連載小説
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前編
 結構な大きさの屋敷――だが最近新しく建てられた家でもないし、手入れも隅々まで行き届いているとは言えない。使用人の姿もあまり見えなかった。
 見える部分こそ小奇麗に整っているが、注視すれば杜撰さには気づくだろう。
 なるほど、ターゲットの情報というのはこういう所にも出るものだと『彼女』は、オルビアは再確認する。

『急な訪問で申し訳ないな、ファクティス君』
「いえ。あなた様には私どもの商品を常日頃よりご愛玩頂いていますから。
 すぐにご希望のものを用意できるかはわかりませんが、尽力しますよ」

 愛想こそあまり感じられないが、ファクティスという男の言葉遣いは丁寧だ。
 作法や振る舞いをパッと見ても上辺だけとは思えない。現在はともかく、おそらくは「そういう環境」で育ったのだと推察できる。
 短く揃えた黒髪に、簡素だが場違いというほどではない、紫を基調とした貴族系の礼服。
 パッと見ても商会を持つ者にしては若い顔つきで、青年という言葉が似合う。事前に詳しい情報はなかったが、年は二十代程度だろう。

『心強い言葉だ。さすがはこの国を代表する商人だね』
「有難うございます」
 
 オルビアはもうすでに、この男へ暗示を掛けていた。彼女を『上客の一人』と思い込ませる暗示だ。
 彼女も組織の調査員だけあって、振る舞いに関してはそつがない。

『ただ、今日は依頼をしに来たというより、確認をしにきたんだ』
「確認、といいますと?」
『私の所に卸してもらった道具の内容を含めて、君の所で取り扱っている道具をもう一度確認したくてね』
「最近のものを、ですか?」
『いや。これまですべての物を持ってきてほしいんだが、できるかな?』
「内容故に書面での仔細や契約書を残さないものもありますが」

 内容ゆえに――ということは、非合法なものも含まれている。そう彼女は判断した。

『そう、か。そうだったな、それも含めたいが……とりあえずは、通常のものだけでいい』
「かしこまりました。しばらくお待ちください」

 暗示を掛けているとはいえ、無茶な要求を通そうとするのは困難だ。
 相手が”魔術道具”に関する商売をしているのなら尚更、慎重になったほうがいい。
 部屋に一人残されて待つオルビアは用意された紅茶に砂糖を継ぎ足しながら、小さな蜂蜜パンを頬張った。

「ん、上品な甘さだ。なかなかどうして、茶菓子はイイ趣味してるじゃないか」

 彼女ひとりしかいない応接室の中、オルビアは本来の自分の調子で呟いた。





「お待たせしました。
 全部ではないですが、一通り用意できた分の紹介書類だけ、取り急ぎ持って参りました」

 十分ほどでファクティスは書類の入った木箱を持って応接室に戻ってきた。
 複製を用意する時間があったとは思えない、これらは原本だ。
 「証拠」として持って帰りたいが、その理由で拒否されるのは目に見えているだろう。

『ここで目を通させてもらってもいいかな』
「ええ。もちろんです」

 オルビアはぱらぱらと斜め読みで書面を確認していく。
 マジックアイテムの値段設定はどれも平均相場より少し高いが、問題になる程ではない。
 事前の情報では粗悪品が多いとのことだったが、紹介文に虚偽がないなら不審というほどの点も感じられない。
 庶民とは別の商品を卸している可能性もあるが、それはこの書面だけでは判断できなかった。

『この辺りの商品は普通の店にも卸しているのかな?』
「大半はそうですが、あちらの方ではどうしても質より量、となってしまうので。
 上流階級の方には特注品を渡す事がほとんどですね」

 なら、実際に確かめるか――とオルビアが思ったところで、ファクティスの怪訝そうな顔に気付く。
 彼はしきりに目を擦っていて、何度も瞬きをする。

『どうした?私の顔に何かついているか?』
「……いえ。何か少し、目が……気になさらず」

 常人の魔法耐性であればこんな早さで暗示の効果が薄れることはないが――。
 しかし、これ以上話を伸ばすのも得策ではないし、メリットもないと彼女は考えた。無理に暗示を掛けてこれらの書類を持ち出しても特に意味はないだろう。
 紙をすべて箱の中に戻して、頭の中だけでデータを覚えておく。

『ああ、これでいい。ではそろそろ、おいとましようかな』
「もうよろしいのですか?」
『ああ。私の――いや、』

 『上客の一人』として振る舞っていたオルビアの声色が、大きく変わる。

「そろそろ、ワタシの姿が見えてくる頃デスよね?」
「――? なに、を……?!」

 ファクティスの怪訝そうな顔はみるみるうちに驚きへ。
 彼の眼には、さっきまで上客の一人だと思っていた女性が少しずつ”パーカー・ゲイザー”としての姿に映りだしたころだ。
 余計な詮索をされる前に、言うべき文言だけを彼女は述べる。







「ファクティスさん、デスね?貴方の行動について、警告させていただきますデス。
何の事かお分かりにならない?でしょうね、ではやはり監視対象……ターゲットとしてマークしますデス」
「……貴様、一体何者だ?」

 オルビアが思うよりも、彼は慌てていない。
 コイツは意外と厄介な案件なのかもな――と、彼女は考えを巡らせていた。
 転移魔法の準備は既に整っている。

「用件は以上デス。それでは、貴方の幸先を願っておりマス」

 オルビアの姿は一瞬で空気へと消える。
 ”パーカー・ゲイザー”としての本当の姿を見たのは、その部屋にいるファクティスだけだった。




 翌日。
 身分は偽った上で手配してもらった宿を拠点として、オルビアは情報の収集にあたる。
 習慣である朝の訓練をこなした後、数少ない持ち込んだ物品の飴をパーカーのポケットに入れて、街へ繰り出す。

「さーて。後は足で稼ぐしかねェか……面倒だが、仕方ないな」

 ターゲット、つまりファクティスのいる国は反魔物領である。
 当然オルビアは魔物としての姿は晒しておらず、人間からは「少し珍しい服を着た少女」程度に見えるよう、人化の魔法を使っている。
 魔法に精通している者なら見破ることも出来るかもしれないが、その片鱗さえない。
 この辺りも調べる必要があるか、とオルビアは思考を整理する。

「さて……アイツが持ってるのはマジックアイテムだな」

 考えが纏まったところで、口内で転がしていたお気に入りの飴玉をかみ砕く。
 オルビアはファクティス系列の魔術道具店の近くにいた、背の高い青年に話しかけた。

「よう、久しぶりだな」
「ん? 嬢ちゃんは誰だ――あれ?」

 オルビアはパーカーをずらし、赤い一つ目を晒して男と目を合わせる。
 そして『他国に住んでいる、旧知の知り合い』だと思わせる程度の暗示を男に掛けた。

『おいおい。アタシの顔を忘れたのか?』
「ああ、アンタまたこの国に来てたのか。こんな辺鄙なところにご苦労さん」

 親しい仲にしすぎると記憶との齟齬が出やすくなり、暗示や会話の内容がより難しくなる。そして魔力のロスは極力減らしたい。
 ついでにこの国の内情を聞くなら、ここに住んでいるというのは奇妙に思われてしまうからだ。

『それで聞きたいんだが、そこにある店の魔法道具、買ったことあるか?』
「そうだな、何度かはあるぜ。これもその一つだ」

 背の高い男は筒のようなものを取り出し、彼女に見せる。

『”魔給の水筒”……か。割とポピュラーだが、この国では売れないだろうな』
「そうなのか? 俺みたいに砂漠を渡ったりするヤツは持っておくべきだと言われたが」
『これは幾らで買ったんだ?』
「安くはないが、高くもないな。銀貨十枚だよ」
『……ふむ』

 立地のせいもあるのだろうが、それを勘定に入れてひいき目に見ても相場よりは高い。
 詐欺、というほど高値でもないが。

「十回も使うと壊れるらしいけど、まあ大抵は非常用の道具だしな」
『壊れる……?』
「ああ。そんなに持つ商品じゃないらしい」

 損傷を受けるのならともかく、通常使用だけならあの道具は早々壊れることはないはずだ。
 それにこの道具は魔力を補給してくれる魔物といてこそ真価を発揮するもので、反魔物領であるこの場所で売るのは不適当であるとも思う。

『……あー。そういやこの国は、魔法についてあんまり知られてないのか?』
「魔術ギルドならちゃんとあるが、教えてくれる所は殆どないな。
 狭い国ってわけでもないが、大抵の人間は知らなくてもそれなりに暮らしてるようだし」
『そう、か。そういえばあの店はファクティスとかいうのが大本の経営者らしいが、知ってるか?』
「わざわざ遠方の国から魔法道具を卸しに来た商人だろ?こういう店は殆どあの人の系列だよ。
 俺たち庶民にまで道具を売り出したのはそんなに昔じゃないが、ギルドやお偉いさんが気に入ってるところを見ると、腕は確かだと思うぜ」
『へえ、そいつは初耳だ。そういや、ギルドの場所も知らなかったな。ついでだ、教えてくれよ』
「ああ、そんなに遠くないぜ。別に面白い所じゃないがな」

 後は適当に会話を濁し、オルビアは例の魔術道具店に入る。
 ”MAGICA”と大仰な名のついたその店は、宿と酒場が一緒になった建物ぐらいの広さはある。
 客足も客層もそこそこで、他からは少女に見えているオルビアが入店しても奇異な目で見る人間はいない。ざっと商品を見ても幅広い客層の商品を取り扱っているのが伺える。
 店員らしき禿頭の男がオルビアを見ると、軽く会釈をした。

「やあ、お嬢さん。なにかお入り用かな?」

 オルビアは他に人が近くにいないことを確認してから、『適度な好意を持たれる』暗示を掛ける。
 ゲイザーの暗示ゆえに相手が単眼に理解のある者だと暴走させる可能性はあるが、特に反魔物領の場所では、彼女の経験からしてまずありえない話だった。

『ええっと、何を探しに来たってわけじゃないんですが。
 ちょっとお店の中を見て回ってもいいでしょうか』
「もちろん。説明が欲しくなったらすぐに呼んでくれ」

 オルビアはゲイザーの中でも特異な能力により、魔法道具についてそれなりに知識がある。
 その経験からすると、どれも相場以上の値段で売られているのは間違いない。
 もっとも、上客に対しても過度な良心的価格とは言えなかったため、無知な者だけを相手にしている体制とは考えにくい。
 長期的に見ればいずれボロが出る商法だ。そんな男がこの国で屋敷を構えて落ち着くだろうか。

「すみません、店員さん。ちょっといいですか」
「あいよ、ちょっと待ってくれ」

 禿頭の店員を呼び、オルビアは暗示を掛ける。

『ファクティスさんからの要請で、実地調査に参った者ですが』
「え……あ……?ぬ、抜き打ちですか……いえ、問題があるというわけではないんですが」
『最近でクレームを受けたことは?』
「ああ、一件だけありましたね。遠方からの旅人の方で、ここの商品は質が悪いのに値段が高い、って」
『それはどのように処理を?』
「頑固な方だったので、”例の道具”で有耶無耶にしました。
 国を出るまでには十分効果が持つと思います」
『なるほど……道具の調子はどうですか?』
「できるだけ使わないようにしろと言われてるので、実績は少ないですが……。
 これといった問題はないです。先日もメンテナンスを受けましたから」

 道具、というからには何か精神に作用させる物だと推察する。
 できればそれを引きずり出したい所だが、そこまですると暗示が解けた時に厄介になりやすい。
 それ以上の追及はせず、オルビアは並んだ商品を見て回る。

「奥のほうは……なんだ、この仕切り布?」

 店の奥まったスペースには、外から覗きにくいように巨大な布で入り口を隠した場所がある。店員用の部屋かと思ったが、そういう訳でもない。
 彼女がそこに入ろうとすると、

「あ、そちらは……ご存じだとは思いますが、そういう製品の場所です」
「ん? ……ああなるほど、そういうことか」

 店員に掛けられた言葉で察した。

『こちらも確認してよろしいですか?』
「決まりなので一応、許可証を見せていたただけますかね」
『おや、さっき確認してもらった通りですが――』

 オルビアはさらに暗示を重ねがける。

「え?……ああ、そうでしたっけ。失礼しました。
 では安全のために、私も同行しますがよいですか?」
『わかりました』

 さっきの禿頭の店員とともに、布を押し上げて奥のスペースに入る。
 そこに並べられているのは一風変わった商品ばかり。
 怪しげな色の薬、香炉のようなもの、一見何に使うかもわからない鍵。

「見てもらって分かる通り、こちらは”大人向け”の魔法道具というべきでしょうか」

 感づいていたオルビアは適当に相槌を打ちながら、商品を眺める。
 ここが反魔物領であることを考えると違法スレスレの品ぞろえと言えるだろう。
 しかし、どれも質が良いとは言い難い。
 中には一般品としていいレベルの物もあるが、知識のない一般人を騙せるであろう程度に繕った品に、質の下がった模倣品がほとんどだ。
 だが明らかな欠陥品とも言い難いのが、報告するのに面倒そうである。

『売れ行きがいい商品はどんなものです?』
「中には危ない物もあるらしいので、許可がないと売れない物が大半ですが……そうですね、この薬ぐらいは色んな人にお出ししています」
『これは、なんですか?』

 店員が手に取った薬瓶、彼女はそれを横目で眺める。

「包み隠さずに言うと、媚薬ですね。
 惚れ薬とはちょっと違って、感度と気持ちを昂らせるだけの製品になります。
 安全性との折り合いも兼ねた割には効きがイイ代物だ、と店長は言ってました。
 値段も手ごろなので、売れ行きも良いです」

 使っている材料はおおよそ判断が付いたが、それにしては色味がやや薄い気がする。
 かさ増しをしているか、質が悪いかのどちらか――のはずだと、オルビアは判断した。

『このタイプは、媚薬だと発覚される恐れがあるのでは?』
「そうですね、その辺はどうにか誤魔化すしかないですが。
 なので、それなりの仲の相手ともっと仲良くなるのにはうってつけらしいです。
 味も甘くて濃厚で、そうそう成分に気付かれることはない、とも言ってました」
『……なるほど』

 はっきり言って興味はなかったのだが、実際に質を確かめてみる必要がある、という大義名分があるにはあった。
 さらに言うと――オルビアは肉と甘い物に目がないのだ。
 粗悪な媚薬なら大した効果も出ないだろうと、つい『サンプルとして持ち帰りたい』と提案してしまう。

『商品なので、代金は払わせていただきます』
「え、ええ。調査員さんの要望ならお断りはしませんが」

 お金を払っておけば認識を誤魔化す暗示を掛けやすくもなるし、暗示が解けても騒がれる心配は少なくなる。
 ちなみに代金は経費で落ちるのでそれも彼女にとっては問題ない。

「お疲れ様です」

 まばらにいる他の客から物珍しげな目線を向けられながら、オルビアは店を後にする。
 しかし、効果を信じてはいないにしろ、外で飲む訳にもいかない。
 ひとまず彼女は泊まっている宿屋に戻ることにした。
 帰り道にその辺の店でお菓子を買い漁ってからである。
 それなりの部屋を用意してもらっているので、扉に鍵はもちろん、防音も問題ない。
 カーテンや扉を閉めたのをチェックして、例の薬とお菓子、報告用のレポートをテーブルに並べる。

「……ま、まあ不純物はなさそうだし、ジュースぐらいにはなるだろ……たぶん」

 栓を開けて匂いを嗅いでも、薬品のような鼻につく感じがない。それどころかバニラ・エッセンスのような甘さに満ちている。
 これなら飲み物と偽って出されても騙される人間は多いだろう。

「ん……」

 瓶を傾けて、舐めるように一口目を味わう。
 ……とにかく甘い。
 明らかに原材料以外のフレーバーが足されている。糧が人間と異なるゆえ味覚が弱い彼女にもはっきりとわかるくらいだ。
 ただ、こんな露骨な甘さがオルビアのような甘党にはむしろ心地が良い。

「……やっぱり大したコトはねェな」

 ちょっとヘンな気分になりそうだったが、それ以上ではない……はずだ。
 所感をレポートに書きながら、濃い味付けのクッキーをつまむ。
 そしてもう一口。さらにもう一口……と口をつける。
 甘味を味わっているうちに、どんどん一度に飲む量が増えていく。

 いつの間にか瓶の中身は三分の一ほどに減っていた。

「あれ……?おかしいな、まだそんなに飲んだ覚えは……」

 オルビアは酒を飲んだことがあまりないが、酔いにも似た感覚を味わっていた。
 ただ、思考がぼんやりして纏まらないのに対して、身体はなぜか鋭敏になっている。
 パーカーの下には下着がなく素肌だが、その布が擦れる感触ですら声が出そうになる。

「んっ……アタシとしたことが、しまったな……」

 瓶には小さく”希釈用”と書かれていたのだが――オルビアは気付いていなかった。
 パーカーを半分脱いで、控えめに膨らんだ乳房を外気に晒す。
 乳首はすでにツンと尖っており、布擦れをするだけでほの甘い快感が走ってしまう。

「と、とりあえず、治まらせないと……明日に響いちまうし……」

 恐る恐るといった感じでオルビアは、自分の乳首を指先でそっと摘まんでみる。

「いっ……♥?!」

 ぞくっとする、痺れるような快楽。今度は声が漏れるのを抑えられない。
 自慰の経験が指で数えられるほどしかない彼女にとって、その感覚は耐え難かった。
 しかし、意中の男性は”まだ”いない。文字通り自分を慰める以外に発散させる方法は思いつかなかった。

「くそっ……大した効果のある品じゃないはずなのに、やけに効いて……」

 軽く毒づきながらも、乳首を弄る手が止められない。
 両方の手で二つの乳首の乳頭をくりくりと刺激すると、さらに電気が走るかのようだ。
 いったいいつもの何倍ほどの快楽が生まれているのか、それすら判然としない。

「だ、ダメだ……下のほうも、さわんないと……満足、できねえよっ……」

 ゲイザーであるオルビアの股間は黒いゲルに似たもので覆われているが、その下はもう愛液でヌルヌルに濡れそぼっていた。
 床に零したりしないようゲルの位置を調節しながら、勃起したクリトリスを指で撫でていく。
 乳首よりさらに強い快感で頭の中が染められて、それでもまだ満足できず、もう一方の手で乳首をかりかりと愛撫する。

「んうぅっ……あっ、こ、こんなっ……す、すごいぃ……っ」

 性感に関してあまり意識してこなかった――いや、意識しようとしなかったオルビアの体は、とても正直に反応する。
 しかし本当に欲しい物は、満たしてくれるものは彼女にもうまくわからず、切ない快感に身を任せる他ない。
 それでも積もる気持ちよさで、溶けてしまいそうな絶頂が近づいてくるのがわかった。

「んあっ、ああっ、んん――ッ……♥!」

 魔法を使ってもいないのに、宙に浮いてしまいそうなオーガズムの感覚。
 ぴくぴくと身体が勝手に跳ねて、愛液が黒いゲルから染み出しそうなほど溢れてくる。
 ぽわっと頭が白くなっていって、快感で全身が埋め尽くされた。

「はぁっ、はぁっ、……な、なんでだよ……なんか、物足りねェ……」

 彼女にとっては確かに味わったことのないほどの気持ちよさだった。
 それでも、何かが足りないことが分かってしまう。
 今の自分には埋められない、いやきっと自分一人では埋まらないものがあると。

「くっ、うぅぅ……っ♥」

 それでも媚薬により感度が研ぎ澄まされ、際立った絶頂の快楽には抗えず、気が付くとまた秘部を触りだしてしまう。

「あぁっ、んううっ……!」

 その夜の間、何度も自分を慰めていたオルビアだが、絶頂したのは三回目から数えていない。




 いつの間にか薬の効果が切れたのか浅い眠りに落ちて、気付くと明け方になっていた。
 彼女は慌ててあまり使わない(その必要がない)シャワーを浴びてから、朝の訓練もそこそこにして、手短に報告書をまとめた。

「次は魔術ギルド、か。こいつはさすがに面倒なヤツもいそうだが。
 めざとくトコトン徹底的に、だな」


 それから三日後。
 いつもの格好、いつもの魔術変装は変えることなく魔術ギルドを訪れる。
 翌日すぐに向かわなかったのは、色々と準備や根回しが必要だと感じたからだ。
 魔術ギルドに携わる者たちの魔法の知識はどの程度なのか?
 自分の偽装魔法を見破れる人間はいないか、暗示をどう掛けるか?
 実際に権限を持ち、指令を下していた人物は誰か?
 そういった下調べで当たりをつけた結果、副ギルド長に焦点が当たった。

『おはようございますッス、先輩。お時間とらせてスミマセン』
「ふん。わざわざ部屋を借りてまで、話があるのか?」

 オルビアは副ギルド長――丸眼鏡の中年の男と、会議室の一室で向かい合って座る。
 すでに暗示は掛けており、彼はオルビアを『信頼のおける後輩』と認識していた。
 あまり人を信頼しない人間だが、そういう者のほうが暗示にはより掛かりやすい。
 拒絶は信頼と裏表にある。
 相手の希求する要素を多く含んでいれば、向こうから信じ込もうとしてくれる。
 たとえば、いかつい顔のわりには人懐っこい女性が好みだ、とか。

『ええ、あんまり大っぴらにはできない話なんッス。
 例の魔術道具の系列店――ファクティスさんに関係する話ッスから』
「……ほう」

 その言葉を出すと、男の顔つきが変わる。

『自分は仕事柄、国外出張が多いッスから。
 あの店舗の違和感にも薄々感づいてきたんッスよ。
 ぶっちゃけた話――ギルドの手が掛かってるってことですよね?』
「……魔術ギルドがマジックアイテムを管轄するのは当然だろう」
『いーえ、そんなレベルじゃあないッスよね。
 粗悪品に目を瞑っている――としか思えない水準の物もあります。
 この国の魔法の教育水準を鑑みても、おかしいッスね』
「……」
『いやいや、ベツに脅してるワケじゃないッスよ?
 でもまあ、隠し事されると気になっちゃいますしぃ。
 お仕事を手伝うなら、そーいうコトも知っておかないといけないかな〜って』
「……まあ、いい。聞きたいのなら話してやる。
 私一人を脅迫したって何も変わらんことだからな」

 丸眼鏡の位置を直すと、副ギルド長は咳払いをした。



 彼曰く、魔法の未発達なこの国では魔術ギルドの財政維持が年々困難になっていた。
 靴を履かない部族に靴を売るのは、チャンスと言えなくもないが並大抵のことではない。
 そんな状況を知ってか知らずか、この国に訪れたのがマジックアイテムを取り扱う商人、ファクティスだ。

「ギルドも彼を全面的に支援した。
 何人かはその稚拙さに気付いた者もいたが、大抵は”心付け”で収まった。
 そうでない者も、彼に”説得”されるうちに文句を言う者はいなくなっていたよ。
 実際、彼のおかげでギルドの運営状況は息を吹き返したと言ってもいい」
『へえ……持ちつ持たれつ、ってヤツですか』
「もっとも、彼がそこまでこの国の商売に入れ込む動機は分からんがな。
 詳しく調べたことはないが、あれだけ派手に動いていたはずのファクティスだが、莫大な資産を得ているとは思えん。
 まあ、それも追及を避ける為の処世術かもしれんが」

 思ったよりも大規模に、ファクティスの息が掛かっているらしい。
 やるじゃないか、とほほ笑むように、オルビアは口元を歪ませる。
 そしてまた暗示を重ね、副ギルド長に追及していった。

『それで――この件はどれくらいの人間が知ってるんスか?』




 オルビアが宿に着くころにはもう日が暮れかけていた。
 それから魔術ギルドで得た情報――収賄と黙認の件について関わっている人間のリストを纏める。
 これについては、彼女の報告を受けた所属組織が改めて調べるだろう。そこまでは彼女の管轄外だ。
 あとオルビアがする仕事は二つだけ。
 報告すべき事例とデータを書類に纏めて提出すること。
 もう一つは、ファクティスに最後の警告を促すことだ。




 オルビアがファクティスの屋敷に赴いたのは、初めての警告から二週間後の事だった。
 いつもの仕事着の黄色いパーカーを羽織り、簡単な準備を終えると、屋敷へ徒歩で向かう。
 主要場所や人物に”マーカー”は付けてあるが、それは組織へ伝えるための目印である。
 宿からはわざわざ転移魔法を使うほどの距離もない。
 さらに言うと、”もしものために”魔力は少しでも保持しておきたかったのもあった。
 
 日の暮れかけた夕方。
 オルビアは屋敷へ着くと、堂々と屋敷の正門を軽く飛び越え、大きな玄関扉を開ける。
 屋敷の外にも中にも、まばらながら使用人がいたはずだが、今は一人も見当たらない。
 それを単なる偶然とは考えなかった。
 彼女の予測を裏付けるように、漂ってくる魔力の気配。

「備えあれば憂いナシ――デスか」

 式場と間違いそうなほど広々としたエントランスホールの真ん中でオルビアは立ち止まり、呟く。
 二階廊下に続く階段の踊り場から、ファクティスが降りてくるのが見えた。
 以前見た礼服よりもさらに動きやすそうなシンプルな装い。
 そして、目には妖しい紫色に染まった眼鏡を掛けている。

「君が来るのを待っていたんだ。どうやら色々と熱心に調べてくれていたらしいね」
「おかげさまで、デス。貴方が改心してくれていれば、お手数を掛けることもなかったのデスが。
 さて、最終警告をしに参りましたけれど――聞き入れては貰えないようで」

 さも当然といったようにファクティスは頷き、両者は神経を研ぎ澄ませる。

「ふむ……本物の魔物を見ることは少なかったが、今まで見た中でも一番と言っていいほどの力を感じる。
 どうだ、その力を私の為には使ってくれないか?」
「残念デスねえ。二足の草鞋を履けるほど器用じゃないんデスよ」

 ファクティスの眼鏡は、市販品とは別次元なほど手の込んだマジックアイテムである。
 そのレンズで覗いた相手に本来とは異なる意思を植え付ける、いわばゲイザーの”暗示”にも似た魔力を放出する道具だ。
 これまで彼の方針に異を唱えた者は、この道具と彼自身の魔法を合わせた魔術によって掌握されていった。
 そして目の前にいる魔物もその例外ではない――と。

「そうか。なら……気は進まないが、強引な手段を取らせてもらう」
「おやおや、そんなコト言っていいんデス?
 そんな言葉を吐いていいのは、同じ手段を取られてもいい者だけ、デスよ?」

 オルビアは飄々とした態度のまま、パーカーのフードに手を掛ける。
 その下から赤い大きな一つ目を覗かせると、その目がカッと煌めいた。

「っ……?!」

 血のように赤い光がファクティスの全身に浴びせられ、そして掻き消える。
 その鮮やかな色彩は一瞬目に入っただけだったが、思わず彼は反射で目を逸らし、少しだけ視界から彼女を外してしまう。
 しかし再び前を睨んでもオルビアは目の前にいるままで、状況は何ら変わっていないように感じた。

「……なんだ、目くらましか?その程度で私の作った道具が――」

 その時、僅かにずれた眼鏡の位置を直そうとして、ファクティスは異変に気付く。

「道具が――なんデスって?」

 事態を掴めていない彼を眺めつつ、にんまりと笑うオルビアは、ポケットから棒の付いたキャンディを取り出して口に含む。
 紫色に染まっていたはずのファクティスの眼鏡は、色素を失ったかのようにみずぼらしくくすんでいた。

「馬鹿な……!魔力が放出されていない?故障……いや、さっきの術か!」
「ありゃあ、大変デスねえ。頼みの綱はなくなってしまいましたが、どうしマス?」

 不敵に笑うオルビアからファクティスは距離を取りつつ、声で号令を促す。

「くそっ……集合だ!どんな手段を使っても構わん、あの魔物を捕えろッ!!」

 ホールに響く声を聞きつけ、別室に待機していた男たちが足早に現れる。
 オルビアの左右に一人ずつ、目前と背後に二人ずつ。
 ファクティスを含め、あっという間に計六人の人間が彼女を取り囲んだ。

「備えあれば憂いナシ、と。至言でありマスね」

 オルビアが咥えた棒付きキャンディをかみ砕く。
 飴が僅かに残った棒を口から取り出しつつ、オルビアは周囲の状況を確認する。
 歩いて四、五歩ほどの距離を全員が保ったうえで彼女を囲んでいる。
 五人全員が警棒のような形状の武器を持っているが、どれも捕獲用のマジック・アイテムとして強化されていた。
 持ち手以外で触れた相手に電撃や氷結の効果を与え、行動不能にし、無力化させるものだ。
 扱いに慣れはいるが、鎮圧などの道具としてはそれなりに使われる代物である。

「この国でも有能な人材を集めた。
 数に頼るのも好きではないが、それだけ君を高く買っているということでもある」
「それは光栄なことで。……デスが、」

 オルビアの背中から、先端に目玉の付いた十本もの触手がずるり、と顔を見せて、上下左右の全方位を睨む。

「ワタシの眼から逃れるには、そんな数ではとても足りませんデスよ――?」

 瞬間、彼女は手に持った棒付きキャンディを、片腕だけ使った淀みない動作でファクティスの顔面に投げつけた。

「ッ、かかれ!」

 ファクティスがそれを辛うじて手で防ぐのと、四人の男たちがオルビアに襲い掛かるのは同時だった。
 最初に、彼女の背面にいた二人の背の高い男が距離を詰めようとする。

「見えてマスよ!」

 オルビアの触手の一本、灰色の目玉が付いたそれが男の方を向く。
 さっきもファクティスに浴びせた、ライトのような灰色の光が目玉から放たれて、彼女の背後から襲いかかろうとした男たちがそれを浴びる。

「がっ――」

 灰色の光を浴びた二人の体は外形を保ったまま、まるで石のように凝固しその場に倒れた。
 次に、オルビアの右側から隙を伺っていたサングラスの男が、警棒の先端を彼女に向けて突き出そうとする。
 すると右を向いていた黄金色(こがねいろ)の眼をした触手が、黄色いライト光でその男を照らした。
 サングラスにより目が眩むことこそなかったが、

「うぎっ、か、から、だっ、が……?!」

 電流が走ったようにびくん、と男の身体が跳ねたかと思うと、わずかな痙攣の後に動きが止まる。手元の警棒が手から零れ落ちて、からんと音を立てた。

「電撃の武器を使うなら、自分も相応の対策をすべきでしたねぇ」

 オルビアの顔にある赤い一つ目は、目前にいる禿頭の男を睨んでいる。
 そこには軽い”暗示”が含まれていた。
 選択を躊躇させ、その場にとどまらせる心理を強くさせるものだ。

「くそ、化け物めっ!」

 彼女の左にいた童顔の男が、半ば自棄に突っ込んでくる。
 暗示に注力していた為に触手の光で対抗することはしない。
 代わりに上半身目がけて振り回してくる警棒を、軽く身を捩って避けた。

「このッ!」
 
 触れさえすれば電撃が走るのだから、大振りにする必要などない。
 そんな原則さえ忘れかけた、隙も予備動作も多い袈裟切りのような攻撃はオルビアの幾多の眼に見切られて、掠ることさえない。

「ぐ、クソッ!ちょこまかと……!」
「人間と戦うのに慣れていても、魔物に立ち向かえるとは限りませんデスよ?
 もっとも、今のアナタでは人間を倒せるかも怪しいデスね」

 二度三度の攻撃を悠々と回避しながら、余裕たっぷりに彼女は言葉を漏らす。
 挑発によるコントロールもあるが、暗示と彼女固有の能力を組み合わせた特殊な戦闘訓練を欠かさず熟してきたオルビアにとって、その程度は簡単なことだった。
 そして出来た時間で、ファクティスに浴びせた赤い光の準備をする。

「おい、目を覚ませ!今のうちに援護するぞ!」
「――は、あ、了解っ」

 オルビアの触手の一本が、ファクティスと禿頭の男を覗く。
 どうやらファクティスは彼にオルビアの暗示を解けさせる魔術を掛け、正気に戻していた。
 だが軽いものだったとはいえ、魔物の暗示はそう容易に解除できるものではない。

「へえ。見せかけだけの人間ではないようデスね」

 にやりと微笑みながらオルビアは、童顔の男と警棒に赤い光を顔の一つ目から浴びせる。
 一見して警棒の効力は失われるが、彼がそれに気づく前に片足に触手が巻き付いた。
 そして大振りでバランスを崩した隙に強く足を前に引っ張られ、仰向けで背中を床に打ち付ける。

「この――がはっ!」

 童顔の男が体勢を整える前に、オルビアは警棒を持つ腕を踏みつけ、警棒を奪う。
 さらに緑色の眼をした触手が仰向けの男を照らしあげる。
 童顔の男は傍目にも毒々しい色に包まれ、顔色まで変色し、起き上がる力さえ失ったようだった。

「魔物め!くらえッ!」

 同時に禿頭の男が振り下ろしてくる警棒を、オルビアは奪った警棒で受け止める。
 男は力を込めて強引に警棒を押し付けようとするが、その距離が縮まることはない。

「おっと。まだ武器を隠し持ってマスか」

 さらに小さな筒のようなもので彼女を狙うファクティスの動きを、赤い一つ目の視界の端と、触手の眼とで捉えた。
 あの筒は魔力を小型のマナ・ショットとして打ち出す道具らしい。

「――しかし、戦闘に関してはやはり不慣れデスね」

 警棒を滑らせて位置を変え、ファクティスの射線を禿頭の男で遮る。
 同時に白い眼の触手が男の方を向いて、白熱のような光が彼を包んだ。
 猛烈な睡魔に襲われる彼の表情は安らかに、ゆっくり瞼を閉じていく。

「う……ぁ、」

 糸の切れた操り人形のように倒れかけた男の襟元を掴み、オルビアが支える。
 肉盾となった禿頭の男の陰で、オルビアは言う。

「さて。残るはアナタ一人になりましたが――。どうしマス?」
「ぐっ……」

 盾の後ろからこちらを覗く触手を撃とうと、ファクティスはマナ・ショットを数回放つが、狙いは定まらない。
 小型の弾では掠らせるのが精いっぱいで、傷を負わせることすらできなかった。

「人は道具で進化してきた生き物デス。
 けれど、道具に依存する者に進化はない――私の恩人の受け売りデスがね」

 時間を稼いでいるうちに、赤い一つ目は再び赤い光を放つ準備が整った。
 肉盾を横に放り投げ、同時に真っ赤な光がファクティスと小さな筒を再び包む。
 しかし彼はそれを予期していたのか道具を即座に捨てて、光に意を介さずオルビア目がけて突進してくる。

「魔物ごときに、何が分かるかッ……!」
「逃げないという心意気も素晴らしい……デスが、それはただの無謀――ん?」

 オルビアが向かってくるファクティスの目を見つめた瞬間、わずかにだが彼女の動作が遅くなる。
 だがタックルはすんでの所で避けられ、勢いが止められずファクティスは体勢を崩して転倒した。

「さっきのは……ワタシと同じ術、デスか?
 あの眼鏡は既に封じたはず……なるほど、そういうコトでありマスね」

 予想が外れたファクティスはすぐさま起き上がれず、その間につかつかとオルビアは彼に歩み寄る。
 そして彼が立ち上がろうとしたその眼前に、警棒が突き付けられた。

「最終警告の無視、集団での暴行未遂。ひとまずさっきの分だけの罪状デス。
 ファクティスさん、アナタを捕縛させていただきマス。
 そして、個人的にもう一つ――」

 床に座ったまま項垂れる彼の顔に、オルビアが手を添え、自分の方を向かせる。

『オマエがどうしてこんなことをしていたのか。納得いく理由を話してもらうぜ』

 ゲイザーという強大な魔物の前、戦意と気力を失ったファクティスには、その暗示から逃れようと抗う精神力がもはやなかった。
 そして、ぽつり、ぽつりと話し始める。

「私……、俺は――」



――――――――――――――――――――――――――――――



 マジックアイテムを扱う者なら、おそらく半分以上の人間が知っている程の職人。
 それが俺の両親だった。
 素晴らしい道具を作り、人々から尊敬される両親は、俺にとっての憧れであり、尊敬する人であり、目標だった。
 俺もそうなりたいと願って、物心ついた頃から両親の手伝いをしていた。
 早いうちから両親は俺の夢を反対していたが、他ならぬ息子の望みを潰す覚悟はなかったらしい。

 だが、何事にも才能という物は存在する。
 勉強を続けて、修練を重ねて、何百何千というアイテムを作ってきた。
 でも作れば作るほどに、両親との差を感じる毎日だった。
 まともな物が作れないわけではない。店に並べられる水準は十分にあったと自負している。
 しかし、両親の作ってきた道具と比較されれば、誰もが両親の物を選ぶだろうとも確信していた。

 結局、俺は両親と比べられる事を恐れて、故郷の国から逃げ出した。
 
 幸か不幸か、俺には別の才があった。
 相手の精神へ介入し、意思を捻じ曲げる魔法全般の才能だ。 
 道具作りの一環程度にしか思っていなかった魔術の勉強がきっかけで、それが自分でも恐ろしく感じるほどの強さを持っていたのに、ある日気づいた。
 それがなければ、両親の下から離れることも、この国で商人となることも出来なかっただろう。

 両親から貰った名前も捨てて、俺は”ファクティス”と名乗った。
 偽りで自分を繕っていった。
 傍目には分かりにくい粗悪品を混ぜて、自作した道具が評価されるように仕組んだ。
 他にも俺が何をしてきたのか、もう調べた後だろう。
 結果的にそれは順調だったが――そんなことで満たされるはずがないのに、見て見ぬふりを続ける日々。
 自分の魔術のせいで、人を心から信じられない日々。

 生きているのに死んでいるような、他人との辻褄合わせの為だけに過ごす時間が、ただ息苦しかった。


―――――――――――――――――――――――――――――


『大体は分かった、が。
 オマエの口ぶりだと、その精神を操る魔法で道具を無理やり売りつけてたってワケじゃないんだろ。
 そんな回りくどい手口をした、その理由はなんだ?』
「……どんなに落ちぶれても、曲げられないプライドがあった。
 どんなに人を騙しても、自分の作った道具について騙す事だけは、絶対にしてこなかった。
 それだけは、両親を本当に裏切る気が……したからだ」
「……」

 彼と目を合わせて暗示を掛け続けていたオルビアは、目線を合わせるために彼の顔を支えていた手を離す。
 ファクティスの顔はまた力なく項垂れた。

「結局俺は、人の心を弄ぶだけの道化師だった。
 こんな下劣な魔法しか扱えない、ちっぽけな存在だ」

 消えてしまいそうな、独り言の呟き。
 しかしオルビアは聞き逃さない。

「――ほう。言ってくれるじゃねえか」

 項垂れたままのファクティスに向けて、オルビアは言う。

「昔のアタシと似てるぜ。相手の事を考えすぎるあまりに、真っ直ぐ人を見られない。
 オマエも、アタシと同じだ」

 顔を上げない彼に、諭すように続ける。

「だが、足りないのは才能だって言ったな。それは違うぜ。
 オマエに本当に足りないモンは才能じゃない、人を頼る力だ」
「……!」

 僅かに体を跳ねさせるファクティスへ、さらに言う。

「誰かに使われるためのモンなのに、一人の力だけで作り上げようとした道具が、出来のいいモンになるわけねえ。
 両親と自分のために、自分の力を示すことだけに固執していた。そうだろ?」
「それは――」

 ファクティスは顔を上げ、オルビアを見る。
 しかし何も言うことはなく、口からは息が漏れるだけ。

「オマエがその気なら、アタシが面倒を見てやる。一流の職人になれるまで、な」

 その言葉の意味が分からず、彼は困惑を浮かべる。
 交渉事では魔法によりずっと優位に立っていたファクティスにとっては、何年も覚えのない感情だった。

「お前……いったい、何を……」
「こう見えても、アタシとその所属組織は人助けがモットーでね。
 まだ芯の折れていなさそうなオマエなら、やり直せるだろうと思ってな」
「……なぜだ。なぜ、俺の魔術にも掛かっていないお前が、そんな真似をする」
「さっき言った人助けってのもあるが……。
 一番は、オマエに証明してやるためだ」
「どういう、ことだ」
 
 純粋に疑問を浮かべるファクティスの目を、オルビアはじっと見据えた。

『下劣な魔術も高尚な魔術もない。そこには使い方があるだけだ。
 オマエが蔑んだ、心を操るという魔術で――オマエ自身を変えてやる』

 オルビアは自分の右手を差し出す。
 意思があるならこの手を掴めと、沈黙を持って投げかける。

 
 それ以上何も言わず、ファクティスはその手を握った。



―――――――――――――――――――――――



 ファクティスが自ら出頭し自白を行ったのは、屋敷での騒動があった翌日のことである。
 しかし魔術ギルドを含めたどの機関も、真実が明るみになって非難されることを恐れ、収賄等の事実を揉み消そうとした。
 そこに付け込んだオルビアの所属組織は、道化師の格好をした筆頭のリリムを主として、硬軟織り交ぜた交渉を行った。
 そしてファクティスの罪状を”詐称によって得た富の没収と、期限付きの国外追放”にまで軽減させる。
 これによりオルビアは難なくファクティスを国外へと連れ出し、彼を修行の旅へ赴かせていく――。

18/10/22 19:30更新 / しおやき
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