連載小説
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紫煙
 節くれ立った手がブロック状の粘土から一つまみ分千切り取った。
「ううん」
土の感触を指先で確かめながら、ブロンズは唸る。
「どないでっか」
「悪くないんですが……」
「かぁ……あきまへんか」
「いえ、悪くはありません」
「おたくの「悪くない」は「全然駄目」と同義やからなぁ……」
「いやあ……ははは……」
土の匂い漂う工房の隅に設置された簡素な応接用のテーブル。
その上に広げられたモモチが持ってきた新しい素材の品質について話し合う二人を横目にミタツは荷物の整理をする。
「モモチさんとはお知合って長いんですか?」
と、その隣で工房の掃除をしていたキューアが声を掛けて来た。
「はい、そこそこに……ええと、キューアさんはブロンズさんとはどのくらいの……?」
「えへへー、陥落当時の世代なんです」
「へえ!長いんですねえ」
お客との会話も修行のうち、商人はとにかく弁が立たないと話にならない。
その言いつけを思い出し、ミタツは積極的に会話を試みる。
「結婚される以前から陶器に興味はあったんですか?」
「いえ、それが全っ然だったんですよねー……当時はとにかくお婿さん欲しい!ってだけでー」
他に趣味あったっけなあ、と箒で地面を掃きながらキューアは過去に思いをはせる。
「ブロンズさんに一から教わったんですね、厳しかったですか?」
「いやあ優しいですよ、優しいんですけど……厳しいっていうか……」
「優しいけど厳しい?」
「私が作品完成させたらとりあえずよく頑張った、って褒めてくれるんですけど……」
キューアはぐんにゃり箒にもたれかかる。
「褒めてくれるのは完成させたって一点だけで……後は優しーい口調でダメ出し……延々ダメ出し……」
「厳しいですね……今はいい感じになって来たんですか?」
「ダメ出し10に対して1くらいは褒めてもらえるくらいになりました……いや、これでも進歩したんですよ!」
モモチに比べると鑑定眼はまだまだだが、ミタツの目から見てキューアの作品はそこいらの職人のレベルではない。
しかしブロンズと並ぼうと考えるならやはりまだまだ、という所だ。
「まーだまだ勉強中ですよ私なんか、だからやりがいあるんですけどね」
そう言って笑うキューアの顔は、確かに充実しているようだった。
勘違いされる事が多いが、魔物達は交わりにのみ生きている訳ではない。
確かに夫をつかまえて交わる事が至上という価値観は持っているし、それに特化した生態をしている事も多い。
だが、生き方は十人十色である事は人間とそう変わりなく。
中には人間と同じように仕事に生き甲斐を見出す個体も珍しくはない。
このあたりは魔物と密接に関わらなければわからない所だ。
実際、ミタツもジパングにいた頃と今とでは魔物に対する認識は大きく変わった。
「だけどぉ……夜は私の方がですねぇ……」
と、キューアは先程とは違うにんまりした笑顔になる。
「仕事はまだまだだけど、師匠を悦ばせる手はかなーり上達したって自信がですね」
それでいてやっぱり魔物は魔物だなぁ、と思う事も多々ある訳で……。
基本的に彼女達はのろけ話や性生活の話題を好む。
「うふふ……師匠との初めての時なんて」
「キューア」
「はいぃ!?」
商談が終わったらしいブロンズが背後に立ってキューアを見ている。
穏やかに微笑んでいるが、気のせいか威圧感を感じる。
「掃除は終わったのかな」
「はいっ!すぐにっ!はいっ!」
わたわたと掃除の続きにかかるキューア。
「ほな次行くでー」
モモチもサンプルの商品を仕舞いながら言う。
(あれでも駄目だったんだ……)
今回ブロンズに持って来た粘土は遠方から取り寄せた希少な物だった。
しかし、ブロンズの求める品質ではなかったらしい。
師匠の顔を……いや、ちょっと垂れ気味の耳を見てミタツは理解した。
「わざわざ取り寄せてもらっておいて申し訳ない」
「いえいえ、必ずご希望に沿う商品を見つけまっせ!またよろしゅう!」
しかしブロンズが申し訳なさそうにそう言うと、また耳がぴんと立つ。
難しい注文であっても必ず納得のいく商品を届ける。
それが新たなパイプと信頼に繋がる、なにより難しいほど捜し甲斐がある。
モモチはそういうタイプなのだ。







 「ぼん、どないした、父ちゃん母ちゃんは?」
そう声をかけられた。
目を開けて何とか顔を上げると、切れ長の大きな瞳が自分を見下ろしているのが見えた。
大きな箱を背負った小柄な女だ。
ただの女性でない事はその頭頂部から覗く丸い耳と背後に揺れる柔らかそうな尻尾を見ればわかる。
「……」
ミタツは何も答えない、いや、答える体力がもう無い。
意識が暗闇に沈みそうになる。
「ええい、出血大サービスや」
女は背負っていた箱を素早く下ろすと瓢箪を取り出した。
栓を抜き、中の液体を自らの口に含む。
そうして動かなくなったミタツを仰向けにして口を開けさせ、自らの口からその液体を流し込んだ。

 こ……くん……

小さな喉が僅かに動く。

甘い
それは甘かった。
体の隅々にまで染み渡るような甘さだった。
ミタツが薄っすらと目を開くと、その女性がもう一口それを口に含んで自分に唇を合わせて来るのが見えた。
自然に目を閉じた。







 ミタツは、山の奥深くに住む両親の元に生まれた。
親について知っている事は殆ど無い。
だが、成長した今になって思い返してみると没落した貴族か、戦から落ち延びて来た二人だったのかもしれない。
人目を避けるように山中に建てられた家で自給自足の暮らしを営むのは何かの理由があったとしか思えない。
そうして外界と断絶した環境で暮らす二人の間にミタツは生まれた。
だが、物心がつくかつかないかのうちに悲劇が襲った。
山に狩猟に出かけた父が怪我をして帰り、その怪我が元で病を患い、たちまちに命を落とした。
看病をしていた母もが倒れ、後を追うように逝った。
ミタツは親を失うには幼過ぎた。
兄弟でもいれば違ったかもしれないが、ミタツは一人だ。
小さな手で何とか両親の墓らしきものを立て、小さいなりに日々を生きようと足掻いた。
しかし猟の仕方などまだ教わっておらず、薪割り一つこなせる体力も無い。
生れ落ちたばかりの雛がすぐに親を失って生きていけるはずもない。
残酷な言い方をするならミタツの小さな命は自然淘汰によって消えようとしていた。
一人ぼっちのミタツは決意する。
このまま誰も訪れないこの家で飢え死にを待つより、まだ体力があるうちに山を下りようと。
そうしてなけなしの食糧を背負い、生まれて初めての下山を試みた。
小さな子供が一人で山の麓にまで辿り着けたのは季節、天候がたまたま味方をした事を差し引いても奇跡と言える。
或いは死んだ両親が導いてくれたのではないかと、今になって思う。
しかし、山を下りれたとして行く当てもない。
食料はとうに尽き、疲労と空腹が体を蝕み、どこかもわからない道端で行き倒れ……。
そうして、モモチに拾われたのが数十年前になる。
モモチが彼を弟子に取ったのは最初からではない、当初は身寄りの無い子供の集まる施設に預けようとしたのだ。
そこをミタツが食い下がった。
施設への道すがらの数日間、彼女の仕事を間近で見て。
狭い世界しか知らない自分には想像もできないくらいに広い視野を持つモモチに憧れた。
自分も世界を飛び回って、人々に感謝されるようになれたら……。







 「ロマンチックなぁ……お話ぃ……うふ、素敵ぃ……」
ふうう、と口から煙を吹きながら気だるげな美女がうっとりと言う。
「ふぅ……んもう、弟子の話はええですやんか、お仕事の話にはいりましょ」
言いながら、モモチも煙を吹く。
その隣で二人の出会いを尋ねられたミタツは気恥ずかしげに頭を掻く。
カーペットの上に直に置いたクッションの上に座って尻尾を揺らすモモチ、その前に柔らかそうな芋虫の体でとぐろを巻いている魔物。
二人は間に置かれた奇妙な塔のような形状をした物体から伸びる管を咥え、そこからぷかりぷかりと紫煙を吐いているのだ。
そのオブジェじみた形状の物体にはグラス部分があり、妖しい紫の液体がその中で揺れているのが見える。
最初見た時ミタツにはそれの用途がさっぱりわからず、装飾品かもしくは儀式の道具かと思った。
「水タバコ」と呼ばれるそれは今しがた二人がしているように、葉の成分を煙にして摂取する嗜好品だ。
形状は全く違うが、時折モモチが咥える「煙管」と同じ物らしい。
その水タバコは二人の間に立っているそれだけでなく、薄暗い照明が照らす店内の棚に所狭しと立ち並んでいる。
その棚の合間合間に二人が座っているような喫煙スペースが設けられているのだ。
そう、ここは水タバコの専門店「レインボー・トキシック」
これまた入り組んだ路地の奥に佇む店だ。
「ふぅ……それでは拝見……」
タバコの管を離そうとしないまま、モモチが取り出した木箱の中の乾燥した葉を指で摘まむのはワンダーワームのフラ。
フルネームで「フラ・フラッ・フラ・フラッ・フラ」というらしい。
幸いな事に彼女が自分の名をフルネームで呼んで欲しいと要求した事はない。
基本的に不思議の国の固有種である魔物達は不思議の国から出る事はないが、極稀に物好きな個体が外界にふらりと出て来る事もある。
フラはその中でもさらに珍しく、店を開いた不思議の国の魔物なのだ。
彼女と知り合えた事はモモチにとってまさに僥倖と言う他なかった。
「うん……うん……確かにぃ……それではぁ……」
木箱に蓋をしたフラは緩慢な動作でのっそりと身を起こすと店の奥の戸棚にうねうねと近寄り、一抱えもある瓶を取り出す。
コルクで蓋がされたその瓶の中にあるのは細かい粉末。
薄暗い店内にはそれほど反射する光もないはずなのに、その粉は万華鏡のようにカラフルにチカチカと光る。
色は一定せず「虹色」としか表現のしようがなかった、見ているだけで目が眩みそうになる。
「よぉぃ……しょぉ……」
フラがその瓶のコルクをポン、と抜くとそれだけで得も言われぬ香りが店内に漂う。
それが元々店内に染み付いた不思議の国の水タバコの匂いと混じり、ミタツは深呼吸をしないよう気を付けねば意識が飛びそうな心地だった。
フラは店内に設置してある天秤の片側に分銅を置き、その反対側に革袋を置いて瓶から粉末をサラサラと袋に注ぐ。
「このくらい……かしらねぇ……」
天秤が水平になった所でその革袋の口を絞め、瓶にもコルクで栓をする。
ミタツは無意識にほう、と息をついた。
「おおきにー」
革袋を渡されたモモチはその革袋をさらに布の袋で包み、そっと荷物の奥にしまう。
ミタツは詳細を聞いた事はないが、一つ聞いたのはあの粉末は不思議の国に生息するキノコの「胞子」らしい。
無論、採集する事は不思議の国の住人以外には至難の業だ。
ただ、その胞子にどういう効能があるのかというのは聞いたことは無い。
「毎度、ええ取引でした」
「あらぁ……もういっちゃう……?もっとぉ……ゆっくりしていけばぁ……いぃのに……」
とろん、とした目で紫煙を吐きながらフラが言う。
「そうしたいのは山々なんやけどねぇ、次のお客さん待ってはるからねえ、お暇させていただきますわ」
「そぉ……またねぇ……」
ふぅぅ……と、一際大きな煙の塊を吐きながらフラが言う。
「毎度どうも!また御贔屓に!」
そう言ってモモチは店の玄関から出る、ミタツも一礼して店を出た。







 「……大丈夫ですか、師匠……」
ピンクと紫に彩られた極彩色の店構えを出た数メートル先で壁に背を預けて座り込んでいるモモチにミタツが声を掛ける。
「……」
モモチは俯いて黙ったまま小さく手を挙げる。
「……ごふん……五分休憩……」
小さく呟く。
それを聞いたミタツは自分の荷物を下ろし、背負いっぱなしだったモモチの荷物も下ろしてやる。
「おおきに……ぅぉぉ……世界がまわるぅぅぅ……」
空を見上げながら首をふらふらと回すモモチ。
モモチは酒にもタバコにも強い、しかしあの店でもてなしとして出される一服はそんなモモチでもこの有様になる。
「……うふ……何やミタツぅ……双子になったんか……いや、三つ子か……おお……極楽かいな……」
ぶつぶつ言い始めるモモチの背をさすってやろうと近寄ると、がばっと抱き寄せられる。
小柄な師匠だが、普段あの重量の大荷物を背負って身軽に動き回る師匠だ。
その力は強い。
モモチは抵抗する事なく抱き寄せられるままでいる。
「んむ……すぅー……ふぅー……ふかー……」
モモチはミタツの胸に顔を埋め、深々と深呼吸を繰り返す。
この店で酔っ払った後、モモチは必ずこの行為を行う。
「ふぅー……すぅー……おお……回復……回復してきたでぇ……」
もふもふの尻尾を揺らしながらもそもそと鼻先を胸に擦り付けるモモチがもがもがと呟く。
ミタツはくすぐったさと、師匠の尻尾を撫でたい欲求に耐える。
「……ふん!回復!おおきにな!」
がばっと顔を上げるとモモチはてきぱきと荷物を背負い始める、失われた師匠の温もりに少し寂しさを感じつつ、ミタツもそれに倣う。
「あの、師匠……」
「何や」
「持て成しを無下に出来ないのはわかるんですが……それなら酔い覚ましの香を使った方が……」
「いや、こっちがええんや」
「そ、そうですか……あと、その……」
「何や?」
「その胞子ってどういう物なんですか?」
「……」
くるりとモモチがこっちを振り返る、真顔だ。
「今ウチがここで転んで、この粉が少しでも荷物から漏れたら……」
「漏れたら……?」
「……」
「……」
「……」
「……」
「ほな行くで」
「何ですか!?漏れたらどうなるんですか!?師匠!?」
すいすい歩き出す師匠にミタツは追いすがる。
太陽は真上。
時刻はそろそろお昼時である。



20/07/06 01:21更新 / 雑兵
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■作者メッセージ
せっかくだから新種族出す

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