現実的だった、故にそれが否定できなくなる。
男は心底震えあがった、つまり、このばけものは自分に怨みを抱いてここにいるのだ、偶然ではないのだ、自分に復讐をするために。
そして、今、その怨みを抱かれている相手に自分は精祖与奪の権利を握られているのだ。
少女は男の表情の変化に気付き、男がようやく事態を飲み込んだ事を理解した。
少女の口元がぱかぁ、と三日月型に開き、鋭い八重歯が覗く、その目もまた、三日月型に歪んだ。
少女は笑顔を浮かべた、男が見て来たどの笑顔とも違う笑顔だった、獰猛な肉食獣が表情を獲得したならこのような表情を浮かべるのであろうという冷酷で無慈悲な笑顔だった。
その三日月型に開いた口からまた、鳴き声が発された、長い長い鳴き声が。
「な゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん」
男は白目をむき、糞と小便を漏らした。



クロは帰ると取りあえずシャワーを浴びた、別に何処も汚れてはいないが何となくあの男の匂いが身体に染み付いている気がしたのだ。
湯気をほこほこさせながら浴室から出て、少し考えた、さっぱりとはしたが何か足りない。
あ、そうだ。
ぽん、と手を叩くと手早く水気をタオルで拭き取り、何も着ないままぺたぺたと廊下を歩いて洋二の部屋に入る。
洋二は出た時と変わらない体勢で安らかな寝息を立てている、うなされていない事に安心したクロはスムーズな動きでその裸体をベッドの中に滑り込ませ、すりすりと全身を洋二に擦り付ける。
嫌な匂いを落とした後にはいい匂いで上書きしなくてはいけない。
洋二の体温と匂いに包まれ、例えようのない安心感を覚えたクロはふぁ、と欠伸をし、そのまま洋二の胸の中で眠る体制に入る。
しかし睡魔が訪れる前にクロはぴん、と耳を立て、ベッドから上半身を起こした。
雲に隠れていた月はいつの間にか顔を出し、窓を通して部屋の中に淡い光を投げ掛けている、そのぼんやりとした光の中にあの真っ白な髪をした女の姿があった。
一体どういう原理だかわからないが女は空中に浮いていた、空中で見えない何かに腰かけるように足を組んでいる。
クロはそれを見てもあまり驚かなかった、その女なら空を飛ぶくらいやりそうだとは思っていた、翼も生えてるし。
「満足した?」
女は少し困ったような微笑を浮かべながら話しかけて来た。
「・・・当然の報復」
「まぁ、ね」
「何か不満?」
「どんな最低な人でも、男の人が使い物にならなくなるのは見てて忍びないものなのよね」
女は苦笑を浮かべながら言った。
「そんなの知らない」
クロは無表情に言った。
「ヨウジを傷つけるやつは許さない、誰でも」
抑揚のない物言いだったが、その中に絶対的な意思を感じさせる声だった。
「まぁ、その気持ちはわかるし、命までは取らなかったからよしとしましょう」
あの後、クロに捕えられた男は恐怖で精神に異常をきたしてしまったらしく、顔面を掴まれながらへらへらと薄ら笑いを浮かべはじめたのだ。
クロはその男を引き摺り、その辺にあったごみ置き場のポリバケツに放り込んできたのだ。
明日の朝になれば近隣の住民が気付き、警察にでも引き渡すだろう。
「・・・何か用?」
言いながらクロは起こしていた上半身をぱたっと倒し、出来れば早く二人にして欲しい、と言外に訴える、それを見て女はくすくすと笑う。
「邪魔してごめんね?ただちょっと最後に挨拶に来ただけ」
「最後?」
女はするすると滑るように宙を移動し、二人の傍に近付いた。
そうして寝転がるクロの額を少し撫でる、クロは動かずにそれを受け入れる。
「これからも色々あると思うけれども、頑張ってね?その人の手を離さなければきっと全てがうまくいくわ」
女は母親のように優しい表情で言った、クロはこっくり頷いた。
女はそっと身を乗り出し、クロの額に口付けた、クロはくすぐったげに耳をぴこぴこっと震わせる。
唇が離れた時には女の姿は既に半透明になっており、そのまま優しい眼差しを残してすうっと幻のように消えてしまった。
「・・・ありがとう」
何も無くなった空間に、クロは少し遅れて言った、届いただろうか。
クロはごろっと寝返りを打ち、洋二にぴったりと寄り添う。
胸に顔を埋めて愛しい匂いを胸一杯に吸い込み、そっと目を閉じた。
11/10/08 03:39更新 / 雑兵
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■作者メッセージ
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
次は何がいいかな・・・アルプ、とか挑戦してみようかしらw

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