ねがい
「青年よ、よくぞ私を呼び出してくれた。
我こそはこの魔法のランプに宿る精霊、”ジーニー”だ!
褒美にお前の願いを3つ、何でも叶えてやろう!」
ランプを擦られて意識がはっきりと覚醒し、煙と共にランプから出て、私は考えていた前口上を鮮やかに述べる。うん、イメージトレーニング通りバッチリだ。
「えっ……え?」
私を呼び出したのはどこにでもいる普通の男のようで、目を丸くさせながらこっちを見ていた。
あまり私はニンゲンを見たことがないので青年、というぐらいしか分からないが。
……しかし、ここはどこなのだろう?
この男が住む建物の中のようだが、窓からちらりと見えた外は砂漠ではなかった。男が着ている衣服や家の中の家具らしきものも、私には見覚えがない。
まあ、それはさておこう。
「えっと……どういうことでしょうか」
まあ、さすがにいきなり言われては理解も出来まい。ここはちゃんと練っておいた要約で説明してやることにしよう。
「我は”ジーニー”と呼ばれる種族であり、このランプの精霊だ。お前が擦ったことで呼び出された」
「でも、それでなぜ願いを叶えてくれるんですか……?」
「ふむ、少し説明が早まったな。
正確に言えば、我は契約を結ぶことで、お前の願いを”3つ”叶えてやれるのだ」
実をいうと、叶えられる願いの数に制限は一切ない。
だが『自由にしていい』と言われると何をしていいのか分からなくなる者も多い。
交渉事においては、あえて縛ることがさらなる欲望を生みだすのだ。
……ちゃんと考えを練っておいてよかった。
「契約?」
「魔物である我は、精を得る事、即ち男性の傍にいて、その者と性交をすることで魔力を補給する。
お前と契約し精を得るという条件のもと、その魔力で願いを叶えてやれるのだ。
そして私の魔法は、契約者であるお前の望みを叶えることに近ければ近いほど、最大限の効力を発揮する」
「……うーん」
「なんだ?」
男は怪訝そうな顔をする。
「いきなり願いを叶えられるって言われても……。
パッとは思いつかないし、そもそも君が叶えてくれるのかも怪しいし」
「む……」
この男の身なり、そしてこの部屋の中を見ると、おそらくは生活に困っているというふうではない。富んでいるというほどでもないが、貧に飢えているようでもなかった。
そして私が願いを叶えられるかどうか、それは口頭だけでは納得できないのも無理はない。
「成程、お前の言うとおりだ。まずは見本を見せるとしよう」
私は男が座った前にあるテーブルを見つめ、指をさし、魔法を行使する。
「せいっ!」
煙と共に、テーブルの上には皿に乗った大きなパンが突然現れる。
「わっ! え? ぱ、パンがいきなり……?」
「たとえ契約を結ばなくてもこの程度は可能だ。
それをちぎって食べて、本物かどうか確かめてみるといい。
手品や催眠術や超スピードだとか、そんなチャチなものでないことが分かるぞ」
「ま、まさか……んぐ、ほ、本当にちゃんとしたパンだ。あんまり美味しくはないけど……」
む……味もちゃんとしておいたはずなのだが、勉強不足だったか……まあいい。
とにかくこれで男の疑いもほとんど解けたはずだ。
「さあ、どうだ。これでひとまずの証明にはなっただろう」
「うーむ……でもさすがに、何でもは叶えられないよね?」
さすがにあれだけでは心からの信用は得られなかったらしい。
男の質問に、私は正直に答える。
「そうだな……我も万能ではない、ゆえに、不可能な願いはある。
そればかりは願いを聞いてからでなければ判断が出来ぬな。
また、我にも当然気の進まぬ願いはある。それはこちらから却下を下す。
つまり、あくまでもこの契約は合意のもと行われる。
いかに私を呼び覚ました者であろうと、絶対服従の意を示すものではない」
「なるほど……」
男は腕を組んで何かを考えている。
よし、この男の欲望を利用すれば、私の欲望も魔力も満たされていくだろう。
この者はどんな願いを、欲望を欲するのか――。
「……じゃあ、ちょっと考えさせて」
「なにっ?!」
私は思わず妙な声を上げてしまう。
「え、えっと……ほら。さっきも言ったけど、さすがにすぐには思いつかないよ。
時間制限があるわけじゃないんだよね?」
「むむ……」
そういえば、それは考えていなかった。
ニンゲンの頭の中はみな欲望でいっぱいで、手に入るものならすぐにでも飛びつくものだと思っていたからだ。
制限として期限を決めておくべきだろうか?ふむ……。
「……では、願いを待とう。我も気が短いわけではない。
何より、お前が満足することが第一であるからな」
「そっか……ありがとう!」
「う、うむ」
なぜかこの男は随分喜んでいるように見えるが……。
まあ、いつでも願いが叶えられるという状況に置かれれば当然か。
やはりここは一歩引いておくべきだろう、待つのもまた交渉の駆け引きだ。
「あっ……そういえば、君の名前を聞いてなかったけど」
「……む?我は”ジーニー”だと言ったはずだが」
「でも、それはたぶん分類としての名前なんだよね?」
「ああ、確かにそうだが……我のような神器はそうどこにでもあるものではない。
遺跡でもないこの近くで、我以外の”ジーニー”と会うこともないだろう?」
「それはそうかもしれない……けど。
えっと……やっぱり呼びやすい方がいいし、君に名前を付けてもいいかな」
「……それは、願いか?」
「もしそうなるなら、それでもいいけど」
「……」
よく分からないことを言い出す男だが……まあ、これは願いともいえまい。
あくまで便宜上の事なのだろう。
「いいだろう。願いとしては含めん、好きに呼ぶがいい」
「ありがとう! じゃあ……そうだ、ライラック……うん、”ライラ”なんてどうかな。
君のグラデーションした髪や、服……かな?に似た、薄紫色の花なんだ」
「わた……いや、我はそれを見たことがないが」
ランプの中から外を覗くこと自体はできるが、”外”を見た回数はさほどない。
”花”を知識としては知っていても、実物を見る機会などほとんどなかった。
「えっとね、ちょっと待って……はい、これがライラックの写真だよ」
男は何か薄い板のようなものを手に持ち、指でなぞったあと、私に見せてくる。
私の髪は基調を白として毛先にいくほど紫に染まっていくが――たしかにその花の色は白と紫があって、私の髪色や、足を覆うそれに似ている。
そして、その花は私に不釣り合いなほど鮮やかに、美しく見えた。
「これは……わ、私に、似合うのか?」
「僕はとっても良いと思うよ。綺麗で、君にピッタリだ」
「……」
「あ、ライラックって色で花言葉が分けられてるんだ……へえ」
「……はなことば?」
「紫色のライラックの花言葉は、寧ろ僕に合って……あ、いや。なんでも」
「っ……むむむ。訳の分からないことを言うな!」
つい気になって男からその板をひったくってやったが、使い方がさっぱり分からないし、ろっく?というものが掛けられたらしく、私にはどうしようもなかった。
……あれから三度日が落ち、昇った。まあたぶん三日後だろう。
「願いはまだ思い浮かばないか」
「えっ? えーと」
何度かこの男に同じ問いかけをしたが、この通りはぐらかすばかり。
「……もしや、まだ我の力を信用していないのか?」
「いや、そうじゃないけど……」
つい先ほどまた実演として、昼の食事に豪華な料理を出してやったところ、この男は少し微妙な表情をしていた。まあ、全部は食べてくれたが……。
それに妙なほど簡単に魔法の行使が出来たのが少し引っかかる。
確かに願いとしては極々簡単なモノだが、それにしてもあっさりと出せた――まあ、彼の表情を見るに上手くはいかなかったから、そのせいかもしれないが。
「我が見たところ、お前は今、部屋の物を整理し、あと配置換えをしているようだが」
「うん、新しい家具をネットで注文したから、ちょっと模様替えをしてるんだ。
このベッドはもう古いから、リサイクルとかに出したいけど……」
「しかし、その寝具を動かすのは骨が折れるのではないか?」
「ああ……確かに。
でも、えーっと……ほら、それで貴重なお願いを使うのは勿体ないから」
「そんな些細な欲を願いに数えたりはせぬ、あくまでも証明のためだ。
どこに移送すればよいか、我に教えよ」
「業者さんが来てくれる予定だから、とりあえずマンションの外の、空き地とかに出せれば……でも、いいの?」
「特別に叶えてやろう…………特別にな!」
私はその寝具を指さし、魔力を開放する。
さすがに契約もなしに大きい物の空間転移は骨が折れたが、成功はした。
完了した、と私が言ってから窓を開けて外を見ると、近くの空き地にちゃんとそのベッドが置かれている。
私の横で男が感嘆の声をあげた。
「すごい……!そんなことまでできるんだ」
「……ふう、直接精を得られずとも、お前の傍にいれば魔力は多少なりとも溜まる。
このぐらいは序の口ということだ」
……契約による物ではなかったので、意外と疲れてしまったけど。
すると、その少し後にピンポンという妙な音と、荷物の配達をしに来た、という要旨の声が聞こえた。
「あ、ちょうどよかった!新しいベッドが届いたみたいだ」
「では、それも転送してやるとするか」
「えっ?!でも、業者さんは来てくれてるから、ライラはそこまでしなくてもいいよ。
それに新しいベッドはかなり大きいから、たぶんさっきより大変なんじゃ……」
「……いや。それぐらいはせぬと、お前に誇示が出来ぬからな」
私は姿だけ普通のニンゲンに化けた上で外に出て、そこに立っていた配達員たちに新しいベッドとやらの場所を聞く。
随分と大きな馬車の中……いや、馬がいないから違うようだが……これも魔道具か何かなのか? まあ、それはいい。
とにかくそこにある扉を男たちが開けると、そこに大きなベッドがあった。
「そこの男たち、この中から出すだけでよいぞ。あとはこちらで運ぶ」
「へっ? 大丈夫なんですか?中まで運ぶのは私たちが……」
「出すだけでいい、と言っておる。
お前たちは裏の空き地にある、古いベッドを回収して帰るがいい」
「は、はあ。分かりました、そうさせていただきます」
男たちは私の言葉通りに動いて、トラック(と呼んでいた)に乗って走って行った。
確かにこの寝具は大きく、ニンゲンが二人はゆうに並んで寝れる大きさだ。あの部屋の広さと考えると少し不釣り合いな気もするが、さておき。
ここは力をしっかり込めないと失敗してしまうので、集中して。
「せいっ!」
気合を入れてベッドを指さし、魔力を込める――
「……む?」
空間転移は行使したはず――だが、思っていた以上の負担がない。
さっきより重い寝具を移動させたはずなのに、それよりも遥かに簡単に行使できた。
「……ひとまず建物の中に戻って確認するか」
男が住む部屋の扉を開けると、そこにはしっかり大きなベッドが鎮座している。座標や置き方も狙い通りで、何も問題なかった。
そして、あの男が嬉しそうに笑って私を見る。
「ライラ、やっぱり君はすごいよ!」
「……むう?」
一切失敗はしていない。では、なぜあんなに楽に魔法を行使できたのか?
私が腕を組んで思案していると、ふと違う疑問が浮かぶ。
「そもそも、どうしてこんな大きなベッドが必要なのだ?」
「あ……! ……うん、そういえばライラには、何も言ってなかった……ごめん」
「ん?どういうことだ」
男は照れくさそうに頭を掻きながら、私を見た。
「ほら、ライラはいっつも寝る前になると、ランプの中に戻っていくじゃないか。
君にはそっちの方が落ち着くのかもしれないけど……」
「……遠回しな物言いはいい。はっきりと述べよ」
「だから……その、ライラと一緒に寝れたらいいな、って思って」
「なっ……いっ……しょ?!」
思わずおかしな声が漏れて、なぜか頬がかっと熱くなる。
「な、なにを言うか!わたっ、我はそもそも、お前とはまだ契約してないのだぞ!
いやそれ以前に私が拒否するということは、その、考えなかったのか!?」
「うっ、ま、まあその時は、その時で。
部屋は手狭になるけど、ベッドが広くて困る事ってそんなにないし……」
「う……むむぐぐ……」
これは願いなのか――と問うことすら無意味に感じる。
私が拒否したところで不寛容さを示してしまい、不信感を与えるだけにも思えた。
だが、理由をこじつけるなら。
「……お前の提案の正当性はともかく、実際私にとっても利がないわけではない。
お前の身体に近づくことは、ランプの中にいるよりもずっと多く精を得られるという事でもあるからな」
「えっ?ってことは、もしかして……」
「い、いや……お前の欲望を引き出し、さらに私の魔力を高めるのには都合がいいと言っておるのだ!
余計な勘繰りをするんじゃないぞ!」
「う、うん。じゃあその……これからも、よろしく」
「むぐぐ、まったく……」
そして……その日の、夜。
「ほ、本当に、一緒に寝るのか……? わ……たしと……」
「いや、ライラが嫌ならいいんだ。いつも通りにランプの中に戻ってくれてもいい」
「それは……願いか?」
「もしそうなるなら、それでもいいよ」
「……っ」
これで……いいのか。
この言葉を彼の”願い”と受け取ってよいのだろうか?
分からない。一体何なのだ……この感情は、一体?
「この程度で……願いなどとは定義しない。私の矜持に反する。
お前自身の出来る事や予想を超えてこそ、私の力の誇示となり、存在意義となるのだ」
「そっか……ありがとう、ライラ」
「れ、礼を言われる筋合いもない!」
まごつきながらも、私はベッドの上にある布団(と呼ぶらしい)とシーツの間に身体を潜り込ませる。
柔らかいものに挟まれて寝転ぶ心地は、今まで感じたことがあるようでない、ついうっとりしてしまいそうな感触だった。
「そういえば、ライラはこうやって寝るのは初めてなの?」
「ど、どういう意味だ? こんなふうにニンゲンのように寝るのも、その……他の誰かと一緒になって横に寝転ぶのも初めて、ではあるが……」
「そっか……寒くはない?毛布はもう一枚あるけど」
「……ん」
寒い、熱い……実を言うとそれは、あまりよく分からない。
私達にとっては本来不要な感覚のはずなので、それが分かるのは魔物になった影響の一端かもしれない。かといって普通の生物のように鋭敏でもないのだ。
少し動いてみるかと身体をもぞもぞさせていると、不意に私の指が彼の腕に、肌に触れた。
その瞬間、
「あっ……す、すまない」
それは――温かい。
目が覚めたようにはっきりとそう感じて、口に出しかけたその言葉を私は誤魔化した。
「こっちこそごめん。もうちょっと離れた方がいいかな……」
彼がそう言って動こうとする前に、
「い、いや……! そこで……ちがう、そこよりも……。
もう少し、近くに……居てくれないか」
身体が熱を感じて、心が脈打つ。
頬と頭がイグニスの火にあてられたように火照って感じる。
その熱に浮かされるように、言葉が唇から勝手に零れていった。
「い、いいの?」
「ああ……お前が、来ないなら……私が、行くぞ」
「う……うん」
少しずつ距離が縮まって、私の手と彼の手が触れ、腕が、肩がくっつく。
彼の肌が触れるたびに、声が出そうなほど心地よさが溢れてくる。
「あ……も、もっと……もっと、ほしい……」
理性が、火の中に入れられた氷のように溶けていく。
少しずつぼやける意識の中、私は横を向いて、彼の腕に自分の身体をぎゅっと押し当てた。
「ら、ライラ?」
「なぜか……こうしていると、熱いのに……とても落ち着くんだ。
砂漠に照り付ける太陽のような、焦がされるような熱じゃなくて……。
そうか……これが温もり……なのか……」
ランプはあくまで『入れ物』であり、その中に熱や温度という概念はない。
中から外の状況は分かっても、自分のランプの感触以外を知ることはなかった。
だから私にはこの感触も感情も、形容しがたくて――ただ、安心していく。
「あ……ああ、でも……もっと、もっと欲しい。
君の熱を……もっと傍で、全身で感じたいっ……」
「え……あ、」
私は身体を持ち上げて、仰向けに寝た彼の身体の上にゆっくりと覆いかぶさる。
布団の柔らかさと、それ以上に気持ちよく感じる、熱と感触の、彼の肉体。
二つに挟まれているだけでも至福だけれど、さらに私は彼の胸板に頭をすりすりとこすりつけ、全身でぎゅっと抱きしめた。
「ああ……すごい、蕩けてしまいそうだ……。
ランプの中では分からなかった、今まで感じたことのない何かがこみ上げてくる。
君は、気持ちいいか? 私の感触は、君を満足させられているか……?」
「うん……ライラの温かさも、柔らかさも、伝わってくる。このまま、こうしていたい」
「ふふっ……そうか。私も、同じ気持ちだ」
彼の腕が私を抱き返してきたのが分かって、さらに嬉しさが増す。
増していって――またイグニスの火のように燃え上がっていく。
「私は……”ジーニー”として、君の願いを存分に叶えたい。
それには君の精を得ることが……君と交わりあう事が、肝要なんだ」
「……ライラ、それは……君の言う、願いを叶える精霊としての意思?」
「精霊として……か。ほんの少しは、その本能もあるのかもしれない。
だが、それは違うと言わせてもらうよ。
君を主人として仕え、叶える側である私が言うのもおこがましいが――。
今はただ、君と一つになりたい」
目を閉じて、彼の唇に私の口を添える。
唇から感じる熱はまた違った感触で、焦がれるように熱く、心地よかった。
「僕も……君と交わりたい、ライラ」
そして今度は彼の方から、私の唇を奪われる。
「――っ」
自分からしたそれとは違う、陶酔するような快楽が走る。
思わずまた目をきゅっと瞑ってしまって、彼を見れなかったのが少し残念だった。
だからお返しのようにまた、口づけを交わす。今度は舌を僅かに伸ばして、彼の首筋を、頬を、そして唇を味わうように――。
そして長い愛撫の時間を経て、私達は一つになった。
彼の熱と好意が混じった精を、子種を、私の中で受け止める。
自分でも判然としなかった欲求が一瞬で、それも深く満たされていく快楽。
ずっとこうしていたい――と、絶頂の余韻の中、私はそれだけを思っていた。
あの日から、私がランプの中に戻ることは二度となかった。
それよりもできるだけ彼を求め、彼に求められていたかった。
以前には魔法を使ってそうしていた代わりに、私は手ずから料理を作り、身の回りの家事をしている。
彼が喜んでくれるから、という理由も勿論大きくあったけど……無駄な魔力を使うことはしたくなかったのだ。
何よりも今は、彼の”願い”を叶えたい。
だから私は毎日のように、必ず一度は彼に言っていただろう。
「君が望む願いなら、何でも叶えてやろう。
三つでも、十でも百でも……無限にでもいい。本当は元々制限なんてないんだ。
さあ。君の願いを聞かせてくれ」
何度も私はそれを聞いた。
だが彼の返事は大体が決まったようなもの。
「もう少し、待っててくれないか」
「……そうか」
一体、彼は何を求めているのか。私は無理やりにでもそれを聞きたかった。
だがもしそれが、私には不可能な願いだったら?
その望みを叶えてしまった後、彼が私を用済みだと思ってしまったら?
そう考えると、今までの私はそれ以上聞けず、口を閉じるだけだった。
でも、今日こそは問いただす。
夜の営みが落ち着いた後、私達は二人でベッドの上に寝転んで、緩やかな雰囲気を楽しんでいた。
「話があるんだけれど……いいかい」
「うん」
私は寝転んだ彼の胸に頭を乗せて目を閉じ、彼の心臓が鼓動する音を聞きながら、口を開いた。
「……この前は珍しく、私一人で外に出かけていたんだ。覚えているかい?」
「うん、確か何の用かは言ってなかったけど……」
「ああ……君をがっかりさせたくないから、はっきりしてから言おうと思ってたんだ。
ここに住む間に知り合った、医術に詳しい魔物の所へ行っててね。
精霊である私には、縁のない話かもと高を括っていたんだが……その、」
身体が交わりの時のように熱くなって、さすがに言いよどんでしまうが、意を決めて言葉を発する。
「こ、子供が……私の中に、宿って……」
「えっ?!」
「わっ!き、急に跳ね起きないでくれ、びっくりしただろう!」
「で、でも……だって!僕と君との、子供が……!」
もう数えきれないぐらいに彼の精を受け止めた私の身体は、そう変化していたらしい。
彼がどんな表情をしているかを見るのが、少しだけ怖かった。
でも、
「良かった……すごく、嬉しいよ……ライラっ!」
「あ……っ、」
上半身だけ起こした彼の両腕に頭を包まれ、ぎゅっと胸元に抱き寄せられて。
抑えきれない感激の声が聞こえて。
私の中にあった不安は少しずつ消えていた。
「お、男の子?女の子?」
「いいい、いや、待ってくれ!まだそれも分からない段階なんだよっ」
「あっ、ご、ごめん。なんだかもう、慌てちゃって」
私を抱きしめるのに力を入れすぎたのを反省したのか、彼の両腕が少し緩んだ。
それでようやく私は少し体を離して上を向いて、顔の顔を覗くことができた。
「だから、その……君の子供が、できてしまう、わけで……」
「うん……! やっぱりもう少し広い部屋がいいよね、ああその前に、君の出産の準備もしっかりしておかないと……胎教のほうも……」
「だ、だから、聞いてくれ!」
私が声を荒げると、彼は驚いた顔で言葉を止めた。
「……まだ、私は君の願いを叶えられていないんだよ。
君が何を考えていて、どんな底知れない願いを持っているのかは分からない。
私の手に余るような欲望や願望が、君の中にはあるのかもしれない」
目を丸くする彼に、私はまくしたてる。
「……でも! 君と暮らしてきた今の私なら、どんな願いも叶えてみせる!
それだけの魔力を溜められたし、これからだって溜められる!
だから……私に”願い”を……教えてくれっ……」
目を閉じて、私は彼の胸にまた縋り付く。
この温もりを、もう離したくない。
たとえどんな犠牲を払ってでも、彼を満足させて見せる。
「……ごめん。僕は、ずっと言えなかった。
”願い”は、もうずっと前から決まっていたのに……。
それを言って、この関係が壊れてしまうのが怖かった」
「……いい。それでいいんだ。君の願いを、言ってくれ」
――そう思っていたのに。
「願いは、三つもいらない。ただ一つだけでいい。
叶えてくれたその時点で、君との契約も終わりにしたい」
「……ああ」
私の頭を抱きながら、君は、言ってしまった。
「ライラ。僕とずっと、一緒にいてほしい。
僕の”願い”は最初から、それだけだったんだ」
どうしてそんな事を今さら、君は言うんだ。
「……そん、なのっ……もっと前に、言ってくれたってっ……」
滅茶苦茶に感情が溢れて、涙が止まらない。
精霊である私の涙には一体何が含まれているのか、それも分からないのに、何故か止めどなく溢れてしまう。
「違うんだ……君を、そんな契約で、”願い”で縛りたくなかったんだ。
それはきっと、君という女の子の自由を亡くす枷になる……そう思って」
「……ばか、だな、きみは。
わたしが、不服に思う契約は、却下できるって……言ったじゃないか」
「うん……ライラの言う通りだよ。
そうやって、断られるのが怖かった。そんな弱虫な所も僕にはあった……ごめん」
「っ……ふふっ、はははっ……」
思わず、私は笑ってしまう。
それを見た彼は不思議そうな顔で私を眺めていた。
「ど、どうしたの? ライラ」
ようやく私は思い至った。
今まで彼に魔法で食事を出すのも、ベッドを転移させた時も。
あんなに簡単にできたのは、彼の望みと近しいものだったからなんだ。
「ふふっ、だって……だってこんな喜劇、聞いたことがないもの」
私はまたこみ上げてくる笑いと、悦びの感情を抑えきれないままに言った。
君の願いも、私の願いも、たった一つだけで。
それはもう、同時に叶っていたなんて。
我こそはこの魔法のランプに宿る精霊、”ジーニー”だ!
褒美にお前の願いを3つ、何でも叶えてやろう!」
ランプを擦られて意識がはっきりと覚醒し、煙と共にランプから出て、私は考えていた前口上を鮮やかに述べる。うん、イメージトレーニング通りバッチリだ。
「えっ……え?」
私を呼び出したのはどこにでもいる普通の男のようで、目を丸くさせながらこっちを見ていた。
あまり私はニンゲンを見たことがないので青年、というぐらいしか分からないが。
……しかし、ここはどこなのだろう?
この男が住む建物の中のようだが、窓からちらりと見えた外は砂漠ではなかった。男が着ている衣服や家の中の家具らしきものも、私には見覚えがない。
まあ、それはさておこう。
「えっと……どういうことでしょうか」
まあ、さすがにいきなり言われては理解も出来まい。ここはちゃんと練っておいた要約で説明してやることにしよう。
「我は”ジーニー”と呼ばれる種族であり、このランプの精霊だ。お前が擦ったことで呼び出された」
「でも、それでなぜ願いを叶えてくれるんですか……?」
「ふむ、少し説明が早まったな。
正確に言えば、我は契約を結ぶことで、お前の願いを”3つ”叶えてやれるのだ」
実をいうと、叶えられる願いの数に制限は一切ない。
だが『自由にしていい』と言われると何をしていいのか分からなくなる者も多い。
交渉事においては、あえて縛ることがさらなる欲望を生みだすのだ。
……ちゃんと考えを練っておいてよかった。
「契約?」
「魔物である我は、精を得る事、即ち男性の傍にいて、その者と性交をすることで魔力を補給する。
お前と契約し精を得るという条件のもと、その魔力で願いを叶えてやれるのだ。
そして私の魔法は、契約者であるお前の望みを叶えることに近ければ近いほど、最大限の効力を発揮する」
「……うーん」
「なんだ?」
男は怪訝そうな顔をする。
「いきなり願いを叶えられるって言われても……。
パッとは思いつかないし、そもそも君が叶えてくれるのかも怪しいし」
「む……」
この男の身なり、そしてこの部屋の中を見ると、おそらくは生活に困っているというふうではない。富んでいるというほどでもないが、貧に飢えているようでもなかった。
そして私が願いを叶えられるかどうか、それは口頭だけでは納得できないのも無理はない。
「成程、お前の言うとおりだ。まずは見本を見せるとしよう」
私は男が座った前にあるテーブルを見つめ、指をさし、魔法を行使する。
「せいっ!」
煙と共に、テーブルの上には皿に乗った大きなパンが突然現れる。
「わっ! え? ぱ、パンがいきなり……?」
「たとえ契約を結ばなくてもこの程度は可能だ。
それをちぎって食べて、本物かどうか確かめてみるといい。
手品や催眠術や超スピードだとか、そんなチャチなものでないことが分かるぞ」
「ま、まさか……んぐ、ほ、本当にちゃんとしたパンだ。あんまり美味しくはないけど……」
む……味もちゃんとしておいたはずなのだが、勉強不足だったか……まあいい。
とにかくこれで男の疑いもほとんど解けたはずだ。
「さあ、どうだ。これでひとまずの証明にはなっただろう」
「うーむ……でもさすがに、何でもは叶えられないよね?」
さすがにあれだけでは心からの信用は得られなかったらしい。
男の質問に、私は正直に答える。
「そうだな……我も万能ではない、ゆえに、不可能な願いはある。
そればかりは願いを聞いてからでなければ判断が出来ぬな。
また、我にも当然気の進まぬ願いはある。それはこちらから却下を下す。
つまり、あくまでもこの契約は合意のもと行われる。
いかに私を呼び覚ました者であろうと、絶対服従の意を示すものではない」
「なるほど……」
男は腕を組んで何かを考えている。
よし、この男の欲望を利用すれば、私の欲望も魔力も満たされていくだろう。
この者はどんな願いを、欲望を欲するのか――。
「……じゃあ、ちょっと考えさせて」
「なにっ?!」
私は思わず妙な声を上げてしまう。
「え、えっと……ほら。さっきも言ったけど、さすがにすぐには思いつかないよ。
時間制限があるわけじゃないんだよね?」
「むむ……」
そういえば、それは考えていなかった。
ニンゲンの頭の中はみな欲望でいっぱいで、手に入るものならすぐにでも飛びつくものだと思っていたからだ。
制限として期限を決めておくべきだろうか?ふむ……。
「……では、願いを待とう。我も気が短いわけではない。
何より、お前が満足することが第一であるからな」
「そっか……ありがとう!」
「う、うむ」
なぜかこの男は随分喜んでいるように見えるが……。
まあ、いつでも願いが叶えられるという状況に置かれれば当然か。
やはりここは一歩引いておくべきだろう、待つのもまた交渉の駆け引きだ。
「あっ……そういえば、君の名前を聞いてなかったけど」
「……む?我は”ジーニー”だと言ったはずだが」
「でも、それはたぶん分類としての名前なんだよね?」
「ああ、確かにそうだが……我のような神器はそうどこにでもあるものではない。
遺跡でもないこの近くで、我以外の”ジーニー”と会うこともないだろう?」
「それはそうかもしれない……けど。
えっと……やっぱり呼びやすい方がいいし、君に名前を付けてもいいかな」
「……それは、願いか?」
「もしそうなるなら、それでもいいけど」
「……」
よく分からないことを言い出す男だが……まあ、これは願いともいえまい。
あくまで便宜上の事なのだろう。
「いいだろう。願いとしては含めん、好きに呼ぶがいい」
「ありがとう! じゃあ……そうだ、ライラック……うん、”ライラ”なんてどうかな。
君のグラデーションした髪や、服……かな?に似た、薄紫色の花なんだ」
「わた……いや、我はそれを見たことがないが」
ランプの中から外を覗くこと自体はできるが、”外”を見た回数はさほどない。
”花”を知識としては知っていても、実物を見る機会などほとんどなかった。
「えっとね、ちょっと待って……はい、これがライラックの写真だよ」
男は何か薄い板のようなものを手に持ち、指でなぞったあと、私に見せてくる。
私の髪は基調を白として毛先にいくほど紫に染まっていくが――たしかにその花の色は白と紫があって、私の髪色や、足を覆うそれに似ている。
そして、その花は私に不釣り合いなほど鮮やかに、美しく見えた。
「これは……わ、私に、似合うのか?」
「僕はとっても良いと思うよ。綺麗で、君にピッタリだ」
「……」
「あ、ライラックって色で花言葉が分けられてるんだ……へえ」
「……はなことば?」
「紫色のライラックの花言葉は、寧ろ僕に合って……あ、いや。なんでも」
「っ……むむむ。訳の分からないことを言うな!」
つい気になって男からその板をひったくってやったが、使い方がさっぱり分からないし、ろっく?というものが掛けられたらしく、私にはどうしようもなかった。
……あれから三度日が落ち、昇った。まあたぶん三日後だろう。
「願いはまだ思い浮かばないか」
「えっ? えーと」
何度かこの男に同じ問いかけをしたが、この通りはぐらかすばかり。
「……もしや、まだ我の力を信用していないのか?」
「いや、そうじゃないけど……」
つい先ほどまた実演として、昼の食事に豪華な料理を出してやったところ、この男は少し微妙な表情をしていた。まあ、全部は食べてくれたが……。
それに妙なほど簡単に魔法の行使が出来たのが少し引っかかる。
確かに願いとしては極々簡単なモノだが、それにしてもあっさりと出せた――まあ、彼の表情を見るに上手くはいかなかったから、そのせいかもしれないが。
「我が見たところ、お前は今、部屋の物を整理し、あと配置換えをしているようだが」
「うん、新しい家具をネットで注文したから、ちょっと模様替えをしてるんだ。
このベッドはもう古いから、リサイクルとかに出したいけど……」
「しかし、その寝具を動かすのは骨が折れるのではないか?」
「ああ……確かに。
でも、えーっと……ほら、それで貴重なお願いを使うのは勿体ないから」
「そんな些細な欲を願いに数えたりはせぬ、あくまでも証明のためだ。
どこに移送すればよいか、我に教えよ」
「業者さんが来てくれる予定だから、とりあえずマンションの外の、空き地とかに出せれば……でも、いいの?」
「特別に叶えてやろう…………特別にな!」
私はその寝具を指さし、魔力を開放する。
さすがに契約もなしに大きい物の空間転移は骨が折れたが、成功はした。
完了した、と私が言ってから窓を開けて外を見ると、近くの空き地にちゃんとそのベッドが置かれている。
私の横で男が感嘆の声をあげた。
「すごい……!そんなことまでできるんだ」
「……ふう、直接精を得られずとも、お前の傍にいれば魔力は多少なりとも溜まる。
このぐらいは序の口ということだ」
……契約による物ではなかったので、意外と疲れてしまったけど。
すると、その少し後にピンポンという妙な音と、荷物の配達をしに来た、という要旨の声が聞こえた。
「あ、ちょうどよかった!新しいベッドが届いたみたいだ」
「では、それも転送してやるとするか」
「えっ?!でも、業者さんは来てくれてるから、ライラはそこまでしなくてもいいよ。
それに新しいベッドはかなり大きいから、たぶんさっきより大変なんじゃ……」
「……いや。それぐらいはせぬと、お前に誇示が出来ぬからな」
私は姿だけ普通のニンゲンに化けた上で外に出て、そこに立っていた配達員たちに新しいベッドとやらの場所を聞く。
随分と大きな馬車の中……いや、馬がいないから違うようだが……これも魔道具か何かなのか? まあ、それはいい。
とにかくそこにある扉を男たちが開けると、そこに大きなベッドがあった。
「そこの男たち、この中から出すだけでよいぞ。あとはこちらで運ぶ」
「へっ? 大丈夫なんですか?中まで運ぶのは私たちが……」
「出すだけでいい、と言っておる。
お前たちは裏の空き地にある、古いベッドを回収して帰るがいい」
「は、はあ。分かりました、そうさせていただきます」
男たちは私の言葉通りに動いて、トラック(と呼んでいた)に乗って走って行った。
確かにこの寝具は大きく、ニンゲンが二人はゆうに並んで寝れる大きさだ。あの部屋の広さと考えると少し不釣り合いな気もするが、さておき。
ここは力をしっかり込めないと失敗してしまうので、集中して。
「せいっ!」
気合を入れてベッドを指さし、魔力を込める――
「……む?」
空間転移は行使したはず――だが、思っていた以上の負担がない。
さっきより重い寝具を移動させたはずなのに、それよりも遥かに簡単に行使できた。
「……ひとまず建物の中に戻って確認するか」
男が住む部屋の扉を開けると、そこにはしっかり大きなベッドが鎮座している。座標や置き方も狙い通りで、何も問題なかった。
そして、あの男が嬉しそうに笑って私を見る。
「ライラ、やっぱり君はすごいよ!」
「……むう?」
一切失敗はしていない。では、なぜあんなに楽に魔法を行使できたのか?
私が腕を組んで思案していると、ふと違う疑問が浮かぶ。
「そもそも、どうしてこんな大きなベッドが必要なのだ?」
「あ……! ……うん、そういえばライラには、何も言ってなかった……ごめん」
「ん?どういうことだ」
男は照れくさそうに頭を掻きながら、私を見た。
「ほら、ライラはいっつも寝る前になると、ランプの中に戻っていくじゃないか。
君にはそっちの方が落ち着くのかもしれないけど……」
「……遠回しな物言いはいい。はっきりと述べよ」
「だから……その、ライラと一緒に寝れたらいいな、って思って」
「なっ……いっ……しょ?!」
思わずおかしな声が漏れて、なぜか頬がかっと熱くなる。
「な、なにを言うか!わたっ、我はそもそも、お前とはまだ契約してないのだぞ!
いやそれ以前に私が拒否するということは、その、考えなかったのか!?」
「うっ、ま、まあその時は、その時で。
部屋は手狭になるけど、ベッドが広くて困る事ってそんなにないし……」
「う……むむぐぐ……」
これは願いなのか――と問うことすら無意味に感じる。
私が拒否したところで不寛容さを示してしまい、不信感を与えるだけにも思えた。
だが、理由をこじつけるなら。
「……お前の提案の正当性はともかく、実際私にとっても利がないわけではない。
お前の身体に近づくことは、ランプの中にいるよりもずっと多く精を得られるという事でもあるからな」
「えっ?ってことは、もしかして……」
「い、いや……お前の欲望を引き出し、さらに私の魔力を高めるのには都合がいいと言っておるのだ!
余計な勘繰りをするんじゃないぞ!」
「う、うん。じゃあその……これからも、よろしく」
「むぐぐ、まったく……」
そして……その日の、夜。
「ほ、本当に、一緒に寝るのか……? わ……たしと……」
「いや、ライラが嫌ならいいんだ。いつも通りにランプの中に戻ってくれてもいい」
「それは……願いか?」
「もしそうなるなら、それでもいいよ」
「……っ」
これで……いいのか。
この言葉を彼の”願い”と受け取ってよいのだろうか?
分からない。一体何なのだ……この感情は、一体?
「この程度で……願いなどとは定義しない。私の矜持に反する。
お前自身の出来る事や予想を超えてこそ、私の力の誇示となり、存在意義となるのだ」
「そっか……ありがとう、ライラ」
「れ、礼を言われる筋合いもない!」
まごつきながらも、私はベッドの上にある布団(と呼ぶらしい)とシーツの間に身体を潜り込ませる。
柔らかいものに挟まれて寝転ぶ心地は、今まで感じたことがあるようでない、ついうっとりしてしまいそうな感触だった。
「そういえば、ライラはこうやって寝るのは初めてなの?」
「ど、どういう意味だ? こんなふうにニンゲンのように寝るのも、その……他の誰かと一緒になって横に寝転ぶのも初めて、ではあるが……」
「そっか……寒くはない?毛布はもう一枚あるけど」
「……ん」
寒い、熱い……実を言うとそれは、あまりよく分からない。
私達にとっては本来不要な感覚のはずなので、それが分かるのは魔物になった影響の一端かもしれない。かといって普通の生物のように鋭敏でもないのだ。
少し動いてみるかと身体をもぞもぞさせていると、不意に私の指が彼の腕に、肌に触れた。
その瞬間、
「あっ……す、すまない」
それは――温かい。
目が覚めたようにはっきりとそう感じて、口に出しかけたその言葉を私は誤魔化した。
「こっちこそごめん。もうちょっと離れた方がいいかな……」
彼がそう言って動こうとする前に、
「い、いや……! そこで……ちがう、そこよりも……。
もう少し、近くに……居てくれないか」
身体が熱を感じて、心が脈打つ。
頬と頭がイグニスの火にあてられたように火照って感じる。
その熱に浮かされるように、言葉が唇から勝手に零れていった。
「い、いいの?」
「ああ……お前が、来ないなら……私が、行くぞ」
「う……うん」
少しずつ距離が縮まって、私の手と彼の手が触れ、腕が、肩がくっつく。
彼の肌が触れるたびに、声が出そうなほど心地よさが溢れてくる。
「あ……も、もっと……もっと、ほしい……」
理性が、火の中に入れられた氷のように溶けていく。
少しずつぼやける意識の中、私は横を向いて、彼の腕に自分の身体をぎゅっと押し当てた。
「ら、ライラ?」
「なぜか……こうしていると、熱いのに……とても落ち着くんだ。
砂漠に照り付ける太陽のような、焦がされるような熱じゃなくて……。
そうか……これが温もり……なのか……」
ランプはあくまで『入れ物』であり、その中に熱や温度という概念はない。
中から外の状況は分かっても、自分のランプの感触以外を知ることはなかった。
だから私にはこの感触も感情も、形容しがたくて――ただ、安心していく。
「あ……ああ、でも……もっと、もっと欲しい。
君の熱を……もっと傍で、全身で感じたいっ……」
「え……あ、」
私は身体を持ち上げて、仰向けに寝た彼の身体の上にゆっくりと覆いかぶさる。
布団の柔らかさと、それ以上に気持ちよく感じる、熱と感触の、彼の肉体。
二つに挟まれているだけでも至福だけれど、さらに私は彼の胸板に頭をすりすりとこすりつけ、全身でぎゅっと抱きしめた。
「ああ……すごい、蕩けてしまいそうだ……。
ランプの中では分からなかった、今まで感じたことのない何かがこみ上げてくる。
君は、気持ちいいか? 私の感触は、君を満足させられているか……?」
「うん……ライラの温かさも、柔らかさも、伝わってくる。このまま、こうしていたい」
「ふふっ……そうか。私も、同じ気持ちだ」
彼の腕が私を抱き返してきたのが分かって、さらに嬉しさが増す。
増していって――またイグニスの火のように燃え上がっていく。
「私は……”ジーニー”として、君の願いを存分に叶えたい。
それには君の精を得ることが……君と交わりあう事が、肝要なんだ」
「……ライラ、それは……君の言う、願いを叶える精霊としての意思?」
「精霊として……か。ほんの少しは、その本能もあるのかもしれない。
だが、それは違うと言わせてもらうよ。
君を主人として仕え、叶える側である私が言うのもおこがましいが――。
今はただ、君と一つになりたい」
目を閉じて、彼の唇に私の口を添える。
唇から感じる熱はまた違った感触で、焦がれるように熱く、心地よかった。
「僕も……君と交わりたい、ライラ」
そして今度は彼の方から、私の唇を奪われる。
「――っ」
自分からしたそれとは違う、陶酔するような快楽が走る。
思わずまた目をきゅっと瞑ってしまって、彼を見れなかったのが少し残念だった。
だからお返しのようにまた、口づけを交わす。今度は舌を僅かに伸ばして、彼の首筋を、頬を、そして唇を味わうように――。
そして長い愛撫の時間を経て、私達は一つになった。
彼の熱と好意が混じった精を、子種を、私の中で受け止める。
自分でも判然としなかった欲求が一瞬で、それも深く満たされていく快楽。
ずっとこうしていたい――と、絶頂の余韻の中、私はそれだけを思っていた。
あの日から、私がランプの中に戻ることは二度となかった。
それよりもできるだけ彼を求め、彼に求められていたかった。
以前には魔法を使ってそうしていた代わりに、私は手ずから料理を作り、身の回りの家事をしている。
彼が喜んでくれるから、という理由も勿論大きくあったけど……無駄な魔力を使うことはしたくなかったのだ。
何よりも今は、彼の”願い”を叶えたい。
だから私は毎日のように、必ず一度は彼に言っていただろう。
「君が望む願いなら、何でも叶えてやろう。
三つでも、十でも百でも……無限にでもいい。本当は元々制限なんてないんだ。
さあ。君の願いを聞かせてくれ」
何度も私はそれを聞いた。
だが彼の返事は大体が決まったようなもの。
「もう少し、待っててくれないか」
「……そうか」
一体、彼は何を求めているのか。私は無理やりにでもそれを聞きたかった。
だがもしそれが、私には不可能な願いだったら?
その望みを叶えてしまった後、彼が私を用済みだと思ってしまったら?
そう考えると、今までの私はそれ以上聞けず、口を閉じるだけだった。
でも、今日こそは問いただす。
夜の営みが落ち着いた後、私達は二人でベッドの上に寝転んで、緩やかな雰囲気を楽しんでいた。
「話があるんだけれど……いいかい」
「うん」
私は寝転んだ彼の胸に頭を乗せて目を閉じ、彼の心臓が鼓動する音を聞きながら、口を開いた。
「……この前は珍しく、私一人で外に出かけていたんだ。覚えているかい?」
「うん、確か何の用かは言ってなかったけど……」
「ああ……君をがっかりさせたくないから、はっきりしてから言おうと思ってたんだ。
ここに住む間に知り合った、医術に詳しい魔物の所へ行っててね。
精霊である私には、縁のない話かもと高を括っていたんだが……その、」
身体が交わりの時のように熱くなって、さすがに言いよどんでしまうが、意を決めて言葉を発する。
「こ、子供が……私の中に、宿って……」
「えっ?!」
「わっ!き、急に跳ね起きないでくれ、びっくりしただろう!」
「で、でも……だって!僕と君との、子供が……!」
もう数えきれないぐらいに彼の精を受け止めた私の身体は、そう変化していたらしい。
彼がどんな表情をしているかを見るのが、少しだけ怖かった。
でも、
「良かった……すごく、嬉しいよ……ライラっ!」
「あ……っ、」
上半身だけ起こした彼の両腕に頭を包まれ、ぎゅっと胸元に抱き寄せられて。
抑えきれない感激の声が聞こえて。
私の中にあった不安は少しずつ消えていた。
「お、男の子?女の子?」
「いいい、いや、待ってくれ!まだそれも分からない段階なんだよっ」
「あっ、ご、ごめん。なんだかもう、慌てちゃって」
私を抱きしめるのに力を入れすぎたのを反省したのか、彼の両腕が少し緩んだ。
それでようやく私は少し体を離して上を向いて、顔の顔を覗くことができた。
「だから、その……君の子供が、できてしまう、わけで……」
「うん……! やっぱりもう少し広い部屋がいいよね、ああその前に、君の出産の準備もしっかりしておかないと……胎教のほうも……」
「だ、だから、聞いてくれ!」
私が声を荒げると、彼は驚いた顔で言葉を止めた。
「……まだ、私は君の願いを叶えられていないんだよ。
君が何を考えていて、どんな底知れない願いを持っているのかは分からない。
私の手に余るような欲望や願望が、君の中にはあるのかもしれない」
目を丸くする彼に、私はまくしたてる。
「……でも! 君と暮らしてきた今の私なら、どんな願いも叶えてみせる!
それだけの魔力を溜められたし、これからだって溜められる!
だから……私に”願い”を……教えてくれっ……」
目を閉じて、私は彼の胸にまた縋り付く。
この温もりを、もう離したくない。
たとえどんな犠牲を払ってでも、彼を満足させて見せる。
「……ごめん。僕は、ずっと言えなかった。
”願い”は、もうずっと前から決まっていたのに……。
それを言って、この関係が壊れてしまうのが怖かった」
「……いい。それでいいんだ。君の願いを、言ってくれ」
――そう思っていたのに。
「願いは、三つもいらない。ただ一つだけでいい。
叶えてくれたその時点で、君との契約も終わりにしたい」
「……ああ」
私の頭を抱きながら、君は、言ってしまった。
「ライラ。僕とずっと、一緒にいてほしい。
僕の”願い”は最初から、それだけだったんだ」
どうしてそんな事を今さら、君は言うんだ。
「……そん、なのっ……もっと前に、言ってくれたってっ……」
滅茶苦茶に感情が溢れて、涙が止まらない。
精霊である私の涙には一体何が含まれているのか、それも分からないのに、何故か止めどなく溢れてしまう。
「違うんだ……君を、そんな契約で、”願い”で縛りたくなかったんだ。
それはきっと、君という女の子の自由を亡くす枷になる……そう思って」
「……ばか、だな、きみは。
わたしが、不服に思う契約は、却下できるって……言ったじゃないか」
「うん……ライラの言う通りだよ。
そうやって、断られるのが怖かった。そんな弱虫な所も僕にはあった……ごめん」
「っ……ふふっ、はははっ……」
思わず、私は笑ってしまう。
それを見た彼は不思議そうな顔で私を眺めていた。
「ど、どうしたの? ライラ」
ようやく私は思い至った。
今まで彼に魔法で食事を出すのも、ベッドを転移させた時も。
あんなに簡単にできたのは、彼の望みと近しいものだったからなんだ。
「ふふっ、だって……だってこんな喜劇、聞いたことがないもの」
私はまたこみ上げてくる笑いと、悦びの感情を抑えきれないままに言った。
君の願いも、私の願いも、たった一つだけで。
それはもう、同時に叶っていたなんて。
18/12/02 13:49更新 / しおやき