『始動』の1〜10日
《1日目》
――――――――――――――――――――
※『サバト』を名乗る宗教団体に御注意を!!※
年明けから先月にかけて、未成年者を含む男女が自宅帰りや登下校時に行方不明になり、当日から数日後にかけて保護される事件が複数件発生しています。
これらの一連の拉致事件では、全て『サバト』を名乗る宗教団体が関与しているとの疑いがあります。
万が一『サバト』関係者が身近に現れた場合には、当市の皆様は決して慌てず騒がず、彼女らを刺激することのないようにお願いします。
『サバト』は危険です。皆様の健やかな発達に害を与える可能性があります。また、『サバト』での活動は青少年保護育成条例に違反が報告されており、男女を問わず意識や嗜好にも重篤な悪影響を及ぼしかねません。
市民の皆様の御協力をお願いします。
――――――――――――――――――――
「くそっ! また来たのか――サバトっ!!」
その日、大学の掲示板に張り出された1つの告知。
地元の市議会名義で書かれたやる気の欠片もない文書。
それを上から下まで何度も何度も読み返してから、僕は足元の小石を力の限りに蹴り飛ばした。
小石は地面を跳ねて近くの池に落ち、わずかに波紋を立てただけで沈んでいく。
それがまるで自分の無力さを暗喩しているようで、一層苛立ちが募った。
「あっ、イズミ兄さん! こんな所にいたんだ?」
走り寄ってきたのは僕の妹、イマリだ。
この子とは1歳差の兄妹で、大学生としては1年後輩にあたる。
よくできた妹である彼女は、僕が見ていた掲示にもすぐ気がついた。
「ああ……またこの時期が来たんだ。前は5年前だったっけ?」
「いや、違う。あいつらがこの街に大々的に来るのは、およそ4年周期と決まってる」
「よく調べてるねー、兄さんは」
「当たり前だっ。何度サバトの奴らに煮え湯を飲まされたと思ってる!」
「そ、そんな大げさな」
大げさなものか。
決してこれは誇張ではない。
これまでのことを思い出す。
サバトによって虐げられてきた痛ましい記憶を。
小学校。
運動会の日、他の親御さんらと同様に、僕と妹の両親も応援にと小学校にやって来ていた。
そしてその年度の運動会からは、生徒とその保護者が協力して走る『親子で二人三脚リレー』という競技が新設された。
しかし、僕の母はサバトの『魔女』だった。
元から心も身体も若々しかったと自慢する母親は、妹が産まれたすぐ後、何を思ったのかサバトに加入してしまったのだ。
そのせいで、あの人はその当時ですら二児の母親のクセにちびっ子……じゃない、若々かった体躯がそれで固定され、僕と妹が小学校の頃にはもはや妹のほうが背丈で親を上回っているいう始末。
父親はごくごくノーマルで上背がかなりあったこともあって、両親2人が並ぶとギャップがとんでもないことになっていた。
開会時の全生徒の行進に母親が普通に参加させられそうになっているのを発見した時の僕の驚愕は、誰にも理解してもらえないだろう。
そして、『親子で二人三脚リレー』に行われた際に起こった狂乱、そのカオスっぷりについてはもう語りたくもないレベルだ。
というか母よ、なんであの時超絶ノリノリで参加したんだ。
そこまでの流れで、あんたが参加したらどうなるかくらい想像がついただろうに!
親父も親父で!! 何を間違えばGOサインが出せるんだ!! あんたが出ろっ、あんたが!!
しかも優勝したんだよ! 僕と母さんがMVP取っちまったじゃないか!!
そして運動会が終わった翌日、僕には『ロリママに愛されて夜も眠れないイズミ君CD』という限りなく意味不明かつ長すぎるアダ名が付いていた。CDがどこから来たのかは謎だ。
その当時小学校近辺では魔物娘の中でも魔女は数が少なく、『小学生よりも小柄な母親』というのが珍しかったのだろう。そんなアダ名が生まれるくらいには注目度は非常に高かった。
運動会の後、母親はサバトの支部から教徒としての存在感を示したという名目で表彰されたらしい。まさかの折り紙で作られた金メダルを見せびらかして、妹と嬉しそうに話していたのを僕も見たから知っている。サバトが熱心に活動を始めたのもその頃だ。
もう当時の僕には、笑えばいいのか悲しめばいいのかすら分からなかった。
そして、中学校。
ある日クラスメイトの石丸くんが3日程原因不明の欠席をしたかと思うと、明くる日に登校してくるなりこう言った。
「なあイズミ、オレ気づいちゃった! ランドセルの背中が当たってる部分のシワになって少し黒ずんだ場所、すごく興奮すると思わないか!?」
思わない。
そう断言したが、彼は聞く耳を持たなかった。
それどころか、キラキラした目で朝のHRの時間まで『背負いカバンの背中への接触面積と二次性徴との関係性』を長々と語り続けた石丸くん。もはや恐怖でしかなかった。
何より怖かったのは、彼の真に迫った言葉には、周りを引き込むブラックホールのような引力があったことだ。
なに言ってんだコイツ、と聞かされた周りのヤツらは最初こそ笑って流していた。
しかし、石丸くんの話が彼の論説の終章、『中学セーラー服とランドセルの意外な親和性、そして今後の展望』のくだりにまで差し掛かった頃には、周りの彼らの目に真剣なものが混じっていたのを僕は見逃さなかった。
そして、僕は知っている。
クラスメイトの1人の坂田くんがその週の土日、近所の大型デパートの新入学フェアのコーナーで小学校用の上履きを手に取っていたのを。
その上履きはサイズがどうみても坂田くんには合っていないし、そもそも女児用だろ!
というか、君の姉妹はお姉さんしかいなかっただろ!!
あんなに硬派気取ってた坂田くんはどこに消えたんだよ!!
そんな叫びを飲み込んで、僕はレジで会計をしながら店員に「家族へのプレゼントなんです」と笑顔でのたまう彼を呆然と見送るしかなかった。
彼もまた被害者なのだから、という言い訳を心の中で呟くのみで、ただ僕は現実から逃げてしまったのだ。
最後は、高校。
小学校と中学校での経験から、思いきって街外れの小さな男子校に進学した僕は、それでもサバトの被害から逃れることはできなかった。
高校の学園祭の日、僕たちの祭りはサバトの過激派によって襲撃を受けたのだ。
近隣からやって来る女子校生を期待していたクラスメイト達は、始まった途端に僕たちの開いた喫茶店にワラワラと押し寄せる幼女の大集団を見て、愕然とした。
サバトの魔物たちが好む甘味、いわゆるスイーツを用意したのが致命的な失敗であった、と気づいた頃にはもう遅く。
僕らは学園祭の時間をまるごと幼女たちのためにチュロスやクッキーを用意し、パウンドケーキを焼き、シュガーをたっぷり入れたミルクティーのお代わりを運ぶ作業に諾々と従事させられた。
そして信じられないことに、文化祭が終わった頃にはクラスの3割が『おにいちゃん』と化していた。
想像してみてほしい。クラスで一番仲の良かったヤツが、次の週明けに登校してくるなりスマホで『ラブリー天使♥いもうとちゃん♥寝顔フォルダ』という凄まじいフォルダ名の写真アルバムを笑顔で見せつけてきた瞬間を。
もう、この世の終わりかと思った。
……そうして、小学校、中学校、高校、いずれも僕は、これまでの半生をずっとサバトの脅威という暴風雨にさらされ続けてきた。
しかも、今年またサバトのヤツらがやって来る。
周りの男がことごとく『おにいちゃん』に変えられるのを見せられてきた。
もしかすると、次布教されるのは僕かもしれない。
これ以上、サバトの被害者を出してたまるか。
これ以上、ロリコンを増やしてたまるか。
誰かが止めなければ。
ヤツらを。
ロリコンを。
「……こんな掲示を出しても、市のお役所仕事なんかじゃヤツらの横暴は止められない」
「兄さん?」
隣にいる妹に向き直る。
「イマリ」
「なーに?」
「お前が必要なんだ」
「……んん? ほぇ!? どういうこと!?」
言葉が少し唐突で、驚かれたかもしれない。
ただ聡明な妹のことだ、事情を説明すれば理解を得られるだろうと僕は信じている。
だから………………。
「明後日、付き合ってくれるか?」
「えぇぇぇ!?」
そう、明後日の――――――『集会』に。
《3日目》
大学校舎の外れにある、ボロい部活棟。
その地下1Fに、『集会』の会場となる部屋は存在した。
放課後になってそこに訪れた僕は、入り口に立っていた鋭い表情の先輩に挨拶をする。
「おはようございます。アネサキ『代表』」
「イズミ、よく来てくれた。メンバー全員が時間通り集まったな」
彼は僕の後ろに目を向けた。
「『代表』。こっちは僕の妹、イマリです」
「そうか。メンバーが増えるのは喜ばしいことだ。よろしく頼む」
「は、はい。よ、よろしくお願いします……?」
妹が少し引け腰になっているが、まあアネサキ先輩のメガネの奥の鋭い眼光には慣れるまではみんなこんな感じだ。
慣れれば特段怖いということもない。ただのデフォルトの表情なのだ、あれが。
他は…………。まあ、地下で薄暗いし部室のドアにもおどろおどろしい黒いカーテンが掛けてあるが、まさか妹がこれを不気味がっているということもないだろう。
「に、兄さん? ホントにここに入るの?」
「当たり前だ。ほら」
カーテンを持ち上げて、奥へと促す。
おっかなびっくり入っていく妹に続いて、僕と先輩も部室に入った。
電気は省エネのため電灯がわざと外されており、部屋は薄暗い。
部屋には、ど真ん中に大きな木製円卓が1つ。
円卓を囲んで奥に座っていた先客は、4人。
僕が入り口近くのイスに妹と隣り合わせで座ると、アネサキ先輩は部室備え付けのホワイトボードの近くに歩いていった。
「イズミも来て、全員揃ったな。それでは……」
オカルト研究会部室、などという文字だとか、水晶玉やらタロットカードやらの絵が、ポップかつファンシーに描かれたボード。
それらはこの部屋の提供者がどこであるかを示し、僕らの活動の表向きの隠れ蓑にもなっている。
「本日の『集会』を、始めようか」
だが、ボードが一回転し、ひっくり返されるとおもむろに現れてくる文面は全くそれとは異なる。
でかでかとボードの中央に書かれた文字。
『アンチ・サバト』。
それが、この集まりの正体だった。
……これまで僕も、決して何もしてこなかったわけではない。
全く反省しないで買い物のたびに近所の八百屋で「お嬢ちゃんお使いかい? オマケしたげるねぇ」と言われていた母親に、年相応の振る舞いをしてくれと頼みこんだ。
上履きフェチという難儀な性癖を獲得した坂田くんに、ハイヒールの良さを懇々と力説した。
高校のクラス内で回覧していたエロ本が『RO』になった時は、自腹を切って熟女系の本に差し替えもした。
しかし、どれも役に立たなかった。
母はいまだに平然とオマケを受け取るし、坂田くんはこの前カノジョにスモックを着せた写真を自慢げに送ってきた。河原に行けば、水着を着た幼女が表紙にバーンと載ったエロ本がいくらでも拾えるだろう。
そしてこれまでの失敗の原因を突き詰めると、究極的には僕が『1人』で奮闘したところで意味がない、ということが分かった。
イヤでも、理解させられてしまった。
相手は集団。ならばこちらもメンバーを集め、対策を打ち立て、作戦を練って挑む必要がある。
個で集団に挑むは下策も下策。
そうなると、取れる作戦は大別して2つ。
ランチェスター戦略に従い、数で上回り、数で相手にぶつかっていくマジョリティ獲得作戦。
あるいは、相手の数を分断し、こちらが少人数で挑むゲリラタイプの急襲作戦。
この『アンチ・サバト』は後者寄りだった。
様々な理由からある人はサバトのやり方に疑義や不満を持ち、ある人はサバトとの深い因縁を持つ、反抗する者達が集まる会合。
「まず最初に、今日集まってもらったのは他でもない。イズミからの希望があったからだ」
呼ばれて立ち上がる。
「はい。全体連絡でも伝えましたが、もう一度確認します。先日、と言っても一昨日ですが、『サバト』に関する掲示が市より告知されました。内容によれば、既に数件の被害が出ていたようです」
そう言うと、「告知が遅すぎる」「市は何をやっているのか」と先に座っていたメンバーが少しざわついた。
それをアネサキ先輩は手のジェスチャーだけで抑えた。
なので、僕は続ける。
「時期的にもこの市での『サバト』の活動期がそろそろであると考えられます。よって…………我々も、このタイミングで動くことを提案します」
まばらに拍手する者、頷く者、ボーッとしている者、戸惑っている妹…………、様々な反応があったが、とりあえず反対されなかったことに安堵して、着席した。
司会はあくまでアネサキ先輩だ。
彼が話を引き継ぐ。
「と、いうことだ。彼の発言は我々『アンチ・サバト』の活動理念から逸脱しないものであると、私も賛成する。だがその本格的に議論を始める前に、今日は新人もいる。改めて自己紹介から始めようか」
新人と言われて、隣の妹が首を亀のように引っ込める。
こういった場ではあまり目立つことを好まない、少し引っ込み思案な性格なのだ。僕の妹は。
ただ、彼女の出番は順番的に最後だろう。
まずは、最初から立っていたアネサキ先輩が話し始めた。
「『アンチ・サバト』の『代表』、アネサキ。学年は3年、表向きの部活は弁論部。性癖はシスコンだが、姉萌えだ」
簡潔に語って、彼の番は終了した。
隣の妹が頭上に疑問符を浮かべているようだが、次は僕の番だ。
「『副代表』のイズミです。学年は2年、サークルは調理同好会に入っています。性癖はこれといってありませんが、ロリコンおにいちゃんにだけは堕ちないという自信があります」
最後が一番重要なので強調しておく。
皆が強く頷いてくれるのが頼もしかった。
そして次に立ったのは、向かいの席の男子だ。
「2年のマミヤマっす! 部活は剣道部、一応レギュラーやってまっす! 性癖は……ハズいのでヒミツで!」
ハツラツと述べて、立った時と同じように威勢良く座る。
身体つきもガッシリとしていて、まさに体育会系といった振る舞いだ。
隣の妹に耳打ちする。
「(マミヤマは哺乳瓶の吸い口を剣道の面の下で咥えているほどの重度のマザコンだ。安心してくれ)」
「(そ、そうなんだ……)」
アネサキ先輩は姉系が好きであり、マミヤマは母系の趣味趣向がある。
共に年上好きであり、それだけでロリコンどもとは対極のスタンスにあると言える。
ちなみにアネサキ先輩に姉妹はいない。
マミヤマに続いて、次のメンバーが立ち上がった。
…………が、立ったのは2人だ。
だが、彼女らはあれで良い。
「フタバ、2年生です。部活はありませんが、私たちは放送委員会です。そして、『姉を』『妹を』愛しています」
最初は1人で話していたのが途中だけハモり、そしてお互いを見て満足げに頷く。
僕もいまだに見分けのつかない彼女らは、全くタイミングを揃えて着席した。
お互いの腰を抱きよせて見つめ合って、なんとも仲睦まじい。
集団の団結力が求められるこういった地下活動で、個々の間の結束力が高まることは素晴らしい。
その点で彼女ら2人は他の追随を許さないだろう。
「(ね、ねえ兄さん。あの2人って)」
「(気づいたか。彼女らは……いわば百合なんだ)」
「(いや、それもあるけどさ……)」
他に何があると言うのだろうか。
しかし僕が妹に聞き返す前に、最後の1人がのそっと立ち上がった。
見るからに面倒そうな、脱力感のある表情だが、それでも話す気はあるようだ。
「…………1年、ネクリ」
この中で最も小柄な女子はそう言って、いったん言葉が止まる。
もう終わっていいか、と僕を見る視線が言った…………ような気がした。
仕方なく、言葉を継ぎ足す。
「ネクリはこの部室の本来の持ち主、オカルト研究会――通称『オカ研』の唯一の部員だ。嗜好は、あー……」
「死体………………とか。人体とか……」
「――らしい。興味がある人は彼女に聞いてくれ。模型のコレクションなどを見せてくれるらしい」
「…………見せるよ」
妹が顔を引きつらせているが、模型だけで本物は持っていない……はずだ。たぶん。
ネクリがかくんと糸が切れたように着席したのを見計らって、またアネサキ先輩が立ち上がった。
「そしてイズミの隣に座っているのが、彼の妹のイマリだ。今日は兄の紹介でやって来たそうだ。自己紹介はお願いできるか?」
「はっ、はい! 1年のイマリです、兄と同じサークルに入っています! せ、性癖……性癖!? は、えーっと……」
「……まあ、おいおいそれは考えてもらうとして。皆、この子はきっと強力な助っ人になる。『副代表』の僕が保証する」
横からフォローを入れると、妹はほっとしたような表情になって緊張をわずかに解いた。
まあ、多少ここは特殊な雰囲気もあるし、慣れるまでは緊張もするかもしれない。
「よし。では今日の議題に移ろう。『代表』の私がこれまで通りに音頭を取っていくが、意見があれば遠慮なく言ってくれ――――――」
そうして自己紹介に続いて、本格的な今後の活動について話し合った。
その日、同じ『アンチ・サバト』の共通理念を持つ我々は、闊達かつ綿密な議論の末にいくつかの方策を取ることとなった。
こちらの人数が少ないがゆえの、ゲリラ的なサバトへの打撃作戦。
直接に刃を交えることなく、ただ相手の力を、つまりこの街での支配力を削いでいく作戦。
これからはその方策に従ってサバトの戦力を低減させ、脅威を抑止していくことになるだろう。
《6日目》
――――――――――――――――――――
【アンケートのお願い】
私たちのゼミでは、『青少年期の心理・情緒の発達と理解』をテーマで現在研究を行っており、今回アンケートを行う運びとなりました。
授業前、授業後にお手すきであれば、回答をいただきたく思います。個人情報、また個人の特定に繋がる情報は一切記入する必要はありません。
皆様のご協力をお願いします。
以下質問に1〜5の選択肢からマルを選んで記入をお願いします。
Q1. 『青年期の心理・情緒について理解がある』
1.非常にある 2.ある 3.どちらとも言えない
4.あまりない 5.ほとんどない
Q2. 『児童期の男女の発達差について理解がある』
1.非常にある 2.ある 3.どちらとも言えない
4.あまりない 5.ほとんどない
・
・
・
Q8. 『女子側の発達がおおよそ男子よりも早いことをご存知でしたか?』
・
・
・
Q15. 『児童期の男女が異性親を求める、エディプス・コンプレックスについてご存知ですか?』
・
・
・
Q20. 『このアンケートで、男女の健常な発達について興味が深まりましたか?』
〜ご協力、ありがとうございました〜
――――――――――――――――――――
「イズミ、そっちの方はどうだ?」
「回答率は授業時の人数と比較して、3割と少しってところですね。ハクタク教授の授業は皆熱心に聞いているのか、あまり多くはありませんでした」
「いや、こうして『目に触れてもらう』ことこそが重要なんだ、回答数をあまり気にする必要はないだろう」
むしろ3割は多いな、こっちなんて1割が良いところだ、と笑うアネサキ先輩。
僕もつられて笑ってしまった。
今僕たちが行っている作業は、一言で説明するなら意識調査だと言える。
大学の中でそれぞれの教室で授業が始まる前にふらりと立ち寄り、机の上に僕たちが作製したアンケート用紙を置いて立ち去る。
あとは自分の授業を受けに行くか、ただひたすら時間を潰して待ち、授業後に回収にいくだけだ。
紙は回答されているものやラクガキされているもの、果ては飲み物がこぼれて汚れているものなどもあるが、きっと目ぐらいは通しておいてもらえていると信じよう。
意外と回答率も多いようだし。
そしてアンケートの中身は読んでの通り、表向きは『男女の発達』などと謳われている。
だが実際には、それとなく男女の嗜好を男性は年上に、女性は年下にと逸らす方向に誘導していることが分かるだろう。
そう、これはサバトという直接の名前こそ出ていないものの、れっきとした『アンチ・サバト』としての活動なのである。
休み時間にアンケートを置きにオカ研の部室に戻ってくると、マミヤマとネクリの姿があった。
「イズミ、そっちはどうっすか? 自分は前の時間だけで4つの授業のを回収したっすよ!」
マミヤマは僕のような同級生にも微妙に丁寧語だが、本人いわくクセのようなものらしいので仕方ない。
「僕は2で、『代表』が3だな。結構集まって来たんじゃないか?」
「…………私は1、だけど」
「あまり気にしなくて良い、ネクリはまだ1年生なんだし」
しかし、他の授業まで全てを網羅するとなると、進捗はまだ40%程度といったところか。
先は長いが、地道にやるしかない。
「ちなみにマミヤマ、一応僕たちの面は割れないように気をつけといてくれよ?」
「モチロン! ってか、そんな警戒する必要あるんすかね?」
「あるに決まってる」
サバトの目がどこにあるか分からない。
そしてアンケートの意図は、きっと見る人が見れば気づいてしまうはずだ。
配っている僕たちが追跡されて襲われる可能性、それが今一番気にしなければならない懸念点だった。
「――だから、万が一にもこの部室への尾行とかはされないように注意だ」
「ういうい、分かってまっす」
本当に分かってるのか、という若干の疑念を残すマミヤマの受け答えを聞いて、また、ボーッとしているネクリを見て、僕は内心で嘆息した。
「そういや、フタバたちは?」
「………………解析、とか……」
「ああ、もう同時並行で進めてくれてるのか。かなり助かるな」
放送委員会は人が少なく、かつ備品のパソコンもあるため、アンケートの結果は彼女らが集計してくれる手はずになっていた。
大学内での意識をロリータ、あるいはロリコン側から遠ざけるのが目的のダミー・アンケートではあるが、アンケートの回答自体も有用性はある。
サバトへの潜在的な支持率を調べるための手段として利用できるからだ。
アネサキ先輩やイマリも戻ってくると、地下活動が予想以上にスムーズに進んでいることに顔をほころばせていた。
アネサキ先輩が、さらに提案する。
「これは他の大学でも取れる手段かもしれないな。他大学に入れさえすれば、部外の我々でもアンケートくらいなら取れるだろう」
『代表』、それ不法侵入じゃないっすか! と言ってマミヤマが茶化すと、まだ参加して間もないイマリも、そしてアネサキ先輩も笑いを堪えられなかった。
表情を変えなかったのは、普段からポーカーフェイスのネクリくらいだろう。
こうして僕らの『アンチ・サバト』活動は、始まってみればかなり順調なスタートを切っていた。
……だから、油断してしまったのかもしれない。
《10日目》
『アンチ・サバト』の地下活動が始動してから10日が経ち、僕らは近所の他大学まで意識調査を進めていた。
通っている大学については既にほぼ全ての授業教科で回収できるものは回収を終えており、本格的に外に活動範囲を広げていたのである。
その回答率はというと……これも意外と悪くない。
暇な授業であれば選択式の20問程度のアンケートくらい、手慰みに……と考える人も多いのだろう。
匿名性にも気を使っているし。
今この別の大学には、自分の授業コマが空いていた僕とマミヤマでアンケート配布にやって来ていた。
昼前から空いた3コマ程度の時間、自転車でこちらに来て授業前に配っておいた。
ぼくが食堂に戻って来た時、マミヤマは本人と名前の近い乳酸菌飲料をストローパックで吸っていた。
「マミヤマ、またそれ飲んでるのな」
「ま、自分のソウルフードっすからね! 剣道も試合前にはいつも飲んでるっすよ!」
さすがマザコン、飲料1つにもかける情熱が違う。
なんと頼もしいことだろうか。
その後マミヤマが語る『おしゃぶりの形状オススメ10選』という男子大学生の何人に需要があるのか分からない格付けを聞いているうちに時間は過ぎ、僕らは回収作業に移った。
午後の休み時間の間隙、人が極力少なくなったスポットのタイミングを狙って教室に入り、そ知らぬ顔で紙を回収していく。
「うわ、汚なっ! 誰だ授業前にスナックとか食ってたヤツ! 紙が油ぎってるし!」
思わず悪態をついてしまうが、紙を残していくのはその後の迷惑になる。
いやそれを言うなら、アンケートも授業の迷惑になってるだろ、という意見もあるのだろうが、そちらはまた別の話だ。
世のロリコンを減らすという大義のため、どうか許してほしい。
その教室の回収が終わり、マミヤマと事前に決めた廊下の集合地点に向かう。
……だが、肝心のマミヤマが5分経っても、いや休み時間が終わってもまだ戻ってこない。
イヤな予感がした。
廊下に出てきていた他校の大学生たち、男子や女子や魔物娘やらの集団をかき分けて、急ぎ足で通路を進む。
マミヤマがアンケートを配ると言っていた教室を覗いてみると、彼は部屋に残っていた1人の女子と話していた。
それ以外の学生は見当たらない。
「〜〜〜…………。〜〜」
「〜〜で、これは………………で」
遠目からでは会話が聞き取れないな。
近づいて見るか……と思った時、ふと、その相手の女子がツインテールなことが妙に気になった。
「あれ? 教室の入り口で立って、どうしたんです?」
後ろから声を掛けられ、振り返った。
華のある女子の声だ。
しかし、姿が見えない。
「もうちょっと下ですよ。し、た」
言われて下を見ると、僕の腹ほどの高さに相手の頭が位置していた。
こちらはサイドテールだ。
どうやら僕は部屋に入る邪魔になっていたらしい。
しかし授業もないのに、この教室になんの用事が?
「あっ……と。すみません、邪魔でしたね」
「いえいえ〜」
僕の言葉に、魅力的な笑顔で応じる女子。
――――しかし、次に口から出た言葉は。
「いいんですよぉ〜、『おにいちゃん』さん?」
バッと後ろを振り向くと、マミヤマが倒れていた。
相手の女子はいつの間にか扇情的な衣装に変わっていて、背中には黒い羽が生えていた。
しかも、嗜虐的な笑みを浮かべて。
「――――ダークエンジェル!? なぜ!?」
「あら? よくご存知ですね?」
とっさに飛び退く。
直前まで僕が居た位置には、後ろから棒付きキャンディが突き出されていた。
どこでそんなアメが買えるのか、古典的なグルグル模様のキャンディには、しかしその周りにピンクか紫か分からないモヤモヤが纏わりついていた。
もしアレに触れれば、どうなってしまうのか。
サイドテールのその子は、アメを突き出したまま意外そうな顔をしていた。
しかし、すぐに余裕を取り戻す。
いつの間にか彼女もそれまでの服装からロリポップかつ淫らな衣装に変わっており、ご丁寧にこちらにお辞儀までしてみせた。
「あらら〜? よく避けられましたね?」
油断した、どこかで気が抜けていた。
それがこの結果だ。
既に動いていたのは――――。
「でも、次はないですよ? 『おにいちゃん』?」
――――我々だけでは、なかったのだ。
――――――――――――――――――――
※『サバト』を名乗る宗教団体に御注意を!!※
年明けから先月にかけて、未成年者を含む男女が自宅帰りや登下校時に行方不明になり、当日から数日後にかけて保護される事件が複数件発生しています。
これらの一連の拉致事件では、全て『サバト』を名乗る宗教団体が関与しているとの疑いがあります。
万が一『サバト』関係者が身近に現れた場合には、当市の皆様は決して慌てず騒がず、彼女らを刺激することのないようにお願いします。
『サバト』は危険です。皆様の健やかな発達に害を与える可能性があります。また、『サバト』での活動は青少年保護育成条例に違反が報告されており、男女を問わず意識や嗜好にも重篤な悪影響を及ぼしかねません。
市民の皆様の御協力をお願いします。
――――――――――――――――――――
「くそっ! また来たのか――サバトっ!!」
その日、大学の掲示板に張り出された1つの告知。
地元の市議会名義で書かれたやる気の欠片もない文書。
それを上から下まで何度も何度も読み返してから、僕は足元の小石を力の限りに蹴り飛ばした。
小石は地面を跳ねて近くの池に落ち、わずかに波紋を立てただけで沈んでいく。
それがまるで自分の無力さを暗喩しているようで、一層苛立ちが募った。
「あっ、イズミ兄さん! こんな所にいたんだ?」
走り寄ってきたのは僕の妹、イマリだ。
この子とは1歳差の兄妹で、大学生としては1年後輩にあたる。
よくできた妹である彼女は、僕が見ていた掲示にもすぐ気がついた。
「ああ……またこの時期が来たんだ。前は5年前だったっけ?」
「いや、違う。あいつらがこの街に大々的に来るのは、およそ4年周期と決まってる」
「よく調べてるねー、兄さんは」
「当たり前だっ。何度サバトの奴らに煮え湯を飲まされたと思ってる!」
「そ、そんな大げさな」
大げさなものか。
決してこれは誇張ではない。
これまでのことを思い出す。
サバトによって虐げられてきた痛ましい記憶を。
小学校。
運動会の日、他の親御さんらと同様に、僕と妹の両親も応援にと小学校にやって来ていた。
そしてその年度の運動会からは、生徒とその保護者が協力して走る『親子で二人三脚リレー』という競技が新設された。
しかし、僕の母はサバトの『魔女』だった。
元から心も身体も若々しかったと自慢する母親は、妹が産まれたすぐ後、何を思ったのかサバトに加入してしまったのだ。
そのせいで、あの人はその当時ですら二児の母親のクセにちびっ子……じゃない、若々かった体躯がそれで固定され、僕と妹が小学校の頃にはもはや妹のほうが背丈で親を上回っているいう始末。
父親はごくごくノーマルで上背がかなりあったこともあって、両親2人が並ぶとギャップがとんでもないことになっていた。
開会時の全生徒の行進に母親が普通に参加させられそうになっているのを発見した時の僕の驚愕は、誰にも理解してもらえないだろう。
そして、『親子で二人三脚リレー』に行われた際に起こった狂乱、そのカオスっぷりについてはもう語りたくもないレベルだ。
というか母よ、なんであの時超絶ノリノリで参加したんだ。
そこまでの流れで、あんたが参加したらどうなるかくらい想像がついただろうに!
親父も親父で!! 何を間違えばGOサインが出せるんだ!! あんたが出ろっ、あんたが!!
しかも優勝したんだよ! 僕と母さんがMVP取っちまったじゃないか!!
そして運動会が終わった翌日、僕には『ロリママに愛されて夜も眠れないイズミ君CD』という限りなく意味不明かつ長すぎるアダ名が付いていた。CDがどこから来たのかは謎だ。
その当時小学校近辺では魔物娘の中でも魔女は数が少なく、『小学生よりも小柄な母親』というのが珍しかったのだろう。そんなアダ名が生まれるくらいには注目度は非常に高かった。
運動会の後、母親はサバトの支部から教徒としての存在感を示したという名目で表彰されたらしい。まさかの折り紙で作られた金メダルを見せびらかして、妹と嬉しそうに話していたのを僕も見たから知っている。サバトが熱心に活動を始めたのもその頃だ。
もう当時の僕には、笑えばいいのか悲しめばいいのかすら分からなかった。
そして、中学校。
ある日クラスメイトの石丸くんが3日程原因不明の欠席をしたかと思うと、明くる日に登校してくるなりこう言った。
「なあイズミ、オレ気づいちゃった! ランドセルの背中が当たってる部分のシワになって少し黒ずんだ場所、すごく興奮すると思わないか!?」
思わない。
そう断言したが、彼は聞く耳を持たなかった。
それどころか、キラキラした目で朝のHRの時間まで『背負いカバンの背中への接触面積と二次性徴との関係性』を長々と語り続けた石丸くん。もはや恐怖でしかなかった。
何より怖かったのは、彼の真に迫った言葉には、周りを引き込むブラックホールのような引力があったことだ。
なに言ってんだコイツ、と聞かされた周りのヤツらは最初こそ笑って流していた。
しかし、石丸くんの話が彼の論説の終章、『中学セーラー服とランドセルの意外な親和性、そして今後の展望』のくだりにまで差し掛かった頃には、周りの彼らの目に真剣なものが混じっていたのを僕は見逃さなかった。
そして、僕は知っている。
クラスメイトの1人の坂田くんがその週の土日、近所の大型デパートの新入学フェアのコーナーで小学校用の上履きを手に取っていたのを。
その上履きはサイズがどうみても坂田くんには合っていないし、そもそも女児用だろ!
というか、君の姉妹はお姉さんしかいなかっただろ!!
あんなに硬派気取ってた坂田くんはどこに消えたんだよ!!
そんな叫びを飲み込んで、僕はレジで会計をしながら店員に「家族へのプレゼントなんです」と笑顔でのたまう彼を呆然と見送るしかなかった。
彼もまた被害者なのだから、という言い訳を心の中で呟くのみで、ただ僕は現実から逃げてしまったのだ。
最後は、高校。
小学校と中学校での経験から、思いきって街外れの小さな男子校に進学した僕は、それでもサバトの被害から逃れることはできなかった。
高校の学園祭の日、僕たちの祭りはサバトの過激派によって襲撃を受けたのだ。
近隣からやって来る女子校生を期待していたクラスメイト達は、始まった途端に僕たちの開いた喫茶店にワラワラと押し寄せる幼女の大集団を見て、愕然とした。
サバトの魔物たちが好む甘味、いわゆるスイーツを用意したのが致命的な失敗であった、と気づいた頃にはもう遅く。
僕らは学園祭の時間をまるごと幼女たちのためにチュロスやクッキーを用意し、パウンドケーキを焼き、シュガーをたっぷり入れたミルクティーのお代わりを運ぶ作業に諾々と従事させられた。
そして信じられないことに、文化祭が終わった頃にはクラスの3割が『おにいちゃん』と化していた。
想像してみてほしい。クラスで一番仲の良かったヤツが、次の週明けに登校してくるなりスマホで『ラブリー天使♥いもうとちゃん♥寝顔フォルダ』という凄まじいフォルダ名の写真アルバムを笑顔で見せつけてきた瞬間を。
もう、この世の終わりかと思った。
……そうして、小学校、中学校、高校、いずれも僕は、これまでの半生をずっとサバトの脅威という暴風雨にさらされ続けてきた。
しかも、今年またサバトのヤツらがやって来る。
周りの男がことごとく『おにいちゃん』に変えられるのを見せられてきた。
もしかすると、次布教されるのは僕かもしれない。
これ以上、サバトの被害者を出してたまるか。
これ以上、ロリコンを増やしてたまるか。
誰かが止めなければ。
ヤツらを。
ロリコンを。
「……こんな掲示を出しても、市のお役所仕事なんかじゃヤツらの横暴は止められない」
「兄さん?」
隣にいる妹に向き直る。
「イマリ」
「なーに?」
「お前が必要なんだ」
「……んん? ほぇ!? どういうこと!?」
言葉が少し唐突で、驚かれたかもしれない。
ただ聡明な妹のことだ、事情を説明すれば理解を得られるだろうと僕は信じている。
だから………………。
「明後日、付き合ってくれるか?」
「えぇぇぇ!?」
そう、明後日の――――――『集会』に。
《3日目》
大学校舎の外れにある、ボロい部活棟。
その地下1Fに、『集会』の会場となる部屋は存在した。
放課後になってそこに訪れた僕は、入り口に立っていた鋭い表情の先輩に挨拶をする。
「おはようございます。アネサキ『代表』」
「イズミ、よく来てくれた。メンバー全員が時間通り集まったな」
彼は僕の後ろに目を向けた。
「『代表』。こっちは僕の妹、イマリです」
「そうか。メンバーが増えるのは喜ばしいことだ。よろしく頼む」
「は、はい。よ、よろしくお願いします……?」
妹が少し引け腰になっているが、まあアネサキ先輩のメガネの奥の鋭い眼光には慣れるまではみんなこんな感じだ。
慣れれば特段怖いということもない。ただのデフォルトの表情なのだ、あれが。
他は…………。まあ、地下で薄暗いし部室のドアにもおどろおどろしい黒いカーテンが掛けてあるが、まさか妹がこれを不気味がっているということもないだろう。
「に、兄さん? ホントにここに入るの?」
「当たり前だ。ほら」
カーテンを持ち上げて、奥へと促す。
おっかなびっくり入っていく妹に続いて、僕と先輩も部室に入った。
電気は省エネのため電灯がわざと外されており、部屋は薄暗い。
部屋には、ど真ん中に大きな木製円卓が1つ。
円卓を囲んで奥に座っていた先客は、4人。
僕が入り口近くのイスに妹と隣り合わせで座ると、アネサキ先輩は部室備え付けのホワイトボードの近くに歩いていった。
「イズミも来て、全員揃ったな。それでは……」
オカルト研究会部室、などという文字だとか、水晶玉やらタロットカードやらの絵が、ポップかつファンシーに描かれたボード。
それらはこの部屋の提供者がどこであるかを示し、僕らの活動の表向きの隠れ蓑にもなっている。
「本日の『集会』を、始めようか」
だが、ボードが一回転し、ひっくり返されるとおもむろに現れてくる文面は全くそれとは異なる。
でかでかとボードの中央に書かれた文字。
『アンチ・サバト』。
それが、この集まりの正体だった。
……これまで僕も、決して何もしてこなかったわけではない。
全く反省しないで買い物のたびに近所の八百屋で「お嬢ちゃんお使いかい? オマケしたげるねぇ」と言われていた母親に、年相応の振る舞いをしてくれと頼みこんだ。
上履きフェチという難儀な性癖を獲得した坂田くんに、ハイヒールの良さを懇々と力説した。
高校のクラス内で回覧していたエロ本が『RO』になった時は、自腹を切って熟女系の本に差し替えもした。
しかし、どれも役に立たなかった。
母はいまだに平然とオマケを受け取るし、坂田くんはこの前カノジョにスモックを着せた写真を自慢げに送ってきた。河原に行けば、水着を着た幼女が表紙にバーンと載ったエロ本がいくらでも拾えるだろう。
そしてこれまでの失敗の原因を突き詰めると、究極的には僕が『1人』で奮闘したところで意味がない、ということが分かった。
イヤでも、理解させられてしまった。
相手は集団。ならばこちらもメンバーを集め、対策を打ち立て、作戦を練って挑む必要がある。
個で集団に挑むは下策も下策。
そうなると、取れる作戦は大別して2つ。
ランチェスター戦略に従い、数で上回り、数で相手にぶつかっていくマジョリティ獲得作戦。
あるいは、相手の数を分断し、こちらが少人数で挑むゲリラタイプの急襲作戦。
この『アンチ・サバト』は後者寄りだった。
様々な理由からある人はサバトのやり方に疑義や不満を持ち、ある人はサバトとの深い因縁を持つ、反抗する者達が集まる会合。
「まず最初に、今日集まってもらったのは他でもない。イズミからの希望があったからだ」
呼ばれて立ち上がる。
「はい。全体連絡でも伝えましたが、もう一度確認します。先日、と言っても一昨日ですが、『サバト』に関する掲示が市より告知されました。内容によれば、既に数件の被害が出ていたようです」
そう言うと、「告知が遅すぎる」「市は何をやっているのか」と先に座っていたメンバーが少しざわついた。
それをアネサキ先輩は手のジェスチャーだけで抑えた。
なので、僕は続ける。
「時期的にもこの市での『サバト』の活動期がそろそろであると考えられます。よって…………我々も、このタイミングで動くことを提案します」
まばらに拍手する者、頷く者、ボーッとしている者、戸惑っている妹…………、様々な反応があったが、とりあえず反対されなかったことに安堵して、着席した。
司会はあくまでアネサキ先輩だ。
彼が話を引き継ぐ。
「と、いうことだ。彼の発言は我々『アンチ・サバト』の活動理念から逸脱しないものであると、私も賛成する。だがその本格的に議論を始める前に、今日は新人もいる。改めて自己紹介から始めようか」
新人と言われて、隣の妹が首を亀のように引っ込める。
こういった場ではあまり目立つことを好まない、少し引っ込み思案な性格なのだ。僕の妹は。
ただ、彼女の出番は順番的に最後だろう。
まずは、最初から立っていたアネサキ先輩が話し始めた。
「『アンチ・サバト』の『代表』、アネサキ。学年は3年、表向きの部活は弁論部。性癖はシスコンだが、姉萌えだ」
簡潔に語って、彼の番は終了した。
隣の妹が頭上に疑問符を浮かべているようだが、次は僕の番だ。
「『副代表』のイズミです。学年は2年、サークルは調理同好会に入っています。性癖はこれといってありませんが、ロリコンおにいちゃんにだけは堕ちないという自信があります」
最後が一番重要なので強調しておく。
皆が強く頷いてくれるのが頼もしかった。
そして次に立ったのは、向かいの席の男子だ。
「2年のマミヤマっす! 部活は剣道部、一応レギュラーやってまっす! 性癖は……ハズいのでヒミツで!」
ハツラツと述べて、立った時と同じように威勢良く座る。
身体つきもガッシリとしていて、まさに体育会系といった振る舞いだ。
隣の妹に耳打ちする。
「(マミヤマは哺乳瓶の吸い口を剣道の面の下で咥えているほどの重度のマザコンだ。安心してくれ)」
「(そ、そうなんだ……)」
アネサキ先輩は姉系が好きであり、マミヤマは母系の趣味趣向がある。
共に年上好きであり、それだけでロリコンどもとは対極のスタンスにあると言える。
ちなみにアネサキ先輩に姉妹はいない。
マミヤマに続いて、次のメンバーが立ち上がった。
…………が、立ったのは2人だ。
だが、彼女らはあれで良い。
「フタバ、2年生です。部活はありませんが、私たちは放送委員会です。そして、『姉を』『妹を』愛しています」
最初は1人で話していたのが途中だけハモり、そしてお互いを見て満足げに頷く。
僕もいまだに見分けのつかない彼女らは、全くタイミングを揃えて着席した。
お互いの腰を抱きよせて見つめ合って、なんとも仲睦まじい。
集団の団結力が求められるこういった地下活動で、個々の間の結束力が高まることは素晴らしい。
その点で彼女ら2人は他の追随を許さないだろう。
「(ね、ねえ兄さん。あの2人って)」
「(気づいたか。彼女らは……いわば百合なんだ)」
「(いや、それもあるけどさ……)」
他に何があると言うのだろうか。
しかし僕が妹に聞き返す前に、最後の1人がのそっと立ち上がった。
見るからに面倒そうな、脱力感のある表情だが、それでも話す気はあるようだ。
「…………1年、ネクリ」
この中で最も小柄な女子はそう言って、いったん言葉が止まる。
もう終わっていいか、と僕を見る視線が言った…………ような気がした。
仕方なく、言葉を継ぎ足す。
「ネクリはこの部室の本来の持ち主、オカルト研究会――通称『オカ研』の唯一の部員だ。嗜好は、あー……」
「死体………………とか。人体とか……」
「――らしい。興味がある人は彼女に聞いてくれ。模型のコレクションなどを見せてくれるらしい」
「…………見せるよ」
妹が顔を引きつらせているが、模型だけで本物は持っていない……はずだ。たぶん。
ネクリがかくんと糸が切れたように着席したのを見計らって、またアネサキ先輩が立ち上がった。
「そしてイズミの隣に座っているのが、彼の妹のイマリだ。今日は兄の紹介でやって来たそうだ。自己紹介はお願いできるか?」
「はっ、はい! 1年のイマリです、兄と同じサークルに入っています! せ、性癖……性癖!? は、えーっと……」
「……まあ、おいおいそれは考えてもらうとして。皆、この子はきっと強力な助っ人になる。『副代表』の僕が保証する」
横からフォローを入れると、妹はほっとしたような表情になって緊張をわずかに解いた。
まあ、多少ここは特殊な雰囲気もあるし、慣れるまでは緊張もするかもしれない。
「よし。では今日の議題に移ろう。『代表』の私がこれまで通りに音頭を取っていくが、意見があれば遠慮なく言ってくれ――――――」
そうして自己紹介に続いて、本格的な今後の活動について話し合った。
その日、同じ『アンチ・サバト』の共通理念を持つ我々は、闊達かつ綿密な議論の末にいくつかの方策を取ることとなった。
こちらの人数が少ないがゆえの、ゲリラ的なサバトへの打撃作戦。
直接に刃を交えることなく、ただ相手の力を、つまりこの街での支配力を削いでいく作戦。
これからはその方策に従ってサバトの戦力を低減させ、脅威を抑止していくことになるだろう。
《6日目》
――――――――――――――――――――
【アンケートのお願い】
私たちのゼミでは、『青少年期の心理・情緒の発達と理解』をテーマで現在研究を行っており、今回アンケートを行う運びとなりました。
授業前、授業後にお手すきであれば、回答をいただきたく思います。個人情報、また個人の特定に繋がる情報は一切記入する必要はありません。
皆様のご協力をお願いします。
以下質問に1〜5の選択肢からマルを選んで記入をお願いします。
Q1. 『青年期の心理・情緒について理解がある』
1.非常にある 2.ある 3.どちらとも言えない
4.あまりない 5.ほとんどない
Q2. 『児童期の男女の発達差について理解がある』
1.非常にある 2.ある 3.どちらとも言えない
4.あまりない 5.ほとんどない
・
・
・
Q8. 『女子側の発達がおおよそ男子よりも早いことをご存知でしたか?』
・
・
・
Q15. 『児童期の男女が異性親を求める、エディプス・コンプレックスについてご存知ですか?』
・
・
・
Q20. 『このアンケートで、男女の健常な発達について興味が深まりましたか?』
〜ご協力、ありがとうございました〜
――――――――――――――――――――
「イズミ、そっちの方はどうだ?」
「回答率は授業時の人数と比較して、3割と少しってところですね。ハクタク教授の授業は皆熱心に聞いているのか、あまり多くはありませんでした」
「いや、こうして『目に触れてもらう』ことこそが重要なんだ、回答数をあまり気にする必要はないだろう」
むしろ3割は多いな、こっちなんて1割が良いところだ、と笑うアネサキ先輩。
僕もつられて笑ってしまった。
今僕たちが行っている作業は、一言で説明するなら意識調査だと言える。
大学の中でそれぞれの教室で授業が始まる前にふらりと立ち寄り、机の上に僕たちが作製したアンケート用紙を置いて立ち去る。
あとは自分の授業を受けに行くか、ただひたすら時間を潰して待ち、授業後に回収にいくだけだ。
紙は回答されているものやラクガキされているもの、果ては飲み物がこぼれて汚れているものなどもあるが、きっと目ぐらいは通しておいてもらえていると信じよう。
意外と回答率も多いようだし。
そしてアンケートの中身は読んでの通り、表向きは『男女の発達』などと謳われている。
だが実際には、それとなく男女の嗜好を男性は年上に、女性は年下にと逸らす方向に誘導していることが分かるだろう。
そう、これはサバトという直接の名前こそ出ていないものの、れっきとした『アンチ・サバト』としての活動なのである。
休み時間にアンケートを置きにオカ研の部室に戻ってくると、マミヤマとネクリの姿があった。
「イズミ、そっちはどうっすか? 自分は前の時間だけで4つの授業のを回収したっすよ!」
マミヤマは僕のような同級生にも微妙に丁寧語だが、本人いわくクセのようなものらしいので仕方ない。
「僕は2で、『代表』が3だな。結構集まって来たんじゃないか?」
「…………私は1、だけど」
「あまり気にしなくて良い、ネクリはまだ1年生なんだし」
しかし、他の授業まで全てを網羅するとなると、進捗はまだ40%程度といったところか。
先は長いが、地道にやるしかない。
「ちなみにマミヤマ、一応僕たちの面は割れないように気をつけといてくれよ?」
「モチロン! ってか、そんな警戒する必要あるんすかね?」
「あるに決まってる」
サバトの目がどこにあるか分からない。
そしてアンケートの意図は、きっと見る人が見れば気づいてしまうはずだ。
配っている僕たちが追跡されて襲われる可能性、それが今一番気にしなければならない懸念点だった。
「――だから、万が一にもこの部室への尾行とかはされないように注意だ」
「ういうい、分かってまっす」
本当に分かってるのか、という若干の疑念を残すマミヤマの受け答えを聞いて、また、ボーッとしているネクリを見て、僕は内心で嘆息した。
「そういや、フタバたちは?」
「………………解析、とか……」
「ああ、もう同時並行で進めてくれてるのか。かなり助かるな」
放送委員会は人が少なく、かつ備品のパソコンもあるため、アンケートの結果は彼女らが集計してくれる手はずになっていた。
大学内での意識をロリータ、あるいはロリコン側から遠ざけるのが目的のダミー・アンケートではあるが、アンケートの回答自体も有用性はある。
サバトへの潜在的な支持率を調べるための手段として利用できるからだ。
アネサキ先輩やイマリも戻ってくると、地下活動が予想以上にスムーズに進んでいることに顔をほころばせていた。
アネサキ先輩が、さらに提案する。
「これは他の大学でも取れる手段かもしれないな。他大学に入れさえすれば、部外の我々でもアンケートくらいなら取れるだろう」
『代表』、それ不法侵入じゃないっすか! と言ってマミヤマが茶化すと、まだ参加して間もないイマリも、そしてアネサキ先輩も笑いを堪えられなかった。
表情を変えなかったのは、普段からポーカーフェイスのネクリくらいだろう。
こうして僕らの『アンチ・サバト』活動は、始まってみればかなり順調なスタートを切っていた。
……だから、油断してしまったのかもしれない。
《10日目》
『アンチ・サバト』の地下活動が始動してから10日が経ち、僕らは近所の他大学まで意識調査を進めていた。
通っている大学については既にほぼ全ての授業教科で回収できるものは回収を終えており、本格的に外に活動範囲を広げていたのである。
その回答率はというと……これも意外と悪くない。
暇な授業であれば選択式の20問程度のアンケートくらい、手慰みに……と考える人も多いのだろう。
匿名性にも気を使っているし。
今この別の大学には、自分の授業コマが空いていた僕とマミヤマでアンケート配布にやって来ていた。
昼前から空いた3コマ程度の時間、自転車でこちらに来て授業前に配っておいた。
ぼくが食堂に戻って来た時、マミヤマは本人と名前の近い乳酸菌飲料をストローパックで吸っていた。
「マミヤマ、またそれ飲んでるのな」
「ま、自分のソウルフードっすからね! 剣道も試合前にはいつも飲んでるっすよ!」
さすがマザコン、飲料1つにもかける情熱が違う。
なんと頼もしいことだろうか。
その後マミヤマが語る『おしゃぶりの形状オススメ10選』という男子大学生の何人に需要があるのか分からない格付けを聞いているうちに時間は過ぎ、僕らは回収作業に移った。
午後の休み時間の間隙、人が極力少なくなったスポットのタイミングを狙って教室に入り、そ知らぬ顔で紙を回収していく。
「うわ、汚なっ! 誰だ授業前にスナックとか食ってたヤツ! 紙が油ぎってるし!」
思わず悪態をついてしまうが、紙を残していくのはその後の迷惑になる。
いやそれを言うなら、アンケートも授業の迷惑になってるだろ、という意見もあるのだろうが、そちらはまた別の話だ。
世のロリコンを減らすという大義のため、どうか許してほしい。
その教室の回収が終わり、マミヤマと事前に決めた廊下の集合地点に向かう。
……だが、肝心のマミヤマが5分経っても、いや休み時間が終わってもまだ戻ってこない。
イヤな予感がした。
廊下に出てきていた他校の大学生たち、男子や女子や魔物娘やらの集団をかき分けて、急ぎ足で通路を進む。
マミヤマがアンケートを配ると言っていた教室を覗いてみると、彼は部屋に残っていた1人の女子と話していた。
それ以外の学生は見当たらない。
「〜〜〜…………。〜〜」
「〜〜で、これは………………で」
遠目からでは会話が聞き取れないな。
近づいて見るか……と思った時、ふと、その相手の女子がツインテールなことが妙に気になった。
「あれ? 教室の入り口で立って、どうしたんです?」
後ろから声を掛けられ、振り返った。
華のある女子の声だ。
しかし、姿が見えない。
「もうちょっと下ですよ。し、た」
言われて下を見ると、僕の腹ほどの高さに相手の頭が位置していた。
こちらはサイドテールだ。
どうやら僕は部屋に入る邪魔になっていたらしい。
しかし授業もないのに、この教室になんの用事が?
「あっ……と。すみません、邪魔でしたね」
「いえいえ〜」
僕の言葉に、魅力的な笑顔で応じる女子。
――――しかし、次に口から出た言葉は。
「いいんですよぉ〜、『おにいちゃん』さん?」
バッと後ろを振り向くと、マミヤマが倒れていた。
相手の女子はいつの間にか扇情的な衣装に変わっていて、背中には黒い羽が生えていた。
しかも、嗜虐的な笑みを浮かべて。
「――――ダークエンジェル!? なぜ!?」
「あら? よくご存知ですね?」
とっさに飛び退く。
直前まで僕が居た位置には、後ろから棒付きキャンディが突き出されていた。
どこでそんなアメが買えるのか、古典的なグルグル模様のキャンディには、しかしその周りにピンクか紫か分からないモヤモヤが纏わりついていた。
もしアレに触れれば、どうなってしまうのか。
サイドテールのその子は、アメを突き出したまま意外そうな顔をしていた。
しかし、すぐに余裕を取り戻す。
いつの間にか彼女もそれまでの服装からロリポップかつ淫らな衣装に変わっており、ご丁寧にこちらにお辞儀までしてみせた。
「あらら〜? よく避けられましたね?」
油断した、どこかで気が抜けていた。
それがこの結果だ。
既に動いていたのは――――。
「でも、次はないですよ? 『おにいちゃん』?」
――――我々だけでは、なかったのだ。
17/04/29 00:42更新 / しっぽ屋
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