連載小説
[TOP][目次]
後編
「……あの国と同じくらいの領土なのに、活気が段違いだ。
 ただ眺めているだけでも、皆が安泰な暮らしをしているのが見て取れる。
 それに人間のような、そうでないような姿の者がたくさんいるが……」
「そういえば、オマエは親魔物領に来たことがないんだったな。
 魔法道具、いや魔術を志す者なら避けて通れる道じゃあない。
 なにしろ魔の物と書いて”魔物”だからな」

 荷物を載せた大きな馬車の中、景色を眺めながらオルビアとファクティスは話していた。
 彼らが向かうのは親魔物領の中でも魔術に精通した国である。
 反魔物領でも魔術について学べないわけではないが、それは表層を知る程度にしかならない。そう考えたオルビアは、自分とも関わりがあり、さらに組織からも斡旋を受けた国へファクティスを移住させる事にした。

「ここなら魔術大学もギルドもしっかりしてるし、魔道を追及する”シロクトー・サバト”の支部もある。そこにはもちろん魔物ではあるが、魔法道具を作ってる職人もいる。
 丁度よくアイテム作りの後継人を探しているヤツを知ってるからな」

 ポケットからお気に入りの飴を取り出し、舌で転がしながらオルビアが言う。

「……ああ。面倒を掛けてすまない」
「気にすんな、人助けの一環だ。
 それもゲイザーであるアタシを、多少なりとも自分の魔法でぐらつかせたんだ。
 オマエの才はアタシが保証してやる」
「そう、か」

 複雑な心境のファクティスは、ぎこちなく返事をした。



「ふむ、なるほど。
 マジックアイテムの制作を学ぶために我がサバト支部へ入りたい、と」
「はい」

 魔道サバトである”シロクトー・サバト”支部の特別応接室。
 怪しげなインテリアの並ぶ異様な部屋の中、毒々しい色だが柔らかいソファに二人と一人が向かい合って座っている。
 せいぜい十歳ほどにしか見えない少女風貌で、その外見には不釣合いなほど大きい緑帽子を被った”魔女”が、ファクティスとオルビアに面会していた。
 この魔女は魔道技師であり、魔道サバトの中でも魔法道具の生成に着手し、重きを置く者である。

「しかして、その動機は?」
「人々のために、皆の暮らしに貢献できる物を作りたいんです」
「却下」
「えっ?」
「おいおい!組織から嘆願書まで送ってんのにいきなりそりゃねェだろ!」

 オルビアは喚くように声を荒げる。
 ちなみにオルビアはこの魔女と知人であり、組織を通じて互いを援助しあう関係だ。
 そして魔女は落ち着き払った態度で二人に言う。

「その心構えだけでは駄目だ、と言っているのだ。
 道具を見るのも、試すのも、使うのも、誰より先に自分がすること。
 その自分の為に貢献できるものが作れてようやく、他人に貢献できるものが作れる。
 違うかな?」
「……その通りです」
「オルビア君の組織、”フレンド・ブック”を通じてまで私達の所に話を持ってきたのだから、凡庸な人材でないことは認めよう。
 しかしどんな素晴らしい才があったとしても、必要のない道具を作ることに意味はない、と私は考えている。
 私は芸術家でも学者でも研究者でもなく、職人だ。
 理と利を持って道具を作り、事を成すのを信条としている。
 分かって頂けるかな?」
「はい」
「相変わらず堅苦しいな。職人ってのはこんなのばっかりなのか?」

 オルビアが冗談交じりにそう言うと、魔女は自嘲するように笑った。

「ははは、すまないね。ごしゅ……夫以外の相手にはどうも口うるさくなっていけない。
 彼を目の前にすると不思議なくらい無口になってしまうのにな。
 こんな偏屈者を傍に置いてくれる彼と出会えたのは本当に僥倖だよ。
 あれは今から三十六――」
「ノロケ話はいい!コイツに技術を教えてくれるのか、どうなんだ?」

 こほん、と一息置いてから、魔女はまた話しだす。

「それはもちろん、快諾しよう。
 私の伴侶は道具を活用する側で、中々後継人がいなくて困っていたからね。
 とはいえ、生易しい道ではないと思うが……その覚悟はあるかな?」
「……もちろんです。よろしく、お願いします」
「こちらこそ。では、改めて自己紹介させてもらおう。
 この国における魔道サバト支部の幹部、魔道技師の”トゥール”だ。よろしく頼む」



 それからこの国へ移住したファクティスはトゥールの指導の下、一日の半分近くを魔術道具作りの学習に費やしていった。

「この魔力変換方法は良くないな。いざ改良しようという時に拡張性がない。
 完璧な道具は存在しないが、それに近づける為の努力を怠ってはいけないよ」
「はい、先生。では、少し時間を貰っていいですか。
 十五分でいいアイディアが浮かばなければ、ご指導していただきたいです」
「分かった。だがもう遅い時間だ、今回の課題は次までの宿題にしよう」

 トゥールの工房にいるのは朝から夕方までで、それからは自由になる。
 夜は彼女も夫と居たがるので、その時間ファクティスは学んだ知識の復習と自主学習を主としていた。
 そしてオルビアと予定が合えば、息抜きも兼ねて二人で出かける。

「そういえば、今日はオルビアくんと会う日だろう?
 君たちに贈り物があってね。僭越だが受け取ってくれ」

 工房を出ようとするファクティスを引き留め、トゥールはお洒落なデザインをした箱を渡す。

「これは?」
「私のごしゅじ……こほん、夫が作った新しいお菓子だ。味はもちろん至高だが、魔力の増幅にも一役買ってくれるという素晴らしい代物だよ。
 今回は私が作った特注の遠心分離機を使ってくれてね。しかも――」

 こうなると先生はまた話が長くなるな――とファクティスは思う。
 しかし同時に、彼女たちの関係を羨ましくも思っていた。
 いつの間にか他人を信じられなくなっていた自分にも、そんな相手が出来るだろうか、と。




「ったく、遅いぜ。どこで道草食ってたんだ」
 
 レストランの多い繁華街の片隅で、ファクティスとオルビアは待ち合わせをしていた。
 二週間に一度ほど、オルビアはファクティスのいる国に転移魔法で訪れている。
 彼女にも組織での仕事があるため、あまり頻繁には寄れないし休みも不定期ではあるが、顔を合わせる時間はちゃんと捻出している。
 そして、美味しい肉料理とお菓子やデザートを出すレストランを探して一緒に行くのが、いつしか二人の習慣になっていった。

「悪い、トゥール先生と話をしていたんだ。
 夫さんが作ったお菓子をいただくついでに、その経緯もいろいろ」
「はぁ、またノロケ話か……。
 いくら自分の先生でも、言うべきことはバシッと言わなきゃダメだぞ。
 あの人、わりとそーいう所は鈍感なんだからな」
「まあ、聞いてて微笑ましい話ばかりだし、それはいいんだが」

 二人は談笑しながら、予約しておいた人気の料理店へ入る。
 ”魔界豚を一番美味く食べられる”という触れ込みで話題の店だ。
 店員に案内され、奥の個室席に二人は着く。

「ところで、まかいぶた……って何だ?」
「あー、そのまんま魔界に住む豚だよ。まあとにかく肉質が柔らかくてウマいんだ」
「魔界の事は本で少し読んだ程度だけど……普通の生き物もいるのか。
 もっと瘴気が満ちるような、怪しい場所だと思っていたが」
「それ、いつの話だよ? 今は別に普通のニンゲンだって暮らせる場所だぞ」
「普通の人間、か」

 そう言いながら、ファクティスはオルビアの姿を見つめる。
 この国ではオルビアも姿を誤魔化す必要はないので人化の魔法は使っていないが、彼女はいつもパーカー姿で目元を隠していた。
 実際、ファクティスが彼女の顔をちゃんと見た回数は片手で数えられるほどだ。

「お、運ばれてきたぜ……へえ、熱した鉄板のままで持ってくるのか。凄い音だな」

 思えば、まだ自分は彼女の事をちゃんと知らない。
 彼女に本当の意味で助けられ、もう何回もこうして一緒に出掛けて、気軽に話せる仲にはなったが、それだけでは足りなく思う。思ってしまう。
 ゲイザーという魔物の事はこの国に来てからちゃんと学んだが、それは直接オルビアを知ることにはならないだろう。
 長らく誰かに興味を持てなかったファクティスにとって、その感情は自分でもうまく整理できなかった。
 だが、彼女の事をもっと知りたい気持ちは誤魔化すことも、抑えることもできない。

「肉はモチロンだが……ソースがまた、よかったな。
 肉汁と混ざり合って、しかも互いの味を邪魔することなく高めあってる」
「ああ、これは本当に美味しかった」

 料理を食べ終えると、トゥールの夫が作った、ホルスタウロスのミルクがふんだんに使われたというケーキをつつく。

「さあて、次はトゥールの旦那さんが作ったとかいうデザートだな。
 ――ん。すごく上品で、綿に包まれるような甘さだ……作ったものには人柄が出るっていうが、優しさがにじみ出てくるような……そんな感じだな」

 ファクティスにはオルビアの口元しか見えないが、ほころんだ表情なのはよく分かる。好物を食べた時の、彼女の緩んだ口元を見るのが密かな楽しみだった。
 そんな彼女の食事を眺めながら、ファクティスはふと思いついた質問を投げかける。

「オルビアは、今の組織……たしか”フレンド・ブック”だったな、どうしてそこに入ったんだ?」
「ん? なんだ、いきなり」
「いや……その。ちょっと気になっただけだ」
「ま、隠すほどのことじゃないから教えてやるよ。
 そうだな、それにはまず組織の象徴ともいえるコイツを見てもらった方が早いか」

 そう言ってオルビアはどこからか一冊の本を取り出す。
 全体的に黄色を基調とした、まるで絵本のようなデザインで、大きさは彼の掌がすっぽり置けるぐらいだ。
 ファクティスにもちらりとだけ裏表紙が見えたが、そこには仮面を被ってポーズをとった、ヒーローのようなイラストが描かれていた。

「一見は普通の本、にしか見えないが」
「コイツも立派なマジック・アイテムさ。組織の名と同じ”フレンド・ブック”と呼んでる。
 この中には、その本の持ち主に力を貸してくれるメンバーの情報が、そいつの絵と一緒に書いてあるんだ。
 そいつに出来ることとか、どんな要請なら大丈夫か、とかな」

 そして本のページをペラペラと捲っていくものの――そこには何一つ書かれていない。白紙だ。ファクティスにとっては、だが。

「ただ、その情報は本の所有者以外には一切見えない。
 オマエにも真っ白にしか見えないだろ?
 だが、たとえばこのページは、あるラタトスクの情報が載ってる……おや、また少し増えてる。
 へえ、こんなオトコがタイプだったのか……意外なモンだな」

 とはいえ、それも彼には見えない。
 精神系の魔法と、それを破る魔法にも自負のあったファクティスは、その本に込められた隠蔽の為の魔法はよほどの物なのだろう――と推測する。
 しかし真実を述べると、『内容が隠されている』わけではない。
 正確には異なるが、所有者は『所有者の頭の中にある情報』を見ているだけだ。
 その情報を本に映しているわけではないので、当然それは所有者にしか見えない。つまり『文面が見えないよう隠されているわけではない』。
 オルビアの説明の仕方ではその真実まで行き当たらず、ファクティスはまた改めて聞き直す。

「それでその本と、オルビアがそこに入ったのとはどう関係するんだ?」
「まあ待て、もうちょっと前置きがあってな。
 アタシ達フレンドブックのメンバーは、困っている人や魔物、犯罪に近い、または犯罪をしている集団や個人に近づき、情報を集める。
 そしてその情報を元に、人助けに適した人材、または犯罪に加担している集団・個人の鎮圧ができる人材を派遣し、問題を解決する――。
 ま、今回アタシは両方に関わったようなモンだが……オマエはこれを聞いてどう思った?」
「どう、って」

 ケーキを切り崩しながら、オルビアは小さく笑った。

「アタシはな、どうしても昔読んだ、今でも大好きな本を思い出しちまうのさ。
 じゃあ、そろそろアタシ自身の思い出話をするとしよう。
 これは、だいぶ昔の話になるが――、


―――――――――――――――――――――――――


 あの頃のアタシは一人、洞窟にひっそりと住んでいた。
 淋しいなんて思わない――つもりでいただけの、背伸びしたがりな未熟者。
 実際、その気持ちはガマンできてたさ。
 楽しそうに皆で遊ぶ、近くの村の小さな子供達さえこの目で見ていなかったら、きっと。

 アタシは悩んで悩んで、それから機を待って、偶然一人になった少年を見つけた。
 今ならこいつに声を掛けられるかもしれない。
 そう思って、アタシがその男の子の前に姿を現した瞬間――。

「め……めが、ひとつ……だけ……わ、わああっ!!」

 そいつの表情はあっという間に変わって、呼びとめるアタシの声も聞かず、泣きながら走って逃げて行っちまった。
 今でも思い出せるくらいに、くっきりと、恐怖に歪んだ顔で。、

 さっきのは、偶然だ。
 いきなり声を掛けたから、びっくりさせてしまっただけなんだ。

 そう思って、また偶然にも、一人でぽつんと立っていた子供を見つけた。
 そして後ろから声を掛けた、のに。
 こっちを見ないでと言うその前に、そいつはアタシの方を振り向いてしまったんだ。

 結局そいつも一人目のヤツとほとんど同じことを言って、同じような表情で。
 べそをかきながら、走って行っちまった。
 


 それからアタシは住処の洞窟の中、ずっと一人で泣いていた。
 同じような目があるはずなのに、こうやって同じように泣けるのに、どうしてアタシの気持ちは分かってくれないんだろうって。
 ぼんやりとそんな感じのことを考えながら、声も抑えずに泣き続けてたよ。
 そしたら、今度はアタシのほうがいきなり誰かに声を掛けられたんだ。

「ありゃりゃあ、ダメだよう。キミには涙は似合わない!」

 アタシにはどこに誰がいるのかも分からないままなのに、気にせずさらに声を掛けてくる。

「隠れた涙も拭いてみせ、また立ち上がれるよう隣人に愛の手を!
 泣きたいときは泣いてもいいけれど、ずーっと泣いてるなんてボクが許してあげないよ!
 ところで道化師さんが泣くのはなんでか君は知ってるかい?
 知らないキミには教えてあげちゃおう!」

 いきなり訳の分からないことを言われて、アタシは泣きつつも困惑してた。
 でも相手が誰だろうと、自分の涙は見られたくない。
 そう思って、あの方のよく分からない言葉を、アタシがよく分からない返事で返してる間に、いつの間にか泣くのを忘れてた。
 冷静になってみれば、正論を言われたって聞き入れないぐらいに落ち込んでたアタシを、あの方なりに慰めてくれてたんだなって思うけどよ。

「おお、いいねえ!涙は止まったみたい!
 それじゃあ、そろそろボクの自己紹介してもいいかなあ?」

 そしたら突然、あの方の姿が目の前に現れた。
 瞳孔が開いた光のないような目と、ふざけたような口調を携えて。
 それにまさしく道化師のような、二股の帽子や靴先が曲がった靴を履いていた。

「ボクは人呼んで道化師リリム、クラウンハート!ちゃーんと覚えてね!」

 とまあ、そんな調子で自己紹介されたんだが、さすがに世間知らずのアタシでも”リリム”という種族については知ってた。少なくとも、魔王様と血の繋がった娘だってことぐらいはな。
 だからアタシがつい畏まっちまいそうなところで、あの方はこんな話をしてくれたんだ。

「ハリネズミさんは知ってるかな?トゲトゲーってしたあの子だよ。
 あの子たちはね、自分の身体にトゲがあるのをちゃーんと知ってるから、トゲが相手に当たったりしないようにイイ感じの距離を保つのさ。
 ま、トゲなんて気にしない子もいるけどさ、子供ってみんなビンカンなお年頃だから。
 それにきっと、君も気にしちゃう子だよね?」

 その話の意図は掴めたけど、アタシにはどうすればいいか分からなかった。
 自分のトゲを見せるだけでも相手を傷つけてしまうかもしれないなら、アタシはやっぱり一人で生きるしかないのか、って。
 乱暴な口調でそんなことを聞いたら、あの方はおどけた調子を崩さずに答えてくれた。

「そーんなワケないじゃない。
 ハリネズミさんだってね、自分が痛みを感じないと、相手が痛がってるのを見ないと、トゲがあることになんて気付かないさ。
 痛みを知るというのは、相手の痛みも想像できるようになるってことだよ。
 さっき君が泣いちゃってたのも、そうだよね?」

 それでも、やっぱりアタシにはどうしようもないじゃないか――って。そう言ったんだ。
 すると、あの方はいきなり、どこからか黄色い服を取り出してアタシに強引に手渡した。

「じゃーん!そんな君に、ピッタリのお洋服を用意してきたんだ!」

 その服を広げてみると、アタシの背中にある触手を出すための穴、そしてとても大きなフードが付いていた。
 それはアタシの顔がほとんど隠せるぐらいに大きかった。

「君はあんまり服を着ないゲイザーさんだから見たことないかもだけど、これはパーカー、って呼ばれてる服さ。
 それを着て頭も被って、こっちを見てみるといいよ」

 それに何の意味が――って訝しみながらも、アタシはそれを羽織ってみた。
 すると不思議なことに、布で遮られてるはずの向こう側がくっきりと見えるじゃないか。
 一度脱いで確かめても、外からではフードの下が見えない。
 なのに、フードの内側にいるアタシからはちゃんと外が見えるんだ。

「これがあれば、隠したいものを隠しながらも君でいられる。
 たとえトゲを見るだけで怖がっちゃう相手でも、傷つけるなんて心配はなくなっちゃうのさ!」

 もう一度ちゃんとそれを着てみると、驚くほどしっくりきた。
 前髪で目を隠すのなんかよりよっぽどいい。
 これなら誰も怖がらせることなんてない、と。

「ふふふっ、気に入ってくれたみたいだね。
 そう、ヒーローってのは顔を隠して戦うものさ。君にピッタリだろ?」

 ――ヒーロー。
 その言葉を聞くとアタシの脳裏には、昔大好きでよく読んだ、ある絵本の挿絵が思い浮かんだ。
 ルーなんとかっていう名の作者が描いた、仮面を被って悪と戦う、あるヒーローの物語。
 その主人公の名前を思わずアタシがつぶやくと、

「あ!もしかしてそれって、あの本に出てくるヒーローの名前かな?
 ボクもあの作品がだいだいだーい好きなんだよ!
 なんたって、主人公のヒーローがすごくカッコいいからね!」

 それを聞いて、アタシもその本が大好きだって言った。そしたら何だか嬉しくなって。
 そうか、これが淋しくないってコトなんだって、改めて思ったんだ。
 その後もしばらく、その話を一緒にしてたよ。

 ただ――どうしてもある疑問が浮かんで、その時あの方に聞かずにはいられなかった。

 確かにこのパーカーはアタシにとっては都合がいいモノだ。
 でも、どうしてこんな物を持っているのか。
 この服をなぜアタシに渡したのか。
 『ヒーローは顔を隠して戦う』なんて話を、なぜアタシにしたのか。

 その質問を聞くと、あの方は突然にアタシが被っていたフードをぱっと外した。

「まず、先に言っておこう。
 人間は道具によって進化してきた生き物だ。
 我々魔物もまた、人間ほどではないかもしれないが、道具に頼ることは往々にしてある。
 だが、道具に依存する者に進化はない。それは人間も魔物も同じだよ。
 時にはその服に頼るのもいいが、依存はしないように、ね」

 さっきのおどけた調子なんかまったくない、優しい声。
 その言葉を心に刻み込んで、アタシが小さくうなずく。
 するとあの方は、いつになく真面目な顔をして。

「じゃあ、本題に入ろう!
 君の力はもちろん、そんな君自身が欲しいのさ。
 『隣人に愛の手を』差し伸べる、”フレンド・ブック”のために!」

 アタシの赤い一つ目を、しっかり見て。

「今だけは決して、道化のような滑稽な冗句を並べたりはしない――つまり!
 道化師であるクラウンハートとして、ではなく。
 このボク自身が、確信を持って宣言しよう!」

 でも道化師らしい、わざとらしいポーズも決めて、こう言ってくれた。

「君は、ヒーローになれる!」


―――――――――――――――――――――――――


 ……とまあ、だいたいそんな感じで。
 その道化師の姿をしたリリム様が、アタシのいる組織、”フレンド・ブック”の幹部だったのさ」
「リリム……」

 その名前もこの国に来る前から多少は知っていたが、ちゃんとした知識を得たのは最近だ。
 とはいえ”リリム”は魔王と血の繋がった娘たちである――というのは以前から知っていて、その脅威は十二分に伝わってくる。

「いくらゲイザーとはいえ、あの時は一介の未熟な魔物でしかなかった。
 あの方はそんなアタシにこのパーカーを贈って、組織へスカウトしてくれたのさ。
 さっきの話に出てきた、一度オマエに言ったはずのあの言葉。まだ覚えてるか?
「ああ……”人は道具で進化してきた生き物だが、道具に依存する者に進化はない”、か」
「あれは他でもない、あの方からの受け売りなんだ。
 それで、ついオマエと自分を重ねちまって……出た言葉だった」

 オルビアの口元は僅かに歪む。笑みとも憂いとも取れる形だ。

「だから……俺のことを”同じだ”と言ったのか」
「ああ。アタシも昔は自分のことが好きじゃなかったから、この顔はずっと隠してきた。
 ま、今だってパーカーや髪で隠してるから……まだまだ道具に頼りっきりなのは否定できねェけどな」

 オルビアの鼻から上はフードに隠れたままだったが、どこかよそを向こうとしたのが仕草でも分かった。
 彼女ほどではないにしろ、それなりに目敏いファクティスはその意図を察する。

「……俺なんかがこんな事を言っていいか分からないが、そんなに外見を気にしているのか?」
「ん……まぁ、な。アタシが気にしてない相手なら、暗示を掛けるのに見つめるぐらいはできるようにはなったが。
 それでもいつの間にか、顔が見えないこの服の方が落ち着くようになっちまった」
「そうか」

 オルビアはケーキを食べ終えると、食後に頼んだよく冷えた珈琲に甘いシロップをたっぷり入れてから口をつける。

「散々迷惑を掛けた後だけど、もう一つ俺の我儘を聞いてもらっていいか」
「な……なんだよ。そんな改まった調子で」

 もっと自然に切り出したかったとファクティスは思う。
 しかし自分の精神系の魔法も効かず、自分より感情の機微に目敏いであろうオルビアを丸め込む自信は、彼になかった。
 だから取り繕った言葉より、真摯な気持ちの方が重要だと感じた。

「俺の前だけでいいから、そのパーカーのフードを外してほしい」
「……へ」
「そのままの意味だ。恩人である君とは、ちゃんと顔を合わせていたい」

 彼も珈琲を飲んでいたが、その味が分からなくなるくらいにそれは、緊張する言葉だった。

「な……なんで、だよ。そんなコト、ベツに、する必要ねェだろ」
「ああ、だから俺の我儘だ。見ていたいって思ったから、そう言っただけで」
「うぐ……」
「気にしている事なのは分かるし、無遠慮な願いなのは謝る。
 ただ、俺は少なくとも、君の外見をおかしいと思ったことはない。
 異性を気にしたことは殆どないけれど、むしろ普通の人間よりよっぽど綺麗だと思ってる。
 それが見れないのは、その……もったいないじゃないか」
「む……ぐぐ」

 おそらく普段は背中にある触手の目が視界を確保しているのだろうが、それらはいつも以上に忙しなくうねうねと動いている。
 さらに彼女はすでに空になったコップを持ち上げたりと、明らかに落ち着いていなかった。
 
「しょうが……ねェな。オマエと二人きりの時なら、外してやるよ」
「ああ、ありがとう」

 はぁっ、と息をついてオルビアは小さく項垂れる。

「今は?」
「え」
「ここなら個室だし、呼び鈴を鳴らすまでは店員も来ない。大丈夫なんじゃないか」
「あ……」

 ファクティスからは、小さく開いた口以外は彼女の顔を窺い知れなかったが、その表情はフードの下で呆然としている。
 彼に言われて、ようやくその事実に気付いたようだった。

「……あとから文句言うんじゃねェぞ」

 か細い声で悪態を付きながら、ゆっくりとオルビアはパーカーのフードを外す。
 灰のような色をした、もじゃっとしたショートヘアが露わになり、わずかに揺れた。
 しかし顔の上半分、つまり鼻から上は、彼女の前髪ですっぽり隠れている。

「その髪も、除けてくれ」
「……ったく」

 しぶしぶ、といった様子でオルビアは自分の長い前髪を横に掻き分け。
 赤い宝石のように煌めく巨大な一つ目が露わになり、目前にいるファクティスを見る。

 ――そのまま、じっと。
 数秒間ほど、二人は互いを見つめあっていた。

「やっぱり、そのほうがいい。
 目が一つだと、俺を見てくれているのも分かりやすいしな」

 彼自身はあまり意識せずに言った言葉だったが、オルビアにはそうでもなく伝わる。

「……っ」

 何かに耐えかねるように、彼女はそっと視線を逸らす。
 ごろんと大きな眼球が動く様は異様だったが、そんな彼女の動きもファクティスは眺めていた。

「ち、違うぞ!視線を外したのには、その……深いイミはねェからな。
 変な勘繰りするなよっ!」
「あ、ああ」







 何とも言えない雰囲気の中、二人は言葉少なで次に会える日を確認したあと別れた。




 ファクティスがトゥールの下で修業するようになってから半年。
 当初から必要となる知識や技術はほぼ身に着けていたので、適切な指導を受けたことにより、目に見えて質の良い道具を生成するようになっていった。
 ただ、師匠が魔物娘である以上、それらのマジックアイテムは情事に関係するものが多数だったのは言うまでもないが。

「ふむ、どうだファクティスくん。そろそろ店に道具を卸してみないか」

 トゥールは小休憩を入れているファクティスに話しかける。
 彼女の手には、店と道具の取引を行う時に使用される特殊な書類があった。

「もう、ですか?まだ早いのでは……」
「いや、元々君の商品は店頭に並べられる水準の物ではあった。
 だが君にもっとも足りないのは自信だと感じた私は、様子を見ていたのさ」
「自信……」
「うむ。それに君は早すぎると言ったが、もう機は熟したと言っていい。
 これからは商品とすることで、広くユーザの意見を取り入れてみるべきだとも思ってね」
「でも、俺のより売れる道具はいくらでもあるでしょう?」
「私にもそれは評価し難いが、ひとまずは試供品として出してもいい。
 しかし重ねて言うけれど、君の道具はジャンルを絞ればもう珠玉の出来だ。
 特に――こういったものはね」

 ファクティスが作ったアイテムの一つを取り出してきて、トゥールは彼に見せる。

「……俺としては、少し複雑な気持ちもありますが」
「おや、そうか。まあ、これを作った経緯と目的は把握しているつもりだよ。
 オルビアくんほど私は鈍感なつもりではないからね」
「気付かれてましたか」

 自虐のようにファクティスが少し笑うと、トゥールもまた笑った。

「私が一番最初に君へ言ったことを思い出すと、あの時の自分をいささか浅慮だったとも思うが……。
 得てして物作りとはそういうものかもしれないな。
 私も、君から学ばせてもらったよ」
「……ありがとうございます。先生の言葉で決めました。
 自分なりに、やるべきことをやろうと思います」

 トゥールがそのアイテムを差し出すと、彼は真剣な表情でそれを受け取る。

「いい目だ。私の夫が、私に愛の言葉を告げてくれる時を思い出すね」






「オマエが誘ってくるのはいつもの事だけど……纏まった休みを取れってのは珍しいな」
「ちょっと試して欲しいものがある。君の協力が必要なんだ」
「ま、いまさら断ったりしねェけどよ。
 人材は増えてきたし、できるだけ休み取れって上にも言われてるしな」

 その日、ファクティスは自宅へオルビアを呼び出した。
 オルビアは転移魔法で自分の家にすぐ戻れるため、彼のいる国に日を跨いで滞在したことはないし、ファクティスが彼女を自宅に誘ったこともなかった。
 そもそも、魔物娘を自分の家に誘うという行為は大きな意味合いを持つ。
 今までファクティスはその踏ん切りが付かなかったが、トゥールに後押しされて決心をした。


 ファクティスの自宅は以前の屋敷と比べると格段に小さいものだが、それでも二、三人が住める程度の大きさはある。親魔物領では殆どの物価が格段に安いからだ。
 その家のリビングでテーブルを挟み、向かい合って椅子に座る。
 オルビアはパーカーのフードを外すと、彼に問いかけた。

「それで、試して欲しいモンってのはなんだ。
 屋敷で掛けてたあの怪しいメガネとかか?
 アタシみたいな魔物をどうにかしようってんなら、あんなモンじゃまずムリだろうけどな」
「いや。ああいうのじゃないけど、もっと魔物用に特化したマジックアイテムだ」

 ファクティスは傍らに置いておいた袋から、ある薬瓶を取り出す。
 オルビアはその瓶の形やデザインに見覚えがあった。ただ、以前見たものよりも複雑な色合いをしている。
 見る角度によって色が変わるような、奇妙な色相だった。

「これは確か前に――あ、いやっ!前に、あの国で売ってるのを見たな」

 余計な事を口走りそうになり慌てて抑えるが、さすがに彼女が漏らしかけた秘密にファクティスが気付くことはなかった。

「ああ……こういう系統の薬を作ったのはあれが初めてで、最後にするつもりだった。
 上客からの強い要望もあったし、粗悪品を売れる相手でもなかったからな。
 惚れ薬とは違う物だ、相手を操ることとは違うって、自分に言い聞かせて」
「なんだ、オマエが作った媚薬だったのか……?」
「皮肉な話だが、俺の作った中でも特に評判の良かったアイテムかもしれない。
 そしてここに来てから、より高品質な物が作れるようにもなった。
 単刀直入に言うと、魔物が飲んでも十分な効力を出してくれるんだ」

 オルビアはその薬を飲んだ時のことを思い出す。
 いくら希釈用の原液をそのまま、かつ大量に飲んだとはいえ、あの時の火照りは未だに彼女の記憶に焼き付いている。
 魔物娘にとって快楽とは、身体でも精神でも忘れ得ない重要なものだ。
 
「それで……こんなモンアタシの前に出して、どうしようってんだよ」
「薄々分かってるとは思うけど、敢えて言う。
 これを、今。俺の前で、君に飲んでほしい」
「は……はぁっ?!」

 オルビアが自分でも驚くぐらいに素っ頓狂な声。
 しかしファクティスは努めて冷静に、用意したグラスへその薬を注ぐ。
 とろりとした液体は様々な色に煌めきながら、ゆっくりとグラスを満たしていった。

「以前の薬は普通の飲み物に偽装させることを考えて、成分が疎かになっていた。
 今回のは色味こそ奇妙だが、一口だけでも従来の十倍は効果を出すはずだ。
 飲み口も異国の酒を基にしたから、ただ甘いだけじゃない、飲みやすいまろやかな口当たりになっている。
 薬というよりは嗜好品に近いかもしれないけど、」
「そ、そういう説明が欲しいんじゃねえ!
 アタシら魔物に、いやアタシに、こんな薬を飲ませるってのがどういうことかオマエは――」
「分かってる。だからまた、この薬を改良しようと思ったんだ」
「え……」

 声を荒げるオルビアの前にそっとグラスを置く。
 そこからは果実とも蜜とも異なる奇妙な甘い香りが漂っていた。

「俺は今まで、両親を唸らせたいという思いでしか道具を作ってこなかった。作れなかった。
 でも、この国に来て、トゥールさんの教えを聞いて、それがどれだけ浅はかなのかを知った。
 じゃあ、誰のために、何のために道具を作るべきなのか。
 その答えを考えていたら――いつしか君が。その中にいた」

 改めてファクティスはオルビアの赤い一つ目を強く見つめる。
 その視線に気づいた彼女は、すぐさま視線を逸らしてしまう。

「こんな考え方とやり方は、間違っているのかもしれない。
 ただ、これ以上に自分の気持ちをうまく伝える自信もない。
 それでも。
 形容しがたいこの想いを受け入れてくれるのなら、この薬を、飲んでほしい」
「……」

 彼がそう言ってしばらく、オルビアは何も言わず、じっと瞼を閉じていた。
 それから恐る恐ると、親に隠れて酒を飲もうとする子供のような手つきでグラスに手を伸ばす。

「……アタシにも、何て言ったらいいのかよくわからない。
 口と頭は回るつもりだったのに、肝心な時に……これだ」

 オルビアは薄く笑って、ファクティスの目をもう一度見た。

「だけど、そうだな。
 こんな時に余計なコトバはいらないんだ、きっと」

 ワインを嗜むようにゆっくりと香りを嗅ぎつつ、そして一息で、グラスの中に入った媚薬をオルビアは飲み干す。
 彼女はまた目を閉じて、少しの間だけ静かになった――かと思うと、ぱちぱちと瞬きを始める。

「う……? ま、前より、効いてる感じはない、……のか?」

 そう呟く彼女の頬は、瞬く間に赤く色味を増していく。

「けど……おかしい、な。
 ずっと心の中にあったはずの気持ちが、どこかに行っちまった。
 オマエと目を合わせられない、なんて……どうしてそんなコトを思ってたんだろう……?
 見ていたいと思うから、見ていたはずなのに――」

 するとオルビアは直接薬瓶に口をつけ、その中身を口内にたっぷりと含んだ。
 そして椅子から立ち上がり、目を丸くするファクティスに唇を近づける。
 唇が触れる瞬間、とっさに二人とも目を閉じた。

「――っ」

 二人ともがその行動に驚きはしていたが、拒否することは微塵もなかった。
 初めてのキスの味は、混ざった媚薬のせいもあって透き通るような甘さを感じる。
 ゆっくりと媚薬が口移しでファクティスの口へ注がれ、喉を通っていく。
 魔物の唾液と混ざり、さらに意中の相手の口から受け取るそれを、彼は何よりも美味に感じる。

「これで……おんなじ、だな♥」

 ほぼ同時に、二人は目を開く。
 そして目を合わせた瞬間、魔力の放出が色となって分かるぐらいに、オルビアの一つ目が真っ赤に煌めく。
 自分に好意を持ってほしいという、無意識の、かつ強力なオルビアの”暗示”。
 互いの純粋な想いが籠った薬と魔法。
 二つが混ざったそれは、混ざり合い、高め合い。
 彼と彼女にとって、どんな媚薬や暗示よりも強烈だった。



 気が付いた時には寝室のベッドの上で、その傍らにはもう中身が半分以上なくなった薬瓶があった。
 ――元よりゲイザーの目に嫌悪を抱かない男へ暗示を掛けた場合、その男性は欲望の抑制が外れ、目前にいる彼女を獣のように犯すことになる。ましてや好意を持っていた男性なら言うまでもなく、その情欲は灼熱のように燃え上がる。

「ふぅっ♥うっ♥んうっ♥ああっ……♥♥!!」

 鋭敏になった秘部を抉られ続けるオルビアの嬌声は、最初から言葉にもならなかった。
 改良されたファクティスの薬は、以前の物とは違い性感だけの感度を倍増させるよう作られている。
 一突きされるだけで息が止まりそうなほどの快楽が、オルビアを喘がせていた。

「ら、めっ♥あたしっ、もっ、おかひく――んああっ!!?♥♥」

 もう何回目か分からない射精で、オルビアの膣から色んな液体が混ざったものが溢れ出す。
 熱い精液が注がれるたび、より深い絶頂へ登り詰めていく。

「はぁっ、はぁっ♥す、すこし、だけっ、やすませ――ひゃううっ!!♥♥」

 十秒と待たずして、また固く勃起した肉棒がオルビアの中にずぶっと挿入される。

「いひぃっ!!♥♥まだ、いったの、のこってっ……ぇ……♥♥!!」

 絶頂の余韻に浸る暇すらなく、どこまでも天井の見えない快感と、彼への想いで脳が支配される。
 口も頭も回らない。何も考えずにこの気持ちよさに浸っていたい。
 初めての交わりはオルビアが思うよりずっと激しく淫らで、満たされていた。
 何もかもを肯定したくなって、他にもう何もいらなくなるような、比類なき陶酔。

「ぁ――♥、う――……♥」

 快感で気を失いそうになっても、より強い快感と薬の効果がそれを許してくれない。
 二人とも喘ぎ声以外の言葉を出せず、互いの身体と快楽を求めるだけの存在になる。
 オルビアは膣と肛門と口内が濃い精液で満たされてなおもさらに欲望を注がれ、全身の白肌を余す所なく子種でどろどろにされる。

「っ――……♥」

 二人がおぼろげに思い出せるのは、朝が来てようやく気を失ったということだけだった。



――――――――――――――――――――――――――



 先に目を覚ました彼は、とにかく事後の処理をしようと重い身体を起こした。
 匂いと液体が染みついたシーツや、いつの間にか空になっていた薬瓶を片付ける。
 親魔物領だけあってその手の魔法や道具は完膚なきまでに揃っており、オルビアの眠りを邪魔することもなかった。
 そして彼女が目を覚ますまで、同じベッドの上で静かに横になる。

「ん……」
「おはよう、オルビア。もうすぐ夕方だけど」
「……ああ、おはよう。
 なんだ……もう起きてた……のか」

 やや時間が経ってから起きたオルビアは、ベッドシーツが綺麗になっているのを見て、先に彼が起きていたことに気付く。
 本来採る必要がないとはいえ、栄養が偏りがちな彼女はすこし低血圧気味だ。
 起きた直後は頭がよく回らないと、自分でも言っていた。
 ぱっちりと一つ目が開くまで待ってから、彼はオルビアに声を掛ける。

「一応、覚悟はしてたつもりなんだが……ここまでとは」
「……アタシもだ」

 自分たちがどれだけ色欲に狂っていたかはおぼろげにしか覚えていない。
 しかしどんな理由にせよ、二人は一つになった。
 これまで誰かに好意を寄せることの少なかった彼と彼女にとって、その事実は何よりも強く心に刻み込まれている。
 冷静になった分、どことなく気まずい雰囲気と、だからこそ感情を再確認したい思いが両者にあった。

「こんなに強く誰かを求める日が来るなんて、思ってもいなかった。
 君と、オルビアと出会ってから、俺の人生は蘇ったと言ってもいい」
「……そうか。アタシも、だいたいおんなじ気持ちだ。
 まあ、オマエにとってあの国に居た時のはロクな記憶じゃないだろうが、それも必要なコトだったのかもな。
 ただ漫然と生きていたら、アタシもオマエも、きっと出会うことなんてなかった」

 彼女の言葉を噛みしめながら、彼は返事をする。

「俺が忌み嫌っていたはずの、相手の心に触れる魔法。
 だがその君の暗示が、俺のすべてを変えてくれた。
 俺にとっての君は、まさしく……ヒーローだった」

 そんな彼の言葉に、ふふっ、と子供のようにオルビアは笑う。

「”暗示”で人の心を完全に変えるなんて……できるワケねェだろ。
 アタシは何も大したことはしてねえ。オマエが変われたのは、オマエ自身の力なんだよ。
 だけど……こんなアタシでも、誰かのヒーローに、なれたんだな。
 ヒーローと呼んでくれて……ありがとう、ファクティス」

 ああ、と相槌を打って、彼も小さく笑った。
 そして一息ついてから、また口を開く。

「……オルビア。一つだけ、また頼みを聞いてくれ」

 その言葉で、二人はまた互いを見つめあう。
 穏やかな笑顔だが、彼のその眼差しは真剣に彼女を見ていた。

「あの国で使っていた”ファクティス”という名前は、もう終わりにしたい。
 これからは本当の名前で、俺を呼んでくれないか」

 ファクティスとは、彼の故郷の国では『偽物』を意味する古語であり、自分への戒めを込めて決めた名だった。
 そして彼が両親に授けた名前は”ヴェリテ”。
 それは『真実』を意味する古語。

「一度は捨ててしまった名だが、もう一回、そこからやり直そうと思う。
 トゥールさんに一人前と認められる日が来たら、俺の両親にも会いに行く。
 その時は一緒に、俺の故郷へついてきてくれ」

 彼は言い終わってから、自分の言葉の意味を再確認して、ひどく赤面した。
 それでも、彼女の赤い一つ目から視線を逸らす事はしない。
 そんな彼の姿を見て、オルビアは言う。

「ああ、ヴェリテ。
 オマエがちゃんと両親に謝れるかどうか、アタシが見ててやるよ。
 それが終わったら――分かってるよな?」

 彼女はぎざっとした歯を覗かせ、悪戯っ子のように無邪気に笑う。
 そんなオルビアの手に自分の手を重ねて、そして告げる。

「もちろん、君をちゃんと両親に紹介する。
 俺の、掛け替えのない伴侶として」








 今回も、次も、その次も。
 黄色いパーカーを着たゲイザーは幾多の国を渡り、任務を遂行していく。

「”隣人に愛の手を”」

 魔力を高める道具として、伴侶が作ってくれた飴玉を口で転がしながら。
 パーカーのフードで隠れた眼には、彼女の一つ目に合わせて伴侶が作った特注の眼鏡を掛けて。

「さあ、行くか。頼りにしてるぜ、ヴェリテ」

 二人の力は、今日も誰かを救うだろう。
18/11/03 19:41更新 / しおやき
戻る 次へ

■作者メッセージ
最後までお読みいただき、ありがとうございます。

パーカー・ゲイザーの絵の使用を快諾してくれたバスタイム様に感謝します。
ありがとうございました。
なんかゲイザーちゃんがぽんこつなイメージを持たれがちなので(自分のせいもだいぶありそうですが)、カッコいいと思えるゲイザーちゃんを書けてよかった…。

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33