フクロウさんと僕の約束
草木も眠る丑三つ時……ってなにかの本で見たけれど、何時ぐらいのことなんだろう。
ともかく今は深夜で、僕の両親も、村の皆も寝静まっている。
僕だけはこっそりと起きて家を出て、すぐ近くの森へ行く。
仄かな月明かりしかない外は真っ暗闇のようだけれど、持っていくのは魔法石を使った小さなカンテラだけ。
十分も森の中を歩くと、あのフクロウさんといつも待ち合わせをしている場所に着く。
短い草が絨毯みたいに生え揃う、木々が離れて少しだけ開けた所だ。
石も転がっていなくて、座っていても寝転がっても痛くない。
僕がそこに着くと彼女はそこにもう居て、じっと黙って立っていた。
ほとんどが黒に包まれた景色の中で輝く、二つの黄金色(こがねいろ)。それを見れば、彼女がいることがすぐ分かる。
「こんばんは、フクロウさん」
「……ん」
挨拶をすると彼女は少しだけ頷いて、その黄金色の瞳を僕に向けてくる。
とても綺麗な眼だけれど、暗闇の中だとさらに際立って、星のように美しく見えた。
瞼が少しだけ閉じていてじとっとした目つきにも見えるけれど、怖さは全く感じない。
それによく見ると、左目の下には人間みたいに泣きボクロがあって、それも魅力的に見える。
「……今日も、来てくれた」
「うん。……本当はもっと一緒にいたいけど、お昼は勉強があるし、お父さんの仕事も手伝わないといけないし、フクロウさんも眠ってる時間だよね」
「……そう」
僕がカンテラを向けると、彼女の身体がぼんやりと見えてくる。
口元はよく羽毛で隠れていて、あまり表情は変わらないけど綺麗な顔立ちだ。
頬を包むような長さの、ふんわりした白と茶の髪の毛。その隙間から覗く黄金色の瞳。
そして大きくて分厚いけど見るだけでも柔らかそうな、もこもこの白と茶の羽毛が全身のほとんどを包んでいる。
人間にはまず見えないけれど、僕には普通の女性よりも綺麗に思える。
そして僕よりも遥かに体が大きくて、僕の背丈は彼女の胸ほどの高さしかなかった。
「……じゃあ、いつもの……する?」
「え……えっと」
そう言うとフクロウさんは僕の返事を聞く前に、その大きな身体をこてん、と地面に横たわらせた。
仰向けになった彼女は長い羽をばさっと広げ、ゆらゆらと翼を揺らして僕を招く。
僕がカンテラを地面に置くと、こっちをじっと見つめる黄金色の瞳と視線が合う。
すると、いつものように僕はふらふらと彼女の方へ近づいていってしまう――。
「あ、あ……」
もちろん拒むつもりなんてなかったけど、その瞬間に風邪を引いたみたいに頭がぼーっとして、難しい事は考えられない。
ただ思うのは、フクロウさんの柔らかな羽と身体に包まれたいという気持ちだけ。
「フクロウ、さん……」
「……ん。そうじゃない……ちゃんと『お姉ちゃん』って、呼んで……?」
彼女……いや、お姉ちゃんの眼を見てしまった僕には、やっぱり断る気なんて一切起きない。
「え、あ……お、お姉ちゃんっ……」
仰向けに寝転んだお姉ちゃんに覆いかぶさるようにして、身体を重ねる。
「……ん♪」
お姉ちゃんの首や胸元、足にあるふわふわの体毛が肌に触れて、とても気持ちいい。
顔がむにゅっとした二つの大きな胸に埋もれて、温かさと水風船みたいな柔らかさにとろけそうになる。
「ああ……お姉、ちゃっ……すごいよぉ……」
「わたしの、おっぱい……気持ちいい?」
僕はその柔らかさをさらに味わいたくて、ぎゅうっとお姉ちゃんを抱きしめる。
身体の大きさが全然違うので、僕の全身が毛に埋もれていくような感覚さえあった。
「……わたしも、ぎゅって、する」
ゆっくりと両方の翼が僕の全身を包むように閉じられていく。
僕の小さい身体はすっぽりとその羽毛の中に閉じ込められた。
それは今まで使ったどんな布団や毛布よりも優しい肌触りと柔さで、まったりと僕を包み込んでいく。
「すごい……何回してもらっても、お姉ちゃんに包まれるの……気持ちよくて、とけちゃいそう……」
「……んん……♥」
少し肌寒かったはずの夜の寒さはもう感じない。
じんわりとした温もりの中、ふわふわの羽毛とむちむちした肉付きに心から癒されていく。
ときどきお姉さんが僕の頭をさわさわと撫でるように羽根を動かしてくれるのも、たまらなく安心してしまう。
「君はなにも……心配しなくていいよ……。
わたしが包んで……じーっと、見ててあげる……♥」
「あ……あぁ……お姉、ちゃん……♥」
ぼんやりと霞む思考の中、日々の疲れや将来への不安が水に入れた雪のように溶けていく。
睡魔に襲われ、僕が眠ってしまうのに、もう大した時間は掛からなかった。
――――――――――――――――――――――――――――――――
――ああ、なんて可愛らしい男の子なんだろう。
わたしの大きな身体を見ても、睨むようなじとっとした目を見ても、この子は自分から私に声を掛けて、近くに来てくれた。
口下手なうえに感情を表すのも苦手で、うまく話もできない私に。
彼と初めて会ったのは、陽の暮れかけた薄暗い森の中。
起きたばかりのわたしが準備運動のためにゆるりと空を飛んでいると、あの子が森でうろうろしているのが見えた。
その歩き方はどう見ても、道が分からず闇雲に進んでいるようにしか見えなくて。
きっと森の深い方へ間違って来てしまったのだろうと思い、かえって怖がらせるかもしれないのを承知の上で、私は彼の前に降り立った。
あの子は最初こそ驚いた顔をしたけれど、怖がって逃げ出すことも、離れようとすることもしない。
そして、
「こ、こんばんは、フクロウさん。
僕はこの近くの村に住んでいるんですけど……いつもは来ないとこまで来ちゃって……。
どっちに行けば森から出れるか、僕には分からないんです。
もしよかったら、その。どうか道を教えてください」
と、頭を下げてお願いしてきた。
私が無言で頷いて翼で合図をすると、彼はちゃんとついてきてくれて。
恐らくはあの村じゃないか、と思った所の近くまで、私が案内をしたあと、
「ありがとうございました。
……あの、それで……ごめんなさい、今の僕には何のお礼もできないんです。
だからもう一度、改めて僕と会ってくれませんか?」
なんて言ってくれて。
元々丸い目をさらに私は丸くしながら、つたない喋り方で約束をした。
そんな彼が「すごく柔らかそうだから、フクロウさんのこと、ぎゅってしてみたい」って初めて言ってくれた日は、あまりにも嬉しくてどきどきして、羽角がぴこぴこ跳ねまわって、いつもよりずっと目がきゅっと細くなってしまった。
でもそれで誤解をさせてしまったらしく、「ご、ごめんなさい。嫌ですよね、そんなの」と言われたので、もう有無を言わさずわたしはあの子をぎゅうっとした。
その細い身体の柔らかさと抱き心地といったらもう――。
しかもぎゅっとするうちに彼の方からもおずおずと私を抱きしめてくれて。
勢いで発情してしまいそうになるのを必死で抑えながら、その日は朝が来るまでずっと、微睡みながら抱き合っていた。
そして、それから何回も何回も約束をしては、夜に会う日が重なっていった。
幸か不幸か、彼と会う日と発情期の訪れるタイミングはかみ合わないままで。
必死で我慢をして自分を慰めるうちに、その欲求はなんとかやり過ごせた。
でも、ある日。
朝日が昇りかけて別れる前に、彼はこんな話をした。
「おね……フクロウさん。
実は僕……村から出て、とても遠い都会の学校へ通うことにしたんだ。
父さんも母さんも仕事を頑張ってお金を出してくれて、頭のいい子になって欲しい、って言ってくれて。
正直、勉強ばっかりする日が続くのはイヤだけど……これまでは、フクロウさんにぎゅっとされてるおかげで、辛い思いが薄れて乗り切ってこれた。
だからこれからは、フクロウさんに頼らなくてもいい、立派な人になってみたい」
その言葉は、嬉しくて、淋しくて。
喜ぶべきことなのに、やっぱり切なくて。
でも、私には傍から離れていく彼を止める権利なんてない。
思わず泣いてしまいそうになるけど、それはきっと彼の決心を揺らがせてしまう。
それでももう止められそうになくて、早く飛び去ってしまおうと思った、その時。
「フクロウさんは……僕と一緒に、都会へ来れますか?」
彼がそう言った。
その言葉も飛び上がりそうなほど嬉しいのに、それは私にはできない。
私は、魔物だから。
人間のたくさん居る場所に行ってしまうと、それだけで大騒ぎになる。
私だけじゃない、君にも、君の将来にも迷惑を掛けてしまう、と。
涙が零れそうになるのを必死で抑えながら、震える声で、時間を掛けて言葉にして。
「……ごめんなさい、無茶を言ったのは分かってました。
だから……こんなコトを言うのもワガママだと思うけど、お願いがあるんです。
僕がフクロウさんに似合う立派な人になれるまで……待っててくれませんか」
立派になるだなんて、そんなのいらない。今からだっていい。
思わずそう言いそうになる口を、羽根で無理やり抑える。
わたしの本当の欲望をぶつけて君を――なにも考えずに、無理やりにでも襲えてしまったらいいのに。
そんなほの暗い私の想いは、幸か不幸か彼には悟られなかった。
私が黙って頷くと、彼は不安を誤魔化すようににこっと笑う。
「……どれくらい時間がかかるかも分からないけど。
きっと貴方を、迎えに行きます」
きっと私に出来るのは、彼を信じて応援することだけ。
何か少しでも彼のために出来ることはないだろうか。
そう思った私は、一つ案を思いついた。
「……いつ、行っちゃうの?」
「えっと……一ヶ月後には、もう」
「ん……じゃあ、もう一回だけ。渡したいものがあるから……会いたい」
「はい。分かりました」
そして三週間後。
暗い森の中、いつもの場所に彼はちゃんと来てくれた。
「……君のこと、忘れないように……いつもより、ぎゅっとする……ね」
「僕も……同じくらい、そうします」
それだけ言葉を交わして、後は朝が近づくまでずっと静かに抱き合う。
いくら夜行性とはいえ、朝が訪れるのをこんなに恨めしく思ったのは初めてだった。
「……朝、だね」
「はい……もうそろそろ、行こうと思います」
長い別れの時間が近づくのを感じながら、二人でゆっくりと起き上がる。
「……じゃあ。前に言ってたの……渡す」
そして私は腰に巻き付けた鞄の中から、彼に渡したいものを口を使って取り出す。
「これは……フクロウさんの?」
「……私の羽を使った、羽根ペン……友達に頼んで、加工して作ってもらった。
たまにでいいから……使って……ほしい」
ようやくそれだけ言えて、彼の差し出した掌にペンを置く。
「やっぱり、すごく綺麗な羽根……。ありがとうございます、大事に使います。
都会に行っても、これがあればフクロウさんのことをすぐに思い出せるから」
大事そうにポケットにしまってから、彼はまた優しい笑顔を見せてくれる。
そうしたら、我慢できずに口から言葉が漏れてしまった。
「……あ……あの。ごめん……最後に、もう一回だけ……。
お姉さんって、呼んで……ほしい」
「はい。お姉さん。行ってきます」
……ああ。
私に背を向けて歩き出す、その無防備な背中に飛び掛かって、がばっと翼で包んで、押し倒して。
わたしの眼で動けなくして、あの子と一つになりたい――抱き合っている間にも燻っていた、そんな身勝手な欲望に心が支配されそうになる。
でも、できなかった。
きっとそれは、彼の信頼を裏切ることになるだけだと分かっていたから。
そして、ぼうっとただ日々を過ごすだけのような時間ばかりが流れて。
あれからもう五年が経った。
わたしの生活は何ら変わらず、夜になっては森を飛び回り、生きるための狩りをするだけ。
ごくたまに森で迷った人を導いたりはしたけど、他に出会った人間はほとんどいない。
朝日が昇りかけて、真っ暗い世界が僅かに明るみを持つ頃。
そろそろ眠ろうかと思った矢先に、大樹の洞にある私の巣へ一匹の小さなハーピーが翼をはためかせてやってきた。
「は〜、こんな深いとこで住んでる相手に届けるなんて聞いてないよー。
今度からは追加料金もらおーっと……」
ぶつぶつと愚痴を言いながら、彼女は鞄の中からひとつの便箋を取り出した。
「え〜っと、茶と白のフクロウさんで、背と胸がおっきくて、泣きボクロがあって、黄金色の瞳……うん、間違いないね!
はーい、ハーピー郵便からお手紙でーす!」
私とは違って元気な明るい声で、彼女はそれを私に差し出す。
「それじゃ、お邪魔しちゃうのも悪いので私はこれでー……あれ? えっと……。
すみません、ここから北にある町ってどっちですか……??」
「……ん」
とまあ、そんな調子でその小さなハーピーを案内できるところまで案内する。
そうすると帰る途中、偶然にも”あの場所”の近くを飛んでいたことに気づいて、私はそこに向かった。
”あの場所”とはもちろん、彼といつも待ち合わせをしていた、少しだけ開けたあの場所だ。
「……」
そこで思い出をじっと懐かしんだ後で、ハーピーが届けてくれた便箋を取り出す。
手紙というものを知識としては知っていたけれど、自分宛てに来るなんて初めてのことである。
はやる気持ちを抑えながら、爪先で手紙を開いて文面に目を落とす。
『フクロウさんへ
まずは伝えるのがとても遅くなってごめんなさい。
学校は無事に卒業できたけれど、まだまだ僕は立派な人になろうとする途中です。
だからもう少しだけ、貴方に会いに行けるのは遅くなるかもしれません』
始まりの文を読んだだけでも、それを書いたのが誰かははっきりと分かって。
耐え難い嬉しさと共に――内容を理解して、切なさが生まれる。
『それでも、貴方に伝えておきたい事があります。
きっと顔を合わせると、まともに口に出すことさえ出来ませんので、こうして手紙にしたためました』
一枚目の紙はそこで終わっている。
慌てて二枚目を開いて、わたしはそれを目で追って。
思わず口から声が漏れてしまった。
「……あ、」
そこにあったのは、彼の真摯で純粋な想い。
思わずわたしが頬を赤らめてしまうような、実直な好意の言葉がいくつもあって。
単に間違えただけなのか、恥ずかしさでそうしたのかも分からない、黒いインクで線を重ねた文章の消し跡も、何個かあって。
それでも最後の文にはっきりと、彼の名前と共に、こう綴られていた。
『いつか貴方に会えたその時に、僕の想いを伝えます』
少しずつ朝日は昇り始め、夜は終わっていく。
彼からの手紙を大事に便箋へしまいながら、わたしはまた物思いに耽る。
いつか。
これから先、わたしはどれだけ待てるだろうか。
理性はいつまでも待とうとしても、本能が今すぐにでも彼を求めてしまう。
長い時間の中でもし彼の気持ちが変わってしまったら――と思うと、冷静なはずの理性でさえ気が狂いそうになる。
「……わたし……もう……待ちたく、ないよ……」
気が付くと、いつぶりに流すのかも分からない涙が頬を伝っていた。
彼と私は夜にこっそり会って、ただお互いを抱きしめ合っただけの関係。
それ以上でもそれ以下でもなかった。
もしかしたら――わたしだけ、とんでもない勘違いをしているのかもしれない。
そう思うと、今すぐにでも彼の気持ちを確かめたくなる。
「……っ」
そうだ、彼が来てくれないと言うなら、わたしが行けばいい。
いくら町であっても、人ひとりを攫うぐらいは魔物の私なら簡単にできる。
彼の外見だって匂いだって覚えている。やろうと思えばできてしまう。
――でもそんなことをしたって、誰も幸せになれないんだ。
なまじ賢いから、はっきりとそう理解出来てしまうから、どうしようもなくなっていく。
「う……あ、あ……っ」
理性と本能がぐちゃぐちゃに混ざり合って、何もわからなくなる。
今は賢い頭脳も知識も役に立たない。
彼の前だけではお姉さんぶっていた事も忘れて、子供みたいに泣きじゃくるだけの一匹のフクロウ。
仄かに明るくなる景色の中、私の世界だけが真っ暗に閉ざされていって――
「――奇遇ですね。またここで会えるなんて」
背中から伝わってくる、身体の感触と温もり。
「貴方が飛んで行ったあと、手紙を頼んだあのハーピーさんに場所を教えてもらったから、家まで行くつもりでした。
でもこの近くを通るんだなって気付いたら、つい寄ってしまって。
……そしたら、忘れられない相手の姿が、昔と同じようにそこにいた。
まるで時間が戻ったんじゃないかって思うぐらいに、そっくりそのまま」
わたしを後ろから抱きしめる力は、ぎゅうっと強くなっていく。
「もともと驚かせるつもりでは来たんですけど……。
後ろから近付いてもフクロウさんは鋭いから、気付かれるだろうなって思ってました。
そしたら、見覚えのある便箋と紙を持って、しかも泣いてたから……。
ごめんなさい、つい、いつもみたいに……してしまって」
少し低くなったその声も、私を包むその身体の感触も匂いも、前より耳元にずっと近づいたその声も、彼の成長を示している。
それは変わってはいても、あの子の面影をはっきりと残していて。
「あの羽根ペンで書いた手紙、読んでくれたんですよね。
じゃあ今、言わせてもらいます。こんなに待たせてしまってごめんなさい」
鋭敏な私の耳に、その言葉ははっきりと染み渡っていく。
「あなたの事を愛してます。
待たせてしまった分も愛します。どうか僕と一緒に、生きてください」
ぐちゃぐちゃの頭の中、その声の響きが反響して。
たっぷりと時間を掛けてようやく理解できて。
もう、わたしは、だめだった。
「――わっ?!」
がばっと私が勢いよく翼を広げると、彼は驚きの声とともにのけぞって私から離れる。
気が付くと私は、狩りをする時のように素早く身を翻して、彼を地面に押し倒していた。
「え、あ、」
翼を広げて彼に覆い被さり、困惑するその顔を見下ろしながら、じっと眼を合わせる。
視線にはたっぷり、たっぷりと魔力を込めて。
以前よりずっと男らしくなった彼の顔つきが、みるみるうちにあの頃のように、ぼんやりとしていく。
「…………君は、いじわる、だよ。
だから…………わたしも、いじわる……しちゃう」
「え……っと」
「……抱きしめるだけなんかじゃ、ゆるさない。
君の……ゼンブを味わうまで、ずーっと……離さない……っ♥」
私も、そして恐らく彼も、消え掛ける理性の中。
「んっ、あぁ……もっと……わたしを、見て。
君が、わたしを見つめてくれるより、ずっと……わたしも、君を見るよ。
気持ちよさそうな顔も……恥ずかしそうな顔も……一緒に、見て、覚えていよう……♥」
互いの眼を見つめ合いながら、唇を重ねたその柔らかさと熱さを。
彼と交わって一つになって、視線を逸らさずじっくりと愛を求め合う、その時間を。
決して忘れられないほどに身体と心へ刻み込まれて、わたしと彼は快楽に堕ちていった。
―――――――――――――――――――――――――――
彼は魔物と人間の共存のため、親魔物領にある報道機関に所属する道を選んだ。
同機関のラタトスク達は彼が未婚の男でないことを落胆はしたものの、喜んで採用してくれた。
私も持てる知識を生かして、彼とラタトスク達を援助している。
時には諸外国の動向を知るため、夜を狙って斥候らしきこともした。彼には「危ないから」と辞退を求められたが、一緒に同行してもらう事でなんとか納得してもらっている。
……まあ、こっそりと二人で”野外活動”に勤しんでいたこともあるが、これぐらいの役得は許してもらえるだろう。
そして隣国が魔に染まる頃には、私達にも新しい命が宿り。
彼の両親にも改まって挨拶に行き、わたしというオウルメイジの婚約者を心から祝福してもらえた。
「この子の名前は、どんなのにしようか」
「……ティア。サピエンティアっていうのは……どうかな」
「古い言葉で……”知恵”か。
うん、きっとママみたいな賢い子になるだろうから、ピッタリだね」
「……ん。……あり、がと」
そう言ってわたしが微笑むと、彼も笑う。
二人の家族は三人になって、やがて四人にも五人にも、十人にもなり。
娘達はどんな風に生きていくのだろうと、未来に思いを馳せて、私たちは送り出す。
今では彼が加工してくれる、私の羽根で出来たペンを持たせて。
ともかく今は深夜で、僕の両親も、村の皆も寝静まっている。
僕だけはこっそりと起きて家を出て、すぐ近くの森へ行く。
仄かな月明かりしかない外は真っ暗闇のようだけれど、持っていくのは魔法石を使った小さなカンテラだけ。
十分も森の中を歩くと、あのフクロウさんといつも待ち合わせをしている場所に着く。
短い草が絨毯みたいに生え揃う、木々が離れて少しだけ開けた所だ。
石も転がっていなくて、座っていても寝転がっても痛くない。
僕がそこに着くと彼女はそこにもう居て、じっと黙って立っていた。
ほとんどが黒に包まれた景色の中で輝く、二つの黄金色(こがねいろ)。それを見れば、彼女がいることがすぐ分かる。
「こんばんは、フクロウさん」
「……ん」
挨拶をすると彼女は少しだけ頷いて、その黄金色の瞳を僕に向けてくる。
とても綺麗な眼だけれど、暗闇の中だとさらに際立って、星のように美しく見えた。
瞼が少しだけ閉じていてじとっとした目つきにも見えるけれど、怖さは全く感じない。
それによく見ると、左目の下には人間みたいに泣きボクロがあって、それも魅力的に見える。
「……今日も、来てくれた」
「うん。……本当はもっと一緒にいたいけど、お昼は勉強があるし、お父さんの仕事も手伝わないといけないし、フクロウさんも眠ってる時間だよね」
「……そう」
僕がカンテラを向けると、彼女の身体がぼんやりと見えてくる。
口元はよく羽毛で隠れていて、あまり表情は変わらないけど綺麗な顔立ちだ。
頬を包むような長さの、ふんわりした白と茶の髪の毛。その隙間から覗く黄金色の瞳。
そして大きくて分厚いけど見るだけでも柔らかそうな、もこもこの白と茶の羽毛が全身のほとんどを包んでいる。
人間にはまず見えないけれど、僕には普通の女性よりも綺麗に思える。
そして僕よりも遥かに体が大きくて、僕の背丈は彼女の胸ほどの高さしかなかった。
「……じゃあ、いつもの……する?」
「え……えっと」
そう言うとフクロウさんは僕の返事を聞く前に、その大きな身体をこてん、と地面に横たわらせた。
仰向けになった彼女は長い羽をばさっと広げ、ゆらゆらと翼を揺らして僕を招く。
僕がカンテラを地面に置くと、こっちをじっと見つめる黄金色の瞳と視線が合う。
すると、いつものように僕はふらふらと彼女の方へ近づいていってしまう――。
「あ、あ……」
もちろん拒むつもりなんてなかったけど、その瞬間に風邪を引いたみたいに頭がぼーっとして、難しい事は考えられない。
ただ思うのは、フクロウさんの柔らかな羽と身体に包まれたいという気持ちだけ。
「フクロウ、さん……」
「……ん。そうじゃない……ちゃんと『お姉ちゃん』って、呼んで……?」
彼女……いや、お姉ちゃんの眼を見てしまった僕には、やっぱり断る気なんて一切起きない。
「え、あ……お、お姉ちゃんっ……」
仰向けに寝転んだお姉ちゃんに覆いかぶさるようにして、身体を重ねる。
「……ん♪」
お姉ちゃんの首や胸元、足にあるふわふわの体毛が肌に触れて、とても気持ちいい。
顔がむにゅっとした二つの大きな胸に埋もれて、温かさと水風船みたいな柔らかさにとろけそうになる。
「ああ……お姉、ちゃっ……すごいよぉ……」
「わたしの、おっぱい……気持ちいい?」
僕はその柔らかさをさらに味わいたくて、ぎゅうっとお姉ちゃんを抱きしめる。
身体の大きさが全然違うので、僕の全身が毛に埋もれていくような感覚さえあった。
「……わたしも、ぎゅって、する」
ゆっくりと両方の翼が僕の全身を包むように閉じられていく。
僕の小さい身体はすっぽりとその羽毛の中に閉じ込められた。
それは今まで使ったどんな布団や毛布よりも優しい肌触りと柔さで、まったりと僕を包み込んでいく。
「すごい……何回してもらっても、お姉ちゃんに包まれるの……気持ちよくて、とけちゃいそう……」
「……んん……♥」
少し肌寒かったはずの夜の寒さはもう感じない。
じんわりとした温もりの中、ふわふわの羽毛とむちむちした肉付きに心から癒されていく。
ときどきお姉さんが僕の頭をさわさわと撫でるように羽根を動かしてくれるのも、たまらなく安心してしまう。
「君はなにも……心配しなくていいよ……。
わたしが包んで……じーっと、見ててあげる……♥」
「あ……あぁ……お姉、ちゃん……♥」
ぼんやりと霞む思考の中、日々の疲れや将来への不安が水に入れた雪のように溶けていく。
睡魔に襲われ、僕が眠ってしまうのに、もう大した時間は掛からなかった。
――――――――――――――――――――――――――――――――
――ああ、なんて可愛らしい男の子なんだろう。
わたしの大きな身体を見ても、睨むようなじとっとした目を見ても、この子は自分から私に声を掛けて、近くに来てくれた。
口下手なうえに感情を表すのも苦手で、うまく話もできない私に。
彼と初めて会ったのは、陽の暮れかけた薄暗い森の中。
起きたばかりのわたしが準備運動のためにゆるりと空を飛んでいると、あの子が森でうろうろしているのが見えた。
その歩き方はどう見ても、道が分からず闇雲に進んでいるようにしか見えなくて。
きっと森の深い方へ間違って来てしまったのだろうと思い、かえって怖がらせるかもしれないのを承知の上で、私は彼の前に降り立った。
あの子は最初こそ驚いた顔をしたけれど、怖がって逃げ出すことも、離れようとすることもしない。
そして、
「こ、こんばんは、フクロウさん。
僕はこの近くの村に住んでいるんですけど……いつもは来ないとこまで来ちゃって……。
どっちに行けば森から出れるか、僕には分からないんです。
もしよかったら、その。どうか道を教えてください」
と、頭を下げてお願いしてきた。
私が無言で頷いて翼で合図をすると、彼はちゃんとついてきてくれて。
恐らくはあの村じゃないか、と思った所の近くまで、私が案内をしたあと、
「ありがとうございました。
……あの、それで……ごめんなさい、今の僕には何のお礼もできないんです。
だからもう一度、改めて僕と会ってくれませんか?」
なんて言ってくれて。
元々丸い目をさらに私は丸くしながら、つたない喋り方で約束をした。
そんな彼が「すごく柔らかそうだから、フクロウさんのこと、ぎゅってしてみたい」って初めて言ってくれた日は、あまりにも嬉しくてどきどきして、羽角がぴこぴこ跳ねまわって、いつもよりずっと目がきゅっと細くなってしまった。
でもそれで誤解をさせてしまったらしく、「ご、ごめんなさい。嫌ですよね、そんなの」と言われたので、もう有無を言わさずわたしはあの子をぎゅうっとした。
その細い身体の柔らかさと抱き心地といったらもう――。
しかもぎゅっとするうちに彼の方からもおずおずと私を抱きしめてくれて。
勢いで発情してしまいそうになるのを必死で抑えながら、その日は朝が来るまでずっと、微睡みながら抱き合っていた。
そして、それから何回も何回も約束をしては、夜に会う日が重なっていった。
幸か不幸か、彼と会う日と発情期の訪れるタイミングはかみ合わないままで。
必死で我慢をして自分を慰めるうちに、その欲求はなんとかやり過ごせた。
でも、ある日。
朝日が昇りかけて別れる前に、彼はこんな話をした。
「おね……フクロウさん。
実は僕……村から出て、とても遠い都会の学校へ通うことにしたんだ。
父さんも母さんも仕事を頑張ってお金を出してくれて、頭のいい子になって欲しい、って言ってくれて。
正直、勉強ばっかりする日が続くのはイヤだけど……これまでは、フクロウさんにぎゅっとされてるおかげで、辛い思いが薄れて乗り切ってこれた。
だからこれからは、フクロウさんに頼らなくてもいい、立派な人になってみたい」
その言葉は、嬉しくて、淋しくて。
喜ぶべきことなのに、やっぱり切なくて。
でも、私には傍から離れていく彼を止める権利なんてない。
思わず泣いてしまいそうになるけど、それはきっと彼の決心を揺らがせてしまう。
それでももう止められそうになくて、早く飛び去ってしまおうと思った、その時。
「フクロウさんは……僕と一緒に、都会へ来れますか?」
彼がそう言った。
その言葉も飛び上がりそうなほど嬉しいのに、それは私にはできない。
私は、魔物だから。
人間のたくさん居る場所に行ってしまうと、それだけで大騒ぎになる。
私だけじゃない、君にも、君の将来にも迷惑を掛けてしまう、と。
涙が零れそうになるのを必死で抑えながら、震える声で、時間を掛けて言葉にして。
「……ごめんなさい、無茶を言ったのは分かってました。
だから……こんなコトを言うのもワガママだと思うけど、お願いがあるんです。
僕がフクロウさんに似合う立派な人になれるまで……待っててくれませんか」
立派になるだなんて、そんなのいらない。今からだっていい。
思わずそう言いそうになる口を、羽根で無理やり抑える。
わたしの本当の欲望をぶつけて君を――なにも考えずに、無理やりにでも襲えてしまったらいいのに。
そんなほの暗い私の想いは、幸か不幸か彼には悟られなかった。
私が黙って頷くと、彼は不安を誤魔化すようににこっと笑う。
「……どれくらい時間がかかるかも分からないけど。
きっと貴方を、迎えに行きます」
きっと私に出来るのは、彼を信じて応援することだけ。
何か少しでも彼のために出来ることはないだろうか。
そう思った私は、一つ案を思いついた。
「……いつ、行っちゃうの?」
「えっと……一ヶ月後には、もう」
「ん……じゃあ、もう一回だけ。渡したいものがあるから……会いたい」
「はい。分かりました」
そして三週間後。
暗い森の中、いつもの場所に彼はちゃんと来てくれた。
「……君のこと、忘れないように……いつもより、ぎゅっとする……ね」
「僕も……同じくらい、そうします」
それだけ言葉を交わして、後は朝が近づくまでずっと静かに抱き合う。
いくら夜行性とはいえ、朝が訪れるのをこんなに恨めしく思ったのは初めてだった。
「……朝、だね」
「はい……もうそろそろ、行こうと思います」
長い別れの時間が近づくのを感じながら、二人でゆっくりと起き上がる。
「……じゃあ。前に言ってたの……渡す」
そして私は腰に巻き付けた鞄の中から、彼に渡したいものを口を使って取り出す。
「これは……フクロウさんの?」
「……私の羽を使った、羽根ペン……友達に頼んで、加工して作ってもらった。
たまにでいいから……使って……ほしい」
ようやくそれだけ言えて、彼の差し出した掌にペンを置く。
「やっぱり、すごく綺麗な羽根……。ありがとうございます、大事に使います。
都会に行っても、これがあればフクロウさんのことをすぐに思い出せるから」
大事そうにポケットにしまってから、彼はまた優しい笑顔を見せてくれる。
そうしたら、我慢できずに口から言葉が漏れてしまった。
「……あ……あの。ごめん……最後に、もう一回だけ……。
お姉さんって、呼んで……ほしい」
「はい。お姉さん。行ってきます」
……ああ。
私に背を向けて歩き出す、その無防備な背中に飛び掛かって、がばっと翼で包んで、押し倒して。
わたしの眼で動けなくして、あの子と一つになりたい――抱き合っている間にも燻っていた、そんな身勝手な欲望に心が支配されそうになる。
でも、できなかった。
きっとそれは、彼の信頼を裏切ることになるだけだと分かっていたから。
そして、ぼうっとただ日々を過ごすだけのような時間ばかりが流れて。
あれからもう五年が経った。
わたしの生活は何ら変わらず、夜になっては森を飛び回り、生きるための狩りをするだけ。
ごくたまに森で迷った人を導いたりはしたけど、他に出会った人間はほとんどいない。
朝日が昇りかけて、真っ暗い世界が僅かに明るみを持つ頃。
そろそろ眠ろうかと思った矢先に、大樹の洞にある私の巣へ一匹の小さなハーピーが翼をはためかせてやってきた。
「は〜、こんな深いとこで住んでる相手に届けるなんて聞いてないよー。
今度からは追加料金もらおーっと……」
ぶつぶつと愚痴を言いながら、彼女は鞄の中からひとつの便箋を取り出した。
「え〜っと、茶と白のフクロウさんで、背と胸がおっきくて、泣きボクロがあって、黄金色の瞳……うん、間違いないね!
はーい、ハーピー郵便からお手紙でーす!」
私とは違って元気な明るい声で、彼女はそれを私に差し出す。
「それじゃ、お邪魔しちゃうのも悪いので私はこれでー……あれ? えっと……。
すみません、ここから北にある町ってどっちですか……??」
「……ん」
とまあ、そんな調子でその小さなハーピーを案内できるところまで案内する。
そうすると帰る途中、偶然にも”あの場所”の近くを飛んでいたことに気づいて、私はそこに向かった。
”あの場所”とはもちろん、彼といつも待ち合わせをしていた、少しだけ開けたあの場所だ。
「……」
そこで思い出をじっと懐かしんだ後で、ハーピーが届けてくれた便箋を取り出す。
手紙というものを知識としては知っていたけれど、自分宛てに来るなんて初めてのことである。
はやる気持ちを抑えながら、爪先で手紙を開いて文面に目を落とす。
『フクロウさんへ
まずは伝えるのがとても遅くなってごめんなさい。
学校は無事に卒業できたけれど、まだまだ僕は立派な人になろうとする途中です。
だからもう少しだけ、貴方に会いに行けるのは遅くなるかもしれません』
始まりの文を読んだだけでも、それを書いたのが誰かははっきりと分かって。
耐え難い嬉しさと共に――内容を理解して、切なさが生まれる。
『それでも、貴方に伝えておきたい事があります。
きっと顔を合わせると、まともに口に出すことさえ出来ませんので、こうして手紙にしたためました』
一枚目の紙はそこで終わっている。
慌てて二枚目を開いて、わたしはそれを目で追って。
思わず口から声が漏れてしまった。
「……あ、」
そこにあったのは、彼の真摯で純粋な想い。
思わずわたしが頬を赤らめてしまうような、実直な好意の言葉がいくつもあって。
単に間違えただけなのか、恥ずかしさでそうしたのかも分からない、黒いインクで線を重ねた文章の消し跡も、何個かあって。
それでも最後の文にはっきりと、彼の名前と共に、こう綴られていた。
『いつか貴方に会えたその時に、僕の想いを伝えます』
少しずつ朝日は昇り始め、夜は終わっていく。
彼からの手紙を大事に便箋へしまいながら、わたしはまた物思いに耽る。
いつか。
これから先、わたしはどれだけ待てるだろうか。
理性はいつまでも待とうとしても、本能が今すぐにでも彼を求めてしまう。
長い時間の中でもし彼の気持ちが変わってしまったら――と思うと、冷静なはずの理性でさえ気が狂いそうになる。
「……わたし……もう……待ちたく、ないよ……」
気が付くと、いつぶりに流すのかも分からない涙が頬を伝っていた。
彼と私は夜にこっそり会って、ただお互いを抱きしめ合っただけの関係。
それ以上でもそれ以下でもなかった。
もしかしたら――わたしだけ、とんでもない勘違いをしているのかもしれない。
そう思うと、今すぐにでも彼の気持ちを確かめたくなる。
「……っ」
そうだ、彼が来てくれないと言うなら、わたしが行けばいい。
いくら町であっても、人ひとりを攫うぐらいは魔物の私なら簡単にできる。
彼の外見だって匂いだって覚えている。やろうと思えばできてしまう。
――でもそんなことをしたって、誰も幸せになれないんだ。
なまじ賢いから、はっきりとそう理解出来てしまうから、どうしようもなくなっていく。
「う……あ、あ……っ」
理性と本能がぐちゃぐちゃに混ざり合って、何もわからなくなる。
今は賢い頭脳も知識も役に立たない。
彼の前だけではお姉さんぶっていた事も忘れて、子供みたいに泣きじゃくるだけの一匹のフクロウ。
仄かに明るくなる景色の中、私の世界だけが真っ暗に閉ざされていって――
「――奇遇ですね。またここで会えるなんて」
背中から伝わってくる、身体の感触と温もり。
「貴方が飛んで行ったあと、手紙を頼んだあのハーピーさんに場所を教えてもらったから、家まで行くつもりでした。
でもこの近くを通るんだなって気付いたら、つい寄ってしまって。
……そしたら、忘れられない相手の姿が、昔と同じようにそこにいた。
まるで時間が戻ったんじゃないかって思うぐらいに、そっくりそのまま」
わたしを後ろから抱きしめる力は、ぎゅうっと強くなっていく。
「もともと驚かせるつもりでは来たんですけど……。
後ろから近付いてもフクロウさんは鋭いから、気付かれるだろうなって思ってました。
そしたら、見覚えのある便箋と紙を持って、しかも泣いてたから……。
ごめんなさい、つい、いつもみたいに……してしまって」
少し低くなったその声も、私を包むその身体の感触も匂いも、前より耳元にずっと近づいたその声も、彼の成長を示している。
それは変わってはいても、あの子の面影をはっきりと残していて。
「あの羽根ペンで書いた手紙、読んでくれたんですよね。
じゃあ今、言わせてもらいます。こんなに待たせてしまってごめんなさい」
鋭敏な私の耳に、その言葉ははっきりと染み渡っていく。
「あなたの事を愛してます。
待たせてしまった分も愛します。どうか僕と一緒に、生きてください」
ぐちゃぐちゃの頭の中、その声の響きが反響して。
たっぷりと時間を掛けてようやく理解できて。
もう、わたしは、だめだった。
「――わっ?!」
がばっと私が勢いよく翼を広げると、彼は驚きの声とともにのけぞって私から離れる。
気が付くと私は、狩りをする時のように素早く身を翻して、彼を地面に押し倒していた。
「え、あ、」
翼を広げて彼に覆い被さり、困惑するその顔を見下ろしながら、じっと眼を合わせる。
視線にはたっぷり、たっぷりと魔力を込めて。
以前よりずっと男らしくなった彼の顔つきが、みるみるうちにあの頃のように、ぼんやりとしていく。
「…………君は、いじわる、だよ。
だから…………わたしも、いじわる……しちゃう」
「え……っと」
「……抱きしめるだけなんかじゃ、ゆるさない。
君の……ゼンブを味わうまで、ずーっと……離さない……っ♥」
私も、そして恐らく彼も、消え掛ける理性の中。
「んっ、あぁ……もっと……わたしを、見て。
君が、わたしを見つめてくれるより、ずっと……わたしも、君を見るよ。
気持ちよさそうな顔も……恥ずかしそうな顔も……一緒に、見て、覚えていよう……♥」
互いの眼を見つめ合いながら、唇を重ねたその柔らかさと熱さを。
彼と交わって一つになって、視線を逸らさずじっくりと愛を求め合う、その時間を。
決して忘れられないほどに身体と心へ刻み込まれて、わたしと彼は快楽に堕ちていった。
―――――――――――――――――――――――――――
彼は魔物と人間の共存のため、親魔物領にある報道機関に所属する道を選んだ。
同機関のラタトスク達は彼が未婚の男でないことを落胆はしたものの、喜んで採用してくれた。
私も持てる知識を生かして、彼とラタトスク達を援助している。
時には諸外国の動向を知るため、夜を狙って斥候らしきこともした。彼には「危ないから」と辞退を求められたが、一緒に同行してもらう事でなんとか納得してもらっている。
……まあ、こっそりと二人で”野外活動”に勤しんでいたこともあるが、これぐらいの役得は許してもらえるだろう。
そして隣国が魔に染まる頃には、私達にも新しい命が宿り。
彼の両親にも改まって挨拶に行き、わたしというオウルメイジの婚約者を心から祝福してもらえた。
「この子の名前は、どんなのにしようか」
「……ティア。サピエンティアっていうのは……どうかな」
「古い言葉で……”知恵”か。
うん、きっとママみたいな賢い子になるだろうから、ピッタリだね」
「……ん。……あり、がと」
そう言ってわたしが微笑むと、彼も笑う。
二人の家族は三人になって、やがて四人にも五人にも、十人にもなり。
娘達はどんな風に生きていくのだろうと、未来に思いを馳せて、私たちは送り出す。
今では彼が加工してくれる、私の羽根で出来たペンを持たせて。
18/11/07 19:38更新 / しおやき