見つめ合う青春
私のヒミツは驚くほど簡単にバレた。
なんで?どうして? あんなに必死で隠してたのに! こんな簡単にバレるなんて!
私は家に着くと自分の部屋へ行き、鞄をぽいっと捨ててベッドに突っ伏し、枕に顔を埋める。低反発のに変えてて良かった。
足をバタバタさせながら布団を叩く。ぼすぼす。
「はぁーっ」
溜息が出た。
気が付くと私の肌が白くなりかけていて、ああまた成っちゃいそうだな今ならいいかと思ったのでブレザーとシャツとを脱いでおく。ガマンする必要もないし。
このままだとアタシ、ずっとブラジャーも着けなくていい。……胸が小さいせいとかじゃなくて。
――我ながらもう、どっちが本当の私なのか、アタシなのか、分かんないな。
どうしよう。釘は差しておいたし、ウワサにはなったりしないだろうけど、明日どんなカオして学校行けばいいんだろう。普通にできるかな。
……っていうか、最初にバレた時にアタシの力でどうにかすればよかったのか。
記憶を無くさせるとか、それはアタシじゃなかったとか、いくらでも”暗示”で誤魔化せたのに。
ああ、そう思い付いたのも今更で、もはや後の祭りだ。
こうなったら腹を括ろう。
アタシのヒミツを知っているのは、アタシ以外にはあいつしかいないんだから。
……そうだよ、仲良くなっちゃえばいいんだ。
あいつはアタシのこと見ても大丈夫そうだったんだし。
あーでも、今まで仲良くなかったのに急に話しかけるのって変かなぁ。でもあんなコトがあったんだから、ちょっとぐらいへーきかな。
……メルアドくらい聞いとけばよかった。
明日聞こっと。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
僕のクラスメイトの女の子は、一つ目をした魔物だった。
彼女の名前は亜芽(あめ)、中学生三年生。
僕が学校で見た彼女の目はもちろん”二つ”あった。
背は少し低めで、身体もどちらかと言えば細い。
前髪が長いけれどヘアピンはつけていない。ロングヘアの黒髪をいつも簡素に後ろで縛っている。
真面目そうな、おとなしそうな雰囲気で、声色も落ち着いている。 たしか美術部だ。
僕と彼女は何度かクラスメイトになったこと以外に何の接点も無かった。授業で同じ班になった時に話をする程度で、苗字さえつい最近覚えたところだ。
誰かと話している所はあまり見たことがないけれど、仲が悪いようには見えない。
ただ、大体の子(特に女の子だ)が色々なグループを作っているのに対して、彼女はどこにも集っていなかった。でもそういう子自体はクラスに他にも何人かいたので、それも気にはならなかった。
十月に入り、肌寒くなってきたころ。
その日はテスト期間で部活もなく、皆が早めに下校していた。
僕も亜芽さんもいつものように自転車に乗って学校を出る。
彼女とは大体の帰る方向が似ていたけれど、今まで一緒に帰ったこともないし、詳しい帰り道も家の場所も勿論知らない。
一人で帰っていた僕はいつもの通学ルートを外れて、お気に入りのジュースがある自販機に寄っていた。コンビニの少ない田舎町なのでどうしてもこういう場所に来てしまう。
ジュースの蓋を開けようとした時、下にある道を自転車で走っていく女の子がいた。
亜芽さんだ。
その漕ぎ方は慌ててスピードを出しているようにしか見えず、急いでいるように見えた。
ガードレールから身を乗り出して僕は彼女の行先を確かめる。
すると彼女は、僕のいる本道の下にある、側道を繋ぐとても小さなトンネルに入っていった。
どうしてそんな所に入ったのだろう?
疑問に思った僕は未開封の缶を置き、彼女が何をしているのかをつい確かめに行ってしまった。幸か不幸か、下道に降りる階段がすぐそばにあったせいかもしれない。
二メートル半ほどの高さしかないトンネルは狭く、暗い。覗こうとしなければその中はまず見えないだろう。
そっと僕が中を覗くと、スタンドで立てられた自転車の横に誰かがいる。自転車の荷台には僕の学校の制服であるブレザーが掛かっていた。
そして、僕に背中を向ける形で道に座り込む人影。その誰かは背中から十本のうごめく触手を生やしている。顔は見えないけれどとても異様な姿で、そしてスカートの下からだけ服を着ていた。
人影の前には黒い何かが置いてある。
僕は音を立てずにトンネル内に入り、じっとそれを見ていると、その黒い何かが動く。そしてにょきりと四本、足が伸びる。
黒猫だった。
その猫はみゃあ、と鳴くと、ゆっくり立ち上がり、ぶるぶると身を震わせる。
真っ黒い毛でふわふわとした猫の背中に、人影から真っ黒い手がそーっと伸びた。
しかし猫はそれを慌てて避けると、僕のいる道の方へひょいと逃げてくる。
猫を追って振り向いた誰かと、僕の目が合う。
亜芽さんの目は赤く、大きな一つ目だった。
ついさっきまで二つあったはずの目が、顔の真ん中にひとつだけ。
トンネルの暗がりの中で、その赤い瞳が生き物のようにぎょろりと動く。
ただ、その眼以外を除けば亜芽さんにとてもよく似ている。こんなに異様な姿なのにそう思ってしまうのが、自分でも不思議だった。
僕を見つめながら、彼女はゆっくりと口を開く。
「見た?」
反射的に僕はうなずく。
「……見た」
彼女から目を離せないままでいると、彼女はひっそり呟く。
背中にある触手が蠢いたかと思うと、少しずつそれは短くなってしゅるりと背中の奥へ消えていった。
「アタシ、ネコ好きなんだけどね。特に黒いの。でもすぐ逃げられちゃう。
まーでも、元気になってよかった。シャツ破いた甲斐がないもん」
「えと……亜芽さん、だよね?」
「うん」
はっきりとした返答。
もしかしたら全く別の誰かなのかも――と思っていた僕の考えは、その言葉でどこかに行った。
彼女は再び後ろを向くと、自分の自転車に歩みよってブレザーを広げた。彼女の背中が見えたけれど、さっきあったはずの触手はどこにもない。代わりに破れたカッターシャツと、薄橙色の肌が見えた。
「いつから見てた?」
「……ここに入る、ちょっと前ぐらいから」
「ふーん……ってことは、アタシがこんなだってのは知らなかった?」
「……それは、まあ」
ブレザーを着直すと、また彼女がこちらを振り向く。顔を見ると、さっきの赤い眼はどこにもない。
いつもの亜芽さんの目が二つ、そこにあった。
「アタシも、人に見られるのは初めて」
その日の帰り道。
僕と亜芽さんは並んで自転車を押して歩いていた。
もう姿はいつもの彼女に戻っており、今はふつうの女の子にしか見えない。
亜芽さんは怪我した猫を助けるためにあの小さなトンネルに入ったらしい。
”あの姿”になることで、不思議な力が使えるようになるのだ、と彼女は言った。
そして、でも誰にもこの姿を見られたくなかったから――と。
「どうしてあんな姿に成れるようになったかは、私も分からないけど。
初めて”あの姿”になったのは、小学六年生ぐらいの頃だったかな。
そりゃもう、びっくりしたよ。自分の部屋だったから良かったけど、カラダは熱いし、服は破っちゃうし。
ネットで調べたってこんなの出てくるワケないしさ。
だれに相談も出来なくて、結局今のまんま」
『誰にも見られたくなかった』という割に、僕が聞くことに対して亜芽さんは素直に話してくれた。
学校で会う時よりも朗らかな笑顔に見えたし、快活に喋っていた。
「あーでも、すっごくイイ気分だったのは覚えてるなァ。
なんでもやれるぞー、って気分になってさ。
自分が出来ることが何でも分かって、すーっと頭の中に入ってくるみたいな――」
僕があげたジュースを飲みながら、亜芽さんが続ける。
彼女を”おとなしい子”とだけ表現していたのは僕の間違いで、本当はお喋りも大好きなのかもしれない。
「でも少しずつ落ち着いてくると、自分の姿も元に戻っていった。破ったシャツ以外はだけど。
そんで色々試してて分かったのが、感情が高まると姿が変わっちゃうってこと。
学校でなったりしないかすごい不安だったけど、その辺は大丈夫だったね。
最近だと自分の意思でも割とコントロールできてきて、もうほとんどジユージザイかな」
分かれ道に入ったところで「あ、」と声を上げて彼女が止まる。
「私ん家、あのマンションだよ」
彼女がマンションの上の方を指さしながら答えた。
僕の住んでいる家とはかなり近く、自転車すらいらないような距離だ。
それを彼女に伝えると、 飲み干したらしいジュースの缶を自転車のカゴに置いた。
「へー、意外と近くだね。帰るの同じ方向だから、近いとは思ってたけど」
じゃあまた、と言い掛けた僕の上から、
「あ、一応言っとくけど、今日のコトはヒミツでお願いね」
うん、と頷いて返事する。
「じゃあ、また学校でね。ばいばーい」
お互い軽く手を振りあって、僕も帰路につく。
次の日の夕方。学校が終わり、登下校の時間。
白い息を吐きながら自転車に乗っていると、後ろから「おーい」と声がした。亜芽さんの声だ。
「おはよ」
「おはよう」
帰り道に彼女から声を掛けられたのは初めてで、少しびっくりした。でも顔には出さないように僕は努める。
「せっかくだからさ、メアド聞いとこうと思って。学校だとまずいでしょ」
彼女が携帯電話を取り出しながらそう言ったので、僕もそれにならって携帯を取り出す。
こうやって面と向かって、しかも二人きりで携帯を突き合わせると、なんだかとても不思議な感じがした。
昨日あんなコトがなかったら、今日こうして彼女と話していることもなかっただろうから。
「亜芽さん」
「ん?」
「その……あの時の亜芽さんの姿、もう一度見てみたいかな、って」
僕がそう切り出すと、途端に彼女は慌てたような顔で、
「え? あ、あー……うん。そっか」
携帯をくるくると指先で弄びながら、確かに言った。
「じゃあ――今日、ウチに来ない?」
えっ、と僕の口から間の抜けた声が出る。
「私ん家、ほとんど母さんも父さんもいないからさ。
……あ、ベツにあれだからね、えっちなコトとかじゃないからね!
あれだよあれ、ゲームしたいだけだから!」
ただ少し曲がり角を変えるだけなのに、それはとても大きな変化に思えた。
僕たちは他愛ない事を話しながら、彼女の家に向かっていく。
それでも僕の内心は気が気でなかった。何しろ突然彼女の家に誘われたのだから。
「リビングで待ってて。あんま使ってないから、ちょっと埃っぽいけど」
彼女がお茶を入れてくる間、僕はリビングのソファに座って待っていた。
高そうな薄型テレビ、柔らかいカーペット、座り心地のいいソファ。家具はとても良いものに見えるけれど、あまり手入れはされておらず、使ったような跡も少ない。
部屋の中を僕がぐるりと確かめていると、いきなり彼女はお盆を持って僕の横に現れた。
全く足音がしなかったのに彼女が現れたので、僕はびっくりして背が跳ねる。
「へへ、びっくりした?」
彼女の姿はもう、赤い一つ目に真白い肌で、触手の生えた”あの姿”に変貌していた。よく見ると彼女は少しだけ床から浮いている。足音がなかったのはそのせいらしい。
さらに彼女は一枚も服を着ていない。しかし身体中に黒いゲルのような何かが付いていて、手足と胸や股間といった局部だけはそれで隠れている。
その姿は恥ずかしくないのだろうか――と聞いてみると、
「え? あー……なんでだろ、あんまり恥ずかしいとか思わないね。
”この姿”になるとさ、なんか気分がすっきりして、細かいコトとか気にしなくなっちゃうかな。
……最近、家に帰るとずっとこの姿のままなんだよね。誰もいないしさ」
と言葉を漏らした。
お茶を載せたお盆を置いた後、彼女がテレビ台の中にあるラックからゲーム機を取り出す。
ゲーム機自体は新しい物だけど、あまり使われた様子はない。
「今流行ってるあのイカのゲーム、アタシも買ったんだけどさ。
まだ誰かと一緒にやったコトないんだよね。ちょっとやってみない?」
僕の返事を聞くまでもなく、彼女はゲーム機のコードを取り付けて電源を入れていた。
ゲームの内容よりも彼女の裸体のほうが気になっていたものの、さすがに口には出せない。
どこか悶々としながら、僕と彼女は二、三時間ほどゲームに熱中していた。
彼女にはあまり勝てなかったものの、楽しそうな彼女の姿を見ているだけでも満足する。
「えへへ。練習してたぶん、やっぱアタシのほうが強いみたいねー。
どうする?ほかのもやる? ”すまぶら”とかもあるけど」
さすがにやられっぱなしというワケにもいかないので、僕はそれに賛成する。
こちらのゲームは僕も持っていたので、彼女を倒すのはそれなりに簡単だった。
「あっ!アタシのアイテムっ! ちょ、ちょっと、バットはずるいって……あー!
もーいっかい!もーいっかい!」
なんだかんだで、彼女は負けず嫌いのようだ。
一週間後。
テスト期間が終わり、部活動がまた始まる。
……はずなのだが、その日は豪雨のせいでグラウンドが使えず、体育館も試合が近づいている野球部でいっぱいになってしまって活動の場が取れず、僕の部活は休みになった。
放課後になり、とりあえず荷物を詰める僕の机に、亜芽さんがやってくる。
「今日、部活休みらしいね」
返事をしながら僕は鞄に荷物を詰め終えた。
「あー、もしヒマだったらさ。うちの部見てみない?
美術部、先生はほとんど来ないし、今日は後輩の子もみんな休みでさ。
なんていうかその……ほら、話し相手が欲しくてさ。だから来てくれたらうれしいかなーって」
彼女のからの意外な提案に、少し驚きながらも僕はうん、とうなずく。
「ほんと?へへへ、やったね」
じゃあ鍵借りてくる、と言いながら彼女は教室を出ていく。
それから僕達は一緒に美術室へと向かった。
「最近、あんまり上達してる気がしなくてねー。
特にヒトの顔とかはニガテだったんだけど……あ、」
美術室でカンバスとイーゼルを用意しながら、彼女がつぶやく。
すると、前に描いていたらしい書きかけの絵を元に戻し、彼女が新しい紙を取り出した。
「そうだ。せっかくだから、デッサンのモチーフになってよ」
モチーフ?と困惑しながらも、とりあえず僕は了承の返事をした。
つまり僕を絵に書くということなのだから、どこか変な気分にもなってしまう。
「じゃ、こっちの椅子に座って」
僕が彼女の正面に座ると、彼女が鉛筆を構える。
さっさっと鉛筆を動かす音と、外から聞こえる雨音が静かな美術室に漂う。
カンバス越しにちらちらと彼女に見られるのは意外とくすぐったい心持だ。
「ん〜、やっぱ慣れないなあ……。
活き活きした表情ってホントむずかしいんだよね」
ちらり。
「あ、ベツにずっとじーっとしてなきゃいけないワケじゃないからね。
テキトーに、肩の力も抜いてー」
ちらり。
「まあ確かに動かないでいてくれた方が……ん?
どしたの? ヘンなカオして」
こちらを見る彼女の眼。
それがいつの間にか、”あの姿”のような赤い一つ目になっている。
肌の色もどこか白っぽくなってはいるが、背中の触手までは見えなかった。服の破れる音もしない。
「え? ……あ!」
ピンときたらしい彼女は、スマートフォンで自分の顔を確かめ、一つ目という異変に気づく。
「あー……なんでかな。今までは気ぃ抜いてても、こんなコトなかったのに。
……ま、今は誰も来なさそうだし、いっか」
そうしてまた、じろりと赤い一つ目がこちらを睨む。
つくづく彼女は不思議な身体をしている。
デッサンというのは時間が掛かるらしく、その日のうちでは書き終わらなかったようだ。
「また、付き合ってもらってもイイかな」
断る理由は、どこにもなかった。
初めて”あの姿”を見た時から、二週間後。
学校にいる間は、あまり亜芽さんも話しかけてこない。
けれど、家に遊びに行ったり、絵のモチーフになったりする時はよく話してくれた。
こうして考えると、今の彼女との関係はとても不思議に思える。
彼女のヒミツを僕だけが知っているけれど、それ以外では大した関係でもない。
きっと僕以外にももっと仲の良い友達がいるだろうし、そういう子とのほうが親密だろうから。
「ね、」
僕がぼんやり机に座っていると、めずらしく亜芽さんが話しかけてくる。
「放課後、美術室に来てもらっていいかな」
美術室? と僕は聞き返す。
「今日は部活ないんだけど、見せたいモノがあるの。
授業が終わったら五分待って、美術室に入ってきて。こっそりドアを開けとくから。
あ。ぜったい一人で来てね」
念を押された僕は頷く。
おそらくは僕の絵の続きを描くのか、それが出来上がったから見せてくれるのかな、と思っていた。
授業が終わり、僕は約束通り五分ほど時間をつぶしてから美術室のある三階に上がる。
まだそれほど経っていないのに廊下にはもうほとんど人が残っていない。
美術室の引き戸の窓には分厚いカーテンが掛かっていて中は見えなかった。
扉に手を掛けてみたが鍵は掛かっていない、彼女が開けてくれたのだろう。
ゆっくりと扉を引いて開けると、いつもの静かな美術室がある。少し暗いが、それは全ての窓にカーテンが引かれているからだ。
ぱっとみた感じでは亜芽さんは居なかった。
美術準備室への扉も鍵が開いていたけれど、彼女のものらしき学校鞄があるだけで誰もいない。
そこで、窓側にあるカーテンから足が生えているのに僕は気づいた。靴下とスカートで素肌は隠れている。
そして、ちら、とカーテンの重なる切れ目から、誰かがこちらを覗く。
その水晶玉のように大きな赤い瞳を見るだけで、そこに居るのが誰なのかは明白だった。
「――えへへ」
僕を見つけた亜芽さんがカーテンの裏からばっと姿を現す。
彼女はもう”あの姿”になっていて、背中から僅かに触手と目玉が顔を覗かせる。肌が白く染まり、顔には大きな赤い一つ目が嵌っていた。
制服どころか下着すら身に着けておらず、彼女の身体、手足や胸、股間などに付いている黒いゲルのようなものが無ければ、僕は目のやり場に困っていただろう。
細っこい真っ黒な手に彼女は何かを持っている。
「前に見たいって言ってくれてたからさ。写真、撮ってもらおうかなって。
使い方、分かる?」
彼女が手にしているのは、学校の備品である少し古めのデジタルカメラだ。
電源を付け、何かぽちぽちと設定をしたあと、それを僕に手渡してくれる。
「絵を描くときのモチーフになるかなって思ったんだけど――。
自分で撮ると、なんかうまくいかなくてさ。
とりあえず、何枚か撮ってみてもらっていい?」
僕は彼女から少し離れてカメラを構える。
あまり写真を撮った事はないけれど、彼女もプロみたいに撮ってくれとは言わないだろう。
肩の力を抜きながら、ピントを彼女に合わせた。
「――ん、」
最初の何枚かは棒立ちのままで、落ち着かないのか大きな目をぐりぐり動かしてきょろきょろしていた。
少しずつ「ポーズとるね」と言ったり、「笑顔の方がいいかな」と言ったりして、少しずつ彼女は撮られ方を変えていく。
最初は初めて撮られる子供のような初心さがあったけれど、すぐにモデルのようにポーズと表情を変えていった。
「にーっ」
自然な笑顔になり始めた彼女の姿がデータに残っていく。
写真に収まる彼女の姿はあまりにも異様で、とても非現実的だ。
学校という見知った場所で、言い様のない姿をした彼女を写す――。
これを合成ではない本当の写真だと思ってくれる人は、一体何人いるのだろう。
「机の上とか……乗っちゃってもイイかな?」
興が乗ってきたのか、彼女は女の子らしい扇情的なポーズを見せつけてきた。机の上で体育座りをしながら顔に膝を載せていて、グラビアのようにも見える。でも写真が撮られる音がすると、思い出したように頬を赤らめて姿勢を崩す。
そんな所も残しておきたくて、つい連続してシャッターを切ってしまう。
「ちょ、ちょっと。今のなしっ」
抗議する彼女をたしなめながら、また僕はカメラを彼女に向ける。
ぶつくさ言いながらもまた彼女はポーズを模索しながら僕の方を見た。
「んもー、後でそれ消すかんね」
顔に掛かる長い前髪を払いながら、彼女が笑顔を見せる。
カメラを向けるのに夢中だった僕は、外から聞こえてくる足音にぎりぎりまで気が付けなかった。
静粛の教室の中、引き戸の開く音はとても鮮明に聞こえた。
僕も彼女も跳ねるように音がした方向――入り口の扉へ振り向く。
カーテンのめくれたそこに居たのは、僕らより背の低い男子だった。
その子に浮かぶ、見てはいけないものを見たような、引きつった表情。
「……ぁ、……ば……ばけものっ……!」
がたん、と大きな音が鳴る。
勢いよく戸が閉められた音だったのか、彼が尻もちをついた音だったのかは分からなかった。
そしてすぐさま走り去るような足音が聞こえて、それは次第に小さくなった。
僕は僅かに開いた入り口を閉めるついでに外を確かめる。そこにはもう誰もいない。
扉を閉めてから、振り返って亜芽さんの様子を見る。
さっきまで笑っていたはずの彼女には、表情がない。ただ目を丸くしているだけ。
様子がおかしいと思った僕は、入り口の鍵を閉めてから彼女に近寄った。
「……亜芽さん?」
黒い前髪の下から覗く赤い瞳が、僕の方を見る。
すると彼女は僕の胸で顔を隠すかのように、僕に抱きついて背中に手を回してきた。
そのまま、彼女は何も言わない。
「ここにいると、また誰か来るかもしれない。
元に戻れるまでしばらく、あっちで隠れていよう」
僕は胸に顔を埋めたままの彼女を連れて、準備室のほうへ入る。少し埃っぽい、画材と絵具の匂いが鼻を突いた。ここなら先生が別の鍵で入ってきてもおそらく見つからないだろう。中も広いとは言えないけど、僕たち二人が座るぐらいは十分にある。
彼女が置いたであろう通学鞄の横に腰を下ろして、まだ顔を埋めたままの彼女に話しかけた。
「……大丈夫?」
半ば強引に身体を起こさせ、彼女の顔を見る。
「――っ」
彼女の大きな赤い目からは大粒の涙が零れていた。
「ぁ……」
髪の下でぎょろりと動いて僕を見つめる眼は涙で潤み、何度も瞬きを繰り返す。
気が付いたような顔をするとすぐにまた彼女は顔を伏せてしまう。
抱きついてくる彼女の身体は震えていて、背中から何本かはみ出たような目玉のある触手が僕を見ていた。
「あたし……は……」
絞り出すような声は不鮮明で、静かな部屋の中でもうまく聞き取れない。
「やっぱり……あたし……、ばけもの、だったんだ……」
ひっく、ひっくと漏れる嗚咽。
「……わかってた……分かってた、はずなのに。
面と向かって、言われただけで……目の奥が、鼻の中が、熱くなって……っ」
悲痛な押し殺した声を漏らすたび、僕の胸に顔が擦り付けられる。
鼻をすする音と、泣き声ばかりが部屋を満たす。
「私……あたし……えぐっ、……んぅっ……」
すすり泣く彼女の頭を、僕は黒髪越しにそっと撫でた。
僕が触れると少しだけ彼女が身体を振るわせ、またぎゅっと僕に抱きつき直す。
細切れに嗚咽を漏らす姿がとても弱々しくて、今にも崩れ落ちてしまいそうに見えた。
彼女が人間の姿に戻った後。
なんとか頃合いを見て美術室から抜け出し、僕らは二人で下校していた。
からからと自転車のタイヤが回る音だけが場を埋める。
息の詰まるような重い空気があって、僕は言葉を切り出せずにいた。
僕の家と彼女の家をつなぐ分かれ道で、つぶやくように、彼女が言う。
「――私の家、来てもらってもいいかな」
僕は小さくうなずいて、彼女が進むのと同じ方向へ自転車を押し歩く。
そのまま黙って少し後ろで彼女に着いていく。
彼女が導くままに彼女のマンションへ入り、玄関を閉める。
静まり返った部屋の中でリビングに鞄を置くと、彼女が僕を手招きした。
ついて行った先にあるのは彼女の部屋。何度か遊びには来たけれど、まだ入ったことはない。
少しだけ気後れしながらも、彼女に続いて部屋に入る。
思ったよりもその中はずっとシンプルで、ベッドと机と本棚だけが並んでいる。扉に掛かったプレートが無かったら、彼女の部屋だとは分からなかったかもしれない。
カーテンが閉まっていて薄暗かったけれど、部屋の電気は付けずに彼女が奥まで行く。
彼女は制服とシャツを脱いで、机の椅子に掛ける。さらにその下にあるスポーツブラや、スカートまで外し始めた。
暗がりの中、僅かに膨らんだ乳房がちらりと見えて、心臓が跳ねそうになる。
「……ね、こっち……来て、」
彼女はぽふん、とベッドに身を滑らせて寝転び、僕を呼ぶ。上半身は完全に裸体になっていて、もう白いショーツしか身に着けていない。
仰向けになった彼女の顔に長い黒髪が垂れ、その間から一つ目がこちらを覗く。暗がりでもその赤い瞳はルビーのように輝いていた。
魅入られるように僕の身体が動き、制服の上着を脱いでベッドに上がる。
彼女から漂う桃のような甘い香りが強くなり、近くにいるだけでもくらっとしてしまう。
「ぎゅって……して……」
どうすればいいか分からず戸惑っていた僕の腕を、彼女が軽く引っ張る。
僕は彼女の横に寝転んで、頭を腕と胸で包むようにして抱きしめた。
温い息が僕の胸元を温め、触れた箇所からじんわりと暖かさが伝わってくる。
「……アタシさ、」
綺麗な黒髪が近づき、シャンプーの香りと甘い匂いが重なって鼻をくすぐる。
静かな部屋の中、互いが息をする音だけが鮮明に聞こえていた。
「前も言ったけど……誰かに見られてない時はもう、ずっと、この姿なんだ。
だからもうアタシには……どっちがホントのアタシなのか、分からない。
何かのきっかけで、もうニンゲンには戻れないかもしれない」
ゆっくりと彼女が顔を上げる。おずおずと、親の機嫌を見る子供のように。
「そんなヤツでも……アタシ、いいのかな」
意を決して僕は彼女に顔を寄せ、目を瞑って唇を重ねる。
「――っ」
彼女とする初めてのキス。
時間も息も、全部が止まってしまったかのような錯覚。
心臓がこれ以上ないほど鼓動を鳴らし、触れ合った唇の感触だけが鮮明に焼きつく。
身動きのできない苦しさと、言い様のない多幸感。
「……ぷはぁっ、」
どちらともなく唇を離し、息を整える。口づけの味を理解する余裕はなかった。
ただ唇を合わせるだけのつたないものだったけれど、彼女は赤面しながらにんまりと微笑んでくれた。人間の時とは違う、ぎざっとした歯がちらりと見える。
ゆっくり彼女が身体を起こしたかと思うと、自分の白いショーツに手を掛け、そっと下に降ろすのが見えた。そして、僕が仰向けになるように押し倒される。
僕を見下ろしながら、彼女が僕を跨ぐように膝立ちで座った。
「ごめん……アタシもう……ガマン、できないかもっ……」
吐息を荒げながら、彼女が身体を浮かせ、僕のベルトに手を掛けて外していく。僕は抵抗する事もなく、足を動かして彼女の手伝いをする。下着まで脱がされ、下半身が裸になるのはあっという間だった。
僕の肉棒はもうピンと上を向いていて、ぴくぴくと震えていた。
ぴったり閉じた少女の秘部は白く、ぬるぬるに濡れているけれど、強引に入れようとすると壊れそうなほど小さく繊細に見える。
「食べちゃうね……っ」
亀頭の先端がくちゅ、と彼女の入り口に触れる。
蜜液でどろどろになりヒクヒクとうごめくその穴は淫靡で、僕の肉棒を飲み込もうとしていく。
ぐぷっ、ぬぷぷっ……。
溶けそうなほど熱い肉壺に陰茎が包まれ、狭い膣穴を押し広げていく。ヒダでいっぱいの柔肉がぎゅっとペニスを掴んで、離したくないと言わんばかりに絡みついてくる。
「ふ、ぁ……っ、熱くて、カタいっ……よぉっ……」
にゅくく……と、奥底まで膣内に飲み込まれ、彼女と一つになる。
彼女の体温が直に伝わってきて、思わず上半身が彼女を抱きしめてしまう。
漂ってくる甘い体臭と、体液の淫らな香りが混ざり合い、僕の脳を蕩けさせる。
全身で感じる温もりを噛みしめながら、荒い吐息を整えていた。
「はじめて……だけど、ぜんぜん、痛くないや……。
う、動く……からねっ……」
上半身で抱き合ったまま、彼女が腰をゆっくりと動かし始める。
ぬちゃぬちゃと淫らな水音が響いて、肉棒を熱い柔肉が扱いていく。
ぎゅっと肉壁に包み込まれ、上下に刺激される快感がたまらない。
「あ……ぁ……なんだろ……カラダ、溶けちゃいそうで……、
気持ちよくて……あたまのなか、まっしろに……っ」
ぱんっ、ぱんっ、と肉のぶつかり合う音がスピードを増していく。
腰を打ち付けられるたびに体温が上がり、ぎゅっと肉棒を締め付けられていく。
あまりにも情熱的な彼女の求め方に、僕はもう限界だった。
けれど彼女が絶頂に達するまでは我慢したくて、彼女の肌を舐める事で気を誤魔化す。
真白い肌の所々に付いた黒い液体を舐めとると、また頭の痺れそうな甘さが駆け巡った。
「ひ……ぁ……っ、い、いく……っ、いっちゃ……うぅっ……!」
絶頂を求める彼女の甘く切ない声。
もうすでに理性が崩壊しそうだった僕は、その声と共に射精してしまう。
「――っ、ぁあぁっ――、あはぁぁっ……!」
絶頂と同時に肉壺がきゅっと締まり、射精を続ける肉棒からさらに精を搾り取ろうとする。
どくん、どくん――と精液が吹き出ていく快感。
彼女の子宮を満たそうと、熱い白濁液が留処なく溢れ出る。
狂いそうなほどの射精の快感で、もう頭の中が彼女のコトしか考えられなかった。
「はーっ……はーっ……♪」
長い長い絶頂に身体を震わせた後、彼女は繋がったまま僕にしな垂れかかってくる。
射精を終えたはずの肉棒はまだ硬さを失わず、彼女の中に入っていようとしていた。
「ふぅっ、ふぅっ……アタシの中、もうセイエキでいっぱい……」
彼女が顔を上げると、僕と目が合った。
快楽に溶けた彼女の表情はだらしなく、目も口もだらんと蕩けていた。
目を瞑りながら、彼女が顔を近づけて僕にキスをする。
「んっ……♪」
激しい快楽の余韻の中、柔らかい唇の感触がじんわりと広がっていった。
「……アタシね、はっきりと分かっちゃったみたい。
たぶんもう、ニンゲンには戻れない。ずーっとこの姿のままだ、って」
胸に顔を埋めながら、僕の上で寝そべる彼女がぽつりとつぶやく。
「それでも……イイかな?」
僕がうなずいて返事をすると、彼女は少しだけ身を起こし、僕と顔をずいっと向かい合わせる。
赤い一つ目が不満そうに、僕をじろりと眺めた。
「そ、そんなんじゃダメだぞ。
ちゃんと……言ってくれよ。 アタシのこと、どう思ってるか……」
彼女を納得させるために、僕は癖のついた彼女の黒髪を撫でながら言う。
「人間でも、そうでなくてもいい。どっちだって可愛い。 僕は、君が好きだから」
真面目な顔で告げたその言葉が互いを意識させたのか、僕たち二人は耐え切れずに顔を逸らした。
その次の日。
破滅的なほどに美しい女性が僕たちの前に現れ、彼女に道を示してくれるのだけれど――。
それはまた、別の話になる。
なんで?どうして? あんなに必死で隠してたのに! こんな簡単にバレるなんて!
私は家に着くと自分の部屋へ行き、鞄をぽいっと捨ててベッドに突っ伏し、枕に顔を埋める。低反発のに変えてて良かった。
足をバタバタさせながら布団を叩く。ぼすぼす。
「はぁーっ」
溜息が出た。
気が付くと私の肌が白くなりかけていて、ああまた成っちゃいそうだな今ならいいかと思ったのでブレザーとシャツとを脱いでおく。ガマンする必要もないし。
このままだとアタシ、ずっとブラジャーも着けなくていい。……胸が小さいせいとかじゃなくて。
――我ながらもう、どっちが本当の私なのか、アタシなのか、分かんないな。
どうしよう。釘は差しておいたし、ウワサにはなったりしないだろうけど、明日どんなカオして学校行けばいいんだろう。普通にできるかな。
……っていうか、最初にバレた時にアタシの力でどうにかすればよかったのか。
記憶を無くさせるとか、それはアタシじゃなかったとか、いくらでも”暗示”で誤魔化せたのに。
ああ、そう思い付いたのも今更で、もはや後の祭りだ。
こうなったら腹を括ろう。
アタシのヒミツを知っているのは、アタシ以外にはあいつしかいないんだから。
……そうだよ、仲良くなっちゃえばいいんだ。
あいつはアタシのこと見ても大丈夫そうだったんだし。
あーでも、今まで仲良くなかったのに急に話しかけるのって変かなぁ。でもあんなコトがあったんだから、ちょっとぐらいへーきかな。
……メルアドくらい聞いとけばよかった。
明日聞こっと。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
僕のクラスメイトの女の子は、一つ目をした魔物だった。
彼女の名前は亜芽(あめ)、中学生三年生。
僕が学校で見た彼女の目はもちろん”二つ”あった。
背は少し低めで、身体もどちらかと言えば細い。
前髪が長いけれどヘアピンはつけていない。ロングヘアの黒髪をいつも簡素に後ろで縛っている。
真面目そうな、おとなしそうな雰囲気で、声色も落ち着いている。 たしか美術部だ。
僕と彼女は何度かクラスメイトになったこと以外に何の接点も無かった。授業で同じ班になった時に話をする程度で、苗字さえつい最近覚えたところだ。
誰かと話している所はあまり見たことがないけれど、仲が悪いようには見えない。
ただ、大体の子(特に女の子だ)が色々なグループを作っているのに対して、彼女はどこにも集っていなかった。でもそういう子自体はクラスに他にも何人かいたので、それも気にはならなかった。
十月に入り、肌寒くなってきたころ。
その日はテスト期間で部活もなく、皆が早めに下校していた。
僕も亜芽さんもいつものように自転車に乗って学校を出る。
彼女とは大体の帰る方向が似ていたけれど、今まで一緒に帰ったこともないし、詳しい帰り道も家の場所も勿論知らない。
一人で帰っていた僕はいつもの通学ルートを外れて、お気に入りのジュースがある自販機に寄っていた。コンビニの少ない田舎町なのでどうしてもこういう場所に来てしまう。
ジュースの蓋を開けようとした時、下にある道を自転車で走っていく女の子がいた。
亜芽さんだ。
その漕ぎ方は慌ててスピードを出しているようにしか見えず、急いでいるように見えた。
ガードレールから身を乗り出して僕は彼女の行先を確かめる。
すると彼女は、僕のいる本道の下にある、側道を繋ぐとても小さなトンネルに入っていった。
どうしてそんな所に入ったのだろう?
疑問に思った僕は未開封の缶を置き、彼女が何をしているのかをつい確かめに行ってしまった。幸か不幸か、下道に降りる階段がすぐそばにあったせいかもしれない。
二メートル半ほどの高さしかないトンネルは狭く、暗い。覗こうとしなければその中はまず見えないだろう。
そっと僕が中を覗くと、スタンドで立てられた自転車の横に誰かがいる。自転車の荷台には僕の学校の制服であるブレザーが掛かっていた。
そして、僕に背中を向ける形で道に座り込む人影。その誰かは背中から十本のうごめく触手を生やしている。顔は見えないけれどとても異様な姿で、そしてスカートの下からだけ服を着ていた。
人影の前には黒い何かが置いてある。
僕は音を立てずにトンネル内に入り、じっとそれを見ていると、その黒い何かが動く。そしてにょきりと四本、足が伸びる。
黒猫だった。
その猫はみゃあ、と鳴くと、ゆっくり立ち上がり、ぶるぶると身を震わせる。
真っ黒い毛でふわふわとした猫の背中に、人影から真っ黒い手がそーっと伸びた。
しかし猫はそれを慌てて避けると、僕のいる道の方へひょいと逃げてくる。
猫を追って振り向いた誰かと、僕の目が合う。
亜芽さんの目は赤く、大きな一つ目だった。
ついさっきまで二つあったはずの目が、顔の真ん中にひとつだけ。
トンネルの暗がりの中で、その赤い瞳が生き物のようにぎょろりと動く。
ただ、その眼以外を除けば亜芽さんにとてもよく似ている。こんなに異様な姿なのにそう思ってしまうのが、自分でも不思議だった。
僕を見つめながら、彼女はゆっくりと口を開く。
「見た?」
反射的に僕はうなずく。
「……見た」
彼女から目を離せないままでいると、彼女はひっそり呟く。
背中にある触手が蠢いたかと思うと、少しずつそれは短くなってしゅるりと背中の奥へ消えていった。
「アタシ、ネコ好きなんだけどね。特に黒いの。でもすぐ逃げられちゃう。
まーでも、元気になってよかった。シャツ破いた甲斐がないもん」
「えと……亜芽さん、だよね?」
「うん」
はっきりとした返答。
もしかしたら全く別の誰かなのかも――と思っていた僕の考えは、その言葉でどこかに行った。
彼女は再び後ろを向くと、自分の自転車に歩みよってブレザーを広げた。彼女の背中が見えたけれど、さっきあったはずの触手はどこにもない。代わりに破れたカッターシャツと、薄橙色の肌が見えた。
「いつから見てた?」
「……ここに入る、ちょっと前ぐらいから」
「ふーん……ってことは、アタシがこんなだってのは知らなかった?」
「……それは、まあ」
ブレザーを着直すと、また彼女がこちらを振り向く。顔を見ると、さっきの赤い眼はどこにもない。
いつもの亜芽さんの目が二つ、そこにあった。
「アタシも、人に見られるのは初めて」
その日の帰り道。
僕と亜芽さんは並んで自転車を押して歩いていた。
もう姿はいつもの彼女に戻っており、今はふつうの女の子にしか見えない。
亜芽さんは怪我した猫を助けるためにあの小さなトンネルに入ったらしい。
”あの姿”になることで、不思議な力が使えるようになるのだ、と彼女は言った。
そして、でも誰にもこの姿を見られたくなかったから――と。
「どうしてあんな姿に成れるようになったかは、私も分からないけど。
初めて”あの姿”になったのは、小学六年生ぐらいの頃だったかな。
そりゃもう、びっくりしたよ。自分の部屋だったから良かったけど、カラダは熱いし、服は破っちゃうし。
ネットで調べたってこんなの出てくるワケないしさ。
だれに相談も出来なくて、結局今のまんま」
『誰にも見られたくなかった』という割に、僕が聞くことに対して亜芽さんは素直に話してくれた。
学校で会う時よりも朗らかな笑顔に見えたし、快活に喋っていた。
「あーでも、すっごくイイ気分だったのは覚えてるなァ。
なんでもやれるぞー、って気分になってさ。
自分が出来ることが何でも分かって、すーっと頭の中に入ってくるみたいな――」
僕があげたジュースを飲みながら、亜芽さんが続ける。
彼女を”おとなしい子”とだけ表現していたのは僕の間違いで、本当はお喋りも大好きなのかもしれない。
「でも少しずつ落ち着いてくると、自分の姿も元に戻っていった。破ったシャツ以外はだけど。
そんで色々試してて分かったのが、感情が高まると姿が変わっちゃうってこと。
学校でなったりしないかすごい不安だったけど、その辺は大丈夫だったね。
最近だと自分の意思でも割とコントロールできてきて、もうほとんどジユージザイかな」
分かれ道に入ったところで「あ、」と声を上げて彼女が止まる。
「私ん家、あのマンションだよ」
彼女がマンションの上の方を指さしながら答えた。
僕の住んでいる家とはかなり近く、自転車すらいらないような距離だ。
それを彼女に伝えると、 飲み干したらしいジュースの缶を自転車のカゴに置いた。
「へー、意外と近くだね。帰るの同じ方向だから、近いとは思ってたけど」
じゃあまた、と言い掛けた僕の上から、
「あ、一応言っとくけど、今日のコトはヒミツでお願いね」
うん、と頷いて返事する。
「じゃあ、また学校でね。ばいばーい」
お互い軽く手を振りあって、僕も帰路につく。
次の日の夕方。学校が終わり、登下校の時間。
白い息を吐きながら自転車に乗っていると、後ろから「おーい」と声がした。亜芽さんの声だ。
「おはよ」
「おはよう」
帰り道に彼女から声を掛けられたのは初めてで、少しびっくりした。でも顔には出さないように僕は努める。
「せっかくだからさ、メアド聞いとこうと思って。学校だとまずいでしょ」
彼女が携帯電話を取り出しながらそう言ったので、僕もそれにならって携帯を取り出す。
こうやって面と向かって、しかも二人きりで携帯を突き合わせると、なんだかとても不思議な感じがした。
昨日あんなコトがなかったら、今日こうして彼女と話していることもなかっただろうから。
「亜芽さん」
「ん?」
「その……あの時の亜芽さんの姿、もう一度見てみたいかな、って」
僕がそう切り出すと、途端に彼女は慌てたような顔で、
「え? あ、あー……うん。そっか」
携帯をくるくると指先で弄びながら、確かに言った。
「じゃあ――今日、ウチに来ない?」
えっ、と僕の口から間の抜けた声が出る。
「私ん家、ほとんど母さんも父さんもいないからさ。
……あ、ベツにあれだからね、えっちなコトとかじゃないからね!
あれだよあれ、ゲームしたいだけだから!」
ただ少し曲がり角を変えるだけなのに、それはとても大きな変化に思えた。
僕たちは他愛ない事を話しながら、彼女の家に向かっていく。
それでも僕の内心は気が気でなかった。何しろ突然彼女の家に誘われたのだから。
「リビングで待ってて。あんま使ってないから、ちょっと埃っぽいけど」
彼女がお茶を入れてくる間、僕はリビングのソファに座って待っていた。
高そうな薄型テレビ、柔らかいカーペット、座り心地のいいソファ。家具はとても良いものに見えるけれど、あまり手入れはされておらず、使ったような跡も少ない。
部屋の中を僕がぐるりと確かめていると、いきなり彼女はお盆を持って僕の横に現れた。
全く足音がしなかったのに彼女が現れたので、僕はびっくりして背が跳ねる。
「へへ、びっくりした?」
彼女の姿はもう、赤い一つ目に真白い肌で、触手の生えた”あの姿”に変貌していた。よく見ると彼女は少しだけ床から浮いている。足音がなかったのはそのせいらしい。
さらに彼女は一枚も服を着ていない。しかし身体中に黒いゲルのような何かが付いていて、手足と胸や股間といった局部だけはそれで隠れている。
その姿は恥ずかしくないのだろうか――と聞いてみると、
「え? あー……なんでだろ、あんまり恥ずかしいとか思わないね。
”この姿”になるとさ、なんか気分がすっきりして、細かいコトとか気にしなくなっちゃうかな。
……最近、家に帰るとずっとこの姿のままなんだよね。誰もいないしさ」
と言葉を漏らした。
お茶を載せたお盆を置いた後、彼女がテレビ台の中にあるラックからゲーム機を取り出す。
ゲーム機自体は新しい物だけど、あまり使われた様子はない。
「今流行ってるあのイカのゲーム、アタシも買ったんだけどさ。
まだ誰かと一緒にやったコトないんだよね。ちょっとやってみない?」
僕の返事を聞くまでもなく、彼女はゲーム機のコードを取り付けて電源を入れていた。
ゲームの内容よりも彼女の裸体のほうが気になっていたものの、さすがに口には出せない。
どこか悶々としながら、僕と彼女は二、三時間ほどゲームに熱中していた。
彼女にはあまり勝てなかったものの、楽しそうな彼女の姿を見ているだけでも満足する。
「えへへ。練習してたぶん、やっぱアタシのほうが強いみたいねー。
どうする?ほかのもやる? ”すまぶら”とかもあるけど」
さすがにやられっぱなしというワケにもいかないので、僕はそれに賛成する。
こちらのゲームは僕も持っていたので、彼女を倒すのはそれなりに簡単だった。
「あっ!アタシのアイテムっ! ちょ、ちょっと、バットはずるいって……あー!
もーいっかい!もーいっかい!」
なんだかんだで、彼女は負けず嫌いのようだ。
一週間後。
テスト期間が終わり、部活動がまた始まる。
……はずなのだが、その日は豪雨のせいでグラウンドが使えず、体育館も試合が近づいている野球部でいっぱいになってしまって活動の場が取れず、僕の部活は休みになった。
放課後になり、とりあえず荷物を詰める僕の机に、亜芽さんがやってくる。
「今日、部活休みらしいね」
返事をしながら僕は鞄に荷物を詰め終えた。
「あー、もしヒマだったらさ。うちの部見てみない?
美術部、先生はほとんど来ないし、今日は後輩の子もみんな休みでさ。
なんていうかその……ほら、話し相手が欲しくてさ。だから来てくれたらうれしいかなーって」
彼女のからの意外な提案に、少し驚きながらも僕はうん、とうなずく。
「ほんと?へへへ、やったね」
じゃあ鍵借りてくる、と言いながら彼女は教室を出ていく。
それから僕達は一緒に美術室へと向かった。
「最近、あんまり上達してる気がしなくてねー。
特にヒトの顔とかはニガテだったんだけど……あ、」
美術室でカンバスとイーゼルを用意しながら、彼女がつぶやく。
すると、前に描いていたらしい書きかけの絵を元に戻し、彼女が新しい紙を取り出した。
「そうだ。せっかくだから、デッサンのモチーフになってよ」
モチーフ?と困惑しながらも、とりあえず僕は了承の返事をした。
つまり僕を絵に書くということなのだから、どこか変な気分にもなってしまう。
「じゃ、こっちの椅子に座って」
僕が彼女の正面に座ると、彼女が鉛筆を構える。
さっさっと鉛筆を動かす音と、外から聞こえる雨音が静かな美術室に漂う。
カンバス越しにちらちらと彼女に見られるのは意外とくすぐったい心持だ。
「ん〜、やっぱ慣れないなあ……。
活き活きした表情ってホントむずかしいんだよね」
ちらり。
「あ、ベツにずっとじーっとしてなきゃいけないワケじゃないからね。
テキトーに、肩の力も抜いてー」
ちらり。
「まあ確かに動かないでいてくれた方が……ん?
どしたの? ヘンなカオして」
こちらを見る彼女の眼。
それがいつの間にか、”あの姿”のような赤い一つ目になっている。
肌の色もどこか白っぽくなってはいるが、背中の触手までは見えなかった。服の破れる音もしない。
「え? ……あ!」
ピンときたらしい彼女は、スマートフォンで自分の顔を確かめ、一つ目という異変に気づく。
「あー……なんでかな。今までは気ぃ抜いてても、こんなコトなかったのに。
……ま、今は誰も来なさそうだし、いっか」
そうしてまた、じろりと赤い一つ目がこちらを睨む。
つくづく彼女は不思議な身体をしている。
デッサンというのは時間が掛かるらしく、その日のうちでは書き終わらなかったようだ。
「また、付き合ってもらってもイイかな」
断る理由は、どこにもなかった。
初めて”あの姿”を見た時から、二週間後。
学校にいる間は、あまり亜芽さんも話しかけてこない。
けれど、家に遊びに行ったり、絵のモチーフになったりする時はよく話してくれた。
こうして考えると、今の彼女との関係はとても不思議に思える。
彼女のヒミツを僕だけが知っているけれど、それ以外では大した関係でもない。
きっと僕以外にももっと仲の良い友達がいるだろうし、そういう子とのほうが親密だろうから。
「ね、」
僕がぼんやり机に座っていると、めずらしく亜芽さんが話しかけてくる。
「放課後、美術室に来てもらっていいかな」
美術室? と僕は聞き返す。
「今日は部活ないんだけど、見せたいモノがあるの。
授業が終わったら五分待って、美術室に入ってきて。こっそりドアを開けとくから。
あ。ぜったい一人で来てね」
念を押された僕は頷く。
おそらくは僕の絵の続きを描くのか、それが出来上がったから見せてくれるのかな、と思っていた。
授業が終わり、僕は約束通り五分ほど時間をつぶしてから美術室のある三階に上がる。
まだそれほど経っていないのに廊下にはもうほとんど人が残っていない。
美術室の引き戸の窓には分厚いカーテンが掛かっていて中は見えなかった。
扉に手を掛けてみたが鍵は掛かっていない、彼女が開けてくれたのだろう。
ゆっくりと扉を引いて開けると、いつもの静かな美術室がある。少し暗いが、それは全ての窓にカーテンが引かれているからだ。
ぱっとみた感じでは亜芽さんは居なかった。
美術準備室への扉も鍵が開いていたけれど、彼女のものらしき学校鞄があるだけで誰もいない。
そこで、窓側にあるカーテンから足が生えているのに僕は気づいた。靴下とスカートで素肌は隠れている。
そして、ちら、とカーテンの重なる切れ目から、誰かがこちらを覗く。
その水晶玉のように大きな赤い瞳を見るだけで、そこに居るのが誰なのかは明白だった。
「――えへへ」
僕を見つけた亜芽さんがカーテンの裏からばっと姿を現す。
彼女はもう”あの姿”になっていて、背中から僅かに触手と目玉が顔を覗かせる。肌が白く染まり、顔には大きな赤い一つ目が嵌っていた。
制服どころか下着すら身に着けておらず、彼女の身体、手足や胸、股間などに付いている黒いゲルのようなものが無ければ、僕は目のやり場に困っていただろう。
細っこい真っ黒な手に彼女は何かを持っている。
「前に見たいって言ってくれてたからさ。写真、撮ってもらおうかなって。
使い方、分かる?」
彼女が手にしているのは、学校の備品である少し古めのデジタルカメラだ。
電源を付け、何かぽちぽちと設定をしたあと、それを僕に手渡してくれる。
「絵を描くときのモチーフになるかなって思ったんだけど――。
自分で撮ると、なんかうまくいかなくてさ。
とりあえず、何枚か撮ってみてもらっていい?」
僕は彼女から少し離れてカメラを構える。
あまり写真を撮った事はないけれど、彼女もプロみたいに撮ってくれとは言わないだろう。
肩の力を抜きながら、ピントを彼女に合わせた。
「――ん、」
最初の何枚かは棒立ちのままで、落ち着かないのか大きな目をぐりぐり動かしてきょろきょろしていた。
少しずつ「ポーズとるね」と言ったり、「笑顔の方がいいかな」と言ったりして、少しずつ彼女は撮られ方を変えていく。
最初は初めて撮られる子供のような初心さがあったけれど、すぐにモデルのようにポーズと表情を変えていった。
「にーっ」
自然な笑顔になり始めた彼女の姿がデータに残っていく。
写真に収まる彼女の姿はあまりにも異様で、とても非現実的だ。
学校という見知った場所で、言い様のない姿をした彼女を写す――。
これを合成ではない本当の写真だと思ってくれる人は、一体何人いるのだろう。
「机の上とか……乗っちゃってもイイかな?」
興が乗ってきたのか、彼女は女の子らしい扇情的なポーズを見せつけてきた。机の上で体育座りをしながら顔に膝を載せていて、グラビアのようにも見える。でも写真が撮られる音がすると、思い出したように頬を赤らめて姿勢を崩す。
そんな所も残しておきたくて、つい連続してシャッターを切ってしまう。
「ちょ、ちょっと。今のなしっ」
抗議する彼女をたしなめながら、また僕はカメラを彼女に向ける。
ぶつくさ言いながらもまた彼女はポーズを模索しながら僕の方を見た。
「んもー、後でそれ消すかんね」
顔に掛かる長い前髪を払いながら、彼女が笑顔を見せる。
カメラを向けるのに夢中だった僕は、外から聞こえてくる足音にぎりぎりまで気が付けなかった。
静粛の教室の中、引き戸の開く音はとても鮮明に聞こえた。
僕も彼女も跳ねるように音がした方向――入り口の扉へ振り向く。
カーテンのめくれたそこに居たのは、僕らより背の低い男子だった。
その子に浮かぶ、見てはいけないものを見たような、引きつった表情。
「……ぁ、……ば……ばけものっ……!」
がたん、と大きな音が鳴る。
勢いよく戸が閉められた音だったのか、彼が尻もちをついた音だったのかは分からなかった。
そしてすぐさま走り去るような足音が聞こえて、それは次第に小さくなった。
僕は僅かに開いた入り口を閉めるついでに外を確かめる。そこにはもう誰もいない。
扉を閉めてから、振り返って亜芽さんの様子を見る。
さっきまで笑っていたはずの彼女には、表情がない。ただ目を丸くしているだけ。
様子がおかしいと思った僕は、入り口の鍵を閉めてから彼女に近寄った。
「……亜芽さん?」
黒い前髪の下から覗く赤い瞳が、僕の方を見る。
すると彼女は僕の胸で顔を隠すかのように、僕に抱きついて背中に手を回してきた。
そのまま、彼女は何も言わない。
「ここにいると、また誰か来るかもしれない。
元に戻れるまでしばらく、あっちで隠れていよう」
僕は胸に顔を埋めたままの彼女を連れて、準備室のほうへ入る。少し埃っぽい、画材と絵具の匂いが鼻を突いた。ここなら先生が別の鍵で入ってきてもおそらく見つからないだろう。中も広いとは言えないけど、僕たち二人が座るぐらいは十分にある。
彼女が置いたであろう通学鞄の横に腰を下ろして、まだ顔を埋めたままの彼女に話しかけた。
「……大丈夫?」
半ば強引に身体を起こさせ、彼女の顔を見る。
「――っ」
彼女の大きな赤い目からは大粒の涙が零れていた。
「ぁ……」
髪の下でぎょろりと動いて僕を見つめる眼は涙で潤み、何度も瞬きを繰り返す。
気が付いたような顔をするとすぐにまた彼女は顔を伏せてしまう。
抱きついてくる彼女の身体は震えていて、背中から何本かはみ出たような目玉のある触手が僕を見ていた。
「あたし……は……」
絞り出すような声は不鮮明で、静かな部屋の中でもうまく聞き取れない。
「やっぱり……あたし……、ばけもの、だったんだ……」
ひっく、ひっくと漏れる嗚咽。
「……わかってた……分かってた、はずなのに。
面と向かって、言われただけで……目の奥が、鼻の中が、熱くなって……っ」
悲痛な押し殺した声を漏らすたび、僕の胸に顔が擦り付けられる。
鼻をすする音と、泣き声ばかりが部屋を満たす。
「私……あたし……えぐっ、……んぅっ……」
すすり泣く彼女の頭を、僕は黒髪越しにそっと撫でた。
僕が触れると少しだけ彼女が身体を振るわせ、またぎゅっと僕に抱きつき直す。
細切れに嗚咽を漏らす姿がとても弱々しくて、今にも崩れ落ちてしまいそうに見えた。
彼女が人間の姿に戻った後。
なんとか頃合いを見て美術室から抜け出し、僕らは二人で下校していた。
からからと自転車のタイヤが回る音だけが場を埋める。
息の詰まるような重い空気があって、僕は言葉を切り出せずにいた。
僕の家と彼女の家をつなぐ分かれ道で、つぶやくように、彼女が言う。
「――私の家、来てもらってもいいかな」
僕は小さくうなずいて、彼女が進むのと同じ方向へ自転車を押し歩く。
そのまま黙って少し後ろで彼女に着いていく。
彼女が導くままに彼女のマンションへ入り、玄関を閉める。
静まり返った部屋の中でリビングに鞄を置くと、彼女が僕を手招きした。
ついて行った先にあるのは彼女の部屋。何度か遊びには来たけれど、まだ入ったことはない。
少しだけ気後れしながらも、彼女に続いて部屋に入る。
思ったよりもその中はずっとシンプルで、ベッドと机と本棚だけが並んでいる。扉に掛かったプレートが無かったら、彼女の部屋だとは分からなかったかもしれない。
カーテンが閉まっていて薄暗かったけれど、部屋の電気は付けずに彼女が奥まで行く。
彼女は制服とシャツを脱いで、机の椅子に掛ける。さらにその下にあるスポーツブラや、スカートまで外し始めた。
暗がりの中、僅かに膨らんだ乳房がちらりと見えて、心臓が跳ねそうになる。
「……ね、こっち……来て、」
彼女はぽふん、とベッドに身を滑らせて寝転び、僕を呼ぶ。上半身は完全に裸体になっていて、もう白いショーツしか身に着けていない。
仰向けになった彼女の顔に長い黒髪が垂れ、その間から一つ目がこちらを覗く。暗がりでもその赤い瞳はルビーのように輝いていた。
魅入られるように僕の身体が動き、制服の上着を脱いでベッドに上がる。
彼女から漂う桃のような甘い香りが強くなり、近くにいるだけでもくらっとしてしまう。
「ぎゅって……して……」
どうすればいいか分からず戸惑っていた僕の腕を、彼女が軽く引っ張る。
僕は彼女の横に寝転んで、頭を腕と胸で包むようにして抱きしめた。
温い息が僕の胸元を温め、触れた箇所からじんわりと暖かさが伝わってくる。
「……アタシさ、」
綺麗な黒髪が近づき、シャンプーの香りと甘い匂いが重なって鼻をくすぐる。
静かな部屋の中、互いが息をする音だけが鮮明に聞こえていた。
「前も言ったけど……誰かに見られてない時はもう、ずっと、この姿なんだ。
だからもうアタシには……どっちがホントのアタシなのか、分からない。
何かのきっかけで、もうニンゲンには戻れないかもしれない」
ゆっくりと彼女が顔を上げる。おずおずと、親の機嫌を見る子供のように。
「そんなヤツでも……アタシ、いいのかな」
意を決して僕は彼女に顔を寄せ、目を瞑って唇を重ねる。
「――っ」
彼女とする初めてのキス。
時間も息も、全部が止まってしまったかのような錯覚。
心臓がこれ以上ないほど鼓動を鳴らし、触れ合った唇の感触だけが鮮明に焼きつく。
身動きのできない苦しさと、言い様のない多幸感。
「……ぷはぁっ、」
どちらともなく唇を離し、息を整える。口づけの味を理解する余裕はなかった。
ただ唇を合わせるだけのつたないものだったけれど、彼女は赤面しながらにんまりと微笑んでくれた。人間の時とは違う、ぎざっとした歯がちらりと見える。
ゆっくり彼女が身体を起こしたかと思うと、自分の白いショーツに手を掛け、そっと下に降ろすのが見えた。そして、僕が仰向けになるように押し倒される。
僕を見下ろしながら、彼女が僕を跨ぐように膝立ちで座った。
「ごめん……アタシもう……ガマン、できないかもっ……」
吐息を荒げながら、彼女が身体を浮かせ、僕のベルトに手を掛けて外していく。僕は抵抗する事もなく、足を動かして彼女の手伝いをする。下着まで脱がされ、下半身が裸になるのはあっという間だった。
僕の肉棒はもうピンと上を向いていて、ぴくぴくと震えていた。
ぴったり閉じた少女の秘部は白く、ぬるぬるに濡れているけれど、強引に入れようとすると壊れそうなほど小さく繊細に見える。
「食べちゃうね……っ」
亀頭の先端がくちゅ、と彼女の入り口に触れる。
蜜液でどろどろになりヒクヒクとうごめくその穴は淫靡で、僕の肉棒を飲み込もうとしていく。
ぐぷっ、ぬぷぷっ……。
溶けそうなほど熱い肉壺に陰茎が包まれ、狭い膣穴を押し広げていく。ヒダでいっぱいの柔肉がぎゅっとペニスを掴んで、離したくないと言わんばかりに絡みついてくる。
「ふ、ぁ……っ、熱くて、カタいっ……よぉっ……」
にゅくく……と、奥底まで膣内に飲み込まれ、彼女と一つになる。
彼女の体温が直に伝わってきて、思わず上半身が彼女を抱きしめてしまう。
漂ってくる甘い体臭と、体液の淫らな香りが混ざり合い、僕の脳を蕩けさせる。
全身で感じる温もりを噛みしめながら、荒い吐息を整えていた。
「はじめて……だけど、ぜんぜん、痛くないや……。
う、動く……からねっ……」
上半身で抱き合ったまま、彼女が腰をゆっくりと動かし始める。
ぬちゃぬちゃと淫らな水音が響いて、肉棒を熱い柔肉が扱いていく。
ぎゅっと肉壁に包み込まれ、上下に刺激される快感がたまらない。
「あ……ぁ……なんだろ……カラダ、溶けちゃいそうで……、
気持ちよくて……あたまのなか、まっしろに……っ」
ぱんっ、ぱんっ、と肉のぶつかり合う音がスピードを増していく。
腰を打ち付けられるたびに体温が上がり、ぎゅっと肉棒を締め付けられていく。
あまりにも情熱的な彼女の求め方に、僕はもう限界だった。
けれど彼女が絶頂に達するまでは我慢したくて、彼女の肌を舐める事で気を誤魔化す。
真白い肌の所々に付いた黒い液体を舐めとると、また頭の痺れそうな甘さが駆け巡った。
「ひ……ぁ……っ、い、いく……っ、いっちゃ……うぅっ……!」
絶頂を求める彼女の甘く切ない声。
もうすでに理性が崩壊しそうだった僕は、その声と共に射精してしまう。
「――っ、ぁあぁっ――、あはぁぁっ……!」
絶頂と同時に肉壺がきゅっと締まり、射精を続ける肉棒からさらに精を搾り取ろうとする。
どくん、どくん――と精液が吹き出ていく快感。
彼女の子宮を満たそうと、熱い白濁液が留処なく溢れ出る。
狂いそうなほどの射精の快感で、もう頭の中が彼女のコトしか考えられなかった。
「はーっ……はーっ……♪」
長い長い絶頂に身体を震わせた後、彼女は繋がったまま僕にしな垂れかかってくる。
射精を終えたはずの肉棒はまだ硬さを失わず、彼女の中に入っていようとしていた。
「ふぅっ、ふぅっ……アタシの中、もうセイエキでいっぱい……」
彼女が顔を上げると、僕と目が合った。
快楽に溶けた彼女の表情はだらしなく、目も口もだらんと蕩けていた。
目を瞑りながら、彼女が顔を近づけて僕にキスをする。
「んっ……♪」
激しい快楽の余韻の中、柔らかい唇の感触がじんわりと広がっていった。
「……アタシね、はっきりと分かっちゃったみたい。
たぶんもう、ニンゲンには戻れない。ずーっとこの姿のままだ、って」
胸に顔を埋めながら、僕の上で寝そべる彼女がぽつりとつぶやく。
「それでも……イイかな?」
僕がうなずいて返事をすると、彼女は少しだけ身を起こし、僕と顔をずいっと向かい合わせる。
赤い一つ目が不満そうに、僕をじろりと眺めた。
「そ、そんなんじゃダメだぞ。
ちゃんと……言ってくれよ。 アタシのこと、どう思ってるか……」
彼女を納得させるために、僕は癖のついた彼女の黒髪を撫でながら言う。
「人間でも、そうでなくてもいい。どっちだって可愛い。 僕は、君が好きだから」
真面目な顔で告げたその言葉が互いを意識させたのか、僕たち二人は耐え切れずに顔を逸らした。
その次の日。
破滅的なほどに美しい女性が僕たちの前に現れ、彼女に道を示してくれるのだけれど――。
それはまた、別の話になる。
15/11/13 19:28更新 / しおやき