王女と勇者
「……こんなことって……」
山の上からの風景を見て、勇者アンドレアは言葉を失った。彼の目の前には廃墟となった小さな王国が広がっていた。セントラクル王国……元は、彼の故郷だった王国だ。
「何が勇者だ! 何が人類の希望だ! ……何が『魔物は人間の敵』だ、くそっ……! 人間の一番の敵は人間じゃないか……!
膝を突き、苛立ったように地面を殴りつけながらアンドレアは怒鳴り散らした。
セントラクル王国は小さな宗教国家であった。決して裕福な国とは言えなかったが、王族を始め民は主神の教えを守り、つつましやかな生活を送っていた。そこで彼、アンドレアは生まれた。
勇者の素質を持っていたアンドレアは16才の時、勇者としての洗礼を受けて旅に出ることとなった。各国の勇者と出会い、その力を束ね、魔王を討つために……
彼が旅をして1年半ほど過ぎた頃、彼はある噂を聞いた。セントラクル王国の領内で銀山が見つかったらしい、と。本来なら国がこれで豊かになる、喜ばしい情報だ。だが彼はこの噂に言いようのない不安を感じた。
アンドレアは旅を中止し、すぐに故郷に足を向けた。そして半年経って今、セントラクル王国を見下ろす岩山に立っている。
結果は彼が見たとおり。セントラクル王国は滅ぼされていた。
とある国で鉱山が見つかったとなれば、絶対にその国がその鉱山を利用できるとは限らない。その鉱山を欲しがる国は他にもいるのだ。例え、武力を用いてでも。それをしたのがイルトスト王国だった。同じ宗教国家でもレスカティエとは違い武力があまりないセントラクル王国はひとたまりもなかった……
「……何が『魔物は人間の敵』だ、くそっ……! 人間の一番の敵は人間じゃないか……!」
彼は地面に膝を突き、地面を殴りながら嗚咽していた。呪詛のように同じ言葉が彼の口から紡がれる。
しばらくすると彼は地面を殴るのを止めた。すでにその拳は血が滲んでいる。だが彼はそれで終わりにしなかった。今度は地面をひっかき出した。ここは岩山のためすぐに彼の手は擦り切れ、血が滲む。しかし彼はひっかくのを止めない。まるで自分を痛めつけているかのようだった。
「結局、勇者とか言ったって、誰も守れないじゃないか……!」
そう叫ぶ彼の脳裏には一人の女性が浮かんでいた。
「まあ、そんなになって! 大丈夫ですか?」
6才から始めた勇者としての稽古は厳しかった。セントラクル王国の騎士相手に剣術の稽古、司祭や魔導師を相手に魔法の稽古……今になってやっと18になっているアンドレアだ。当時はまだ幼く、その身体で稽古は無理があった。騎士も司祭も魔導師もある程度は気遣ってくれたが、それはあくまで潰れてしまったら困るからだ。誰も本当の意味で心配してくれていない……幼いアンドレアは人間不信になりかけた。
そんなボロボロになっているところに、我が身のことのように心配してくれたのがセントラクル王国の王女、ジュリー・セントラクルであった。
優しい王女に、人間不信になりかけていたアンドレア少年は唯一心を開いた。そして、彼女への信頼は憧れへと変わり、到達すべき望みの道標となる。
「ボク、ゆーしゃになったらジュリーねーちゃんをまもるんだ!」
10年上の王女の前でアンドレアはしょっちゅうそう言った物だった。そしてジュリーはいつもこう返した。
「ええ、待っていますわ。きっと、私を守ってくださいね」
勇者は世界の希望。決して、王女一人を守るための存在ではない。ジュリーにもそれは分かっていたはずだ。だがそれを言わずにそう返したのは、アンドレアの気持ちを思っていたからだろう。
彼女の存在が彼の訓練へのモチベーションともなった。アンドレアはジュリーに会ってから着実に力をつけていった。
やがて、アンドレアに旅立ちの時が来た。
「きっと、無事に帰ってきてくださいね、アンドレア。私はずっと、あなたを待っていますから」
ジュリーの部屋の前で。ジュリーはアンドレアに手製のお守りを渡しながら言った。同じお守りをジュリーは自分にも作ったらしい。これでお揃いですね、とジュリーは笑っていた。
「努力します、ジュリー様」
「努力するじゃなくて、帰ってきてください。幼い頃、あなたは私に言ってくれましたよね?『勇者になったら、ジュリーねーちゃんを守るんだ』って」
「……幼い時の話です。そして、勇者は一人の人間を守る者ではありません」
ジュリーが、幼い時に自分が言っていたことを覚えてくれていたのは嬉しかった。だが、アンドレアはその気持ちを押し殺した。信頼から憧れ、目標、そこから発展した気持ちと一緒に。
「さらばです……」
アンドレアは背を向け、歩き出した。
それが最後の会話となってしまった。アンドレアが帰ってくる前に帰るべき場所は滅ぼされ、そして幼いころに守ると誓った女性ももういない。
いや、本当にそうか?
「……行こう。ここで嘆いていても仕方がない」
アンドレアは背嚢を掴み、立ち上がった。その瞳は悲しみに染まっていたが、一縷の希望への光が確かに灯っていた。
彼は帰る途中でいくつかの噂を聞いたのだ。当時のセントラクル王は捕らえられ、処刑された。だがジュリー王女はついに捕まらなかった。城や街を焼き払い、調査隊を派遣もしたが、死体も見つからなかったと。
『もしかしたら、ジュリーねえさんは生きているかもしれない……』
可能性は否定出来ない。どこかの地下室に隠れていることも十分に考えられる。
だが、王女の噂の他に、不気味な噂もあった。街が焼き払われてから2ヶ月ほどして、調査隊の隊員が戻らないという事件が発生していると……
『ジュリーねえさんのことも、そしてこの事件のことも、真実を確かめなければならない……』
山道をしっかりとした足取りで下りながら、アンドレアはセントラクル王国の廃墟を目指した。
「……これは一体どういうことだ?」
廃墟となった城下町に足を踏み入れ、アンドレアは唖然とした。昼のセントラクル王国城下町の廃墟は人っ子一人いなかった。それは納得できる。この国は滅ぼされたのだから。
だがそれにしては、街の様子はどこか生活臭が残っていた。外には出店に使われるテントが丁寧に畳まれて置かれている。それもいくつも。旅の隊商が来て休んでいるということも考えられなくはないが、その割には周囲に誰もいない。他にも酒場の近くに空き瓶が転がっている、公園に咲いている植物が、どこか整理されている印象があるなど、人が住んでいる印象があった。
「その割には、昼なのに誰も見られないけどな……うぅう……」
一人つぶやいてから、アンドレアは身震いした。ここの空気はどこか不気味だった。寒いようでいて、どこか生温かい。まるで大気が冷たい息を吹きかけながら舌で舐めてくるような……そんな感じだ。
「……行こう。ここに長居をしている理由はない」
自分を奮い立たせるためにアンドレアは口に出して言い、その足を城へと向けた。
城を探索するアンドレアの姿は地下2階の墓所にあった。ここにはセントラクルの王族の代々の墓がある。中心の石碑を囲むようにして2代セントラクル王から先代のセントラクル王までの墓がある。そして中央の石碑が初代セントラクル王の墓だ。貴族や一部の国民にはそのように伝えられている。
半分フェイクだ。確かに初代セントラクル王の墓ではある。だがその墓の中は空っぽだ。初代セントラクル王の遺体はそこの棺には納められていないのだ。よってこの中央の石碑は、敵国に攻められた際に、敵軍をやりすごすためのシェルターとなっている。敵に粘られたらその石碑の中で死ぬことになるだろうが、その時はこの石碑が入った者、セントラクルの王族の最後の者の墓となるのだ。
アンドレアはこのことをジュリーから聞かされていた。
「この中にジュリーねえさんがいる可能性が……」
石碑に手をかけながらアンドレアはつぶやく。しばらく彼は動かなかった。 この石碑の仕掛けを解き、中を開ければ真実が確認できる。だがその真実が彼にとって良い物とは限らない。あるいは、変わり果ててしまったジュリーの姿を見るはめになるかもしれない。
しばらく彼は逡巡していたが、その手を動かし始めた。仕掛けを解くために。
かちり。
仕掛けが解け、石碑が重たげな音を立てて開いていく。土埃が立ち、中の様子は伺いしれない。埃が収まるのをアンドレアは待とうとする。その時であった。
「んんん……何事ですか、騒々しい……まだ、日は落ちていないはずですが……」
中から間延びした、それでも鈴のように美しい声が響いた。仰天してアンドレアは数歩後ずさる。やがて土埃が収まり声の主の姿が現れた。
「な、な、な……!?」
記憶にあるものよりはちょっとは違う。頬が少し痩けており、肌の色は死人と同様に青白い。だがおおよその姿は記憶の通りだ。そして何より、その者の手にはお守りがあった。アンドレアも持っている、世界に2つしかないはずのお守りが。
「じゅ、ジュリー……さ、ま……」
身体を大蛇に締め付けられているかのような声がアンドレアの口から漏れた。そう、石碑の中にいたのは、多少は姿は変わっているが、亡国の王女、ジュリー・セントラクルの遺体だった。しかも驚くべきことに、死して半年近くは経っているのにその死体は腐敗も白骨化もしておらず、皮膚の色の変化が見られる程度でほとんど変わっておらず、さらにその遺体は口を聞いた。
「おや? その声は……」
今まで閉じられていたジュリーの目が開いた。その双眸は紅く染まっている。紅い瞳は強力な魔族の証とアンドレアも聞いていた。初めてその瞳を目にし、アンドレアは納得した。確かに、今のジュリーから放たれている何かは喩えようもないほどに強大であった。その割には攻撃的でも威圧的でもないのが不思議だ。
紅い瞳の焦点が合い、アンドレアを捉える。その瞳が大きく広がった。
「アンドレア……? アンドレアではありませんか!? ああ、アンドレア! 帰ってきてくれたのですね!」
喜びに満ちた声でジュリーは叫ぶ。そして一歩二歩と石碑の中から出てきた。慌ててアンドレアは腰の剣を抜き放って構える。
「く、来るな、魔物めっ……!」
たちまちのうちにジュリーの顔が悲しみに染まる。
「どうしたのですか、アンドレア……? 私ですよ? ジュリーですよ? 魔物になりましたが……」
「……自覚はあるのか?」
「ええ……イルトスト王国に攻めこまれたあの日……」
遠い目をしてジュリーは語る。
彼女が言うには、王や家臣たちは自分を犠牲にし、ジュリーを助けようと初代セントラクル王の墓に彼女を隠した。それで確かに敵の兵士からは彼女は姿を隠すことができた。だが敵兵士たちはしぶとくジュリーを探し続け、城にも火を放った。石碑から出られなかったジュリーはそのまま衰弱し、命を落としたのだが……
「天に召されたと思った時、何者かの声が聞こえたのです『でもこのままでいいの? 現世でやらなくてはいけないことがあるんじゃないの?』と。私は答えました。まだ私は死ぬわけにはいかないと」
ジュリーに語りかける声は続けた。あなたはすでに死んでいるため、生き続けさせることはできない。だが、アンデッドとして生き返らせることはできる。人間をやめることになるが、それでも良いか、と。
「私はその提案を受け入れました。そして私は"ワイト"となり、今、こうしているのです」
「ワ、ワイトだって……!?」
掠れた声がアンドレアの口から漏れる。旅をしている最中に魔物の話は良く聞く。その中にワイトの話もあった。
ワイト……またの名を"不死者の王"。そう、同じアンデッドのヴァンパイアを"夜の貴族"とするならば、こちらは王だ。その名にふさわしい、最上級のアンデッドである。
そのワイトになってジュリー王女はアンドレアの目の前に立っていた。
また、彼女がワイトになっているということを知って、アンドレアは城下町の光景に納得した。この国の住民だった者もアンデッドになっているのだ。そしておそらく昼間はさっきまでのジュリーのように眠っている。だから、出店の準備などがされていて生活感はあるが、誰もいないゴーストタウンのような状況になっていたのだ。
「くっ……」
アンドレアはもう一歩、後ずさりした。ワイトが相手になると、如何に手慣れた勇者であっても一人で太刀打ちできるような相手ではない。アンドレアも勇者の中では弱い方ではないが、ワイトを相手にして戦い抜ける自信など、爪の垢ほどもなかった。それでも勇者であろうと彼は剣を構える。そしてなんとか突破口を開くための時間を稼ごうと口を開いた。
「やらなければならないことって、何だ?」
「……旅立つ時に言ったではありませんか。『あなたをずっと待っている』って」
その言葉を聞いてアンドレアの剣がぶるぶると震えた。確かに、あの旅立ちの日にジュリーは言った。「ずっと待っている」と。さらに言った。「きっと、私を守ってくださいね」と。
他の要素も絡んでいるが、そのたわいもない約束をこの王女は人間としての死を捨ててまで果たそうとしたのだ。
「……しかし、あなたは勇者。私は魔物。勇者は魔物を討伐するべきですよね。そうでなくとも、勇者は一人の人間を守る者ではないのですものね」
悲しそうにジュリーはそう言って微笑んだ。そうだ。魔物は人間にとって害を成す存在。そして勇者はその魔物を祓い、殺さなければならない。ジュリーは目を閉じ、軽く腕を開いた。
「私を斬りなさい、勇者アンドレア。立派になったあなたに倒されるなら、私も本望です」
「ジュリー……様……」
勇者としての務めを果たそうと、アンドレアはジュリーに近寄った。そして剣を振り上げようとする。ぶるぶると震えている剣はアンドレアの胸のあたりまでゆっくりと上がった。だがそれ以上は上がらない。
「どうしました、アンドレア? 私を斬らないのですか?」
「……きるか……」
「……え?」
「できるかよ!」
アンドレアが大声を上げる。同時に彼は剣を横に放り捨てていた。
一度大声をあげたら、堰を切ったように彼は感情を爆発させて叫んだ。
「斬れるかよ! ジュリーねえさんを! 何が勇者だ! 何が人類の希望だ! 何が『魔物は人間の敵』だ! 何が、何が……! うわあああああ!」
とうとう彼は泣きだし、ジュリーに抱きついた。そのまま大声を上げながら涙を流す。いきなり抱きつかれて少し驚いたジュリーだったが、すぐに優しく微笑んだ。そしてそっと彼の背中を撫でた。昔、彼女が彼にそうしたように。
「よしよし……辛かったでしょうね……」
薄暗い城跡の地下墓地に、大の男の泣き声は長い間続いた。
墓地で立ち話と言うのもなんだということで、二人は場所を移し、ジュリーの物だった部屋にいた。彼女の配下のアンデッドが整理していたのだろう。壁などに焼けた跡は残っていたが、家具などの使い心地は一級品であった。
日はすでに落ちており、部屋は闇に包まれている。入ってくるのは月明かりと星の光だけ。
昔二人がそうしていたように、ソファーに二人で並んで腰掛けて話す。
「アンドレアが戻って来てくれるなんて、夢のようです」
「俺も……ジュリー様に会えて良かったです」
正直、旅立ちの時はああは言ったがまた戻ってこれると心のどこかで思っていた。その甘い考えはイルトスト王国がセントラクル王国を攻撃したと噂を聞いてから消え去ったが。故に、こうしてジュリーと再び話せるのはアンドレアにとっても奇跡的なことに思えた。
「戻って来てくれたということは……私の事を守ってくれるのですね?」
「……幼い時の話を蒸し返さないでください」
照れくささと彼女の固執ぶりにアンドレアは苦笑する。対してジュリーは少し不満そうに唸った。突然、彼女はアンドレアの頭を抱え込み、そして自分の太ももに乗せた。膝枕。これも、昔二人がよくやっていたことだった。アンデッドとは言えやはり生きているからか、ジュリーの身体は温かい。
「こうして昔と同じようにやれば、また言ってくれますか?」
「ジュリー様、あの時は俺も子どもでした。今は違います」
「……そう」
ジュリーがぽつんと言った。怒らせてしまったかなとアンドレアは少し後悔したが、でも子どもの頃の話を蒸し返されるのが照れくさいのは事実だった。
「アンドレアはあの時よりさらに大人になって帰ってきた。それと同じように……」
頭を抱え込まれているような形のためジュリーの顔は見えないが、雰囲気が変わったようにアンドレアは感じた。すぐにそれが正しいことを彼は思い知ることになる。
「私もあの時とは違いますよ……魔物になりましたからね」
「うっ……!?」
アンドレアが声を上げる。身体に力が入らない。だが、毒などでしびれている感じではないし、恐怖などで腰が抜けた感じではない。何か、温泉に浸かってリラックスしたような力の抜け方だ。
ふふふ、と笑いながらジュリーは指でアンドレアの首筋をつっと撫でる。途端に鳥肌が立つかのような快感がアンドレアの身体を走り抜けた。
「あ、あああ……」
身体の脱力感が強くなる。今度はリラックスと言う感じではない。この感覚をアンドレアは知っていた。教団の教えに背いて自分を慰め、精を放ってしまった際の脱力感……あれに近い。
「ま、まさか……」
「ふふっ、そうですよ……ワイトは精の扱いに長けているのです。触れるだけでも吸精することができるし、ヴァンパイアと同じようにその吸精で殿方に快楽を味わわせることができるのです。ほら、このように……」
「ふわあああ……」
耳の裏を撫でられると、普段は勇者として戦っているとは思えないような、裏返った嬌声がアンドレアの口から漏れた。
「気持ちいいですか、アンドレア?」
「気持ち……いいです……」
死した王女の問いかけに勇者は操られているかのように答える。だが操られているわけではない。快感で気恥ずかしさや妙なプライドのようなものが削ぎ落とされたことで露わになった答えだ。
アンドレアの答えにジュリーは満足そうに微笑み、彼の身体を起こした。そして改めて訊ねる。
「私のことを守ってくれますね?」
意地のようなものが削ぎ落とされた今なら彼は素直に肯の返事をするはずだ。だが答えは返ってこない。彼は黙っていきなり涙を流し出したのだ。
いったいどうしたと言うのだろうか。慌てたようにジュリーはアンドレアに訊ねる。
アンドレアは嗚咽して首を振るばかりで何も言わなかったが、ややあって答えた。
「ごめん……なさい……守れなくて……国が……ジュリー様が……」
アンドレアは国が襲撃を受けた際、自分がいなくて助けられなかったことを謝っている。急なアンドレアの号泣に緊張していたジュリーの表情が和らぐ。安心させるようにアンドレアの上半身を抱きしめる。
「よしよし……確かにあの時はあなたはいませんでしたが、今はいます……今度こそ、守ってくれますね?」
「……守れなかった俺でいいんですか?」
「帰って来てくれたあなたならきっと守ってくれます。いえ、そうでなくても、あなたがそばにいてくれることが大事なのです。だって……」
ここで一度抱擁を解き、ジュリーは紅瞳でアンドレアを見つめる。そしてはっきりと言った。
「あなたのことを、愛していますから」
だからこそ、ジュリーは死んでも待っていたのだ。アンデッドとなって。いつ帰るか分からぬ、幼きころから見ていた勇者を。
突然の王女の告白にアンドレアは目を丸くする。その次に彼は苦笑をした。やってしまった。旅立ちの時に押し殺した感情を吐露する前に、その想い人に心を打ち明けられた。
だがそれで終わってしまっては男が廃る。アンドレアは苦笑を消して真剣な表情でジュリーの紅色の瞳を見た。ジュリーもその目を受け止める。
「俺も……ジュリー様が好きでした。ジュリー様は王女で俺は勇者だから……そして俺は旅立ってしまったから黙っていましたが……」
だが国は滅び、ジュリーは王女ではない。そしてアンドレアは先ほど魔物を目の前にして剣を捨てたのと同時に勇者という肩書きを捨ててもいた。だから、解き放つ。あの時、封じていた気持ちを。
「ずっと好きでした。だから……今度こそ守らせてください。勇者などではなく、一人の男として、一人の女であるあなたを……」
「……約束ですよ?」
「はい……」
「では約束の印に……」
ジュリーが目を閉じた。彼女の望むものを察しアンドレアも目を閉じ、彼女に顔を近づける。勇者と不死者の王女のくちびるがつながった。
誓いのキスの際も、ジュリーはアンドレアから吸精を行った。さらに互いに思いを打ち明けあっている。故に、二人とももう抑えが効かなかった。もつれるようにしてベッドに入る。王族のベッドは二人の大人が入っても問題ない広さであった。
ベッドに雪崩れ込むなり、二人はまたくちづけを始めた。アンドレアが上になり、ジュリーを組み伏せるようにしてくちびるを奪う。先ほどのキスと打って変わって、相手の口内に舌をねじ込むような、強引で激しいものであった。
「んっ、はふ……んんんっ」
「ん、はっ、……ンドレ……んん」
室内には二人の吐息と粘膜が絡まり合うにちゃっとした下品な音が響いた。互いの頭を抱え込み、相手のくちびるを貪る。
しかし、アンドレアの奮闘もここまでだった。この激しいキスによってアンドレの精は著しく、ジュリーによって吸われていた。それで死んだりすることこそないものの、脱力してしまうのは避けられない。
「申し訳、ありません……ジュリー、様……」
「構いませんわ」
ジュリーが下からとろけた笑みをアンドレアに向ける。脱力した彼の下から影のようにスルリと抜け出し、逆にアンドレアを組み伏せた。
「ここからは私がリードします。大丈夫。初めて……ですが、私も魔物娘ですから、きっと大丈夫です」
「じゅ、ジュリーさ……うっ!」
王女の名前を呼ぼうとしたアンドレアだったが、途中で呻き声を上げる。ジュリーが彼の顎下を撫でていた。その快感で言葉が途切れたのだ。
「それから今後、私のことを様付で呼ぶのは禁止です。私たちは恋人であり、やがて夫婦になるのですから……あ、昔のように『ジュリーねえちゃん』と呼んでも構いませんよ?」
始めはやや厳しい口調で、後半はイタズラっぽい口調でジュリーは言った。アンドレアの頭にカッと血が上る。
「そ、それはさすがに恥ずかしいです……!」
「あら? これからもっと恥ずかしいことをすると言うのに?」
言いながらジュリーはアンドレアの服を剥いでいく。鎧などの類は既に脱いでいたため、服を脱がせることは重労働でもなかった。あっという間にアンドレアの上半身がむき出しになる。
勇者として鍛え上げられた身体を前にしてジュリーの目が輝く。
「ああ、なんてたくましい……前からずっと、このたくましい身体に抱かれたいと、逆にこの身体を貪りたいと思っていました……」
もはや魔物となり、人間の王女らしい着飾ったお上品らしさをジュリーは捨てていた。魔物らしく素直に欲望を口にする。
慈しむようにジュリーはその身体を撫でる。もちろん、吸精しながら。王女の手がふわりと肌に触れるたびに、勇者は身体を戦慄かせた。だがそれだけで終わるはずがない。
ジュリーの顔がアンドレアの胸に近づいた。彼女の口から舌が伸びる。その舌がアンドレアの肌の上に置かれ、動き始めた。
「はうっ、ううう!」
アンドレアの腰が跳ねる。なめくじが自分の身体を這っているかのようだった。くすぐったいような感じがするが、吸精の効果もあってそれは震えるほどの快感を肌からアンドレアの脳へと伝えていた。
勇者の反応を上目遣いで確認した王女はにやりと笑う。その表情はさながら自分の技巧で男を酔わせて優越に浸っている娼婦のようであった。ワイトの舌での愛撫は続く。舌の方へ下がってへその周囲を舐め、また上へと上がり乳首を転がすように舐める。
「やっ、あっ、はあっ!」
「んふふ……まるで女のような声を上げるのですね……ん、れる……」
からかわれてアンドレアは今度は耳まで赤く染める。その耳にもジュリーの舌が這わされた。わざと音をにちゃにちゃと立ててジュリーはアンドレアの興奮を煽ってくる。
「はむっ、んちゃ、れる……アンドレア……愛していますよ」
不意にささやかれた愛の言葉。まるでその言葉に魔力でも込められていたかのように、アンドレアの身体がびくんと震えて反応する。その反応は彼の臨界点を超えてしまった。アンドレアは射精した。
まだ下は脱いでいなかったため、下着にどぷどぷと彼の精液が吐き出されていく。
思わぬ彼の暴発にジュリーは軽く眉を顰めた。
「まあ……漏らしてしまったのですか、アンドレア?」
「……」
屈辱的な男としての失態にアンドレアはそっぽを向いて黙りこむ。そんなアンドレアの頭を撫でてジュリーは囁いた。
「大丈夫……まだ、次があります。それに……私も、もう……我慢、が……」
彼女の言葉にアンドレアは顔をジュリー方へと向ける。理知的な王女の姿はどこへやら、その顔は情欲で爛れている。そして下半身に目を向けると、パンジーの花の色をしたイブニング・ドレスの下で彼女は太腿をもじもじと擦り合わせていた。そこに意識を集中させると、雌の芳香が漂ってくるのも感じられる。
その匂いにアンドレアの雄が若さもあってたちまち反応する。射精したばかりだと言うのにすぐに力を取り戻した。だが、肌からも性器からも精を放っていた彼の身体からは力が抜けており、ジュリーを攻めたくても攻められない。そのもどかしさにアンドレアは歯ぎしりをした。
悔しがっているアンドレアを尻目にジュリーは悠々とドレスを脱ぎ捨てる。さらに、清楚な王女が身に付けるとは思えない娼婦のようなブラとショーツも。ガーターストッキングとガーターベルトという扇情的な格好になった。生まれたままの姿よりもそのわずかに残された布地が、彼女の一度死んだ青白い肌をまるで大理石の彫刻のように美しさを強調していた。だが彼女が彫刻像ではなく、一度死んだとは言え生きている魔物娘である証拠に、何にも包まれていないその股間からはとろりと蜜がこぼれている。
胸では母性の象徴である乳房が揺れていた。先端は興奮の証にぷくりと立ち上がっている。幼いころはあの柔らかい乳房に何度か包まれたことがあり、柔らかくて落ち着ける記憶がある。今、みだらな下心をむき出しに触りたかったが、脱力した身体は残念ながらそれを許してはくれなかった。
ジュリーはアンドレアの下を脱がせた。ぶるんと音が立ったかのように、勢い良く自身の汚濁液にまみれた肉棒がその姿を現す。現れた性器を見てジュリーは驚きと喜びの入り混じった複雑な表情を見せた。
「これが殿方の……なんて、大きい……それに匂い……こんな匂いがするのですか……ああ、なんて芳しい……こんなの嗅いでいると、頭がどうにかなってしまいそうです……」
初めて見る男の性器と精液にジュリーは夢中になっている。れろりと彼女は舌でペニスと精液を舐めあげてみた。
「くっ……!」
その刺激だけで、油断していたら射精してしまいそうだった。アンドレアは身体を固くする。
「ああ、ごめんなさい……このままだとアンドレアが辛いですわね……今、迎え入れてあげますからね……」
ジュリーがアンドレアを跨ぐ。そして肉棒に軽く手を添えて調節し、腰を落としていく。
アンドレアはその様子を不安そうな表情で見つめる。もうすぐ、幼いころから慕っていた姉のような王女と結ばれる。その精神と肉体の充足感への期待に胸が張り裂けそうだ。だが、自分が初めてなのと同様、ジュリーも初めてのはずだ。痛くはないのだろうか。
アンドレアの考えていることが分かったのだろう。先端を入り口にあてがったところでジュリーは一度動きを止めた。
「大丈夫……私は魔物娘ですし、あなたより年上ですから……ちゃんとリードしないと……」
「いや、そういう……うううっ!」
「んんんっ!」
アンドレアが何か言うより先に、ジュリーが腰を沈めてきた。狭い箇所を通り抜けるとき、わずかにジュリーは顔を顰めたが、それだけだった。ゆっくりとジュリーの腰は止まらない。
「はっ、うっ……!」
歯を食いしばり、アンドレアは射精するのを防ごうとする。一度死んだとは思えないほど、ジュリーの中は熱く、ぬるぬるとしていて、締め付けはキツかった。それだけではない。彼女の中は触手でも生えているのかと思うくらい突起があり、アンドレアのペニスに絡みついてくる。誰にも使われなかった男狂わせの名器が童貞だった勇者に襲いかかっていた。
「アンドレア……大丈夫ですか? 痛くはないですか?」
「そんなはず、ないです……むしろ気持ちよすぎて……くっ……! ジュリーさ……ジュリー、は?」
「最初はちょっとだけ痛かったですが、もう痛くはないです。むしろ今、動きたくて仕方がありません。このままジッとしていると、気が狂ってしまいそうです」
そう言う彼女の腰は細かく、クイクイと動いていた。それだけでもアンドレアとジュリーの肉が擦れあい、甘美な刺激が二人の身体を回る。だが、ジュリーはそれ以上に動きたいと言う。
「私に様付してはいけない、という意識が働く程度には大丈夫そうですね? では、動きますね」
「ま、待っ……くああっ!」
もう少しアンドレアは待って欲しかった。だがそれを告げるより先にジュリーが動き出した。文字通り馬に乗っているかのように彼女は腰を弾ませる。ジュリーの肉洞がアンドレアの肉棒を上下にしごき抜く。
入れているだけでも強烈だった刺激に、アンドレアは両手でシーツを握りしめて射精をこらえようとする。
「あっ! あっ! あんっ! すごい……! 私の中……私のおまんこの中、アンドレアでいっぱい……! いっぱい擦れて……ひぅう!」
一方、ジュリーの方も余裕という訳ではなかった。快感のあまり、意識が復活したばかりのゾンビのように混濁しているようだ。人間の王女だった時であれば絶対言わないような淫語をまき散らす。
その腰の動きもより淫らな物に変わっていた。上下の運動に加えて、前後の運動が加わっている。その動きはアンドレアと、そして自分自身を追い込んでいった。
「はひっ! はうぅ! ダメっ、だめぇえ! アンドレア、アンドレア……アンドレアぁ!」
長い髪を振り乱しながらワイトのジュリーは叫ぶ。意識が消え去りそうになっていることへの不安からか。想い人の名を連呼する。さらに手が何かを探るように跳ねまわった。
跳ねまわっていた手は、シーツを握りしめているアンドレアの手を捉えた。ジュリーは強引にアンドレアの指をシーツから引き剥がす。そしてその指に自分の指を絡ませていった。小指、薬指、中指……と順番に、ゆっくりと、確認するかのように。
「はあっ、んあっ……この指、一本一本、全部私の物……アンドレアは、私だけの勇者……」
「ジュリー……くっ……!」
ついに、二人の手が、十本の指を絡ませあって、繋がれた。指、一本一本からもアンドレアの精がジュリーへと伝わっていく。まるで指も彼女の膣に包み込まれているかのようだった。
その感触にアンドレアは心ばかりか精神や魂までも溶かされていく。
「ジュリーねえちゃ……おねえちゃ……!」
「アンドレア……あっ、あっ、ああああ!」
幼児に戻ったかのようにアンドレアはジュリーを昔の呼び方で呼んだ。その呼びかけに応え、ジュリーは腰の動きを早くする。
二人がそれ以上我慢できなくなるのは、ほぼ同時だった。
「はぁあん! あああああ!」
指を絡ませてアンドレアの手をしっかりと繋いだまま、ジュリーは彼の上で背中を弓なりに反らせた。しかし、二人の性器はしっかりと繋がったままだ。その結合部では、勇者の精液が不死者の王へと注がれている。
「ふあっ、あ……あ、熱い……奥に……来ています……」
うっとりとした表情でジュリーはアンドレアの精液を受け止める。その淫らで美しい姿を見ながら、アンドレアは疲労で意識を手放した。
「見てください、アンドレア……」
情熱的なひとときを過ごしてしばらく経ち、アンドレアが疲労から回復したのを見計らってジュリーは彼を窓際へと誘った。
誘われるがまま、アンドレアは生まれたままの姿で、ストッキングとガーターベルトだけのジュリーの横に並んだ。そして窓からの景色を見下ろす。
城下町の風景がそこに広がっている。あちこちにあらゆる色の松明が灯され、その近くをいろんな人影が歩き回っていた。すたすたと歩く物、よたよたと歩くもの、誰かと手をつないで歩く者……そして、街路では多くのテントが張られ、中にいる人影が必死に客を呼び寄せようと両手を振り回している。
「アンデッドか……」
「そうです。この国の民の多くはゾンビやグール、スケルトンと言ったアンデッドになりました……」
しかし、一部はならずに永遠の眠りに就いている者もいるだろう。処刑された王もそのうちの一人だ。だが、今はそれを言うまい。
「この国が魔力に包まれたのは、件の銀山の影響です。あれはただの銀ではありません。魔界銀だったのです」
魔界銀。魔界ではポピュラーな金属だ。この金属をふくんだ武器で傷つけられた女性は魔物化するというほど強力な魔力を含んでいる。その銀山が近くにあったから、魔力の影響でこの国は魔界化したのだろう。そして、滅ぼされた国で死者も多く眠っていたため、アンデッドが多く発生した。
また、魔界銀となったら人が簡単に加工することなどできない。だから、この国に銀山を奪ったはずのイルトスト王国の人間が見られなかったのだ。
「本来であれば、アンデッドの住まう"不死者の国"は夜は明けないのです」
ジュリーは続ける。
「ですが、ここに来る前にご覧になった通り、この国にはまだ昼というものが存在します……この国はまだまだ再生途中、発展途上です。この国がより発展し、滅亡前以上の美しさを手に入れるには民の、そして何より、あなたの助けが必要です」
ここでジュリーはアンドレアの方に向き直る。心なしか、始めに見た時の頬の痩けが少し和らいだ気がする。男の精液を受けたためだろう。そして国が滅亡以上の美しさとなるのと同様、彼女もまたアンドレアによって生前以上の美しさを手に入れるだろう。
「協力、してくださいますね?」
「当たり前です。何が勇者だ、何が人類の希望だ。私は、ジュリー様だけの勇者です」
「ありがとう……でも、様付はナシと言ったはずですよ?」
「……そうでしたね」
二人はくすくすと笑う。どちらからともなく、二人は手を繋いだ。指を一本一本、しっかり絡み付けて繋ぐ。
★
人間の欲望によって滅ぼされたセントラクル王国と、それによって命を落とした王女のジュリー・セントラクル。
しかし、それらは皮肉にも欲望の対象となり、また人類の敵である魔物の魔力を宿した鉱山によって復活した。そしてさらに、かつて人類の希望の星と謳われていた男が、王女と国のために戻ってきた。
王国と王女がかつて以上の栄華と美しさを得るのも、そう遠くないことだろう。
山の上からの風景を見て、勇者アンドレアは言葉を失った。彼の目の前には廃墟となった小さな王国が広がっていた。セントラクル王国……元は、彼の故郷だった王国だ。
「何が勇者だ! 何が人類の希望だ! ……何が『魔物は人間の敵』だ、くそっ……! 人間の一番の敵は人間じゃないか……!
膝を突き、苛立ったように地面を殴りつけながらアンドレアは怒鳴り散らした。
セントラクル王国は小さな宗教国家であった。決して裕福な国とは言えなかったが、王族を始め民は主神の教えを守り、つつましやかな生活を送っていた。そこで彼、アンドレアは生まれた。
勇者の素質を持っていたアンドレアは16才の時、勇者としての洗礼を受けて旅に出ることとなった。各国の勇者と出会い、その力を束ね、魔王を討つために……
彼が旅をして1年半ほど過ぎた頃、彼はある噂を聞いた。セントラクル王国の領内で銀山が見つかったらしい、と。本来なら国がこれで豊かになる、喜ばしい情報だ。だが彼はこの噂に言いようのない不安を感じた。
アンドレアは旅を中止し、すぐに故郷に足を向けた。そして半年経って今、セントラクル王国を見下ろす岩山に立っている。
結果は彼が見たとおり。セントラクル王国は滅ぼされていた。
とある国で鉱山が見つかったとなれば、絶対にその国がその鉱山を利用できるとは限らない。その鉱山を欲しがる国は他にもいるのだ。例え、武力を用いてでも。それをしたのがイルトスト王国だった。同じ宗教国家でもレスカティエとは違い武力があまりないセントラクル王国はひとたまりもなかった……
「……何が『魔物は人間の敵』だ、くそっ……! 人間の一番の敵は人間じゃないか……!」
彼は地面に膝を突き、地面を殴りながら嗚咽していた。呪詛のように同じ言葉が彼の口から紡がれる。
しばらくすると彼は地面を殴るのを止めた。すでにその拳は血が滲んでいる。だが彼はそれで終わりにしなかった。今度は地面をひっかき出した。ここは岩山のためすぐに彼の手は擦り切れ、血が滲む。しかし彼はひっかくのを止めない。まるで自分を痛めつけているかのようだった。
「結局、勇者とか言ったって、誰も守れないじゃないか……!」
そう叫ぶ彼の脳裏には一人の女性が浮かんでいた。
「まあ、そんなになって! 大丈夫ですか?」
6才から始めた勇者としての稽古は厳しかった。セントラクル王国の騎士相手に剣術の稽古、司祭や魔導師を相手に魔法の稽古……今になってやっと18になっているアンドレアだ。当時はまだ幼く、その身体で稽古は無理があった。騎士も司祭も魔導師もある程度は気遣ってくれたが、それはあくまで潰れてしまったら困るからだ。誰も本当の意味で心配してくれていない……幼いアンドレアは人間不信になりかけた。
そんなボロボロになっているところに、我が身のことのように心配してくれたのがセントラクル王国の王女、ジュリー・セントラクルであった。
優しい王女に、人間不信になりかけていたアンドレア少年は唯一心を開いた。そして、彼女への信頼は憧れへと変わり、到達すべき望みの道標となる。
「ボク、ゆーしゃになったらジュリーねーちゃんをまもるんだ!」
10年上の王女の前でアンドレアはしょっちゅうそう言った物だった。そしてジュリーはいつもこう返した。
「ええ、待っていますわ。きっと、私を守ってくださいね」
勇者は世界の希望。決して、王女一人を守るための存在ではない。ジュリーにもそれは分かっていたはずだ。だがそれを言わずにそう返したのは、アンドレアの気持ちを思っていたからだろう。
彼女の存在が彼の訓練へのモチベーションともなった。アンドレアはジュリーに会ってから着実に力をつけていった。
やがて、アンドレアに旅立ちの時が来た。
「きっと、無事に帰ってきてくださいね、アンドレア。私はずっと、あなたを待っていますから」
ジュリーの部屋の前で。ジュリーはアンドレアに手製のお守りを渡しながら言った。同じお守りをジュリーは自分にも作ったらしい。これでお揃いですね、とジュリーは笑っていた。
「努力します、ジュリー様」
「努力するじゃなくて、帰ってきてください。幼い頃、あなたは私に言ってくれましたよね?『勇者になったら、ジュリーねーちゃんを守るんだ』って」
「……幼い時の話です。そして、勇者は一人の人間を守る者ではありません」
ジュリーが、幼い時に自分が言っていたことを覚えてくれていたのは嬉しかった。だが、アンドレアはその気持ちを押し殺した。信頼から憧れ、目標、そこから発展した気持ちと一緒に。
「さらばです……」
アンドレアは背を向け、歩き出した。
それが最後の会話となってしまった。アンドレアが帰ってくる前に帰るべき場所は滅ぼされ、そして幼いころに守ると誓った女性ももういない。
いや、本当にそうか?
「……行こう。ここで嘆いていても仕方がない」
アンドレアは背嚢を掴み、立ち上がった。その瞳は悲しみに染まっていたが、一縷の希望への光が確かに灯っていた。
彼は帰る途中でいくつかの噂を聞いたのだ。当時のセントラクル王は捕らえられ、処刑された。だがジュリー王女はついに捕まらなかった。城や街を焼き払い、調査隊を派遣もしたが、死体も見つからなかったと。
『もしかしたら、ジュリーねえさんは生きているかもしれない……』
可能性は否定出来ない。どこかの地下室に隠れていることも十分に考えられる。
だが、王女の噂の他に、不気味な噂もあった。街が焼き払われてから2ヶ月ほどして、調査隊の隊員が戻らないという事件が発生していると……
『ジュリーねえさんのことも、そしてこの事件のことも、真実を確かめなければならない……』
山道をしっかりとした足取りで下りながら、アンドレアはセントラクル王国の廃墟を目指した。
「……これは一体どういうことだ?」
廃墟となった城下町に足を踏み入れ、アンドレアは唖然とした。昼のセントラクル王国城下町の廃墟は人っ子一人いなかった。それは納得できる。この国は滅ぼされたのだから。
だがそれにしては、街の様子はどこか生活臭が残っていた。外には出店に使われるテントが丁寧に畳まれて置かれている。それもいくつも。旅の隊商が来て休んでいるということも考えられなくはないが、その割には周囲に誰もいない。他にも酒場の近くに空き瓶が転がっている、公園に咲いている植物が、どこか整理されている印象があるなど、人が住んでいる印象があった。
「その割には、昼なのに誰も見られないけどな……うぅう……」
一人つぶやいてから、アンドレアは身震いした。ここの空気はどこか不気味だった。寒いようでいて、どこか生温かい。まるで大気が冷たい息を吹きかけながら舌で舐めてくるような……そんな感じだ。
「……行こう。ここに長居をしている理由はない」
自分を奮い立たせるためにアンドレアは口に出して言い、その足を城へと向けた。
城を探索するアンドレアの姿は地下2階の墓所にあった。ここにはセントラクルの王族の代々の墓がある。中心の石碑を囲むようにして2代セントラクル王から先代のセントラクル王までの墓がある。そして中央の石碑が初代セントラクル王の墓だ。貴族や一部の国民にはそのように伝えられている。
半分フェイクだ。確かに初代セントラクル王の墓ではある。だがその墓の中は空っぽだ。初代セントラクル王の遺体はそこの棺には納められていないのだ。よってこの中央の石碑は、敵国に攻められた際に、敵軍をやりすごすためのシェルターとなっている。敵に粘られたらその石碑の中で死ぬことになるだろうが、その時はこの石碑が入った者、セントラクルの王族の最後の者の墓となるのだ。
アンドレアはこのことをジュリーから聞かされていた。
「この中にジュリーねえさんがいる可能性が……」
石碑に手をかけながらアンドレアはつぶやく。しばらく彼は動かなかった。 この石碑の仕掛けを解き、中を開ければ真実が確認できる。だがその真実が彼にとって良い物とは限らない。あるいは、変わり果ててしまったジュリーの姿を見るはめになるかもしれない。
しばらく彼は逡巡していたが、その手を動かし始めた。仕掛けを解くために。
かちり。
仕掛けが解け、石碑が重たげな音を立てて開いていく。土埃が立ち、中の様子は伺いしれない。埃が収まるのをアンドレアは待とうとする。その時であった。
「んんん……何事ですか、騒々しい……まだ、日は落ちていないはずですが……」
中から間延びした、それでも鈴のように美しい声が響いた。仰天してアンドレアは数歩後ずさる。やがて土埃が収まり声の主の姿が現れた。
「な、な、な……!?」
記憶にあるものよりはちょっとは違う。頬が少し痩けており、肌の色は死人と同様に青白い。だがおおよその姿は記憶の通りだ。そして何より、その者の手にはお守りがあった。アンドレアも持っている、世界に2つしかないはずのお守りが。
「じゅ、ジュリー……さ、ま……」
身体を大蛇に締め付けられているかのような声がアンドレアの口から漏れた。そう、石碑の中にいたのは、多少は姿は変わっているが、亡国の王女、ジュリー・セントラクルの遺体だった。しかも驚くべきことに、死して半年近くは経っているのにその死体は腐敗も白骨化もしておらず、皮膚の色の変化が見られる程度でほとんど変わっておらず、さらにその遺体は口を聞いた。
「おや? その声は……」
今まで閉じられていたジュリーの目が開いた。その双眸は紅く染まっている。紅い瞳は強力な魔族の証とアンドレアも聞いていた。初めてその瞳を目にし、アンドレアは納得した。確かに、今のジュリーから放たれている何かは喩えようもないほどに強大であった。その割には攻撃的でも威圧的でもないのが不思議だ。
紅い瞳の焦点が合い、アンドレアを捉える。その瞳が大きく広がった。
「アンドレア……? アンドレアではありませんか!? ああ、アンドレア! 帰ってきてくれたのですね!」
喜びに満ちた声でジュリーは叫ぶ。そして一歩二歩と石碑の中から出てきた。慌ててアンドレアは腰の剣を抜き放って構える。
「く、来るな、魔物めっ……!」
たちまちのうちにジュリーの顔が悲しみに染まる。
「どうしたのですか、アンドレア……? 私ですよ? ジュリーですよ? 魔物になりましたが……」
「……自覚はあるのか?」
「ええ……イルトスト王国に攻めこまれたあの日……」
遠い目をしてジュリーは語る。
彼女が言うには、王や家臣たちは自分を犠牲にし、ジュリーを助けようと初代セントラクル王の墓に彼女を隠した。それで確かに敵の兵士からは彼女は姿を隠すことができた。だが敵兵士たちはしぶとくジュリーを探し続け、城にも火を放った。石碑から出られなかったジュリーはそのまま衰弱し、命を落としたのだが……
「天に召されたと思った時、何者かの声が聞こえたのです『でもこのままでいいの? 現世でやらなくてはいけないことがあるんじゃないの?』と。私は答えました。まだ私は死ぬわけにはいかないと」
ジュリーに語りかける声は続けた。あなたはすでに死んでいるため、生き続けさせることはできない。だが、アンデッドとして生き返らせることはできる。人間をやめることになるが、それでも良いか、と。
「私はその提案を受け入れました。そして私は"ワイト"となり、今、こうしているのです」
「ワ、ワイトだって……!?」
掠れた声がアンドレアの口から漏れる。旅をしている最中に魔物の話は良く聞く。その中にワイトの話もあった。
ワイト……またの名を"不死者の王"。そう、同じアンデッドのヴァンパイアを"夜の貴族"とするならば、こちらは王だ。その名にふさわしい、最上級のアンデッドである。
そのワイトになってジュリー王女はアンドレアの目の前に立っていた。
また、彼女がワイトになっているということを知って、アンドレアは城下町の光景に納得した。この国の住民だった者もアンデッドになっているのだ。そしておそらく昼間はさっきまでのジュリーのように眠っている。だから、出店の準備などがされていて生活感はあるが、誰もいないゴーストタウンのような状況になっていたのだ。
「くっ……」
アンドレアはもう一歩、後ずさりした。ワイトが相手になると、如何に手慣れた勇者であっても一人で太刀打ちできるような相手ではない。アンドレアも勇者の中では弱い方ではないが、ワイトを相手にして戦い抜ける自信など、爪の垢ほどもなかった。それでも勇者であろうと彼は剣を構える。そしてなんとか突破口を開くための時間を稼ごうと口を開いた。
「やらなければならないことって、何だ?」
「……旅立つ時に言ったではありませんか。『あなたをずっと待っている』って」
その言葉を聞いてアンドレアの剣がぶるぶると震えた。確かに、あの旅立ちの日にジュリーは言った。「ずっと待っている」と。さらに言った。「きっと、私を守ってくださいね」と。
他の要素も絡んでいるが、そのたわいもない約束をこの王女は人間としての死を捨ててまで果たそうとしたのだ。
「……しかし、あなたは勇者。私は魔物。勇者は魔物を討伐するべきですよね。そうでなくとも、勇者は一人の人間を守る者ではないのですものね」
悲しそうにジュリーはそう言って微笑んだ。そうだ。魔物は人間にとって害を成す存在。そして勇者はその魔物を祓い、殺さなければならない。ジュリーは目を閉じ、軽く腕を開いた。
「私を斬りなさい、勇者アンドレア。立派になったあなたに倒されるなら、私も本望です」
「ジュリー……様……」
勇者としての務めを果たそうと、アンドレアはジュリーに近寄った。そして剣を振り上げようとする。ぶるぶると震えている剣はアンドレアの胸のあたりまでゆっくりと上がった。だがそれ以上は上がらない。
「どうしました、アンドレア? 私を斬らないのですか?」
「……きるか……」
「……え?」
「できるかよ!」
アンドレアが大声を上げる。同時に彼は剣を横に放り捨てていた。
一度大声をあげたら、堰を切ったように彼は感情を爆発させて叫んだ。
「斬れるかよ! ジュリーねえさんを! 何が勇者だ! 何が人類の希望だ! 何が『魔物は人間の敵』だ! 何が、何が……! うわあああああ!」
とうとう彼は泣きだし、ジュリーに抱きついた。そのまま大声を上げながら涙を流す。いきなり抱きつかれて少し驚いたジュリーだったが、すぐに優しく微笑んだ。そしてそっと彼の背中を撫でた。昔、彼女が彼にそうしたように。
「よしよし……辛かったでしょうね……」
薄暗い城跡の地下墓地に、大の男の泣き声は長い間続いた。
墓地で立ち話と言うのもなんだということで、二人は場所を移し、ジュリーの物だった部屋にいた。彼女の配下のアンデッドが整理していたのだろう。壁などに焼けた跡は残っていたが、家具などの使い心地は一級品であった。
日はすでに落ちており、部屋は闇に包まれている。入ってくるのは月明かりと星の光だけ。
昔二人がそうしていたように、ソファーに二人で並んで腰掛けて話す。
「アンドレアが戻って来てくれるなんて、夢のようです」
「俺も……ジュリー様に会えて良かったです」
正直、旅立ちの時はああは言ったがまた戻ってこれると心のどこかで思っていた。その甘い考えはイルトスト王国がセントラクル王国を攻撃したと噂を聞いてから消え去ったが。故に、こうしてジュリーと再び話せるのはアンドレアにとっても奇跡的なことに思えた。
「戻って来てくれたということは……私の事を守ってくれるのですね?」
「……幼い時の話を蒸し返さないでください」
照れくささと彼女の固執ぶりにアンドレアは苦笑する。対してジュリーは少し不満そうに唸った。突然、彼女はアンドレアの頭を抱え込み、そして自分の太ももに乗せた。膝枕。これも、昔二人がよくやっていたことだった。アンデッドとは言えやはり生きているからか、ジュリーの身体は温かい。
「こうして昔と同じようにやれば、また言ってくれますか?」
「ジュリー様、あの時は俺も子どもでした。今は違います」
「……そう」
ジュリーがぽつんと言った。怒らせてしまったかなとアンドレアは少し後悔したが、でも子どもの頃の話を蒸し返されるのが照れくさいのは事実だった。
「アンドレアはあの時よりさらに大人になって帰ってきた。それと同じように……」
頭を抱え込まれているような形のためジュリーの顔は見えないが、雰囲気が変わったようにアンドレアは感じた。すぐにそれが正しいことを彼は思い知ることになる。
「私もあの時とは違いますよ……魔物になりましたからね」
「うっ……!?」
アンドレアが声を上げる。身体に力が入らない。だが、毒などでしびれている感じではないし、恐怖などで腰が抜けた感じではない。何か、温泉に浸かってリラックスしたような力の抜け方だ。
ふふふ、と笑いながらジュリーは指でアンドレアの首筋をつっと撫でる。途端に鳥肌が立つかのような快感がアンドレアの身体を走り抜けた。
「あ、あああ……」
身体の脱力感が強くなる。今度はリラックスと言う感じではない。この感覚をアンドレアは知っていた。教団の教えに背いて自分を慰め、精を放ってしまった際の脱力感……あれに近い。
「ま、まさか……」
「ふふっ、そうですよ……ワイトは精の扱いに長けているのです。触れるだけでも吸精することができるし、ヴァンパイアと同じようにその吸精で殿方に快楽を味わわせることができるのです。ほら、このように……」
「ふわあああ……」
耳の裏を撫でられると、普段は勇者として戦っているとは思えないような、裏返った嬌声がアンドレアの口から漏れた。
「気持ちいいですか、アンドレア?」
「気持ち……いいです……」
死した王女の問いかけに勇者は操られているかのように答える。だが操られているわけではない。快感で気恥ずかしさや妙なプライドのようなものが削ぎ落とされたことで露わになった答えだ。
アンドレアの答えにジュリーは満足そうに微笑み、彼の身体を起こした。そして改めて訊ねる。
「私のことを守ってくれますね?」
意地のようなものが削ぎ落とされた今なら彼は素直に肯の返事をするはずだ。だが答えは返ってこない。彼は黙っていきなり涙を流し出したのだ。
いったいどうしたと言うのだろうか。慌てたようにジュリーはアンドレアに訊ねる。
アンドレアは嗚咽して首を振るばかりで何も言わなかったが、ややあって答えた。
「ごめん……なさい……守れなくて……国が……ジュリー様が……」
アンドレアは国が襲撃を受けた際、自分がいなくて助けられなかったことを謝っている。急なアンドレアの号泣に緊張していたジュリーの表情が和らぐ。安心させるようにアンドレアの上半身を抱きしめる。
「よしよし……確かにあの時はあなたはいませんでしたが、今はいます……今度こそ、守ってくれますね?」
「……守れなかった俺でいいんですか?」
「帰って来てくれたあなたならきっと守ってくれます。いえ、そうでなくても、あなたがそばにいてくれることが大事なのです。だって……」
ここで一度抱擁を解き、ジュリーは紅瞳でアンドレアを見つめる。そしてはっきりと言った。
「あなたのことを、愛していますから」
だからこそ、ジュリーは死んでも待っていたのだ。アンデッドとなって。いつ帰るか分からぬ、幼きころから見ていた勇者を。
突然の王女の告白にアンドレアは目を丸くする。その次に彼は苦笑をした。やってしまった。旅立ちの時に押し殺した感情を吐露する前に、その想い人に心を打ち明けられた。
だがそれで終わってしまっては男が廃る。アンドレアは苦笑を消して真剣な表情でジュリーの紅色の瞳を見た。ジュリーもその目を受け止める。
「俺も……ジュリー様が好きでした。ジュリー様は王女で俺は勇者だから……そして俺は旅立ってしまったから黙っていましたが……」
だが国は滅び、ジュリーは王女ではない。そしてアンドレアは先ほど魔物を目の前にして剣を捨てたのと同時に勇者という肩書きを捨ててもいた。だから、解き放つ。あの時、封じていた気持ちを。
「ずっと好きでした。だから……今度こそ守らせてください。勇者などではなく、一人の男として、一人の女であるあなたを……」
「……約束ですよ?」
「はい……」
「では約束の印に……」
ジュリーが目を閉じた。彼女の望むものを察しアンドレアも目を閉じ、彼女に顔を近づける。勇者と不死者の王女のくちびるがつながった。
誓いのキスの際も、ジュリーはアンドレアから吸精を行った。さらに互いに思いを打ち明けあっている。故に、二人とももう抑えが効かなかった。もつれるようにしてベッドに入る。王族のベッドは二人の大人が入っても問題ない広さであった。
ベッドに雪崩れ込むなり、二人はまたくちづけを始めた。アンドレアが上になり、ジュリーを組み伏せるようにしてくちびるを奪う。先ほどのキスと打って変わって、相手の口内に舌をねじ込むような、強引で激しいものであった。
「んっ、はふ……んんんっ」
「ん、はっ、……ンドレ……んん」
室内には二人の吐息と粘膜が絡まり合うにちゃっとした下品な音が響いた。互いの頭を抱え込み、相手のくちびるを貪る。
しかし、アンドレアの奮闘もここまでだった。この激しいキスによってアンドレの精は著しく、ジュリーによって吸われていた。それで死んだりすることこそないものの、脱力してしまうのは避けられない。
「申し訳、ありません……ジュリー、様……」
「構いませんわ」
ジュリーが下からとろけた笑みをアンドレアに向ける。脱力した彼の下から影のようにスルリと抜け出し、逆にアンドレアを組み伏せた。
「ここからは私がリードします。大丈夫。初めて……ですが、私も魔物娘ですから、きっと大丈夫です」
「じゅ、ジュリーさ……うっ!」
王女の名前を呼ぼうとしたアンドレアだったが、途中で呻き声を上げる。ジュリーが彼の顎下を撫でていた。その快感で言葉が途切れたのだ。
「それから今後、私のことを様付で呼ぶのは禁止です。私たちは恋人であり、やがて夫婦になるのですから……あ、昔のように『ジュリーねえちゃん』と呼んでも構いませんよ?」
始めはやや厳しい口調で、後半はイタズラっぽい口調でジュリーは言った。アンドレアの頭にカッと血が上る。
「そ、それはさすがに恥ずかしいです……!」
「あら? これからもっと恥ずかしいことをすると言うのに?」
言いながらジュリーはアンドレアの服を剥いでいく。鎧などの類は既に脱いでいたため、服を脱がせることは重労働でもなかった。あっという間にアンドレアの上半身がむき出しになる。
勇者として鍛え上げられた身体を前にしてジュリーの目が輝く。
「ああ、なんてたくましい……前からずっと、このたくましい身体に抱かれたいと、逆にこの身体を貪りたいと思っていました……」
もはや魔物となり、人間の王女らしい着飾ったお上品らしさをジュリーは捨てていた。魔物らしく素直に欲望を口にする。
慈しむようにジュリーはその身体を撫でる。もちろん、吸精しながら。王女の手がふわりと肌に触れるたびに、勇者は身体を戦慄かせた。だがそれだけで終わるはずがない。
ジュリーの顔がアンドレアの胸に近づいた。彼女の口から舌が伸びる。その舌がアンドレアの肌の上に置かれ、動き始めた。
「はうっ、ううう!」
アンドレアの腰が跳ねる。なめくじが自分の身体を這っているかのようだった。くすぐったいような感じがするが、吸精の効果もあってそれは震えるほどの快感を肌からアンドレアの脳へと伝えていた。
勇者の反応を上目遣いで確認した王女はにやりと笑う。その表情はさながら自分の技巧で男を酔わせて優越に浸っている娼婦のようであった。ワイトの舌での愛撫は続く。舌の方へ下がってへその周囲を舐め、また上へと上がり乳首を転がすように舐める。
「やっ、あっ、はあっ!」
「んふふ……まるで女のような声を上げるのですね……ん、れる……」
からかわれてアンドレアは今度は耳まで赤く染める。その耳にもジュリーの舌が這わされた。わざと音をにちゃにちゃと立ててジュリーはアンドレアの興奮を煽ってくる。
「はむっ、んちゃ、れる……アンドレア……愛していますよ」
不意にささやかれた愛の言葉。まるでその言葉に魔力でも込められていたかのように、アンドレアの身体がびくんと震えて反応する。その反応は彼の臨界点を超えてしまった。アンドレアは射精した。
まだ下は脱いでいなかったため、下着にどぷどぷと彼の精液が吐き出されていく。
思わぬ彼の暴発にジュリーは軽く眉を顰めた。
「まあ……漏らしてしまったのですか、アンドレア?」
「……」
屈辱的な男としての失態にアンドレアはそっぽを向いて黙りこむ。そんなアンドレアの頭を撫でてジュリーは囁いた。
「大丈夫……まだ、次があります。それに……私も、もう……我慢、が……」
彼女の言葉にアンドレアは顔をジュリー方へと向ける。理知的な王女の姿はどこへやら、その顔は情欲で爛れている。そして下半身に目を向けると、パンジーの花の色をしたイブニング・ドレスの下で彼女は太腿をもじもじと擦り合わせていた。そこに意識を集中させると、雌の芳香が漂ってくるのも感じられる。
その匂いにアンドレアの雄が若さもあってたちまち反応する。射精したばかりだと言うのにすぐに力を取り戻した。だが、肌からも性器からも精を放っていた彼の身体からは力が抜けており、ジュリーを攻めたくても攻められない。そのもどかしさにアンドレアは歯ぎしりをした。
悔しがっているアンドレアを尻目にジュリーは悠々とドレスを脱ぎ捨てる。さらに、清楚な王女が身に付けるとは思えない娼婦のようなブラとショーツも。ガーターストッキングとガーターベルトという扇情的な格好になった。生まれたままの姿よりもそのわずかに残された布地が、彼女の一度死んだ青白い肌をまるで大理石の彫刻のように美しさを強調していた。だが彼女が彫刻像ではなく、一度死んだとは言え生きている魔物娘である証拠に、何にも包まれていないその股間からはとろりと蜜がこぼれている。
胸では母性の象徴である乳房が揺れていた。先端は興奮の証にぷくりと立ち上がっている。幼いころはあの柔らかい乳房に何度か包まれたことがあり、柔らかくて落ち着ける記憶がある。今、みだらな下心をむき出しに触りたかったが、脱力した身体は残念ながらそれを許してはくれなかった。
ジュリーはアンドレアの下を脱がせた。ぶるんと音が立ったかのように、勢い良く自身の汚濁液にまみれた肉棒がその姿を現す。現れた性器を見てジュリーは驚きと喜びの入り混じった複雑な表情を見せた。
「これが殿方の……なんて、大きい……それに匂い……こんな匂いがするのですか……ああ、なんて芳しい……こんなの嗅いでいると、頭がどうにかなってしまいそうです……」
初めて見る男の性器と精液にジュリーは夢中になっている。れろりと彼女は舌でペニスと精液を舐めあげてみた。
「くっ……!」
その刺激だけで、油断していたら射精してしまいそうだった。アンドレアは身体を固くする。
「ああ、ごめんなさい……このままだとアンドレアが辛いですわね……今、迎え入れてあげますからね……」
ジュリーがアンドレアを跨ぐ。そして肉棒に軽く手を添えて調節し、腰を落としていく。
アンドレアはその様子を不安そうな表情で見つめる。もうすぐ、幼いころから慕っていた姉のような王女と結ばれる。その精神と肉体の充足感への期待に胸が張り裂けそうだ。だが、自分が初めてなのと同様、ジュリーも初めてのはずだ。痛くはないのだろうか。
アンドレアの考えていることが分かったのだろう。先端を入り口にあてがったところでジュリーは一度動きを止めた。
「大丈夫……私は魔物娘ですし、あなたより年上ですから……ちゃんとリードしないと……」
「いや、そういう……うううっ!」
「んんんっ!」
アンドレアが何か言うより先に、ジュリーが腰を沈めてきた。狭い箇所を通り抜けるとき、わずかにジュリーは顔を顰めたが、それだけだった。ゆっくりとジュリーの腰は止まらない。
「はっ、うっ……!」
歯を食いしばり、アンドレアは射精するのを防ごうとする。一度死んだとは思えないほど、ジュリーの中は熱く、ぬるぬるとしていて、締め付けはキツかった。それだけではない。彼女の中は触手でも生えているのかと思うくらい突起があり、アンドレアのペニスに絡みついてくる。誰にも使われなかった男狂わせの名器が童貞だった勇者に襲いかかっていた。
「アンドレア……大丈夫ですか? 痛くはないですか?」
「そんなはず、ないです……むしろ気持ちよすぎて……くっ……! ジュリーさ……ジュリー、は?」
「最初はちょっとだけ痛かったですが、もう痛くはないです。むしろ今、動きたくて仕方がありません。このままジッとしていると、気が狂ってしまいそうです」
そう言う彼女の腰は細かく、クイクイと動いていた。それだけでもアンドレアとジュリーの肉が擦れあい、甘美な刺激が二人の身体を回る。だが、ジュリーはそれ以上に動きたいと言う。
「私に様付してはいけない、という意識が働く程度には大丈夫そうですね? では、動きますね」
「ま、待っ……くああっ!」
もう少しアンドレアは待って欲しかった。だがそれを告げるより先にジュリーが動き出した。文字通り馬に乗っているかのように彼女は腰を弾ませる。ジュリーの肉洞がアンドレアの肉棒を上下にしごき抜く。
入れているだけでも強烈だった刺激に、アンドレアは両手でシーツを握りしめて射精をこらえようとする。
「あっ! あっ! あんっ! すごい……! 私の中……私のおまんこの中、アンドレアでいっぱい……! いっぱい擦れて……ひぅう!」
一方、ジュリーの方も余裕という訳ではなかった。快感のあまり、意識が復活したばかりのゾンビのように混濁しているようだ。人間の王女だった時であれば絶対言わないような淫語をまき散らす。
その腰の動きもより淫らな物に変わっていた。上下の運動に加えて、前後の運動が加わっている。その動きはアンドレアと、そして自分自身を追い込んでいった。
「はひっ! はうぅ! ダメっ、だめぇえ! アンドレア、アンドレア……アンドレアぁ!」
長い髪を振り乱しながらワイトのジュリーは叫ぶ。意識が消え去りそうになっていることへの不安からか。想い人の名を連呼する。さらに手が何かを探るように跳ねまわった。
跳ねまわっていた手は、シーツを握りしめているアンドレアの手を捉えた。ジュリーは強引にアンドレアの指をシーツから引き剥がす。そしてその指に自分の指を絡ませていった。小指、薬指、中指……と順番に、ゆっくりと、確認するかのように。
「はあっ、んあっ……この指、一本一本、全部私の物……アンドレアは、私だけの勇者……」
「ジュリー……くっ……!」
ついに、二人の手が、十本の指を絡ませあって、繋がれた。指、一本一本からもアンドレアの精がジュリーへと伝わっていく。まるで指も彼女の膣に包み込まれているかのようだった。
その感触にアンドレアは心ばかりか精神や魂までも溶かされていく。
「ジュリーねえちゃ……おねえちゃ……!」
「アンドレア……あっ、あっ、ああああ!」
幼児に戻ったかのようにアンドレアはジュリーを昔の呼び方で呼んだ。その呼びかけに応え、ジュリーは腰の動きを早くする。
二人がそれ以上我慢できなくなるのは、ほぼ同時だった。
「はぁあん! あああああ!」
指を絡ませてアンドレアの手をしっかりと繋いだまま、ジュリーは彼の上で背中を弓なりに反らせた。しかし、二人の性器はしっかりと繋がったままだ。その結合部では、勇者の精液が不死者の王へと注がれている。
「ふあっ、あ……あ、熱い……奥に……来ています……」
うっとりとした表情でジュリーはアンドレアの精液を受け止める。その淫らで美しい姿を見ながら、アンドレアは疲労で意識を手放した。
「見てください、アンドレア……」
情熱的なひとときを過ごしてしばらく経ち、アンドレアが疲労から回復したのを見計らってジュリーは彼を窓際へと誘った。
誘われるがまま、アンドレアは生まれたままの姿で、ストッキングとガーターベルトだけのジュリーの横に並んだ。そして窓からの景色を見下ろす。
城下町の風景がそこに広がっている。あちこちにあらゆる色の松明が灯され、その近くをいろんな人影が歩き回っていた。すたすたと歩く物、よたよたと歩くもの、誰かと手をつないで歩く者……そして、街路では多くのテントが張られ、中にいる人影が必死に客を呼び寄せようと両手を振り回している。
「アンデッドか……」
「そうです。この国の民の多くはゾンビやグール、スケルトンと言ったアンデッドになりました……」
しかし、一部はならずに永遠の眠りに就いている者もいるだろう。処刑された王もそのうちの一人だ。だが、今はそれを言うまい。
「この国が魔力に包まれたのは、件の銀山の影響です。あれはただの銀ではありません。魔界銀だったのです」
魔界銀。魔界ではポピュラーな金属だ。この金属をふくんだ武器で傷つけられた女性は魔物化するというほど強力な魔力を含んでいる。その銀山が近くにあったから、魔力の影響でこの国は魔界化したのだろう。そして、滅ぼされた国で死者も多く眠っていたため、アンデッドが多く発生した。
また、魔界銀となったら人が簡単に加工することなどできない。だから、この国に銀山を奪ったはずのイルトスト王国の人間が見られなかったのだ。
「本来であれば、アンデッドの住まう"不死者の国"は夜は明けないのです」
ジュリーは続ける。
「ですが、ここに来る前にご覧になった通り、この国にはまだ昼というものが存在します……この国はまだまだ再生途中、発展途上です。この国がより発展し、滅亡前以上の美しさを手に入れるには民の、そして何より、あなたの助けが必要です」
ここでジュリーはアンドレアの方に向き直る。心なしか、始めに見た時の頬の痩けが少し和らいだ気がする。男の精液を受けたためだろう。そして国が滅亡以上の美しさとなるのと同様、彼女もまたアンドレアによって生前以上の美しさを手に入れるだろう。
「協力、してくださいますね?」
「当たり前です。何が勇者だ、何が人類の希望だ。私は、ジュリー様だけの勇者です」
「ありがとう……でも、様付はナシと言ったはずですよ?」
「……そうでしたね」
二人はくすくすと笑う。どちらからともなく、二人は手を繋いだ。指を一本一本、しっかり絡み付けて繋ぐ。
★
人間の欲望によって滅ぼされたセントラクル王国と、それによって命を落とした王女のジュリー・セントラクル。
しかし、それらは皮肉にも欲望の対象となり、また人類の敵である魔物の魔力を宿した鉱山によって復活した。そしてさらに、かつて人類の希望の星と謳われていた男が、王女と国のために戻ってきた。
王国と王女がかつて以上の栄華と美しさを得るのも、そう遠くないことだろう。
13/08/15 22:39更新 / 三鯖アキラ(旧:沈黙の天使)