三話 6月4日
薬は持った。魔除けも持った。食事も持った。
ただ武器は持たなかった。
さすがに常連様を傷つけるような真似はしたくなかった。
訪れたのはかつての森。
焼け焦げた彼の家へと足を運ぶ。
本来ならもうこのあたりに来る必要はなかった。
この森に人間はエミールしかいなかったし、商売も今は仕事が軌道に乗ってい
ることもあってわざわざ森に取りに来ることはない。
炎によって焼き尽くされた件の家は、再建されることはなく焦げて朽ち果てて
いた。
あの場から逃げ出しておいてなんだがよくもまあ森が火災で無くならなかった
ものだ。誰かが鎮火させたのだろうか。
「あ、おじさん来てくれたんだね。」
「これは…どうも。」
私は軽くお辞儀をすると少女は苦笑いをした。
人間の礼儀などきっとインプ達にはわからないのだろう。
いくつになっても若々しい…というか少女のまま。
他人を必ず手なずけることがもしできることができるのなら、成長なんか必要
ないのかもしれない。主人と飼犬のように。
「ねえおじさん、おじさんはなにをもってきたの?」
いつもの笑顔で少女が私のかばんを引っ張る。
お土産にでも見えるのだろうか。
自分の店にあったものを持ってきただけなのだがな。
「大したものは入ってないよ。」
「くんくん…いい匂いがするよぉ〜?あ・や・し・い・なぁ〜?」
「サンドイッチだよ。」
「あーそれ久しぶりにたべたいなぁー?」
「向こうについたらね。」
彼女に手を引かれながら森を抜けていく。
あの日のように虫がたかり、葉の裏にたまった雨水を求めて小さな生き物が木
になる果実の様に留っていた。
そしてあの時と同じように私は彼の家に…余り仲良くしたいとは思わなかった
魔術師、エミールの家にたどり着いた。
周りの草木は変わっていないのに、建造物であるこの場所だけが変わっていた。
焼け焦げ、家の上半分は無くなり、無造作に屋根だった物と天井だった物が破
片となって屋内だった場所に黒く転がっていた。
逃げ出した時は大して気にも留めていなかったのだが誰があの業火の炎を消し
たのだろうか。
やはりそれがどうしても気がかりだった。
少し木々からは開けた場所に立っていたからにしたっておかしい。
燃え尽きたのなら下の土台の部分だって消えているだろうし。
様々な思惑があったが、とりあえず止めておく。
立ち止まる私の手をアークインプが引っ張り、催促されていると理解した。
彼女の要望のままに焼け焦げたエミールの家に入る。
すすけた壁、焦げた匂い。
5年の歳月からか木造の家だったこともあり屋内だった場所にも新しい命が芽吹
いている。
「……。」
だがやはり、というか。
そこにあった白骨は何も語らない。
壁にもたれかかり、そのすべてを受け入れたかのように。
これはエミールの死体だ。
当然だ。あの場で死んだのは紛れもないエミールだ。
とりあえず冥福を祈ると私は家から出ようとする。
その時だ。
いつぞやの少年がそこにいた。
「きみは…エミール君だったね。」
「…うん。」
「そうか…覚えてるかな?パン屋の店主だけど…」
彼が背後にいたのに気付かず、少し面食らってしまった。
同姓同名の少年。
あたりさわりのないように話しかける。
彼があの魔術師かどうかは私にもわからない。
ただ…今はまだ知りたくないだけだったのかもしれない。
正直家庭が円熟になってきた身だ。
トラブルに巻き込まれるのだけは避けたい。
5年前のあの一件以来、魔術師や勇者、傭兵との取引は避けている。
危険な取引をしていたわけではないが、貿易なんて仕事をしていればその筋か
らの依頼は後を絶たない。
だがそれももう引退だ。
そう決めていたのに…なぜ今私はあの魔術師エミールに会おうとしてしまった
のだろう。
少年エミールを見つめると何故かそう思ってしまう。
答えのないまま足を運んだのはなぜだろうか。
あるいはここに答えがあって、それを見て答えを得て、私になんの得があった
だろうか。
「うん。覚えてる。」
「はは、そうか。会えてうれしいよ。今日はこの子に誘われて遊びに来たんだ。
ほら、うちの自慢のサンドイッチも持ってきたぞ。」
私は少年少女を誘い昼食をとることにした。
家を出てシートを敷きその場にサンドイッチを詰めたバスケットを開く。
目を輝かせたのは少女だった。反面少年は年に似合わず黙ってサンドイッチに
手をつける。
「わあー!見て!海のお魚だよー!はい、おにいちゃんあ〜んして?」
「いいよ。もうこっち食べてるし。」
「あ!それ私が目をつけてたエビのサンドイッチ!ずるい!」
「知らないよそんなの。ほら半分あげるから。」
エミール少年が半分ほどちぎってアークインプに渡す。
嬉しそうにそれを受け取ると食べかけのサーモンのサンドイッチをよそにむし
ゃむしゃと食べ始める。
やれやれ、無邪気なものだ。
自分がどれだけ恐る恐るここに来たのか知らずに二人は笑顔を浮かべている。
いや、不安がないに越したことはないが。
「ところでおにいちゃん。これからどうする?」
「さっきの続きをしないと。」
「ええー?遊ぼうよー。おもてなししないとおじさんが可哀想だよ?」
「そういうわけにもいかないよ。だって僕には時間がないんだもの。」
エミール少年は一言「ごちそうさまです」と言ったあとすぐに席を立ち再び
森の奥へと進もうとする。
「まってくれ。」
しかし私はそれを制止した。
確かにさっき私はエミールの遺体と思わしき白骨を見た。
だがそれにしたって少年への疑念が晴れたわけではない。
「何?」
「君は…エミール・グロリアズなのかい?」
「…どうして僕の名前を知っているの?おじさん何者?」
「私は…こう言ってはなんだが君と出会っているような気がして…いや
昔と言うのはパン屋であった時ではなく…!」
「はあ。その様子だと小屋の中を見たんだね。」
私が何を言いたいのか察してエミール少年は答えた。
エミール少年は再び振りかえると森の奥を指さし、再び歩き始める。
私もアークインプも彼の後についていった。
ザクザクと落ち葉を砕きながら進んだと思えば徐々にうっそうとした木々が多くなり
そのうち空を緑で遮る。
大分奥まで来たのを明かりの加減で実感したころ私は現場に出会った。
「これは…エミールのっ…!!」
「そう。おじさんの知っているエミールグロリアスだよ。その頃はお爺さんだ
ったと思うけどね。ちなみにもう気付いているとは思うけれど彼女は僕が呼
び出したインプだ。」
「うーんそうなんだよねー。おじいちゃん大変だったんだよねー。だって丸焦
げ状態だったんだもん。元に戻すの大変だったんだよ?」
魔物だ。
そこにいたのは魔物だった。
アークインプではなく、森に居を構える魔物たち。
アルラウネを始めとする彼女たちだ。
それだけならまだいい。
彼女たちが一人の赤ん坊をあやしていたのだ。
あるものは変な顔をしたり、おもちゃであやしたり、乳を与えたり。
だが抱えている赤ん坊は男の子だった。
魔物は自己繁殖のために新たな魔物、つまり、女性を生む種族だ。
男を産むとは到底考えにくい。
しかしその赤ん坊をくるんでいた布には心当たりがあった。
それは紛れもなく魔術師エミールが着ていた儀式用のローブだったのだ。
「おじさん説明がいる?今ならまだ後戻りできるけど。」
「…いや、胆は決まっている。話してくれ。」
私がローブに目配せをしていたのに気を使って話しかけてくれた。
即答が意外だったのか少し驚く顔をする。
そしてすぐにニヤリと笑うその姿はかつての偏屈魔道士を彷彿とさせる。
間違いない。あの時炎の中で没したその男。
私に背を向け大仰に両手を振り上げ彼は私に雄弁に語り始めた。
「そうだね、結論から言うと僕はエミール・グロリアズだ。だが本人ではない。」
「どういうことだ?」
「そうだな。あれは最後に君と出会った日のことだ。君が炎にまぎれて脱出し
たその時だよ。彼女と出会ったのは。」
彼女。アークインプだろう。
そこは合点が行った。
憶測の範囲内だ。
「もう。呼ばれた時ちょー焦ったんだから!いきなり家は燃えてるしおじいち
ゃんに火が燃え移ってるし、笑顔のまま火だるまになって満足そうな顔して
死のうとしてたんだから。さしものアークインプちゃんもてんやわんやの大
混乱だったよ!」
「そう、で、結局僕は燃え尽きて死んでしまったんだ。一度ね。」
「それではい生き返りましたって言われて信じろっていうのか?」
「少し違う。大体この姿はどう見ても老人じゃないだろう?」
「なるほど、だから本人ではないと。だがしゃべり方といいふてぶてしい態度
といいまるで本人と変わらないな。」
「ふむ。言うじゃないか。まあ実際その通りだけどね。」
皮肉を言ったら自嘲気味に笑った。
体といろいろ不釣り合いなように見えて、その実大人びた発言を好む少年のよ
うにも見える。
こうして見るとエミールは意外と子供のまま大人になった哀れな男のような気
がしてならないようにも思えた。
「そこで僕は彼女に体を直してもらったのさ。時間の秘術、魂魄の秘術を使っ
てね。」
「時間…魂魄…完全に禁術の領域じゃないか。」
「僕は魔術のスペシャリストだと言わなかったか?」
「私がたまたま時間をもどす魔法陣と幽体操作の魔法を知っていたおかげでし
ょ!」
「おい、使い魔の方がハイスペックだぞ。」
「使い魔の成果は召還士の成果だ。そんなこともわからんのか。」
そこは偏屈爺のままなんだな。
使い魔に言いなおされ若干ふてくされる。
「そもそもこの術は未完成でね。時間逆行は成功することには成功したんだが
…どうにも歯止めが効かなくてね。焼け死んだ体を元に戻すどころか体は若
返り、ひいては肉体的な幼児退行を引き起こした。」
「それがあの赤ちゃん。本物のエミールおじいちゃんなんだよ。」
「そして僕はそのエミールの複製体さ。」
「複製…ホムンクルスか。」
「君もずいぶんと詳しくなったね。勉強した?」
「お前がおしゃべりでなければ知りたくもなかったさ。ん?まてよ。じゃあ
あの白骨死体はなんだったんだ。」
「あれは複製体の失敗作。大人びた体を作るにはこの森だと少々部品が足りな
くてね。」
「エミールおじいちゃん…あんまりこの人に迷惑かけちゃだめだよ。数少ない
やさしいひとなんだから。めっ!」
アークインプに叱られエミールは狼狽する。
赤面しながら面食らうエミールは恥ずかしさを殺すように指先でアークインプ
の額を小突き返した。
初恋の相手と再開、しかも結ばれているのだからこうもなるのか。
少々うらやましい気もするが…
やれやれ、どっちが使い魔なんだか。
察するにどうやら本気でこの子にエミールは恋い焦がれているようだ。
初恋が実るとロクなことはないというが。
エミールが咳ばらいをし、場を整える。
「まあそこまで話を聞いたわけだ。君にも協力してもらうとするよ。」
「いや、無理だ。お前は金を払わない。さらに俺には子供がいるから危ない橋は
渡りたくない。」
「まあこんな状況だ。謝礼は出せないし危険にもさらす。君の言うとおりだ。」
「ほう?一度死んで物分かりがよくなったか?わかったなら俺は帰る。じゃあお
二人ともお幸せに。」
「ふふ。まあそれもいい。用があれば彼女を向かわせるよ。」
「お前何も話聞いてなかっただろ…」
「君は私と仲良くしてくれる数少ない友人だからね。」
「あーそいつはどうも。うちは商店だから買い物程度に済ませてくれ。」
「おじさん!今度会う時に私とおじいちゃんの子供の名前考えといてねー!」
「…それはまた気の早いことで。」
元気よく爆弾発言をするアークインプが元気よく手を振り私を見送った。
そうか、彼女は魔物だから余り外見も体裁も気にしないのか。
エミールも魔物を呼ぶくらいだから…まあお似合いといえばお似合いか。
私は思いのほかエミールに止められることもなくこの森を後にした。
普通だったら身の危険を感じているのだからそれなりに必死になって止める
のがそれなりだと思う。彼にしてみれば命にかかわることは明らかだ。
しかし、どういうわけかその依頼をあっさりと振り切った私には、何故か後ろ
めたさは感じなかった。
もともといなくなってしかるべき人間だったからだろうか。
あるいは時の流れからだろうか。5年も前だとあまり実感がわかないのが本心だ。
自分が非常な人間かと言うとそういうわけではないつもりだが、彼ならなんと
かなるだろうという謎の確信があったのかもしれない。
木々は日差しを遮る。
風通しは悪い。
私は、元来た道を後に、森を出た。
この話はもう少しだけ続く。
ただ武器は持たなかった。
さすがに常連様を傷つけるような真似はしたくなかった。
訪れたのはかつての森。
焼け焦げた彼の家へと足を運ぶ。
本来ならもうこのあたりに来る必要はなかった。
この森に人間はエミールしかいなかったし、商売も今は仕事が軌道に乗ってい
ることもあってわざわざ森に取りに来ることはない。
炎によって焼き尽くされた件の家は、再建されることはなく焦げて朽ち果てて
いた。
あの場から逃げ出しておいてなんだがよくもまあ森が火災で無くならなかった
ものだ。誰かが鎮火させたのだろうか。
「あ、おじさん来てくれたんだね。」
「これは…どうも。」
私は軽くお辞儀をすると少女は苦笑いをした。
人間の礼儀などきっとインプ達にはわからないのだろう。
いくつになっても若々しい…というか少女のまま。
他人を必ず手なずけることがもしできることができるのなら、成長なんか必要
ないのかもしれない。主人と飼犬のように。
「ねえおじさん、おじさんはなにをもってきたの?」
いつもの笑顔で少女が私のかばんを引っ張る。
お土産にでも見えるのだろうか。
自分の店にあったものを持ってきただけなのだがな。
「大したものは入ってないよ。」
「くんくん…いい匂いがするよぉ〜?あ・や・し・い・なぁ〜?」
「サンドイッチだよ。」
「あーそれ久しぶりにたべたいなぁー?」
「向こうについたらね。」
彼女に手を引かれながら森を抜けていく。
あの日のように虫がたかり、葉の裏にたまった雨水を求めて小さな生き物が木
になる果実の様に留っていた。
そしてあの時と同じように私は彼の家に…余り仲良くしたいとは思わなかった
魔術師、エミールの家にたどり着いた。
周りの草木は変わっていないのに、建造物であるこの場所だけが変わっていた。
焼け焦げ、家の上半分は無くなり、無造作に屋根だった物と天井だった物が破
片となって屋内だった場所に黒く転がっていた。
逃げ出した時は大して気にも留めていなかったのだが誰があの業火の炎を消し
たのだろうか。
やはりそれがどうしても気がかりだった。
少し木々からは開けた場所に立っていたからにしたっておかしい。
燃え尽きたのなら下の土台の部分だって消えているだろうし。
様々な思惑があったが、とりあえず止めておく。
立ち止まる私の手をアークインプが引っ張り、催促されていると理解した。
彼女の要望のままに焼け焦げたエミールの家に入る。
すすけた壁、焦げた匂い。
5年の歳月からか木造の家だったこともあり屋内だった場所にも新しい命が芽吹
いている。
「……。」
だがやはり、というか。
そこにあった白骨は何も語らない。
壁にもたれかかり、そのすべてを受け入れたかのように。
これはエミールの死体だ。
当然だ。あの場で死んだのは紛れもないエミールだ。
とりあえず冥福を祈ると私は家から出ようとする。
その時だ。
いつぞやの少年がそこにいた。
「きみは…エミール君だったね。」
「…うん。」
「そうか…覚えてるかな?パン屋の店主だけど…」
彼が背後にいたのに気付かず、少し面食らってしまった。
同姓同名の少年。
あたりさわりのないように話しかける。
彼があの魔術師かどうかは私にもわからない。
ただ…今はまだ知りたくないだけだったのかもしれない。
正直家庭が円熟になってきた身だ。
トラブルに巻き込まれるのだけは避けたい。
5年前のあの一件以来、魔術師や勇者、傭兵との取引は避けている。
危険な取引をしていたわけではないが、貿易なんて仕事をしていればその筋か
らの依頼は後を絶たない。
だがそれももう引退だ。
そう決めていたのに…なぜ今私はあの魔術師エミールに会おうとしてしまった
のだろう。
少年エミールを見つめると何故かそう思ってしまう。
答えのないまま足を運んだのはなぜだろうか。
あるいはここに答えがあって、それを見て答えを得て、私になんの得があった
だろうか。
「うん。覚えてる。」
「はは、そうか。会えてうれしいよ。今日はこの子に誘われて遊びに来たんだ。
ほら、うちの自慢のサンドイッチも持ってきたぞ。」
私は少年少女を誘い昼食をとることにした。
家を出てシートを敷きその場にサンドイッチを詰めたバスケットを開く。
目を輝かせたのは少女だった。反面少年は年に似合わず黙ってサンドイッチに
手をつける。
「わあー!見て!海のお魚だよー!はい、おにいちゃんあ〜んして?」
「いいよ。もうこっち食べてるし。」
「あ!それ私が目をつけてたエビのサンドイッチ!ずるい!」
「知らないよそんなの。ほら半分あげるから。」
エミール少年が半分ほどちぎってアークインプに渡す。
嬉しそうにそれを受け取ると食べかけのサーモンのサンドイッチをよそにむし
ゃむしゃと食べ始める。
やれやれ、無邪気なものだ。
自分がどれだけ恐る恐るここに来たのか知らずに二人は笑顔を浮かべている。
いや、不安がないに越したことはないが。
「ところでおにいちゃん。これからどうする?」
「さっきの続きをしないと。」
「ええー?遊ぼうよー。おもてなししないとおじさんが可哀想だよ?」
「そういうわけにもいかないよ。だって僕には時間がないんだもの。」
エミール少年は一言「ごちそうさまです」と言ったあとすぐに席を立ち再び
森の奥へと進もうとする。
「まってくれ。」
しかし私はそれを制止した。
確かにさっき私はエミールの遺体と思わしき白骨を見た。
だがそれにしたって少年への疑念が晴れたわけではない。
「何?」
「君は…エミール・グロリアズなのかい?」
「…どうして僕の名前を知っているの?おじさん何者?」
「私は…こう言ってはなんだが君と出会っているような気がして…いや
昔と言うのはパン屋であった時ではなく…!」
「はあ。その様子だと小屋の中を見たんだね。」
私が何を言いたいのか察してエミール少年は答えた。
エミール少年は再び振りかえると森の奥を指さし、再び歩き始める。
私もアークインプも彼の後についていった。
ザクザクと落ち葉を砕きながら進んだと思えば徐々にうっそうとした木々が多くなり
そのうち空を緑で遮る。
大分奥まで来たのを明かりの加減で実感したころ私は現場に出会った。
「これは…エミールのっ…!!」
「そう。おじさんの知っているエミールグロリアスだよ。その頃はお爺さんだ
ったと思うけどね。ちなみにもう気付いているとは思うけれど彼女は僕が呼
び出したインプだ。」
「うーんそうなんだよねー。おじいちゃん大変だったんだよねー。だって丸焦
げ状態だったんだもん。元に戻すの大変だったんだよ?」
魔物だ。
そこにいたのは魔物だった。
アークインプではなく、森に居を構える魔物たち。
アルラウネを始めとする彼女たちだ。
それだけならまだいい。
彼女たちが一人の赤ん坊をあやしていたのだ。
あるものは変な顔をしたり、おもちゃであやしたり、乳を与えたり。
だが抱えている赤ん坊は男の子だった。
魔物は自己繁殖のために新たな魔物、つまり、女性を生む種族だ。
男を産むとは到底考えにくい。
しかしその赤ん坊をくるんでいた布には心当たりがあった。
それは紛れもなく魔術師エミールが着ていた儀式用のローブだったのだ。
「おじさん説明がいる?今ならまだ後戻りできるけど。」
「…いや、胆は決まっている。話してくれ。」
私がローブに目配せをしていたのに気を使って話しかけてくれた。
即答が意外だったのか少し驚く顔をする。
そしてすぐにニヤリと笑うその姿はかつての偏屈魔道士を彷彿とさせる。
間違いない。あの時炎の中で没したその男。
私に背を向け大仰に両手を振り上げ彼は私に雄弁に語り始めた。
「そうだね、結論から言うと僕はエミール・グロリアズだ。だが本人ではない。」
「どういうことだ?」
「そうだな。あれは最後に君と出会った日のことだ。君が炎にまぎれて脱出し
たその時だよ。彼女と出会ったのは。」
彼女。アークインプだろう。
そこは合点が行った。
憶測の範囲内だ。
「もう。呼ばれた時ちょー焦ったんだから!いきなり家は燃えてるしおじいち
ゃんに火が燃え移ってるし、笑顔のまま火だるまになって満足そうな顔して
死のうとしてたんだから。さしものアークインプちゃんもてんやわんやの大
混乱だったよ!」
「そう、で、結局僕は燃え尽きて死んでしまったんだ。一度ね。」
「それではい生き返りましたって言われて信じろっていうのか?」
「少し違う。大体この姿はどう見ても老人じゃないだろう?」
「なるほど、だから本人ではないと。だがしゃべり方といいふてぶてしい態度
といいまるで本人と変わらないな。」
「ふむ。言うじゃないか。まあ実際その通りだけどね。」
皮肉を言ったら自嘲気味に笑った。
体といろいろ不釣り合いなように見えて、その実大人びた発言を好む少年のよ
うにも見える。
こうして見るとエミールは意外と子供のまま大人になった哀れな男のような気
がしてならないようにも思えた。
「そこで僕は彼女に体を直してもらったのさ。時間の秘術、魂魄の秘術を使っ
てね。」
「時間…魂魄…完全に禁術の領域じゃないか。」
「僕は魔術のスペシャリストだと言わなかったか?」
「私がたまたま時間をもどす魔法陣と幽体操作の魔法を知っていたおかげでし
ょ!」
「おい、使い魔の方がハイスペックだぞ。」
「使い魔の成果は召還士の成果だ。そんなこともわからんのか。」
そこは偏屈爺のままなんだな。
使い魔に言いなおされ若干ふてくされる。
「そもそもこの術は未完成でね。時間逆行は成功することには成功したんだが
…どうにも歯止めが効かなくてね。焼け死んだ体を元に戻すどころか体は若
返り、ひいては肉体的な幼児退行を引き起こした。」
「それがあの赤ちゃん。本物のエミールおじいちゃんなんだよ。」
「そして僕はそのエミールの複製体さ。」
「複製…ホムンクルスか。」
「君もずいぶんと詳しくなったね。勉強した?」
「お前がおしゃべりでなければ知りたくもなかったさ。ん?まてよ。じゃあ
あの白骨死体はなんだったんだ。」
「あれは複製体の失敗作。大人びた体を作るにはこの森だと少々部品が足りな
くてね。」
「エミールおじいちゃん…あんまりこの人に迷惑かけちゃだめだよ。数少ない
やさしいひとなんだから。めっ!」
アークインプに叱られエミールは狼狽する。
赤面しながら面食らうエミールは恥ずかしさを殺すように指先でアークインプ
の額を小突き返した。
初恋の相手と再開、しかも結ばれているのだからこうもなるのか。
少々うらやましい気もするが…
やれやれ、どっちが使い魔なんだか。
察するにどうやら本気でこの子にエミールは恋い焦がれているようだ。
初恋が実るとロクなことはないというが。
エミールが咳ばらいをし、場を整える。
「まあそこまで話を聞いたわけだ。君にも協力してもらうとするよ。」
「いや、無理だ。お前は金を払わない。さらに俺には子供がいるから危ない橋は
渡りたくない。」
「まあこんな状況だ。謝礼は出せないし危険にもさらす。君の言うとおりだ。」
「ほう?一度死んで物分かりがよくなったか?わかったなら俺は帰る。じゃあお
二人ともお幸せに。」
「ふふ。まあそれもいい。用があれば彼女を向かわせるよ。」
「お前何も話聞いてなかっただろ…」
「君は私と仲良くしてくれる数少ない友人だからね。」
「あーそいつはどうも。うちは商店だから買い物程度に済ませてくれ。」
「おじさん!今度会う時に私とおじいちゃんの子供の名前考えといてねー!」
「…それはまた気の早いことで。」
元気よく爆弾発言をするアークインプが元気よく手を振り私を見送った。
そうか、彼女は魔物だから余り外見も体裁も気にしないのか。
エミールも魔物を呼ぶくらいだから…まあお似合いといえばお似合いか。
私は思いのほかエミールに止められることもなくこの森を後にした。
普通だったら身の危険を感じているのだからそれなりに必死になって止める
のがそれなりだと思う。彼にしてみれば命にかかわることは明らかだ。
しかし、どういうわけかその依頼をあっさりと振り切った私には、何故か後ろ
めたさは感じなかった。
もともといなくなってしかるべき人間だったからだろうか。
あるいは時の流れからだろうか。5年も前だとあまり実感がわかないのが本心だ。
自分が非常な人間かと言うとそういうわけではないつもりだが、彼ならなんと
かなるだろうという謎の確信があったのかもしれない。
木々は日差しを遮る。
風通しは悪い。
私は、元来た道を後に、森を出た。
この話はもう少しだけ続く。
17/07/30 20:28更新 / にもの
戻る
次へ