連載小説
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Are you lady?
 これは――夢の中だと僕にはわかる。
 けれど現実にあったこと。
 今でも僕はたまにこの夢を見る。

「照。あなたは、私と一緒に来るわよね?」

 母が、僕に声を掛ける。

「お父さんと一緒にいても、あなたは苦労するだけよ。幸せになんかなれないわ。
 そんな思い、照には絶対にさせたくない。
 何しろあの人は×××××で、私と付き合う前から×××××をしていたんだから。
 私を愛していたというのも、どうせウソなの」

 僕が聞きたくない言葉は、まるでノイズが走るようにかき消される。
 昔は嫌でも聞こえていたはずなのに、いつの間にかそれは起きるようになった。
 でも何を言われたかはまだ、忘れていない。忘れることができない。

「ぼくは、父さんと一緒にいるよ」

 僕が言う。
 今、本当に助けを求めている人は、父さんのほうなんだ――、
 けれどその言葉を言いきる前に、母は大声で怒鳴った。

「なんで……!なんであなたまでそんな事を言うの?!
 最初に裏切っていたのはあっちなのよ!
 いくら結婚する前には別れてたからって、×××××と付き合っていたことも隠して、素知らぬ顔で私を好きだと言って!
 頭がおかしいのよ!あなたのことだってヘンな目で見ているかもしれないのよ!」

 僕の横には父さんが立っていて、何かを言おうとする。
 でも、やっぱり何も言わない。その顔はもう、諦めを悟ったような表情で。

「行こう、照」

 僕は父さんが伸ばした手をぎゅっと握り、母に背を向けて二人でどこかへ行く。
 後ろから、耐え難いほどの罵声が飛んでくる。

「ああ、やっぱりそう!あなたの息子だから、その血が流れてるのね!
 この×××××親子!二度と私の前に現れないで!気持ち悪くて仕方ないわ!」

 父さんは一度だけ僕を見て、無理をしたように笑った。

「照。父さんは間違ってるかもしれないが、一つだけ聞いてくれ。
 誰かを好きになるのに、愛するのに……理由が分かる人もいるし、分からない人もいる。
 理由を求める人がいる。理由を求めない人がいる。
 照がどちらなのかは、父さんにはまだ分からないけれど。
 照も、誰かを、自分を、愛せる子でいてほしい」

 僕も父さんも、母の方を振り返ることはなかった。



―――――――――――――――――――――――――――――



「――ん、」

 携帯電話にセットした目覚ましアラームの音で目が覚める。
 今日は燃えるゴミの日だから、朝の新聞を取る時に出しに行くのを忘れないようにしないと。
 簡単に朝食の用意をして、スイッチを入れておいた炊飯器からご飯をよそい、冷ますために早めにお弁当に入れておく。
 次におかずの下準備をしておいてから、朝の新聞を取りに行く。
 ポストにはダイアル式の鍵が掛かっているけれど、僕がポストに用があるのは朝の新聞を取る時ぐらいなので、鍵の開け方は教えてもらっていない。

 さてゴミ出しも終わって一息、という所で、まだ寝室から出てこない父さんを呼びに行く。

「また、かな」

 目覚ましは父さんも掛けているはずだけど、ごくたまに起きてこない時がある。
 一度だけこっそり扉を開けて中を覗いたら、その時は便箋を片手に手紙のようなものを読んでいた。
 でも僕がそっと扉を閉め直してノックをすると、すぐに慌ただしい音とともにどこかへ隠してしまっていた。
 だからきっと今日もそうだと思って、扉をノックしてから声を掛ける。

「父さん、朝ご飯できたよ」
「……ああ。ありがとう、照。すぐ行くから、先に食べててくれ」

 僕は父さんの言うとおりに、先にダイニングに戻って用意をする。
 そういう日に父が部屋で何をしているのか、聞いた事はなかった。
 きっと聞かれたくない事だって、そう思っていたから。

「いただきます」
「いただきます」

 それ以外は今日も、大体いつもの朝のルーチンワークだ。
 二人で朝食を食べつつ父さんのお弁当の用意をしていると、父さんが話し始める。

「照ももうすぐ中学三年生か。あっという間だったな」
「うん」

 昼も夜もなく働いている父さんとまともに話すのは、こうやって朝食を食べる時くらい。それも週に何回かあればいいほうだ。
 もしかしたら仕事に没頭することで、忘れていたいことがあるのかもしれない。
 けれどやっぱり、僕にそれを聞き出す勇気はなかった。

「それで、まだ早いかもしれないが、進路はどうするんだ?
 ここからだと、○○高校が一番良いとは思うんだが……」

 ○○高校は有名な進学校で、求められる学力水準も高い。
 ただ前に先生と話した結果だと、今のまま成績を維持できれば難なく行けるだろう、と太鼓判は押してもらっている。
 家からの距離もそれなりに近いし、父さんに余計な負担を強いることも少ないはずだ。
 だけどもし入れたとしても、それで僕は、ボクはいいのだろうか。

「そう、だね。でも、まだ時間はあるから。もうちょっとだけ考えてみるよ」




 あの修学旅行の日から、僕と一真の関係はどこかぎくしゃくしていた。
 不自然に目を逸らしたりはしなくなったけれど、それも悟られてはいないかといつも不安になる。
 それに意識しているのは最初から僕だけで、一真は普通に振る舞っているのかもしれない。
 ただ僕の方からは一真に声をかけづらくなった、という事しか分からない。

「それじゃ皆、またあした」
「照先輩、さよならー」
「さいならッス、せんぱーい」

 ”ボランティア部”の活動は終わった。
 けど中学二年生最後のテニス部の大会が近い一真は、もう少し遅くまで練習をする予定だ。
 そういう日は決まって僕一人だけで帰ることにしている。
 でも、そうでなくても最近は一真と一緒に帰っていない日が、ずっと続いていた。



 そんな一人の帰り道、人気のない通りで咲先輩が僕に声を掛けてきた。

「やあやあ照くん、お疲れ様。どう、調子は」

 だいたい何でも着こなすであろう先輩は、大人っぽくて品格のあるシックな黒のピーコートがやはり似合っている。長い黒髪もさらさらのままだし、透き通った色白の肌も映える。
 相変わらず遠目でも分かるぐらいにどこを見ても綺麗なままだし、今では僕が目指す○○高校に通うつもりらしいのがわかりやすい。
 あの高校に制服指定はないけど、通学鞄は推奨されている物があって、殆どの人はそれを使っているからだ。
 しかし合格が決まったとはいえ、まだ入学もしていないのにその高校の鞄をもう使っている、というのは変な話だ。
 それも常識外れではあるが、先輩らしいと言えば先輩らしかった。

「あ、咲先輩。第一希望校の合格、改めておめでとうございます」
「……君はいつまで経っても咲ちゃんと呼んでくれないねえ。まあいいや。
 にしても浮かない顔に見えるけど、どうかしたかな?」
「そう、ですね。また色々、悩んでることがありまして」
「ふーん……それって進路?それとも恋のこと?」 
「え、えっと。 ……どっちも、です」

 咲先輩に見つめられると、どうにも隠し事がしにくくなる。
 実際、重要な事は隠しつつも悩みを話せるぐらいの関係ではあったし、いいアドバイスをくれるかもしれない、という期待は十分にあった。

「てコトは……ああ。好きな子と同じ学校に行けないかもしれないってハナシ?」
「!」

 そうして的確に、まるで知っていたかのように先輩は僕の悩みを言い当ててくる。

「んー、でも自宅の距離はそんなに離れてないって言ってたよね?
 じゃあそこまで悲観しなくても大丈夫じゃないかしら」
「それは、そうだと思います。でも、このままだとそれでもうまくいかなさそうで――」
「……ふうん。込めた力がちょっと弱すぎたのかしら。
 まだまだ、殻を割れないヒヨコさんのようね」
「え?」

 時折、咲先輩の言動が僕にはよく分からなくなる。
 それにも深い意味があるのかもしれないけど、少なくとも今の僕にはうまく理解できない。

「とにかく、貴方の考えは早計だと思うわ。まだまだ匂いは色濃く残っている。
 落ち着いて、一度ちゃんと話をしてみたほうがいいでしょうね」
「……はい」

 先輩にそう言われて、ようやく僕には決心がつき始めた。
 さらに咲先輩は、鳥肌が立ちそうな程に艶っぽい表情をしたかと思うと、僕の頬にそっと手を添える。

「もし、強引にでも全てを攫いたいというなら――ワタシが手伝ってあげてもいいケド?」

 一度感じた覚えのある、妖しげな雰囲気。
 人ではない何かに、手が触れるような――触れられるような。
 なぜかは分からないけど、今はそれにもほんの少し、親しみを覚えた気がした。

「……いえ、大丈夫です。僕のことは、僕自身がなんとかします」
「あら。さすがに私が目を付けただけのコトはあるわ。
 スマートフォンの番号は覚えてるわよね?また悩みがあったらすぐに教えて、力になるから。
 じゃーね、未来の後輩くん」

 そして咲先輩は軽く手を振って、暗い夜道に消えていく。
 こんな時間にどこへ行くのだろうとも思ったけれど、先輩ならどんな場所にいても違和感はなさそうだった。


 

 中学三年生になって一か月が経った、五月のはじめ。

「ほなまた明日な、皆の衆」
「さっ、早く帰ってカラオケ行こうよー、修三くーん。もちろん二人っきりでー♪
 その前に一緒に油揚げも食べに行こー、いい店知ってるんだぁ、うっふふー♪」
「おう、今日こそ棚の端から端までオトナ買――ん?なんかシャッターの音せんかったか?」
「えー?気のせいじゃないかなー。カメラ持ってる人なんていないよー」
「んまあええか、それよりはよ行かんとな!時はゼニなりや!」

 修三くんと陽子さんが、とても仲良さげに腕を組んで、教室から出ていく。
 あの修学旅行の一件で何があったかは、誰も詳細を知らないのか、それとも語らないだけなのか。とにかく真相は闇の中になった。
 ただ、あの日から二人の関係ががらりと変わったのだけは確かだ。
 それは僕と一真とは対照的で、ついまた意識してしまう。

「……ふたりとも、勉強は?」

 三萩さんの声が廊下から聞こえる。どうやら三人で話しているらしい。

「まあまあ、そりゃ考えとらんわけやないよ。でも、ヤることヤッてからやないとな。
 悶々としたまんまで勉強しても、身は入らんやろ?」
「そーだよー。三萩も早くしないと、他の誰かにあの人とられちゃうよー?」
「それは………………困る。行って、くる」
「応援してるで、三萩さん!」
「今日こそ勇気出して魚住(うおずみ)くんに告白だよー、ふぁいとー!おー!」
「……お、おおごえ、出しちゃだめっ……」

 先生がやんわりと高校入試の話題を出したホームルームの後だけど、彼らにはあまり響いていないらしい。
 僕はというと教室に残り、所用でボランティア部の書類を書いている。
 十五分は掛かっただろうか。
 そして提出しに行こうと席を立ってなんとなく周りを見ると、まだ教室には一真がいた。

「……あれ、一真。部活はどうしたの?」

 自分の机に座ったままの一真に、僕は近づく。
 そういえば、部活でずっと使っていたスポーツバッグを今日は持っていない。

「実は、前から決めてたことがあって。そろそろ伝えようと思ってたんだ」
「え……?」

 いつもとは少し違うその声は真剣だと、僕にもわかった。

「この前の大会、惜しい所までは行ったけど、負けた。
 あれで優勝できてたら、スポーツ推薦のきっかけぐらいにはなったかもしれないが――俺にはそこまでのセンスはないらしい。
 まあ、飽きずに続けられてただけでも御の字かもな」
「……」
「だから、これからは勉強に専念しようと思ったんだ。
 平均点スレスレがいつもの場所だったから、今さら頑張っても遅いかもしれないけど」
「テニス部……辞めちゃうの?」

 僕自身は、一真がどの部活にいても、たとえ辞めても、想いを変えるつもりはない。
 でも一真が自分でそう決めたことは、ほんの少しだけ寂しかった。

「ああ。まだ将来の夢が決まったわけじゃないけど、目標はできた」
「目標……って?」

 一真は立ち上がって、僕の目を真っ直ぐ見る。

「照と同じ成績を、そして同じ高校を目指そうって、決めたんだ」

 その真剣な眼差しに、僕は動くことができなかった。

「だから、一応塾にも通うつもりなんだけど、その。
 もしよかったら、俺に勉強を教えてくれないか。余裕がある時だけでいい」

 その言葉がまだ現実のものだと信じられず、少しだけ、僕はぼーっとしていた。

「――あ、」

 そうして気が付いたら気が付いたで、鼻の奥がつんとなって、涙がこぼれてしまう。
 嬉しかった。
 一真はまだ僕を見てくれていたんだって。
 泣くのを抑えようとしても、こみ上げてくる喜びは止められなかった。

「て、照?大丈夫……か?」
「……ん、だい、じょうぶ。 でもごめん、ちょっとだけ、待ってて」

 ポケットのハンカチで滴をふき取ってから、僕はもう一度一真を見た。

「絶対、一緒に行こうね」
「ああ。約束だ」

 その日、僕と一真は久しぶりに一緒に帰った。





 そうして、僕たち二人は受験に向けて勉強を頑張っていた。
 一真は元々努力家だったし、今まで勉強をさぼっていたというわけでもないので、本腰を入れて取り掛かれば成績が伸びるのもすぐだった。
 三か月もすれば先生も驚くぐらいに点数を伸ばしていたし、今では僕と近い成績を取ることもある。

「すごいよ、一真!理科なんて、僕より良い点数!」
「ありがとう。照が効率のいい勉強法を教えてくれたおかげだな。
 先生も面談で、この調子で行けば○○高校が十分に目指せるぞって言ってくれた」
「そっかぁ……。やっぱり、一真はすごいや」
「いや、部活をしてないぶん、時間が余ってるだけだ。
 俺は家の事だって照みたいにはしてないしな」

 それでも、そう簡単に好成績は取れるものじゃない。
 努力を積み重ねられるのは、それだけでもすごい。
 その上で結果を残せるのは、本当にすごいことだ。
 僕たち二人は嬉しくなって、学校が半日で終わる今日は、久しぶりに息抜きをしようということになった。



「そういえば、二人でゲームをするのも久しぶりだね」
「ああ。最近はあんまりソフトも買ってなかったしな」

 街に出てどこかに出かけてもよかったけど、夏の日差しは思ったより強烈で、いつも長袖を着る僕には辛い。
 結局、僕の家でのんびりすることにした。
 一真は勉強を見てくれた礼だと言いながら、僕の好きな桃や蜜柑にお煎餅、それにカルピスまで買ってくれて、荷物まで自分から持ってくれた。

「僕の好きな物、覚えててくれたんだ」
「だいぶ前だけど、照に晩ご飯を作ってもらった時、好きなおかずにしてもらったからな。
 お返しのつもりだ」

 制服の上着を脱いでリビングに座り、二人で寛ぎながらゲームを始める。
 僕としては一真と一緒に居られれば、どこだって大差ない。
 こうやってまた、二人でいることが出来て嬉しい。
 僕は、このまま、これでいい。



 ――君は、こうしているだけでいいの?



 僕の心に、何かがささやく。
 その言葉を無視することができず、僕は心の中だけで答える。
 そうだ。僕はこれでいい。
 せっかく元に戻れそうなんだ、もう二度と、一真との関係を崩したくなんかない。

 ――君はそうやって、ウソばっかり。
 本当は、修三くんと陽子さんや、三萩さんと魚住くんみたいになりたいくせに。
 ”あの人”に言われた言葉を、今でも引きずったままでしょ。
 だけどね、目を逸らすなんてこと、君にはできないんだ。分かってるよね?
 
 目を逸らしてる……わけじゃない。
 ただ、一真に迷惑を掛けたくないだけだ。
 僕なんかが、この気持ちを正直に伝えて何になるっていうんだ。

 ――君は、傷つくのを恐れているだけだよ。それはごまかしだ、本当はそうじゃない。
 だから伝えようともしない。最初から諦めて、現状を変える努力もしない。
 誰かに言われるまま、流されてきただけじゃないか。
 ”なりたい”なんて欲望だけは立派に持っているくせに。

 ……。

 ――君を責めたいわけじゃないんだ。
 君はあの時、父さんを選んだ。その気持ちはウソじゃなかった。
 それは『ボク』にだってわかってる。
 だけど、もうイヤなんだよ、こうやって『ボク』が押さえつけられるのも。
 好きな人に、想いを伝えられないのも。

 ……。

 ――それとも。
 君が惹かれた相手って、そういう人だったの?

 ……違う!一真は、”あの人”なんかとは違う!

 じゃあ、自分の気持ちを隠す必要はないよね?

 ……きっと、一真なら。僕の事を受け入れてくれる、かもしれない。
 だけど、もし万が一、”あの人”と同じように言われたら。拒絶されてしまったら。
 僕は父さんのように耐えられる自信がない。
 いや父さんだって、深く傷ついていた。僕の前では隠していただけだ。
 きっと、そうだ。

 ――どうやらまだ君は、傷つくことを心から恐れてるみたいだね。
 自分を認めることも出来なくて、苦しんでいる。
 でもそんな『僕』を、『ボク』は、認めないよ。
 『ボク』は、今よりずっと、一真の大切な人になりたいんだ。

 ……分かったら、早く出て行ってよ。
 僕だって、一真の大切な人になりたいに決まってる!
 だから、何も言わずに、口を閉じていようとしてるのに……!
 元はと言えば、ぜんぶ『ボク』のせいじゃないか!
 『ボク』さえいなければ、こんな、こんな……っ!!

 ――ああ。出て行ってあげるよ、”君の意識”に、ね。



 その瞬間、僕の思考がノイズにかき消されるように、途切れた。
18/10/21 20:18更新 / しおやき
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■作者メッセージ
次回の投稿で、エピローグまで一気に掲載する予定です。

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