ゲームセンターに住む魔物
「お、おい……あの子、一体いつからあの台に座ってるんだ?」
「俺が見てただけでも二十……いや三十戦以上はしてるはずだが……」
「バカ、"49WINS"の文字が見えねえのかよ! 次で五十戦目だ!」
人気格闘ゲームの筐体群が並ぶ、場末のゲームセンターの一角。
そこに座っている、癖の付いた長い黒髪を垂らし、目深に黒いフードを被った少女。
電光石火の早さでレバーを操り、かつ正確にボタンを捌く。
コマンドミスがないのは当然で、必殺技が化ける(*想定と違う技が出ること)もない。
だが彼女の一番の武器は――
「見たか今の?! またフレーム単位で差し合いを制しやがった!」
「よ、読み読みだろ? フツーあんな動きしねえぞ……」
「ていうか必殺技すら使ってないよね……?」
「超必殺技はたまに使ってるの見るな。ほとんどトドメの魅せプレイ用っぽいが」
1フレーム(*1/60秒、約0.0167秒を指す)を見切ると噂されるほどの反応速度――。
通常、人間の反応速度は約0.2秒、つまり見てから動くのに12フレーム以上掛かる。
才能あるプロでさえ約0.18秒、そして人間の反応限界が約0.15秒だと言われている。
そしてこれはあくまでも単純計算で、実戦ではさらに状況判断に掛かる時間を考慮しなければならない。
1フレームが見えるというのはさすがに誇張だが、その少女の壮絶さは想像に難くないだろう。
「基本コンボ(*相手に反撃させない連続攻撃)も繋がるはずなのにやってねえ……」
「いやこれコンボゲーだから!そういうゲームじゃねえからこれ!」
「コンボすらできずに負けた奴が何ほざいてんだ!」
「うるせえ!コンボ始動技ぜんぶ潰されて泣いてる子もいるんですよ!!」
いつしか(勝手に)付いたあだ名が『魔眼の黒少女』。あからさまな厨二である。
いかに諦め悪い人間が集う格闘ゲーマー(*作者の偏見)でも、五十連勝を間近に控えた彼女を相手に立ち向かう勇気を持った者は一握りだろう。
「(僕の小銭は……できて2クレジット(二回)か。心許ないが、やってみるしかない)」
このゲームセンターのローカルルールとして、連コイン(負けた相手が連続で再戦すること)は他の挑戦者がいても原則一回だけできる。
最初の1ゲームと、再戦の為のコインはあるということだ。
少年は今日に至るまで、長い間ギャラリーとして黒少女のプレイを見ていたが、ほとんど付け入る隙を見つけられなかった。
それぐらいの天下無双なのだ。
「人外がぁ!近づいてぇ!人外がぁ!画面端ィ!ガーキャン(*ガードを途中キャンセルして攻撃する技)読んでぇまだ入るぅ!」
「つ、通常技だけで完封された……もうダメだぁ、おしまいだぁ……」
しかし。
その黒少女の、筐体を挟んだ反対側の台に一人の少年が歩み寄る。
少年は席に着き、黒少女と筐体を挟んで対峙した。
「んん?なんかいま座ったあいつも見覚えあるな……?」
「ああ、一ヶ月前くらいの大会で優勝してた奴だろ。使うの強キャラばっかの」
「あんな可愛いショタがこんな濃い格ゲー(*格闘ゲーム)やってるとかそれだけで神」
「ホモはおいといて、意外といい勝負したりしてな」
「あの子供も上手いんだが、『黒少女』ほどじゃあないだろうなぁ……」
追記すると、黒少女側の筐体には一切ギャラリーがいない。全員が少年側か別モニターの前にいる。これはずっと前からだ。
ゲーセンという男臭い場所に現れた稀有な女性、それも少女ということと、何人も寄せ付けないような彼女のオーラとが混ざり合い、誰も彼女の背中側には立つ勇気がなかった。
そして黒少女が座っているのはいつも壁を背にした店の隅っこなので、後ろ側で見物しようとするとどうしても彼女に存在がバレるのである。
それでもベガ立ち(*腕を組んだ仁王立ち)で彼女をじろじろと見物していた客もいたらしいが――その後にパーフェクト勝ちを決められてゲーセンに来なくなったという噂だ。
後ろから少しだけ聞こえてくる会話には耳を貸さず、少年はプレイヤーキャラクターを選ぶ。
彼が選んだのは純粋な格闘家タイプの男性だ。
体力、切り返し(*不利状態から反撃に転じる動きのこと)、固め(*相手に攻撃をガードさせ続けること)、コンボ火力、どれを取っても高水準な動きの出来るキャラだ。
弱点は自分から接近するのが難しいこと、喰らい判定(*ダメージを受ける場所)が広いということぐらい。
「今回も強キャラ(笑) まただよ(笑)クソル金返せ(*某人気プレイヤーへの決まり文句)!」
「いやーでも悪手じゃね?いくらキャラランク高くても相性的にはかなり悪いじゃん」
「あのキャラで黒少女に挑む奴初めて見たわ」
「でも黒少女は決まって一つ目キャラを使うってわかってるからな、なんか企んでんだろ」
対して黒少女は、大まかな姿こそ人間の女性だが目が顔に一つしかない、異形の姿をしたキャラを選ぶ。これはいつもの事だ。
攻撃全てに魔術を使うため純粋にリーチが長く、上手くいけば相手を寄せ付けない動きが出来る。
ただしコンボをしないと一発ずつの火力は低く、さらに懐に入られると弱いという、戦い方がはっきりしているキャラである。
「ゆーて遠距離系キャラだし、システム的にバースト(*回数制限があるがキャラ全員が持つ切り返し)もないし、コンボ入ればダウン取ってセットプレイからワンチャンあるっしょ」
「それが出来る相手なら49連勝なんてあり得ないんだよなぁ……」
「起き攻め択(*攻撃の選択肢)がいくらあってもあの子に通せる自信ないわ」
「そもそも気軽に振ってける飛び道具とかないから近づくだけでも至難の技な件について」
黒少女の黒いフードの下にある眼が妖しく光った。
もちろん、いくら薄暗いゲーセンとはいえそれには誰も気づかない。
「……えへ♪」
「(そうだ。普通はまず無理にでも近づいて固めることが出来ないと勝機はない)」
そして、試合開始の合図がスピーカーから鳴り響いた。
試合は2ラウンド先取のルールだ。
最初の第一ラウンド、黒少女はあからさまに動きが鈍って近づかれ、少年にコンボを数回受けてすぐに敗北した。
というのもなぜか、彼女は筐体の向こうにいる相手、つまり少年を覗こうとしていたからだ。
少年はプレイに集中していたのでその行為自体には気づかなかったが、手を抜かれたと感じたことでさらに憤りを強くした。
「黒少女の様子がなんかおかしくね?」
「背丈も似てるし、知り合いだったりしてな」
「安西先生……ゲームに付き合ってくれるかわいい幼馴染が欲しいです……」
「あきらめたら?」
しかし次の第二ラウンド。
思い知らせてやると意気込んだ少年の勢いは完全に空回りして、あっさりと黒少女が勝利する。
近づけたと思った所で超必殺技を叩きこまれ、少年はカウンターを食らった。
一ラウンド目で溜まった技ゲージ(*超必殺技や特殊な行動に必要なゲージ)を黒少女が全部使ったので、戦局こそイーブンに戻ったように見えるが、その心境は複雑だった。
「(たとえ驕りが相手にあっても……勢いだけで勝てる相手じゃない。
本当の実力差は歴然だ、やはり、アレを狙うしかないのか)」
そして勝敗を決める運命の第三ラウンド目。
開幕の瞬間、少年は間合いを詰めようと真っ先に突撃技を繰り出す。
しかしこれは完全に読まれていたかのように、当たり判定の大きくなる隙を狙われて簡単に通常攻撃で止められた。
「焦って開幕ぷっぱ(*大技を考えなしに出す行動)とかwww雑魚乙www」
「弱すぎなんだけどマジ!誰だよこいつを神って言った奴は!」
「誰だって最初は初心者さ」
「良い事言った感出してるけどそれ当たり前な」
野次に怯むことなく、少年は次の手を繰り出す。
今度は空中から必殺技を使い、空対地の状況から距離を詰めようとした。
しかしこれも一定の距離に入った途端、彼女の対空攻撃にあっけなく落とされる。
リーチの差で少年の攻撃は届かない。
「とにかくゴリ押しって感じだな」
「でも無暗に突っ込んでも体力減るだけだろ常考」
「ダメージ喰らって増えた技ゲージ以外勝ってる要素ないじゃん」
必殺技ではなくフェイント付きの空中ダッシュを織り交ぜてみるが、それでも少女は的確に攻撃を当ててくる。
飛び道具を出して動きを制限しても結果は変わらない。
「あのキャラ裏回り技(*相手キャラの背後を取る技)とかなかったっけ」
「あれ発生遅すぎるから、黒少女レベルなら見てから超必殺技余裕でしたになるでしょ」
「詰んだ……デレない」
少年側の体力ゲージはもう半分ほどだ。
対して黒少女は、隙を見て発動した自己強化技によるデメリットで体力ゲージこそ減っているが、せいぜい二割がいいところである。
そもそも飛び道具による削り(*ガードしても喰らうダメージ)を除けば、一撃も少年からの攻撃は受けていない。
「これもう実質パーフェクト勝ちしょ……つらたん……」
「ウィーントキィ……パーフェクト」
「まあほんのちょっとは近づいてるけど、その前に死にますよねわかります」
「(いや、僕の予想が正しければ――)」
それからも徐々に細かい攻撃を当てられ、体力は二割近くまで削られる。
しかし、そこで急に黒少女の立ち回りが変化した。
「お、おいおい。どうしてさっき黒少女から近づいたんだよ。操作ミス?」
「いや魅せコン狙いっしょ。格下だと分かりきってるわけだし」
「一撃必殺技でも見せてくれんの? デストローイ……」
さっきまで一定以上の間合いを取っていたはずの少女のキャラが徐々に接近してくる。
攻撃こそ中下段ともに見切って全てガードしているが、セオリー外もいいところだ。
しかし、意表を突くための行動だとしてもリスキーすぎる。
「自分は近づけさせないのに、相手には接近できるよっていう新手の舐めプレイかな」
「投げ間合いまで近づく気だろ黒少女」
「え?あのキャラコマンド投げなんかあった?」
「投げなのに発生遅い(*攻撃の出が遅い)、投げ後もほぼ確反(*確定で反撃される程の隙がある)、さらに威力も低いという完全死に技だから上級者ですら存在忘れてるレベルと思われ」
「(そうだ。僕のこのキャラが相手で、かつ瀕死になると、わざわざ投げられる距離――つまりキャラが密着する間合いまで近寄ってくる。
人がいない時のコンピューター戦では、何度もそれだけを試してるのを見た。
僕にもそれを仕掛けてくるだろうという一点読みで――そこだけを狙う!)」
恵まれたリーチとの釣り合いをとるため、全体的な動きが遅めである黒少女のキャラを迎え撃つ事自体は容易い。
しかしいくらそれが分かっていても、一撃必殺技を当てられる程の隙はまずない。
かといって、普通の必殺技を一、二度当てても七割近く残った相手の体力はゼロにできない。
「流れ変わったな」
「いや完全に黒少女優勢でしょ、いざとなったらまた距離取ればいいんだし」
「今から15連続ブロッキング(*防御アクションの一種)してカウンターで超必殺でおk」
「それなんてレッツゴージャスティーン?」
そして黒少女と少年のキャラが密着した瞬間、少年は特殊なコマンドを入れる。
幸運にも僅かに気の緩んだ黒少女はガードが遅れ、まともに技を受けた。
しかしそれは何の変哲もない、俗に言う昇竜技だ。相手キャラを己の身体とともに空に打ち上げる技でしかない。
発動中こそ無敵だが、与えるダメージは大した量にならない。
はずだった。
「……っ?!」
真っ先に驚いたのは黒少女で、イスから立ち上がった拍子に被っていたフードが落ち掛けた。
すぐに終わって地面に降りるはずの昇竜技が、何故か止まらない。
際限なくお互いのキャラの身体が空に浮いていくのである。
永遠に。
画面外まで。
「ちょwww最後の最後に反則とかwww森生えるわwww」
「いやいくら野試合でもバグ技はいかんでしょ」
「アア、オワッタ……!」
「ジャッジー!いや店員さーん!筐体が死んじゃう!」
「次回、筐体死す!デュエルスタンバイ!」
「筐体が死んだ!この人でなし!」
誰かが言った通り、これはこのゲームにおけるバグ技の中でも禁忌とされる一つだ。
バグ技とは、本来あってはならない挙動を意図的に起こす不正スレスレの行為である。
大会であれば反則として使用禁止にされているが、これは野試合だ。非難こそされても禁止はされていない。
そしてこれを止めるには、技ゲージを消費して強制的に必殺技をキャンセルさせるアクションを少年が入力するか、筐体そのもの、ゲーム自体を止めて無効試合にするしかない。
この攻撃を止める手段は黒少女側の筐体には存在しないのである。
「(こんな手段で勝って嬉しいかと言えば、当然NOだ。
でもこれは、格下相手だと油断して驕りを見せる君への意思表示でもある)」
もうずっとステージの背景しか見えない。
それでもじわじわと減っていく黒少女キャラの体力ゲージ。
ただ、このまま相手を完全に倒してしまうと、バグの影響によりゲーム進行そのものが止まらない(最終的に筐体ごと停止する)ため、途中で技を終わらせてトドメの一撃は自分で刺す必要がある。
しかし体力ゲージが僅かになるまでには、まだ十秒以上掛かるだろう。
「(なんにせよ大会に出ない君は、禁止技のこんな反則があるなんて思ってもいないはず。
そして頭を冷やさせたら、次の試合こそは――)」
そうして少年は画面から目を離した。
向こうにいる黒少女を睨んでやろうと立ち上がって、筐体の陰から彼女を覗く。
黒少女もまた、此方を覗いているのが見えた。
その時、黒いフードの下で隠れていたはずの少女の顔が、少年にだけ僅かに見える。
ぎざっとした歯と、煌めく何かを覗かせて、にんまりと笑っている。
ぞくり。
見てはいけない物を見たような、奇妙な感覚。
「油断、したね」
黒少女の服の下から、黒い触手のような『何か』が一本伸びている。
『何か』は狡猾に少年を盾にギャラリーから隠れて、二人以外の誰にも見えないように、少年側のボタンを的確に押していた。
それは反則技を強制的に終わらせる、技キャンセルのコマンドだ。
「なっ――」
少年が気づいて戻ろうとする頃にはもう遅かった。
昇竜技はとっくに止まっていて、互いのキャラが既に地上に立っている。
悠々と黒少女はキャラを密着させ、投げ技のコマンドを入力した。
「あ、」
少年の男キャラが、黒少女の操る一つ目の人外女性キャラに抱きしめられる。
そして互いの姿が一瞬で消えたかと思うと、艶のある声で黒少女のキャラがラブコールをする。
『ゼーンブ可愛がってあげる♪』
その嬌声と共に、KO(ノック・アウト)の文字が大きく画面を埋めた。
言うまでもなく、少年の敗北だった。
「い、いつキャンセルしたんだ?あの少年立ち上がってたよな?」
「立った時の押し間違えっしょ」
「黒少女のリアルサイクバースト(*相手側の筐体に回り込んで勝手に相手のボタンを押す行為、当然反則)説に一票」
「そんなに腕伸びる生き物がいるはずないんだよなぁ」
「お前それダルシムさんの前でも同じこと言えんの?」
「俺が時を止めた……残りタイム八秒の時点でな……」
「時間止めたらゲームも止まるだろ!いい加減にしろ!」
さらにこの技での特殊な勝利演出として、二人のキャラが消えたままで、また少し人外女性のセリフが入る。
『君のコト気に入っちゃったなぁ〜♪ お持ち帰りしてもイイよね?ね?』
直接的な表現こそないが、人外女性の熱烈な求愛を受けた上で『別の世界』に拉致される事が仄めかされるのだ。
「こんな演出初めて見たけど……これなんてエロゲ?」
「あんな化け物に連れてかれてさらに愛されるとかマジ勘弁」
「じゃあ俺が代わりに行くわ」
「じゃあ俺も」
「俺も」
「「どうぞどうぞ」」
しかし、ゲームの音声もギャラリーの声も、放心する少年の耳には届いていなかった。
すっかり日の暮れた、ゲームセンターからの帰り道。
少年は力なく路地をとぼとぼと歩いていた。
「……最低だ、僕って」
結局黒少女に一度負けたあと、再戦する気にもなれずそのまま店を出て行ってしまった。
何しろ反則技まで使った挙句に負けてしまったのだ。
これからも同じ店に顔を出せるほどの無神経さは持ち合わせていない。
しかしそれは、憩いの場を失ったような気持ちだった。
そうして項垂れて前も見ずに歩いていると、柔らかい何かにぶつかってしまう。
「――わっ! ご、ごめんなさ――」
慌てて相手に謝ろうとしたが、その外見は見落とすことなどできない。
「んもー、逃げないでよ。いちいち追いかけるのメンドウ臭いんだからぁ」
「……え?」
そこにいたのは、黒いフードを被った少女。
間違いなく少年とさっきまで対戦していた『魔眼の黒少女』だ。
「っ……い、一体何の用だ。わざわざ僕の事を笑いに来たのか」
つっけんどんな態度を取る少年にはかまわず、彼女は不思議そうな声を上げる。
「え? 笑うって、なんで?」
「なっ……と、とぼけたってだめだ。
僕は反則までして勝とうとしたんだ。それなのに、結果は惨敗。
誰が見てたって、僕の事を笑うに決まってる」
「んー……でも、反則したのってお互い様でしょ?
まあ先にやったのは君だからあ、一つぐらい言う事聞いてもらってもいいかなーって思うけどー」
「……お互い様?」
「やだなあ、忘れちゃったの?ちょっとだけど、アタシの秘密を見せてあげたじゃん」
「ひみつ……あ! そ、そうだ、あの時見えた黒いのは一体……」
あからさまにうろたえる少年に対して、黒少女は笑みを絶やさない。
手に持ったペットボトル飲料を一口飲むと、少女は言った。
「えへへぇ……知りたい?知りたい?アタシにキョーミ、持っちゃった?」
「う……」
黒少女は少年に対し、いきなりぐいっと顔を近づける。
同年代の少女とは違う、甘く妖艶な匂いが少年の鼻をくすぐる。
背丈こそほとんど変わらないのに、なぜか肉食獣のような獰猛さが彼女から漂っていた。
「いやー、あの子ってアタシにすっごく似てるんだよねー。
うりふたつ?たにんのソラニン?どっぺるげんがー?ってぐらい。
そんで遊んでるうちに愛着湧いちゃって、なんかいつの間にか人だかりも出来てて。
むずかしーこまんど入力?はまだできないけど、カンタンなヤツなら覚えたよ。
知らない間にヘンなあだ名付けられたのはちょっとムッときたけど、まーあだ名ってそんなモンだしー、君も呼んでくれてるのを聞いたらそれもイイかなーって……」
矢継ぎ早に喋る少女に少し閉口しながらも、少年は疑問を口にする。
「あの子……? 君はあの『魔眼の黒少女』じゃないのか?」
「んん? なんかカン違い、してない?」
「え、でも、あの子って言ったら……」
突然に色々な事が起きすぎて混乱する彼の頭では、まだ整理ができていない。
「あの子って言うのは、あのゲームに出てくる子、ってことだよ?」
「……それって、つまり」
「そりゃあ、あの目が一つしかない女の子だよぉ。
獣っぽい、アタシの友達に似てるなーって子もいたけど」
「目が一つ……って、そんな人間、いるわけないだろ!」
少年がそう主張すると、あっけらかんと少女が答える。
「いやー、アタシ人間じゃないからさあ。ならダイジョーブ博士だよね」
「に……人間、じゃない?」
「だからそれはぁ……んあー、もう。まどろっこしいなあ。
そんならあの子がやってたコト、君にもしちゃおっかなー。
もうアタシの中ではゲームクリアしちゃったもんねー」
「な――にを――っ?!」
がばっと腕を広げたかと思うと、黒少女は少年を大げさに抱きしめた。
柔らかな身体の感触。肌をくすぐる黒髪。
その一瞬の感覚と共に、意識がぶつんと途切れる。
道に残っていたのは、少女の持っていた空のペットボトルだけだった。
少年が気が付いた時には、周り全てが暗闇に包まれていた。
目に見えるのは自分が乗っているベッドと、一糸纏わぬ姿になった黒少女の裸体だけ。
拘束こそされていないが、それなのに身体が動かせない。
「アタシは”ゲイザー”……って言ってもわかんないだろうし、カンタンに説明しよっか。
まあ、君の世界でも魔物って表現が近いかな。
宙にぷかぷか浮けるし、魔法だって使えるし、人間の何倍でも生きられるんだ。
ちなみに一番得意な魔法は『暗示』ね。ん、暗示って何かって?いい質問ですねぇ!
それは、えーっと……なんかこう、頭の中をぐわーってするやつ、だよ。
でもどーせあんまり使う気ないし、説明するのすっごい難しいし、テキトーでいいよね」
黒少女は少年の方を向いて話していたが、不安の色で染まった彼の顔を見ると少しずつ心配した表情になっていく。
もっと段階を踏んで仲良くなるべきだったかとも思う。
しかしどうせ自分にガマンが出来るはずもないと悟ったら、どうでもよくなった。
「んー、自分の見た目だけはアタシも気に入ってないんだ……見慣れてないと怖いよね。
だから、ちょっとずつ慣らしていこ。
君ならきっといつか、ひとつずつでも好きになってくれるって信じてるよ。
ヒトを見る目があるー、って友達にも言われるし。
なんたってこんなにおっきい眼だもんねー、そりゃあそーだってモンよ」
どう見ても、黒少女の姿は人間からかけ離れている。
肌は真っ白くて、背中から尾と、眼の付いた黒い触手が生えていて、妖しく蠢いていて。
その顔には、大きな赤い一つ目が瞬いている。
「アタシねえ、前からずーっと君の事狙ってたんだあ。
あのお店に来るたびに、こっそり君を見てた。
でもゲームやってるのも楽しいから、ガラにもなくうーんって悩んじゃって。
だから、あの子の必殺技で君に勝てたら、その日のうちに同じコトしちゃおうって決めたワケ。
だいたいそんな感じかなー」
ふわっとした口調で話しかけてくる黒少女。
彼女は本物だ。本物の魔物なのだと、ここに至りようやく少年にもわかった。
「じゃー、先に反則しちゃった君へのお願いとして、君のことを教えてもらおうかなぁ。
まだゲームが好きってぐらいしか知らないから、わくわくするね♪
あ、万が一ウソなんかついたらハリセンボンだよ。
アタシに見つめられたら、ウソかどうかなんてかーんたんに分かっちゃうからね」
じろり。
彼女の大きな赤い瞳がごろんと動いて、怯えた表情の少年を映す。
そんな彼を見てまたにんまりと笑う黒少女の顔は、より艶っぽく見えた。
「あ、あああ……」
「んもう、そんなに怖がらなくったってヘンなコト聞いたりしないよ?
恋ってゲームと一緒で、すこしずーつ試していくのが面白いんだから。
そーだね、記念すべき一番最初は、うーんと――あ!」
黒少女は閃いたように、あのゲームに出てきた一つ目の人外女性と同じセリフを喋った。
『君の一番感じる場所、教えて欲しいなぁ♪』
「俺が見てただけでも二十……いや三十戦以上はしてるはずだが……」
「バカ、"49WINS"の文字が見えねえのかよ! 次で五十戦目だ!」
人気格闘ゲームの筐体群が並ぶ、場末のゲームセンターの一角。
そこに座っている、癖の付いた長い黒髪を垂らし、目深に黒いフードを被った少女。
電光石火の早さでレバーを操り、かつ正確にボタンを捌く。
コマンドミスがないのは当然で、必殺技が化ける(*想定と違う技が出ること)もない。
だが彼女の一番の武器は――
「見たか今の?! またフレーム単位で差し合いを制しやがった!」
「よ、読み読みだろ? フツーあんな動きしねえぞ……」
「ていうか必殺技すら使ってないよね……?」
「超必殺技はたまに使ってるの見るな。ほとんどトドメの魅せプレイ用っぽいが」
1フレーム(*1/60秒、約0.0167秒を指す)を見切ると噂されるほどの反応速度――。
通常、人間の反応速度は約0.2秒、つまり見てから動くのに12フレーム以上掛かる。
才能あるプロでさえ約0.18秒、そして人間の反応限界が約0.15秒だと言われている。
そしてこれはあくまでも単純計算で、実戦ではさらに状況判断に掛かる時間を考慮しなければならない。
1フレームが見えるというのはさすがに誇張だが、その少女の壮絶さは想像に難くないだろう。
「基本コンボ(*相手に反撃させない連続攻撃)も繋がるはずなのにやってねえ……」
「いやこれコンボゲーだから!そういうゲームじゃねえからこれ!」
「コンボすらできずに負けた奴が何ほざいてんだ!」
「うるせえ!コンボ始動技ぜんぶ潰されて泣いてる子もいるんですよ!!」
いつしか(勝手に)付いたあだ名が『魔眼の黒少女』。あからさまな厨二である。
いかに諦め悪い人間が集う格闘ゲーマー(*作者の偏見)でも、五十連勝を間近に控えた彼女を相手に立ち向かう勇気を持った者は一握りだろう。
「(僕の小銭は……できて2クレジット(二回)か。心許ないが、やってみるしかない)」
このゲームセンターのローカルルールとして、連コイン(負けた相手が連続で再戦すること)は他の挑戦者がいても原則一回だけできる。
最初の1ゲームと、再戦の為のコインはあるということだ。
少年は今日に至るまで、長い間ギャラリーとして黒少女のプレイを見ていたが、ほとんど付け入る隙を見つけられなかった。
それぐらいの天下無双なのだ。
「人外がぁ!近づいてぇ!人外がぁ!画面端ィ!ガーキャン(*ガードを途中キャンセルして攻撃する技)読んでぇまだ入るぅ!」
「つ、通常技だけで完封された……もうダメだぁ、おしまいだぁ……」
しかし。
その黒少女の、筐体を挟んだ反対側の台に一人の少年が歩み寄る。
少年は席に着き、黒少女と筐体を挟んで対峙した。
「んん?なんかいま座ったあいつも見覚えあるな……?」
「ああ、一ヶ月前くらいの大会で優勝してた奴だろ。使うの強キャラばっかの」
「あんな可愛いショタがこんな濃い格ゲー(*格闘ゲーム)やってるとかそれだけで神」
「ホモはおいといて、意外といい勝負したりしてな」
「あの子供も上手いんだが、『黒少女』ほどじゃあないだろうなぁ……」
追記すると、黒少女側の筐体には一切ギャラリーがいない。全員が少年側か別モニターの前にいる。これはずっと前からだ。
ゲーセンという男臭い場所に現れた稀有な女性、それも少女ということと、何人も寄せ付けないような彼女のオーラとが混ざり合い、誰も彼女の背中側には立つ勇気がなかった。
そして黒少女が座っているのはいつも壁を背にした店の隅っこなので、後ろ側で見物しようとするとどうしても彼女に存在がバレるのである。
それでもベガ立ち(*腕を組んだ仁王立ち)で彼女をじろじろと見物していた客もいたらしいが――その後にパーフェクト勝ちを決められてゲーセンに来なくなったという噂だ。
後ろから少しだけ聞こえてくる会話には耳を貸さず、少年はプレイヤーキャラクターを選ぶ。
彼が選んだのは純粋な格闘家タイプの男性だ。
体力、切り返し(*不利状態から反撃に転じる動きのこと)、固め(*相手に攻撃をガードさせ続けること)、コンボ火力、どれを取っても高水準な動きの出来るキャラだ。
弱点は自分から接近するのが難しいこと、喰らい判定(*ダメージを受ける場所)が広いということぐらい。
「今回も強キャラ(笑) まただよ(笑)クソル金返せ(*某人気プレイヤーへの決まり文句)!」
「いやーでも悪手じゃね?いくらキャラランク高くても相性的にはかなり悪いじゃん」
「あのキャラで黒少女に挑む奴初めて見たわ」
「でも黒少女は決まって一つ目キャラを使うってわかってるからな、なんか企んでんだろ」
対して黒少女は、大まかな姿こそ人間の女性だが目が顔に一つしかない、異形の姿をしたキャラを選ぶ。これはいつもの事だ。
攻撃全てに魔術を使うため純粋にリーチが長く、上手くいけば相手を寄せ付けない動きが出来る。
ただしコンボをしないと一発ずつの火力は低く、さらに懐に入られると弱いという、戦い方がはっきりしているキャラである。
「ゆーて遠距離系キャラだし、システム的にバースト(*回数制限があるがキャラ全員が持つ切り返し)もないし、コンボ入ればダウン取ってセットプレイからワンチャンあるっしょ」
「それが出来る相手なら49連勝なんてあり得ないんだよなぁ……」
「起き攻め択(*攻撃の選択肢)がいくらあってもあの子に通せる自信ないわ」
「そもそも気軽に振ってける飛び道具とかないから近づくだけでも至難の技な件について」
黒少女の黒いフードの下にある眼が妖しく光った。
もちろん、いくら薄暗いゲーセンとはいえそれには誰も気づかない。
「……えへ♪」
「(そうだ。普通はまず無理にでも近づいて固めることが出来ないと勝機はない)」
そして、試合開始の合図がスピーカーから鳴り響いた。
試合は2ラウンド先取のルールだ。
最初の第一ラウンド、黒少女はあからさまに動きが鈍って近づかれ、少年にコンボを数回受けてすぐに敗北した。
というのもなぜか、彼女は筐体の向こうにいる相手、つまり少年を覗こうとしていたからだ。
少年はプレイに集中していたのでその行為自体には気づかなかったが、手を抜かれたと感じたことでさらに憤りを強くした。
「黒少女の様子がなんかおかしくね?」
「背丈も似てるし、知り合いだったりしてな」
「安西先生……ゲームに付き合ってくれるかわいい幼馴染が欲しいです……」
「あきらめたら?」
しかし次の第二ラウンド。
思い知らせてやると意気込んだ少年の勢いは完全に空回りして、あっさりと黒少女が勝利する。
近づけたと思った所で超必殺技を叩きこまれ、少年はカウンターを食らった。
一ラウンド目で溜まった技ゲージ(*超必殺技や特殊な行動に必要なゲージ)を黒少女が全部使ったので、戦局こそイーブンに戻ったように見えるが、その心境は複雑だった。
「(たとえ驕りが相手にあっても……勢いだけで勝てる相手じゃない。
本当の実力差は歴然だ、やはり、アレを狙うしかないのか)」
そして勝敗を決める運命の第三ラウンド目。
開幕の瞬間、少年は間合いを詰めようと真っ先に突撃技を繰り出す。
しかしこれは完全に読まれていたかのように、当たり判定の大きくなる隙を狙われて簡単に通常攻撃で止められた。
「焦って開幕ぷっぱ(*大技を考えなしに出す行動)とかwww雑魚乙www」
「弱すぎなんだけどマジ!誰だよこいつを神って言った奴は!」
「誰だって最初は初心者さ」
「良い事言った感出してるけどそれ当たり前な」
野次に怯むことなく、少年は次の手を繰り出す。
今度は空中から必殺技を使い、空対地の状況から距離を詰めようとした。
しかしこれも一定の距離に入った途端、彼女の対空攻撃にあっけなく落とされる。
リーチの差で少年の攻撃は届かない。
「とにかくゴリ押しって感じだな」
「でも無暗に突っ込んでも体力減るだけだろ常考」
「ダメージ喰らって増えた技ゲージ以外勝ってる要素ないじゃん」
必殺技ではなくフェイント付きの空中ダッシュを織り交ぜてみるが、それでも少女は的確に攻撃を当ててくる。
飛び道具を出して動きを制限しても結果は変わらない。
「あのキャラ裏回り技(*相手キャラの背後を取る技)とかなかったっけ」
「あれ発生遅すぎるから、黒少女レベルなら見てから超必殺技余裕でしたになるでしょ」
「詰んだ……デレない」
少年側の体力ゲージはもう半分ほどだ。
対して黒少女は、隙を見て発動した自己強化技によるデメリットで体力ゲージこそ減っているが、せいぜい二割がいいところである。
そもそも飛び道具による削り(*ガードしても喰らうダメージ)を除けば、一撃も少年からの攻撃は受けていない。
「これもう実質パーフェクト勝ちしょ……つらたん……」
「ウィーントキィ……パーフェクト」
「まあほんのちょっとは近づいてるけど、その前に死にますよねわかります」
「(いや、僕の予想が正しければ――)」
それからも徐々に細かい攻撃を当てられ、体力は二割近くまで削られる。
しかし、そこで急に黒少女の立ち回りが変化した。
「お、おいおい。どうしてさっき黒少女から近づいたんだよ。操作ミス?」
「いや魅せコン狙いっしょ。格下だと分かりきってるわけだし」
「一撃必殺技でも見せてくれんの? デストローイ……」
さっきまで一定以上の間合いを取っていたはずの少女のキャラが徐々に接近してくる。
攻撃こそ中下段ともに見切って全てガードしているが、セオリー外もいいところだ。
しかし、意表を突くための行動だとしてもリスキーすぎる。
「自分は近づけさせないのに、相手には接近できるよっていう新手の舐めプレイかな」
「投げ間合いまで近づく気だろ黒少女」
「え?あのキャラコマンド投げなんかあった?」
「投げなのに発生遅い(*攻撃の出が遅い)、投げ後もほぼ確反(*確定で反撃される程の隙がある)、さらに威力も低いという完全死に技だから上級者ですら存在忘れてるレベルと思われ」
「(そうだ。僕のこのキャラが相手で、かつ瀕死になると、わざわざ投げられる距離――つまりキャラが密着する間合いまで近寄ってくる。
人がいない時のコンピューター戦では、何度もそれだけを試してるのを見た。
僕にもそれを仕掛けてくるだろうという一点読みで――そこだけを狙う!)」
恵まれたリーチとの釣り合いをとるため、全体的な動きが遅めである黒少女のキャラを迎え撃つ事自体は容易い。
しかしいくらそれが分かっていても、一撃必殺技を当てられる程の隙はまずない。
かといって、普通の必殺技を一、二度当てても七割近く残った相手の体力はゼロにできない。
「流れ変わったな」
「いや完全に黒少女優勢でしょ、いざとなったらまた距離取ればいいんだし」
「今から15連続ブロッキング(*防御アクションの一種)してカウンターで超必殺でおk」
「それなんてレッツゴージャスティーン?」
そして黒少女と少年のキャラが密着した瞬間、少年は特殊なコマンドを入れる。
幸運にも僅かに気の緩んだ黒少女はガードが遅れ、まともに技を受けた。
しかしそれは何の変哲もない、俗に言う昇竜技だ。相手キャラを己の身体とともに空に打ち上げる技でしかない。
発動中こそ無敵だが、与えるダメージは大した量にならない。
はずだった。
「……っ?!」
真っ先に驚いたのは黒少女で、イスから立ち上がった拍子に被っていたフードが落ち掛けた。
すぐに終わって地面に降りるはずの昇竜技が、何故か止まらない。
際限なくお互いのキャラの身体が空に浮いていくのである。
永遠に。
画面外まで。
「ちょwww最後の最後に反則とかwww森生えるわwww」
「いやいくら野試合でもバグ技はいかんでしょ」
「アア、オワッタ……!」
「ジャッジー!いや店員さーん!筐体が死んじゃう!」
「次回、筐体死す!デュエルスタンバイ!」
「筐体が死んだ!この人でなし!」
誰かが言った通り、これはこのゲームにおけるバグ技の中でも禁忌とされる一つだ。
バグ技とは、本来あってはならない挙動を意図的に起こす不正スレスレの行為である。
大会であれば反則として使用禁止にされているが、これは野試合だ。非難こそされても禁止はされていない。
そしてこれを止めるには、技ゲージを消費して強制的に必殺技をキャンセルさせるアクションを少年が入力するか、筐体そのもの、ゲーム自体を止めて無効試合にするしかない。
この攻撃を止める手段は黒少女側の筐体には存在しないのである。
「(こんな手段で勝って嬉しいかと言えば、当然NOだ。
でもこれは、格下相手だと油断して驕りを見せる君への意思表示でもある)」
もうずっとステージの背景しか見えない。
それでもじわじわと減っていく黒少女キャラの体力ゲージ。
ただ、このまま相手を完全に倒してしまうと、バグの影響によりゲーム進行そのものが止まらない(最終的に筐体ごと停止する)ため、途中で技を終わらせてトドメの一撃は自分で刺す必要がある。
しかし体力ゲージが僅かになるまでには、まだ十秒以上掛かるだろう。
「(なんにせよ大会に出ない君は、禁止技のこんな反則があるなんて思ってもいないはず。
そして頭を冷やさせたら、次の試合こそは――)」
そうして少年は画面から目を離した。
向こうにいる黒少女を睨んでやろうと立ち上がって、筐体の陰から彼女を覗く。
黒少女もまた、此方を覗いているのが見えた。
その時、黒いフードの下で隠れていたはずの少女の顔が、少年にだけ僅かに見える。
ぎざっとした歯と、煌めく何かを覗かせて、にんまりと笑っている。
ぞくり。
見てはいけない物を見たような、奇妙な感覚。
「油断、したね」
黒少女の服の下から、黒い触手のような『何か』が一本伸びている。
『何か』は狡猾に少年を盾にギャラリーから隠れて、二人以外の誰にも見えないように、少年側のボタンを的確に押していた。
それは反則技を強制的に終わらせる、技キャンセルのコマンドだ。
「なっ――」
少年が気づいて戻ろうとする頃にはもう遅かった。
昇竜技はとっくに止まっていて、互いのキャラが既に地上に立っている。
悠々と黒少女はキャラを密着させ、投げ技のコマンドを入力した。
「あ、」
少年の男キャラが、黒少女の操る一つ目の人外女性キャラに抱きしめられる。
そして互いの姿が一瞬で消えたかと思うと、艶のある声で黒少女のキャラがラブコールをする。
『ゼーンブ可愛がってあげる♪』
その嬌声と共に、KO(ノック・アウト)の文字が大きく画面を埋めた。
言うまでもなく、少年の敗北だった。
「い、いつキャンセルしたんだ?あの少年立ち上がってたよな?」
「立った時の押し間違えっしょ」
「黒少女のリアルサイクバースト(*相手側の筐体に回り込んで勝手に相手のボタンを押す行為、当然反則)説に一票」
「そんなに腕伸びる生き物がいるはずないんだよなぁ」
「お前それダルシムさんの前でも同じこと言えんの?」
「俺が時を止めた……残りタイム八秒の時点でな……」
「時間止めたらゲームも止まるだろ!いい加減にしろ!」
さらにこの技での特殊な勝利演出として、二人のキャラが消えたままで、また少し人外女性のセリフが入る。
『君のコト気に入っちゃったなぁ〜♪ お持ち帰りしてもイイよね?ね?』
直接的な表現こそないが、人外女性の熱烈な求愛を受けた上で『別の世界』に拉致される事が仄めかされるのだ。
「こんな演出初めて見たけど……これなんてエロゲ?」
「あんな化け物に連れてかれてさらに愛されるとかマジ勘弁」
「じゃあ俺が代わりに行くわ」
「じゃあ俺も」
「俺も」
「「どうぞどうぞ」」
しかし、ゲームの音声もギャラリーの声も、放心する少年の耳には届いていなかった。
すっかり日の暮れた、ゲームセンターからの帰り道。
少年は力なく路地をとぼとぼと歩いていた。
「……最低だ、僕って」
結局黒少女に一度負けたあと、再戦する気にもなれずそのまま店を出て行ってしまった。
何しろ反則技まで使った挙句に負けてしまったのだ。
これからも同じ店に顔を出せるほどの無神経さは持ち合わせていない。
しかしそれは、憩いの場を失ったような気持ちだった。
そうして項垂れて前も見ずに歩いていると、柔らかい何かにぶつかってしまう。
「――わっ! ご、ごめんなさ――」
慌てて相手に謝ろうとしたが、その外見は見落とすことなどできない。
「んもー、逃げないでよ。いちいち追いかけるのメンドウ臭いんだからぁ」
「……え?」
そこにいたのは、黒いフードを被った少女。
間違いなく少年とさっきまで対戦していた『魔眼の黒少女』だ。
「っ……い、一体何の用だ。わざわざ僕の事を笑いに来たのか」
つっけんどんな態度を取る少年にはかまわず、彼女は不思議そうな声を上げる。
「え? 笑うって、なんで?」
「なっ……と、とぼけたってだめだ。
僕は反則までして勝とうとしたんだ。それなのに、結果は惨敗。
誰が見てたって、僕の事を笑うに決まってる」
「んー……でも、反則したのってお互い様でしょ?
まあ先にやったのは君だからあ、一つぐらい言う事聞いてもらってもいいかなーって思うけどー」
「……お互い様?」
「やだなあ、忘れちゃったの?ちょっとだけど、アタシの秘密を見せてあげたじゃん」
「ひみつ……あ! そ、そうだ、あの時見えた黒いのは一体……」
あからさまにうろたえる少年に対して、黒少女は笑みを絶やさない。
手に持ったペットボトル飲料を一口飲むと、少女は言った。
「えへへぇ……知りたい?知りたい?アタシにキョーミ、持っちゃった?」
「う……」
黒少女は少年に対し、いきなりぐいっと顔を近づける。
同年代の少女とは違う、甘く妖艶な匂いが少年の鼻をくすぐる。
背丈こそほとんど変わらないのに、なぜか肉食獣のような獰猛さが彼女から漂っていた。
「いやー、あの子ってアタシにすっごく似てるんだよねー。
うりふたつ?たにんのソラニン?どっぺるげんがー?ってぐらい。
そんで遊んでるうちに愛着湧いちゃって、なんかいつの間にか人だかりも出来てて。
むずかしーこまんど入力?はまだできないけど、カンタンなヤツなら覚えたよ。
知らない間にヘンなあだ名付けられたのはちょっとムッときたけど、まーあだ名ってそんなモンだしー、君も呼んでくれてるのを聞いたらそれもイイかなーって……」
矢継ぎ早に喋る少女に少し閉口しながらも、少年は疑問を口にする。
「あの子……? 君はあの『魔眼の黒少女』じゃないのか?」
「んん? なんかカン違い、してない?」
「え、でも、あの子って言ったら……」
突然に色々な事が起きすぎて混乱する彼の頭では、まだ整理ができていない。
「あの子って言うのは、あのゲームに出てくる子、ってことだよ?」
「……それって、つまり」
「そりゃあ、あの目が一つしかない女の子だよぉ。
獣っぽい、アタシの友達に似てるなーって子もいたけど」
「目が一つ……って、そんな人間、いるわけないだろ!」
少年がそう主張すると、あっけらかんと少女が答える。
「いやー、アタシ人間じゃないからさあ。ならダイジョーブ博士だよね」
「に……人間、じゃない?」
「だからそれはぁ……んあー、もう。まどろっこしいなあ。
そんならあの子がやってたコト、君にもしちゃおっかなー。
もうアタシの中ではゲームクリアしちゃったもんねー」
「な――にを――っ?!」
がばっと腕を広げたかと思うと、黒少女は少年を大げさに抱きしめた。
柔らかな身体の感触。肌をくすぐる黒髪。
その一瞬の感覚と共に、意識がぶつんと途切れる。
道に残っていたのは、少女の持っていた空のペットボトルだけだった。
少年が気が付いた時には、周り全てが暗闇に包まれていた。
目に見えるのは自分が乗っているベッドと、一糸纏わぬ姿になった黒少女の裸体だけ。
拘束こそされていないが、それなのに身体が動かせない。
「アタシは”ゲイザー”……って言ってもわかんないだろうし、カンタンに説明しよっか。
まあ、君の世界でも魔物って表現が近いかな。
宙にぷかぷか浮けるし、魔法だって使えるし、人間の何倍でも生きられるんだ。
ちなみに一番得意な魔法は『暗示』ね。ん、暗示って何かって?いい質問ですねぇ!
それは、えーっと……なんかこう、頭の中をぐわーってするやつ、だよ。
でもどーせあんまり使う気ないし、説明するのすっごい難しいし、テキトーでいいよね」
黒少女は少年の方を向いて話していたが、不安の色で染まった彼の顔を見ると少しずつ心配した表情になっていく。
もっと段階を踏んで仲良くなるべきだったかとも思う。
しかしどうせ自分にガマンが出来るはずもないと悟ったら、どうでもよくなった。
「んー、自分の見た目だけはアタシも気に入ってないんだ……見慣れてないと怖いよね。
だから、ちょっとずつ慣らしていこ。
君ならきっといつか、ひとつずつでも好きになってくれるって信じてるよ。
ヒトを見る目があるー、って友達にも言われるし。
なんたってこんなにおっきい眼だもんねー、そりゃあそーだってモンよ」
どう見ても、黒少女の姿は人間からかけ離れている。
肌は真っ白くて、背中から尾と、眼の付いた黒い触手が生えていて、妖しく蠢いていて。
その顔には、大きな赤い一つ目が瞬いている。
「アタシねえ、前からずーっと君の事狙ってたんだあ。
あのお店に来るたびに、こっそり君を見てた。
でもゲームやってるのも楽しいから、ガラにもなくうーんって悩んじゃって。
だから、あの子の必殺技で君に勝てたら、その日のうちに同じコトしちゃおうって決めたワケ。
だいたいそんな感じかなー」
ふわっとした口調で話しかけてくる黒少女。
彼女は本物だ。本物の魔物なのだと、ここに至りようやく少年にもわかった。
「じゃー、先に反則しちゃった君へのお願いとして、君のことを教えてもらおうかなぁ。
まだゲームが好きってぐらいしか知らないから、わくわくするね♪
あ、万が一ウソなんかついたらハリセンボンだよ。
アタシに見つめられたら、ウソかどうかなんてかーんたんに分かっちゃうからね」
じろり。
彼女の大きな赤い瞳がごろんと動いて、怯えた表情の少年を映す。
そんな彼を見てまたにんまりと笑う黒少女の顔は、より艶っぽく見えた。
「あ、あああ……」
「んもう、そんなに怖がらなくったってヘンなコト聞いたりしないよ?
恋ってゲームと一緒で、すこしずーつ試していくのが面白いんだから。
そーだね、記念すべき一番最初は、うーんと――あ!」
黒少女は閃いたように、あのゲームに出てきた一つ目の人外女性と同じセリフを喋った。
『君の一番感じる場所、教えて欲しいなぁ♪』
18/09/07 20:16更新 / しおやき