連載小説
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五章 真実と決意
3月に入ったとは言え、日の入りは早い。
午後6時にはすっかり暗くなっていた。
「ただいま……」
暗くてガランとした部屋に俺の声が響く。
言ってから疑問に思う。
『あれ? ここはそもそも俺の部屋だぞ。なんでただいまの挨拶をしているんだ?』
そう、本来は、ここは俺の部屋だ。
玄関で家族にただいまを言うのならともかく、部屋に入って言うのはおかしい。
だが、つい癖のように……いや、癖でそう言ってしまっていた。
そんな癖がついてしまったのは……今まで斉田がここにいたからだ。
彼女は3日もここにいなかったが、俺にそんな癖ができてしまっていた。
そして斉田がいる時は、俺がただいまと言えば、おかえりと返事が返ってきていた。
だが、今はその返事はない。
斉田がいないからだ。
それが普段の状態のはずなのに、そのことがいやに虚しく感じ、俺を苦しめる。
『……なんでこんなに苦しいんだ?』
デスクチェアにどっかりと腰を下ろし、俺はため息をつく。






あの後……斉田と喧嘩して彼女がどこか行った後、もやもやとした気分を抱えていた俺は、後輩数人を呼び出してゲームセンターで遊んだりカラオケで歌ったりして気分を晴らそうとした。
だがゲームには全然集中できず、気持ちも晴れなかった。
ゲームをしているうちに、斉田の感情を爆発させた声が蘇ってくるのだ。
『佐々木君に何が分かるのよ!? 勉強を強制されて、東帝大学に入ることを強要された、私の何が分かるのよ!? 勉強も遊びもできた佐々木君なんかに……あんたなんかに……!』
遊んでも気分が晴れなかった俺は、後輩に謝ってカラオケには行かず、帰ってきたのだった。
そして今、もやもやとした気持ちを抱えたまま、椅子に座っている。
「俺に何が分かるか、か……」
斉田の言葉を反芻し、口に出してつぶやく。
確かに俺は斉田の事について何も知らない。
生前は出席番号がひとつ違うという理由だけでほんの少し会話を交わした程度だった。
彼女がゴーストになったあとも、たった2日ちょっとしか一緒に過ごしていないし、とくにおしゃべりをして互いに理解を深めた訳でもない。
俺は彼女についてはほとんど知らない。
現に、俺は斉田が勉強をするのは東帝大学に行くため、自ら進んで勉強をしているものだと思っていた。
だが事実は異なり、彼女は「勉強を強制され、東帝大学に入ることを強要された」と叫んだ。
結局、数日彼女と過ごしても、自慰を互いに見せ合うという卑猥なことをしても、精を捧げても、俺は彼女について何も知らない。
所詮はそんなものだったのかもしれない。
そして
『正直、俺は……』
今、本人がここにいないからはっきり言おう。
斉田がゴーストとなってここに流れ込んだ時、俺ははやく東帝大学の合格発表の日が来て斉田が成仏し、元通りの生活がくることを願った。
形こそ違うが、今、斉田がここにいない状況は、俺が願った元通りの生活のはず……俺にとっては結果オーライな内容のはずだ。
『でも……それでも……』
そう、それでもだ。
胸が苦しい……
喧嘩をすれば、そりゃ誰でも後味は良くなく、気分も良くないものだ。
また今までの非日常的な生活がいきなり終わっても、躊躇するのは不思議ではない。
だが、それだけでは説明がつかないくらいに今、俺はとても嫌な気分だ。
『この、やるせなさは……俺は……』
そこで俺の思考が途切れた。
ブイーン、ブイーン……
携帯のバイブ音が暗くて静かな部屋に響く。
あまり人と話す気分ではなかったのだが、携帯のサブディスプレイを見て気が変わった。
ディスプレイには【村野 美穂】と表示されていた。
『そうだ、困ったら相談しろと言われていたじゃないか』
そのことを忘れていた自分を呪いながら俺は応答キーを押した。
「もしもし……」
「もしもし? もう……予想以上に湿気た声ねぇ」
気分が沈んでいたが、それでも村野の「予想以上に」と言う言葉に耳がピクリと反応する。
なぜ、俺が沈んでいることを予想していた?
「村野、斉田が……」
「ええ、喧嘩したんでしょう? それで、行方が分からなくて困っていたんでしょう?」
訊ねるというより、俺が言おうとしていることを先回りして確認するかのような口調……村野はもう既に知っているようだ。
だが、なぜ知っている?
「村野、もしかして斉田は……お前のところにいるのか?」
「ええ、そうよ。数時間前に私のところに飛び込んできて、うわーっとあなたの悪口を言っていたわよ。『佐々木君は私のことを全然理解してくれていない!』とか『私は本当に辛かったんだから!』とか……で、今は叫び疲れて寝ているわ」
「やはりそうか……」
とりあえず、村野のところにいるということが分かって安心したが、やはり彼女を怒らせたことは俺を落ち込ませる。
そんな俺を村野は優しく慰めてくれた。
「気を落としなさんな。史織の態度もちょっと子ども過ぎていたわ。まぁ、仕方ない気がしなくもないけどね……」
同じ言葉をどこかで聞いた気がする。
どこだ……?
……ああ、思い出した。
つい昨日の通夜で村野が言っていた言葉だ。
俺が、斉田がどうしても家に帰りたがらないことを言ったとき、村野はそれに対して「仕方がない気がしなくもない」とコメントした。
あの時はお茶を濁されたが……
「村野……お前、何か知っているんだろう? そんなふうに『仕方がない』と言う、何かを……」
「………」
電話の向こうで村野が押し黙る。
おそらく、自分が知っていることを言うべきか言わないべきか、考えているのだろう。
耳をすますと彼女の脳がガチャガチャとどうするべきか計算している音が聞こえてくるかのようだった。
しばらく彼女は沈黙していたが
「……まぁ、今のあなたになら話すべきかもね」
とつぶやいた。
誰にも言っちゃダメだからね、と彼女は前置きしてから、話し始める。
「あの時は噂だけを聞いていただけだったから、確信はなかったの。それで実はさっき、彼女が寝ている間に魔力を使って記憶を探ったんだけど……」


要約するとこういうことになる。
まず、俺が通夜で見かけた斉田の父は実の父ではない。
斉田の母の再婚相手だったのだ(どうりで見た目は似ていないように見えた)
斉田 史織は18年前、当時19才だった彼女の母親と、付き合っていたフリーターの男との間に生まれた。
子どもが生まれたのを機に斉田の母と実の父は結婚したが、若すぎる夫婦の無計画な結婚がうまくいくはずがない。
斉田が3才の時に二人は離婚し、斉田は母親に引き取られた。
こうして危うげな母子家庭生活が始まったのだが、運が良いことにその生活はすぐ終わることとなる。
斉田の母が再婚した。
その再婚相手が今の父親だった。
彼は当時、35才で大企業の福来ホールディングスの子会社、福来不動産株式会社の課長補佐を務めていたらしい。
こうして生活面・金銭面では問題のなくなった斉田母子だったが、斉田にとってはそこからが問題だった。
若くして結婚し、大学にもいかず、教養や学歴がないことをコンプレックスに思っていた斉田の母は彼女に勉強するようにしつこくしつけた。
良く言えば自分と同じ鐵を踏ませまいとしたと言えるが、悪く言えば自分のそのコンプレックスを娘で解消しようとしたと言える。
また父親もデキる人種だった故、勉強ができることくらい当たり前と思っていたらしく、そのしつけを支持した。
斉田が小学校に入り、要領が良くないことが分かり、また斉田に妹が生まれ、彼女が斉田より出来がいいと分かると、そのしつけはさらに厳しい物になった。
遊んだりすることなく、ひたすら勉強や学習塾の日々……遊びたい盛り、親に甘えたい盛りだった少女にとっては、地獄のような状況だっただろう。
そして、そのような状況の斉田に両親が与えていた最終的な課題、それが「東帝大学レベルの大学に合格すること」だった……





「分かったでしょう? 彼女が家に帰りたがらない理由が……」
「そうだったのか……」
村野の説明を聴き、俺は納得した。
なるほど、斉田にとって家―――両親の元は拘束される場所、楽しみも何もない苦しみの場所なのだ。
そんな自分を縛り付けた息苦しい家に帰りたくはないだろう。
さらに、斉田が成仏しない理由も分かった。
斉田の東帝大学に対するこだわりは、それは本人の意思ではなく、彼女を人形のように操る両親の意思だ。
どうりで東帝大学の合格発表を見ても、合格していても斉田が成仏するはずがない。
「じゃあ、斉田が本当に未練に思っていることは……」
「この話を聞いたあなたなら分かるでしょう?」
「……ああ」
今なら分かる。
村野から話を聴き、またここ数日、のびのびと過ごしていた斉田と一緒に過ごしていた俺なら分かる。
「斉田は……遊びたかった、そして……誰かに愛されたかったんだな……」
「ん〜……」
村野が鼻を鳴らした。
否定的な鼻の鳴らし方だった。
あれ、自信あったんだけど不正解だったか?
「55点よ。ゴーストになる前はそうだったかもね。でも、ゴーストになった今はそうじゃないわ。今は『誰か』じゃなくて……あなた、佐々木君に愛されたいのよ」
「……え? なんで俺なんかに……」
「魔物娘は……多少の好みなどはあれど、本来なら獲物の男を見つけたら即その男を襲って番とする生き物……」
唐突に、淡々と村野が話し出す。
感情を込めず、でも俺にはっきりと理解して聴かせるような、授業のような口調だった。
「だけど、その魔物娘に幼馴染とか、思い入れのある人がいたのなら話は別……魔物娘はその人を積極的に誘惑し、つがいにしようとするわ……」
「なぁ……俺は斉田の幼馴染じゃないぜ? 思い入れのある人間だとも思えないし……」
俺がそう言ったとき、村野は深々とため息をついた。
ため息混じりで彼女は続ける。
「彼女と会話を交わせている同年代の男子ってどれだけいるのよ……あなたしかいないわよ?」
「それだけ? それだけで彼女は俺に思い入れがあるのか?」
「十分な理由よ。人間じゃあまりにも小さすぎる理由で分からないでしょうね。でも、魔物にとっては十分な理由だし、人間から魔物になるとその小さい理由も確固とした理由に膨れ上がるの」
そうだ……そう言えば、ゴーストとなって俺のところに来たその晩に、斉田ははっきりと言っていたじゃないか……「他に頼れそうな人がいなかったのよ!」って……
「それで、どうするの?」
「ああ、そうだったな……」
斉田の過去の話に気を取られて忘れていた。
そうだ、俺はこれから彼女をどうするか決めなければいけない。
今まで彼女の気持ちに気づいていなかったが、それに応える必要がある。
「魔物は本来、問答無用で男に襲いかかってつがいにするのよ? それなのにあなたに自分から襲うことなく、無意識的にあなたに選択権を委ねているのよ? 魔物にしては優しすぎると思わない?」
確かに本当に襲われたりはしていないが、それでも妄想を無理やり流し込まれたし、自慰を強制はされたりもした。
そもそも、俺の家に転がり込むこと自体が結構、問答無用でワガママだ。
だが、今はそれはどうでもいい。
「それに、生前は冴えない見た目だったかもしれないけど、魔物になってからかなり良くなったわよ? 髪の毛も肌も綺麗だし、おっぱいもいい形をしているし、性格だって気難しくて子供っぽいところもあるけど根はさっきも言ったとおり優しいし、大安売りだと思わない? これで佐々木君が史織を選ばなかったら……」
「まぁまぁ、そう言わなくても分かっているって。実は、村野から電話が来る前から、自分の気持ちには気づき始めていたんだ」
放っておくと延々としゃべりそうだったので、俺は村野を遮った。
そう、俺は自分の気持ちには気づき始めていた。
彼女の気持ちに気づいていなかったのと同様に、自分の気持ちにも俺はつい先程まで気づいていなかったが、今はもう迷いはない。
その気付いた気持ちは斉田の過去を聞いて固まっている。
俺は彼女と3日弱、一緒に過ごした。
彼女と秘密を共有した。
他の人が知らない、魔物となってから表面に出た彼女の意外な一面も見た。
彼女と淫らなことをした。
それだけで……俺の中で斉田は「出席番号がひとつ前のガリ勉なクラスメイト」ではなく、「特別な一人の女性」になっていた。
『斉田のことを言えないな……たった3日のこれだけで俺も斉田が好きになったんだから……』
思わず苦笑が漏れる。
声に出して笑ったつもりはなかったのだが、雰囲気は伝わったのだろう。
村野の声も少し落ち着いたものになった。
「それで、どうする? 史織を起こそうか?」
「ああ、頼む」
ちょっと待っていてという言葉を残して村野の声が遠くなった。
受話器からかすかに村野と斉田の声が聞こえる。
斉田はぐずっていたようだが、しばらくすると分かったと言ったように聞こえた。
「もしもし?」
斉田の遠慮がちな声が受話器から流れる。
「もしもし、斉田? あの……昼の喫茶店の時はごめん。お前のことを知らないのにちょっと不用意に言いすぎた」
「ん……私のほうこそ、ちょっとあの態度は悪かったと思う、ごめんね。火傷しなかった? 服はシミにならなかった?」
「怪我は大丈夫だ。服はシミがついたけど……まぁ、気にするな。大した服じゃなかったし」
「うん、ごめん……ありがとう」
少しだけぎこちない雰囲気が残っているが、とりあえずこれで二人のわだかまりは解消された。
だが、俺にとってはここからが本番だ。
「あ、あの……斉田。その……明日、暇だろう?」
「当たり前でしょう? 今は何にも縛られていないゴーストなんだし」
斉田がちょっと呆れたように答えた。
そう言えばそうだと俺は苦笑する。
苦笑でもちょっと笑うと緊張がほぐれ、続く言葉がスムーズに出てきた。
「明日の12時に、静海公園の時計台のところに来てくれないか?」
「え? それってもしかして……デートのお誘い?」
デート……実際にそう言われるとこそばゆかった。
けれども、その言葉が一番シンプルで正しい。
「そうだ」
俺もシンプルに肯定の返事をする。
「……」
「おいおい、どうした急に黙り込んで?」
「う、ううん……佐々木君に誘われることは妄想していたけど、いざ実際に誘われたらちょっと驚いちゃって……」
てへへ、と斉田は笑う。
そんな笑い方、生前では聞いたことがない。
この笑い方を知っているのは彼女がゴーストとして今生きていることを知っている俺だけなのだ。
あ……今、斉田の横にいる村野もそうか……ちょっと残念だな。
「ともかく、12時ね? 分かったわ」
「いい服、着てこいよ?」
「私が文無しなのを知っているくせに」
拗ねた斉田の口調がおかしくて思わず二人、声を揃えて笑った。







こうして俺達は電話を切った。
さて、明日はデートだ!
女の子とデートをするだなんてずいぶん久しぶりだ……今夜は緊張のあまり、眠れないかもしれない。
いや、それくらいがいいかも知れない。
今からデートの予定などを考えなければ……
俺は暗かった部屋に電灯をつけ、そしてパソコンを立ち上げた。
12/03/12 01:19更新 / 三鯖アキラ(旧:沈黙の天使)
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■作者メッセージ
そんな訳で、斉田の未練と過去が明かされました。
……なんか自分が思った以上に感想をくださる皆様が深刻そうなことを考えているのではないかと思い、「なんだ、こんなことだったか」と言われないかと冷や冷やしております(汗)
特に、佐々木を好きになった理由(滝汗)

何はともあれ、次はデートです!
W更新をします!
次章&次々章、『真・運命の日』と『運命の刻』、お楽しみに。

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