読切小説
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弓月屋巳介 唐傘騒動の次第
逆手に持った唐傘の石突でトーンと床を一突きすると、サッと手首を回して順手に持ち直す。
手首を翻して振り抜くと、パッと花が咲いた様に唐傘が開いた。
更に手首をくるりと回して柄を斜に担げば、錦絵の様な粋な姿が一丁上がる。
「ならばお幸、雨の道中連れ行こぅかい」
「いよっ!弓月屋っ!」
大向うからの掛け声が小屋に通った。

ジパングの都の一角に芝居小屋や見世物小屋が並ぶ場所がある。
真っ当な芝居や軽業を見せる小屋も多いのだが、見世物小屋というのはいかがわしい所も多いもので、『世にも珍しい一尺二寸の毛娼郎』などと聞いて入ってみれば、カツラを乗せたジョウロがぽんと置いてあるだけだったりする。
かと思えば、『渡来猿の艶姿』などと銘打ってカク猿のストリップを見せる小屋なんて物もあったりで、玉石混淆の実にいい加減な場所であった。
とはいえ、こういう怪しい小屋を好んで見に来る暇人も世の中には多いようで、見物客で年中人込みが途絶える事も無い、おおらかな活気に満ちた地域である。
弓月屋巳介はそこの芝居小屋に出ている若い役者であった。

その巳介には大切な商売道具がひとつある。
唐傘である。
巳介が芝居の道に入ったのは、巳介の師匠である三代目野分屋五郎兵衛の芝居に惚れたからだが、その五郎兵衛の傘さばきは天下一と言われる物であった。
その傘さばきを身に付ける為、巳介は駆け出しの頃になけなしの身銭を切って良い傘を求めたのである。
折れず、破れず、振り回すのにバランスもよい、この傘を使って見栄を切る練習を続け、今では五郎兵衛の次に挙げられる様な傘さばきを身に付けていた。
そんな巳介のある日の事である。

巳介が舞台を上がって帰ろうと、唐傘を取りに小道具置き場に向かうと、まことに妙な光景に出くわした。
いつも自分が唐傘を置いている場所に、自分の唐傘が見当たらない。
それだけなら巳介の置き忘れかもしれないが、唐傘を置いておいた所に、女の子がちょこんと正座している。
これまたおかしな事に、女の子の頭の上には目玉と舌が付いた、巨大な傘が浮かんでいた。
「お待ちしていましたご主人様」
「・・・こりゃ一体どういう事だい」
「ご主人様のお陰で付喪神になれた唐傘でございます」
目の前の女の子が指を着いてお辞儀をするの見て、巳介はようやく我を取り戻した。
「ちょっ、ちょっと待っとくれ。ここに置いておいた、あたしの傘は一体どうしたんだい?」
「ですから、私がその唐傘ですが?」
「いや、だから、あたしの大事な唐傘がここにあったんだがね?」
「ですから、ご主人様をここで待っていたのですが・・・」
どうにも互いの話が噛み合わない。
ああだこうだと埒の開かない問答を繰り返していると、そこへ小屋の小道具係が通りがかった。
「こりゃ旦那、まだお帰りにならなかったんで?」
「こりゃいい所に来てくれた。おまえ、ここに置いた傘を知らないかい?」
「あたしが見た時はそこにありましたが・・・おや、いくら旦那でも、断りも無しに舞台の裏手にこんな娘さんを上げたんじゃ、お師匠さんに叱られますよ?」
「そんな話をしている場合じゃ無いんだよ!」
巳介が事の次第を説明すると、ははあ、さては、と小道具係に思い当たる話があるようだった。
「旦那、これはこの娘さんが言う通り、旦那の唐傘が妖怪に化けたようですな」
「一体、おまえまで何を言い出すんだい!?」
「まあ、ちょいと聞いておくんなさい」
憤る巳介をたしなめながら、小道具係が説明し始めた。
「これは見世物小屋の奴から耳にした話ですがね。何でも長く大事に使われた物には稀に命が宿るんだそうで、唐傘だの提灯だのといった他愛の無い物にも宿るんだとか」
「それが何だって、あたしの傘に起こるんだい!?」
「旦那はあの唐傘を随分と大事にしてやしたでしょう?大事な傘を濡らしちゃ大変だと、雨の日に傘を包んで歩くのなんてのは、都の中でも旦那と傘屋の小僧くらいなもんですよ」
「ただの唐傘なのに、あんな風に大事に扱われるのは嬉しかったです」
話を聞いている女の子がペコリと頭を下げる。
「じゃあ何かい?本当にあたしの傘は、この子に化けちまったってのかい?」
「どうもそのようですなあ。舞台の裏手に傘を盗むような余所者は入れませんし、旦那の大事な傘を隠して喜ぶような底意地の悪い野郎は、この小屋には居ませんぜ」
あまりの事に巳介はヘナヘナとその場に腰を抜かしてしまった。

それから巳介はどこをどうやって帰ったか、自分でも分からないような有り様で家までたどり着いた。
どうも気配がするので、家の前で後ろを振り向いてみれば、件の唐傘おばけが付いて来ている。
「一本足の唐傘にせっかく二本の足が生えたってのに、どうして好きな所へ行かずにあたしの後を付いて来るんだい?」
「私はご主人様のお陰でこうして立派な付喪神になれたのですから、ご恩返しをしなければ気が済みません」
巳介も人情を欠いた男ではないので、こう言われては仕方がない。
「・・・一番のご恩返しはもう出来ないのだけれどねぇ・・・」
とぼやきながらも、唐傘おばけを家へあげてやった。
一人所帯の巳介だが、おさんどんに頼んだ朝食兼用の御飯と豆腐の味噌汁があったので、これを温め直して二人で夕飯を取る事にした。
唐傘おばけが手伝おうとしたが、来たばかりの者に勝手を任すのも失礼だと、巳介が膳を調える。

「しかし、おまえさんは本当にあたしが使っていた唐傘なのかい?」
腹が満ちれば人も丸くなる物で、巳介はようやく平静さを取り戻していた。
「はい。どの唐傘も私みたいになる訳ではありませんけど」
そんな事になったら都中が唐傘おばけで溢れてしまう、などと、どうでもいい事を巳介は考えてしまった。
夕飯を終えると巳介は立ち上がって、ひょいと羽織を引っ掻ける。
「あの、どこかへ出掛けるんですか?」
「どこへも何も、この家には夜具が一つしか無いんですよ?おまえさんを板の間に寝かしとく訳にはいかんでしょう?」
「私としては構わないのですが・・・」
唐傘おばけが潤んだ目で巳介を見つめるが、そこは巳介も女慣れした役者なので、情に揺れた心を抑える。
「馬鹿な事を言っちゃいけませんよ。男一人どこでも夜明しできるんですから、気にしないでおくんなさいな」
明日の食費にと幾ばくかの銭を置くと、巳介は家を出て置屋の方へと向かっていった。

からすカァと夜が明けて、巳介は置屋から芝居小屋へと向かっていくが、大事な事に気が付いた。
替わりの傘を買わなければ、今日の舞台に上がれない。
傘屋で替わりの傘を求めると、売り出し中の役者に舞台で使ってもらうのならば、良い宣伝になるだろうと、元の唐傘より高級な傘を随分と安く売ってもらった。
これなら使い慣れた傘よりも使いやすかろうと、「これも役得と言うものかねえ」などと呑気な事を言っていたのも束の間で、いざ舞台で使ってみると、なるべく元の唐傘と同じような物を選んだはずなのに、これがどうにも勝手が違う。
午前、午後と続けて舞台に出たが、しくじらないのがやっとで、肝心要の傘さばきも散々な物である。
「どうにも今日の巳介は様にならねえな」
などと客に言われる始末で、巳介はすっかり打ちのめされて楽屋でうなだれていた。

「今日の舞台は随分と散々じゃないか。一体どうしたんだい?」
声に顔をあげると、そこには師匠の野分屋五郎兵衛が立っていた。
「へえ、実はですね・・・」
巳介はカクカクシカジカと事の成り行きを五郎兵衛に説明した。
五郎兵衛も座って煙管で煙草を吹かしながら、これを黙って聞いている。
「どうにも困った話で、あの娘さえ出てこなけりゃ良かったんですがねえ・・・」
「気に入らないねぇ」
「ええ、気に入らない話です。あの娘さえ・・・」
「そうじゃないよ、おまえのその了見が気に入らない」
話を聞き終わった五郎兵衛は、煙草盆へ煙管をカンと一叩きして灰を落とすと、新しい煙草を煙管に詰めた。
「黙って聞いていれば、昔の傘が無ければ芸が出来ないような話をするが、そりゃ単におまえの芸が未熟なだけよ」
「でも師匠にも慣れた道具があるでしょう?」
「手慣れた大事な道具の一つや二つ誰にでもあらぁな。だがな、芸人が道具に甘えていたんじゃ、そいつの芸もそこまでのもんで終わりよ」
煙管の煙草に火を着けると、それを五郎兵衛は一吹かしする。
「慣れない道具で調子を崩すのは道具の違いを考えていないだけで、つまりは日々の芸を考え無しにやっていた証拠だろう?」
ハッと巳介は自分の浅はかさに気付かされ、黙って下を向いた。
「確かに最近のおまえは、調子よく芝居をしちゃいるのに、どうにも判で押したような芸ばかり毎日繰り返すもんで、ちょいと気に入らなかったんだが、お天道様はよく見てらっしゃる。ちゃんとお前に芸の厳しさを教えて下さらぁな」
「・・・まことにその通りでございました」
「第一、一人前になるまで使ってきた唐傘をそんな風に悪し様に言うもんじゃないよ。これもおまえが一皮剥けるいい機会だと思って、しっかり感謝して精進しなさい」
「師匠の御言葉、肝に銘じて明日からの舞台に立たせて頂きます」
巳介が手を付いて深々と頭を下げると、五郎兵衛は袂に手を入れて小粒を一つ取り出し、それを巳介に渡した。
「きちんとね、その唐傘にありがとうございましたと礼を言うんだよ?なにせ、あたしと一緒におまえという役者を育ててくれたんだからね」

こうして巳介は五郎兵衛から貰った小粒で酒に肴と買い求め、唐傘おばけが待っている家へと帰った。
「帰ったよ」とカラリと戸を開けると、巳介の家には誰もいなかった。
見れば、男所帯の家は綺麗に掃除され、土間の隅まで掃き清めてある。
妙に生活感が失せてしまった部屋のせいで、唐傘おばけがいた事まで失せてしまったようだった。
「まあ、それもしかたあるめぇな・・・」
世話になった唐傘に、思えば随分とぞんざいな扱いをしたもんだ、と後悔ばかりが募ってくる。
ふと玄関の脇を見れば、唐傘が立て掛かってていた。
「元の唐傘に戻っちまいやがったか・・・そりゃ確かにそうは願ってはいたがよ・・・ちょいと粗忽すぎやしないかねぇ・・・」
「玄関で何をブツブツ呟いているんですか?」
「おう、昨日、家に唐傘おばけが来たんだが、粗忽なもんで元の唐傘に戻っちまいやがってなあ・・・」
「私ならここに居ますけど・・・」
ひょいと後ろを振り返れば、葱と蜆が入ったざるを抱えた唐傘おばけが立っていた。
「おまえ、どこに行ってたんだい!?」
「どこって、御付けに入れる物を買いに行ったら、思いのほか遠くまで探す事になってしまって」
「こ、この傘は、なら、この傘は一体なんなんだい?」
「それ、ご主人様が雨の日に差してる方の傘だと思いますけど・・・」
あまりの自分の粗忽さと、唐傘おばけがまだ居てくれた事の安堵に立ちくらみを覚えると、巳介はそのまま気を失ってしまった。

こうして弓月屋巳介は唐傘おばけと暮らすようになった。
傘は雨の下で使うものという事で、唐傘おばけは雫と名付けられ、雫と一緒に巳介は芸を磨き続けた。
毎晩、雫に尽くされていると自然と芸の方にも艶が出始め、粋な傘捌き目当ての男だけでなく、女の贔屓も増え始めた。
「あの野郎、とうとう化けやがったな」
舞台袖の五郎兵衛は巳介の演技を見て、腕組みしながら感心していた。
「あの野郎は一から十まで芸を唐傘に教えてもらったようなもんだ。世の中には大した唐傘もあるもんだねえ・・・」
これを聞いていた若い役者が、自分も芸が上達しますようにと、唐傘を買って小屋の裏手のほこらに供えて願掛けするようになり、ほこらはいつしか『唐傘様』と言われて芸事の上達を願う者が参るようになったという。

後に巳介は師匠の五郎兵衛も越える傘さばきの使い手として『唐傘見るなら弓月屋』と名を轟かせ、晴れて雫と夫婦になって四代目野分屋の名を次ぐ事になるのだが、それはまた別のお話である。
17/01/28 18:29更新 / ドグスター

■作者メッセージ
最初はエロ有りのつもりが、書いている内に人情噺みたいになってきたのでエロ自重に。

歌舞伎に詳しくない上に、そもそもジパングに歌舞伎があるかどうかも分からないので、歌舞伎っぽい何かという事でお願いします。

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