連載小説
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チェックメイト
モノリスは冷たい地面を頬に感じていた。
倒れたらしい。
腹を刺されると痛いというよりも熱いと感じるものだとは初めて知った。まるで腹の中で火を焚かれているようだ。
口の中には鉄の味がじんわりと広がる。
考えが纏まらない。
ガシャン!
激しい音がしてそちらを向くとアルファが見えた。
こちらに来ようとしている。モノリス特製の拘束具がそれを許さない。
しかしなおも拘束を軋ませながら動こうとしている。
なんて顔をしているんだ、見たことがないぞそんな表情……。
その隣ではベータが衛兵に取り押さえられている。小柄で非力な彼女は大人の男に容易く抑え込まれる。
それでも足掻いている。必死だ。
無理をするなベータ、お前は荒事に向いてないんだから……。
「騒がしい」
ナイフの血を拭いながらボーナイが言う。
「その拘束を解けとは指示していないぞ神の兵、それとも……」
ナイフを鞘に戻す。
「嘘がバレて焦っているのかね?」
言い捨てると這いつくばるモノリスの傍の椅子に腰掛けた。
「それは致命傷だ博士、じきに君は死ぬ」
「……ハァ……ハァ……」
「本来ならばもっと苦痛を与えないやりかたで葬る事もできたのだが……科学者というのは知りたがりだ、その中でも君は特に」
「ゴホッ」
「そんな知りたがりの君が何故自分が死ぬことになったのかをわからないないままに死ぬのは不憫だと思ってな」
「……」
「端的に言うとこれは領主の指示だ、君を始末せよとの指令でな」
ボーナイはため息をつく。
「先程も言ったように私自身は他の手段を取りたかった、しかし所詮私も宮仕えの身でな」
ボーナイはガラガラと椅子を移動させ、モノリスの蒼白な顔を覗き込んだ。
「君はだな……もう少し周囲の目を気にするべきだったのだ。そして自分の価値について理解が足りなかった、国の運営というものはだね、常に最悪を想定して動かねばならない。最悪とはどういう事態か?」
モノリスを指差した。
「君だ、君のその頭脳が、知識が、英知が敵に回る事だ。具体的に言うと魔王軍、もしくは敵対国に味方する事だ。君自身はそんなつもりが微塵もなくとも君の価値を知る者はその可能性を考える。手元に置いていられる今はいい、だが万一君が敵に回ったなら……?」
シシー達の方を見た。
「あのような代物がもし敵に回ったなら?魔王軍の手に渡ったなら?敵軍に使用されたなら?想像もつかない、我々のような凡夫には対抗できない」
視線をモノリスに戻す。
「領主は君を頼もしく思うと同じに恐れていたのだよ、もし、毛の先ほどの疑惑でもあったならその手段に踏み切らなくてはいけない……残念な事に君は裏切った、裏切りではない、と釈明するかもしれんが嘘をついた。見たまえあれを、感情が無い?どこがだね、その脳波計にそれが現れていない?そんなはずはないだろう」
ひとしきり語った後、ボーナイは椅子から立って背を向ける。
「衛兵の中に一人、魔導院の使徒がいるのだよ、彼は脳波計が読める。彼だ、見覚えがない?それはそうだろう、君は人の顔など覚えはしない、どうにかして君を蹴落とそうと躍起になっている同僚の姿も見えてはいない」
なるほど。
モノリスは霞み始めた視界の中で考える。
自分の死因はそういう事だ、フラスコの中ばかり覗いていて周囲が見えていなかった、相応の身の振りを覚えていなかった。
ある意味当然の帰結、自然淘汰……。
「君は人形の暴走によって非業の死を遂げ、その計画は闇に葬られる事になる。研究の成果は魔導院が存分に生かしてくれるだろう、君ほどではなくともな」
不思議だ。
「それにしても君は予想外にしぶといのだな、もうそろそろ……」
振り返ったボーナイの目が見開かれる。
モノリスは立ち上がっていた。
腹から血を流しながらも。
いや、出血が止まっている。
「……ベータ……」
モノリスの視界の端に机の上の皿が映る。
皿の上にあるのはベータが作ってくれた栄養食……。
小麦粉を使用せず、粉末状にした大豆を使用しているのが特徴です、その生地にナッツ類と細かくしたリンゴをブレンドして焼いたものです。
大豆と、ナッツと、リンゴ……リンゴの風味にしては風変わりだと思っていたがどうやら。
「……盛ったな……こいつめ……」
ボーナイはナイフではなく、腰の剣を抜いた。
「インキュバスか!」
衛兵達がざわめく。
「インキュバスだと!」
「魔物なのか!?」
「博士が……!?」
都内の任務が多い衛兵達は実物の魔物と遭遇した経験はない。
目の前の博士が噂に伝え聞く魔物だと知って動揺が広がる。
「落ち着きたまえ」
手入れの行き届いた剣を輝かせ、表情の無い目で見据えながらボーナイが歩み寄る。
「首を落とせば死ぬ」
そうだろう、首を落とされれば死ぬだろう。
いくら治癒能力が上昇しても今の状況が好転した訳ではない。
複数の衛兵と殺し屋。対してこちらはろくに運動もしたことのない学者。
そしてこの反魔物領にあってインキュバスという素性が割れた……自分でも今しがた知った事だが。
詰みである。
「君は賢いのだからわかっているのだろう?」
どうせ詰みなのだから。
「暴れなければ苦しまずに済む、大人しくしたまえ」
感情にまかせてやれ。
モノリスは腹を押さえたままフラフラと傍の棚に近寄る。
「動くなと……むっ」
棚を開き、その中に並べられていた薬瓶の一つをボーナイに投げつけた。
ボーナイは咄嗟に剣で叩き落そうとするが、思いとどまって身をかわす。
ぱりん
「なっ……うっぶっ!?げほっ!」
「なんだこりゃあ!」
飛散した液体は異臭を撒き散らして付着した床をじゅうじゅうと溶かし始めた。
近くの衛兵達が一斉に飛び退く。
もう一つを投げる。飛び散った液体が煙を上げて燃え始める。
もう一つ。次は付着した箇所がぱきぱきと音を立てて凍り始める。
衛兵達は次々飛んでくる得体の知れない薬品から必死で逃げ惑う。
「ははっ……ははははは……」
子供のように笑いながらモノリスは手当たり次第に薬物を投げつける。
「いい加減にしたまえ!」
が、巧みに瓶を掻い潜って近付いたボーナイが剣の柄で殴りつけるとモノリスは木の葉のように吹っ飛んで転んだ。
「あはははは……はははは……」
口から血を流しながらずりずりと地面を這って逃げる。ボーナイが追う。
「一体どういうつもりかね」
「はははは……」
笑いながら這いずる。
「失望させないでくれたまえ!君はもっと賢い男かと思っていた!」
うるさいな、勝手なイメージを押し付けるんじゃない。
複雑に配線されている管の一つを引き千切る。
ブシュウウウウウ
「ぬう!?」
千切った管から激しい音と共に気体が吹き出す、それをボーナイに向ける。
「ええいこの……!」
無意味な抵抗だ、知ってる。
でもいいだろう、どうせ終わりなんだから無意味でも。
どうせ終わりなんだから感情に従っても。
「シシー……」
気体の吹き出す音に紛れて殆ど聞こえない声でモノリスは呟く。
「逃げてくれシシー……」
ゴスッ
横殴りに蹴り飛ばされた。
薬品で散っていた衛兵達が戻って来ていたのだ。
管を取り落としたモノリスを衛兵が取り押さえる。
忌々しげに服を払いながらボーナイが近付く。
「押さえていたまえ、すぐに終わらせる」
髪が掴まれ、首筋が晒される。
ボーナイが剣を両手に持ち直す。

ああ

シシー

君ともう一度チェスを……

とたとたとたっ
と、そこに場違いに軽い足音が響いた。
研究室に走り込んでくるその小柄な影は。
「……ベー……タ……」
混乱に乗じて衛兵の手を逃れたらしい。後ろ手は縛られたままだ。
ボーナイは剣を持ち替え、ベータに刃を向ける。
とたとたとたとた
やめてくれ
とたとたとたとた
逃げてくれ
とたとたとたとた
お前に何ができるというんだ……。
とたとたとたとた
「……?」
ベータはボーナイ達に一瞥もくれずに隣を通り過ぎて研究室に走り込み、そのまま
ごちん!
壁に額を力いっぱいぶつけた。
よたよたとよろめいてぺたん、と尻餅をつく。
「何してるんだ?」
「壊れたのか」
訝しがる衛兵達の中でボーナイは気付く。
「……!」
ベータが頭突きをした壁の部分が割れ、中に赤く点灯するスイッチが見えたのだ。
「気をつけろ!何か」
言い終わる前に重々しい駆動音と共にそのスイッチの付いていた壁がばっくりと開く。
中にあったのは重厚な黒い……一見すると大きな柩のように見える箱が佇んでいた。
「……何だあれは……」
「……ぼくも知らない……」
ボーナイの呟きにモノリスは思わず返答する。
本当に知らなかったのだ、自分の研究室の壁にあんな細工が、あんなものが隠されていたなどとは。
いつの間に?誰が?
決まっている、この仕掛けを動かした……。
ブシュウウウウウウ
視線の集まる中、その箱が白煙を吹きながら観音開きに解放されていく。
白煙が薄まり、中に収まっていたものが見える。
「あっ……」
「なんだと……」
「あれは!?」
それはシシーだった。黒衣を纏い、眠り姫のように目を閉じている。
しかし二体のどちらとも違う。
アルファよりも若く、ベータよりも成熟している。
大人と子供の中間、十代後半の少女の顔立ちと体格。
眠り姫が瞳を開いた。
その場にいる全員が息を呑む。
覗いた瞳は真紅。
「……初めましてマスター……わたくしは……γ(ガンマ)、という事になるのでしょうか」
「自己紹介は、あとにして……」
頭突きの衝撃でふらふらになりながらベータが言う。
「マスターをたすけて!」
ガンマの紅い目がぐるりと部屋を見回し、研究室内にいる複数の男達、そしてその男達に取り押さえられる主の姿を認識する。
「マスター……」
ゆっくりとその華奢な黒い姿が柩から歩み出る。
接続されていたコードがバチバチと音を立てて外れていく。
「生まれた途端に生きる理由を失うのはご勘弁願います」
一際太いコードが首筋から外れ、パリパリと電流が走る。
「今、ガンマが貴方の傍に」
「まったく……」
ボーナイが青ざめた顔で剣を構える。
「聞いていないぞこんなのは」
「どいてくださいそこの方」
ガンマは醒めた目でボーナイを見ながらぶらぶらと手首を回しながら歩み寄る。
「骨折りますよ、まじで」

24/11/04 09:42更新 / 雑兵
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■作者メッセージ
来週にはディビジョンが発売されるから更新ペースが落ちる(確信

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