前編
街には今日も雨が降り続いていた、雨季に入れば毎年の事だが今年は特に長雨のようだ。
街の主婦達は洗濯物が乾かない事に愚痴を漏らし、子供達は外で遊べない鬱憤を込めて薄暗い空を見上げ、農家の男達は外で働けないのをいいことに家で酒を食らい始める。
そんな雨模様の中、街を囲うように建てられている魔王軍の城塞もやはり少々活気を失う。
なにしろ訓練所は水浸しでこんな中で外に出て訓練しようなどという者は・・・居ない事もないが、稀だ。
しかし、そんな人影のない訓練所に一人の男が現れた。
灰色のレインコートを着込み、ゴミ入れ用の台車を押して男はばちゃばちゃと訓練所を横切り、訓練所の周辺にある水はけ用の溝の元に辿り着いた。
男が予想していたようにここ数日の大雨で押し流された大量の落ち葉やら何やらのごみで排水溝が詰まっており、そこで流れが滞ってしまっている。
男はそのごみを持ってきたシャベルでせっせと崩し、台車に積み込み始める。
訓練所の四隅の排水溝が綺麗になり、流れが正常に戻った頃台車にはごみが山になっていた。
男はよっこらせ、と台車を押し始める。
ふと、そこで男は自分の周囲だけ雨が降っていない事に気付く。
見上げてみると頭上の雨が目に見えない何かにぶつかってぱたぱたと音を立てており、水の筋を作って周囲に流れ落ちていっている、まるで透明な傘があるようだ。
「ジュカ?」
咄嗟に思い当たる名前を呟いてみる。
すると彼の右隣の空間がぐにゃりとたわみ、ぞっとするほどの美貌を備えた淫魔が現れた。
彼の愛するリリムは青のセーター姿をしており、見えない傘で雨を避けながらいつものように男を引き付けて止まない微笑を浮かべてそこに立っていたが、いつもより少し困ったような色合いもその表情に表していた。
「ね、前々から言おうと思ってたんだけど・・・」
「うん?」
「コンラッドはね、働き過ぎだと思うの」
「いや、これしておかないと後々困るし・・・」
「城塞中を一人ですることないじゃない」
「このくらいなら俺一人でも・・・」
ジュカはふう、とため息をついた。
「コンラッド?」
「は、はい?」
いつも朗らかな彼女にしては珍しくちょっと不機嫌そうな声に思わず敬語で返す。
「今日はもう働くの禁止」
「ええ?」
「禁止ったら禁止」
言いながらコンラッドに近付くとぽん、と肩に手を置いた。
「ちょ、待って、このゴミだけ片付け」
最後まで言い終わらないうちに二人の姿は空間の歪みに飲まるように消え、後にはゴミを乗せた台車だけが雨の中ぽつんと残された。
「働き者なのは悪い事じゃないよ、でもね、こんな雨の日にまでくるくる動き回ることないんじゃない?」
「雨だから何もしなくていいというのは違うんじゃ・・・」
「そーいう問題じゃないのよもうばかにぶちんおたんちん」
「お、おたん・・・」
ジュカはぶつぶつ言いながらコンラッドのレインコートを脱がせる。
転移した先は城塞内にある二人の・・・いや、三人の私室だった。
魔王の娘であるリリムは優先的に条件のいい部屋を得る事が出来る、パートナーを見つけたならなおさらである。
寝室やリビング、簡易の台所や浴室までついたちょっとした住居だが、質素が身についているコンラッドとソラン、派手好みではないジュカの三人の部屋なので高価な調度品などは無く落ち付いた内装をしている。
「し、しかしソランだって雨の中働いてるし・・・」
コンラッドはもう一人の愛する妻の名を出した、ソランはこの雨の中防衛線の見回りに出ている。
「ソランもソランで仕事しすぎだと思うなぁ私は・・・帰ってきたら二人でたっぷり労ってあげようね♪」
ジュカは艶やかな笑みを浮かべ、ゆっくりと髪を拭う。
労うって・・・。
コンラッドは赤面する。
「ね、今日一日はのんびりしない?」
髪を拭いていた手を顎に滑らせながらジュカは妖艶な笑みを深める。
その笑顔にいつまでたっても慣れないコンラッドは思わず視線を逸らしながら考える。
そういえば、最近は色々と忙しくて妻達に構っていなかったな・・・日中は。
コンラッドは元々騎士を目指して修行を重ねて来た男だが、その道では少しも芽が出なかった、おびただしい努力が実を結ばなかった経験もあって一時期は自分には何の能もないのではないかと悩んだ事もあった、しかしインキュバスになり、完全にその道から身を引いてみると今まで見えなかった色々な事が見えて来た。
その色々ある中で、自分にとって一番の収穫は自分が無能などではないという事実に気付けた事だ。
基本的に何もしなくても暮らしていける身分になったコンラッドだが、日々、何もしないですごすのが性分に合わず、城塞の中の細々とした雑務を手伝ったりしていた、その中で自分の手先の器用さは人より優れているという事に気付いたのだ。どのくらいかというとアラクネと編み物でいい勝負出来るくらいに、仕事の覚えも異様に早かった。
それからコンラッドはちょっとした何でも屋として城塞内だけでなく、城下町にまで出かけては色々と仕事を引き受けた。
家具、家、小物の修繕、時計の調律、街の工事、建設、店番、ペットの世話、ベビーシッター・・・。
よくまあそんなにというほど毎日くるくると働いて回った。
お陰で結構な規模を誇るこの街でも随分顔が広くなり、仕事を通した友人も数多く出来た。
騎士学校時代に植えつけられたコンプレックスから解放された彼にとって素晴らしい日々だった。
反面、二人の妻には付き合いが悪くなってしまっていたかもしれない、いや、夜の生活に関しては過剰なほど充実してはいるのだが、それ以外の日常での付き合いが疎かになっていたかもしれない。
「そうだな・・・今日は少しゆっくりするか」
「じゃ、お風呂溜めとくね」
そう言うとジュカは浴室の方に向けてぱちん、と指を鳴らした。
これで風呂が溜まってしまうのだから凄いものだとコンラッドはいつも思う
水道が引かれるほど治水が出来ている訳ではないが、そこはそれ魔力で色々と出来るのだ。
この部屋に据えられている特製の浴槽は底に魔力によって加工された石が埋め込まれており、その石から温かい湯がこんこんと湧き出てくるのだ。
無論何もない所から湯を出せる訳ではなく、この城塞内にある大浴場の底に魔力的に繋がった石が設置されており、その石を介して少しずつ湯を転送しているのだ、つまり大浴場から湯を拝借しているらしい。
難点と言えばジュカにしか操作できない事と溜まるのに結構時間を食う事ぐらいか。
「着替えておくよ」
「その間にお茶でも入れとくね」
「ありがとう」
ジュカがティーセットでハーブティーを入れている間にコンラッドは濡れた服を着替え、二人は大きなソファーに並んで座った。
「・・・それ、あんまり着ないで欲しいんだけどなぁ・・・」
「俺は好きなの」
その服は目に染みいるような空色のセーターだった、色は綺麗だが右と左の袖の長さが少しちぐはぐになっている。
このセーターはジュカがコンラッドの為に編んだ物だ、慣れない手で編み、色も染料を使って染めた物だ、魔力を使えばもっと容易に出来るのだが、魔力を使えるジュカだからこそ自分の手で作る事に拘った。
しかし頑張って完成させたはいいが、あまり出来がよろしくなかったので廃棄しようとした所をコンラッドに見つかり、それを捨てるだなんてとんでもない、と回収され、以後お気に入りのようでよく着ている。
「だってさぁ・・・コンラッドの方が上手なんだもん」
「俺は好きなの」
何を言ってもこれ一辺倒で手放してくれない、嬉しいのだが何というか見ていると自分の腕の低さに悲しくなる。
編み物にしろ料理にしろ何にしろ主婦的な能力ではどれもコンラッドに及ばない。
これはジュカにとって由々しき問題だ、彼女の昔からの夢はちょっと前時代的かもしれないが炊事洗濯をきちんとこなせる奥さんになる事なのだ、それが夫に及ばないというのでは彼女は納得できない。
なので近頃は暇があれば「花嫁修業」に精を出す日々だ、そう、花嫁修業というのは結婚したら終わりなのではなく結婚してからが本番なのだ。
そんな現状だが一つだけ夫に勝っている物がジュカにはある。
「ああ・・・うまいなぁ」
ハーブティーを一口啜ったコンラッドはしみじみと言う。
お茶の淹れ方だけはジュカがうまい、もっともこれは経験が物を言う所もあるし、魔界特有のハーブを調合しているので当たり前かもしれない、しかし一つでも勝る所があるのは大きい。
「えへへ、そうでしょ」
嬉しげに言ってジュカも口をつける。
「・・・また何か変な物配合されてないよな?」
「それは飲んでのお楽しみ♪」
「やめてくれまじで」
「ふふふ、冗談冗談怪しい物は入ってないから」
以前、魔界原産の「元気の出るハーブ」が配合されていて大変な事になった事があるのだ、性的な意味で。
部屋には窓の外から届くざあざあという雨音とハーブティーのいい香りで満ちていた。
「今回の雨季は特に長いなぁ」
「雨、嫌い?」
「あんまりな、活動に支障が出るし」
「私は嫌いじゃないな、活動に支障が出るから」
「それは雨を理由に色々サボれるとかそういう・・・」
「その通り♪」
「怠け者め」
「基本淫魔は怠け者ですもーん、あくせく働くより旦那さまとだらだらイチャイチャしてたいもん」
「・・・ソランは?」
「例外」
「まぁ、勇者だからな」
「勇者だもんね」
同時にティーカップを持ち上げ、ずずずぅ、と啜る。
「ああ、でも、こうしてると雨も悪くないかもなぁ」
「でしょ?それに私雨音好きなんだ、匂いも」
「匂い?雨に匂いなんてあるか?」
「あー、心に余裕がないからそんな事にも気付かないんだぞー」
そう言うとソランはカップを置いてコンラッドの袖を引っ張り、窓際に連れてくる。
雨が入らない程度に窓を開け、その隙間から二人で揃って鼻先を出す。
「ああ・・・言われてみれば」
「ね?」
そう言うとまた二人はソファーに戻り、ずずずぅ、とお茶を啜る。
窓の隙間はそのままにしておいた、その方が雨の音も匂いも室内によく届く。
それから暫く二人とも何も喋らず、ただ雨音に耳をすませ続けた。
コンラッドは背もたれに頭までもたれさせ、ぼんやりと天井を見上げる、体の隅々から力が抜けるようだ・・・やはり少し疲れが溜まっていたのかもしれない。
ジュカはそんなコンラッドの肩に頭をもたれかけさせ、時折すりすりと猫のように擦り付けて満足気だ。
「昼間さ・・・」
「ん?」
「俺が外で色々やってる時、家事以外何してる?」
「私も色々」
「だから色々って?」
「庭園のハーブのお世話したり、友達とお喋りしたり、一人でシたり」
「ふうん・・・」
「・・・」
「ん?うん?するって何を?」
「だから、ハーブのお世話したり友達と」
「いや、その、最後の一人でするって」
「おにゃにー」
「・・・」
「オ・ナ・n「あぅわわわわわかった解った、何度も言うな」
「・・・」
「・・・」
「その、すまない、俺が不甲斐ないばっかりに「違―う、不満がある訳じゃないの」
「しかし、それじゃなんで・・・」
「そんな気分な時もあるの、出来れば朝になっても離れずにずーっとずーっと一緒にいちゃいちゃしてたいなぁって時もあるの、でもコンラッドにも都合があるからそんな時は一人で処理するの」
「ええと・・・」
「悪く思う事はないよ、割とこう・・・別腹ってとこもあるから」
「そ、そうか・・・」
「・・・」
「・・・」
また暫しの沈黙、しかし先程の落ち付いた沈黙とは違い、コンラッドは少しばかり気恥しそうにもじもじしている、ジュカは先程と変わらずこにことしているが、その白磁の肌は少し紅潮しており、笑顔にも艶が混じっているような気がする。
ああ、この空気は・・・こんな昼間から・・・
コンラッドは激しさを増していく自分の鼓動を感じながら思った。
こういった所はやはり不器用なソランとは違う、先程まで落ち付いた雰囲気だったのにいつのまにか部屋には桃色な空気が充満している、こうなるともう彼女の一挙一動が艶めかしく感じる。
「意外だった?」
ジュカはそっと唇を舐めながら言った。
「あ、ああ、何だかその・・・そんなイメージがなくてな」
「うふふ、オナニーなんかしなそうなイメージ?」
「うん、ああ」
彼女の口からオナニー、と聞かされるだけでどきどきする、初心な子供であるまいに。
ジュカはいつの間にかただ寄り掛かるだけでなく、そっとコンラッドの腿の上に手を置き、ゆるゆるとさすり始めている、それだけでぴりぴりと撫でられた箇所から快感が生じる。
と、不意にジュカはコンラッドから離れて立ち上がると、ティーセットの置かれているテーブルを挟んで向かい側にあるソファーに座った。
「ね、見たい?」
「・・・何を」
「私が一人でするところ」
ジュカは今はもうはっきりと淫魔の本性を表情に表しながら言う、こうなってしまってはもうコンラッドは逆らう事は出来ない。
「・・・見たい」
出来る限り自分の興奮を悟られないようにさらっと答えたつもりだが、うまくいったとは思えない。
「そっか」
ジュカはもう一度そのピンクの舌で唇を舐めると、テーブルのティーセットを端に退けた。
「じゃ、見てて、今からするから」
部屋には雨の匂いとハーブの匂いに加えてもう一つ、男を狂わせる花の芳香が静かに広がり始めた。
街の主婦達は洗濯物が乾かない事に愚痴を漏らし、子供達は外で遊べない鬱憤を込めて薄暗い空を見上げ、農家の男達は外で働けないのをいいことに家で酒を食らい始める。
そんな雨模様の中、街を囲うように建てられている魔王軍の城塞もやはり少々活気を失う。
なにしろ訓練所は水浸しでこんな中で外に出て訓練しようなどという者は・・・居ない事もないが、稀だ。
しかし、そんな人影のない訓練所に一人の男が現れた。
灰色のレインコートを着込み、ゴミ入れ用の台車を押して男はばちゃばちゃと訓練所を横切り、訓練所の周辺にある水はけ用の溝の元に辿り着いた。
男が予想していたようにここ数日の大雨で押し流された大量の落ち葉やら何やらのごみで排水溝が詰まっており、そこで流れが滞ってしまっている。
男はそのごみを持ってきたシャベルでせっせと崩し、台車に積み込み始める。
訓練所の四隅の排水溝が綺麗になり、流れが正常に戻った頃台車にはごみが山になっていた。
男はよっこらせ、と台車を押し始める。
ふと、そこで男は自分の周囲だけ雨が降っていない事に気付く。
見上げてみると頭上の雨が目に見えない何かにぶつかってぱたぱたと音を立てており、水の筋を作って周囲に流れ落ちていっている、まるで透明な傘があるようだ。
「ジュカ?」
咄嗟に思い当たる名前を呟いてみる。
すると彼の右隣の空間がぐにゃりとたわみ、ぞっとするほどの美貌を備えた淫魔が現れた。
彼の愛するリリムは青のセーター姿をしており、見えない傘で雨を避けながらいつものように男を引き付けて止まない微笑を浮かべてそこに立っていたが、いつもより少し困ったような色合いもその表情に表していた。
「ね、前々から言おうと思ってたんだけど・・・」
「うん?」
「コンラッドはね、働き過ぎだと思うの」
「いや、これしておかないと後々困るし・・・」
「城塞中を一人ですることないじゃない」
「このくらいなら俺一人でも・・・」
ジュカはふう、とため息をついた。
「コンラッド?」
「は、はい?」
いつも朗らかな彼女にしては珍しくちょっと不機嫌そうな声に思わず敬語で返す。
「今日はもう働くの禁止」
「ええ?」
「禁止ったら禁止」
言いながらコンラッドに近付くとぽん、と肩に手を置いた。
「ちょ、待って、このゴミだけ片付け」
最後まで言い終わらないうちに二人の姿は空間の歪みに飲まるように消え、後にはゴミを乗せた台車だけが雨の中ぽつんと残された。
「働き者なのは悪い事じゃないよ、でもね、こんな雨の日にまでくるくる動き回ることないんじゃない?」
「雨だから何もしなくていいというのは違うんじゃ・・・」
「そーいう問題じゃないのよもうばかにぶちんおたんちん」
「お、おたん・・・」
ジュカはぶつぶつ言いながらコンラッドのレインコートを脱がせる。
転移した先は城塞内にある二人の・・・いや、三人の私室だった。
魔王の娘であるリリムは優先的に条件のいい部屋を得る事が出来る、パートナーを見つけたならなおさらである。
寝室やリビング、簡易の台所や浴室までついたちょっとした住居だが、質素が身についているコンラッドとソラン、派手好みではないジュカの三人の部屋なので高価な調度品などは無く落ち付いた内装をしている。
「し、しかしソランだって雨の中働いてるし・・・」
コンラッドはもう一人の愛する妻の名を出した、ソランはこの雨の中防衛線の見回りに出ている。
「ソランもソランで仕事しすぎだと思うなぁ私は・・・帰ってきたら二人でたっぷり労ってあげようね♪」
ジュカは艶やかな笑みを浮かべ、ゆっくりと髪を拭う。
労うって・・・。
コンラッドは赤面する。
「ね、今日一日はのんびりしない?」
髪を拭いていた手を顎に滑らせながらジュカは妖艶な笑みを深める。
その笑顔にいつまでたっても慣れないコンラッドは思わず視線を逸らしながら考える。
そういえば、最近は色々と忙しくて妻達に構っていなかったな・・・日中は。
コンラッドは元々騎士を目指して修行を重ねて来た男だが、その道では少しも芽が出なかった、おびただしい努力が実を結ばなかった経験もあって一時期は自分には何の能もないのではないかと悩んだ事もあった、しかしインキュバスになり、完全にその道から身を引いてみると今まで見えなかった色々な事が見えて来た。
その色々ある中で、自分にとって一番の収穫は自分が無能などではないという事実に気付けた事だ。
基本的に何もしなくても暮らしていける身分になったコンラッドだが、日々、何もしないですごすのが性分に合わず、城塞の中の細々とした雑務を手伝ったりしていた、その中で自分の手先の器用さは人より優れているという事に気付いたのだ。どのくらいかというとアラクネと編み物でいい勝負出来るくらいに、仕事の覚えも異様に早かった。
それからコンラッドはちょっとした何でも屋として城塞内だけでなく、城下町にまで出かけては色々と仕事を引き受けた。
家具、家、小物の修繕、時計の調律、街の工事、建設、店番、ペットの世話、ベビーシッター・・・。
よくまあそんなにというほど毎日くるくると働いて回った。
お陰で結構な規模を誇るこの街でも随分顔が広くなり、仕事を通した友人も数多く出来た。
騎士学校時代に植えつけられたコンプレックスから解放された彼にとって素晴らしい日々だった。
反面、二人の妻には付き合いが悪くなってしまっていたかもしれない、いや、夜の生活に関しては過剰なほど充実してはいるのだが、それ以外の日常での付き合いが疎かになっていたかもしれない。
「そうだな・・・今日は少しゆっくりするか」
「じゃ、お風呂溜めとくね」
そう言うとジュカは浴室の方に向けてぱちん、と指を鳴らした。
これで風呂が溜まってしまうのだから凄いものだとコンラッドはいつも思う
水道が引かれるほど治水が出来ている訳ではないが、そこはそれ魔力で色々と出来るのだ。
この部屋に据えられている特製の浴槽は底に魔力によって加工された石が埋め込まれており、その石から温かい湯がこんこんと湧き出てくるのだ。
無論何もない所から湯を出せる訳ではなく、この城塞内にある大浴場の底に魔力的に繋がった石が設置されており、その石を介して少しずつ湯を転送しているのだ、つまり大浴場から湯を拝借しているらしい。
難点と言えばジュカにしか操作できない事と溜まるのに結構時間を食う事ぐらいか。
「着替えておくよ」
「その間にお茶でも入れとくね」
「ありがとう」
ジュカがティーセットでハーブティーを入れている間にコンラッドは濡れた服を着替え、二人は大きなソファーに並んで座った。
「・・・それ、あんまり着ないで欲しいんだけどなぁ・・・」
「俺は好きなの」
その服は目に染みいるような空色のセーターだった、色は綺麗だが右と左の袖の長さが少しちぐはぐになっている。
このセーターはジュカがコンラッドの為に編んだ物だ、慣れない手で編み、色も染料を使って染めた物だ、魔力を使えばもっと容易に出来るのだが、魔力を使えるジュカだからこそ自分の手で作る事に拘った。
しかし頑張って完成させたはいいが、あまり出来がよろしくなかったので廃棄しようとした所をコンラッドに見つかり、それを捨てるだなんてとんでもない、と回収され、以後お気に入りのようでよく着ている。
「だってさぁ・・・コンラッドの方が上手なんだもん」
「俺は好きなの」
何を言ってもこれ一辺倒で手放してくれない、嬉しいのだが何というか見ていると自分の腕の低さに悲しくなる。
編み物にしろ料理にしろ何にしろ主婦的な能力ではどれもコンラッドに及ばない。
これはジュカにとって由々しき問題だ、彼女の昔からの夢はちょっと前時代的かもしれないが炊事洗濯をきちんとこなせる奥さんになる事なのだ、それが夫に及ばないというのでは彼女は納得できない。
なので近頃は暇があれば「花嫁修業」に精を出す日々だ、そう、花嫁修業というのは結婚したら終わりなのではなく結婚してからが本番なのだ。
そんな現状だが一つだけ夫に勝っている物がジュカにはある。
「ああ・・・うまいなぁ」
ハーブティーを一口啜ったコンラッドはしみじみと言う。
お茶の淹れ方だけはジュカがうまい、もっともこれは経験が物を言う所もあるし、魔界特有のハーブを調合しているので当たり前かもしれない、しかし一つでも勝る所があるのは大きい。
「えへへ、そうでしょ」
嬉しげに言ってジュカも口をつける。
「・・・また何か変な物配合されてないよな?」
「それは飲んでのお楽しみ♪」
「やめてくれまじで」
「ふふふ、冗談冗談怪しい物は入ってないから」
以前、魔界原産の「元気の出るハーブ」が配合されていて大変な事になった事があるのだ、性的な意味で。
部屋には窓の外から届くざあざあという雨音とハーブティーのいい香りで満ちていた。
「今回の雨季は特に長いなぁ」
「雨、嫌い?」
「あんまりな、活動に支障が出るし」
「私は嫌いじゃないな、活動に支障が出るから」
「それは雨を理由に色々サボれるとかそういう・・・」
「その通り♪」
「怠け者め」
「基本淫魔は怠け者ですもーん、あくせく働くより旦那さまとだらだらイチャイチャしてたいもん」
「・・・ソランは?」
「例外」
「まぁ、勇者だからな」
「勇者だもんね」
同時にティーカップを持ち上げ、ずずずぅ、と啜る。
「ああ、でも、こうしてると雨も悪くないかもなぁ」
「でしょ?それに私雨音好きなんだ、匂いも」
「匂い?雨に匂いなんてあるか?」
「あー、心に余裕がないからそんな事にも気付かないんだぞー」
そう言うとソランはカップを置いてコンラッドの袖を引っ張り、窓際に連れてくる。
雨が入らない程度に窓を開け、その隙間から二人で揃って鼻先を出す。
「ああ・・・言われてみれば」
「ね?」
そう言うとまた二人はソファーに戻り、ずずずぅ、とお茶を啜る。
窓の隙間はそのままにしておいた、その方が雨の音も匂いも室内によく届く。
それから暫く二人とも何も喋らず、ただ雨音に耳をすませ続けた。
コンラッドは背もたれに頭までもたれさせ、ぼんやりと天井を見上げる、体の隅々から力が抜けるようだ・・・やはり少し疲れが溜まっていたのかもしれない。
ジュカはそんなコンラッドの肩に頭をもたれかけさせ、時折すりすりと猫のように擦り付けて満足気だ。
「昼間さ・・・」
「ん?」
「俺が外で色々やってる時、家事以外何してる?」
「私も色々」
「だから色々って?」
「庭園のハーブのお世話したり、友達とお喋りしたり、一人でシたり」
「ふうん・・・」
「・・・」
「ん?うん?するって何を?」
「だから、ハーブのお世話したり友達と」
「いや、その、最後の一人でするって」
「おにゃにー」
「・・・」
「オ・ナ・n「あぅわわわわわかった解った、何度も言うな」
「・・・」
「・・・」
「その、すまない、俺が不甲斐ないばっかりに「違―う、不満がある訳じゃないの」
「しかし、それじゃなんで・・・」
「そんな気分な時もあるの、出来れば朝になっても離れずにずーっとずーっと一緒にいちゃいちゃしてたいなぁって時もあるの、でもコンラッドにも都合があるからそんな時は一人で処理するの」
「ええと・・・」
「悪く思う事はないよ、割とこう・・・別腹ってとこもあるから」
「そ、そうか・・・」
「・・・」
「・・・」
また暫しの沈黙、しかし先程の落ち付いた沈黙とは違い、コンラッドは少しばかり気恥しそうにもじもじしている、ジュカは先程と変わらずこにことしているが、その白磁の肌は少し紅潮しており、笑顔にも艶が混じっているような気がする。
ああ、この空気は・・・こんな昼間から・・・
コンラッドは激しさを増していく自分の鼓動を感じながら思った。
こういった所はやはり不器用なソランとは違う、先程まで落ち付いた雰囲気だったのにいつのまにか部屋には桃色な空気が充満している、こうなるともう彼女の一挙一動が艶めかしく感じる。
「意外だった?」
ジュカはそっと唇を舐めながら言った。
「あ、ああ、何だかその・・・そんなイメージがなくてな」
「うふふ、オナニーなんかしなそうなイメージ?」
「うん、ああ」
彼女の口からオナニー、と聞かされるだけでどきどきする、初心な子供であるまいに。
ジュカはいつの間にかただ寄り掛かるだけでなく、そっとコンラッドの腿の上に手を置き、ゆるゆるとさすり始めている、それだけでぴりぴりと撫でられた箇所から快感が生じる。
と、不意にジュカはコンラッドから離れて立ち上がると、ティーセットの置かれているテーブルを挟んで向かい側にあるソファーに座った。
「ね、見たい?」
「・・・何を」
「私が一人でするところ」
ジュカは今はもうはっきりと淫魔の本性を表情に表しながら言う、こうなってしまってはもうコンラッドは逆らう事は出来ない。
「・・・見たい」
出来る限り自分の興奮を悟られないようにさらっと答えたつもりだが、うまくいったとは思えない。
「そっか」
ジュカはもう一度そのピンクの舌で唇を舐めると、テーブルのティーセットを端に退けた。
「じゃ、見てて、今からするから」
部屋には雨の匂いとハーブの匂いに加えてもう一つ、男を狂わせる花の芳香が静かに広がり始めた。
11/07/10 17:30更新 / 雑兵
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