釣果を得るに糸針は要らず
あああああぁぁもうイヤだぁぁぁぁぁ!
なーにが『エンジニアは兵隊、営業のドレイ』だ!
ちくしょうあの営業部長、バーコード頭のバーコードむしって読み取れなくしてやる!!
いや、しないけど!
そんなこと出来るワケないけど!!
……ということで、ヤケになって釣りを始めてみた。
アパートから15分ほど離れた所にある、大きな川。
しかしそこだと土手でジョギングするおっちゃんだったり、買い物帰りのご婦人だったり、なんかプロっぽい釣り人さん方がわんさかいらっしゃる。
もっと静かなところがいい。
というか、もういっそ人のいない所がいい。
俗世を離れ、心の平穏を手にしなければ。
……ということで、釣りは川の上流ですることに。
やって来たのは木々が生い茂る渓流。
ここならば誰も来るまい。
川幅はまあまあ広くて水深もそれなりにあり、素人の目にもなかなか釣れそうではないか。
そこで気づく。
衝動的にやって来たため、釣り竿すら持っていなかったことに。
仕方なく、近くの枝をポキっとして竿を見立てる。
川べりの大岩に腰掛け、流れに向かってヒュッとそれっぽく枝を振り下ろしてみる。
きっと糸針が付いていれば、さぞ格好よく遠目の水面に落ちていたことだろう。
そして待つ。
魚が釣れるのを待つ。
もちろん釣れるワケがない。
こんなスーツ姿で枝を振り回している人間に釣られてくれる魚、いたとすればボランティア精神に溢れすぎている。
だが、どうだろう。
工場内の喧騒やご近所商店街の騒音響くアパートと違って、この場所のなんと穏やかなことか。
渓流周りの鬱蒼とした木々は人の営みを遥か遠くのものにし、ただ木の葉をさざめかせるのみ。
川は常に一定のリズムで流れ、岩に当たった水流は主張も少なめに白泡を残してすぐに消える。
いい、いいぞこれ。
こういうのを求めていたのだ。
もう気分は完全にいっぱしの渓流釣り師だった。
……そして眠くなってきた。
我ながら衝動的にもほどがある。
釣りとはこんなに穏やかなものだったのか。
ここで寝てしまったらマズいだろうかと考えたものの、しかしそもそもの話、針も無ければ逃げられる魚もいないことに思い至る。
なぁんだそれなら心配なかろう。
そう思った時には頭がコックリと落ちてしまっていた。
そして起きたのは、自分の近くの川がぱしゃりと水音を立てた時のことだった。
慌てて意識が浮上する。
まさか釣れてしまったのか、魚。
糸針どころか、エサすらついてないのに。
こんなさもしい社畜を哀れんで、釣られてくれたのか。
こわごわと目を開けると、川に女子が立っていた。
女子だ。
女性、ではない。
まだそこに至る前の発達段階というか、やっぱり女子としか言いようがない。
水滴を木漏れ日に反射させた水着は、あまり凹凸のない肢体を覆っていた。
そんな子が、岩の上の底辺エンジニアを見上げている。
ぬぼーっとした、何を考えているのか分からない表情だ。
しばらく見合っていると、その子が口を開いた。
「きにするな」
……いや、気になる。
なぜこちらの近くにいたのかとか、なぜ川に立っているのかとか。
なぜ水着にしてもいわゆるスクール水着を着ているのかとか、なぜ大きな銛を持っているのかとか。
無表情にそんなこと言われても、気になるものは気になる。
「………………」
すすす、と川に沈んでいくスク水。
頭までが水に浸かると、無言でその子は川に流されていった。
背泳ぎだった。
そういや、顔の横にヒレらしきものが付いていた。
よく見たら、手とか足とかにもヒレがあった気もする。
………………なるほど。
まあ、奴隷エンジニアが絶叫しながら川を上流へと走って、糸針もなしに釣りを始めるような時代だ。
ヒレの生えた女の子が背泳ぎで川下りをしているという光景も、きっとあり得なくはないのだろう。
そして釣りもどきを再開すること、しばらく。
また眠くなってきた。
時間を気にする必要のない釣りという動作の、なんと素晴らしいことか。
やれノルマだ挨拶回りだお迎えだなどと時間に追われ続ける下界の仕事の、なんと世知辛いことか。
おそらくそのギャップがこの眠気になっているのだろう、などととても高尚かつ深淵な考えを巡らせていたら、またすやーんと眠ってしまっていた。
起きると、指先にあった釣り竿の感触がない。
どうやら寝てる間に相棒、手から離れて下流へと旅立っていってしまったらしい。
仕方なく新しい枝……じゃなかった、竿を手に入れるべく、岩の上で体を起こす。
いつの間にか涅槃のポーズで寝ていた自分だった。
竿が流されるのも当然の話だった。
しかし立ち上がろうとすると、視界の横からにゅっと枝が伸びてきた。
おおこれ、さっきまでのマイ竿じゃないか。
まさか自力で川流れに逆らって戻ってきたのか、それはすごいことだ。
…………と思って横を見ると、さっきの子がいた。
ヒレ付きの手で枝を持ち、こっちに向けている。
受け取る。
こくん、と頷かれた。
こちらも返すように会釈する。
……なんだこれ。
枝が下流まで流れたのを、背泳ぎで下流に行っていたこの子が拾ってくれたのだろうか。
「つれたか」
無表情で訊かれる。
少し悩んで、首を横に振る。
向こうはそれを見て、首を縦に振った。
……うむ、なんだこれ。
しばらく川水がさぁぁと流れてから、そういやこっちは何も言葉を発していなかったことに思い至る。
何か言うべきか。
無難に、ここは釣れませんねなどと言ってみる。
よく考えたらあまり無難でもなかった。
「そうか」
そう一言、ヒレの女の子。
すすす、とまたスク水が川に沈んでいく。
そしてもう一度背泳ぎで流れていくのかと思いきや、今度はこちらの岸辺へと流れてきた。
ざぱんと水から上がり、ぴたぴたとヒレ付きの足を鳴らして歩いてくる。
こちらのいる岩の横に立ち、じっとこっちを見上げてくる。
そこではたと思い至る。
もしかしてここ、禁漁区とかだったりするのだろうかと。
それを非難するがゆえの、彼女の視線なのではないかと。
ほらだって、今もじっと見てきている。
心なしかジト目気味でもある。
とりあえず謝ってから、釣りをしてはいけない場所なのかどうかについて尋ねてみる。
「つりほうだいだ」
違った。
釣り放題だった。
ああ良かった。
まあ、自分が持ってるのは木の枝なんだけど。
「………………」
それにしても、じっとこちらを見てくる子だ。
なんかいろいろと訊きたい気もするが、それよりもまず、どうしてこちらを見ているのだろう。
考えるに、彼女も釣りがしたいのではなかろうか。
釣りはいい。
始めて1日目の自分ですらそう言えるのだから、間違いない。
きっと彼女も、そうした釣りの良さをどことなく肌で感じ取ったに違いない。
可能性を探るべく、まずは近くの枝を折り取り、2本目の釣り竿として未来の同志に渡してみる。
「………………」
首を横に振られた。
可能性は潰えた。
それもそうだ。彼女の手には既に大きな銛がある。
それが実用的なものなのか、あるいはスク水と併せて謎めいたファッションなのかどうかはともかく、新たに木の棒を持つ必要はないのだろう。
結局、もう一本の枝も自分の手に残った。
どうしようこれ。
「こっちだ」
そう言ってくるっと後ろを向き、歩いていく。
その後ろ姿には、魚じみた尾ビレまで付いていた。
……少し離れたところで振り返り、こちらを見てくる。
どうやら、ついて来いということらしい。
今さらなスーツの汚れを軽くはたいて落とし、岩から降りてヒレの彼女について行く。
身体を覆い隠すような緑がかった色合いの長髪を眺めつつ、ついて行く。
川の中にまで泳いでついて行くことになったらどうしようかと考えたが、彼女はただ岸辺を歩いて上っていくのみだった。
てくてく、ぴたぴた。
2人して無言で歩き続けることしばし。
やがて川が二股に分かれているところに着くと、細い方の支流に沿って今度は川を下っていく。
やがて、小さな湖のような所にたどり着いた。
見れば、たどってきた支流の他にも、別の場所から来ているらしい水流が小型の滝になったりしてこの湖に集まっている。
「ここはつれる」
こっちを見て頷き、そのスク水の子はおもむろに水の中に入っていった。
せっかく好意で連れて来てもらいはしたものの、しかし自分の手にあるのは木の棒が2本。
結局その場で突っ立ったまま、彼女が湖に潜っていった場所を眺めることになった。
ピーチクピーチクピピピ、とどこかで鳥の鳴き声。
森で乱反射した鳴き声が、どこか涼やかで心地よく感じる。
と、湖の真ん中辺りの水面が盛り上がり、ヒレの少女が顔を出した。
ぬっ、といった感じで顔を出した。
その横からさらに、ぬっと長い物が上がってくる。
鋭い銛の先に、二匹の大きな川魚が跳ねていた。
彼女、じっとこっちを見ている。
とりあえず拍手をしてみたら、遠目に頷かれた……ような気がした。
水面から出た顔をそのままに、スーッと泳いでこちらへと戻ってくる。
スク水から水を滴らせながら岸に上がると、近くに置いてあった魚籠に獲物を入れた。
ここは元から彼女の漁場だったらしい。
目を凝らせば湖の水中、いたる所にキラキラと光るウロコが見える。
確認できる魚影の数だけでも、かなりあるだろう。
そんなことを考えていると、ヒレの子はこちらの手にあった枝を指差した。
渡す。
彼女が跳ねる魚の頭をむんずと掴む。
枝を魚の口から尾にかけて突き刺す。
そしてその子が、まだビチビチ跳ねる魚に向かって大きく口を開けてかぶりつこう…………とする前に慌てて止める。
訴えるのは、火を通すことの重要性。
川魚は寄生虫とかたくさんいるらしい、そんなことをどこかで聞いたことがある。
それを滔々と説いてみる。
「そうなのか」
きょとんとする、とはこんな表情なのだろう。
理解を得られたのかは怪しいところだ。
というか、これまでこのヒレの子は川魚をワイルドに生食していたのだろうか。
妙に枝を刺すところから食らいつこうとするまでの動作が俊敏で手慣れていた気がする。
彼女が知らないのであれば、この釣り歴1日のエンジニアが実演するしかあるまい。
焚き火で焼いて食べる川魚の美味しさを、この無表情なヒレの少女に伝えるのだ。
そうして、自身も食べたこともない焼き川魚を求めるべく、平らな石の上に乾いた枝葉やらクズやらを集めてくる。
スーツの胸ポケットに入っていたライターでしゅぼっとクズから燃していく。
燃え広がる。
そして枝まで燃えていく。
なんとなく成功だ。
ヒレの子から魚付きの枝を受け取り、平らな石の周りに突き立てる。
待つ。
横に立っている少女と一緒に、魚がほどよい焼き加減になるのをひたすら待つ。
たまにスーツにくっ付いてくる羽虫を払いつつ、火が落ちないように枝を探してきてさらにくべる。
「こげてるな」
言われ、慌てて棒を火から上げる。
魚の目の辺りが黒くなっており、棒が突き立っていることも加えて、この世の地獄のような憤怒の表情をしているように見えた。
でもこれなら食べれそうだ。
ヒレの子と焚き火を囲んで焼き魚を食す。
「…………!?」
口を付けようとして離し、無言で目を見開く少女。
どうやら熱かったらしい。
2人して手に持った魚に息を吹きかけ、少しずつ身を剥ぐようにして食べる。
スーツ姿の男とヒレ付きの少女が、川べりで焚き火を囲んで川魚をかじっている。
なかなか珍妙な光景だろうか。
「にがい」
うん、苦い。口の中がニガニガする。
これはあれだな、腹わたを取っていなかったからその部分の苦味が移ってしまったのだろう。
あと塩気も欲しい。
ちょっとパサパサする。
初の焼き魚、失敗。
「……はごたえは、あるな」
そして、慰められてしまった。
ヒレの子におそらくだが、慰められてしまった。
変わらずぬぼっとした表情だが、フォローしてくれている……のだと思う。
魚を焼いている間に、森に差す日差しは赤いものに変化してきていた。
微妙にだが、虫の声も夕方に聞くような声が多数派になっている。
そろそろ日没なのだろう。
ヒレの子を見ると、棒に絡まっていた魚の骨までをガジガジと噛み砕いて食べていた。
なんて豪快な食べ方なんだ。
そういえば、自分の名前も言っていなかった。
一応とばかりに名乗っておく。
「そうなのか」
頷いて後ろを向き、食べ終わった後の棒をポイっと湖に投げている。
パシャパシャと飛沫が周りで上がったところを見るに、棒についた食べカスを他の魚が狙ってきているのかどうか。
マネして、こちらも食べ終わった木の枝を投げる。
彼女、名前はなんというのだろう。
いやそもそも、ヒトなのだろうか。
訊いてみた。
「カワカミだ」
とりあえず、カワカミさんというらしかった。
うぉぉおおお、もうやってられるかぁぁぁぁ!!
木になりたい! 何もかもを捨てて木になりたい!
……ということで、再び渓流にやってきた。
気分転換、実に一週間ぶりの休日である。
しかし今回は前回とは違う。
前回はあれだ、少し準備不足だった。
焼き魚も失敗した。
今回はすごいぞ、なんと飯ごうを持ってきている。
生米も中に入っていて、自分が川沿いの道をスキップするのに併せてサッサカと小気味良い音を立てている。
しかもスーツの内ポケットには、食卓塩も。
完璧だ。完璧じゃないか。
そして前回の岩場にたどり着いたところで気づく。
釣り竿を忘れていた。
くそう、これでは肝心かなめの焼き魚が手に入らないではないか。
ただ沢を登ってきてご飯に塩かけて食べるだけの人になってしまうではないか。
ついー、と川の水面をどこかの木から落ちてきたであろう葉っぱが回転しながら流れていく。
もういいか、ただの塩味のお握りで…………と思ったところで、ふと思い立つ。
そうだ、あの湖なら魚もたくさんいることだし、まともな釣り竿がなくとも焼き魚を入手できる可能性が上がるのでは。
よし行こう。
飯ごう片手に早歩きで30分ほど、湖に着いた。
相変わらず澄んだ空気だ。
なんだか自分の着古しのスーツですら、しゅわああと浄化されていくような気すらしてくる。
とりあえず、まずは近くの枝をポキッと。
そして少し考え、近くの木に巻きついたツタをむしり、さけるチーズよろしくわしわしと裂いて細い繊維にする。
より合わせ、枝先に結びつける。
…………針とエサがない。
仕方ない、小石でも結びつけておこう。
出来上がったマイ竿2号を、枝をしならせ飛ばす。
結構遠くの湖面に着水した。
これはいい感じだ、ついでにその辺りに米粒でも撒いておこう。
節分の豆まきのように、少量の米を投げつける。
撒き餌のつもり。
よし、後は待つだけだ。
釣り師歴2日の自分でも分かる。
釣りとは、ただひたすらに待つものなのだと。
しかし果たして、どんな魚ならば見え見えの糸に巻きついた小石に引っかかるのだろうか。
…………しばらくしてダメだったら諦めよう。
最悪、パンイチで湖に飛び込んで手掴みを敢行することも考慮しよう。
そう考えた時、木の枝がグンと引っ張られた。
雑すぎる作りの釣り糸がギシギシと水面に引き込まれていく。
一瞬口が半開きになってその光景を見ていた自分、我に返って竿を引き上げようとする。
まさかヒットするとは。
しかもこのヘビーな感触、途轍もない大物の予感。
これは大変なことになってしまったぞ。
力任せに枝を持ち上げる。
…………なんか腕が湖から引き上がってきた!!
釣り糸の小石を掴む、一本の腕がにょっきりと!
張力の限界を迎えて千切れた糸の先が、ぬらぬらと光る異形の腕に巻きついている。
なんて非現実的な光景だろうか。
飯ごうを捨てて全力で逃走しようとしたところで、その腕がどこか見覚えのあるものであることに気づく。
そして、腕の近くでざぱんと頭が半分ほど現れた。
ヒレ付きの腕に、頭の側部にも似たようなヒレ。
艶やかでどこか海藻を思わせる、緑がかった長髪。
鼻まで水に浸かった顔の、ぬぼっとした表情。
カワカミさんだった。
カワカミさん、こちらを見て、そして自身の掴んでいた切れた釣り糸を見て、再びこちらを見てくる。
それに頷いて返す。
向こうもまた頷く。
水面が揺れる。
どこかで鳥がピーチクと鳴く。
スーッと水を掻き分けて泳いできた彼女は、岸に上がってスクール水着からぼたぼたと水を伝わせながら近づいてくる。
緩やかに隆起した胸元の辺りがシワの陰影を作っている。
「つれたか」
石と糸をこちらに手渡してきつつ、そんなことを尋ねてきた。
首を横に振り、残念ながらと答える。
しがないエンジニアの手には折れかけた枝と、千切れた糸と石。
なんと情けない姿だろうか。
「まってろ」
そんな自分からいったん離れたカワカミさんは、近くの岩の裏から魚籠を担いできた。
どん、と置かれたのを見れば、中には威勢よく跳ね回る大きな川魚が数匹。
カワカミさんを見上げる。
頷かれる。
どうも察するに、さあこの中から取りたまえということなのだろうか。
実に表情が変わらないため明確な判断は難しいが、つまりはそういうことなのだろう。
でも一応訊いてみる。
もらってもよろしいのですか、と。
「もらえ」
もらってもよろしいらしい。
ならばと、こっちからも横に置いていた飯ごうを持ち上げ、中身を見えるように開示する。
頷かれる。
取引成立、そんな言葉が頭に浮かんだ。
そうして2人で、再び焚き火を囲むことになった。
前回と変わった点は、魚をナイフで裂いてワタを取ったところと、焚き火の上に飯ごうが枝からぶら下がっているところの2点だろうか。
ちなみに火にくべている4匹のうちの1匹は解体に失敗してワタが破け、かなり悲惨なことになってしまっている。
あれは自分用の1匹で決定だな。
2人してぼけーっと火を眺める。
反対側に座っているカワカミさんの無表情が火に照らされている。
火に当たって大丈夫なのだろうか。特にヒレ。
乾いて干物みたいになったらどうしよう。
「いいにおいだ」
特に問題ないのだろう、たぶん。
魚の腹に火が通り、ぽたぽたと水気が落ちてきたところで、持ってきた塩を振りかける。
ここで結構多めに振りかけるのがポイントらしい。
ネットに書いてあった。
そんな受け売りの知識をちょくちょく披露しつつ、カワカミさんの前で魚の身が満遍なく火に当たるように回転させていく。
じっと焼き魚を見ているカワカミさん。
もしかしたら中央でカタカタ揺れる飯ごうを見ているのかもしれない。
そのうちに魚からは水気がなくなり、飯ごうの吹きこぼれも収まってきた。
あ、皿も箸もない。
カワカミさんに食器用具の必要性を説明すると、ピタピタと足ビレを鳴らしながら大きな葉と枝を持ってきてくれた。
細枝、キレイで硬い。
大きな葉、丈夫そうだ。
これなら完璧であるとカワカミさんに頷くと、向こうも頷いて枝と葉を水で洗ってきてくれた。
それぞれ少し火で炙り、一応殺菌のつもり。
飯ごうで炊けたコゲありの白米と焼き魚の2本を焚き火越しに渡し、自分のぶんも葉に取り分ける。
いざ実食。
一気呵成に熱い米をほおばり、焼き加減も程よい焼き魚の背に食らいつく。
うまい。
うーまーいーぞー!
……とは、もちろん叫ばない。
なぜなら口の中がいっぱいだからだ。
しかし、美味しかった。
塩の効いた川魚、これほど白米と相性のよいものだったのか。
米もいい。偶然できたおコゲ、素晴らしい。
自らの手で調理したものを、自然の中で食す。
それはもうもっしゃもっしゃと食が進む。
ふと見ると、焚き火の向こうのカワカミさんの手が動いていない。
こちらをじっと見ている。
より正確に言えば、こちらの手元を見ている。
あ、箸か。
箸の使い方をご存知ないのかもしれない。
先週はまるごと生の魚をガブリとしようとしていた彼女だ、その可能性は高いように感じる。
木の細い棒を2本掴んでいる手を持ち上げて、ジェスチャーで箸の使用法を示す。
「……こうか」
カワカミさん、なんか違う。
何度かのやり取りの後、側で見た方が早いと思ったのかカワカミさんがこちらの近くに寄ってきた。
隣でこっちの持ち方を見つつ、葉の上の白米を摘もうと試みている。
真剣だ。カワカミさん、ものすごく真剣な表情だ。
かつてなく無表情が真剣な無表情になっている。
手先がちょっとプルプルしてるぞ。
む、まてよ。
そもそもカワカミさんの手はヒレ付きというか、普通のヒトが箸を持つやり方には向いていない形状をしているように思える。
うまくヒレの皮膜の上に載せるように持ち方を工夫するとかどうだろう。
食べかけを置いて立ち上がる。
そして、四苦八苦しているカワカミさんの手と箸を後ろから組み合わせる。
「ぬっ」
よし、これでうまいこと箸を掴めただろう。
意外とカワカミさん、腕はすべすべしていた。
もっとヌルッとするかと思った。
それでまた、自分のポジションに戻って食事。
カワカミさんもようやく白米に手をつけることができていた。
もごもごしている。
ぬぼっとした表情だが、頬が膨らんでいて面白い。
並んで湖を眺めつつ食べていることしばし。
スーツ姿とスク水姿が並んでもぐもぐと。
なんとなく気になって、米は美味いですかと尋ねてみる。
「………………」
返事がない。
横を見たら、ちょうどカワカミさんは2本目の魚を口に咥えていたところだった。
頭からまるかじりだ。
そんな格好で問うたこちらに視線を向けていたので、どうぞどうぞと手で示す。
パリパリ、もくもくと小さく音が響く。
「こめか」
口の中のものを飲み込む音がかすかに聞こえてから、カワカミさんはそんな言葉を発した。
横目に見れば、だいぶ使いこなしていた箸を置き、スクール水着越しにお腹をさすっている様子。
「うまいな」
それは良かった。
前回は悲惨だったが、今回は成功のようだ。
「もそもそして、うまい。それにしょっぱい」
成功…………なのだろうか?
少し経ってお互い食べ終わってから、使った棒や葉を近くの茂みに豪快に投げ捨てるカワカミさん。
飯ごうも捨てようとしていたのを慌ててこちらで留め、これは再利用できるものであると説明。
ホームセンターで1298円。特価であったと説明。
そうなのか、と頷かれた。
やがてまた日が暮れていたので、立ち上がる。
別れる前になんとなくお礼を言っておく。
「…………こっちだ」
帰ろうとすると、その前にカワカミさんに止められた。
尾ビレを左右に振りながらぴたぴたと歩いていくカワカミさんに連れられる形で、湖から出ていく川の1つを下っていく。
カラスが上で夕刻を鳴き、鈴虫らしき音色が沢のどこかで合唱している。
カワカミさんが足を止めたのは、川岸から少し高いところに建っている小屋よりも小さな何か。
ごくごく小さいものの、お社というヤツだった。
木造であり、苔むして自然と一体化しつつあるその社に、カワカミさんは一切遠慮なく近づいていく。
というか小さな鳥居の天井に銛をガッとぶつけていたが、それも特に気にしていなかった。
離れたところからそれを見ていると、やがてカワカミさんが再び鳥居をガッとしつつ戻ってきた。
その手には、数珠繋ぎになった干し柿が。
どう見ても社のお供え物だ、あれ。
そしてなぜか、その干し柿の輪を首にかけられる自分。
「これもうまいぞ」
どうやら、お土産を戴いたらしかった。
今こそ見せん、エンジニアの意地を!!
機械工学の叡智で、大自然の奔放に抗うのだ!
……というほどの熱意はないし、そこまで大げさなものではないのだけれど。
今の自分は、ちょっとした物品を修復中であった。
物品とは、バーベキューに使うグリルセット。
場所は湖のそば、時刻は午後を少し過ぎた頃。
隣には、ぬぼっとした無表情のスク水少女。
「どうだ」
ヒレ付きスク水少女こと、カワカミさんが訊く。
いつも通り抑揚のあまりない声だが、でもどこかソワソワしているような印象を受ける発言。
もう少しですね、などと答えつつ金網周りの苔をこそぎ落とし、網を外して内部のガスの導管をチェックする。
あ、ススが詰まってる。
しかも管がヘンに曲がってる。
これの元の所有者さん、どれだけずさんな管理をすればこんなことになるのか、いやそもそも、山の中にこんなブツを遺棄する時点でお行儀が知れているというものか。
まったく、運良くカワカミさんが拾ってお社の中にしまっていなければ、雨ざらしになって完全なガラクタと化していたところだ。
カワカミさんに感謝したまえ。
……しかし、そうするとあのお社にお参りに来ていた人たちは、グリルセットに参拝したり干し柿等々をお供えしていたのだろうか。
御神体がグリルセット。
あまり深く考えたくないシュールさだった。
「できたか」
カワカミさんが再び隣で訊いてくる。
あとはこの苔のついた金網を洗えば終わりだと話せば、カワカミさんはそれを手に取っていそいそペタペタと湖に洗浄に歩いていった。
長髪の間から見える尾ビレがふりふりと左右に動いている。
このグリルセットは、先週末の沢からの帰り際にカワカミさんから提示されたものだ。
先々週は手土産にワンカップ酒、その前の週には少ししけた袋入りせんべいを戴いたのだが、先週はちょうど何もなかったのか、カワカミさんは迷った末に社を開けてこれを見せてくれた。
よく見たらまだ修理して使えそうであったため、今日は家から工具をわんさと持って川を上ってきた次第である。
カット野菜とか、肉類も持ってきた。
釣り竿は忘れた。
曲がった導管を軽くハンマーで叩くと、カンカンという音が湖の周りに響く。
鳥がバサバサと飛び立ったのを見るに、少しうるさかったのかもしれない。
心の中で謝っておく。
カワカミさんが戻ってきて、力強く金網を差し出してくる。
だいぶキレイになっていた。
頷く。
頷かれる。
横倒しになっていたグリルを立てて金網をはめてから、途中で購入してきたガスボンベを傍に取り付ける。
「………………」
グリルを反対側から覗き込んでいたカワカミさんに少し離れてもらう。
さすがに上からがっつり顔を寄せているのは危険だ。
ガスのレバーを開き、噴出口にライターを寄せる。
ぼぼぼ、と火が円を描くようにして着火した。
良かった、直ったぞ。
これでエンジニアとしての沽券も守られたというもの。
別に本業はガス関係の仕事じゃないけど。
成功です、と長時間のオペを終えた外科医のように額を拭いつつカワカミさんへ告げる。
普通に頷かれた。
それから2人して、持ち寄った食材を金網の上にせっせと載せていく。
カット野菜。
カワカミさんが獲ってきた川魚。
肉類。
カワカミさんが持ってきたキノコ。
蜜柑。
カワカミさんが拾ってきたサワガニ。
自由だ。
カワカミさん、自由だ。
自由すぎるバーベキューだった。
でも、この焼いて食べれればまあ良しとするフリーダムな感じ、けっこう嫌いじゃない。
2人してグリルセットを眺めて待つ。
それぞれ石の上に座り、ぼんやり待つ。
今までのパチパチ、という小さな焚き火のものではなく、ンボボボといったガスバーナーの大きな燃焼音。
自然の象徴のようなこの湖の畔でこんな音を立てていることに、なんだか妙な感慨があった。
ひゅおお、と風が吹く。
それに臆することなくグリルセットは燃え続ける。
「………………」
む、まずい。
向かいのカワカミさんが全力で煙を浴びている。
それでいて無表情だ。
カワカミさん、燻されてるのに無表情だ。
これでは魚よりも先にカワカミさんがローストされてしまうかもしれない。
こっちに来たらどうですか、と提案してみる。
頷かれ、ペタペタとやって来た。
微妙にスクール水着が煙たくなっていた。
大丈夫なのだろうか、それ。
「いいにおいだ」
大丈夫そうだった。
大きな石に並んで腰掛け、空に上がる煙を眺める。
たまにあくびが出れば隣からも、くぁ……と口が開く音が聞こえる。
実は少し前に調べてみた。
カワカミさん、いったい何者なのかと。
そして使った文明の利器たるインターネットによれば、どうやらサハギンという魔物娘が一番カワカミさんに近い気がした。
川や沼に棲む、水棲型の魔物娘。
多分そうなのだろう、多分。
かと言って、それを訊いたところで何かが変わるわけでもあるまい。
横を向くと、ちょうどカワカミさんと目が合った。
実にぬぼっとした感じの表情だ。
いったい何を考えているのやら。
しかし、それはこちらにも同じことが言える。
向こうからすれば、何がしたいんだこの変人、とでも思われているのかもしれない。
そうかもしれない。
そうじゃないかもしれない。
つまりは、分からない。
だから頷いてみる。
…………頷き返される。
うむ、これで充分な気がするぞ。
「やけたか」
グリルの上で、パチパチという音が大きくなってきている。
カワカミさんが枝葉で箸皿を用意するのに併せて、こちらもグリルの火加減を弱めて調整していく。
さて。
今日も釣果を戴きますか。
ちなみにサワガニ、まあまあ美味しかった。
うわあああああああ風がすごい!!
これはそろそろ本格的にダメなんじゃないか!?
……そんなことを思ったりしつつも、結局は外に飛び出していた。
例によって週末の休日だけど、今回ばかりは運が悪かった。
台風だ。
ニュースが『今年最大の〜』みたいな感じでまくしたてるような……いや、来るたびに同じようなこと言われてる気がするけど……な台風が、この近辺にも迫ってきていた。
そしてそんな中、川へ走っている自分。
ちょっと川の様子を見てくる。
これ死亡フラグじゃなかろうか。
会社員1名が川に流され……とか自身がニュースになっちゃうやつではなかろうか。
それは御免こうむりたいが、しかしそれを上回る懸念事項があった。
その懸念事項を解消すべく、今こうして増水する直前であろう川に走って向かい、手にしたタモ網が吹きすさぶ暴風に飛ばされないよう必死に掴んでいるのである。
当たり前だが、釣り竿は持っていない。
いつもは人のいる土手から川を見つつ、上流に向かって駆け足で急ぐ。
まあよく考えればあの子は水棲の魔物娘であるらしいし、そんなに心配はいらな…………。
あっ、いた。
……うわあああああ、本当にいた!!
流されてる!!
カワカミさんが川下に向かって流されてる!!
自分が見つけた時、カワカミさんはいつもの無表情のまま、荒れる川を背泳ぎの姿勢でついーっと流れていく最中だった。
慌てて土手を逆走し、川岸に転がり降りてから岸辺で大きなタモ網を振り回す。
水流と少女1人ぶんの重量が網と腕にかかるが、必死に踏ん張る。
網を持ち上げる。
「………………」
バァァァ、といった感じで雨が暴雨に変化していく中、大網の中で体育座りっぽい姿勢になっていたスクール水着の少女と目が合った。
しばし、見つめ合う。
「つられたか」
相変わらずのぬぼっとした表情だった。
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雨で外に出ている人がいなかったのは幸運、なのだろうか。
慌てていたので失念していたが、タモ網にカワカミさんを入れたまま家に運んできたのは自分でもどうかと思わなくもない。
アパートの1階の自室へ戻って最初にしたことは、網からカワカミさんを解放することだった。
網を剥がし、カワカミさんの髪に巻きついていた小枝を取り、ついでに水着に付いたばっちい感じの藻を剥がす。
というより、もうなんか彼女の普段着たるスク水が汚れ放題になっていた。
そんじょそこらの女子小学生でも、ここまで使い汚すことはあるまい。
さもありなん、あの渓流からここの辺りまで流れてきたのだ。
スク水にとっては長すぎる旅だったのか。
とりあえずきょろきょろと辺りを無表情に見ていたカワカミさんに、向こうの風呂場をお貸しするのでスク水を脱いで洗ってはどうかと提案する。
「ウロコのことか」
驚愕の事実、スク水に見えたものはなんとカワカミさんのウロコだった。
されど汚れているのもまた事実、どうにか綺麗にしたほうが…………と思ったところでカワカミさん、いきなりスク水のようなウロコを脱いでしまった。
腕や脚とは違っていつもは隠れていたはずの身体が現れ、その日焼けの少ない肌の白さに目がいってしまう。
向けられた背の下、体躯のわりにやや大きめな白い臀部の谷間から目が離せなくなる。
ウロコってそんな簡単に着脱できるものなのか。
って、いやいや。
これは良くない。
カワカミさんに訴える。
ここは風呂場ではなく、あっちの隅の部屋が風呂場である、と。
湖よりはよほど小さいユニットバスですが、ぜひとも使っていただければ、と。
あ、シャワーの使い方はこれこれこうですよ、と。
「そうか」
頷くカワカミさん。
小ぶりな胸が揺れたのを自分は決して見ていない。
そうして彼女がバスルームに入っていった後、居間に戻って大きく息を吐いた。
やけにノドが渇く。
身体は雨にうたれてびしょ濡れなのに……って。
……ああ、自分も濡れ雑巾のような状態だったのをすっかり忘れていた。
とりあえず脱いでおく。
どうしよう。
脱衣カゴもタオルもバスルームの方だ。
もういいや、諦めよう。
せめて、すぐに自分も交代で入れるように風呂でも沸かしておこう。
居間にあるリモコンで風呂を沸かすように設定。
「〜〜〜〜〜〜!!」
少しも経たないうちに、風呂場から悲鳴のようななにかが聞こえた。
泡を食って立ち上がり、自身が半裸なことも忘れて悲鳴の元へと走る。
シャワーの音が響くバスルームのドアを開けると、カワカミさんは中にいなかった。
いや、いた。
浴槽の中に寝そべっていた。
仰向けの姿勢でバタバタと暴れていた。
ようやく事態を把握。
カワカミさん、どうやら上からのシャワーを浴槽に寝転がって浴びていたらしい。
しかしどこかの誰かさんが風呂沸かしを始めてしまったせいで、いきなり浴槽に流れ込んできた温水をもろに受けてしまったと。
「ゆでて、くうのか」
両脇を抱えて助け起こせば、未だに少し驚いている様子で訊いてくるカワカミさん。
茹でて、食べる。
…………カワカミさんを?
いや、そんなことは全くするつもりがなかった。
そもそもこんな温水程度、そこまで熱くは……と弁解してから、ふとシャワーから流れているのは冷たい水であることに気づく。
あ、なるほど。
カワカミさんにとって水浴びとは、ひとえに冷水で行うものであったのだ。
お湯に浸かる自分たちの常識の枠で考えていたのが間違いだったのか。
「くわないのか」
いったい何をどうしたら食べる食べないの話になるのか分からない。
食べる…………食べる?
え?
……いや、そんな意味ではないだろう。
カワカミさんの顔から下腹の裸体へと移りそうになった視線を抑え、ぐいと横を向く。
抱えていたのを持ち上げて風呂から出し、今は湯を沸かしていることを説明する。
「おゆ、か」
そう、湯です。
温かいので冷えた身体もしっかり回復、疲れも取れるし気分も良くなる、と余計なことにまで口が回る。
するとカワカミさんはお湯に浸かってみる気になったようで、おそるおそる足ビレから浴槽へと入っていく。
熱かったようで、ビクッと足が上がる。
はずみで足の付け根の白さが見えそうになる。
目を背ける。
「あついな」
やがて首まで風呂に沈んだカワカミさん、そう感想を漏らす。
そう、湯とは熱いもの。
だから心配いらない、ゆっくり浸かってくれて構わない…………と言って去ろうとして、腕を掴まれた。
ヒレ付きの手にがっちり掴まれた。
「……つめたいぞ」
言葉の意味を考え、こちらの身体も冷えきっているだろう、ということだと解釈した。
カワカミさん、ユニットバスの端に寄って隙間を空けてくれる。
一緒に入れと、そういうことなのだろうか。
…………いったん外に出て全裸になってから、タオルを腰に巻いて戻る。
失礼します、と言いつつ浴槽に身体を入れる。
2人ぶんの体積で水面がさらに上がる。
さて、どうしよう。
今は浴室の壁を向いているが、果たして横の少女の方向を向いていいものかどうか。
……ちらっと横目で見る。
「どうした」
うわぁしっかり見られてた。
もういいやと向き直れば、カワカミさんはこちらの努力とか意思とか一切関係なく、こっちをじっと見ていた。
風呂の湯気の中でカワカミさんと向かい合う。
いったいこの子は何を考えているのだろう。
いつもはそこまで気にならないその一点が、今だけはとても知りたくなった。
果たして、そんな考えが通じたのかどうか。
目の前の少女が口を開いた。
「つられて、しまった」
ぽそりと呟くカワカミさん。
瞬間、ざぱんと音を立てて片脚が持ち上がる。
そのまま浴槽のへりに載せられるようにして、下半身が開かれる。
目を離すこともできずにそれを見つめ、そして下腹の真ん中にあるヘソにまず意識が向いた。
そしてその下、ぴったりと閉じたワレメの部分から、うっすらとピンク色の肉が覗いているのを見せつけられる。
風呂に入っていてなおドッと自身から汗が出るのを感じた。
カワカミさんを見る。
視線が合い、見つめ合う。
どちらも動かない。
頷かない。
ただ、ヒレの付いた手でグイッと腕を引かれた。
体勢を崩し、湯に浸かるカワカミさんの肢体にのしかかるような格好になる。
それでも視線が合ったままだった。
どんなに近付いても、目だけは合わせたまま。
ざぱ、と横の水面からヒレが持ち上がり、ツルツルとした、しかし暖かい感触の腕がこちらの首に回される。
前に引き寄せられる。
目を合わせたまま、カワカミさんの小さな唇に自分の口が触れる。
「………………っ」
触れるというより、ぶつかる。
正面から顔を寄せたので、鼻もぶつかる。
カワカミさんも自分も、キスに慣れていなかった。
それでも、目を合わせたままでいるにはこうするしかない。
うまく寄せられない口をどうにか触れさせ、さらに近づけようとする。
焦れたカワカミさんが、ずっ、とこちらの口を吸ってきた。
するとそれなら上手くいくと覚えたためか、ずっ、ずっ、と何度も何度も音を立てて不器用に口を吸われる。
ふーっ、ふーっ、と鼻でする息づかいが荒くなっているのが耳に入ったが、それがカワカミさんのものなのか自分のものなのかも分からない。
重なった鼻が息苦しいが、それでも顔の距離は離れない。
つるりとしたカワカミさんのあごに自分のあごをくっ付けて、小さな唇の間に舌を侵入させる。
カワカミさんの目がわずかに揺れたのも一瞬のことで、すぐに口を吸う動きは舌を絡み合わせる動きに変わった。
始めたこっちよりも、すぐに彼女の方が積極的に動いてくるようになる。
カワカミさんが身体をよじらせるたび、浴槽がパシャパシャと音を立てる。
鼻で吸う湯気のせいで、さらに頭に血が上っていく感覚を覚える。
身体が離れた。
「………………」
身体が熱い。
風呂に入っていたせいか。
カワカミさんはどうだろう。
この子の顔がいつもよりも色づいているのは、風呂の熱気に当てられたせいなのだろうか。
それとも。
「………………」
風呂の中、どちらも言葉を発しない。
ただ、ずっと目だけは合わせていた。
瞬きをするタイミングすらお互いに見計らって合わせている気がした。
首に回された腕とは反対側の腕が、目の前でゆっくりと下に沈んでいく。
外れかけていた腰のタオルが剥がされる感触。
さらに腕はカワカミさんの太ももの付け根らへんに移動し、どこか開閉するような、くぱりと広げるような動きを行う。
思わず浴槽の中を見ようとして、首に回された腕に止められる。
カワカミさんと目が合う。
真っ赤な顔になったカワカミさんと。
「もらえ」
何も言わず、自分の腰をカワカミさんの下腹に擦りつけた。
空いていた自分の手も、彼女の股に当てられたヒレの手と握手するみたいに上から重ねる。
んふ、と彼女から不規則な吐息が漏れる。
こちらの陰茎が彼女に柔らかく掴まれ、彼女の女の中心を自分は割り開くように左右に広げる。
お互いにゆっくりと近づける。
「………………っ」
ぬるり、ともずちゅりとも付かないような感触が下腹部から背骨の辺りに伝わってきた。
ぐ、と腰を前に寄せると、浴槽の端で逃げ場のないカワカミさんの腰に完全に密着してしまう。
陰茎の先端に固いものが触れる。
そこまでの内部も蠢くように肉がうねり、精管から種を搾り取ろうとしてくる。
はっ、はっ、とカワカミさんが息を荒げ、今まで見たこともないような表情になっていた。
目がとろりと潤み、目尻はこちらに媚びるように垂れ下がっている。
そんな姿も彼女は包み隠さず、こちらに見せてくれた。
腰を引こうとするが、首と背に回されたヒレの腕がそれを許してくれない。
ただもっと近くに寄せようとするべく、こちらをぐいぐいと力強く抱きしめてくる。
風呂場の中で、息づかい以外の音が全くしない。
水面がわずかに揺れるのみ。
……どぷ、とカワカミさんの中に精を放った。
風呂の湯の温かさと、カワカミさんの肌の暖かさに包まれたまま、彼女の中に吐精する。
ひたすら静かで、穏やかな射精。
陰茎が一度、二度と収縮して精を吐き出すたび、カワカミさんが身体をびく、びくと震わせる。
わずかな動きなのに、2人して抱き合っているためだろうか、とてもそれを鮮明に感じられた。
ヒレの手で背中の中央から腰にかけてゆるゆると撫でられる動きに合わせて、彼女の子袋に精液を注ぎ込む。
撫でる動きと吐精の収縮が合わさり、腰がどうしようもなくむず痒いような快感を得る。
それでまた、精液を彼女の中に垂れ流してしまう。
潤んだ目が近づいてきて、また口を重ねていた。
下腹部の心地よさと合わさって、お互いの唇をこねくり回すように擦りつけ合う。
収まらない吐精にカワカミさんが小さくうめいて頭をのけぞらせ、浴槽の壁に艶やかな緑髪をこする。
白い首元がひくひくと震えているのが見え、そしてその下、スクール水着によって日差しを逃れていたもっと白い胸元が目に入った。
その先端の桜色の突起に指を這わせると、カワカミさんのヘソの辺りがカクカクと前後に震える。
ぶぴゅりと、そんな音がしたのかどうかは定かではないが、脈動によって吐き出されていた精液が陰茎の根元の辺りから漏れ出てしまうような感覚があった。
お湯の中で、カワカミさんの膣と繋がった肉の隙間から白濁が漏れ出ている。
自分でやっていることながらその有り様に目をみはり、光景をまじまじと見よう……として、顔がぐいと上に向けられる。
再びキスされた。
潤んだ目が、こちらの目を離してくれない。
そのまま残りの精もカワカミさんと見つめ合ったまま彼女の中に吐き出し、最後の一滴を放出するまで抱き合っていた。
「………………」
ひどく長く続いた快感が少し収まってきてから、彼女の中の自分のものをずるりと引き抜く。
わぁぁ、とお湯の中で白い筋が散るように広がっていった。
それら精液の出どころは、カワカミさんだ。
「…………おお」
感嘆のような声。
まだ若干赤い顔で余韻に浸っていた様子のカワカミさんも、それを目にすると無表情をちょっとだけ変化させていた。
お、今のが驚いた表情なのかな。
なんとなく、無表情な彼女の頭を撫でてみたくなった。
撫でてみる。
「ぬっ」
一瞬戸惑ったような、その後は少し目を細めてうっとりとするような表情。
どうやら喜んでくれているらしい。
撫でていると、彼女のお腹がぽっこりと膨らんでいることに気づいた。
数刻前まではもっと平坦だったから、あれはまさか自分の多量の体液によって膨らんでしまったのだろうか。
カワカミさんが魔物娘だからだろうか、すごい経験をしてしまったな。
お湯の中に手を入れ、ぽっこりお腹を撫でてみる。
少し強く押すと、どぷっと白い筋のように精液が漏れ出てきた。
ヒレの手で撫でる指を止められる。
「よせ」
もったいない、と続けて言われてしまった。
うむ。
これがカワカミさんの少し怒った表情か。
いざ行かん、渓流釣りの旅へ!!
世俗を離れ、大自然へ飛び込むのだ!!
……などと思いつつ、やって来たのはアパートの前の庭である。
大家さんがお手入れを欠かしていないこの庭には、なんと小さな池すらあるのだ。
しかし、その池の前で釣り具を持って佇むしがないエンジニアという存在の、なんと浮いていること。
特筆すべきは、自身が裸ということか。
ご近所さんにあまり見られたくない姿だった。
まだかな、と思った途端。
足首がぐいと掴まれ、その掴んだものの出どころである池へと引きずり込まれる。
がぼがぼ、とどこか暗い空間で水を吸う間もなく。
一気に水面へと浮上してみればそこはいつもの湖。
ピーチクパーチクと鳥が鳴いている。
いつの間にか足首だけでなく、全身を絡めるように密着していたその人を見つめる。
ぬぼっとした表情だが、どこか楽しげに見えた。
透明度の高い水の中、肩やら鼻やらを2人して互いに擦りつける。
顔を離す。やっぱり楽しそうだ。
自分も同じ表情をしているかもしれない。
「きょうも、つれるぞ」
はたして、釣られてしまったのはどちらなのだろう。
17/09/01 22:25更新 / しっぽ屋