連載小説
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殺し屋

「……これでいいだろう」
アルファは上半身の着衣をはだけた状態でモノリスの前に座っている。
その体の前面についている砲弾のような凶悪な代物は今は檻、もとい、いわゆるブラジャーという下着に包まれている。
飾り気のない黒い布地でできたそれはその膨らみをしっかりと覆い、多少の運動では揺れが起きない程度の頑丈さも備えている。
最初は市販の物を購入すればいいだろうと考えていたのだがこのレベルのサイズとなると市場で手に入るものでは規格が合わない、あったとしてもとても激しい運動に耐えられるような構造をしていなかった。
「……感覚はどうだ」
言われたアルファはゆっくりと肩を回したり腰を捻ったりとひとしきり動作を確認する動きを繰り返した後。
「問題ありません、とてもフィットしています」
と答えた。
それはそうだろう、彼女の体型に合わせたオーダーメイドだ。
なおかつモノリスは病的に凝り性なので本来は考慮せずともよい付け心地にも拘った一品だ。
そう、モノリス自作のブラである。
手先が器用な事は自負していたが、まさか女性用下着をその手で作成することになるとは流石のモノリスも想定していなかった
研究室で図面まで引いて黙々と裁縫している時は流石に自分は一体何を、と我に返りそうになったが……。
それにしても予想以上に似合っている。
色を黒にしたのはただ衣服に合わせただけだったが、それが真っ白な肌によく映える。
アルファが再び黒衣を纏うと以前と同様、とまではいかないが何も付けていない時よりシルエットはかなりスリムになった。本人の感覚からすると運動も問題はないという。
本来はその膨らみを切除すれば済む話だった。
それが何より手っ取り早い方法だったが、モノリスはその手法をとらなかった。
アルファの体は元々有機物であったが、今ではもはや生物といっていい機構を備えている。
柔軟性と適応力に優れているがそれは絶妙なバランスの上に成り立っている、迂闊に手を加えるとどんな弊害が出るかわからない。
そして、それらの理由が建前だという事もモノリスは薄々自覚していた。
単純に彼女の体に刃を入れる事を嫌ったのだ。
それどころか愛着を持つな、と自分で戒めておきながら専用の下着までも作ってしまった。
量産が始まったら一体一体に作ってやるつもりなのだろうか自分は。
自嘲と共にため息をついたモノリスはアルファがじっと目を閉じている事に気づいた。スリープモードに入る時間はまだ早いはずだ。
「……どうした、不具合があるか」
「ありません、これ以上なく良好です」
ぱち、と目を開いて言った。
その白い眼は奇妙に潤んで見える。
「大変、良好です」
「……そうか」
いつもと微妙に違う受け答えに首を傾げながらモノリスは言った。
「ん?」
ふと視線を感じて隣を見るとベータが立っていた。
「……」
ベータはアルファの胸元をじっと凝視し、しばらくすると自分の胸元に視線を落とした。
「……」
しばらくそうやって視線を往復させた後、モノリスに視線を移した。
「……お前は必要ないだろう」
「はい」
微妙に肩を落としながらベータはとぼとぼと研究室に戻っていった。







 問題はないと考えていた。
将来的に問題は山積しているが、少なくとも当面は。
モノリスはそう考えていた。
「やあ、開発は順調かね」
その日、衛兵を引き連れてボーナイが研究室を訪れるまでは。
「……何か、問題が?」
「うむ、一つ訪ねたいのだが」
「はい」
「神の兵達の指揮権の移行はまだ早いと思うかね?」
「……時期尚早かと、思われます」
現在、アルファとベータは基本的にモノリスの指示にしか従わない。
現場での細かい指揮には対応するが、大きな目標や行動理念はモノリスの指示に殉じる。
大きな戦力であるが故に扱いに慣れていない兵士の判断に指揮権を委ねると思わぬ惨事に繋がりかねない。というのが理由だ。
「では試験的に一時移行する事は可能かね?」
「……可能です、試みた事はありませんが」
「今すぐに出来るかね?」
「……私の口頭で移行は可能です……今すぐに、ですか」
「安全策を取れば問題あるまい」
「安全策?」
「謁見の時に使っていたものがあったであろう」
「……」
領主に謁見した時に使用していた拘束具は確かにある。
万が一の暴走を考慮してモノリス自身が設計したもので、アルファの怪力でも破壊する事はできない。
起動が安定してからはもはや出番もなく、現在は研究室の片隅に放置されている。
「……今は暴走の可能性は……」
「全ての可能性はゼロではない、と言っていたな?」
モノリスはがりがりと頭を掻く。
「この兵達も何かがあった時の備えとして連れてきたのだ」
少し、不審に思った。
このボーナイという上官は思い立ったが吉日とばかりに口にした事はすぐに実行するのが常だ。
こんな風に用意周到に準備をしてから物事に取り掛かるとは珍しい。
しかし不審に思おうとどうしようと結局上官には逆らえない。モノリスは急遽命令権移行の実験を行う事にした。
「わかりました……アルファ」
「はい」
アルファは指示に従って倉庫に眠っていたその重厚な拘束具を持って来る。
実のところ使われたのはあの謁見の時一回きりのそれにはうっすらと埃がつもっている。
「装着を」
「ぬっ」「おおっ」
アルファが軽々しく手渡したそれを受け取ろうとした衛兵の一人がその重さによろめき、慌てて傍にいた他の二人が支える。
そうして三人がかりでアルファの身体にそれを装着し終える。
「これはこちらが持参させてもらった、これで十分だろう」
そう言ってボーナイは縄を取り出し、傍の衛兵に手渡す。
衛兵は無表情に立つベータの背後に回るとその縄で小さなベータの腕も後ろ手に縛ってしまう。
「そしてこれだ……確か、神の兵の感情……と言っては妙か、頭を覗けるのだったな?」
衛兵が二人の頭部に装置を取り付ける。
「……」
写し出される二体の脳波を見ながらモノリスの胸騒ぎは大きくなる。
これは本当にただの実験なのか?
準備を終えた衛兵達が距離を取った。
「さて準備はできた、移行を開始したまえ」
「……」
「どうかしたのかね?」
「いいえ……」
言われた通りにする以外無い。
「アルファ、ベータ」
「「はい」」
二体の顔がこちらを向く。
「指揮権を私の示す人物」
モノリスはボーナイを手で示す。
二体はそちらを向く。
「ボーナイ上官へと移行する」
「「……」」
短い沈黙があった。周囲に緊張が走り、衛兵達はじりりと更に距離を取る。
「「移行が完了しました」」
二体が言った。衛兵達は顔を見合わせる。
「これでいいのかね?」
「はい、指揮権は上官にある状態です」
脳波を見ながらモノリスは答える。
「ふうむ」
ボーナイは腰と顎に手を当ててゆっくりと二体に近付く。
「上を見たまえ」
二体は上を見る。
「下を見たまえ」
二体は下を見る。
「首を振りたまえ」
二体はふるふると首を振った。
ボーナイはにっこり笑った。
「うむ、杞憂でよかった」
「杞憂、とは」
「士官達が疑いを持っていてね、この兵を使って君が謀反を起こそうと企んでいるとかなんとか、私はそんなことをする男ではないと諭したのだが」
「……」
「しかしこれで胸を張ってシロと断言できる、手間を取らせてすまなかったな」
「……いえ……」
「最後にもう一つ確認させてもらおう」
ボーナイは二体の顔を交互に見ながら言った。
「私の質問に嘘偽りなく答えなさい、まあ、嘘など言わんだろうが」
「「はい」」
「私の指示に従うかね?」
「「従います」」
「その指示が」
ボーナイは強調するように一拍置いた。
「モノリス博士の殺害であっても?」
「「従います」」
二体は表情も変えず、間も置かず答えた。
「ーーーーー」
モノリスは目を見開いた。
それは二体の返答にショックを受けたからではない。
指揮権は移行されているのだからその返答が当然だ。
モノリスの表情を変えたのは二体の脳波。
表面上には現れなかったが、ボーナイの指示を聞いた瞬間二体の脳波に今までにないほど大きな乱れが発生したのだ。
何故?
感情があるなら自分の創造主を殺せるかと問われれば動揺もするだろう。
だが、そんなずはない。
ないはずなのだ。
「どうかしたかね」
モノリスがはっとして見るとボーナイと目が合った。
ボーナイは最初からシシー達の方には注意を払っていなかった。彼女達の脳波を見るモノリスの反応を観察していたのだ。
「何か、異常があったのかね」
ボーナイが近付いて来る。モノリスの脳は回転する。
ここで異常を報告すればどうなる?
彼女達にいわゆる……「自我」らしきものの兆候が現れたと伝えたなら……。
それは計画にとって致命的だ。
即座に中止となり、凍結される事になる。
莫大な費用を掛けた計画が頓挫すれば自分の立場は大きく失墜する。いや、問題はそこではない、権威などは最初からどうでもいい。
彼女達の行く末は?
考えるまでもない。
自我を持った兵器などという危険な代物が存在を許されるはずもない。
「モノリス博士?」
「いえ……何も、問題はありません……」
モノリスは嘘をついた。
脳波計など読める者はこの場にいない、自分の嘘は見破られない。
ひとまず欲しい。考えを整理する時間が。
「問題はない?」
ボーナイはモノリスの顔を覗き込みながら言う。
「ありません……」
モノリスは俯いて言う。
「本当かね?」
「はい、ありません……」
「ふむ」
ボーナイは頷くと離れる。
モノリスは微かに息を付く。
「モノリス博士、私はね」
振り返ったボーナイはあまり見たことのない顔をしていた。
いつも傲慢な笑みが浮かんでいるその顔には表情らしい表情がない。
まるで傍のシシー達のように。
「君の事は嫌いではなかったのだよ」
「……はあ」
ボーナイは残念そうに首を振った。
「だからこの結果は非常に残念だ」
そう言ってボーナイは何気なくモノリスに近付き、ポンポン、と肩を叩いた。
「この仕事は私にとっても不本意な事なのだよ」
そう言ってボーナイは腰のナイフを抜き、何気ない動作でモノリスの腹にそれを突き立てた。
モノリスは瞬きをするしかできなかった。
そうするうちにボーナイはナイフを引き抜き、ドス、ドス、ともう二度、腹を刺した。


16/02/21 23:45更新 / 雑兵
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