過去の今
「鈴木君、君は少し休暇を取りたまえ」
突然、開発部長にそう言われ、俺は動転した。
これはまさかのリストラのフラグか?
「違う違う。むしろ逆だよ。今、開発部門の若きエースに倒れられたら困るのだよ」
部長の言葉に思わず俺は顔を赤くする。
この部長は俺の入社試験のときの面接官で、とても俺を買ってくれた。
仕事に関することは厳しいが、面倒見の良さは社内一といっても良いくらいの男だ。
第二の父親・・・と俺が勝手にそんな目で見ているのは内緒だ。
「けれど・・・俺が抜けるとプロジェクトが・・・」
「心配いらん。期限はうんと先だから気長にやればいい。『エコは長い目で見るべし』だろ?」
エコは長い目で見るべし・・・これは俺の会社の社訓だ。
環境破壊は一発で逆転して食い止めることなんか出来ない。
だからといって何もしないのは愚の骨頂。
長い目で見て着実に歩みを進め、休むときはそっと休む・・・これが会社のスローガンだった。
「悪いことは言わん。少し休暇をとりたまえ」
「・・・案外変わっていないんだな」
15年ぶりに故郷の地を踏みしめ、俺はぼそりとつぶやいた。
結局俺は部長の言葉に甘え、週末も含めて5日ほど休暇をとった。
一週間以上とってもいいのにと部長は言ったが、先輩や同期が働いているのにそれは申し訳ないと思ったのでやめた。
一日目の土曜日は一人暮らしのアパートを片付け、ゴロゴロしていたのだが落ち着けなかった。
そこで思い立って故郷に帰省してみたのだ。
安い新幹線を使っても1時間半・・・今気づいたが、会社からは意外と遠くはなかったらしい。
15年前、森を守る署名を集めるのに失敗し、どのようなはげ山が広がっているかと来る前はかなり心配していたが、いざ着てみるとゴルフ場はともかく、意外に森は残されていた。
特に、俺たちが遊んでいた裏山はかなりの森が残されているが・・・
『・・・なんか変な建物が建っているな』
俺は眉をひそめる。
町の人に聞くと、そこはホテルだという。
週末に1泊2日でゴルフに来るような人が良く泊まり、泊まらなくても風呂やシャワー、サウナなどの施設でそれなりに人気らしい。
「あんたも泊まるんならあそこにしな。なかなか評判もいいらしい」
「はぁ、どうも」
老人の言葉に俺は生返事をした。
正直、俺たちが遊んでいたあの裏山にわざわざ建てられたホテルに泊まるのはあまりいい気持ちではない。
しかし、他に宿はなさそうだし、かといって荷物を持ったままこの町を散歩するのは面倒なので、そのホテルに向かうことにした。
「なんだってんだよ・・・」
ホテルの入り口に着いて、俺は苛立った声を漏らした。
【福来グループホテル かみおりの宿】と看板にはある。
『福来グループ、か・・・』
心の中で歯ぎしりしながら俺はその看板を見る。
子どものころはその会社のことをよく知らなかったが、裏山を買い取って開発をしたのは、福来グループだったのだ。
福来グループは【福来ホールディングス】という会社を中心に形成されているグループで、各地方にいろんな種類の子会社を持つ大きなグループだ。
裏山のゴルフ場も福来グループ傘下の福来レジャー株式会社が、目の前にあるホテルも福来ホテルが管理するホテルなのだろう。
福来グループ、俺としては親の敵のような存在だ。
そしてもう一つ、俺を苛立たせる事実があった。
そのホテルはご丁寧に、琴葉が住んでいた神社があったその場所に建てられていたのだ。
『・・・あの神社は壊されてしまったのか? 罰当りな・・・』
入り口で苦りきっても仕方ないので、俺は中に入った。
入って俺は驚いた。
田舎のホテルの割には綺麗だ。
だが、俺が驚いたのはそこではない。
入ると少し奥のほうにガラス張りになっている中庭が見えるのだが・・・
『なんと・・・』
そこにはあの神社がそのままの形で残されていた。
『これで、ホテルのなかに神社があるから、ホテルの名前にかみおり・・・か』
ホテルの名前の由来と、神社が残されていたことが嬉しくて思わず俺は笑みをこぼす。
だが、驚くのはまだこれからだった。
「いらっしゃいませ、かみおりの宿へようこそ・・・」
右手にあるフロントの方から女性の声が聞こえる。
記憶にあるものより多少低いが、今は標準語を使っているが、あの懐かしい声・・・
声がした方向を見る。
ホテルの制服らしき和服に身を包んだ声の主も固まった。
ちょっと切れ長な目、すらりとした鼻、すべすべしてそうな頬・・・あのときより数倍綺麗になったけど・・・
「大地っ!? 大地やないの!?」
今は特徴的な耳とかは隠されているけど・・・フロントから身を乗り出している、懐かしい面影の女性・・・
「琴葉っ!」
荷物を放り捨て、俺はフロントに駆け寄る。
フロントにカウンターがあって助かった。
もしなければ俺たちは勢いに任せて抱き合っていたかもしれない。
「琴葉・・・ここにいたのか!」
「久しぶりやねぇ、達者にしとった? 今までどこにおいやしたん? なんでここにおるん?」
一気に琴葉はまくし立てるように訊いてくる。
とりあえず最初から答えようとしたとき、フロントの奥から声があがった。
「琴葉ぁ! 仕事中やないの?」
「あ、母さまや。仕事せな・・・えへん。ようこそホテルに」
「え? ああ・・・チェックインをお願いします。とりあえず1泊2日で」
「はい、かしこまりました。この時期ですと延長も可能ですので・・・」
そんな調子でビジネスライクに会話は進み、チェックインは済んだ。
「ではこちらがお部屋の鍵になります」
特別に森も町も見渡すことができる一室を貰えた。
日曜日で宿泊者はほとんどいなかったのが幸いだったようだ。
琴葉から鍵を渡される。
と、そのとき琴葉がちょっと身を乗り出して俺の耳元にささやいた。
「十時くらいにならはったら仕事終わるさかい、待っててな」
そしてすぐ身を離し
「ではごゆっくり」
とにっこりと笑った。
「・・・まぁ、いい方向に転がったのかな、結果としては」
風呂から上がって浴衣を着、部屋から町を見下ろしながら俺はつぶやく。
風呂はゴルフで汗をかいた人のために、かなりシッカリとした設備であった。
部屋に荷物を置いた後、町のほうも歩いてみたが悪くはなかった。
町の人が期待したほどではなかったもののゴルフ場はそれなりに集客効果があったらしく、町のお店もそのおかげでなんとかではあるが、生き残れている感じだ。
「・・・なんか、悔しいな」
自分がしようとした署名活動が無駄どころか余計なことだったような気がしてちょっと心がチクリと痛んだ。
街を見るため下に向けていた目を、今度は上に向けてみる。
今夜は満月で、満天の星空の中、白い綺麗な光を静かに放っていた。
『あの時の夜を思い出すな・・・』
と、そのとき
「失礼します」
と琴葉の声が響いた。
時計に目を移すと、今は十時半だ。
どうぞと言うと、ホテルの客用に用意されたものと同じ浴衣に身を包み、耳と尾を隠していない琴葉が入ってきた。(ちなみに尾は子どものころと同じ、一本だった)
「・・・それに着替えたのか?」
「制服でうろうろしとったら怪しまれるよって・・・それともなんや? あっちの制服のほうが良かった?」
「いや、その浴衣も十分魅力的だ」
その言葉に琴葉はちょっと頬を染めてにこりと笑う。
琴葉の手を見ると、徳利とお猪口が2つ握られている。
15年ぶりの再会を祝って飲みたいらしい。
「アカオニさんからもらった、とっておきのお酒やよ」
「アカオニねぇ・・・」
アカオニの存在を聞いても驚かない。
故郷を出て少しして、魔物の本を読んだ。
それでジパングには古くから多くの魔物が古くから存在することが分かった。
今目の前にいる稲荷を初め、話に出てきたアカオニ、ジパングの童話では有名な雪女、イタズラ好きだったり子どもと遊んだりする姿が良く描かれる河童、少々おどろおどろしく書かれることもあるジョロウグモ・・・
「ほな大地・・・」
琴葉に杯を差し出され、俺は受け取って注いでもらう。
同じように琴葉の杯に俺は酒を注ぐ。
「ほな、二人の再会を祝って、乾杯!」
「ああ、乾杯」
軽く杯を掲げ、酒を飲み干す・・・
「ぐっ! がはっ! ちょっと、この酒結構強いじゃないか!」
「・・・アカオニさんのお気に入りのお酒やさかいなぁ」
口当たりは良くて美味しい日本酒だが、アルコール度数は半端ない。
思わず大地がむせたものを、琴葉は涼しい顔で飲み干している。
「・・・強いんだな」
「ん〜、結構すぐ酔ってしまうけどなぁ」
せっかくの再会で積もる話もあるのにすぐに酔っ払ってしまうのはもったいないと琴葉も思ったのだろう、二杯目からはちびちびと飲むようにした。
「ほんで、大地は今何をしはっとるの? 今までどうしておったの?」
琴葉に訊ねられ、俺は学生時代のことに軽く触れ、今は都心にあるエコロジー関係の中企業の会社で働いていることを話した。
「は〜、約束どおり森を守る仕事に就いたんやなぁ」
嬉しそうににっこりと笑う琴葉に照れと後ろめたさを感じ、俺は頭を掻いた。
「しかし、プロジェクトは難航しているし、直接的に森を守れている気がしないし・・・やるんだったら農林水産省にでも入るんだったかなぁ?」
「うぅん、大地は十分働いておるよ」
手放しに琴葉に言われてとてもうれしかったが、俺はますます照れくさくなる。
酒も入ったせいか、顔が熱い。
恥ずかしくなったので話題をそらすことにした。
「それにしてもよくこの森は残ったな・・・それからあの神社。中庭に残すなんてなかなか粋じゃないか」
「それもね、大地のおかげなんよ」
「俺?」
意外な言葉に俺は驚く。
琴葉は頷いて続けた。
「大地が引っ越した後、あの署名は忠たちが引き継いだやん? あれが役に立ったん」
琴葉の説明はこうだった。
福来ホテルが裏山をホテル建設のために開発していたら、琴葉が住む神社が見つかった。
建設のためには壊したいところだが、やはり信じていなくても神仏に手を出しかねるのが人間だ。
そこで福来ホテルの人間は地元の神主にお払いだのなんだの、やましくならないようになんとかしてくれと頼んだのだが・・・
「それを聞いて忠たちはその神主さんのとこに行って署名を見して、神社は残すように、森も出来はるだけ残すように言わはったんよ」
神主は心の広い人物で忠たちの言うことを聞いてくれた。
そして福来ホテル側に忠たちのことは伏せて、神社は残した方がご利益があるとまことしやかに言い、神社や森を残すように言って聞かせた。
神主にそう言われたらやはり壊すことはためらわれたのか、福来ホテルの人間はどうしようか考えた結果、神社は残してホテルの中庭に飾る形にしたのだ。
「大地の署名活動がなかったら、神社もなくのうてたやろなぁ・・・これも大地のおかげや」
「そんな・・・俺は何も・・・」
口ではそういったが、あの署名活動は無駄ではなかったことを知り、俺は嬉しかった。
ちなみに琴葉によるとあの幼馴染のメンバーのその後は、博史は獣医の卵をやっており、ガキ大将だった忠と紅一点の若菜はなんと結婚して地方の街で八百屋をやって暮らしているという。
「そしてうちは、母さまと一緒にこのホテルの従業員をやっとるんよ」
「・・・都会の人間には魔物なんか良く分からない存在だろうに、よく雇ったな・・・」
「いや、稲荷にとっては記憶を操作しはったり魅了してその気にしはったりするのは簡単なことやよ」
にやりと琴葉は笑ってみせる。
つられて思わず苦笑した。
「稲荷が働く、ホテル内に稲荷神社があるホテルか・・・それはご利益があるなぁ」
俺がそう言ったときだった。
突然、琴葉の顔が悲しそうに歪んだ。
突然、開発部長にそう言われ、俺は動転した。
これはまさかのリストラのフラグか?
「違う違う。むしろ逆だよ。今、開発部門の若きエースに倒れられたら困るのだよ」
部長の言葉に思わず俺は顔を赤くする。
この部長は俺の入社試験のときの面接官で、とても俺を買ってくれた。
仕事に関することは厳しいが、面倒見の良さは社内一といっても良いくらいの男だ。
第二の父親・・・と俺が勝手にそんな目で見ているのは内緒だ。
「けれど・・・俺が抜けるとプロジェクトが・・・」
「心配いらん。期限はうんと先だから気長にやればいい。『エコは長い目で見るべし』だろ?」
エコは長い目で見るべし・・・これは俺の会社の社訓だ。
環境破壊は一発で逆転して食い止めることなんか出来ない。
だからといって何もしないのは愚の骨頂。
長い目で見て着実に歩みを進め、休むときはそっと休む・・・これが会社のスローガンだった。
「悪いことは言わん。少し休暇をとりたまえ」
「・・・案外変わっていないんだな」
15年ぶりに故郷の地を踏みしめ、俺はぼそりとつぶやいた。
結局俺は部長の言葉に甘え、週末も含めて5日ほど休暇をとった。
一週間以上とってもいいのにと部長は言ったが、先輩や同期が働いているのにそれは申し訳ないと思ったのでやめた。
一日目の土曜日は一人暮らしのアパートを片付け、ゴロゴロしていたのだが落ち着けなかった。
そこで思い立って故郷に帰省してみたのだ。
安い新幹線を使っても1時間半・・・今気づいたが、会社からは意外と遠くはなかったらしい。
15年前、森を守る署名を集めるのに失敗し、どのようなはげ山が広がっているかと来る前はかなり心配していたが、いざ着てみるとゴルフ場はともかく、意外に森は残されていた。
特に、俺たちが遊んでいた裏山はかなりの森が残されているが・・・
『・・・なんか変な建物が建っているな』
俺は眉をひそめる。
町の人に聞くと、そこはホテルだという。
週末に1泊2日でゴルフに来るような人が良く泊まり、泊まらなくても風呂やシャワー、サウナなどの施設でそれなりに人気らしい。
「あんたも泊まるんならあそこにしな。なかなか評判もいいらしい」
「はぁ、どうも」
老人の言葉に俺は生返事をした。
正直、俺たちが遊んでいたあの裏山にわざわざ建てられたホテルに泊まるのはあまりいい気持ちではない。
しかし、他に宿はなさそうだし、かといって荷物を持ったままこの町を散歩するのは面倒なので、そのホテルに向かうことにした。
「なんだってんだよ・・・」
ホテルの入り口に着いて、俺は苛立った声を漏らした。
【福来グループホテル かみおりの宿】と看板にはある。
『福来グループ、か・・・』
心の中で歯ぎしりしながら俺はその看板を見る。
子どものころはその会社のことをよく知らなかったが、裏山を買い取って開発をしたのは、福来グループだったのだ。
福来グループは【福来ホールディングス】という会社を中心に形成されているグループで、各地方にいろんな種類の子会社を持つ大きなグループだ。
裏山のゴルフ場も福来グループ傘下の福来レジャー株式会社が、目の前にあるホテルも福来ホテルが管理するホテルなのだろう。
福来グループ、俺としては親の敵のような存在だ。
そしてもう一つ、俺を苛立たせる事実があった。
そのホテルはご丁寧に、琴葉が住んでいた神社があったその場所に建てられていたのだ。
『・・・あの神社は壊されてしまったのか? 罰当りな・・・』
入り口で苦りきっても仕方ないので、俺は中に入った。
入って俺は驚いた。
田舎のホテルの割には綺麗だ。
だが、俺が驚いたのはそこではない。
入ると少し奥のほうにガラス張りになっている中庭が見えるのだが・・・
『なんと・・・』
そこにはあの神社がそのままの形で残されていた。
『これで、ホテルのなかに神社があるから、ホテルの名前にかみおり・・・か』
ホテルの名前の由来と、神社が残されていたことが嬉しくて思わず俺は笑みをこぼす。
だが、驚くのはまだこれからだった。
「いらっしゃいませ、かみおりの宿へようこそ・・・」
右手にあるフロントの方から女性の声が聞こえる。
記憶にあるものより多少低いが、今は標準語を使っているが、あの懐かしい声・・・
声がした方向を見る。
ホテルの制服らしき和服に身を包んだ声の主も固まった。
ちょっと切れ長な目、すらりとした鼻、すべすべしてそうな頬・・・あのときより数倍綺麗になったけど・・・
「大地っ!? 大地やないの!?」
今は特徴的な耳とかは隠されているけど・・・フロントから身を乗り出している、懐かしい面影の女性・・・
「琴葉っ!」
荷物を放り捨て、俺はフロントに駆け寄る。
フロントにカウンターがあって助かった。
もしなければ俺たちは勢いに任せて抱き合っていたかもしれない。
「琴葉・・・ここにいたのか!」
「久しぶりやねぇ、達者にしとった? 今までどこにおいやしたん? なんでここにおるん?」
一気に琴葉はまくし立てるように訊いてくる。
とりあえず最初から答えようとしたとき、フロントの奥から声があがった。
「琴葉ぁ! 仕事中やないの?」
「あ、母さまや。仕事せな・・・えへん。ようこそホテルに」
「え? ああ・・・チェックインをお願いします。とりあえず1泊2日で」
「はい、かしこまりました。この時期ですと延長も可能ですので・・・」
そんな調子でビジネスライクに会話は進み、チェックインは済んだ。
「ではこちらがお部屋の鍵になります」
特別に森も町も見渡すことができる一室を貰えた。
日曜日で宿泊者はほとんどいなかったのが幸いだったようだ。
琴葉から鍵を渡される。
と、そのとき琴葉がちょっと身を乗り出して俺の耳元にささやいた。
「十時くらいにならはったら仕事終わるさかい、待っててな」
そしてすぐ身を離し
「ではごゆっくり」
とにっこりと笑った。
「・・・まぁ、いい方向に転がったのかな、結果としては」
風呂から上がって浴衣を着、部屋から町を見下ろしながら俺はつぶやく。
風呂はゴルフで汗をかいた人のために、かなりシッカリとした設備であった。
部屋に荷物を置いた後、町のほうも歩いてみたが悪くはなかった。
町の人が期待したほどではなかったもののゴルフ場はそれなりに集客効果があったらしく、町のお店もそのおかげでなんとかではあるが、生き残れている感じだ。
「・・・なんか、悔しいな」
自分がしようとした署名活動が無駄どころか余計なことだったような気がしてちょっと心がチクリと痛んだ。
街を見るため下に向けていた目を、今度は上に向けてみる。
今夜は満月で、満天の星空の中、白い綺麗な光を静かに放っていた。
『あの時の夜を思い出すな・・・』
と、そのとき
「失礼します」
と琴葉の声が響いた。
時計に目を移すと、今は十時半だ。
どうぞと言うと、ホテルの客用に用意されたものと同じ浴衣に身を包み、耳と尾を隠していない琴葉が入ってきた。(ちなみに尾は子どものころと同じ、一本だった)
「・・・それに着替えたのか?」
「制服でうろうろしとったら怪しまれるよって・・・それともなんや? あっちの制服のほうが良かった?」
「いや、その浴衣も十分魅力的だ」
その言葉に琴葉はちょっと頬を染めてにこりと笑う。
琴葉の手を見ると、徳利とお猪口が2つ握られている。
15年ぶりの再会を祝って飲みたいらしい。
「アカオニさんからもらった、とっておきのお酒やよ」
「アカオニねぇ・・・」
アカオニの存在を聞いても驚かない。
故郷を出て少しして、魔物の本を読んだ。
それでジパングには古くから多くの魔物が古くから存在することが分かった。
今目の前にいる稲荷を初め、話に出てきたアカオニ、ジパングの童話では有名な雪女、イタズラ好きだったり子どもと遊んだりする姿が良く描かれる河童、少々おどろおどろしく書かれることもあるジョロウグモ・・・
「ほな大地・・・」
琴葉に杯を差し出され、俺は受け取って注いでもらう。
同じように琴葉の杯に俺は酒を注ぐ。
「ほな、二人の再会を祝って、乾杯!」
「ああ、乾杯」
軽く杯を掲げ、酒を飲み干す・・・
「ぐっ! がはっ! ちょっと、この酒結構強いじゃないか!」
「・・・アカオニさんのお気に入りのお酒やさかいなぁ」
口当たりは良くて美味しい日本酒だが、アルコール度数は半端ない。
思わず大地がむせたものを、琴葉は涼しい顔で飲み干している。
「・・・強いんだな」
「ん〜、結構すぐ酔ってしまうけどなぁ」
せっかくの再会で積もる話もあるのにすぐに酔っ払ってしまうのはもったいないと琴葉も思ったのだろう、二杯目からはちびちびと飲むようにした。
「ほんで、大地は今何をしはっとるの? 今までどうしておったの?」
琴葉に訊ねられ、俺は学生時代のことに軽く触れ、今は都心にあるエコロジー関係の中企業の会社で働いていることを話した。
「は〜、約束どおり森を守る仕事に就いたんやなぁ」
嬉しそうににっこりと笑う琴葉に照れと後ろめたさを感じ、俺は頭を掻いた。
「しかし、プロジェクトは難航しているし、直接的に森を守れている気がしないし・・・やるんだったら農林水産省にでも入るんだったかなぁ?」
「うぅん、大地は十分働いておるよ」
手放しに琴葉に言われてとてもうれしかったが、俺はますます照れくさくなる。
酒も入ったせいか、顔が熱い。
恥ずかしくなったので話題をそらすことにした。
「それにしてもよくこの森は残ったな・・・それからあの神社。中庭に残すなんてなかなか粋じゃないか」
「それもね、大地のおかげなんよ」
「俺?」
意外な言葉に俺は驚く。
琴葉は頷いて続けた。
「大地が引っ越した後、あの署名は忠たちが引き継いだやん? あれが役に立ったん」
琴葉の説明はこうだった。
福来ホテルが裏山をホテル建設のために開発していたら、琴葉が住む神社が見つかった。
建設のためには壊したいところだが、やはり信じていなくても神仏に手を出しかねるのが人間だ。
そこで福来ホテルの人間は地元の神主にお払いだのなんだの、やましくならないようになんとかしてくれと頼んだのだが・・・
「それを聞いて忠たちはその神主さんのとこに行って署名を見して、神社は残すように、森も出来はるだけ残すように言わはったんよ」
神主は心の広い人物で忠たちの言うことを聞いてくれた。
そして福来ホテル側に忠たちのことは伏せて、神社は残した方がご利益があるとまことしやかに言い、神社や森を残すように言って聞かせた。
神主にそう言われたらやはり壊すことはためらわれたのか、福来ホテルの人間はどうしようか考えた結果、神社は残してホテルの中庭に飾る形にしたのだ。
「大地の署名活動がなかったら、神社もなくのうてたやろなぁ・・・これも大地のおかげや」
「そんな・・・俺は何も・・・」
口ではそういったが、あの署名活動は無駄ではなかったことを知り、俺は嬉しかった。
ちなみに琴葉によるとあの幼馴染のメンバーのその後は、博史は獣医の卵をやっており、ガキ大将だった忠と紅一点の若菜はなんと結婚して地方の街で八百屋をやって暮らしているという。
「そしてうちは、母さまと一緒にこのホテルの従業員をやっとるんよ」
「・・・都会の人間には魔物なんか良く分からない存在だろうに、よく雇ったな・・・」
「いや、稲荷にとっては記憶を操作しはったり魅了してその気にしはったりするのは簡単なことやよ」
にやりと琴葉は笑ってみせる。
つられて思わず苦笑した。
「稲荷が働く、ホテル内に稲荷神社があるホテルか・・・それはご利益があるなぁ」
俺がそう言ったときだった。
突然、琴葉の顔が悲しそうに歪んだ。
11/09/18 10:46更新 / 三鯖アキラ(旧:沈黙の天使)
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