連載小説
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職人達
 声と音の洪水だった。
客引きをする店主やそれを見る客、取引する商売人達の声。
道を行く馬や馬車の蹄の音、籠に入れられた魔界豚の鳴き声、流しのガンダルヴァが奏でる異国の音楽。
香料の匂い、動物の匂い、人の発する汗の匂い、そして魔物特有の蠱惑的な匂い。
それらが渾然一体となって路地を行く人々を包む。
巨大な門を通ると、まず訪問者を出迎えるのがこの通りだ。
それ程広くない路地の両脇に小さな店が隙間なくびっしりと並んでいる。
小さいながら店舗を構えている店、屋台のような形式をとっている店、シートを地面に敷いている露天形式のものまで様々だ。
売っているものには規則性がない。
服、土産、肉、雑貨、宝石、絨毯、香草、パン、穀類、魔具……
一つ一つに足を止めていたのでは一日かけて百メートルも進まない。
そんな中をミタツとモモチの馬車は進む。
「どないや?印象は」
人と魔が混じりあって流れる河のような道を見つめるミタツにモモチが声をかける。
「意外と……」
「ん?」
「意外と、男性の方も多いんですね」
ミタツがまず感じたのがそれだった。
無論、比率としては魔物が多い。
しかし物を売っている人々の中に結構な比率で男性も見かける。
地上の魔界というのだから商売をしているのは魔物ばかりかと思っていたのだが……。
「せやろ、夫婦で店切り盛りしてるところもぎょうさんあるんや……ま、勿論、人間の男は殆どおらんけどな」
魔物と夫婦というならそれはそうだろう。
「せやけど国に入ってくる男には人間が多い、それを目当てに魔物が集まる、人が集まると商売が捗る、それを目当てに……で、こないな状態になるわけや」
「目が回りそうです」
「もう少ししたら抜けるから辛抱しい」







二人は表通りを外れて曲がりくねった路地を歩いていた。
馬車は預り所に預け、必要な荷物は背負っている。
「これは……道を覚えるのが大変ですね……」
ずっしりと肩に乗る重荷に顔を歪めながらミタツが言う。
「ここらは一発で覚えるんは無理や」
小柄な自分の背丈を優に越える高さに積まれた荷物を苦にした様子もないモモチが言う。
その路地に入ってから幾度分かれ道を通ったか、多すぎて正直曖昧になっている。
「ま、うちは一発で覚えたけどな」
笑いながらそう付け加えた。
「うぐ……」
この師の方向感覚と記憶力だけは真似できない。
ミタツも努力はしているが、膨大な数の取引の詳細な数字を数十年前分まで空で言えるような能力はもはや頭の出来が違うとしか言い様がない。
「さ、ここや」
表から外れた路地にひっそり佇むのはどうやら絨毯を売っている店らしかった。
店の看板には「蜘蛛の糸」と達筆な魔界文字で書かれている。
「まいどー」
快活な声と共に店内に入るモモチに続いて入ると中はほの暗く、このあたりの店ではよく使われているお香の香りが微かに漂ってた。
店内は吊り下げて展示されている絨毯で埋め尽くされており、店の壁が完全に見えなくなるほどだ。
(……すごい)
一つ一つが手織りのそれは精妙で緻密なディテイールが描かれており、シルクも超える高級素材であるアルラウネの糸が原料に使われているようだ。
モモチに鍛えられた鑑定眼で見ても高い爵位を持つ魔界貴族の屋敷などに置かれているものと遜色ない。
金額に起こすと目眩がするような値段になるはずだ。
こう言ってはなんだが、このような狭い路地にある店に置かれているのが不自然に感じる。
一見すると、店内には絨毯があるばかりで店員の姿は見当たらないが……。
ミタツは視線を上にやった。
「……あら……気付かれちゃった」
悪戯気な表情のアラクネが一人、天井に張り巡らされた蜘蛛の巣からつたう糸で音もなくミタツの真上に降りて来ようとするところだった。
どうやら上から急に現れて驚かせようとした所だったらしい。
が、そこは魔物との付き合いの長いミタツ。
織物の店で店名が「蜘蛛の糸」、となると高確率で店主はアラクネ、そしてアラクネが視界の範囲内にいない、となると頭上。
「初めまして、ミタツと申します」
真上を見上げながら挨拶した。
「んもーつまんないわねえ、びっくりするところが見たかったのに……」
ぷー、と頬を膨らませるとそのアラクネはふわりと地上に降りる。
表からの明かりに照らされ、他の魔物の例に漏れない美貌と頬に入る特徴的な文様があらわになる。
「ネラさん……そういうことしはるからお客さん来おへんねんて……」
苦笑を浮かべながらモモチが言う。
「ふふ、習性よ、種族の習性、それに今しがた上客がいらっしゃったんだもの、問題ないわ」
かしゃり、と多脚を蠢かせてミタツに近付くとネラは興味深げに見下ろす。
「ふうん、この子がモモチさんのお気に入りの……」
「お世話になっております」
頭を下げるミタツを見て意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「ええ、はじめまして……なるほどぉ、こういうのがお好み、と……」
「まーだまだひよっこやけどよろしゅう頼んますわ、さ、ご所望はこちらやね?」
雲行きが怪しくなりそうな話題をさらりとスルーし、モモチは商談に入る。
背負ったバッグを下ろして開くと複数の小袋が現れた。
「改めさせてもらって構わないかしら」
「どうぞー」
口紐を緩めると中に覗くのは植物の根、別の袋には乾燥させた木の皮、また別の袋には花びら……。
「貴方経由でしか手に入らないのよねえこの染料……お陰で吹っかけられるわあ」
「いやー儲かりますわー」
報酬は絨毯二枚との物々交換。これを地方で捌くといい値段になる。
しかしながらこれらの希少な染料もモモチ独自のルートなしには集まらないものであり。
そのツテを構築するのにどれだけの労力を掛けたかを相手は知っている。
そして、モモチも彼女の作る絨毯にどれ程の手間がかかっているかを知っている。
軽口を叩き合いながらも対等な取引である事を互いにわかっている。
ミタツはそんな二人を羨望の目で見る。いつか自分もあんなふうに信頼してもらえる商売人になりたい、と思うのであった。
「……で、あの子の事なんだけれどもー……」
さりげなく蜘蛛の胴体でミタツの視界を遮り、声のボリュームを落としながらネラがニヤニヤ顔で言う。
「ネラはん……それはぷらいばしいの侵害っちゅうやつやで」
にこにこと営業スマイルを貼り付けたままモモチが答える。
「あらあ、つまり彼はぁ、ただの弟子じゃなくてプライベートなぁ……」
「うーん、最近これ品薄でなあ……もちっと単価上げたろかな思おてんねん」
「いけずう」
急に隠れてひそひそ話を始めた二人をミタツは怪訝そうに見る。
「何か問題でもあったんですか?」
「なーんもあらへんよ、ほな次いこか」







陶器を形作る方法にコツはない。
夫であると同時に師である男の言葉を思い浮かべる。
手の中の泥の塊を最終的に思うような形にできればいい、過程は人それぞれに違う。
だから、自分の思うようにすればいい。
自分の思うやりかた……愛するように、あの人を愛するように優しく……。
「まいどー」
「あっ……」
集中していた手元が外から聞こえる明るい声に反応してしまう。
器の形になりかけていた粘土は縁がくしゃりと変形した悲しい物体と成り果てる。
「ありゃ……すいません、仕事中で?」
「やや、これしきで集中乱しちゃう自分が悪いんです……ってあー!モモチさん?」
そこは工房だった。
レンガ造りの大きな焼き窯が中央に据えられており、壁に配置された棚には大量の焼き物が並べられている。
「やーどうもどうも、精が出ますなあキューアさん」
「いやあん♪精は出してもらってる方ですう♪」
下ネタなのか天然なのかわからない返答をするのはどうやらこの工房に務めるサキュバスのようだ。
裾あまりの服を腰で縛って纏め、髪を上げて結っている姿はいかにも仕事中だ。
しかし仕事着であっても薄着なため、慣れていないものなら目のやりどころに困る程度に汗ばんだ肌が見えている。
「ブロンズさんはどちらに?」
「あー、ダーリ……ししょーはちょっと買い物に行ってますー」
泥だらけの手を避けて二の腕で頬をくしくし拭いながらキューアと呼ばれたサキュバスは答える。
「そしたら代わりに品定め……は、できへんねんなあ……」
「申し訳ないですう……」
モモチから聞く話によるとこの工房の主であるブロンズ・マクシムはかなりの職人気質らしく、毎回必ず自分が品定めしてからでないと材料の仕入れもしないのだという。
目利きもまだ修業中であるというキューアでは仕入れを完了する事はできない。
「ししょー帰ってくるまでちょっとお茶します?」
「あ、お構いなくー、他回った後もう一度寄らせてもらいますわー……て、来はった来はった」
モモチが向いた方向を見てみると一人の青年が工房に向けて歩いて来る所だった。
「あの方ですか?」
「せや、あの人は放したらあかん人やでぇ」
手に籠を下げて歩く青年は不思議な雰囲気を纏っていた。
黒に近い茶の髪は短く、やせ型で長身の体躯をしている。
籠を持つ手は職業柄だろうか節くれだってごつごつと大きい。
しかし何より特徴的なのはその目だった。
温厚そうなその目は穏やかで、深い。
老成しているという印象さえ与えるその眼差しは年の若さに奇妙に不釣り合いであり。
それが独特の雰囲気をその青年に与えているのだ。
魔物達と多く関わってきたミタツはその独特の雰囲気に覚えがある。
「……見た目通りのお年、ではないみたいですね」
「せや、……今年で確か三桁に届きはるんやったかな」
ブロンズ・マクシム。
今年で齢百になる「青年」はモモチの姿を認めると朗らかな笑みを見せた。

16/06/05 01:24更新 / 雑兵
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