Warm up act ~Let's play tag~
ガラス戸を開けて僕はテラスに出た。紅い満月が中天に浮いている。日が暮れてから結構な時間が経ったようだ。
常に薄暗い暗黒魔界だが、それでも昼と夜の区別はある。夜は今日のような紅い月が上るのだ。
この魔界国家レスカティエも暗黒魔界だ。かつての、宗教国家レスカティエの時に見た白い月の代わりに紅い月が上る。危険な何かを孕んでいるようで、それでも抗えないような、危険な魅力のような物を湛えた紅い月が……
たまに、この国が闇に堕ちる前に見ていた白い月を恋しく思うこともあるけど……この月も悪くない。あ、そうだ。たまにはこの国を出て他の国に旅行するのもいいかも……その方が"彼女たち"も喜ぶかもしれない。
ふと人の気配を感じて僕はテラスから身を乗り出す。果たしてそこには人がいた。僕が今思っていた"彼女たち"の一人、ウィルマリナ・ノースクリムが揺り椅子に腰掛けて何か本を読んでいた。
結構、夢中になって読んでいるようだ。彼女の姿勢は彫像のように変わらない。だけど、ウィルマリナの顔は少しだらしなくにへらと笑ったり、不愉快そうに眉を寄せたりと、くるくると変化する。それにあわせて腰から伸びるワインレッドの尾と翼もぴこぴこと動いたり固まったりと、感情を表しているように動いた。どうやら何か物語のような本を読んでいるらしい。
今でこそ僕に恋人として惜しみなく気持ちを向けてくれる魔界勇者であるサキュバスのウィルマリナ。だけど元は彼女は由緒正しきノースクリム家の令嬢であり、宗教国家レスカティエを代表する勇者だった。勇者であろうとして気持ちを殺し、剣術や魔術の稽古を明けても暮れても行ってきた。当然、読む本も魔術の本や宗教の本、レスカティエや世界の歴史の本などばかり。そんなウィルマリナが物語を読むのは新鮮な感じがした。
しばらく僕は変化するウィルマリナの表情を楽しんでいた。でもいつまでも眺めていても仕方がない。かと言って、読書の邪魔をするのも気が引けた。
どうしようかと僕は迷っていたが、ちょうどウィルマリナが本をパタンと閉じた。どうやら読み終わったか、一区切りをつけたらしい。あるいは、僕の存在に気づいてしまったのかもしれない。
いずれにせよ、彼女が読書を止めた今、話しかけるいい機会だ。
「やぁ、マリィ」
「ごきげんよう」
僕の方に顔を向け、にっこりと笑って軽く会釈する。僕は揺り椅子の隣に立ってウィルマリナの手元を覗きこんだ。
「何を読んでいたの?」
「これ? 異世界からの本で、とある妖狐と王国の本よ」
ウィルマリナが本の表紙を僕に見せる。何やら良く分からない、異世界の文字が書かれていた。こんな本を読むなんてウィルマリナはすごいなぁと思う。それを言うと、彼女は少し照れくさそうに頬を赤く染め、にこりと笑った。人間だった時は「勇者として当然です」とクールに言ったんだろうな……
「どんな話なの?」
「そうね……その昔、霧の大陸に似たような国の話で……とある王の妻はとても美しい女性だったらしいわ。あまりに美しくて、王は妻の言うことならなんでも聞いたらしいわ」
「へぇ、仲良さそうなら良いじゃないか」
僕の言葉にウィルマリナは少し顔をしかめた。
「それだけなら、たしかにね。でもやっている事は為政者としては褒められた者ではなかったわ。酒と妃に溺れて豪遊三昧。特に際立ったていたのが"酒池肉林"ね」
「何だい、それ?」
「何でも庭に穴を掘ってそこにお酒を注いで池にして、さらに豚の丸焼きをたくさん立てかけて林にしたらしいわ」
とんでもない話だ。これをするためのお金は民衆から徴収した税が使われたのだろう。
「もちろん、それを咎めようとする家臣はいたわ。でも片っ端から処刑されたわ」
ウィルマリナの顔がさらに歪んだ。魔物娘は人間というものが好きだ。その人間と魔物娘が結ばれて幸せになると言う話を物語でも現実でも好む。ウィルマリナとて例外ではない。そんな彼女には、人間が死ぬ話はやはり不快なようだ。
「そんな国だったから、とうとう滅ぼされてしまったわ。王は処刑され、妃も処刑された……だけどこの妃が実は九尾の妖狐だった。人を惑わす妖狐は処刑から逃れており、今も人間たちに混乱をもたらしている……そんな、この世界とは違う、異世界の話よ」
「なるほどねぇ……」
「……今宵のこと、考えている?」
「ごめん……」
僕は素直に謝った。今宵と言うのは僕のまた別の恋人の一人の天之宮今宵のことである。魔界国家となったこのレスカティエを解放しようとジパングからやってきた退魔師だ。でも彼女も、ウィルマリナが教団の勇者から魔界の勇者になったように、退魔師から魔物へと堕ちた。人間を辞め、妖狐と同じ狐の魔物、稲荷となっている。その彼女のことを、妖狐の話を聞いて僕は思わず連想してしまっていた。連想するなと言うのが難しいけど、恋人を前にして別の女性のことを考えるのは確かにいただけなかった。
まぁいいわとウィルマリナは軽く笑い、本を再び広げた。
「それで実は私、この本の中にあったことをやってみたいのだけれども……」
「え?」
まさか、その酒池肉林とか言うのをやってみたいのだろうか? その異世界と違って幸いにもここは魔界国家。たいていの物は金などそんなに必要とせず手に入るし、穴掘りだって頼めばみんなやってくれるだろう。しかし、ウィルマリナがその酒池肉林をやって喜ぶような人には見えない。いや、もう人ではないんだけど……
「ここにね……」
ウィルマリナが何かの文を指したけど、僕には読めない。気づいたウィルマリナが要約して説明してくれる。
「お酒の池と肉の林を作ったら、王と妃は男女たくさんの人を集めてみんなを裸にしたらしいのね。それで鬼ごっこをさせてその様子を見て楽しんでいたらしいわ」
人間の感覚としては、理解できない趣味だ。だけど魔物娘からすればちょっと面白いお遊びかもしれない。
「まさかマリィ……」
「ええ、そうよ」
ウィルマリナはにっこりと笑って頷いた。
「私、あなたと久しぶりに鬼ごっこをしてみたいの。このお城で。裸で」
「いや、マリィ……それ、僕はかなり恥ずかしいんだけど……」
「大丈夫。私も裸になるから」
「そう言う問題じゃないよ……」
淫らであればあるほど良いとされる魔物娘の価値観に、時々ついていけなくなる。恥じらいを完全に捨てたわけではもちろんないのだが、今はどうしても僕と全裸で鬼ごっこをしたいらしく、そのことに羞恥心という物はまったく障壁にならないようだ。
「でも僕は……」
「ノリ気じゃない? そうねぇ……それなら、勝った方は負けた方からご褒美がもらえるって条件ならどう?」
「条件次第だけど……」
嫌な予感が拭えない。僕はニコニコと笑っているウィルマリナを見ながら、背中を冷や汗が伝うのを感じた。
「あなたが勝ったら、私をあなたにあげるわ。私が勝ったら、あなたをもらっちゃうわ」
「いや、それどっちにしたってエッチすることになるよね!?」
やはり淫らであればあるほど良いとされる魔物娘の価値観にはついていくのは難しい。僕は頭を抱えた。
だけどどうしようもない。そして解決策はひとつだけ。僕が諦めることだ。本当に僕が嫌がることならウィルマリナを始め、彼女たちは退いてくれるけど、これはそうではない。
「分かったよ。やるよ。でもやるからには僕もそう簡単には負けないぞ?」
「ふふふ。楽しみにしているわ。他にやりたいことがあるから……」
強力な魔物娘特有の、ルビー色の瞳がきらりと光った。
ウィルマリナの部屋から僕は飛び出した。
「いーち、にー、さーん……」
背後から数を歌うように数えるウィルマリナの声が聞こえた。百を数えたら僕を追いかけ始めるのだ。
ルールは簡単。百を数えたウィルマリナが僕を追いかけ、捕まえたらウィルマリナの勝ち。部屋から中庭に投げ落としたウィルマリナの魔力で創りだした黒水晶を拾ったら僕の勝ちだ。
元勇者で、さらに魔物化して身体能力が上昇したウィルマリナの足は当然僕より早い。しかも、魔物娘はどんなに離れていても恋人の精の匂いを嗅ぎ当てる。つまりウィルマリナを煙に巻くことは不可能。
かなり厳しい戦いを強いられる。だけど、僕も無策ではない。
僕はあえて人通りが多い廊下や家具が多い廊下を選んで通った。僕も走りにくくなるが、ウィルマリナも人や物にぶつからないように足を止めるはず。こうなれば、互角とまで行かないものの、激的に不利と言うこともない。
走りにくいと言えば……普段は布で押さえつけられている身体の一部が跳ねて暴れまわっている。これがとても邪魔だ。こうしてみると女の子が、胸は邪魔と言う気持ちが分からないでもなかった。
『でも、マリィも全裸のはずだから同じように胸が揺れて走りにくいんだよね……』
ならば文句は言うまい。そこまで考えて僕は走りながら頭を振る。脳裏を、揺れるウィルマリナの胸がよぎっていた。どうにかすると揺れている僕のモノが反応してしまいそうだった。それは避けなければならない。なぜなら……
「あ……今走っていったの……」
「ウィルマリナ様の彼よね?」
「な、何やってんだアイツ……」
「なんで全裸なの?」
「とうとう嫁たちに犯されまくって気でも狂ったか?」
「マンネリ防止かしら?」
背後からメイドや兵士たちの会話が聞こえる。そう。全裸で走っている様子は城の人間に見られているのだ。人が多い廊下をあえて選んでいるので、見られる人数も必然的に増えている。
これだけでも恥ずかしいのに、さらに勃起しているのを見られるのはもっと恥ずかしかった。
無心、無心だ。周囲の視線を振り払うかのように僕は廊下を疾走する。
と、その足が止まった。足を止めた先には……
「遅かったわね、だいぶ待ったわよ?」
自分の妖艶な肉体を見せつけるかのように、豊満な乳房や秘密の翳りも隠さず腰に手を当てて立っている、ウィルマリナがいた。先回りをされていたらしい。
僕は踵を返して走りだした。
「ふふふ……逃がさないわよ♥」
バサリと翼の音を立て、ウィルマリナが僕の追跡を始めたのを感じた。絶対絶命だ。僕は走る速度を上げる。
十字路に差し掛かったとき、ふと嫌な予感がした。僕は斜め前方に身を投げ出して転がる。
「きゃあああっ!?」
鋭い女性の悲鳴があがる。洗濯するために情事後のシーツをワゴンに載せて運んでいたメイドのものだ。真っ直ぐ進んでいたら僕はそのワゴンに衝突していただろう。
でもそれを確認する暇はない。このワゴンがウィルマリナの足止めになっている間に少しでも彼女との距離を稼がなければならない。僕は走り続ける。次の十字路を直進すれば中庭に行けるはずだ。
だが……
「遅かったわね、やっぱり待ったわよ?」
中庭への扉の前に全裸のウィルマリナがいた。さっき、足止めされていたはずなのに。
ごく控えめに言って僕は混乱した。最初の遭遇は先回りされたと考えられる。だけど今僕が通ったルートは先回りすることはできないはずだし、そんなことをするくらいだったらさっさと僕を背後から捕まえればいいはずだ。しかしこれは一体どうしたことだろう?
考えるより先に身体が動いた。僕は右折して走りだす。中庭に続く扉は使えなかったが、別の扉がある。
「ふふふ……逃がさないわよ♥」
ウィルマリナが悠々と翼を大きく広げてから追跡を始めた。ウィルマリナとの距離はほんの10ヤード。あっという間に追いつかれてしまうだろう。
僕は弾かれたように走りだした。パニックが僕の身体を突き動かしていた。なぜ、なぜウィルマリナは先回りできたのだろうか。
そのパニックがさらにかき立てられることになる。
再び十字路に差し掛かったとき、ふとさっきのワゴンと同じような悪い予感を覚えた。僕は身体を投げ出して転がる。
「残念、捕まえそこねてしまったわね」
拗ねたような女性の声に、さっきのワゴンとは異なり、僕は思わず背後を振り返って確認した。そして驚愕する。
そう、声の主、今僕を捕まえようとしたのはウィルマリナだったのだ!
「ふふふ、驚いている暇はないはずよ?」
ばさりと翼を広げながらのウィルマリナの言葉で僕は我に返り、鬼ごっこの逃げ役を再開する。だけど心は動揺したままだった。あまりに息を付かせぬウィルマリナとの連続の遭遇に動揺していた。
一体どんな術でも使って奇襲をしかけてきたのか。瞬間移動の魔法でも使ったのか、あるいは……
また四つ角に差し掛かる。その前方に三人の人影が見えた。一人はダークプリーストとなったサーシャ、もう一人はエキドナとなったメルセ、そしてもうひとりは……ウィルマリナだ!
「うわああああ!?」
「まあ、どうしたのですか、そんな声を上げて?」
「ってか、どうしてお前もすっぽんぽんで、フリチンなんだ?」
悲鳴を上げた僕の姿を見てサーシャとメルセが首を傾げる。その言葉に答える余裕は僕になかった。横に跳んで僕は中庭に続く扉に手をかける。二人としゃべっていたためか、ウィルマリナはその扉を守るようにして立っていなかった。そのまま体当たりするかのようにして僕は中庭に飛び出す。
僕の視線の先にはオニキスのような美しい、ウィルマリナの黒水晶があった。
「あ、彼と賭けをして追いかけっこをしているの。それでは、ごきげんよう」
ウィルマリナの声が背後で聞こえた。僕をまた追跡するつもりだ。だけどあの距離なら頑張れば、僕が先に水晶球のところまで到達できるはず……そう思っていた。
「「「「「逃がさないわよ!」」」」」
四方からウィルマリナの声が響いた。驚いて僕は周囲を見渡す。そして愕然とした。
十時の方向と、十二時の方向と、二時の方向にウィルマリナがいた。後ろか らの物はさっき、サーシャとメルセと話していたウィルマリナだろう。それだけではない。見上げてみると、そこにもウィルマリナがいた。勝ち誇った顔で腰の翼を羽ばたかせている。
五人のウィルマリナは全く同じ。五つ子とかそんなレベルではない。本当に、全く同じだ。そんな五人のウィルマリナは僕に突進し、そして
「「「「「つーかまえーた!!」」」」」」
僕を包囲してみんなで僕に抱きついた。十の腕が僕を離すまいと絡みつき、十の乳房がむにゅりと僕に押し当てられ、五の熱くてほのかに甘い香りすら感じられる吐息が僕をくすぐる。
しかしそれに鼻を伸ばしている余裕はない。
「ねえマリィ……これは一体どういう状況なの?」
「そんなことどうでもいいじゃない♥」
「あなたのここも、こんなになっているんだし……ね?」
僕の前方から抱きついている二人のウィルマリナが僕の質問を受け流し、一方が僕のペニスを撫でてくる。鼻を伸ばす余裕はなかったけど、そこはちゃっかりとウィルマリナを感じて反応していた。
「でも、やっぱり気になるわよね……」
「今回のタネと……私たちが何をやりたいか」
左右から抱きついているウィルマリナが、質問を受け流した前の二人と打って変わって僕に理解を示す。それでも僕と早く交わりたいと言う本音が、胸をぐいぐいと押し付けてくる行動で見えてしまう。
「とりあえず、ここで立ち話も何だし、私の部屋に戻りましょう? 私が勝ったんだから、そのご褒美も欲しいし……ね?」
僕の背後から抱きついているウィルマリナが、僕の耳元で魅惑的に囁いた。
五人のウィルマリナに抱えられて僕は彼女の部屋に運ばれた。
「ふふふ、私の勝ちね?」
ベッドに腰掛け、脚を組み替えながら言ったのはまたしてもウィルマリナだった。
僕を抱えている五人に加えて今目の前にいる一人、計六人のウィルマリナがここにいる。
「え、えーっと……マリィ、これ、どういう状況?」
もうこうなったら何でもありだ。さらに部屋のドアを開けてウィルマリナが数人入ってきたとしても、もう驚かない。だが疑問は疑問だ。床に降ろされながら僕は訊ねる。
「難しい話ではないわ。これよ」
ウィルマリナが背後から何かをつまみ上げ、軽く振る。小瓶だ。その中で青りんごのような色をした液体が揺れていた。何かの薬のようだ。それが何かかは知らなかったが、推測はできた。
「……分身薬?」
「ご名答」
「いや、でも分身薬って男に使うものじゃ……」
分身薬……人間の男を夫と認識した魔物娘は他の男の精を受け付けなくなる。そんな魔物娘が擬似的に輪姦プレイを楽しみたいために開発されたのが分身薬だ。これを男が飲むと精と魔力の分離症状が起こり、十人くらいまで分身することができるのである。
「確かにそうね。でも魔物娘が殿方用の薬を作って『はい、おしまい』と言うと思う?」
そのとおりだ。他の女や魔物娘に自分の夫をとられたくはないが、逆輪姦プレイを擬似的にでも楽しみたいと考える魔物娘はいるだろう。となれば、魔物娘用の分身薬があったとしても不思議ではない。今、ウィルマリナが持っている薬がそれなのだろう。
ウィルマリナがどうして六人もいるか、これで説明がついた。それでも、僕には納得できないことがあった。僕には他にも恋人がいる。逆輪姦プレイをされたこともあった。その時、みんな不満ひとつ言わず楽しんだ。それでもウィルマリナは僕を独占したいのだろうか? それもあるけど、とウィルマリナは言い、説明した。
「あなたとキスするとき、私はあなたにフェラができない。あなたとバックでセックスするとき、私はこの胸をあなたに押し当てられない。私がパイズリする時、あなたは私の胸を揉めない……」
「えーっと、つまり……身体一つじゃ同時にできないことがある、と?」
「「「「「「そういうことよ」」」」」」
六人のウィルマリナが口を揃えて言った。五人のウィルマリナが僕の全身を自分の身体で埋め尽くそうとするかのように絡みつく。残ったウィルマリナが立ち上がり、僕に近づいて囁いた。
「あなたには、私の身体の全てを味わって欲しいの……全部」
そう言ってウィルマリナは僕のくちびるを強引に奪う。他のウィルマリナもそれぞれ胸やお腹、濡れたあそこなどを押し当ててきた。
常に薄暗い暗黒魔界だが、それでも昼と夜の区別はある。夜は今日のような紅い月が上るのだ。
この魔界国家レスカティエも暗黒魔界だ。かつての、宗教国家レスカティエの時に見た白い月の代わりに紅い月が上る。危険な何かを孕んでいるようで、それでも抗えないような、危険な魅力のような物を湛えた紅い月が……
たまに、この国が闇に堕ちる前に見ていた白い月を恋しく思うこともあるけど……この月も悪くない。あ、そうだ。たまにはこの国を出て他の国に旅行するのもいいかも……その方が"彼女たち"も喜ぶかもしれない。
ふと人の気配を感じて僕はテラスから身を乗り出す。果たしてそこには人がいた。僕が今思っていた"彼女たち"の一人、ウィルマリナ・ノースクリムが揺り椅子に腰掛けて何か本を読んでいた。
結構、夢中になって読んでいるようだ。彼女の姿勢は彫像のように変わらない。だけど、ウィルマリナの顔は少しだらしなくにへらと笑ったり、不愉快そうに眉を寄せたりと、くるくると変化する。それにあわせて腰から伸びるワインレッドの尾と翼もぴこぴこと動いたり固まったりと、感情を表しているように動いた。どうやら何か物語のような本を読んでいるらしい。
今でこそ僕に恋人として惜しみなく気持ちを向けてくれる魔界勇者であるサキュバスのウィルマリナ。だけど元は彼女は由緒正しきノースクリム家の令嬢であり、宗教国家レスカティエを代表する勇者だった。勇者であろうとして気持ちを殺し、剣術や魔術の稽古を明けても暮れても行ってきた。当然、読む本も魔術の本や宗教の本、レスカティエや世界の歴史の本などばかり。そんなウィルマリナが物語を読むのは新鮮な感じがした。
しばらく僕は変化するウィルマリナの表情を楽しんでいた。でもいつまでも眺めていても仕方がない。かと言って、読書の邪魔をするのも気が引けた。
どうしようかと僕は迷っていたが、ちょうどウィルマリナが本をパタンと閉じた。どうやら読み終わったか、一区切りをつけたらしい。あるいは、僕の存在に気づいてしまったのかもしれない。
いずれにせよ、彼女が読書を止めた今、話しかけるいい機会だ。
「やぁ、マリィ」
「ごきげんよう」
僕の方に顔を向け、にっこりと笑って軽く会釈する。僕は揺り椅子の隣に立ってウィルマリナの手元を覗きこんだ。
「何を読んでいたの?」
「これ? 異世界からの本で、とある妖狐と王国の本よ」
ウィルマリナが本の表紙を僕に見せる。何やら良く分からない、異世界の文字が書かれていた。こんな本を読むなんてウィルマリナはすごいなぁと思う。それを言うと、彼女は少し照れくさそうに頬を赤く染め、にこりと笑った。人間だった時は「勇者として当然です」とクールに言ったんだろうな……
「どんな話なの?」
「そうね……その昔、霧の大陸に似たような国の話で……とある王の妻はとても美しい女性だったらしいわ。あまりに美しくて、王は妻の言うことならなんでも聞いたらしいわ」
「へぇ、仲良さそうなら良いじゃないか」
僕の言葉にウィルマリナは少し顔をしかめた。
「それだけなら、たしかにね。でもやっている事は為政者としては褒められた者ではなかったわ。酒と妃に溺れて豪遊三昧。特に際立ったていたのが"酒池肉林"ね」
「何だい、それ?」
「何でも庭に穴を掘ってそこにお酒を注いで池にして、さらに豚の丸焼きをたくさん立てかけて林にしたらしいわ」
とんでもない話だ。これをするためのお金は民衆から徴収した税が使われたのだろう。
「もちろん、それを咎めようとする家臣はいたわ。でも片っ端から処刑されたわ」
ウィルマリナの顔がさらに歪んだ。魔物娘は人間というものが好きだ。その人間と魔物娘が結ばれて幸せになると言う話を物語でも現実でも好む。ウィルマリナとて例外ではない。そんな彼女には、人間が死ぬ話はやはり不快なようだ。
「そんな国だったから、とうとう滅ぼされてしまったわ。王は処刑され、妃も処刑された……だけどこの妃が実は九尾の妖狐だった。人を惑わす妖狐は処刑から逃れており、今も人間たちに混乱をもたらしている……そんな、この世界とは違う、異世界の話よ」
「なるほどねぇ……」
「……今宵のこと、考えている?」
「ごめん……」
僕は素直に謝った。今宵と言うのは僕のまた別の恋人の一人の天之宮今宵のことである。魔界国家となったこのレスカティエを解放しようとジパングからやってきた退魔師だ。でも彼女も、ウィルマリナが教団の勇者から魔界の勇者になったように、退魔師から魔物へと堕ちた。人間を辞め、妖狐と同じ狐の魔物、稲荷となっている。その彼女のことを、妖狐の話を聞いて僕は思わず連想してしまっていた。連想するなと言うのが難しいけど、恋人を前にして別の女性のことを考えるのは確かにいただけなかった。
まぁいいわとウィルマリナは軽く笑い、本を再び広げた。
「それで実は私、この本の中にあったことをやってみたいのだけれども……」
「え?」
まさか、その酒池肉林とか言うのをやってみたいのだろうか? その異世界と違って幸いにもここは魔界国家。たいていの物は金などそんなに必要とせず手に入るし、穴掘りだって頼めばみんなやってくれるだろう。しかし、ウィルマリナがその酒池肉林をやって喜ぶような人には見えない。いや、もう人ではないんだけど……
「ここにね……」
ウィルマリナが何かの文を指したけど、僕には読めない。気づいたウィルマリナが要約して説明してくれる。
「お酒の池と肉の林を作ったら、王と妃は男女たくさんの人を集めてみんなを裸にしたらしいのね。それで鬼ごっこをさせてその様子を見て楽しんでいたらしいわ」
人間の感覚としては、理解できない趣味だ。だけど魔物娘からすればちょっと面白いお遊びかもしれない。
「まさかマリィ……」
「ええ、そうよ」
ウィルマリナはにっこりと笑って頷いた。
「私、あなたと久しぶりに鬼ごっこをしてみたいの。このお城で。裸で」
「いや、マリィ……それ、僕はかなり恥ずかしいんだけど……」
「大丈夫。私も裸になるから」
「そう言う問題じゃないよ……」
淫らであればあるほど良いとされる魔物娘の価値観に、時々ついていけなくなる。恥じらいを完全に捨てたわけではもちろんないのだが、今はどうしても僕と全裸で鬼ごっこをしたいらしく、そのことに羞恥心という物はまったく障壁にならないようだ。
「でも僕は……」
「ノリ気じゃない? そうねぇ……それなら、勝った方は負けた方からご褒美がもらえるって条件ならどう?」
「条件次第だけど……」
嫌な予感が拭えない。僕はニコニコと笑っているウィルマリナを見ながら、背中を冷や汗が伝うのを感じた。
「あなたが勝ったら、私をあなたにあげるわ。私が勝ったら、あなたをもらっちゃうわ」
「いや、それどっちにしたってエッチすることになるよね!?」
やはり淫らであればあるほど良いとされる魔物娘の価値観にはついていくのは難しい。僕は頭を抱えた。
だけどどうしようもない。そして解決策はひとつだけ。僕が諦めることだ。本当に僕が嫌がることならウィルマリナを始め、彼女たちは退いてくれるけど、これはそうではない。
「分かったよ。やるよ。でもやるからには僕もそう簡単には負けないぞ?」
「ふふふ。楽しみにしているわ。他にやりたいことがあるから……」
強力な魔物娘特有の、ルビー色の瞳がきらりと光った。
ウィルマリナの部屋から僕は飛び出した。
「いーち、にー、さーん……」
背後から数を歌うように数えるウィルマリナの声が聞こえた。百を数えたら僕を追いかけ始めるのだ。
ルールは簡単。百を数えたウィルマリナが僕を追いかけ、捕まえたらウィルマリナの勝ち。部屋から中庭に投げ落としたウィルマリナの魔力で創りだした黒水晶を拾ったら僕の勝ちだ。
元勇者で、さらに魔物化して身体能力が上昇したウィルマリナの足は当然僕より早い。しかも、魔物娘はどんなに離れていても恋人の精の匂いを嗅ぎ当てる。つまりウィルマリナを煙に巻くことは不可能。
かなり厳しい戦いを強いられる。だけど、僕も無策ではない。
僕はあえて人通りが多い廊下や家具が多い廊下を選んで通った。僕も走りにくくなるが、ウィルマリナも人や物にぶつからないように足を止めるはず。こうなれば、互角とまで行かないものの、激的に不利と言うこともない。
走りにくいと言えば……普段は布で押さえつけられている身体の一部が跳ねて暴れまわっている。これがとても邪魔だ。こうしてみると女の子が、胸は邪魔と言う気持ちが分からないでもなかった。
『でも、マリィも全裸のはずだから同じように胸が揺れて走りにくいんだよね……』
ならば文句は言うまい。そこまで考えて僕は走りながら頭を振る。脳裏を、揺れるウィルマリナの胸がよぎっていた。どうにかすると揺れている僕のモノが反応してしまいそうだった。それは避けなければならない。なぜなら……
「あ……今走っていったの……」
「ウィルマリナ様の彼よね?」
「な、何やってんだアイツ……」
「なんで全裸なの?」
「とうとう嫁たちに犯されまくって気でも狂ったか?」
「マンネリ防止かしら?」
背後からメイドや兵士たちの会話が聞こえる。そう。全裸で走っている様子は城の人間に見られているのだ。人が多い廊下をあえて選んでいるので、見られる人数も必然的に増えている。
これだけでも恥ずかしいのに、さらに勃起しているのを見られるのはもっと恥ずかしかった。
無心、無心だ。周囲の視線を振り払うかのように僕は廊下を疾走する。
と、その足が止まった。足を止めた先には……
「遅かったわね、だいぶ待ったわよ?」
自分の妖艶な肉体を見せつけるかのように、豊満な乳房や秘密の翳りも隠さず腰に手を当てて立っている、ウィルマリナがいた。先回りをされていたらしい。
僕は踵を返して走りだした。
「ふふふ……逃がさないわよ♥」
バサリと翼の音を立て、ウィルマリナが僕の追跡を始めたのを感じた。絶対絶命だ。僕は走る速度を上げる。
十字路に差し掛かったとき、ふと嫌な予感がした。僕は斜め前方に身を投げ出して転がる。
「きゃあああっ!?」
鋭い女性の悲鳴があがる。洗濯するために情事後のシーツをワゴンに載せて運んでいたメイドのものだ。真っ直ぐ進んでいたら僕はそのワゴンに衝突していただろう。
でもそれを確認する暇はない。このワゴンがウィルマリナの足止めになっている間に少しでも彼女との距離を稼がなければならない。僕は走り続ける。次の十字路を直進すれば中庭に行けるはずだ。
だが……
「遅かったわね、やっぱり待ったわよ?」
中庭への扉の前に全裸のウィルマリナがいた。さっき、足止めされていたはずなのに。
ごく控えめに言って僕は混乱した。最初の遭遇は先回りされたと考えられる。だけど今僕が通ったルートは先回りすることはできないはずだし、そんなことをするくらいだったらさっさと僕を背後から捕まえればいいはずだ。しかしこれは一体どうしたことだろう?
考えるより先に身体が動いた。僕は右折して走りだす。中庭に続く扉は使えなかったが、別の扉がある。
「ふふふ……逃がさないわよ♥」
ウィルマリナが悠々と翼を大きく広げてから追跡を始めた。ウィルマリナとの距離はほんの10ヤード。あっという間に追いつかれてしまうだろう。
僕は弾かれたように走りだした。パニックが僕の身体を突き動かしていた。なぜ、なぜウィルマリナは先回りできたのだろうか。
そのパニックがさらにかき立てられることになる。
再び十字路に差し掛かったとき、ふとさっきのワゴンと同じような悪い予感を覚えた。僕は身体を投げ出して転がる。
「残念、捕まえそこねてしまったわね」
拗ねたような女性の声に、さっきのワゴンとは異なり、僕は思わず背後を振り返って確認した。そして驚愕する。
そう、声の主、今僕を捕まえようとしたのはウィルマリナだったのだ!
「ふふふ、驚いている暇はないはずよ?」
ばさりと翼を広げながらのウィルマリナの言葉で僕は我に返り、鬼ごっこの逃げ役を再開する。だけど心は動揺したままだった。あまりに息を付かせぬウィルマリナとの連続の遭遇に動揺していた。
一体どんな術でも使って奇襲をしかけてきたのか。瞬間移動の魔法でも使ったのか、あるいは……
また四つ角に差し掛かる。その前方に三人の人影が見えた。一人はダークプリーストとなったサーシャ、もう一人はエキドナとなったメルセ、そしてもうひとりは……ウィルマリナだ!
「うわああああ!?」
「まあ、どうしたのですか、そんな声を上げて?」
「ってか、どうしてお前もすっぽんぽんで、フリチンなんだ?」
悲鳴を上げた僕の姿を見てサーシャとメルセが首を傾げる。その言葉に答える余裕は僕になかった。横に跳んで僕は中庭に続く扉に手をかける。二人としゃべっていたためか、ウィルマリナはその扉を守るようにして立っていなかった。そのまま体当たりするかのようにして僕は中庭に飛び出す。
僕の視線の先にはオニキスのような美しい、ウィルマリナの黒水晶があった。
「あ、彼と賭けをして追いかけっこをしているの。それでは、ごきげんよう」
ウィルマリナの声が背後で聞こえた。僕をまた追跡するつもりだ。だけどあの距離なら頑張れば、僕が先に水晶球のところまで到達できるはず……そう思っていた。
「「「「「逃がさないわよ!」」」」」
四方からウィルマリナの声が響いた。驚いて僕は周囲を見渡す。そして愕然とした。
十時の方向と、十二時の方向と、二時の方向にウィルマリナがいた。後ろか らの物はさっき、サーシャとメルセと話していたウィルマリナだろう。それだけではない。見上げてみると、そこにもウィルマリナがいた。勝ち誇った顔で腰の翼を羽ばたかせている。
五人のウィルマリナは全く同じ。五つ子とかそんなレベルではない。本当に、全く同じだ。そんな五人のウィルマリナは僕に突進し、そして
「「「「「つーかまえーた!!」」」」」」
僕を包囲してみんなで僕に抱きついた。十の腕が僕を離すまいと絡みつき、十の乳房がむにゅりと僕に押し当てられ、五の熱くてほのかに甘い香りすら感じられる吐息が僕をくすぐる。
しかしそれに鼻を伸ばしている余裕はない。
「ねえマリィ……これは一体どういう状況なの?」
「そんなことどうでもいいじゃない♥」
「あなたのここも、こんなになっているんだし……ね?」
僕の前方から抱きついている二人のウィルマリナが僕の質問を受け流し、一方が僕のペニスを撫でてくる。鼻を伸ばす余裕はなかったけど、そこはちゃっかりとウィルマリナを感じて反応していた。
「でも、やっぱり気になるわよね……」
「今回のタネと……私たちが何をやりたいか」
左右から抱きついているウィルマリナが、質問を受け流した前の二人と打って変わって僕に理解を示す。それでも僕と早く交わりたいと言う本音が、胸をぐいぐいと押し付けてくる行動で見えてしまう。
「とりあえず、ここで立ち話も何だし、私の部屋に戻りましょう? 私が勝ったんだから、そのご褒美も欲しいし……ね?」
僕の背後から抱きついているウィルマリナが、僕の耳元で魅惑的に囁いた。
五人のウィルマリナに抱えられて僕は彼女の部屋に運ばれた。
「ふふふ、私の勝ちね?」
ベッドに腰掛け、脚を組み替えながら言ったのはまたしてもウィルマリナだった。
僕を抱えている五人に加えて今目の前にいる一人、計六人のウィルマリナがここにいる。
「え、えーっと……マリィ、これ、どういう状況?」
もうこうなったら何でもありだ。さらに部屋のドアを開けてウィルマリナが数人入ってきたとしても、もう驚かない。だが疑問は疑問だ。床に降ろされながら僕は訊ねる。
「難しい話ではないわ。これよ」
ウィルマリナが背後から何かをつまみ上げ、軽く振る。小瓶だ。その中で青りんごのような色をした液体が揺れていた。何かの薬のようだ。それが何かかは知らなかったが、推測はできた。
「……分身薬?」
「ご名答」
「いや、でも分身薬って男に使うものじゃ……」
分身薬……人間の男を夫と認識した魔物娘は他の男の精を受け付けなくなる。そんな魔物娘が擬似的に輪姦プレイを楽しみたいために開発されたのが分身薬だ。これを男が飲むと精と魔力の分離症状が起こり、十人くらいまで分身することができるのである。
「確かにそうね。でも魔物娘が殿方用の薬を作って『はい、おしまい』と言うと思う?」
そのとおりだ。他の女や魔物娘に自分の夫をとられたくはないが、逆輪姦プレイを擬似的にでも楽しみたいと考える魔物娘はいるだろう。となれば、魔物娘用の分身薬があったとしても不思議ではない。今、ウィルマリナが持っている薬がそれなのだろう。
ウィルマリナがどうして六人もいるか、これで説明がついた。それでも、僕には納得できないことがあった。僕には他にも恋人がいる。逆輪姦プレイをされたこともあった。その時、みんな不満ひとつ言わず楽しんだ。それでもウィルマリナは僕を独占したいのだろうか? それもあるけど、とウィルマリナは言い、説明した。
「あなたとキスするとき、私はあなたにフェラができない。あなたとバックでセックスするとき、私はこの胸をあなたに押し当てられない。私がパイズリする時、あなたは私の胸を揉めない……」
「えーっと、つまり……身体一つじゃ同時にできないことがある、と?」
「「「「「「そういうことよ」」」」」」
六人のウィルマリナが口を揃えて言った。五人のウィルマリナが僕の全身を自分の身体で埋め尽くそうとするかのように絡みつく。残ったウィルマリナが立ち上がり、僕に近づいて囁いた。
「あなたには、私の身体の全てを味わって欲しいの……全部」
そう言ってウィルマリナは僕のくちびるを強引に奪う。他のウィルマリナもそれぞれ胸やお腹、濡れたあそこなどを押し当ててきた。
13/11/01 21:09更新 / 三鯖アキラ(旧:沈黙の天使)
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