読切小説
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ネットで仲良くなったあの子は
「おっ、爆乳さん今日もオンラインだ。ちょうどいい、今回も誘うか」

 自宅である単身者用アパートで、俺はPCの前のゲーミングチェアーに座ってキーボードを叩いていた。
 実家を出て就職して三年、仕事はなんとかこなしている日々だが、会社の人たちとはあまり趣味が合わず、気が置けない関係という相手はまだいない。実家にいた頃の友人とも疎遠になってしまった。
 だが、最近はコミュニケーションソフトにSNS、マッチングアプリなどが多くあるらしく、自分と合った相手を捜すためのコミュニティは驚くほど多い。
 試すつもりで俺はマンティコードというボイス&テキストチャットツールをPCに導入して、同じ趣味の相手がいそうなサーバーに入ってみた。
 そこで出会って特に仲良くなったのが、爆乳さん(もちろんハンドルネーム)である。

『爆乳さん今暇です?』
『アンノウン兄貴オッスオッス、どうしたん?』
『TRPGやりましょうよ、いいシナリオあるんです』
『あ〜^いいっすね〜 僕のkawaiiロールみとけよみとけよ〜』

 とまあ、いわゆるネット用語というか、ネットスラングを使いまくる節がある。あとはアニメとか漫画のパロディネタも多い。
 付き合いやノリはいいし、頭も回るしそれなりに気も遣ってくれる人なのだが、初見ではかなり誤解されやすい。
 おまけにハンドルネームの正式名称が”爆乳戦隊☆パイブラジャー”という品性をフリマアプリで叩き売りしてきたような名前なので、さらに誤解に拍車をかけている。

『女性キャラでも男性キャラでもOKですけど、今回も女の子ですか?』
『モチのロンよ、こう見えて爆乳さんじゅうななさいだから』
『おいおいおい』
『死ぬわアイツ そんで今回は僕のソロシナリオ?』
『三人まではOKですよ 誰か誘います?』
『いやいいよ、タイマン張らせてもらうぜ!』
『テキストセッションとボイスセッションどっちがいいです?』
『美声すぎて惚れさせたらアレだし いつもどおりテキストチャットで頼むお☆』
『ないわー』

 ここまでの言動は一見アレだけど、実際は優しい人である。
 俺が以前仕事でヘマをした時も、慰めてくれた上に的確なアドバイスまでくれた。それに遅くまで一緒に遊んでいた時は必ず気遣ってくれる。
 交流はゲームやチャットの雑談、それも通話はせず、テキストでの会話だけとはいえ、交友関係は半年ほど続いていた。

『いやあ……ラスボスのドラゴンさんは強敵でしたね』
『じゃあこれにてシナリオ終了!爆乳さんお疲れさまでーす。
 今日も美少女ロール冴え渡ってましたね』
『ほんとぉ?スイーツ(笑)っぽくなかった?』
『いやー、見てる雑誌も化粧品のこだわりもちゃんと女の子っぽかったですからね。
 女性目線にきっちり立ててるっていうか』

 この辺りから何故か爆乳さんの返信が妙に遅くなった。
 たしか在宅業と言ってたし、仕事の電話でもかかってきたのだろう。

『そりゃまあ……フクザツな乙女心を知り尽くしてますしおすし』
『ちょっと返事遅くなってましたけど、また仕事ですか?忙しいなら早めに切り上げますけど』
『え あーいや、大丈夫だよ 大したことじゃないから』
『そういや爆乳さんって結局何の仕事してるんですか?』
『こう見えても拙者ハッカーでござるのでwwwコポォwwwハッキングもお手の物でござるwww』
『スーパーハカーだったとは……やはり天才か』
『スーパーハッカーだろ、常考』
『ていうかハッキングって犯罪じゃ……』
『いや拙者は犯罪者ではござらんのでwwwそれはクラッカーとかクラッキングっていうんでござるwwwフォカヌポゥwww』
『まえに在宅って言ってましたけど、フリーランスってことですか』
『そうだお!アプリとかソフトも作れるし、ソフトウェア関係なら色々やってるお!』

 やっぱり結構凄い人だったんだな、と改めて思う。
 ごく一般的なサラリマンの俺とはやはり違うようだ。

『俺もK県の都会?で働いてますけど、そういう手に職持ててるのは尊敬しますよ』
『あれ、アンノウン兄貴K県在住だったの?東京生まれHIPHOP育ちかと』
『いや、悪そうな奴は大体友達じゃないんで』
『じつは僕もK県だお。都会っていうなら、たぶん同じ市の』

 俺が住んでいるK県は地方だから、都会と言っても主要都市と比べればかなり小さいし、いくつもある場所ではない。
 ということは、爆乳さんもK県の県庁所在地あたりに住んでいるのだろう。

『それならせっかくだし、オフ会でもどうです』
『え』
『その、いつも仲良くしてもらってるし、一度くらい酒でも飲んでみたいなーって』

 また返信が遅くなる。とはいえ、可否や文面で迷うのは当たり前だろう。
 いくらネットが普及しているとはいえ、テキストでしか話したことのない相手と会うのは割と勇気がいる。何だかんだで俺と爆乳さんはテキストでしか会話したことがないし、声すら聞いたことがない。
 誘いの断り方もそれはそれで気を遣うものだ。

『いいよ』

 返ってきたメッセージは珍しく簡潔でてらいのない、了承の文。

『じゃあ、来週の土曜って空いてます?』
『うん』
『その日の午後五時でいいですか?』
『いいよ。〇〇駅前にあるスタバで待ち合わせしたいんだけど、大丈夫かな。
 この辺りだと結構大きいところだし、分かりやすそうだし』
『おっけーです。よろしくお願いしますね』

 どことなく返信に違和感を覚えながら、その日はそこでチャットを終わった。







 土曜日、午後四時の四十五分。
 俺の自宅は三十分もあれば歩いていける程度に○○駅から近いので、急ぐ必要はなかったが、それでも思ったより早く着いてしまった。まだ十五分前だ。
 駅前とはいえ人通りはそこそこで、これなら爆乳さんを探すのもさほど苦労しないだろう。

「目印になるものとか持って来といたほうが良かったな。
 ま、べつにデートってわけでもないし、ラフな格好で別にいいんだけど」

 スタバの店先に立ち、マンティコードで爆乳さんにメッセージを送っておこうと、俺はスマートフォンを取り出す。

『俺の方は着きました、格好は灰色のチノパンに緑のモッズコート、茶色のショルダーバッグです』

 とりあえずこれぐらい書いておけば大丈夫だろう。
 スタバに入って待っておいてもいいか……と思ったが、外からパッと眺めた感じでも人が多い。

「…………ぁ、」
 
 場所を変えて他の席も見てみるが、やはりどこも人が座っている。
 人通りが少ないのはみんなこういう場所に入っているからなのだろうか。
 
「…………の、」

 まあ後十五分そこそこ待つだけだ。
 最近インストールした新作アプリゲームで時間でも潰して――

「…………あ、あの!」

 不意に後ろから声を掛けられる。女性にしては低めの、けれど幼い印象を受ける声だ。

「あっ、すみません。どうしました?」

 俺が振り向くと、小学生かと思うくらい小さな身長と体格の女の子が、さらに身を縮こまらせるようにして立っていた。
 栗色と白がハイライトのように混じったセミロングヘアで、大きな眼鏡と女性用の大きな白いマスクを顔に付け、黒いピーコートに、赤いロングのプ リーツスカートを着ている。そのファッションは可愛らしさと大人っぽさを両立した雰囲気を感じさせた。
 もっとも、彼女の一回り幼く見える容姿と声と所作さえなければ、だが。

「……ぇ、えっと……」

 見た感じ、俺の知り合いではない。かといってキャッチセールスの類にも見えない。
 目つきだけはどこか鋭く意地悪そうな印象もあるが、他の全てが臆病な小動物らしさで溢れていてそうは受け取れない。

「……さ、さん、ですか」
「はい?」

 店先の雑踏と喧噪に負けそうな彼女の声は小さくか細く、舌足らずでたどたどしい。

「あ……アンノウンさん、ですか」
「……へ?」

 ようやく聞き取れたその言葉を、俺はもう何度か聞き返してしまった。







 とりあえず人の多いスタバ前で話すのも何なので、どこか店に入ることにした。
 当初はその辺の大衆酒場にでも入ればいいかと思っていたが、女性の、それもこんな幼気な(酒を飲める年ではあるらしいが)女の子が相手ならそうもいかない。
 何回か聞き返してようやく「静かな場所がいい」という要望を聞けたので、個室があってあまり騒がしくない店を選ぶ。
 まだ入ったことはないが、ちょうど近場に隠れ家的な個室居酒屋があったのを思い出して、そこに入った。

「えっと……それじゃあ、乾杯」
「か、乾杯……です」

 ゆったりした個室の座敷席で、二人で座るだけには広すぎる感じもしたが、とても静かだし余計な匂いのしない部屋は好感が持てる。
 防音性の高い扉までついているのは念の入った配慮だ。

「なんていったらいいか……その、予想外でしたね」
「そ、そうですか……?」
「いや、そもそも女性だったとは思わなかったんで……」
「……は、はひ」
「なんか、知らなかったとはいえ無理に誘っちゃってすみません」
「……い、いえ……! そんなこと、ぜんぜん……!」
「でも、こう言っちゃなんですけど、アウトドア派って感じには見えないし……」
「それは……そうです、けど。
 昔から、読書とか機械いじりとか好きで、外には全然出なくて……」

 男性慣れ……いや人慣れすらしていそうにもないし、奇抜な名前を付けていたのは男性避けの意味もあるのだろうか。
 じゃあなんで俺とのオフ会を承諾してくれたのかも分からないが。

「機械いじり……ってことは、フリーランスのハッカーってのはホントなんですか」
「あ、は、はい。”パソコン”に触ったのは……数年ほど前からですけど。
 ボクの取り柄って、それくらいしかなくて……」

 ついその特徴的なハンドルネームを思い出して彼女の胸部をちらと見てしまうが、ピーコートを脱いだ白いニットワンピースの下にあるそのバストは平坦であった。
 爆乳さん(と面と向かって口に出すと嫌味にさえ聞こえそうなので言えないが)のチャットの”僕”とリアルの”ボク”では受ける印象が全く違う。
 まあ、それも性別を誤認する一因になってしまったわけだが。

「いやいや、フリーで働いていけるなんて大したモンじゃないですか。
 それも数年でモノにするなんて……俺なんか書類作るぐらいしかできないのに」
「た、楽しいんです……コード書いてる時も、ソース読んでる時も……。
 『情報』を上手く扱えてる、って気がして……」
「そーす……?」
「あ、す、すみません。ソースっていうのは――」

 彼女はそういった知識に疎い俺にも分かるように、分かりやすく説明してくれる。
 喋り方はたどたどしいままだが、自分の興味があることを話す彼女は外見も相成って子供のように純真に思えて、素直に好感が持てた。





 最初はどうなるかと思ったものの、思ったより軽快に話は続けられた。
 初めて入った店という不安さもあったが、お酒も料理も美味しいし、他の客がいないかと思うぐらい静かで落ち着いた雰囲気である。
 お酒をちびちび飲み、ピーナッツを小動物のように齧る彼女は幼さがより際立つものの、やはりかわいらしい印象を受ける。一時間も話していれば警戒を解いてくれたのか、たどたどしさも薄れていた。
 途中、俺がお手洗いに立ってから部屋に戻ると、彼女は小さく笑って次の飲み物のオーダーを聞く。

「ごめん。ちょっとトイレが混んでて、時間が掛かった」
「いえいえ。……あれ、どうかしました? 扉の方を見て……なにか故障でも?」
「あ……ああ。いや、たいしたことじゃないよ。ずいぶん頑丈な造りだなって思って」
「そうですか?……あ、次は何頼みます?」
「うーん、じゃあ今度はカクテルにしようかな」
「いいですね。ボクもそれにしようっと」

 そして話題は最近見たアニメに移る。
 普段のチャットとそんなに変わりはないが、面と向かって話すのはまた趣が違う。
 趣味が合うのは以前から分かっていたけど、思った以上に話は弾んだ。

「――そうそう、あれも元ネタになってるんですよ。ボク、全巻読みましたから」
「へえ、知らなかった……俺も読んでみようかな」
「あ、よ……よかったら、貸しますよ」
「えっ、でもそれはさすがに――ん?」

 言葉の途中で眩暈に襲われる。
 こんなに楽しい酒の席は久しぶりなので、ついペースを早めて飲みすぎてしまったか――と思って目を閉じるが、同時に頭がぼんやりしてきた。

「う……?」

 酔いとはまた違う、異変。
 まだ二、三杯飲んだ程度だし、酩酊でこんな感覚を覚えた事はない。

「あ……ああ、よかった。そろそろ……効いてきたんですね」
「……え?な、なにを……」

 回りにくくなった舌で彼女に質問しようとするが、意識はともかく、全身が痺れたように動きづらい。

「ボクの友達の店員さんに頼んで、お酒に色々と入れてもらってましたから……。しばらくはちゃんと動けないですよ?
 ……ねえ、アンノウンさん……いえ、もう名前も知ってるから、これはヘンですね。
 ボク、ちゃんと調べましたよ――ゆうたさん」
「お、俺の名前……どこで?」

 聞き間違いではなく、ハンドルネームではない俺の本名を口にした。
 にまにまと微笑む彼女の顔は、この状況をまるで予期していたかのようだった。

「てへ……やだなあ、ボクはソフトウェア専門のハッカーですよ?
 時間と手間さえ掛ければ、誰かの『情報』を知るのはボクがいた世界より遥かにカンタンなんです。
 特に、面と向かって聞きだす必要がないのが、ボクみたいなのには有難い。みんながみんな色んな所に『情報』を自分から残してくれますからね。
 ボクたち”ラタトスク”にとってはすごくありがたーい世界なんですよ、ココは」
「ちょ、ちょっと待ってくれ……何を言ってるのか、わからない……」

 上手く動けない俺の方へ、彼女は四つん這いでにじり寄ってくる。

「そうでしょうねえ、ボクらはまだまだひっそりと機を窺っているところですから……。
 魔物娘、だなんて単語も聞いたことないでしょう」
「ま、もの……」
「ここまで来てくれたんです、アナタにはボクの本当の姿を見てもらわないと……。
 トクベツサービス、ですよ……?」
「え?……あ、」

 いつの間にか、彼女の姿がところどころ変わっている。
 彼女の背中から覗く、身の丈の半分はあろうかというほど大きな、リスのような尻尾。頭には動物のような分厚い耳。どちらも髪と同じ毛色で、見ているだけでもそのもこもこした柔らかさが分かる。
 ニットワンピースとスカートの先から延びる手足にも、ふわふわした茶色の毛皮を纏っていた。脚などは特にヒトというより、犬や猫のような丸いフォルムになって毛に包まれている。
 ヒトの身体にリスが混ざったようなその姿は、到底コスプレなどにも思えなかった。

「に、人間じゃないのか」
「その通りですよぉ。生まれはこことは”別の世界”で、イロイロ勉強してからココに来たんです。
 魔法が使いにくいからちょっと苦戦してる子もいるけど、ボクたちにはあんまり関係ないですからね。
 ……あ、でもヒトに危害を加えたりするワケじゃないですから、安心してください。
 むしろ逆です。貴方たちと愛し合って、番(つがい)にしたいんです」
「魔法?仲間? そんな、ありえない……」
「ザンネンですけど、ぜーんぶホントです。
 このお店、ボクたちのお仲間が取り仕切ってるんですよ。
 店員さんが女の子ばっかりだったし……みんなボクより美人な子……だったでしょ?
 ボクらの待ち合わせ場所から一番近くて、完全個室の居酒屋さんはココしかないって、知ってました?」
「……」

 彼女の言うことはほとんど正しい、はずだ。
 そうなると俺はここに来るずっと前から罠を仕掛けられていたことになる。
 しかし、不可解な点はいくつもあった。

「で、でも……会おうって言ったのは俺からだったはず……!」
「……そう、なんですよ。ホントはそんなつもり、なかったんです。
 準備だけは、していたけど」

 俺が聞き返すと、彼女は照れたように頬を少し染めて、口ごもりながら答えた。

「ボク……こんな貧相なカラダで、ちんちくりんで、声だって低くて……外見のどこにも女の子らしさ、ないですよね。
 それでも、服やお化粧だけは少しでもイイ物をって、必死で勉強しました。
 けどいつまで経っても、オトコの人に自分を見せられる勇気が出なくて……。
 いつの間にかネットに入り浸って、借り物の言葉でしか自分を表せなくなってた」

 何度かまた舌足らずになりながらも、彼女は言葉を続ける。

「最初はアナタも――ゆうたさんも、他の人とおんなじだろうって思ってました。
 でも長い間ボクと遊んでくれて、変人だって思ってたでしょうけど……それでも仲良く接してくれて。
 良くない事だって分かってても、色んな所からアナタのこと、調べちゃいました。
 名前も、住所も、職場も、趣味も、好きなモノも……そしたら、驚くほどボクとマッチしてて、さらにさらに深く調べるようになって――。
 ボクがこの近くに引っ越してきたのも、そんなに前じゃないんですよ」

 たどたどしさを多少残したまま喋りながら、彼女が俺の両肩に手を掛け、柔らかい材質の床に押し倒す。
 仰向けに寝る形になった俺に覆いかぶさり、少しずつ顔を俺の方に近づけながら、また喋りかけてくる。

「それでも……『会ってみたい』の一言が、ボクはずっと言えないままだった。
 どんなに計画を立てても、自然な誘い方も、実際に会って幻滅させない自信も出てこなかった。
 だから、アナタが自分から『会ってみたい』って言ってくれて……ホントに嬉しかったんです」

 眼鏡の奥の意地悪そうな目つきは、弱気になったように見えた。それは嘘ではない彼女の本心を晒け出しているように思えた。元々、面と向かっては嘘をつくのも得意ではないのだろう。
 
「それで……俺はまんまと騙されて、引っかかったわけか」
「う……だ、だって!ボクなんか、他の子と比べられたら……可愛い所なんて、ひとつもなくて……!
 回りくどくても、卑怯でも……こうやって道具や小手先に頼るしかなくて……!」

 上ずっていつもより大きなその声は、焦ったようにも悩んでいるようにも聞こえた。

「騙されるのは……あんまり、好きじゃない。
 チャットで話してた時だって、君は相手を心から裏切るようなウソなんて言わなかったじゃないか」
「……っ」

 そして急激に熱が冷めるように、彼女の声のトーンは下がっていく。

「ボクだって……分かってました。
 こんなコトしたって、ホントに欲しい物が手に入るワケじゃないって……。
 拒否されたっていいから、ボクの想いを、伝えたかっただけで……」

 眼鏡の奥にある潤んだ灰色の瞳から、小さな滴が零れたのが俺にも分かった。

「やっぱりボクは、いつまでたっても臆病な小動物のまま……今だって、踏ん切りが付けられない……。
 ……ごめんなさい、メイワクばっかり掛けました。
 しばらくしたら、薬の効果も切れますから……ボク、このまま出て行きます」

 そう言って上着のピーコートすら捨て置いたまま、彼女は個室の一つしかない扉を開けようとドアノブに手を掛ける。

「また、チャットしてくれるだけでもいいです。
 こんなボクを少しでも許してくれる気持ちになったら、いつかメッセージを――」



 ……しかし。



「――あれ?な、なんで?ドア、開かない……」

 ドアノブを捻りうんうん力を入れて引っ張る彼女だが、扉は全く動かない。

「……悪い。これでお相子にしてくれ」
「ど、どういうことですか……?!」
「さっきトイレに行ったとき、君にちょっと似た顔の女性店員に声を掛けられたんだ。
 それで……君がさっき言ったことは、ほとんどネタばらしされたよ。
 君たちが魔物だってことも、酒に何か仕込んでいたことも……おおよそは」

 小音量のBGMがちょうど曲の合間で途切れて、静まり返った部屋の中。

「…………ふえ?」

 彼女の間の抜けた声がわずかに響いた。

「どうやら君は、他人の情報を知ったり扱うのは得意らしいけど……自分個人の情報を守るのは徹底してないらしい。
 そうでなきゃ、あの店員が君のことを教えてくれるはずがないもんな。
 君の友人だって言ってたから、それこそ君から口止めする所まで至らなかったとは思うが……まあ、あの店員の入れ知恵は君にも予想外だったらしいし」

 ゆっくりと俺の方を向く彼女は、何が何だか分からないというような表情のままだ。

「このメモによると……『どうせあの子、イイとこまでいってもヘタれて逃げ出しちゃうだろうから。この”サキュバスの鍵”を使って、こっそり扉に鍵を閉めておくといいよ。もしもキミがその気なら、ね』……だとさ。
 さすがに言われてすぐは半信半疑だったが……鍵穴もないのに鍵の先端が扉に吸い込まれたのを見て、俺にもようやく分かったよ。
 本当に、俺たちの常識を破壊するような生き物が、この世界にもいるんだって」

 ぽっかりと開けた彼女の口からは、子供っぽい八重歯が覗いていた。

「あ、あ、あ……ぁぅ……っ」

 正直、薬とやらのせいで口を動かすのも一苦労だが、彼女に言っておきたいことはいくつもあった。

「でも一番先に言いたいのは……君が自分自身を”可愛くない”って言ったことに対してだ」
「……え?」
「最初に君を見たときは驚いたけど、とても女の子らしかったし、可愛くないだなんて一度も思わなかった。
 出会う前から俺には仲良くしてくれてたし、純粋な好意もあったよ。
 そしてついさっき、本当の姿を見たときだって、もっと、その……可愛くなったって、思ったんだ。大きな尻尾も、毛皮も、耳も……」
「なっ……なな、なにをっ……」

 こういった言葉を言われるのには慣れていないのか、分かりやすく彼女の頬が染まり、瞬きが多くなるのが手に取るように分かる。
 俺もこんな歯の浮いた台詞を言うのは慣れていないのでたどたどしいが、それはもうお互い様だった。

「はっきり言って、俺は君に好意を抱いてる。
 だけど、俺はまだ君のことを知らなさすぎる。本当の名前だって知らないままだ。
 今からでいい、教えてくれないか」
「あ……え……な、なまえは、ターミアって、いいましゅ……ます」
「……ありがとう。じゃあ、ターミア。
 改めて聞くけど……君は、本当にこれでいいのか?」
「な、なにが……言いたいんですか」
「上手く俺を誘導して、ついには酒に薬まで入れて……でも結局動けないままの俺を放っておいて。
 こんなちぐはぐなまま、またチャットで会話するだけの関係に戻っていいのか?」

 感情を煽るような言葉は思ったより彼女に響いたのか、彼女の体や尻尾がふるふると小さく震えていた。

「うっ……う、ううう……!
 ぼ、ボクだって……!そんなこと思ってるワケ、ないじゃないですか……!!
 もっとカワイイって、チャットじゃなく面と向かって、アナタに言われたいです……!
 あわよくば好きだって言われたいし、その……そういうコトする関係に……だって、なりたいっ……!」
「……よかった。それだけ聞ければ、もういいよ」
「ふえっ……?」

 俺は口の中に入っていた、とても小さな”飴”を歯で噛み砕く。
 さっきターミアと同じ”ラタトスク”を自称する店員に、サキュバスの鍵とやらと共に渡されたものだ。
 『キミにあの子を愛する気概があるなら噛み砕くといい。お酒に入れておいた薬を中和できるから』とは言っていたが……ここまで即効性があるとは。
 噛み砕いて三秒もしないうちに、体がいつものように動かせた。

「っ……?! な、な、なんで……ちゃんと薬は効いてたのに……!?」
「それもあの店員からだ、酒に入った薬を打ち消すための”飴”を貰った。
 さて……未遂とはいえ、俺の事を襲おうとしたんだ。
 君が俺に襲われても……文句はないよな?」
「う……あ、あうぅ……」
「ただ……その、俺の信条的にも、相手の同意も得ずに、そういう事はしたくない。
 君の口からちゃんと許しが欲しい、ターミア」

 その言葉と共に、俺は少しずつターミアに近づく。
 顔を真っ赤に染め、初めて会った時のようにおずおずと、ゆっくり、彼女もまた近づいてきて。

「……や……」

 俺の前で女の子座りをして、真っ赤な顔で。
 自分の尻尾と口をぷるぷる震わせながら、彼女は言った。

「やさしく……して、ください……っ」






 ――どれくらいか分からないが、時間が経って。
 俺はターミアの大きくて柔らかい尻尾と、細くて小さいけれど抱き心地のいい身体を存分に堪能していた。尻尾をぎゅっとするたびに、彼女の抱き心地もまた良くなっていくような感触がする。
 防音が行き届いた部屋である事は二人とも知っていたため、声や音を我慢する必要もなく――遠慮せず、俺達は一糸纏わぬ裸体になって、体を重ねた。
 まあ、流石に最初からこの部屋が『そういう目的』で作られたのだとは思っていなかったが。

「ふーっ、ふーっ……♡ もうっ、ボクの尻尾と耳ばっかり、ふにふにしてるっ……」
「ご、ごめん。触ってて気持ちいいし……その。
 握ったときの声が、輪をかけて可愛らしくて」

 尻尾や毛皮の、綿のようにふわふわした手触りと、確かな毛先の感触が肌を撫でるたびに気持ちがいい。
 俺が撫でたり抱きしめたりするたびに、彼女も心地よさそうな表情と声を漏らすのも、たまらなく興奮させられてしまう。

「むーっ、尻尾ばっかりに構って……ぼ……ボクの身体も、ぎゅっとしてほしいのにっ……。
 あっ、また――ふみゅっ!く、唇で、耳をはむはむするの、らめぇっ……」
「そ、そんな声を出されると、余計に……」
「え……?あっ、すごい……またこんなにおっきくなっちゃった……♡
 てへへ……ちゃんとボクでコーフンしてくれてるんだね……♪」
「ああ。小さくて可愛い女の子だからな、当たり前さ」
「んむぅっ……じゃー、小っちゃい子ならだれでもいいの?ゆうたさんのろりこんっ」
「そ、そういうつもりじゃなくてだな……わっ?」

 俺が多少うろたえた隙を狙われ、俺はターミアにぐいっと押し倒される。
 そして小さな八重歯を見せて、てへへと笑う。

「なーんて。ちょっとイジワルされたから、ボクからもお返し。
 ねっ……こ、今度こそ……アナタのこと……襲っても、イイよね……?」
「……ああ。優しくしてくれると嬉しい」

 さっきのターミアの台詞を返すと、どうやら彼女をさらに昂らせたらしい。
 身体の熱も、滴り落ちる蜜も熱くなったように感じる。
 そんなどこまでも愛らしい女の子を、心から愛おしく思いながら抱きしめると、

「もうっ。そんなカオされたら、ますますあまーく蕩けさせたくなってきちゃった……♪
 今日は朝になるまで、ボクの尻尾と身体の虜になってもらいますからね……♡」

 意地悪そうな笑みを浮かべたターミアに、俺はまた唇と心を奪われるのだった。



18/12/02 20:55更新 / しおやき

■作者メッセージ
最後までお読みいただき、ありがとうございます。

イジワルなのに臆病で、攻めるのも攻められるのも似合いそうなラタトスクちゃん。
頭脳明晰に加えてもふもふな尻尾と耳と身体。
kawaiiでしかない……

彼女が現代に来て情報工学を学んだら魔界化スピードは一気に向上するでしょうね。
次のラタトスクちゃんもうまくやってくれるでしょう。

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