連載小説
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餓竜再び .5
エミール達が対策を考えていた頃、レオン達三人はいつもの洞窟の中で寝ていた。
今では刈り取ってきた草が敷き詰められ、その一角は寝床らしい風体になっている。
エルは横を向いて寝ているレオンの背中に重なりながら寝息を立てていた。その爪はレオンのシャツを握りしめている。
レオンがシラーと会った後のエルは、レオンが自分から離れる事を怖がり、寝ている時もレオンと一緒に居たがる様になっていた。

ラスティはレオンの腕の中にいたが、彼女は中々寝付けずにいた。
「レオン・・・起きてる?」
「起きてる」
「・・・わたしね、昔の名前を思い出した時から、昔の事を色々思い出すようになったの」
「昔の事?」
「そう。・・・まだこの姿になる前の事」
身体だけでなく心の損傷も癒えつつあるのか、このところ、ラスティは過去の記憶を取り戻す事が増えてきていた。
そういう時のラスティは、理知的な雰囲気を取り戻す事がある。
それは、生きている竜の雰囲気に近い。

「・・・寝ていると夢に見るの。ここに来て、エルを産んで・・・その為に何をしたか」
その声は古井戸の淀んだ水面の様に沈んでいる。
「あの頃のこの辺は、まるで獲物が居なくて・・・餌になりそうな物は手当たり次第に襲って・・・」
声が少しずつ震えていく。
「今の姿になって、初めて分かったの・・・みんなわたしと同じだった。みんな大事な誰かを失いたくなかったのに、わたしはそれを踏みにじって、互いに殺し合って・・・あの人達も私も同じだったのに・・・」
それは、彼女が単なる魔物から魔物娘として生まれ変わったが故の苦悩だった。

あの時代はそういう時代だったから仕方ない。
それは、その時代を歴史として眺めている第三者の感想に過ぎない。
その時代を生きた者にとっての「あの時代」とは、歴史という言葉で漂白されていない、紛れもない自分自身の体験その物なのだ。
だから、レオンはその無神経な慰めを口にはしなかった。
だが、当時を生きていないレオンには、ラスティに掛ける言葉も無い。
ラスティの罪を許せる立場にも無い。
ラスティを苛む罪悪感に対して、レオンは正しく無力な第三者でしかないのだ。
レオンはただ、子供を慰める様にラスティの背中を叩いてやる事しか出来なかった。

それから四日後。
空は晴れ、麗らかと呼ぶのにちょうど良い様な日。
レオン達の下に再び人が訪れた。
今度は五人。
一人は案内役のシラー。二人は護衛。残りの二人は目深にフードを被っていたが、レオンにはそれが誰であるかよく分かっていた。
エミールとメィイェンの夫妻である。
つまり、今日、賽の目が出るという事だ。
エミールはフードを開けると、自分が担いできたザックをレオン達に掲げて見せた。
「ピクニックで休憩するには、ちょうどいい場所だな」

洞窟から少し離れた、遠くに花畑が望める見晴らしのいい岩場に敷物が敷かれた。
敷物の上にはパンにハムにチーズにワイン。
レオンとラスティとエル、エミールにメィイェンの五人が、それらを囲んで車座に座る。
「別に毒なんぞ入ってないから安心してくれ。そんな事をした日にゃ、そこの嫁さんに離縁されちまうからな」
不審がっているラスティとエルに、エミールがパンにスプレッドを塗りながら話す。
隣のメィイェンが本気混じりの視線でエミールを睨んでいるのを見ると、その言葉を信用してもいい様だった。

「で、酒が入る前に肝心な話を済ませちまおう」
ハムを乗せたパンを食べながら、エミールはいきなり話の核心に切り込んだ。
「レオンは承知だろうが、二人の事が教団に知れると、この国がちょいとばかし厄介な事になる」
貴族とは思えない行儀の悪さで、もくもくと口を動かしながら、ラスティの死後に起きた事と、今の状況を簡潔にまとめて説明する。
「つまり・・・わたし達は邪魔者なんですね?」
自分が置かれた状況を理解したラスティは、静かに呟いた。
かつて自分達を死へと追いやった男の子孫に、男の面影を見出だしたのか、ラスティはエミールと会った時から、生前の雰囲気を取り戻してしまっている。

ラスティが、ある種の危険な意思を漂わせているのを重々承知の上で、エミールは尚、泰然自若な様子を崩さずに口を動かし続けていた。
「正直に言えば、最初はそう思ったがね。だが・・・よくよく考えてみれば、この国自体が貴女の死体の上に作られたようなもんだ」
口の中の物をゴクリと飲み込むと、一転して真剣な目でラスティの方を見る。
「これは竜を殺して出来たツァイスの、避けられない運命だったのさ。だから、貴女達に邪魔者云々と言うのは筋違いだし、貴女達がこの一件を気に病む事もない。こいつはツァイスの主である私の問題なんだ」
ラスタバンを死に追いやって国を立ちあげた男の子孫として、事の始末は自分が背負うべきだと、エミールは本気で考えていた。
だからこそ、彼は自らこの場に訪れていた。

「うちの者が教団の人間に対して"説得"を始めている。それで連中の物分かりが少々良くなれば、貴女達が姿を現した程度で教団がツァイスに対してガタガタ騒ぐ事は無くなるはずだ」
エミール達が検討を重ねたあの夜から、ツァイスの関係機関は複数のルートで既に動き始めていた。
ツァイスは今でも主神教団が無視できない額の献金を続けており、それは教団内部の個々の要人に対してもそうである。
表裏問わず、彼等は教団に深く浸透しているのだ。
「つまり、教団への工作が済むまで潜伏しててくれ、という事ですね?」
「そういう事だ。『ランタン』の人間は話が早くて助かる」
エミールはとしては、自分とラスティの間にレオンが居る事が有り難かった。
エミールとラスティだけで話をしていたら、こうスムーズには行かない。
「まあ、大した期間ではないし、実はバレても構わん。説得の内容が少々荒っぽくなるだけだ。だが、避けられる波風は避けたいんでね」
エミールのその言葉は、必要とあらば主神教団の守旧派との抗争になってでも、ラスティとエルを日陰の身のままにはしておかないという、強い覚悟の現れでもあった。
「・・・今のわたしはラスタバンの名前を捨てたし、いまさら世間に波風を立てるつもりも無いですから・・・全部おまかせします」
ラスティは静かにエミールの言葉を受け入れた。
「そう言ってもらうと助かる。それと・・・もう一つ用がある」
エミールは改めてラスティとエルの方を向いた。

「私の先祖が貴女を倒した事を間違いだとは言わない。ツァイスの人間を助ける為にやった事を恥じるつもりは無い。だが・・・それは貴女の娘には無関係の話だ。その無関係の命を奪った事、先祖の代わりに謝らせてもらう。・・・すまなかった」
エミールは深々と頭を下げた。
それは、カール以来ツァイスの主を担ってきた、リューポルドの名を持つ全ての人間が背負ってきた業である。
ラスティは静かに首を振る。
「それは、わたしも同じだから・・・自分の為に無関係の人達を大勢犠牲にしてた・・・」
僅かに滲んだ涙をごまかす様に目を閉じる。
「今、こうして同じ物を食べながら同じ風景を見て話せる。それだけで十分でしょう」
落ち着いてから再び目を開くと、遠くに見える花畑を見ながら、ラスティはエミールに語りかけた。

「・・・この国がわたしの死体の上に出来てると言いましたよね?まるであそこの花畑みたい」
音も無い中、その花畑が静かに波打っていた。
「枯れた草木や獣の骸が土を豊かにしてきたから、そこが花畑になる・・・」
ラスティは既に花畑も見ていない様に見えた。
遠い昔の自分の死を思い出しているのかも知れない。
そこにある感情が、無念なのか怒りなのか、死んだ事が無い人間には分かるはずもない。
ただ、その表情には、そういう澱の様な何かを窺う事は出来なかった。
「だから・・・もし貴方が私達の死に対して引け目を持っているのなら、一つだけ約束してください。貴方の命もこの国でみんなが幸せに暮らしていく為に使ってくれる事を。そうすれば、わたし達が命を落とした事の意味は残り続けますから」
それは、単にドラゴンゾンビとして生き返っただけではない、自らの死を越えた者の願いだった。
そして、その願いを口にしたラスティの笑顔は、母親の様な慈しみに満ちていながら、同時にひどく儚げでもあった。

「ふぁ〜疲れたよ〜」
エルが背伸びをしながらレオンに寄り掛かる。
「ママとおじさん、難しい話ばっかりしてる」
自分の命の話をしていたのにも関わらず、エルは退屈しきっていた。
エルにしてみれば、全ては過去の話なのだ。
竜として生きた期間が短い彼女にとっては、過去よりも今これからの方が大事だった。
「あたしが知りたいのは、あたしとママとレオンがずっと一緒に居れるかどうかだけだよ」
「そうね。魔物娘にとっては、確かにそれが一番大事な話だわ」
その姿を見ていたメィイェンが思わず微笑む。
「その為に頑張ってくれるのよね、おじさん?」
「誰がおじさんだ、誰が」
君は私の子供の頃の家庭教師だっただろう、とエミールは思ったのだが、さすがにそれを口に出す事はなかった。
17/03/25 08:02更新 / ドグスター
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