連載小説
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V Appassionato ~サルピンクスの激情~
 一日おいて木曜日。今日は全体練習の予定だった。けれども、一昨日、喧嘩とも言えない喧嘩のようなもので雰囲気を壊した俺はルイと顔を合わせづらい。ルイの方も普段のすらりと楽器を構えている姿はどこへやら、小さくなっている。それを察した陽介も湊も今ひとつ盛り上がらない。
 そんな湿気ているニッコリッコのところに来訪者が来た。吹奏楽部の連中だ。
 来たのは女と男で二人。眉を釣り上げている女が木管リーダーでこれまたサックスの武田、その後ろにいる男がパーカッションリーダーの甲斐田。金管リーダーはいない。そりゃそうだ。ルイが金管のリーダーだ。
「どうしたの、武田さん。今日は軽音がこの部屋を使う日だけど……」
 いるはずがなく招いてもいない来訪者に、湊の声も穏やかではない。その湊に武田はキツく言い放った。
「そんなのどうでもいいでしょ。練習しに来たわけじゃないし。それにあんたに用はない。用があるのはルイよ」
「……」
 ルイは何も言わない。何を言われるか薄々分かっているのだろう。俺も予想がつく。おそらく、陽介も湊も。
「ルイあんたどういうつもりなの!? こんなチャラチャラした軽音なんかに参加して!」
「おいおい、別にサボっているわけでもないしいいだろ?」
「黙って! 中途半端に掛け持ちされると示しがつかないのよ! しかも金管のリーダーが!」
 予想通りの言葉に反発する陽介と、それにキンキンと叫ぶ武田。後ろの、万が一の腕っぷし要員なんだろう。甲斐田が低い声で唸る。
「それにお前たち実際に今練習してなかっただろう。そんな口先だけの奴だから余計お前らがムカつくんだよ」
「んだと!?」
 露骨な嫌悪感の言葉に陽介が立ち上がる。ドラムスティックの置き方は静かだったが、口調は激しかった。一触即発。その裏で湊がぼそぼそと「別に合間合間で休むこともあるじゃない」と嘆息する。
 リーダーの陽介は甲斐田に任せ、武田は続ける。
「アンブシュア(管楽器を吹くときの口の形およびその機能)だって変わっちゃうじゃない! みんな本当に困るから軽音はやめなさい!」
「……」
 ルイが何かをつぶやいた。でもそれは蚊の鳴くような声で俺も聞き取れなかった。武田が苛立ったように聞き返す。
「何?」
「嫌だって言っているの!」
 突然音楽室Uに響き渡るルイの叫び声。その声の大きさと内容に武田も甲斐田も、そして俺達もびっくりした。
「な、何言っているのルイ!?」
「私だってやりたいことあるの!」
「なによ、やりたいことって!? それって吹奏楽より大事なことなの!?」
「分かってない! 全然分かってない!」
 ルイが声を荒げた。その激しさは、普段の天使のような温厚さと明るさからは考えられない。
 かと思えば一転、急にルイは静かになった。それが逆に不気味だ。
「武田さんたちは何も分かってないよ。私がなんで楽器をやるのか」
「みんなのためでしょ? うちらの吹奏楽部が、全国大会に行くためでしょ?」
 それはコンクールの時とかならもっともな理由だが、学園祭に向けての練習の時期に言うのはちょっと違うんじゃないかと内心俺は思う。同時に俺は一昨日のことを思い出す。あの悲しそうな声でルイが俺に訊ねたことを。
 あの問、ルイはどう答えるのだろう。
「……確かに吹奏楽部だって大事。技を磨いて、競い合って、認められて、表彰されるのも大事。でもね……私は人と併せて、そのハーモニーに一緒に気持ちよくなるのが楽しいから楽器をやるの」
「それは吹奏楽部でもできるじゃない」
「あら? さっき武田さん、私が楽器をやる理由を『全国大会に行くため』って決めつけたじゃない。そんな吹奏楽部にさっきの私が言った楽しさはあるの?」
 あ、やっぱりそこを突っ込まれたと俺はせせら笑う。後ろで甲斐田が頭かかえている。感情的にきゃんきゃんと武田が叫んで悪いことになるのを予想していたらしい。
「それから決めつけと言えばね……私はこのバンドでサックスをやろうと思った大事な理由があるの」
「なによ……」
「のぶく……楠本くんがサックスをやらないかと言ってくれたからよ」
 話題に突然俺が上がってびっくりする。食事中じゃなくて良かった、絶対むせていた。
 恨みがましい武田の目が俺に刺さるが、それはどうでもいい。ルイのさっきの「人と併せるのが楽しいから」という言葉。一昨日のルイの俺に訊ねたことルイ自身の答え。あれは武田に言っているだけではなく、同時に俺にも言っているということが分かったのだ。そしてその言葉が俺に突き刺さっている。
 ルイは続ける。
「私がサックスを一人でこっそり吹いているところを聞いて。私=トランペットと決めつけないで。だから私はこのニッコリッコで、楠本くんと一緒に、今回の学園祭で演奏したいの」
 ルイの言葉には一切のブレがない。その揺るがない力強さに、武田はまだ何かいいたげだったが言葉が出てこず、甲斐田はそうそうに白旗を上げていた。
「いくぞ」
「ちょっと甲斐田くん!?」
「今はどうこう言っても無理だ。出直そう」
 そう言って甲斐田は挨拶もなく音楽室Uを出ていった。武田はもう一度恨みがましく俺達を見てから、覚えていなさいと小悪党めいた捨て台詞を吐いて出ていった。
 音楽室Uの張り詰めていた空気がほころぶ。けれどもこれで終わりではない。
「ごめん。ちょっとのぶくんと話したいから、外してもらっていい?」
「え、あ、ああ……」
 突然のルイのリクエストに陽介は少し戸惑った声を上げたが、すぐに快諾した。そして部屋を出ていく前に、俺の肩をポンと叩いた。
「信也、なんか一昨日あったんだろ。ケリつけろよ」
 湊も、ルイの肩を俺の肩を叩いてから、出ていった。
「のぶくん……」
 ルイが俺の名を呼ぶ。少し前までの小さくなっていたルイは消え、いつものスマートに堂々と楽器を吹いているかのようなルイがそこにいた。
「私はね、誰かと一緒に演奏して気持ちよくなりたいから楽器をやっているの。だからさ……」
 今度は、さっきまで武田を一喝していたとは思えないくらい、ルイの声が震えだし、一昨日のように悲しそうな顔になる。一昨日と違うのは、実際に涙を流したことだった。涙はあっという間にぼろぼろと、大雨のように彼女の目からこぼれ落ちた。
「だからさ……私といっしょに演奏するのが惨めとか、やめてよ……私、そんな理由で誰かに……のぶくんに楽器を嫌いになってほしくない……!」
 言い切るとルイはしゃくりあげるように泣き出してしまった。その様子を見て俺の中に、強い罪悪感と嫌悪感と同時に、温かいものが浮かび上がってきた。
『のぶくんはどうして楽器をやろうと思ったの?』
 一昨日のルイの問い。ああ、簡単なことじゃないか。答えはルイと一緒だ。誰かといっしょにやるのが楽しいからじゃないか。子どものとき、ちょっと惨めな思いしたかもしれないけど、ルイといっしょに演奏すると楽しかったじゃないか。
「ごめんよ……」
「もう……!」
 涙を拭うルイだが、その口は笑っていた。
やれやれと言わんばかりの仕草だ。
「それじゃ、ちゃんと合わせようか。演奏に集中しないと許さないんだからね! 惨めとか言ったらひっぱたくんだから!」
「あー、言わないようにするけど。思うくらいは許せ」
「だめ、許さない!」
 笑いながらルイが楽器を構え、苦笑しながら俺も構える。そして二人は一昨日の埋め合わせに一回合奏した。温かい音色が音楽室Uに響いた。
25/06/05 22:01更新 / 三鯖アキラ(旧:沈黙の天使)
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■作者メッセージ
 Appassionato:情熱的に、激情的に

 はい、そんなわけで陰鬱な調子はそうそうに切りましょう、第三章です。若干月並みかもしれませんが、ルイが楽器をやる理由をここで明かさせていただきました。いかがだったでしょうか? やっぱりどんな芸術も、根幹はこれだと思うんですよ。これを見失うと辛いのです。音楽も、イラストも、小説も……

 ここからはイケイケドンドン、楽しくやっていきますよ! 続きもどうかお楽しみください。

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