連載小説
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人外編
 「お父さん?大丈夫?」
「母さん」
寝室にいる依江の姿を見た瞬間、思わずその肩を掴んで言った。
「あの子に、桃に、教えたか?」
「……何があったの?」
突然の雅史の質問にも依江は慌てる事無く、冷静に問う。
「あの子が村に行ったんだ……!あの村に、訳が分からない、心当たりがない、どうしてあの村に……」
要領を得ない夫の様子を見て、依江は夫の身体を抱き締めた。
「大丈夫、落ち着いて、私がいる」
ぽんぽんと背中を叩きながら、穏やかに、子供に言い聞かせるように言う。
たちまち、雅史の全身を支配していた恐怖と混乱が落ち着いていく。
高校の頃、タネコヒ様の影に怯える雅史にそうしてくれたように。
雅史は安堵を覚えると同時に、情けなさを感じる。
社会人になって、毎日稼いで。
それなりに家庭を支えて来たと思っていたが、結局自分はあの無力な高校生の頃と何も変わっていないような気になる。
何とか落ち着きを取り戻した雅史が桃の持っていたチケットとメモのいきさつを説明すると、依江は少しの間考え込んだ。
「私が少し話してみる」
「お、俺も……」
「ここに居て」
行こうとする雅史をの肩を抑えて、依江が言う。
「これは親子の問題というより……もう、私の専門の話かもしれないから」
依江にそう言われて、改めて雅史のうなじに鳥肌が立つ。
理論的に考えてもおかしい。
桃には雅史も依江も、あの過去を話してはいない。
何も知らない桃があの場所に辿り着く道理が無い。
となると……。
「と、桃は……大丈夫なのか?もしタネコヒ様があの娘に何か……!」
「私に任せて」
依江は落ち着いた声でそう言った、そう言われるとすっと胸のざわめきが収まる。
「餅は餅屋、私を誰だと思ってるの?」
そう微笑む依江を思わず抱き締めた。
「ごめん、何も出来なくて」
「謝る事なんて何にもない、安心して待ってて」
そう言うと、依江は一階へ降りて行った。
雅史はひどく長く感じる時間を寝室で過ごした。
依江に全てを任せてしまうのは心苦しかったが、逆に足手まといになるかもしれない。
何より、今の自分はあの娘を前に正気を保っていられる自信がなかった。
「……、……、………」
階下から、二人の話している様子が伝わって来た。
何を言っているかはわからない。
だが、声を荒げたりする様子は聞こえない。
何か異常があれば駆け付けようと集中していたが、いつしか意識は桃とタネコヒ様の事を考えていた。
タネコヒ様は、消えた訳ではない。
昔の依江が祓おうとして失敗し、取り憑かれてしまったのだ。
そのタネコヒ様が望んだのが菊池雅史。
雅史は無論、依江を愛しているから結婚したのだが、それは同時に彼女に憑いているタネコヒ様を鎮める為でもあった。
願いを叶えている今、タネコヒ様が何か害を成す事はないはずだと思っていた。
何かを成すとしても、どうして娘が関係するのだろうか。
名前?
タネコヒ様の生前の名前は「六条トウ」と言う。
娘の名前は桃と書いて「トウ」と呼ぶ。
同名である事に、タネコヒ様が反応した?
(……そもそも、どうして桃って名前にしたんだった……?)

 「名前……私に、決めさせて、欲しいんだ……」

 「……トウ」

 「名前は、トウ……ももの、漢字で、桃(とう)……」

 依江だ。
生まれた夜、そう決めたのは妻だ。
その名前が二人にとって特別な名前である事は「反対されるかもしれない」と前置きをした事から明らかだ。
その時は悲しい過去を持つタネコヒ様へ供養の意を込めたのだろうか、と思った。
だが、タネコヒ様は普通の存在ではない。
それは依江が一番分かっているはずだ。
危険だとは思わなかったのだろうか?増して自分の娘にとって。
どうして「トウ」と名付けたのか?

 依江、お前、本当に人間なのか……?

 不意に、その言葉が頭に浮かんだ。
無論そんな失礼な事を本人に言った事は無い。
ある時、人間離れした若さと魅力を保ち続ける妻に対して自分が抱いた思いだ。
(いや……馬鹿な事を、あいつは俺の嫁だ、それ以外の何者でも無い……はずだ)
考えが纏まり切らないうちに、二階へと上って来る足音が聞こえて来た。
一人分ではなく、二人分だ。
思わず雅史の心拍数が上がった。
がちゃり、と扉が開いて入って来たのは依江と桃の二人。
依江は至って普通にしており、桃は……少しバツの悪そうな顔をしている。
「ほら、桃」
そう依江が促すと、桃は渋々という感じで口を開いた。
「……勝手に行先変えてごめんなさい」
その態度が余りに普段と変わらないので、雅史の恐怖もすっかり収まった。
「ああ、旅行先で何かあった時困るのはお前だからな?ちゃんと連絡するように」
「はぁい」
「……もう遅いから寝なさい」
「はぁい」
雅史がそう言うと、桃はむっつりしたまま自室へ戻って行った。
「……母さん」
「うん、あの子ね……」
説明を求めるように依江を見ると、依江は雅史の隣に座った。
「ずっと、頻繁に同じ夢を見ていたんですって」
「夢?」
「そう、ある場所の夢」
ごくり、と雅史は喉を鳴らした。
「それが……」
「そう、△△村」
普段から自分の夢に出て来るその景色に疑問を持ち、惹かれていたのだという。
なので、普段から暇がある度に「廃村」を調べたりしていた。
夢の中ではそれ以外に情報がなかったからだ。
とは言え日本に廃村など数多くある。
自分の見た風景がどこかなど探せるものではない。
しかし、たまたまネットでヒットした「△△村」という名前を見た瞬間「ここだ」と、何故か思ったらしい。
とは言え、そんな奇妙な事情を両親に話しても怪しまれると思ったので嘘を付いた、と言う事だった。
雅史の頭の中を色々な考えが駆け巡る、だが、最も心配なのは……。
「……あの子に、タネコヒ様が影響を与えている……」
「少なからずね」
雅史は依江の顔を見る。
「……害が及んだりは……」
「タネコヒ様が私達に危害を加える事は無いよ」
依江ははっきりと言った。
そう言われて、雅史はひとまず胸を撫で下ろす。
「あの子、ああ見えて感受性が豊かだからね、ただでさえ多感で影響されやすい年頃だし」
また不安そうな表情になる夫に依江は「でも大丈夫」と付け加える。
「私からの遺伝かもしれないけど、あの子はそういう方面も見えやすい体質ではある、でもそれは一過性よ」
ぽんぽんと肩を叩く。
「卒業するくらいになればその感覚との付き合い方も覚えるし、耐性も付く、そうすれば普通に振舞えるようになるよ」
「……経験者だもんな」
「そ、あの子よりもっとヤバい経験してきたんだから、任せなさい」
雅史はまぶしそうに依江を見て「ありがとう」と伝えた。
依江は少し照れ臭そうに「どういたしまして」と答えた。







 そういう世界に生きていると嫌でも目に付く、耳にする。
「同業」と呼ぶのもおこがましい「霊媒師」を自称する詐欺師達。
正体の分からないものに怯え、藁にも縋る思いで助けを求めて来る人々を食い物にする人種。
唾棄すべき存在だと、身を削って人を救う祖母と比較する度に思っていた。
それが今、自分はどうだろう。

「んん、くぅ……」

腹の奥で夫の熱い剛直をしみじみ噛み締めながら、依江は思う。
依江の上に乗りかかり、切なげな顔で腰を振る夫をうっとり見つめながら思う。
夫は、雅史は、自分の置かれている状況を理解していない。
何故なら自分が騙しているからだ。
最も信頼を置いている妻に騙されるなど、雅史は夢にも思わないだろう。
だから誤魔化す事など容易だった。
何しろ雅史は無知なのだから、妻の本性に気付いてさえいないのだから。

「ふ、ふぅ、う」

依江が下から腰をくねらせて歓迎すると、ただでさえ余裕のない夫の顔がより歪む。
波に耐えようとすると乳房を掴んでくる癖を知っているから、そっと胸を張ってやると思い通りに夫の手が胸に伸びて来る。
ぎゅう、と柔肉が歪むと捕まれた部位から全身に痺れるような快感が走る。
それに呼応して自分の女の部分がますます潤い、貪欲に夫の精を貪ろうとうねるのが分かる。
最近は自分でも分かる。
身体がいつにも増して欲しがっている。
交わりの回数が明らかに増えて来ている。
昂っているのだ、その瞬間が近い事を知っているから。
娘はもう既に「熟れて」いる。その名の通り、果実のように。
身体も、心も、魂も、受け入れる準備を整えている。
それを思うと、たまらなくなる、際限なく欲しくなる。
その事実に、自分は欲情している。
唾棄すべき存在だと思っていた人々と、今の自分はどう違うと言うのだろう。
子供のように素直に無知に、自分を信じる夫を見て、加虐的な悦びすら覚えている自分はどう違うと言うのだろう。
その信じる心を裏切られ、ひたすらにいやらしい白濁液を搾られて、しゃぶられて、貪り尽くされる夫を想像して。
際限なく蜜を溢れさせ、乳首を尖らせている自分は……。

「んぁぁ、ぁぁ」

 人間ではない。
20/08/24 19:38更新 / 雑兵
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■作者メッセージ
ストックに追いついてしもうた・・・

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