epilogue : The ender,gender.
「よーしよし、ここにヒトはいないからねー。
そのままソノママくっついてー……はい、いただきました!」
パシャリ。
誰もいないはずの空間から鳴る、スマートフォンのシャッター音。
「やっぱり作ってない自然な笑顔ってのは大事よネ。
最高の被写体というのは、やっぱり自然体でないと」
二月の上旬、○○高校入試の合格発表日。
一真と照は互いの番号が掲載されているのを見つけ、嬉しさと安堵でいっぱいだった。
しかし興奮が冷めやらず、校舎裏に回ってこっそりと、人のいない場所で抱きしめ合った――その瞬間。
どこから現れたかもわからない、人間とは思えないほどの美貌を持った女性が、スマートフォンを二人に向けて立っていた。
「――ひゃっ! あ、え? せ、先輩っ?」
「やあ、照くん。と、その彼氏さん。ウチの高校へようこそ。
さすがに発表日はいろいろ慌ただしくてね、歓迎もできず申し訳ない。
にしても、今日は可愛らしいフリルのロングスカートを履いているじゃないか。黒のストッキングもいい。
制服姿の君も良かったが、今の君にはその服もとっても似合っているよ」
「あ、ありがとうございます、咲ちゃん。
でもここに入れるかどうかは、今日まで分かりませんでしたから」
”魔物”と成った照は、普段こそ角や翼に尻尾は隠し、傍目には普通の人間に見えるよう姿を隠していたが、その服装とファッションは様々だった。
長袖も半袖も、女性の服装も男の服装も好んで着るようになり、プライベートでは自分の好きな服を自由気ままに着ている。
父親は身体も内面も含めた照の変化にひどく困惑こそしたが、拒絶することは決してなかった。
一真にとってもそれは非常に嬉しかったのだが、『二人の着る服を一緒に選ぼう』と照が提案したデートではいつも、自分のファッションセンスの不甲斐なさに項垂れている。
「謙遜しなくていいよ。ここだけの話、君たちは出会った頃から目をつけていたからね。
ぜひ、生徒会にお呼びしたい」
「色々聞きたいことはありますが……照、この先輩とどういう知り合いなんだ?」
何も知らなければ、黒のピーコートを着こなすスタイルのいい女性にしか見えない。
照はそれが伊藤 咲だとすぐに気付いたが、一真はまだ彼女に直接会ったことはなかった。
「えーっと……すごく簡単に言うと、中学の頃からの恩人だよ。
あと、うちの中学でも副生徒会長だったんだ」
「……そういえば、見覚えはあるような」
「ふふっ、そういうことさ。ええと、一真くん、だったね」
「俺の事、知ってるんですか」
意外そうな顔をして驚く一真に対し、咲はいつもの調子を全く崩さない。
「そりゃあそうさ。大切な後輩の想い人だからね。
君はずいぶん鈍感なようだが、ちゃんと人の事を思いやれる男性だと私は知っている。その上で努力も積み重ねられる。
そういうアンバランスさがリーダーには必要なんだ……分かるかな?」
「は、はあ……考えておきます」
要旨こそ分かるが、その意図が掴めないままの一真が生返事を返すと、咲はまた笑う。
「それともう一つ。二人の時間をこれ以上邪魔するのは気が引けるけれど――。
照くんに言っておくことがあってね」
「え?ぼくに……なんですか?」
「君の、両親のことだよ」
その瞬間、まるで別人のように咲の表情が引き締まる。
「その話、俺は聞かないほうがいいですか」
「いや、問題ない。むしろ伴侶の親類について知っておくのは大事だ。
二人ともに聞いておいて貰おう」
一真と照はその言葉の真剣さを察して、口をきゅっと閉じた。
「君の母――いや、元母親が、ある頃から毎月のように欠かさず、手紙を送っていたのは知っているか?」
「……誰に、です?」
「もちろん、君の父親に、だ。
その全てには謝罪の文面が綴られていた。
さらに、月々父親が払っていたという、慰謝料と同じ額だけの振込明細書も添えてね」
照の脳裏には、寝室で何かを読み、それを自分から隠そうとする父の姿が思い出される。
それが自分にダイアル式ポストの鍵番号を教えていなかった理由ではないか、と。
「君の母親は、君と同じように『変わった』のだ。
だが、まだ手紙を送る以上の事はしていない。
彼女はまだ、自分の所業を悔いている。それが自分への罰だと言わんばかりにな」
あまりにも急に告げられた内容を、照はまだ飲み込めない。
ただ両手を強く握り、途切れ途切れに言葉を紡ぐだけ。
「あの人は……母は……父さんを、僕を……」
「……話を聞いただけで、すぐに見識を改めろ、と言うつもりはない。
我々はみな誰であろうと、どんな道を歩こうと、それなりに苦労するものさ。
だからこそ。
我々は共感し合えるし、互いの違いを認め合える。そうワタシは思っている」
一度だけ強い風が吹いた、その一瞬。
『咲』ではない、彼女の姿がくっきりと。一真の目に映った。
「そして……今、君の父親と、そして母親を救えるのは、やはり君になる。
決心がついた時で構わない。君から話を切り出してやってくれ」
遠くからは、合格発表を祝う誰かの喧噪の声がかすかに聞こえてくる。
「では、お節介な話は以上だ。二人の貴重な時間を邪魔してすまなかったね。
私もまだ用事があるので、このあたりでお別れだ。
またこの高校で会おう。後輩改め、愛しき隣人たちよ」
振り返って二人に背中を向けようとする咲に、一真は問いかける。
「どう見たって高校生、いや、人間にすら思えない……あなた、一体何者なんです?」
「ふふっ、そうだねえ。
私は今、確かに高校生だが――年齢ひとつ取っても、君達に打ち明けたことはない。
でも、生徒会に入ってくれるなら。
君のヒミツも、照君のヒミツも、そしてワタシのヒミツも。教えてあげられるかも、ネ?♥」
妖しげな空気を漂わせたまま、軽く手を振って咲は別れの挨拶を告げる。
その姿は、まるで最初からいなかったように一瞬で消えていった。
――――――――――――――――――――――――
日は沈み、夜が支配する時間。
他に誰の人影もない、超高層ビルの屋上。
伊藤 咲は流行の型のスマートフォンを取り出し、登録された番号に電話を掛けた。
「……もしもし、こちら”エンダー”よ。
例の魔物化した女性……そう、上据さん。いや、母親のほう。
あの子の具合はどうかしら? ……ふうん。
魔物になったことはやっと、完全に受け入れたみたいネ。まったく強情なんだカラ」
荘厳な造りの柵に肘をつきながら、伊藤 咲改め”エンダー”は”本来の姿”で会話を続ける。
「ええ。息子の照くんの話は、まだ伝えてないワ。
父親は……そう。息子が”アルプ”になった事はとっくに理解してるノ。
だからもうすぐ――会おうとするハズよ。どっちからかは知らないケド。
ま、腐ってもリリムとしての勘ってやつネ。じゃ、また状況が動いたら教えて」
ふぅっ、とため息をつきながら、彼女は電話を切った。
「――ああ、やれやれ。
ニンゲンの仲というのは本当にフクザツなんだから、世話が焼けるワ。
でもまあ、手間の掛かる子ほど、どんどん可愛らしくなっていくものよネ♥」
スマートフォンを小さなポケットにしまうと、途端にまた着信が掛かってくる。
「はーい、もしもし、こちらエンダー……ああら、一真クン。
こんな時間に咲ちゃんへ電話なんかしてると、照くんが怒るわよ?
ふふっ、冗談よ、ジョーダン。
ここに掛けてきたってことは、それで……へえ。生徒会、入ることにしてくれたんだ?
嬉しいわ♥これで後釜に困らなくて済むモノ♥
じゃ、詳しい話はまた今度、ネ。ばいばーい」
もう一度端末をポケットに直すと、彼女は長いため息をついた。
「はぁーっ。
こんなに頑張ってるんだから、そろそろワタシにも素敵な王子様が落ちてきていいのに。
……ま、計算が確かなら、今日であの町も堕ちるころだし。
そうなったらワタシも、ついに夫探しの時間ネ」
しばらく、時間が経って。
またスマートフォンが着信で震える。
画面を見ると、そこには彼女が待ち望んだ番号が表示されていた。
「はーい。あの報告以外なら切るわヨ。
……そう、そう!やったみたいねェ♥
じゃあ改めて所属者全員に伝えて。これから一ヶ月、全員に休暇命令ネ。
え?事後処理?結果報告?そんなの後でいーのいーの。
ああでも、結婚式の日取りは……まぁ、纏めてやっちゃえばいいかしら。
……はい、はい。じゃあ、また一ヶ月後。将来の旦那様と一緒に会いまショ」
電話が終わり、エンダーは自分の端末に映った壁紙の画像を見て微笑んだ。
その画像には数えきれないほどの、二人一緒になって笑顔を浮かべる者達の笑顔が、花畑のように咲き乱れている。
一真と照が、修三と陽子が、三萩と魚住が、その一部に映っていた。
この街にいる殆どの者が、そこにいた。
「さあ、エンダー。リリムという責務もようやく超えたワ。
華を咲かせるのはお休みして、今度はあなたが咲く番よ」
電話が切れたのを確認すると、彼女は『咲』と刻印の入ったスマートフォンを屋上の床にぽいっと捨てた。
「ワタシが華を咲かせていたこの世界には、他にどんな素敵なオトコノコがいるのかしら。
楽しみでドキドキしちゃう!こんなにワクワクするの初めて!
ああ、はやく真っ黒なウエディングドレスに身を包んで!
たった一人に身も心も捧げるお嫁さんになりたいワ♥」
白い翼を大きく広げ、彼女は宙に身を投げる。
そして重力も空気抵抗も無視するかのように、悠々と空を舞って行った。
「待っていてね♥ワタシの旦那様っ!」
もはや次元の歪みは誰にも、人間にも、発端の魔物たちにさえも止められず。
「一真っ。早く大人になって、皆からおしどり夫婦って呼ばれるようになりたいね♥」
「ああ。俺も、いつまでも照のそばにいられる存在になりたい」
世界は、確実に魔で満ちていく。
18/10/21 18:33更新 / しおやき
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