wanna be <なりたい>
親友へ抱く想いが恋慕だと気付いたのは、一体いつだったのだろう。
「あれ? きみ、一真(かずま)くんだよね。友達から聞いたことあるよ」
最初に照(てる)と話したのは、小学三年生の頃だ。
そんなにクラスの多くない学校だが、新学期になっての入れ替えで、初めて同じクラスの、隣の席になった。
そうしてすぐ、あっちの方から話しかけてきた。
「……えっと」
ふわっとして茶色っぽい黒髪に、中性的で整った顔つき。大きくてつぶらな瞳。
さらに人懐っこい声と仕草は、親戚の家でよく遊んだシープドッグという犬種を思い出させた。
しかしさすがに犬と例えたら怒るだろうなと思い、俺は口をつぐむ。
この頃はたしか、身長も俺と同じくらいだった。
どんなに暑い日でも、長袖の服を着ていたのも覚えている。
「あっ、いきなりごめん。僕の事なんて知ってるわけないよね。
でもテニスのスクールに通ってて、すごく上手って友達が言ってたから」
「誰が?」
「今は二組の、陽子(ようこ)さんだよ。女の子で、同じスクールに通ってるって」
そういえば、そんな女子もいた、気がする。
あまり女子と合同で練習することはないのではっきりとは覚えていないけれど。
「それで、お前の名前は……」
「あ、またごめん。僕は上据 照(かみずえ てる)。隣同士だし、これからよろしくね」
「ああ」
その頃から俺は人付き合いというのが苦手だった。
なのでぶっきらぼうな返事しか出来ず、自分から照に話しかけることもまずなかった。
「一真くん、おはよう」
友人の少ない俺はよく照と話した。いや、向こうから話しかけてくれた。
けど俺は気の利いた返事も話題も出せず、単調な相槌を打つぐらいしかできない。
なのに照は愛想を尽かすこともなく、何度も俺に声を掛けてくれるのだ。
だから、ある日脈絡もなく、ぽつりと聞いた。
「どうして、お前はいつも俺に話しかけてくるんだ」
「えっ?」
「お前なら、他にも友達がいっぱいいるだろ。わざわざ俺に構うことない」
「うーん……僕、こんなだから、どっちかっていうと女の子の方が友達多くて。
男子の友だちは、あんまり」
「……だからって、俺じゃなくてもいいじゃないか。
もっと気の合うヤツも、仲良くしてくれるヤツもいるだろ」
確かに、男子と話しているところはあまり見たことがなかった。
とはいえ誰にでも人当りは良さそうだし、特に仲が悪いわけでもないはずなので、ますます分からない。
すると、照は恥ずかしそうに笑って言った。
「一真くんには、憧れてたから」
「……俺に?」
「実はね、友達に聞く前から君のことは知ってたんだ。
毎日のように朝早くからジョギングしてるの知ってるよ。朝ごはんを作って食べるときによく見るから。
他にも、僕にはあまりよく分からないけど、色んな練習をしてるのも知ってる。
実際にテニスをする以外のトレーニングも欠かさずにきっちりしてる、って」
それを聞いて俺は驚いた。
テニススクールでも、自分のやっている練習やトレーニングについてあまり話したことはない。
もともとプロを目指すような本格的な教室ではないし、楽しくスポーツをするのが目的の場所なのだとは、子供の俺でも分かっていた。
「僕ね、生まれつき細くて、力もない。鈍くさいから運動神経もそんなによくない。
でも身体を動かすのは好きなんだ。
だから身体を鍛えよう、って思ってたんだけど、上手くいかなくて、ぜんぜん続かない。
なのに一真君は、毎日毎日練習を続けてられるし、すごく強そうだから――すごいって、思ってた」
正直なところ、そんなの誰かに言われたまま、惰性で続けていたようなものだった。
強制されたわけではないけど、途中でやめると先生に何か言われてしまう。
母さんのことを余計に心配させてしまう。
実際テニスは上手くなったし、母も含めてそれを褒めてくれる人もいた。
だから頑張っている間はきっと嫌われることはないと、そう思ってただ続けていただけなんだ。
「……そんなの、すごい事じゃない。単に、やる理由より止める理由が少なかっただけだ。
俺より上手いヤツも、強いヤツも、他にいっぱいいる」
「もしそうだとしても、すごいんだよ、一真は。
僕にはできなかったことだから、なおさら憧れるんだ」
その顔と声は、ただのお世辞には思えなかった。
自分から言い出さなかった事とはいえ、そんな風に言ってくれたのは、俺を見てくれていたのは、きっと照が初めてだった。
誰かが褒めてくれるにしたって、「才能がある」とか「もっと上を目指せる」とかそんな言葉ばかりで。
今の俺自身の努力をちゃんと見て、憧れてくれた最初の人は、他でもない照だった。
それからは、不器用ながらも俺から照に話しかけることが多くなった。
いくら子供にしたってぎこちないやり方だったと思うけれど、照はそれを喜んでくれた。
体育なんかで二人組を作るときは必ず真っ先に声を掛ける。
幸運なことに、席の位置は変わってもクラスが変わることはなく、小学校にいる間はずっと同じクラスだった。
俺と照はそれなりに家の場所も近く、登下校の道も途中まで同じである。
なので、互いの家に行ったりする関係になるのも、時間は掛からなかった。
土曜日の午後二時、という約束をして、照の家に遊びに行く。
あまりお菓子やジュースは自分の家には置いていないのだが、友達の家に行くというと母さんはすぐに買い物に行って、色々と持たせてくれた。
照の家はそれなりに大きいマンションの一室で、緊張した面持ちでチャイムを鳴らすと、照が玄関を開け、出迎えてくれる。
半袖の服を着ている照を見るのは初めてで、なぜか印象に残っていた。
「お、お邪魔、します」
「いらっしゃい、一真くん。ささ、上がって上がって」
広いのに、綺麗に片付けられた玄関とリビング。
パッと見ても掃除が行き届いているのは分かる。物が少ないせいもあってか、余計にそれは目立っていた。
「……すごいな。俺の家は犬がいるから、こんなに綺麗じゃない」
「うちだって、いつもはこうじゃないよ。
一真くんが来るっていうからちょっと、張り切っちゃっただけで」
そういうと照は、コップを持ってくるから、と俺にリビングで待っているよう言った。
そしてお盆の上にお皿と二つのコップを載せて戻ってきた照に、俺は質問する。
「リビング、使っていいのか?照の親は?」
「大丈夫だよ。お父さん、今日もお仕事だから」
そうぽつりと言った照の表情は、いつもの人懐っこい微笑みなのに、どこか寂しそうで。
それは、学校では見せたことのない顔だった。
「ああ、そうか。親父さん、いるよな、そりゃ」
「……え?」
「俺の家、早くに親父が亡くなってさ。
保険がどうのこうので、お金のことは大丈夫らしいけど……。
口うるさい時もあったけど、親がちゃんと二人いるってのは、ちょっと羨ましいかな、って」
しかし俺がそういうと、照はますます表情を曇らせて項垂れる。
「……一真くんのとこも、そうなんだね」
その言葉で、幼い俺でもある程度の事情を察した。
しまった、と思いながら、すぐに話題を変えようと辺りを見回す。
「あっ、これってサンテンドースイッチか!
すごい人気だから、予約してもまだ買えないってウワサなのに」
無理やりにでも明るい声を作りながら、俺はリビングの大画面テレビのそばにあるゲーム機に近づいた。
「う、うん。前のがあるからいいって僕は言ったんだけど、お父さんが突然、プレゼントだよ、って買ってきてくれて」
「そっか。俺も、次のテストでいい点取ったら買ってくれるって話なんだが……正直もう待ちきれなくて。なんか、二人でできるソフトってあるか?」
「僕もあんまり触ってないから、よく分からないけど……それじゃ、一緒にやろっか」
ゲームをしながら話をしていると、意外にも照と俺の趣味は似ていたようだ。
一世代前のゲーム機は二人とも一緒の物を持っていたし、やったことのあるソフトにも共通点が多い。
話題作りにも事欠かなかったし、互いに本やゲームの貸し借りも出来た。
中学になるまでの三年間、照と居られて楽しかった。
それはきっと、とても幸運な巡り合わせだった。
――じゃあ、俺はこの頃、照の事をどう思っていたのだろう?
――――――――――――――――――――――――
『僕たち』は、中学生になった。
二人とも家から近めの公立中学校に通うことになって、安心と嬉しさが半々。
この頃にはもう、照、一真、とお互いを呼び捨てで言い合うようになっていた。
入学式が終わり、普通の授業が始まって数日後の、部活見学の始まる日のこと。
「一真は、やっぱりテニス部に入るの?」
「……実は、ちょっと悩んでるんだ。他のスポーツもやってみたいし、でも今まではテニスを続けてきたわけだし。
今から他の事をしてついて行けるのか、って」
元々短めの髪だったけど、スポーツ刈りにしたばかりの一真はいつもより格好よく見える。
僕とは違って中学の男子学生服も似合っているし、カッターシャツの上からでもがっしりとした体つきが分かるのが羨ましかった。
ろくに筋肉もない自分の細い身体を少しでも隠したいのに、服装指定だとそれができない。
半袖の夏服を着なければいけないのが今からでも憂鬱だった。
「一真なら大丈夫だよ。ちゃんと基礎トレーニングもやってたんだから」
「ああ、ありがとう。 それで、照のほうは?」
話の流れで聞いたのだろうけど、ちょっと答えにくい。
実を言うと文化系か体育系かも決めかねていた。
でも、この中学では特別な理由がない限りは部活に入るのを強制される。
父子家庭なので自分が家事を手伝う必要がある、と言えば免除されるのかもしれないけど――それはあまりしたくなかった。
「正直、一真より悩んでるよ。色々見て回ってみないと分かんない」
「そうか……じゃ、別々に見学したほうがよさそうだな」
そして放課後になって、僕らは別々で部活見学をすることにした。
野球、サッカー、卓球、テニス、水泳。
いろんな部活はあるけれど、今の僕がピッタリ合う所は見つからない。
特に団体競技やダブルスは自分が足を引っ張ってしまったらと思うと、つい足がすくんでしまう。かといって一人だけで行うスポーツの部活もそうそうない。
でも水泳は苦手だし、色々と気が進まない。
陸上部があればよかったのに、この中学にはないのが痛かった。
「……どうしようかなぁ」
一通り体育系の部活動を覗いたあと、僕は休憩がてら中庭のベンチに一人で座っていた。
次は文化系の部活を見ていくので、配られたパンフレットにもう一度目を通す。
他の子はわりとすんなり決めているのか、僕以外に人はいない。
ボールを打つ音が遠くから聞こえてくる。
今頃、一真はもう決心していて、練習に参加したりしているのかな。
「あら、そこの新入生さん、どうしたの?」
物思いにふけっていると、突然横から声を掛けられる。女の子の声だ。
「えっ? あ、ああ。ちょっと部活で悩んでまして」
僕が新入生なのは、鞄の色や襟元の学年章を見れば分かるだろう。
それに今日は部活見学の開始日なのだから、一人でぽつんと座っている僕が声を掛けられるのも無理はなかった。
「……あら。これはこれは、ちょっとアテが外れちゃったけれど……興味深いわね」
「?」
その言葉がよく分からない僕は、ようやく声のする方へ振り向く。
そこには、見たことのないぐらいに麗しい女性が立っていた。
「……え、と」
一目見ただけで思わず声がうまく出せなくなる程、僕はどぎまぎする。
顔がとても整っていて、垂れ目の優しそうな瞳と、小さい鼻に薄いピンクの唇。
腰まで伸びた黒髪はさらさらだし、綺麗な白い肌に、制服の上からでも分かるぐらいにスリムでスタイルもいいのに、胸も大きい。
――しかしそんな事は二の次に思えるほど、よく分からないけど、強烈な魅力を感じてしまうのだ。
「ああ、突然ごめんなさい。無理やりに勧誘しようとかじゃないから、安心して。
私は伊藤 咲(いとう さき)、二年生よ。気軽に咲ちゃんと呼んでくれていいわ」
「は、はい」
物腰や言葉遣いは砕けていて、でも丁寧に。学年章を見ても確かに二年生のようだ。
しかしどこを見ても制服以外では中学生になんて見えなかった。
「それで、随分迷っているみたいね。
さっきは文化系の部活のページを見ていたようだけど」
「ええ、今から見に行こうと思ってて」
「あら。じゃあせっかくだし、私のいる部活を覗いてみるのはどうかしら。
ここで会ったのも何かの縁かもしれないわ」
「咲ちゃ……咲先輩は、どちらの部にいるんですか?」
「家庭科部よ」
家庭科部。パンフレットにも載っていたが、ここでは調理部、手芸部、園芸部などがひっくるめて一つの部としてあるらしい。
実を言うと、興味はとてもあった。
ただ女の子ばかりなイメージが強くて、一人ではとても入れそうにないとも思っていたところでもある。
「その、家庭科部ってやっぱり、女性が多いんですか?」
「そうねえ。他の学校と比べれば部員はとても多いのだけれど――やっぱり男の子は運動部を選びたがるから。
年に二、三人も入ればいい方かしら」
「そう、ですよね。男の子が入るのは、ヘンですよね」
同じ小学校から友達だった女の子は何人もいるけど、大きくなるにつれてなんだか話し辛くなってしまって、殆どは交流がなくなっていった。
男と女、その差を少しずつ知っていくようになるからだろう。
「でも、貴方にはピッタリだと思うわ」
「え?ど、どうしてです?」
「うーん、何て言えばいいのかな。
家庭科部だし、ほら。家庭的っていうか、そんな雰囲気がするのよね」
「家事は色々やってきたので、大体は慣れてますけど……それって、男らしくはないっていうか、おかしいっていうか――」
そう言おうとした瞬間、突然伸びてきた先輩の人差し指が、僕の唇に触れた。
「あらあら、やっぱり迷っているのね。――随分と」
その仕草にドキッとしてしまった僕は、驚きで何も言えなくなる。
「迷い事をどちらかに決めるのも、自分を認めるというのも、とても勇気がいること」
突然、咲先輩の長い髪が白く煌めいて、瞳が妖しく赤色に輝いた、気がした。
人間だったはずの咲先輩が、さらに人間とは思えない美貌と姿に変わった、ような。
「安心なさい。ワタシがアナタを、導いてあげるワ」
それはあまりにも一瞬のことだったし、普通ならあり得ないことなので、僕の見間違いだったのかもしれない。
それは強烈に心に残っていて、でもおかしいと思う気持ちが何故か消えていく。
「……ま、それはさておいて。どうかしら、ウチの部。
決して無理強いはしないけれど、きっとあなたも気に入ってくれるはずよ。
もし他の子には知られたくないというなら、こっそり入ることもできるわ。
私が以前に提案したのだけれど、”貴方みたいな”子のために、ダミーの部活と入部届まで用意してあるの。
さあ、百聞は一見にしかず。とにかく見学に行ってみましょう?」
いつの間にか、僕は咲先輩の誘いを断る気はなくなっていた。
「他の部も見て回ったけど、結局テニスを続けることにしたよ。
なんだかんだ、一人でやるスポーツの方が性に合ってるのかもな、俺は」
「決まってよかったね。僕、応援してるから」
「ああ、ありがとう」
翌日になり、僕たちは同じ机で入部届を書きながら話していた。
「それで……へえ、照はボランティア部にしたのか」
「う、うん。基本は自由参加で、色々運動もするみたいだから、丁度いいかなって」
「そうだな、照ならピッタリだと思う。
でもそんな部、パンフレットには載ってなかったような気がするが……」
「えっと、どこに入るか悩んでたら、咲っていう先輩がこっそり教えてくれたんだ。
誰かに強いられて入るものじゃないから、公には募集してなかったみたい」
「なるほど……ん? さき……って、もしかしてこの人か?」
「あ」
パンフレットの最後の方には、『生徒会副会長:伊藤 咲』と書いてあった。
中学校での生活も、あまり小学生の頃とは変わりなかった。
もともと勉強は嫌いじゃなかったし、頑張った分だけ成績は上がっていった。
運や調子がいい時には、僕でも学年でトップの点数を取れたこともある。
少し心配だった例の”ボランティア部”でも、他の皆は優しくしてくれるし、実際に運動する機会も増えた。
料理のレパートリーも増えて、ニガテだった裁縫も出来るようになった。
体力も一真にはまだ遠く及ばないけど、それなりには付いている。
「はい、じゃあ今から、みんなお待ちかねの修学旅行の話をするぞ!」
先生がそう言うと、騒ぎ出す教室をなだめるのにまた時間が掛かる。
僕らは二年生になり、修学旅行へ行くことになった。
行先は年度ごとに変わるけど、今年は京都に行くらしい。
班決めは男女半々を守ればだいたい自由にしていいと言われたので、僕と一真は真っ先に同じ班になり、それから男子が一人と、女子が二人加わり、五人のメンバーになった。
「おおっ、一真!オマエもやるやんけ、あの陽子(みき)ちゃんと三萩(さくら)さんを誘い入れるなんて!
どんなテクで口説き落としたんや?」
その男子は一真と同じテニス部の友人で、どうも女子二人に惹かれて入ってきたらしい。名前は修三(しゅうぞう)くんだ。
少し変な関西弁が特徴で、関西に住んでいて引っ越してきたとかではなく、ずっと故郷の関西弁が抜けきらない両親の口調が移っただけ、らしい。
綺麗な女性に目がないところはあるけど、基本的には優しい人だ。
特に一真に頼めないときは、よく荷物を運ぶのを進んで手伝ってくれる。
「一応言っておくが、あの女子二人は照と同じ部で仲が良いから入ってきたんだ。俺は関係ないぞ」
「何ゆーとんねん、オマエ意外と女子から人気あるんやで? あ、上据とはまた違った意味でな。
それを自覚してないとこがまたウケのいい理由なんかもしれんけど。
はー、モテる男は羨ましいですなあ」
「やかましい」
修三くんの言うことは正しく、班に入ってきた女子二人は僕と同じ”ボランティア部”の子たちだ。
でも二人ともがすごく可愛らしい子で、それでいて優しいから、男子からは密かに人気がある。
ただ、三萩さんは好きな人がもういるそうだ。
陽子さんはどうなのかはっきりしない。昔、一真と同じテニススクールに居たことはあるけど、今はさほどテニスにも一真にも興味ないと言っていた。
「そーだよね、カズマくんとーってもイイ感じなのに。勿体ないよねー。
わたしも、もーっと早く気付いてればなー」
陽子さんが独特かつ特徴的な声の調子でそう言って、一真を見る。
肩までぐらいに伸びたミディアムの綺麗な栗色の髪で、校則違反と思われがちだけど地毛だ。許可も取っているらしい。
本人が言うには『はんぶんこ……あー、はーふ、かなー?』で、一真と同じくらい背が高くて、スタイルも運動神経もいい。
歌うのも好きらしいけど、陽子さんが歌うとどんな歌も独特のリズムになってしまうのが、なんというか彼女らしい。
「でも……絶対……気付いてないよ。自分でも、分かってない……はず」
三萩さんは、胸元まであるさらさらの黒いロングヘアで、口数が少なくてあまり喋らない人だ。じとっとした目つきのまま、無表情なことが多い。
小柄な体格で、寡黙なところも合わせるとまるでお人形さんのようにも見える。
ただ本所属は水泳部で、その見た目と髪型からは考えられないほどしなやかに泳ぐ。”ボランティア部”はあくまで兼部だ。
さらに、気に入った相手には喋る代わりなのか、よく無言でスキンシップをする。でも女性と、なぜか僕と、ある一人の男子以外にそれをしている所はまだ見たことがない。つまり意中の相手はバレバレである。
「いやー、でもそーいうのもイイっていうか。見ててじれったすぎるけどねー」
「……鈍感」
女の子二人は何の話をしているのかよく分からない。
けれど気心の知れた相手ばかりなので、ともかく楽しそうな旅にはなりそうだった。
「ううう、俺の事も見てよぉ、お二人さん……」
「私は……だめ」
「えー? どうしよっかな〜、もっと積極的に誘われたらー、揺らいじゃうかもー?」
「おおっ!これは陽子ちゃん、脈アリだと思うか、一真?!」
「知らん」
でも――少しだけ、気にしていたこともある。
そして僕たちは今夜泊まる旅館に着いて、部屋に案内された。
小さいけど京都らしい和風の雰囲気がたっぷりの、豪華な旅館だ。
僕たち学生が泊まるだけで部屋がいっぱいになるらしく、他のお客さんはいないらしい。
防犯や騒ぎの面からみてもそちらのほうが良いと判断されたのだろう。
「四人部屋を三人、か。まあ広くなって丁度いいな」
「せやな、遊ぶんなら他の広い方の部屋に行けばええし」
男子と女子は部屋が別々で、端数の僕たちは三人で一部屋を使うことになった。
夕食は終わったので、僕たちの入浴する時間になるまで三人で話をしていた。
「……ところで一真、上据。ひとつ重大な事を教えてやる」
「な、なんだ……?そんな真剣な顔で」
誰も盗み聞きなんてしないと思うけど、なぜかひそひそと修三くんは話す。
「この旅館、大きな露天風呂が一つ。入浴は時間割できっちり決められとる。
そして陽子ちゃんの時間は、偶然にも俺らと一緒になっとるんや。
さすがに混浴ではなかったけど下見をした所、丁度いいポイントを見つけられた。
これは――神が授けたチャンスやと思わんか!?」
「思わん」
「あの、もしかして……それって、」
修三くんはみなまで言うな、と言いたげな目線を僕に向ける。
「大丈夫や!三萩さんには何も言わずにいつものじとーっとした目を向けられたけど、陽子ちゃんは『やってもいいけどー、カクゴしなきゃダメだよぉー?』ってゆうてた!
ノーとは言われんかった、これはもう据え膳や!
俺はこの機会を逃すワケにはッッ……!」
「はあ。照、もう先に二人だけで行こう。共犯にはされたくない」
「あ……う、うん」
「そうや。これは俺の問題やからな。罪を背負うのは俺だけでええ……」
「……全然格好ついてないぞ」
僕は呆れ顔で準備をした一真に続いて、二人だけで温泉に行った。
実は、それが一番心配していたことだったのに。
脱衣所には僕と一真以外、誰もいる気配がない。
とはいってもスペースは広くて棚で区切りもあるし、他の誰かからなら、もし見られてもそんなに気にはならない。
けど、一真には別だ。
「意外と空いてるな。三グループずつらしいけど、今いるのは俺たちだけか」
「そ、そうだね」
一真から見えない位置で服を脱ぎたかったけど、そんな不自然なことはできない。
だってそんなの、一真の事を意識してるって言うのと同じじゃないか。
僕はそんなつもりじゃない――はずだ。
なのに、一真がシャツを脱ごうとして、上半身が露わになっていくだけで、なぜかドキドキする。
学校で体育の前に着替える時も、つい目で追ってしまっていたぐらいだ。
「にしても修三の奴、本当に行ったのかな」
まだ子供ながらも、ちゃんと筋肉の付いた逞しい身体。腹筋も割れているのが分かる。肩や腕は特に凹凸があって、余計な脂肪は少ない。
いつの間にか僕より背が高くなってて、僕の細いだけの体とは全然違う、男らしい身体つき。
一真はベルトを外してズボンを降ろし、トランクス一枚だけになる。足も腕と同じくらいに鍛えられていて、太腿もふくらはぎも、僕より一回り大きい。
「あれさえなければ、結構いい奴なんだが……」
そして。
僕の存在や視線など気にしていないかのように、一真はその下着もさっと脱いでしまった。
「騒ぎにはなってないところをみると、心変わりしたか、まだバレてはない、か」
長い間一緒にいたけれど、一真のそれを見るのは初めてだった。
そこは、やっぱり僕のより逞しくて、大きくて、ちゃんと毛が生えていて――、
「……ん?どうしたんだ、照」
裸のまま、こっちを見る一真にそう言われて、僕の服を脱ぐ手がずっと止まっていたのにハッと気付いた。
「あ――ご、ごめん、トイレ行くから、先に入っててっ」
肌着のシャツと下着だけのままで、僕は慌てて一真に背中を向け、お手洗いのある方へ走り出す。
一真がどんな表情をしていたかは見えなかった。見る余裕がなかった。
「はあっ、はあっ……」
カラカラ、と温泉への入口扉が開く音が聞こえたので、一真は先に行ってくれたらしい。
目に焼き付いてしまった、一真の裸体。
どくん、どくんと高鳴る胸の音が止まらない。
少しでも落ち着こうと思って、僕は洋式の便座に腰掛ける。
でも、その時に気付いてしまった。
「あ……な、なん、で……?」
小さいながらも、下着越しに分かるくらいに勃起した、僕の股間。
この膨らみを、一真には気付かれてしまっただろうか。それも分からない。
「こ、このまま、じゃ……おんせん、入れない……」
けれど、自分のそれを触りたくない。認めたくない。
『ボク』は股間を触る代わりに、硬くなってしまった自分の乳首をさわさわと刺激していた。
「ん……っ、ふっ……♥」
なぜかは分からないけど、ここを触るとよく変な気分になってしまう。
切ないような、もどかしい感覚に身体が包まれる。
それにいつもよりも気持ちがよくて、勝手に指が動いてしまう。
「あ、ああ……っ、こんなっ、だめ、なのにっ……♥」
もしこんな事をしている所を誰かに、一真に見られたらどうしよう――。
そうは思っても、手が止められない。心のどこかで、見せたいとさえ思ってしまう。
さらに両方の手で、ボクはシャツ越しに自分の乳首をくりくりと弄っていた。
「んっ、やっ、ああぁっ……!♥」
電気を流されたような快感が、乳首から上半身、そして下半身へと行き渡っていく。
中学に入ってから、なぜか胸が膨らんでいっている気がした。身体がより細くなって、柔らかくなっていく気がした。誰かにバレてしまわないか不安だった。
乳首を自分で触り始めたのもそれからだ。
でも――なぜか、今日はこれだけでは収まりそうにない。
乳首をきゅっと摘まんでいた片方の手がいつの間にか、触りたくなかったはずの股間に伸びていた。
「だめ、なの、にぃっ……♥」
保健の授業でも、つい見てしまったインターネットの記事でも、”それ”について書かれていたのを見たことはある。
でも”それ”は自分とは違う話だと、気にしなかった。気にしたくなかった。
何ひとつ整理がつかないままの僕の、ボクの気持ち。
けれど、それだけはまるで誰かに教えてもらったみたいに手が動いた。
「こんな、ところ……さわっちゃ……ぁ、ひゃうっ♥」
気が付くと下着を足首まで降ろしていて、ボクは毛の生えたことのないつるんとしたおちんちんを握っていた。
握るたび、擦るたびにぴりぴりとした快感が走って、自分が男であるのを思い知らされる。
けれど、おちんちんを擦る手も、乳首を弄る手も止められない。
汗が噴き出て、カラダがどんどん熱くなっていく。
口を閉じようとしているのに声が漏れる。
「か……ず、まぁっ……♥」
名前を呼びながら、彼の逞しい手でおちんちんを擦られるのを想像する。
乳首をこりこりと弄られて、舌で転がされるのを想像する。
こんなボクの、恥ずかしい所を見られているって、勝手にイメージする。
そうすると頭の中が溶けそうなほど気持ちよくなって、驚くほど早く絶頂へ近づいていった。
「で、るっ……出ちゃうっ……!あ、あ、あぁぁッ!!♥♥」
トイレットペーパーで抑える余裕もなく、ボクのおちんちんからたくさんの白い液体が飛び散って、前の床や壁を汚す。
天井の見えなかった気持ち良さは、ようやく収まってきた。
「はあ……はあっ……。
どうして……ぼく、こんなっ……う、ああぁっ……」
けれど。
熱に浮かされていた意識が平静を取戻し始めると、途端にまた隠していた気持ちが湧いてくる。
「ぼく、は……男の子にも……やっぱり、女の子、にも……なれなくて……。
こんなの……やだ、やだよっ……おとうさん……かずまぁっ……!」
飛び散った自分の精液や、射精して小さくなったおちんちんが、『僕』が男だという事実を突き付けてくる。
でも、心はそうあろうとしてくれない。気が付いた時から、ちぐはくなまま。
どうして、こんな歪(いびつ)な想いを持ってしまったんだろう。
僕は、ボクは、結局”どっち”になりたいのか、分からない。
こんな思いをするぐらいなら。
人間にさえ、なりたくなかった。
もう何も考えたくなくて、声を殺して泣きながら目を瞑る。
「おーい、照。もしかしてまだトイレにいるのか?」
一真の声が届くまで、僕はずっと放心していたらしかった。
「ご、ごめ……ん。おなか、壊しちゃった、みたい。
先に……帰って、て」
「あ、ああ……本当に具合が悪いなら、すぐに言えよ」
離れていく足音がかすかに聞こえる。
僕は跡が残らないよう念入りに片付けをして、シャワーだけ浴びて部屋へ帰る。
もう僕は、一真の顔を真っ直ぐに見れなくなっていた。
「あれ? きみ、一真(かずま)くんだよね。友達から聞いたことあるよ」
最初に照(てる)と話したのは、小学三年生の頃だ。
そんなにクラスの多くない学校だが、新学期になっての入れ替えで、初めて同じクラスの、隣の席になった。
そうしてすぐ、あっちの方から話しかけてきた。
「……えっと」
ふわっとして茶色っぽい黒髪に、中性的で整った顔つき。大きくてつぶらな瞳。
さらに人懐っこい声と仕草は、親戚の家でよく遊んだシープドッグという犬種を思い出させた。
しかしさすがに犬と例えたら怒るだろうなと思い、俺は口をつぐむ。
この頃はたしか、身長も俺と同じくらいだった。
どんなに暑い日でも、長袖の服を着ていたのも覚えている。
「あっ、いきなりごめん。僕の事なんて知ってるわけないよね。
でもテニスのスクールに通ってて、すごく上手って友達が言ってたから」
「誰が?」
「今は二組の、陽子(ようこ)さんだよ。女の子で、同じスクールに通ってるって」
そういえば、そんな女子もいた、気がする。
あまり女子と合同で練習することはないのではっきりとは覚えていないけれど。
「それで、お前の名前は……」
「あ、またごめん。僕は上据 照(かみずえ てる)。隣同士だし、これからよろしくね」
「ああ」
その頃から俺は人付き合いというのが苦手だった。
なのでぶっきらぼうな返事しか出来ず、自分から照に話しかけることもまずなかった。
「一真くん、おはよう」
友人の少ない俺はよく照と話した。いや、向こうから話しかけてくれた。
けど俺は気の利いた返事も話題も出せず、単調な相槌を打つぐらいしかできない。
なのに照は愛想を尽かすこともなく、何度も俺に声を掛けてくれるのだ。
だから、ある日脈絡もなく、ぽつりと聞いた。
「どうして、お前はいつも俺に話しかけてくるんだ」
「えっ?」
「お前なら、他にも友達がいっぱいいるだろ。わざわざ俺に構うことない」
「うーん……僕、こんなだから、どっちかっていうと女の子の方が友達多くて。
男子の友だちは、あんまり」
「……だからって、俺じゃなくてもいいじゃないか。
もっと気の合うヤツも、仲良くしてくれるヤツもいるだろ」
確かに、男子と話しているところはあまり見たことがなかった。
とはいえ誰にでも人当りは良さそうだし、特に仲が悪いわけでもないはずなので、ますます分からない。
すると、照は恥ずかしそうに笑って言った。
「一真くんには、憧れてたから」
「……俺に?」
「実はね、友達に聞く前から君のことは知ってたんだ。
毎日のように朝早くからジョギングしてるの知ってるよ。朝ごはんを作って食べるときによく見るから。
他にも、僕にはあまりよく分からないけど、色んな練習をしてるのも知ってる。
実際にテニスをする以外のトレーニングも欠かさずにきっちりしてる、って」
それを聞いて俺は驚いた。
テニススクールでも、自分のやっている練習やトレーニングについてあまり話したことはない。
もともとプロを目指すような本格的な教室ではないし、楽しくスポーツをするのが目的の場所なのだとは、子供の俺でも分かっていた。
「僕ね、生まれつき細くて、力もない。鈍くさいから運動神経もそんなによくない。
でも身体を動かすのは好きなんだ。
だから身体を鍛えよう、って思ってたんだけど、上手くいかなくて、ぜんぜん続かない。
なのに一真君は、毎日毎日練習を続けてられるし、すごく強そうだから――すごいって、思ってた」
正直なところ、そんなの誰かに言われたまま、惰性で続けていたようなものだった。
強制されたわけではないけど、途中でやめると先生に何か言われてしまう。
母さんのことを余計に心配させてしまう。
実際テニスは上手くなったし、母も含めてそれを褒めてくれる人もいた。
だから頑張っている間はきっと嫌われることはないと、そう思ってただ続けていただけなんだ。
「……そんなの、すごい事じゃない。単に、やる理由より止める理由が少なかっただけだ。
俺より上手いヤツも、強いヤツも、他にいっぱいいる」
「もしそうだとしても、すごいんだよ、一真は。
僕にはできなかったことだから、なおさら憧れるんだ」
その顔と声は、ただのお世辞には思えなかった。
自分から言い出さなかった事とはいえ、そんな風に言ってくれたのは、俺を見てくれていたのは、きっと照が初めてだった。
誰かが褒めてくれるにしたって、「才能がある」とか「もっと上を目指せる」とかそんな言葉ばかりで。
今の俺自身の努力をちゃんと見て、憧れてくれた最初の人は、他でもない照だった。
それからは、不器用ながらも俺から照に話しかけることが多くなった。
いくら子供にしたってぎこちないやり方だったと思うけれど、照はそれを喜んでくれた。
体育なんかで二人組を作るときは必ず真っ先に声を掛ける。
幸運なことに、席の位置は変わってもクラスが変わることはなく、小学校にいる間はずっと同じクラスだった。
俺と照はそれなりに家の場所も近く、登下校の道も途中まで同じである。
なので、互いの家に行ったりする関係になるのも、時間は掛からなかった。
土曜日の午後二時、という約束をして、照の家に遊びに行く。
あまりお菓子やジュースは自分の家には置いていないのだが、友達の家に行くというと母さんはすぐに買い物に行って、色々と持たせてくれた。
照の家はそれなりに大きいマンションの一室で、緊張した面持ちでチャイムを鳴らすと、照が玄関を開け、出迎えてくれる。
半袖の服を着ている照を見るのは初めてで、なぜか印象に残っていた。
「お、お邪魔、します」
「いらっしゃい、一真くん。ささ、上がって上がって」
広いのに、綺麗に片付けられた玄関とリビング。
パッと見ても掃除が行き届いているのは分かる。物が少ないせいもあってか、余計にそれは目立っていた。
「……すごいな。俺の家は犬がいるから、こんなに綺麗じゃない」
「うちだって、いつもはこうじゃないよ。
一真くんが来るっていうからちょっと、張り切っちゃっただけで」
そういうと照は、コップを持ってくるから、と俺にリビングで待っているよう言った。
そしてお盆の上にお皿と二つのコップを載せて戻ってきた照に、俺は質問する。
「リビング、使っていいのか?照の親は?」
「大丈夫だよ。お父さん、今日もお仕事だから」
そうぽつりと言った照の表情は、いつもの人懐っこい微笑みなのに、どこか寂しそうで。
それは、学校では見せたことのない顔だった。
「ああ、そうか。親父さん、いるよな、そりゃ」
「……え?」
「俺の家、早くに親父が亡くなってさ。
保険がどうのこうので、お金のことは大丈夫らしいけど……。
口うるさい時もあったけど、親がちゃんと二人いるってのは、ちょっと羨ましいかな、って」
しかし俺がそういうと、照はますます表情を曇らせて項垂れる。
「……一真くんのとこも、そうなんだね」
その言葉で、幼い俺でもある程度の事情を察した。
しまった、と思いながら、すぐに話題を変えようと辺りを見回す。
「あっ、これってサンテンドースイッチか!
すごい人気だから、予約してもまだ買えないってウワサなのに」
無理やりにでも明るい声を作りながら、俺はリビングの大画面テレビのそばにあるゲーム機に近づいた。
「う、うん。前のがあるからいいって僕は言ったんだけど、お父さんが突然、プレゼントだよ、って買ってきてくれて」
「そっか。俺も、次のテストでいい点取ったら買ってくれるって話なんだが……正直もう待ちきれなくて。なんか、二人でできるソフトってあるか?」
「僕もあんまり触ってないから、よく分からないけど……それじゃ、一緒にやろっか」
ゲームをしながら話をしていると、意外にも照と俺の趣味は似ていたようだ。
一世代前のゲーム機は二人とも一緒の物を持っていたし、やったことのあるソフトにも共通点が多い。
話題作りにも事欠かなかったし、互いに本やゲームの貸し借りも出来た。
中学になるまでの三年間、照と居られて楽しかった。
それはきっと、とても幸運な巡り合わせだった。
――じゃあ、俺はこの頃、照の事をどう思っていたのだろう?
――――――――――――――――――――――――
『僕たち』は、中学生になった。
二人とも家から近めの公立中学校に通うことになって、安心と嬉しさが半々。
この頃にはもう、照、一真、とお互いを呼び捨てで言い合うようになっていた。
入学式が終わり、普通の授業が始まって数日後の、部活見学の始まる日のこと。
「一真は、やっぱりテニス部に入るの?」
「……実は、ちょっと悩んでるんだ。他のスポーツもやってみたいし、でも今まではテニスを続けてきたわけだし。
今から他の事をしてついて行けるのか、って」
元々短めの髪だったけど、スポーツ刈りにしたばかりの一真はいつもより格好よく見える。
僕とは違って中学の男子学生服も似合っているし、カッターシャツの上からでもがっしりとした体つきが分かるのが羨ましかった。
ろくに筋肉もない自分の細い身体を少しでも隠したいのに、服装指定だとそれができない。
半袖の夏服を着なければいけないのが今からでも憂鬱だった。
「一真なら大丈夫だよ。ちゃんと基礎トレーニングもやってたんだから」
「ああ、ありがとう。 それで、照のほうは?」
話の流れで聞いたのだろうけど、ちょっと答えにくい。
実を言うと文化系か体育系かも決めかねていた。
でも、この中学では特別な理由がない限りは部活に入るのを強制される。
父子家庭なので自分が家事を手伝う必要がある、と言えば免除されるのかもしれないけど――それはあまりしたくなかった。
「正直、一真より悩んでるよ。色々見て回ってみないと分かんない」
「そうか……じゃ、別々に見学したほうがよさそうだな」
そして放課後になって、僕らは別々で部活見学をすることにした。
野球、サッカー、卓球、テニス、水泳。
いろんな部活はあるけれど、今の僕がピッタリ合う所は見つからない。
特に団体競技やダブルスは自分が足を引っ張ってしまったらと思うと、つい足がすくんでしまう。かといって一人だけで行うスポーツの部活もそうそうない。
でも水泳は苦手だし、色々と気が進まない。
陸上部があればよかったのに、この中学にはないのが痛かった。
「……どうしようかなぁ」
一通り体育系の部活動を覗いたあと、僕は休憩がてら中庭のベンチに一人で座っていた。
次は文化系の部活を見ていくので、配られたパンフレットにもう一度目を通す。
他の子はわりとすんなり決めているのか、僕以外に人はいない。
ボールを打つ音が遠くから聞こえてくる。
今頃、一真はもう決心していて、練習に参加したりしているのかな。
「あら、そこの新入生さん、どうしたの?」
物思いにふけっていると、突然横から声を掛けられる。女の子の声だ。
「えっ? あ、ああ。ちょっと部活で悩んでまして」
僕が新入生なのは、鞄の色や襟元の学年章を見れば分かるだろう。
それに今日は部活見学の開始日なのだから、一人でぽつんと座っている僕が声を掛けられるのも無理はなかった。
「……あら。これはこれは、ちょっとアテが外れちゃったけれど……興味深いわね」
「?」
その言葉がよく分からない僕は、ようやく声のする方へ振り向く。
そこには、見たことのないぐらいに麗しい女性が立っていた。
「……え、と」
一目見ただけで思わず声がうまく出せなくなる程、僕はどぎまぎする。
顔がとても整っていて、垂れ目の優しそうな瞳と、小さい鼻に薄いピンクの唇。
腰まで伸びた黒髪はさらさらだし、綺麗な白い肌に、制服の上からでも分かるぐらいにスリムでスタイルもいいのに、胸も大きい。
――しかしそんな事は二の次に思えるほど、よく分からないけど、強烈な魅力を感じてしまうのだ。
「ああ、突然ごめんなさい。無理やりに勧誘しようとかじゃないから、安心して。
私は伊藤 咲(いとう さき)、二年生よ。気軽に咲ちゃんと呼んでくれていいわ」
「は、はい」
物腰や言葉遣いは砕けていて、でも丁寧に。学年章を見ても確かに二年生のようだ。
しかしどこを見ても制服以外では中学生になんて見えなかった。
「それで、随分迷っているみたいね。
さっきは文化系の部活のページを見ていたようだけど」
「ええ、今から見に行こうと思ってて」
「あら。じゃあせっかくだし、私のいる部活を覗いてみるのはどうかしら。
ここで会ったのも何かの縁かもしれないわ」
「咲ちゃ……咲先輩は、どちらの部にいるんですか?」
「家庭科部よ」
家庭科部。パンフレットにも載っていたが、ここでは調理部、手芸部、園芸部などがひっくるめて一つの部としてあるらしい。
実を言うと、興味はとてもあった。
ただ女の子ばかりなイメージが強くて、一人ではとても入れそうにないとも思っていたところでもある。
「その、家庭科部ってやっぱり、女性が多いんですか?」
「そうねえ。他の学校と比べれば部員はとても多いのだけれど――やっぱり男の子は運動部を選びたがるから。
年に二、三人も入ればいい方かしら」
「そう、ですよね。男の子が入るのは、ヘンですよね」
同じ小学校から友達だった女の子は何人もいるけど、大きくなるにつれてなんだか話し辛くなってしまって、殆どは交流がなくなっていった。
男と女、その差を少しずつ知っていくようになるからだろう。
「でも、貴方にはピッタリだと思うわ」
「え?ど、どうしてです?」
「うーん、何て言えばいいのかな。
家庭科部だし、ほら。家庭的っていうか、そんな雰囲気がするのよね」
「家事は色々やってきたので、大体は慣れてますけど……それって、男らしくはないっていうか、おかしいっていうか――」
そう言おうとした瞬間、突然伸びてきた先輩の人差し指が、僕の唇に触れた。
「あらあら、やっぱり迷っているのね。――随分と」
その仕草にドキッとしてしまった僕は、驚きで何も言えなくなる。
「迷い事をどちらかに決めるのも、自分を認めるというのも、とても勇気がいること」
突然、咲先輩の長い髪が白く煌めいて、瞳が妖しく赤色に輝いた、気がした。
人間だったはずの咲先輩が、さらに人間とは思えない美貌と姿に変わった、ような。
「安心なさい。ワタシがアナタを、導いてあげるワ」
それはあまりにも一瞬のことだったし、普通ならあり得ないことなので、僕の見間違いだったのかもしれない。
それは強烈に心に残っていて、でもおかしいと思う気持ちが何故か消えていく。
「……ま、それはさておいて。どうかしら、ウチの部。
決して無理強いはしないけれど、きっとあなたも気に入ってくれるはずよ。
もし他の子には知られたくないというなら、こっそり入ることもできるわ。
私が以前に提案したのだけれど、”貴方みたいな”子のために、ダミーの部活と入部届まで用意してあるの。
さあ、百聞は一見にしかず。とにかく見学に行ってみましょう?」
いつの間にか、僕は咲先輩の誘いを断る気はなくなっていた。
「他の部も見て回ったけど、結局テニスを続けることにしたよ。
なんだかんだ、一人でやるスポーツの方が性に合ってるのかもな、俺は」
「決まってよかったね。僕、応援してるから」
「ああ、ありがとう」
翌日になり、僕たちは同じ机で入部届を書きながら話していた。
「それで……へえ、照はボランティア部にしたのか」
「う、うん。基本は自由参加で、色々運動もするみたいだから、丁度いいかなって」
「そうだな、照ならピッタリだと思う。
でもそんな部、パンフレットには載ってなかったような気がするが……」
「えっと、どこに入るか悩んでたら、咲っていう先輩がこっそり教えてくれたんだ。
誰かに強いられて入るものじゃないから、公には募集してなかったみたい」
「なるほど……ん? さき……って、もしかしてこの人か?」
「あ」
パンフレットの最後の方には、『生徒会副会長:伊藤 咲』と書いてあった。
中学校での生活も、あまり小学生の頃とは変わりなかった。
もともと勉強は嫌いじゃなかったし、頑張った分だけ成績は上がっていった。
運や調子がいい時には、僕でも学年でトップの点数を取れたこともある。
少し心配だった例の”ボランティア部”でも、他の皆は優しくしてくれるし、実際に運動する機会も増えた。
料理のレパートリーも増えて、ニガテだった裁縫も出来るようになった。
体力も一真にはまだ遠く及ばないけど、それなりには付いている。
「はい、じゃあ今から、みんなお待ちかねの修学旅行の話をするぞ!」
先生がそう言うと、騒ぎ出す教室をなだめるのにまた時間が掛かる。
僕らは二年生になり、修学旅行へ行くことになった。
行先は年度ごとに変わるけど、今年は京都に行くらしい。
班決めは男女半々を守ればだいたい自由にしていいと言われたので、僕と一真は真っ先に同じ班になり、それから男子が一人と、女子が二人加わり、五人のメンバーになった。
「おおっ、一真!オマエもやるやんけ、あの陽子(みき)ちゃんと三萩(さくら)さんを誘い入れるなんて!
どんなテクで口説き落としたんや?」
その男子は一真と同じテニス部の友人で、どうも女子二人に惹かれて入ってきたらしい。名前は修三(しゅうぞう)くんだ。
少し変な関西弁が特徴で、関西に住んでいて引っ越してきたとかではなく、ずっと故郷の関西弁が抜けきらない両親の口調が移っただけ、らしい。
綺麗な女性に目がないところはあるけど、基本的には優しい人だ。
特に一真に頼めないときは、よく荷物を運ぶのを進んで手伝ってくれる。
「一応言っておくが、あの女子二人は照と同じ部で仲が良いから入ってきたんだ。俺は関係ないぞ」
「何ゆーとんねん、オマエ意外と女子から人気あるんやで? あ、上据とはまた違った意味でな。
それを自覚してないとこがまたウケのいい理由なんかもしれんけど。
はー、モテる男は羨ましいですなあ」
「やかましい」
修三くんの言うことは正しく、班に入ってきた女子二人は僕と同じ”ボランティア部”の子たちだ。
でも二人ともがすごく可愛らしい子で、それでいて優しいから、男子からは密かに人気がある。
ただ、三萩さんは好きな人がもういるそうだ。
陽子さんはどうなのかはっきりしない。昔、一真と同じテニススクールに居たことはあるけど、今はさほどテニスにも一真にも興味ないと言っていた。
「そーだよね、カズマくんとーってもイイ感じなのに。勿体ないよねー。
わたしも、もーっと早く気付いてればなー」
陽子さんが独特かつ特徴的な声の調子でそう言って、一真を見る。
肩までぐらいに伸びたミディアムの綺麗な栗色の髪で、校則違反と思われがちだけど地毛だ。許可も取っているらしい。
本人が言うには『はんぶんこ……あー、はーふ、かなー?』で、一真と同じくらい背が高くて、スタイルも運動神経もいい。
歌うのも好きらしいけど、陽子さんが歌うとどんな歌も独特のリズムになってしまうのが、なんというか彼女らしい。
「でも……絶対……気付いてないよ。自分でも、分かってない……はず」
三萩さんは、胸元まであるさらさらの黒いロングヘアで、口数が少なくてあまり喋らない人だ。じとっとした目つきのまま、無表情なことが多い。
小柄な体格で、寡黙なところも合わせるとまるでお人形さんのようにも見える。
ただ本所属は水泳部で、その見た目と髪型からは考えられないほどしなやかに泳ぐ。”ボランティア部”はあくまで兼部だ。
さらに、気に入った相手には喋る代わりなのか、よく無言でスキンシップをする。でも女性と、なぜか僕と、ある一人の男子以外にそれをしている所はまだ見たことがない。つまり意中の相手はバレバレである。
「いやー、でもそーいうのもイイっていうか。見ててじれったすぎるけどねー」
「……鈍感」
女の子二人は何の話をしているのかよく分からない。
けれど気心の知れた相手ばかりなので、ともかく楽しそうな旅にはなりそうだった。
「ううう、俺の事も見てよぉ、お二人さん……」
「私は……だめ」
「えー? どうしよっかな〜、もっと積極的に誘われたらー、揺らいじゃうかもー?」
「おおっ!これは陽子ちゃん、脈アリだと思うか、一真?!」
「知らん」
でも――少しだけ、気にしていたこともある。
そして僕たちは今夜泊まる旅館に着いて、部屋に案内された。
小さいけど京都らしい和風の雰囲気がたっぷりの、豪華な旅館だ。
僕たち学生が泊まるだけで部屋がいっぱいになるらしく、他のお客さんはいないらしい。
防犯や騒ぎの面からみてもそちらのほうが良いと判断されたのだろう。
「四人部屋を三人、か。まあ広くなって丁度いいな」
「せやな、遊ぶんなら他の広い方の部屋に行けばええし」
男子と女子は部屋が別々で、端数の僕たちは三人で一部屋を使うことになった。
夕食は終わったので、僕たちの入浴する時間になるまで三人で話をしていた。
「……ところで一真、上据。ひとつ重大な事を教えてやる」
「な、なんだ……?そんな真剣な顔で」
誰も盗み聞きなんてしないと思うけど、なぜかひそひそと修三くんは話す。
「この旅館、大きな露天風呂が一つ。入浴は時間割できっちり決められとる。
そして陽子ちゃんの時間は、偶然にも俺らと一緒になっとるんや。
さすがに混浴ではなかったけど下見をした所、丁度いいポイントを見つけられた。
これは――神が授けたチャンスやと思わんか!?」
「思わん」
「あの、もしかして……それって、」
修三くんはみなまで言うな、と言いたげな目線を僕に向ける。
「大丈夫や!三萩さんには何も言わずにいつものじとーっとした目を向けられたけど、陽子ちゃんは『やってもいいけどー、カクゴしなきゃダメだよぉー?』ってゆうてた!
ノーとは言われんかった、これはもう据え膳や!
俺はこの機会を逃すワケにはッッ……!」
「はあ。照、もう先に二人だけで行こう。共犯にはされたくない」
「あ……う、うん」
「そうや。これは俺の問題やからな。罪を背負うのは俺だけでええ……」
「……全然格好ついてないぞ」
僕は呆れ顔で準備をした一真に続いて、二人だけで温泉に行った。
実は、それが一番心配していたことだったのに。
脱衣所には僕と一真以外、誰もいる気配がない。
とはいってもスペースは広くて棚で区切りもあるし、他の誰かからなら、もし見られてもそんなに気にはならない。
けど、一真には別だ。
「意外と空いてるな。三グループずつらしいけど、今いるのは俺たちだけか」
「そ、そうだね」
一真から見えない位置で服を脱ぎたかったけど、そんな不自然なことはできない。
だってそんなの、一真の事を意識してるって言うのと同じじゃないか。
僕はそんなつもりじゃない――はずだ。
なのに、一真がシャツを脱ごうとして、上半身が露わになっていくだけで、なぜかドキドキする。
学校で体育の前に着替える時も、つい目で追ってしまっていたぐらいだ。
「にしても修三の奴、本当に行ったのかな」
まだ子供ながらも、ちゃんと筋肉の付いた逞しい身体。腹筋も割れているのが分かる。肩や腕は特に凹凸があって、余計な脂肪は少ない。
いつの間にか僕より背が高くなってて、僕の細いだけの体とは全然違う、男らしい身体つき。
一真はベルトを外してズボンを降ろし、トランクス一枚だけになる。足も腕と同じくらいに鍛えられていて、太腿もふくらはぎも、僕より一回り大きい。
「あれさえなければ、結構いい奴なんだが……」
そして。
僕の存在や視線など気にしていないかのように、一真はその下着もさっと脱いでしまった。
「騒ぎにはなってないところをみると、心変わりしたか、まだバレてはない、か」
長い間一緒にいたけれど、一真のそれを見るのは初めてだった。
そこは、やっぱり僕のより逞しくて、大きくて、ちゃんと毛が生えていて――、
「……ん?どうしたんだ、照」
裸のまま、こっちを見る一真にそう言われて、僕の服を脱ぐ手がずっと止まっていたのにハッと気付いた。
「あ――ご、ごめん、トイレ行くから、先に入っててっ」
肌着のシャツと下着だけのままで、僕は慌てて一真に背中を向け、お手洗いのある方へ走り出す。
一真がどんな表情をしていたかは見えなかった。見る余裕がなかった。
「はあっ、はあっ……」
カラカラ、と温泉への入口扉が開く音が聞こえたので、一真は先に行ってくれたらしい。
目に焼き付いてしまった、一真の裸体。
どくん、どくんと高鳴る胸の音が止まらない。
少しでも落ち着こうと思って、僕は洋式の便座に腰掛ける。
でも、その時に気付いてしまった。
「あ……な、なん、で……?」
小さいながらも、下着越しに分かるくらいに勃起した、僕の股間。
この膨らみを、一真には気付かれてしまっただろうか。それも分からない。
「こ、このまま、じゃ……おんせん、入れない……」
けれど、自分のそれを触りたくない。認めたくない。
『ボク』は股間を触る代わりに、硬くなってしまった自分の乳首をさわさわと刺激していた。
「ん……っ、ふっ……♥」
なぜかは分からないけど、ここを触るとよく変な気分になってしまう。
切ないような、もどかしい感覚に身体が包まれる。
それにいつもよりも気持ちがよくて、勝手に指が動いてしまう。
「あ、ああ……っ、こんなっ、だめ、なのにっ……♥」
もしこんな事をしている所を誰かに、一真に見られたらどうしよう――。
そうは思っても、手が止められない。心のどこかで、見せたいとさえ思ってしまう。
さらに両方の手で、ボクはシャツ越しに自分の乳首をくりくりと弄っていた。
「んっ、やっ、ああぁっ……!♥」
電気を流されたような快感が、乳首から上半身、そして下半身へと行き渡っていく。
中学に入ってから、なぜか胸が膨らんでいっている気がした。身体がより細くなって、柔らかくなっていく気がした。誰かにバレてしまわないか不安だった。
乳首を自分で触り始めたのもそれからだ。
でも――なぜか、今日はこれだけでは収まりそうにない。
乳首をきゅっと摘まんでいた片方の手がいつの間にか、触りたくなかったはずの股間に伸びていた。
「だめ、なの、にぃっ……♥」
保健の授業でも、つい見てしまったインターネットの記事でも、”それ”について書かれていたのを見たことはある。
でも”それ”は自分とは違う話だと、気にしなかった。気にしたくなかった。
何ひとつ整理がつかないままの僕の、ボクの気持ち。
けれど、それだけはまるで誰かに教えてもらったみたいに手が動いた。
「こんな、ところ……さわっちゃ……ぁ、ひゃうっ♥」
気が付くと下着を足首まで降ろしていて、ボクは毛の生えたことのないつるんとしたおちんちんを握っていた。
握るたび、擦るたびにぴりぴりとした快感が走って、自分が男であるのを思い知らされる。
けれど、おちんちんを擦る手も、乳首を弄る手も止められない。
汗が噴き出て、カラダがどんどん熱くなっていく。
口を閉じようとしているのに声が漏れる。
「か……ず、まぁっ……♥」
名前を呼びながら、彼の逞しい手でおちんちんを擦られるのを想像する。
乳首をこりこりと弄られて、舌で転がされるのを想像する。
こんなボクの、恥ずかしい所を見られているって、勝手にイメージする。
そうすると頭の中が溶けそうなほど気持ちよくなって、驚くほど早く絶頂へ近づいていった。
「で、るっ……出ちゃうっ……!あ、あ、あぁぁッ!!♥♥」
トイレットペーパーで抑える余裕もなく、ボクのおちんちんからたくさんの白い液体が飛び散って、前の床や壁を汚す。
天井の見えなかった気持ち良さは、ようやく収まってきた。
「はあ……はあっ……。
どうして……ぼく、こんなっ……う、ああぁっ……」
けれど。
熱に浮かされていた意識が平静を取戻し始めると、途端にまた隠していた気持ちが湧いてくる。
「ぼく、は……男の子にも……やっぱり、女の子、にも……なれなくて……。
こんなの……やだ、やだよっ……おとうさん……かずまぁっ……!」
飛び散った自分の精液や、射精して小さくなったおちんちんが、『僕』が男だという事実を突き付けてくる。
でも、心はそうあろうとしてくれない。気が付いた時から、ちぐはくなまま。
どうして、こんな歪(いびつ)な想いを持ってしまったんだろう。
僕は、ボクは、結局”どっち”になりたいのか、分からない。
こんな思いをするぐらいなら。
人間にさえ、なりたくなかった。
もう何も考えたくなくて、声を殺して泣きながら目を瞑る。
「おーい、照。もしかしてまだトイレにいるのか?」
一真の声が届くまで、僕はずっと放心していたらしかった。
「ご、ごめ……ん。おなか、壊しちゃった、みたい。
先に……帰って、て」
「あ、ああ……本当に具合が悪いなら、すぐに言えよ」
離れていく足音がかすかに聞こえる。
僕は跡が残らないよう念入りに片付けをして、シャワーだけ浴びて部屋へ帰る。
もう僕は、一真の顔を真っ直ぐに見れなくなっていた。
18/10/17 19:26更新 / しおやき
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