神鳥の懐で
夜の砂漠に月が出ていた。青白い月は、一面の砂の世界を冷ややかに照らしている。昼の酷熱の砂漠と対照的に、夜の砂漠は冷たい。
青白く光る砂の上に、黒いものが転がっている。襤褸切れの様な服を纏った男だ。左頬には傷が有り、流れ出す血が砂に染み込んでいる。時折動く事から生きている事は確かだが、この砂漠に横たわっていれば遠からず死ぬだろう。
砂丘の影から一つの影が現れた。影はゆっくりと倒れた男に近づき、男の前でしゃがみこむ。影は、じっと男を見つめていた。
バラーンタカは、火の爆ぜる音で目を覚ました。バラーンタカは跳ね上がろうとするが、上手く力が入らない。仕方なく首だけを左右に動かして様子を知ろうとする。バラーンタカは、自分は寝台に横たわり、寝台の右側にある竈の火が爆ぜているのだと知った。砂漠で倒れたはずの自分が、何故家の中にいるのか訝しんだ。
「目が覚めたか。あまり体を動かさない方が良い、休んでいろ」
男の声が右斜め後ろから聞こえた。首だけ動かして声の方を見ると、紫の糸で刺繍された白い服を着た若い男が立っている。服の意匠から神官だと分かる。とたんに嫌悪と憎悪が男の中に湧きあがる。跳ね上がろうとしたが、力が入らずに寝台に倒れ込む。
「お前に危害を加えるつもりは無い。興奮せずに休んでいろ」
神官は宥める様にゆっくりと言うと、寝台から離れた。
バラーンタカは、眼をぎらつかせながら離れて行く神官を見つめていた。
バラーンタカは、オアシスにある村に保護されていた。バラーンタカが倒れていた所から一刻ほどの所にある。砂漠に生える草を採集しに来た神官に発見され、保護されたのだ。
バラーンタカは、何故このように寝台に寝かされているのか不審に思う。バラーンタカの風体を見ればまともな者では無いと分かるだろう。看病の際に体を調べれば、奴隷の焼印が見つかるはずだ。最高位の階級に属する神官が、逃亡奴隷である自分を助けるはずが無い。
神官はヴァーシシカと名乗り、自分は愛の女神に仕える神官だと言った。このオアシスの村の祭祀を司る者だそうだ。愛の女神に仕える者は、砂漠で倒れた者には手を差し伸べるのだそうだ。
バラーンタカは、無表情を保ちながら内心笑う。この国で最高位である神官が、奴隷である自分をそれだけで助けるはずはない。「愛の女神」に仕えていると言うが、奴隷には愛など関係ない。裏があると考えない者は低能だ。
無表情の影で、バラーンタカは不信と憎悪の念を煮えたぎらせる。虐げられ続けて来たバラーンタカは、上の階級の者を憎んでいる。全身を切り刻んでも飽き足らない。だが、今は慎重にふるまわなくてはならない。体の調子は回復していない上に、懐に入れた小刀は取り上げられている。第一、ここはオアシスであり逃げ場はない。
バラーンタカは、感情を隠しながら様子を探り続けた。
バラーンタカの読みは、保護されてから十日目に当たった。ヴァーシシカは、バラーンタカに要求してきた。北西にあるオアシスの中にある神殿に行き、神鳥ガンダルヴァに書簡と聖具を届けて欲しいと要求してきたのだ。その任を果たせば金貨を渡し、逃亡する手助けをしてやろうと言うのだ。
バラーンタカは、内心要求に応える気は無かった。神官が奴隷相手に約束を守るはずが無い。だが、断れば逃亡奴隷として役人に突き出される。機会を見て逃げ出すしかない。
バラーンタカは、愛の神官の涼しげな顔を石で打ち砕く妄想をしながら自分の気を沈め、要求に応えると約束した。
激しい日が照り付ける中、バラーンタカは布を張った影に隠れていた。日中の砂漠を歩く事は、自殺行為でしかない。夕方から夜にかけて歩く。それまでは影の中で身を潜めていなければならない。
バラーンタカは鼻を蠢かせて臭いを嗅ぐが、自分ともう一人の男の臭いしかしない。砂漠は無臭の世界だ。嗅ぐ事が出来るものは、自分と周りの人間の体臭くらいだ。そんなものを嗅ぎたくは無かったが、無臭が続くと不安になってくる。
もう一人の男は、神官の下で使い走りをしている男だ。今回の使いに同行している。男は最低限の口しかきかず、表情もほとんど出さない。
バラーンタカは、自分が使いに選ばれた理由が分からない。使いを出したければ、他の者はいるはずだ。行き倒れの逃亡奴隷に、書簡と聖具を神鳥に届けさせるはずが無い。裏があると考える事は当然だ。
考えられる事は、自分達は囮だという事だ。おそらく書簡や聖具を狙っている者達がいるのだろう。偽物を自分に運ばせ、本物は別の者に運ばせる。自分が襲われてくれれば、あの神官にとっては都合が良いのだろう。
バラーンタカは歯ぎしりをする。逃げ出したくとも逃げ出せない。水と食料は、もう一人の男が持っているのだ。地図ももう一人の男が持っている。おまけに、もう一人の男は剣を持っているが、バラーンタカは小刀一つ持っていない。襲撃を受けたらそれまでだ。
糞が!何が愛の女神の神官だ!バラーンタカは、言葉に出さずに吐き捨てる。逃亡最中に付けられた右頬の傷が痛みだす。バラーンタカは、歯ぎしりすら出来なくなった。
中継地点のオアシスまでは無事に着いた。依頼者の神官がいたオアシスと同じくらいの大きさのオアシスであり、このオアシスにも村が有る。このオアシスには愛の女神の神官がおり、彼から神殿への地図と入殿の許可書を貰わなくてはならない。
バラーンタカと同行の男は、水を飲み、体を洗った後に神官の家へと向かう。同行の男が話を付けてくれたおかげで、難なく水を手にする事が出来たのだ。神官の家は質素だが、それでも他の村人の家よりは立派だ。
バラーンタカは、依頼者である神官から渡された紹介状を渡す。長身で立派な体格をした神官の男は、バラーンタカを刺すような眼差しで観察する。神官は、家の傍らにかけている棍棒を手に取り、バラーンタカに突き付ける。
「失せろ。何処の浮浪者か知らぬが、神鳥に合わせるつもりは無い」
バラーンタカは、怒気を顔に出して吠える。
「紹介状があるだろ!ふざけているのか?」
神官は、何も言わずに殴りかかってきた。バラーンタカは転がって避け、石を拾って投げつける。石が当たった神官がふらついている隙に、バラーンタカは木の棒を拾って身構える。神官も体勢を立て直し、二人は棒を構えあってにらみ合う。
バラーンタカに同行してきた男は、何故か何も言わずに傍らで眺めていた。バラーンタカは何もしない男を睨み、忌々しげに舌打ちをする。
バラーンタカは先手を打って殴りかかり、神官を防戦に追い込む。隙を見て足元の砂と石を神官に向けて蹴りあげて、神官の注意を引く。突きを繰り出して神官の体勢を崩すと、そのまま神官を叩きのめす。
体格は神官の方が上であり、加えてバラーンタカは疲れている。だが、修羅場を潜り抜けているバラーンタカの方が経験は上だ。型としては滅茶苦茶だが、実戦慣れした攻撃を繰り出す事が出来る。
倒れ伏した神官を、バラーンタカは叩きのめそうとする。その時、バラーンタカは銀色の光が目に入った。後ろに跳び退るバラーンタカに、今まで眺めていた男が剣を抜いて突付けてくる。
バラーンタカと同行の男は、棒と剣を突付け合いながら睨み合った。
睨み合うバラーンタカ達の傍らで、神官が呻き声を上げながら立ち上がった。神官は、痛みに顔を顰めながらバラーンタカを見つめる。
「殴りかかって悪かったな。お前に戦う事が出来るか試したかったのだ。この先に危険が有るのでな」
神官は、自分の体をさすりながら話し続ける。
「お前は危険に対処できるようだ。神殿までの地図と入殿許可書を渡そう。ただ、その前にやってもらいたい事が有る」
バラーンタカは、神官の言葉に凶悪なほど顔を歪める。
「お前は笛を持っているだろう。吹いてくれないか?」
バラーンタカは、顔を赤黒く染めた。笛を持っている事は神官には話していない。おそらく紹介状に書いてあるのだろう。勝手に自分の笛の事を書かれた事も腹が立つが、殴りかかって来た者に吹く事を要求される事は耐え難い。
だが、目の前にいる同行者の男は、剣を突付けて無言のまま笛を吹く事を要求してくる。棒と剣ではどちらが勝つか明らかだ。
バラーンタカは、舌打ちをしながら木製の横笛を取り出す。何も言わずに笛に口を付け、ゆっくりと吹き始める。冷たい音色がオアシスに広がり始めた。バラーンタカは険しい顔つきをした男であり、穏やかな雰囲気は無い。その表情が表わす通り、笛の音色は冷たく冴えわたっている。
バラーンタカは、笛を吹く事だけが楽しみだ。奴隷である為に楽しみを得る事が出来なかったバラーンタカは、ある奴隷からもらった笛を吹く事だけが生きる支えだ。過酷な労働の合間に、人に隠れて我流で笛を吹いて来た。バラーンタカは、劣悪な生活の中で罪を重ねて来た。もし笛を吹く事が出来なければ、バラーンタカは完全な鬼畜に堕ちていたかもしれない。
バラーンタカの笛の音色は冷たく突き刺さるものでありながら、どこか哀切なものが有る。神官と同行の男は、無言のまま笛の音を聞き続けていた。笛の音が止まった時、二人は夢から覚めたような顔をしていた。
「良い演奏だ。神鳥も喜ぶだろう」
神官は頷きながら言う。バラーンタカは、不機嫌そうに顔を背ける。吹きたくも無いのに吹く事を強要されたのだ。だが、それでもいい加減な吹き方をする事は、バラーンタカには出来ない。
神鳥に会う許可をもらった男は、嫌悪に顔を歪め続けていた。
夕日が照らす砂漠を歩きながら、バラーンタカは神官に言われた事を思い返していた。バラーンタカが予測したとおりに、愛の女神を狙う者がいたのだ。砂漠の東側にある街に勢力を持つ貴族が、砂漠一帯の愛の女神にまつわる利権を手に入れようとしているのだ。その為に聖具の数々を奪おうとしている上に、神鳥と神殿を支配下に置こうとしていた。
現在、愛の女神の神官達と貴族は抗争をしており、神官側としては人手が足りないのだ。それでバラーンタカに聖具を運ばせている訳だ。
もっとも、バラーンタカは神官の話を鵜呑みにしていない。人手不足である事は確かだろうが、所詮バラーンタカは囮に過ぎないだろう。自分が運んでいる聖具が本物だとは思っていない。
おまけに神官はこう言っていた。神鳥ガンダルヴァは、音楽を奏でる事を任務とする。笛を吹くバラーンタカは、ガンダルヴァに気にいられるだろうと。
バラーンタカは、笑いを堪えるのに苦労する。囮にしている事を誤魔化すために、そんな下らない詐話までするのかと笑いたくて仕方がない。
バラーンタカは、陰鬱な表情で赤く染まった砂漠を見渡していた。
神鳥の居る神殿のあるオアシスは、今までのオアシスよりも広い。豊かな水を湛えて緑に恵まれている。既に夜だが、水と緑の匂いがバラーンタカの鼻を覆う。乾いた世界を歩き続けて来たバラーンタカには、楽園のように思える。
だが、楽園にはすでに不穏なものが混ざっていた。武器を手にした男達が闊歩していており、そこかしこに怒号と悲鳴が上がり、鉄の武器が奏でる音が響く。
バラーンタカは剣を抜いた。剣は、中継地のオアシスで神官にもらったものだ。バラーンタカは奴隷時代に戦争に駆り出された事が有り、少しだけ剣を扱う事が出来る。身を屈めて体を隠しながら、前進していく。同行の男も剣を抜いて進んでいる。
二人の男がバラーンタカ達の前に躍り出た。神官達と戦っていた男達だ。同行の男は何も言わずに切りかかる。バラーンタカもそれに倣う。
剣がぶつかり合い、闇の中に金属音が響き渡る。バラーンタカは石を投げ、砂を蹴り上げながら剣で突く。敵が突っ込んでくるのを、木の枝をしならせてぶつける。動きの読めない支離滅裂な攻撃の為、敵は戸惑った様子を見せる。
だが、相手はきちんと戦闘訓練を受けた者達だ。実戦経験もあるらしく、バラーンタカの攻撃を受け流すようになる。バラーンタカはすぐに余裕が無くなり、体勢を崩す。敵はすかさず剣で突きを入れる。剣が右足を掠めて、バラーンタカは地面に倒れる。敵は剣を振り上げ、バラーンタカを切り殺そうとする。
その時、楽の音がオアシスに響き渡った。弦を引く音がゆっくりと宥めるような調子で流れる。激しい殺し合いをしているはずなのに、楽の音は体の中に染み渡ってくる。無視をして殺し合いを続けようとしても、楽の音は体と心を慰撫する。
バラーンタカを殺そうとしている男は、ぼんやりとした表情で動きを止めた。自分が何をしているのか分からないような、心ここにあらずの表情だ。
バラーンタカはこの隙に敵を殺そうとするが、バラーンタカの体はうまく動かない。殺す気力も湧いてこない。音楽を体から振り払おうとするが、音楽は確実にバラーンタカの中へと染み込み、広がってゆく。
目の前の敵は剣を持った手を下ろし、そのまま剣を手から落とした。バラーンタカも、剣を地に置く。オアシスからは怒号と悲鳴は消え、武器の打ち鳴らす音も消えていく。弦の奏でる音楽が、夜のオアシスに流れ続けた。
バラーンタカが夢見心地から浮かび上がると、目の前に一人の魔物が立っている事に気が付いた。月明かりでぼんやりとだが魔物の姿が見え、鳥の羽を持った女の姿をしている事が分かる。魔物娘からは香気が漂って来る。
これが神鳥ガンダルヴァか。バラーンタカは、心の中で呟きながら魔物娘を見上げる。バラーンタカに依頼した神官や中継地の神官から聞いた特徴を備えている。ガンダルヴァらしき魔物娘は、月の光を背に受けており表情は見えない。
「私の名はアマンガ。この神殿で愛の女神に仕えるガンダルヴァの一人よ。あなたは誰かしら?この神殿を襲って来た者達とは違うようだけど」
アマンガと名乗る魔物娘は、艶のある音楽的な声で尋ねてきた。
バラーンタカは自分の名を名乗り、自分の目的を話す。懐に入れていた入殿許可書と書簡、聖具をアマンガに渡す。共に来た男も側にいて、バラーンタカの言葉を補足する。
アマンガは、月明かりの下で金製の聖具を照らして見つめた。聖具を懐にしまうと、バラーンタカ達に微笑みかける。
「ご苦労様でした。神殿に案内するから、そこで休みなさい」
バラーンタカは、艶のある声と漂ってくる香気に気を取られながらぼんやりとうなずいた。
バラーンタカは、アマンガに神殿の中に案内された。神殿は石造りであり、所々が白い大理石で覆われている。神殿の至る所に彫像や彫刻が彫ってあり、その大半は様々な愛の姿を描いたものだ。神殿の中は無数の燭台で照らされており、官能的な彫像が陰から浮かび上がる。露骨な性描写もあり、バラーンタカは思わず目を見張る。
明かりに照らされて、アマンガの姿も露わとなった。肉感的で整った顔立ちをした若い女であり、良く動く瑠璃色の眼をしていた。赤みがかった茶色の髪は、金の髪留めに飾られている。豊かでありながら引き締まった肢体は褐色であり、健康的な魅力がある。体の大半をさらけ出した紫の薄物の服と、女の大事な部分を強調する金の装身具によって、女の官能的な肢体は引き立てられている。
これらの蠱惑的な人間の女の体に、鳥の体が付いていた。腕は、黄金色の羽で輝いている翼である。足には紫の毛が生えており、足指からは金の爪が出ている。尻からは鳥の尾が生えており、金色に輝いている。人間から見れば異形の姿だが、官能的な美女と黄金の鳥が合わさった美しい姿だ。
バラーンタカは、股間に力が入らないように気を付けていた。男女な交わりの姿を描いた彫像が神殿には溢れており、その神殿を艶やかな肢体を持った魔物娘が導いている。魔物娘から漂う香気は、バラーンタカの意思を嬲り、官能を煽りたてる。
女の肢体が、バラーンタカの心の中に満ち溢れてくる。女が動くたびに、バラーンタカの官能は愛撫され、女の中へと導かれて行く。バラーンタカは、自分が何をしに来たのか分からなくなりそうになる。
バラーンタカは、頭を強く振って官能を追い払おうとした。
バラーンタカは、アマンガに神殿の一室に案内された。大理石でできた彫像が部屋を覆っており、その彫像はいずれも性交を表現している。バラーンタカには想像した事さえない性技を現しており、果たして実行可能なのかと思える体位で交わっている物も数多くある。金の燭台は、これらの性の饗宴を怪しく照らし出していた。
アマンガは、金の盃に入った酒をバラーンタカに勧める。バラーンタカと共に来た男は、別室に案内されたようだ。部屋には、バラーンタカとアマンガしかいない。酒は葡萄酒だ。バラーンタカの国では、葡萄酒は階級が高くなければ飲む事が出来ず、低い階級の者は小麦や雑穀で出来た酒を飲んでいる。バラーンタカは、金の盃に入った葡萄酒を恐る恐る口に付ける。飲んでみたが、味は良く分からない。ただ、意識がますます朦朧としてくる。
アマンガは、バラーンタカから受け取った入殿許可書を確認し、書簡を読む。そして再び聖具を燭台の明かりで確認する。それを終えると、バラーンタカに微笑みかけた。
「あなたは大変な時に来たものね。愛の女神を自己の権益の為に利用しようとする者達がいるの。彼らに襲撃を受けている所だったのよ。騒ぎは収まったわ。彼らは、今はおとなしくしているわ」
バラーンタカは、戦いの最中に聞こえてきた楽の音を思い出した。あれほど気を立たせていた者達が、鈍牛のように大人しくなってしまった。あの楽の音は、神鳥達によるものだろうか?
「あなたに一つ頼みがあるの。あなたは懐に笛を持っているわね。私のヴィーナと合奏してくれないかしら」
バラーンタカは困惑した。懐に何か入っている事は分かるかもしれないが、何故笛だと分かったのだろうか?ヴァーシシカが、神鳥への書簡にわざわざ笛の事を書いたのだろうか?しかも何故、アマンガは素人の自分と合奏しようとするのだろうか?
「俺は誰からも笛の吹き方を習っていない。素人が勝手に吹いているだけだ」
バラーンタカはそっけなく言う。
「構わないわ。音楽は玄人だけのものでは無いわ」
そう言うと、アマンガはヴィーナを取り出す。ヴィーナは弦楽器であり、様々な種類の物が有る。アマンガが持ち出した物は、膝の上に持ち抱えながら演奏する種類の物だ。確か女神の名を冠したヴィーナだったと、バラーンタカは不確かな記憶を探る。アマンガのヴィーナは、質の良い木で出来ているらしく艶やかな光沢がある。弦は張りつめており、ヴィーナの所々が金で装飾されている。一目で高価な物だと分かる。バラーンタカの粗末な笛とは釣り合わない。
俺を馬鹿にしているのか?バラーンタカは、激しい怒りに駆り立てられる。粗末な笛でへたくそな吹き方をする俺を笑おうと言うのか?バラーンタカは、顔を赤黒く染める。いいだろう、俺は勝手に吹く。合奏したければ勝手にしろ。お前に合わせるつもりは無い。心の中で悪罵を吐き散らす。
バラーンタカは、合図も無しに笛を吹き始める。頭の中から他人を締め出し、一人の世界に入って笛を吹く。孤独な世界での孤独な演奏、それがバラーンタカにとっての音楽だ。他者は夾雑物に過ぎない。バラーンタカの世界に、冷たく突き刺すような笛の音が響き渡る。
バラーンタカの世界に、温かなヴィーナの音が響き始める。ゆっくりと宥める様に、冷たい笛の音を包み込む。笛の音は、ヴィーナの音を撥ね付けて一人進もうとする。だが、ヴィーナの音はめげる事無く包み込もうとする。敵意を込めて拒否する笛の音を、辛抱強く愛撫する。
幾度となく続けられる攻防の末、笛の音は根負けしたようにヴィーナの音と歩調を合わせ始めた。ヴィーナの温かな音色は、笛の冷たい音色と合わさり合奏を形作る。世界に笛とヴィーナの合奏が響き渡った。
バラーンタカは、奇妙な気分に襲われていた。いつもは演奏後の虚脱感に浸るのだが、今は空虚な感じはしない。ヴィーナの奏でた曲が埋めているような気がする。
「良い演奏だったわ。私は楽しむ事が出来た」
アマンガの微笑みに対して、バラーンタカは顔を背ける。アマンガは、バラーンタカに擦り寄り肩を撫でる。アマンガの香りが、バラーンタカを包む。
「あなたが何故、私の元へ遣わされて来たのか分かったわ」
アマンガは、バラーンタカを愛撫し続ける。バラーンタカの眼に、アマンガのむき出しの胸が見えた。褐色の肌は、薄っすらと汗を掻いており光っている。乳首は金の装身具で隠されているが、尖った卑猥な形状の装身具であり、却って官能を掻き立てる。バラーンタカはアマンガから目を逸らすが、アマンガの香りは纏わり続ける。香りを嗅ぐごとに、バラーンタカの腰に力が入るのだ。
アマンガはバラーンタカにしな垂れかかり、滑らかな頬を摺り寄せてきた。上目づかいに見上げると、自分の口をバラーンタカの口に重ねる。甘い味のする舌をバラーンタカの口の中に滑り込ませようとする。
この女は俺をからかっているのか?バラーンタカは体を強張らせる。いいだろう、お前とやってやる。俺は奴隷だ。俺の体の焼印を見ればわかるだろう。俺を嫌悪して叩きのめそうとするだろう。だが、もう遅い。お前を犯してやる。
バラーンタカは悪意を込めて笑い、アマンガを抱きしめた。
バラーンタカは、アマンガの胸に顔を埋めていた。濃密な香りがバラーンタカの鼻を、頭の中を満たす。バラーンタカは、執拗に滑らかな胸に顔をすり付け、舌を這わせる。胸の谷間の汗が甘露の様に思える。アマンガは、黄金色の羽の生えた翼でバラーンタカを愛撫していた。羽が肌をくすぐるたびに、バラーンタカの体に快楽が走る。
アマンガは、バラーンタカの服を脱がしながら顔を体に摺り寄せた。バラーンタカの臭いを嗅ぎながら、口付けて行く。バラーンタカの背がむき出しになり、奴隷である事を示す焼印が露わとなる。
バラーンタカは唇を歪めて笑った。この女は、これで俺を突き放すだろう。俺を嫌悪の眼で見るだろう。俺は、嫌悪で満ちた眼を、顔を見ながら犯してやるのだ。バラーンタカの顔に笑いが広がる。
アマンガはバラーンタカの背に顔をすり付け、焼印の痕に口付けた。バラーンタカは思わず震えるが、アマンガは口付けを繰り返す。そしてゆっくりと舌を這わせる。傷痕をいたわるように、丹念に舐め回す。
どういうつもりだ、こいつ?バラーンタカには、目の前の女が何故、奴隷である自分を嫌悪せずに愛おしげな態度を取るのか分からない。
「いい臭いがするわね。男の臭い…」
アマンガは、バラーンタカの体に顔をすり付けながら臭いを嗅ぎ続けた。首と肩に顔をすり付け、胸に頬刷りをし、腋に顔を付ける。顔をすり付けながらゆっくりと口付け、いたずらっぽく舌を這わせ、優しく甘噛みをする。アマンガは、腹に頬ずりをしながら顔を下腹部へと下ろしていく。
「ここの臭いも好きよ。男の臭いが一番濃いわ」
アマンガはバラーンタカの股間を露出させ、すでに猛り立っている物を愛おしげに頬ずりをした。先端から透明な液を溢れ出させている赤黒い肉棒に、官能的な褐色の顔を擦り付ける。上気した美貌が液で濡れていき、燭台の明かりを反射して輝く。
アマンガは顔を上げると、翼を使って胸を寄せた。そのままバラーンタカの肉棒を挟み込み、ゆっくりと褐色の肉で愛撫する。首と乳首を覆っていた金の装身具は、バラーンタカが顔をすり付けていた時に外れている。固くとがった赤い突起は、肉棒の先端から根元まで絶え間なく刺激する。液が留まる事無く溢れ続ける肉棒の先端を、紅を塗った唇で繰り返し口付ける。液で濡れてぬめり光る唇を、桃色の舌で見せ付ける様に舐め回す。
アマンガは顔を股間に埋めた。唇をくびれや裏筋に押し付け、舌を熱心に這わせる。鼻を液で濡れている先端に擦り付け、執拗に刺激する。胸も絶え間なく動かし、根元や陰嚢を愛撫し続ける。バラーンタカは、下半身を支配する悦楽だけでは無く、淫猥な光景によっても官能の爆発へと突き動かされていく。
バラーンタカは、こらえる事が出来ずに精を放出させた。白濁液が勢いよく噴出し、アマンガの褐色の顔を白く染めていく。アマンガは、精の放出を助けるかのように痙攣する肉棒に顔を擦り付け、舌を蠢かし、胸肉でしごき続ける。バラーンタカには信じられないほどの量の白濁液を、肉棒は放ち続けた。
バラーンタカは、快楽と衝撃で頭が上手く働かない。ぼんやりと宙を見ている。ゆっくりと意識が戻って来て、荒い息をつきながらアマンガを見る。
アマンガの顔は、重たげな白濁液で至る所が汚れていた。褐色の肉感的な美貌の上を、ゆっくりと白い液が流れて落ちていく。流れていく精液は、顔から垂れて胸に落ちていく。胸は肉棒を挟んだままであり、豊かな膨らみと先端の赤い突起、そして谷間は白く染まっている。辺りには、アマンガの濃密な香りとバラーンタカの精が放つ刺激臭が、混じり合って充満している。
「すごい臭いね…染み付いて取れなくなりそう…。あなたの臭いで狂いそう…」
アマンガは、陶然とした顔で鼻を蠢かす。汚液で顔を汚されたにもかかわらず、アマンガの顔は歓喜に染まっている。
アマンガは微笑みを浮かべ、再びバラーンタカの股間に顔を埋めた。バラーンタカの欲望を体現した肉棒に舌を這わせ、性欲の証である白濁液を舐め取っていく。先端はもちろんの事、くびれや裏筋、根元から陰嚢まで丁寧に舌を這わせる。再び先端に口を付けると、中に残っている精を水音と共に吸い上げる。バラーンタカは、腰の奥底から欲望の力が吸い上げられているような気がした。
「元気なのね、もう回復しているわ」
アマンガは、再びそそり立ち始めた肉棒に頬ずりをした。頬に付いた白濁液で、肉棒はまた汚れる。
「あら、また汚れてしまったわね」
アマンガは、笑いながら肉棒を舐める。
アマンガは身を起こし、下腹部を辛うじて隠していた紫の布と金で出来た服を脱ぐ。赤い陰毛で覆われた桃色の肉の割れ目が露わとなる。肉の割れ目からは蜜があふれており、濡れた陰毛は燭台の光により輝いていた。アマンガは、黄金色の翼で包み込みながらバラーンタカを抱きしめる。甘酸っぱい匂いを放つ肉の裂け目に、バラーンタカの肉棒を飲み込んでいく。
バラーンタカは、アマンガを抱き返して腰を激しく動かす。快楽を貪ろうと、肉棒を奥へと突き入れていく。アマンガは笑いながらバラーンタカを受け止め、蜜で濡れた渦を引き絞り翻弄する。柔らかい肉の渦に引きずり込まれ、肉棒は奥の堅い部分に突き当たった。刺激を求めてバラーンタカは繰り返し奥を突き、喘ぎながらもアマンガは余裕を持って受け止める。アマンガの顔や胸は精液で汚れ、その強い臭いはアマンガの香気と混ざり合う。その性臭は、バラーンタカの興奮を高める。
「ねえ、ここも舐めてみないかしら。あなたは胸と一緒にここも見ていたでしょう」
アマンガは、右の翼を上げて汗で濡れた腋を露わにする。バラーンタカは腋に顔を埋めて、犬のように舌を這わせた。アマンガの腋のくぼみは、人間の悪臭を放つ腋とは違い、濃密な官能の香りがする。腰に力が入り、精力が奥底から湧きあがってくる。アマンガは腰を動かしながら、左の翼でバラーンタカの背や腰を愛撫した。柔らかい羽毛がくすぐったいような快楽を与えてくる。バラーンタカの限界が近づいていく。
バラーンタカは、アマンガの中で弾けた。二度目とは思えぬほどの精液が、濡れた肉の壺の中へと放たれる。壺の奥にある子を孕む器官が打ち抜かれ、官能に酔いしれる神鳥は声を上げる。神鳥を犯す雄獣は、腰を叩き付けながら精を撃ち続ける。神鳥は、声を上げ続けながら震える。
神鳥と雄獣は、抱き合いながら震えていた。長く震えは続いたが、ゆっくりと収まっていく。雌と雄は、お互いに抱きしめ合い続ける。
バラーンタカは、顔を上げてアマンガを見た。アマンガの美貌は精液で汚れており、灯りを反射して光っている。アマンガは、微笑みを浮かべながらバラーンタカを見つめている。
「天にも昇る心地よ。あなたも悦楽を味わったでしょう。まだまだ出来るでしょう。悦楽を味わい尽しましょう」
貪欲な雌は、濡れた唇に笑みを浮かべながら囁いた。
バラーンタカとアマンガは、抱き合いながら横たわっていた。アマンガはバラーンタカの左腕を枕とし、左の翼でバラーンタカの体を抱いている。アマンガの体からは、交わりにより一層濃くなった香気が放たれ、バラーンタカを包む。羽の心地良さと共に、香気はバラーンタカを酔わせる。
バラーンタカは、何故この神鳥が自分と交わり合ったのか分からない。自分が奴隷である事は分かったはずだ。普通ならば交わろうなどとは考えないはずだ。バラーンタカが美貌ならば話は別だが、人並みの顔しか持っていない。
「これであなたには私の匂いが付いた。あなたの臭いは私に付いた。もう、お互いに取れないわよ」
アマンガは、そう言ってバラーンタカに微笑みかけた。お互いに所有し合っていると言いたいのか?神鳥と奴隷が?訳が分からない。バラーンタカは、アマンガの言う事やる事が理解できない。
俺は奴隷だ。生まれた時から奴隷であり、死ぬまで奴隷だ。それがこの国の法だ。バラーンタカは唇を噛みしめた。
バラーンタカは、奴隷の父と母から生まれた。バラーンタカの国では、奴隷の子は奴隷階級に入れられる。奴隷の子が子を作ったら、その子も奴隷となる。法と慣習、倫理がそう定めている。解放奴隷など、バラーンタカの国では存在しない。
バラーンタカは、物心ついた時は酷使されていた。鞭や棒で殴られながら、過酷な肉体労働をさせられた。家畜のように働かせると言う言葉は不適切である。家畜はある程度いたわりを受けるが、奴隷は欠片ほどもいたわりを受ける事は無い。死んでもおかしくは無い暴力と重労働を叩き付けられてきた。
母は、バラーンタカの五歳の時に死んだ。流行病が奴隷の間に蔓延した時に、他の奴隷と共に奴隷小屋に監禁されて焼き殺されたのだ。母が監禁された奴隷小屋が激しく燃える様を、バラーンタカは良く覚えている。
父は、バラーンタカの十一歳の時に死んだ。両耳に溶かした鉛を流し込まれて殺されたのだ。父は、命令に従い神官の居住区に荷物を運んだ。その時に、神官が唱える聖典の言葉を聞いてしまったのだ。奴隷が聖典の言葉を聞いた場合は、溶かした鉛を耳に注ぎ込む。法はそう定めている。
すでに棍棒で全身を殴られて半死半生の父の耳に、熱して溶かされた鉛が注ぎ込まれた。父の絶叫、鉛と焼けた肉の臭い、痙攣する父の姿、周りを取り囲む者達の楽しげな笑顔、これらの事をバラーンタカは良く覚えている。父は、刑罰の半月後に死んだ。
この国では珍しい事では無い。長年繰り返されてきた陳腐な事だ。今更、陳腐な惨劇を気に留める者などいない。
十七歳の時に、バラーンタカは人を殺して住んでいた村を逃げ出した。自分の人生に絶望したバラーンタカは、死を覚悟で人を殺したのだ。バラーンタカは、自分を虐待してきた村人の一人を嬲り殺しにした。酒に酔って夜に歩いている男の後ろに近づき、石で頭を繰り返し殴った。そしてそばに置いてある搾油器の所に引きずっていき、頭を放り込んですり潰したのだ。搾油器で頭を潰す感触、男の濁った悲鳴、搾油器からあふれ出す血と脳味噌の混ざった汚物。バラーンタカは今でも喜びと共に思い出す。
バラーンタカは村人の追跡を逃れるために、魔の森に入り込んだ。この森は夜になると悪鬼が出ると言う。闇の中を怯えながら逃げるバラーンタカに、影が立ちふさがり、悪意に満ちた言葉を叩き付けた。
「お前を助ける者はいない。お前には生涯救いは無い。お前が頼りにする事が出来るものは暴力だ」
闇の中を逃げ回るバラーンタカに、影は執拗に喚き立てた。
もしかしたら、夜の森で恐怖ゆえに味わった幻覚、幻聴かもしれない。だが、バラーンタカは、魔の森で言われた事は真実だと信じた。
それからバラーンタカは、暴力を頼りに罪人として生きて来た。闇に紛れて人を棍棒や石で殴り、金を奪う。時には小刀や剣を手に入れ、人を刺して奪う。脅したりはせずに、何も言わず後ろから殴り、刺す。バラーンタカは確認しなかったが、死んだ者もいるだろう。
バラーンタカは逃亡奴隷として、強盗として、殺人鬼として役人や庶民に追われ続けた。バラーンタカは、暴力と逃走を繰り返しながら生き延びて来た。逃走も限界を迎え、殺されそうになった挙句に砂漠へと追いやられた。神官に救われるのが少し遅かったら、死の世界へ旅立つ事となっただろう。
バラーンタカとアマンガは、共に砂漠を歩いていた。バラーンタカと共に来た男と、神殿に仕えている男と同行している。バラーンタカを派遣した神官であるヴァーシシカの元へと戻り、その後に砂漠の東にある街へと行くのだ。神殿を襲撃した者達を調べた所、東の街で勢力を持つ貴族と関わりがある証拠を得られたのだ。貴族は証拠を持たせない様にした様だが、雇われた者はいざとなったら貴族に金をせびるつもりで証拠を持ち歩いていた。この証拠を基に、貴族の罪状を暴くのだ。
愛の女神にまつわる利権は色々あるが、貴族が狙っているのは神鳥ガンダルヴァの香気からとれる香水だ。ガンダルヴァの香水は、処女を想い人へと導く力が有る。その為に重宝されている。貴族は配下の商人達に販売経路を独占させ、香水の値を釣り上げて暴利を貪ろうとしているのだ。愛の女神の神官たちはそれに反発したために、貴族から襲撃を受けているのだ。アマンガ達は、愛の女神の神殿にある聖具を持ってきている。それをかざして、愛の女神の神殿が独立している事を砂漠の東の街で宣言するつもりだ。
バラーンタカは内心嗤っていた。愛など、階級と金次第だ。恵まれた階級の者が、金にものを言わせて香水を買う。そこに当然、利権が出来る。愛などと言っていられる者は、王や貴族に神官、後は金持ちの庶民だけだ。奴隷には愛など関係ない。
「処女を想い人へと導く香水」とやらも嗤うしかない。処女を大事に出来る者は、階級や金が有る者だ。庶民の中でも貧しい女は、体を売らなくてはいけない。奴隷女にとっては、凌辱は日常的な事だ。処女など糞の役にも立たない。
アマンガは、バラーンタカに身を寄せながら歩いていた。バラーンタカの足は、敵の剣により怪我をしている。アマンガの手当てにより既に歩く事には差し支えは無いが、アマンガはバラーンタカを支える様にしている。あたかも恋人気取りだ。こいつは何を考えている?俺みたいな罪を犯した奴隷と結ばれて、幸せになれるとでも思っているのか?バラーンタカは、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
前触れも無く、砂丘の影からいくつもの人影が飛び出して来た。無言のまま剣を振りかざして襲い掛かってくる。バラーンタカ達は剣を抜くが、不意を突かれた為にうまく迎え撃つ事が出来ない。剣戟の音が響く中、バラーンタカ達は押されて行く。
アマンガは、ヴィーナを取り出して弾き始めた。神殿を襲撃した者達の戦意を奪った曲だ。穏やかに慰撫する音楽が奏でられる。だが、襲撃者達は気に止めずに剣を振るって来る。良く見ると、襲撃者達は、耳に蝋の栓を詰めている。
血が飛び散り、男が一人倒れた。バラーンタカと共に神殿へと行った男が、左肩から右腹まで切り裂かれた。砂をおびただしい鮮血が染める。バラーンタカの左頬を剣が霞める。血が飛び散り、バラーンタカの眼に入る。バラーンタカは、剣を振り回しながら逃げ出す。
バラーンタカは、砂漠の中を走り続けた。砂につまずき、砂の中に倒れ込む。口の中に砂が入り、唾を吐き散らしながら喚き散らす。後ろを振り向くが、追手はいない。
バラーンタカは頭を抱える。俺は砂漠で一人なのか。バラーンタカは、そのまま砂の上に倒れ込んだ。
バラーンタカは、砂漠を歩き続けていた。食料と水は有り、地図も持っている。星を頼りに方角は分かるから、地図さえあれば神官の元へと行ける。他の者がどうなったかは分からない。神官の所から同行して来た男は死んだが、アマンガと神殿から来た者の生死は分からない。
バラーンタカの心は重い。アマンガが死ぬ事は不愉快な事だ。訳の分からない女だが、嫌いではなかった。アマンガとかわした情交の悦楽はまだ覚えている。アマンガの体の香気は、まだ自分の体に残っている様な気がする。
重い足を運ぶバラーンタカの耳に、男の声が聞こえた。バラーンタカは剣を抜き、身構える。
「私です、敵ではありません」
男は両手を上げる。神殿から来た男だ。
バラーンタカは、男から話を聞く。アマンガがどうなったのかは分からないそうだ。襲撃者達は、何故か襲撃を切り上げて引き上げていったそうだ。
バラーンタカは、砂の上で考える。奴らの目的はアマンガだったのか?奴らは、アマンガを殺すなり捕えるなりして目的を達したのか?では、俺はこれからどうする?最早、ヴァーシシカの元に帰る必要はあるのか?このまま何処かへずらかるか?
アマンガの顔と肢体が思い浮かぶ。振り払おうとするが消えない。アマンガの香りがしつこくよみがえる。俺は馬鹿だな、女にたぶらかされるとは。
バラーンタカは、砂の上を歩き始めた。
バラーンタカと神殿の男は、砂漠の東にある街へと入った。ヴァーシシカの元へ戻ったのだが、ヴァーシシカは東の街へと旅立ったそうだ。緊急事態が起こった為に、バラーンタカ達を待つ事が出来なくなったそうだ。オアシスの者は、緊急事態が具体的に何なのか分かっていないようだ。だが、バラーンタカにはある程度予測できる。利権を手に入れようとしている貴族が動いたのだろう。
街に入って情報収集する事で、バラーンタカの推測が当たっている事が分かった。貴族は、愛の女神の神殿を保護下に置いた事を宣言し、神鳥の香水を販売する経路の関係者達に、自分の支配下に入る事を要求したのだ。その際に、神殿に奉納されている聖具をかざしたそうだ。どうやらその聖具は、アマンガが持っていた聖具らしい。
アマンガは殺されたのか?バラーンタカは歯を噛みしめる。いいだろう、だったら復讐だ。どうせ俺の下らない命など、復讐に使って構わない。それに憎しみは俺の友だ。憎しみで動く事は慣れている。バラーンタカは唇を歪めて笑う。
神殿から来た男の名はタクトと言う。バラーンタカは、タクトの名を記憶に刻む。ヴァーシシカの所から一緒に来て、砂漠で死んだ男の名は分からないままだ。バラーンタカは、名前を聞けば良かったと後悔している。
バラーンタカはタクトと共に、ヴァーシシカと貴族が対峙している商人の館へ向った。
バラーンタカは、事の成り行に苦笑していた。今、彼の敵が笛の演奏を終えた所だ。今度はバラーンタカが笛を吹かなくてはならない。この笛の演奏合戦が、神殿と貴族の戦いの帰趨を決めるのだ。苦笑するしかない。
商人の館には、ヴァーシシカと貴族の他に、王都から来た監察官がいた。この監察官が、利権が誰にあるかを決めるのだ。
ヴァーシシカは、貴族の不正と愛の神殿の被害を監察官に訴え、その証拠を提出した。証拠の一部は、バラーンタカが持ってきた物だ。一方、貴族は愛の神殿は自分の保護下にあるべきだと訴え、聖具と神殿の協力者の証言を出した。その聖具は、アマンガが持っていた物だ。
バラーンタカは、貴族に付き従っている愛の神殿の協力者の顔を見て、目を見開く。バラーンタカを砂漠で襲撃した者達の一人だ。その事を、ヴァーシシカを通して監察官に訴える。だが、貴族は微笑みを浮かべながら言い返す。愛の神殿を自己の権益の為に利用する者達とこの者は闘った。この者は、れっきとした愛の女神に仕える神官だ。神殿にも腐敗者はおり、やむを得ずに戦わなくてはならなかったのだ、と。
ヴァーシシカと貴族の論戦は激しさを増すばかりだ。そこへ監察官が割って入る。愛の女神に仕える神鳥ガンダルヴァは、音楽を司る。この戦いは音楽で決めよ。愛の神殿で剣を交えた二人を、今度は音楽で戦わせよ、と命じたのだ。
監察官の命では逆らう事は出来ない。まずは、貴族側の神官が笛を吹いた。バラーンタカは、唇を噛みしめる。自分とは段違いの技術を持っている。負けは決まった。ヴァーシシカを見ると、落胆の表情を露わにしている。
バラーンタカは、誰もいなければ声を上げて笑い出しただろう。どうする事も出来ない敗北の前では、笑うしかない。だが、監察官達の前では出来ずに、声を殺して笑い続けた。
バラーンタカは笛に意識を集中し、自分と笛以外のものを締め出す。自分だけの世界に入り込み、笛を吹き始める。
所詮俺の音楽は自分だけのもの、俺の世界でだけ通用する音楽だ。それで良い。他人に聞かせるためのものでは無いし、他人の音楽も俺にとっては意味が無い。俺一人の世界で、俺の為に吹くものだ。
冷ややかな笛の音が鳴り響く。バラーンタカには、商人の館も監察官達も目には入らない。世界に一人で立ち、一人笛を吹き続けている。人間とは醜悪な存在であり、他者を責め苛む存在だ。自分以外誰もいない世界こそが、バラーンタカの望む世界だ。誰もいない世界で笛を吹き続ける事、それがバラーンタカにとっての救いだ。
世界に一つの存在が入り込んだ。ヴィーナの奏でる曲が響き渡る。温かく包み込むようにバラーンタカの笛の音に合わさってくる。宥める様に笛の音と共に進み、笛の音と共に踊ろうとする。笛の音は拒否しようともがくが、ヴィーナの音は辛抱強く笛を誘う。やがて誘われるままに、笛の音はヴィーナと共に踊る。
世界に笛とヴィーナの合奏が響き渡った。
演奏を終えて意識を戻すと、人々の顔が見えた。その顔はいずれも無表情だ。
バラーンタカは笑いをこらえる。自分が負けた事は明らかだ。勝負はついた。わざわざ聞くまでも無い。バラーンタカは、人々から顔を背ける。
ふと、自分が演奏している最中に、ヴィーナの奏でる曲が聞こえた気がした事を思い出す。バラーンタカは内心苦笑する。幻聴に過ぎない。ヴィーナを奏でる者はこの場にはいない。アマンガはいないのだ。
無表情を保っていた監察官は、口を開き始める。
「技術は神官の方が上だ。それに異存の有る者はこの場にはいない」
監察官の冷然とした口調に、バラーンタカは唇を噛みしめる。貴族とその配下である神官の顔に冷笑が浮かんでいる。
「だがガンダルヴァは、演奏の仕方に独特の好みが有る。この者は、ガンダルヴァが好む笛の吹き方をした。私は、ガンダルヴァ好みの演奏を王都で聞いているから分かる」
室内にざわめきが広がる。貴族達の顔から笑みが消える。
「その上、この男の笛の吹き方は、ガンダルヴァと合奏した事のある者独特の吹き方だ。愛の女神に捧げるのにふさわしい音楽を、どちらが奏したかは明らかだ」
ヴァーシシカの顔に笑みが広がる。バラーンタカは、状況の流れに付いて行けずにぼんやりとした顔をしている。
「彼の笛の演奏は、確かに愛の女神に捧げるのにふさわしいものです。愛の女神に音楽で奉仕するガンダルヴァとして、その事を保証します。同時に、その貴族に従っている神官を、ガンダルヴァと愛の神殿を襲撃した背信者として告発します」
高らかに響く声に、バラーンタカ達は振り向く。部屋の入り口に、黄金色の翼を広げる神鳥が屹立していた。
アマンガは、襲撃者に囚われて聖具を奪われた。だが、襲撃者から逃れる事に成功し、この東の街へと飛んで来たのだ。裏切り者の神官と貴族を告発しようと機会を狙っていたところ、笛の戦いの事を嗅ぎつけて飛び込んだのだ。
勝負は決まり、話は次の段階に進んだ。神殿の裏切者である神官は逮捕され、現在は取り調べを受けている。白状させるまでも無く、証拠集めは順調に進んでいる。彼を雇った貴族は、彼を見捨てる事で保身を図ろうとした。貴族を逮捕するには証拠が少ないが、貴族は愛の神殿の利権からは排除された。この失敗により貴族の勢力は削がれ、衰退へと向かっている。
ただ、この勝利により愛の神殿の独立が保てるわけではない。より強力な勢力が介入しようとしているのだ。王は中央集権を進めており、地方勢力を倒そうとしている。監察官が愛の神殿側に付いた理由は、地方勢力を弱めて街を王の支配下に置く為である。王は、愛の神殿も自分の支配下に置こうとしていた。
愛の神殿側は、この先一層困難を強いられる。王や貴族、地方勢力の対立を利用し、独立を保つために立ち回らなくてはならないのだ。ヴァーシシカは、他の神官と共にすでに策略を巡らしている。
策略の駒となったバラーンタカは、法による裁きは逃れる事が出来た。だが、別の枷が付けられる事となった。バラーンタカには、紫色の紋章が付けられた。愛の女神の僕として人々に奉仕する事を義務付ける紋章だ。愛の女神が罪を償ったと見なすまでは、この紋章が取れる事は無い。バラーンタカは罪を重ねてきており、罪を償う事を要求されたのだ。アマンガがバラーンタカの監督をする事になった。
「あなたの罪はあなただけの責任ではない。でも、あなたにも責任は有る」
アマンガは、バラーンタカにそう言い放った。バラーンタカは唇を歪めながら笑い、顔を背けた。
バラーンタカは、愛の女神の囚人として人々に奉仕する生活をしていた。アマンガの監督の下、昼は人々に奉仕する為の労働に従事する。夕方になると、二人は笛とヴィーナの合奏をする。女神と人への奉仕の一つだ。
一人で笛を吹いていても、バラーンタカの耳にはアマンガのヴィーナの音が聞こえる。裏切り者の神官と笛を競った時に起こった現象と同じだ。ガンダルヴァと合奏した者に、時折起こる現象らしい。既に孤独な世界で笛を吹く事は、バラーンタカには出来無くなっている。
夜になると、二人は性の交わりを行う。バラーンタカは、アマンガのものとなっている。アマンガは、自分の香りをバラーンタカに染み付け続けている。既にバラーンタカからは、アマンガの香りは取れなくなっている。バラーンタカを嗅げば、ガンダルヴァのものだと分かるようになっているのだ。バラーンタカは、アマンガの香りを取り除く事が出来ない。それどころかアマンガの香りに酔いしれている。
アマンガも、バラーンタカの臭いを貪っている。顔を、鼻を体中に擦り付けて臭いを嗅ぐ。顔に、髪に、首筋に、胸に、腕に擦り付けて臭いを嗅ぐ。腋や股間にまで顔と鼻を擦り付けて臭いを貪る。そうしてアマンガは、自分にバラーンタカの臭いを染み込ませた。
アマンガは、愛の女神に仕える者として様々の性技を習得している。その性技をバラーンタカ相手に駆使した。口や胸で男根を愛する性技はもちろんの事、バラーンタカには経験した事も想像した事も無い性技を使った。肉感的な美貌を股間に摺り寄せ、たぎり立つ肉棒に頬ずりをし、顔じゅうを擦り付けて愛撫する。汗で濡れて香気を漂わせる腋に、わななく肉棒を擦り付けて挟み込み、腋と胸肉で愛撫しながら扱き上げる。バラーンタカの後ろに跪き、尻の穴に滑る舌を這わせ、滑らかな羽根で覆われた翼で肉棒と陰嚢を愛撫する。アマンガの繰り出してくる様々な性技により、バラーンタカは興奮と快楽の中に沈んでいった。
獣以上の欲望に支配されたバラーンタカは、アマンガの穴と言う穴に欲望の液をぶちまけ続けた。女陰はもちろんの事、口や尻の穴にも白濁した子種汁を注ぎ込み続ける。女陰や尻の穴に入れた男根を、口の中にねじり込む。アマンガは、嫌がる事も無く受け入れて奉仕をする。再びたぎり立った男根を、バラーンタカは精で溢れる穴へと埋め込んだ。
女陰に入れて交わるにしても、二人は様々な体勢で交わった。アマンガが下になる事も有れば、バラーンタカが下になる事もある。お互いに身を起こして抱き合いながら交わる事も有れば、バラーンタカがアマンガを抱えて歩き回りながら交わる事もある。立って背を向けるアマンガをバラーンタカが後ろから貫く事も有れば、這い蹲ったアマンガをバラーンタカが後ろから貫く事もある。横たわったアマンガの足を持ち上げて抱きしめながら、突き入れる事もあった。アマンガから体位を教わり、バラーンタカが実践したのだ。
バラーンタカとアマンガは、愛の女神に仕えながら愛の女神の教えを実践し続けた。
バラーンタカは、アマンガと抱き合いながら寝台に横たわっていた。部屋の中には濃厚な性臭が漂っている。アマンガは、酔いそうなほど濃い臭いを楽しそうに鼻で吸い込んでいる。バラーンタカも、共に臭いを楽しんでいた。
「お前は、俺が奴隷だと分かっているだろう。なぜ俺と体を交えるのだ?」
バラーンタカは唐突に呟く。奴隷である自分と神鳥が体を交える。本来ならばありえない事だ。何度アマンガと性の交歓を楽しんでも分からない事だ。
「奴隷や貴族と言った区分けは、人間だけのもの。私達魔物には関係の無い事よ。愛の女神も奴隷を差別していないわ」
アマンガは、軽く笑いながらバラーンタカを翼で愛撫する。
「それにあなた達は優れた者達よ。かつてこの国に最古の文明を築いたのは、あなた達の先祖よ。高貴な文明を築いたあなた達の先祖は、新参の侵略者達に滅ぼされた。あなた達の先祖は大勢殺され、生き残った者は奴隷とされた。それがこの国の奴隷の起源よ」
バラーンタカは、聞いた事が無い話だ。奴隷の先祖は汚らわしい者であり、奴隷の子孫は未来永劫汚らわしい者だと言われている。
「あなたは自分の血を恥じる事は無い。高貴な一族の末裔なのだから。もっとも私達魔物は、人間の言う高貴や下賤はどうでもいい事なのだけどね」
アマンガは、微笑みながらバラーンタカに顔を寄せた。アマンガからは、嗅ぎなれた香気が漂って来る。
「私は、あなたとあなたの笛の音が好きになった。愛と音楽は、全ての人間と全ての魔物のものよ」
アマンガは、バラーンタカの左右の頬の傷に口付ける。
バラーンタカは、アマンガを抱きしめながらも顔を背ける。俺には愛など関係ない。俺の人生には存在しないものであり、無意味で無価値なものだ。これからも変わらない。だが、
アマンガは、バラーンタカを翼で柔らかく愛撫する。アマンガの香りと感触が、バラーンタカの体に染み込んでくる。
俺はこの女を失いたくない。たとえ法が、倫理が、人間が認めなくてもだ。バラーンタカは、人間とは違う温かい体を抱き寄せた。
青白く光る砂の上に、黒いものが転がっている。襤褸切れの様な服を纏った男だ。左頬には傷が有り、流れ出す血が砂に染み込んでいる。時折動く事から生きている事は確かだが、この砂漠に横たわっていれば遠からず死ぬだろう。
砂丘の影から一つの影が現れた。影はゆっくりと倒れた男に近づき、男の前でしゃがみこむ。影は、じっと男を見つめていた。
バラーンタカは、火の爆ぜる音で目を覚ました。バラーンタカは跳ね上がろうとするが、上手く力が入らない。仕方なく首だけを左右に動かして様子を知ろうとする。バラーンタカは、自分は寝台に横たわり、寝台の右側にある竈の火が爆ぜているのだと知った。砂漠で倒れたはずの自分が、何故家の中にいるのか訝しんだ。
「目が覚めたか。あまり体を動かさない方が良い、休んでいろ」
男の声が右斜め後ろから聞こえた。首だけ動かして声の方を見ると、紫の糸で刺繍された白い服を着た若い男が立っている。服の意匠から神官だと分かる。とたんに嫌悪と憎悪が男の中に湧きあがる。跳ね上がろうとしたが、力が入らずに寝台に倒れ込む。
「お前に危害を加えるつもりは無い。興奮せずに休んでいろ」
神官は宥める様にゆっくりと言うと、寝台から離れた。
バラーンタカは、眼をぎらつかせながら離れて行く神官を見つめていた。
バラーンタカは、オアシスにある村に保護されていた。バラーンタカが倒れていた所から一刻ほどの所にある。砂漠に生える草を採集しに来た神官に発見され、保護されたのだ。
バラーンタカは、何故このように寝台に寝かされているのか不審に思う。バラーンタカの風体を見ればまともな者では無いと分かるだろう。看病の際に体を調べれば、奴隷の焼印が見つかるはずだ。最高位の階級に属する神官が、逃亡奴隷である自分を助けるはずが無い。
神官はヴァーシシカと名乗り、自分は愛の女神に仕える神官だと言った。このオアシスの村の祭祀を司る者だそうだ。愛の女神に仕える者は、砂漠で倒れた者には手を差し伸べるのだそうだ。
バラーンタカは、無表情を保ちながら内心笑う。この国で最高位である神官が、奴隷である自分をそれだけで助けるはずはない。「愛の女神」に仕えていると言うが、奴隷には愛など関係ない。裏があると考えない者は低能だ。
無表情の影で、バラーンタカは不信と憎悪の念を煮えたぎらせる。虐げられ続けて来たバラーンタカは、上の階級の者を憎んでいる。全身を切り刻んでも飽き足らない。だが、今は慎重にふるまわなくてはならない。体の調子は回復していない上に、懐に入れた小刀は取り上げられている。第一、ここはオアシスであり逃げ場はない。
バラーンタカは、感情を隠しながら様子を探り続けた。
バラーンタカの読みは、保護されてから十日目に当たった。ヴァーシシカは、バラーンタカに要求してきた。北西にあるオアシスの中にある神殿に行き、神鳥ガンダルヴァに書簡と聖具を届けて欲しいと要求してきたのだ。その任を果たせば金貨を渡し、逃亡する手助けをしてやろうと言うのだ。
バラーンタカは、内心要求に応える気は無かった。神官が奴隷相手に約束を守るはずが無い。だが、断れば逃亡奴隷として役人に突き出される。機会を見て逃げ出すしかない。
バラーンタカは、愛の神官の涼しげな顔を石で打ち砕く妄想をしながら自分の気を沈め、要求に応えると約束した。
激しい日が照り付ける中、バラーンタカは布を張った影に隠れていた。日中の砂漠を歩く事は、自殺行為でしかない。夕方から夜にかけて歩く。それまでは影の中で身を潜めていなければならない。
バラーンタカは鼻を蠢かせて臭いを嗅ぐが、自分ともう一人の男の臭いしかしない。砂漠は無臭の世界だ。嗅ぐ事が出来るものは、自分と周りの人間の体臭くらいだ。そんなものを嗅ぎたくは無かったが、無臭が続くと不安になってくる。
もう一人の男は、神官の下で使い走りをしている男だ。今回の使いに同行している。男は最低限の口しかきかず、表情もほとんど出さない。
バラーンタカは、自分が使いに選ばれた理由が分からない。使いを出したければ、他の者はいるはずだ。行き倒れの逃亡奴隷に、書簡と聖具を神鳥に届けさせるはずが無い。裏があると考える事は当然だ。
考えられる事は、自分達は囮だという事だ。おそらく書簡や聖具を狙っている者達がいるのだろう。偽物を自分に運ばせ、本物は別の者に運ばせる。自分が襲われてくれれば、あの神官にとっては都合が良いのだろう。
バラーンタカは歯ぎしりをする。逃げ出したくとも逃げ出せない。水と食料は、もう一人の男が持っているのだ。地図ももう一人の男が持っている。おまけに、もう一人の男は剣を持っているが、バラーンタカは小刀一つ持っていない。襲撃を受けたらそれまでだ。
糞が!何が愛の女神の神官だ!バラーンタカは、言葉に出さずに吐き捨てる。逃亡最中に付けられた右頬の傷が痛みだす。バラーンタカは、歯ぎしりすら出来なくなった。
中継地点のオアシスまでは無事に着いた。依頼者の神官がいたオアシスと同じくらいの大きさのオアシスであり、このオアシスにも村が有る。このオアシスには愛の女神の神官がおり、彼から神殿への地図と入殿の許可書を貰わなくてはならない。
バラーンタカと同行の男は、水を飲み、体を洗った後に神官の家へと向かう。同行の男が話を付けてくれたおかげで、難なく水を手にする事が出来たのだ。神官の家は質素だが、それでも他の村人の家よりは立派だ。
バラーンタカは、依頼者である神官から渡された紹介状を渡す。長身で立派な体格をした神官の男は、バラーンタカを刺すような眼差しで観察する。神官は、家の傍らにかけている棍棒を手に取り、バラーンタカに突き付ける。
「失せろ。何処の浮浪者か知らぬが、神鳥に合わせるつもりは無い」
バラーンタカは、怒気を顔に出して吠える。
「紹介状があるだろ!ふざけているのか?」
神官は、何も言わずに殴りかかってきた。バラーンタカは転がって避け、石を拾って投げつける。石が当たった神官がふらついている隙に、バラーンタカは木の棒を拾って身構える。神官も体勢を立て直し、二人は棒を構えあってにらみ合う。
バラーンタカに同行してきた男は、何故か何も言わずに傍らで眺めていた。バラーンタカは何もしない男を睨み、忌々しげに舌打ちをする。
バラーンタカは先手を打って殴りかかり、神官を防戦に追い込む。隙を見て足元の砂と石を神官に向けて蹴りあげて、神官の注意を引く。突きを繰り出して神官の体勢を崩すと、そのまま神官を叩きのめす。
体格は神官の方が上であり、加えてバラーンタカは疲れている。だが、修羅場を潜り抜けているバラーンタカの方が経験は上だ。型としては滅茶苦茶だが、実戦慣れした攻撃を繰り出す事が出来る。
倒れ伏した神官を、バラーンタカは叩きのめそうとする。その時、バラーンタカは銀色の光が目に入った。後ろに跳び退るバラーンタカに、今まで眺めていた男が剣を抜いて突付けてくる。
バラーンタカと同行の男は、棒と剣を突付け合いながら睨み合った。
睨み合うバラーンタカ達の傍らで、神官が呻き声を上げながら立ち上がった。神官は、痛みに顔を顰めながらバラーンタカを見つめる。
「殴りかかって悪かったな。お前に戦う事が出来るか試したかったのだ。この先に危険が有るのでな」
神官は、自分の体をさすりながら話し続ける。
「お前は危険に対処できるようだ。神殿までの地図と入殿許可書を渡そう。ただ、その前にやってもらいたい事が有る」
バラーンタカは、神官の言葉に凶悪なほど顔を歪める。
「お前は笛を持っているだろう。吹いてくれないか?」
バラーンタカは、顔を赤黒く染めた。笛を持っている事は神官には話していない。おそらく紹介状に書いてあるのだろう。勝手に自分の笛の事を書かれた事も腹が立つが、殴りかかって来た者に吹く事を要求される事は耐え難い。
だが、目の前にいる同行者の男は、剣を突付けて無言のまま笛を吹く事を要求してくる。棒と剣ではどちらが勝つか明らかだ。
バラーンタカは、舌打ちをしながら木製の横笛を取り出す。何も言わずに笛に口を付け、ゆっくりと吹き始める。冷たい音色がオアシスに広がり始めた。バラーンタカは険しい顔つきをした男であり、穏やかな雰囲気は無い。その表情が表わす通り、笛の音色は冷たく冴えわたっている。
バラーンタカは、笛を吹く事だけが楽しみだ。奴隷である為に楽しみを得る事が出来なかったバラーンタカは、ある奴隷からもらった笛を吹く事だけが生きる支えだ。過酷な労働の合間に、人に隠れて我流で笛を吹いて来た。バラーンタカは、劣悪な生活の中で罪を重ねて来た。もし笛を吹く事が出来なければ、バラーンタカは完全な鬼畜に堕ちていたかもしれない。
バラーンタカの笛の音色は冷たく突き刺さるものでありながら、どこか哀切なものが有る。神官と同行の男は、無言のまま笛の音を聞き続けていた。笛の音が止まった時、二人は夢から覚めたような顔をしていた。
「良い演奏だ。神鳥も喜ぶだろう」
神官は頷きながら言う。バラーンタカは、不機嫌そうに顔を背ける。吹きたくも無いのに吹く事を強要されたのだ。だが、それでもいい加減な吹き方をする事は、バラーンタカには出来ない。
神鳥に会う許可をもらった男は、嫌悪に顔を歪め続けていた。
夕日が照らす砂漠を歩きながら、バラーンタカは神官に言われた事を思い返していた。バラーンタカが予測したとおりに、愛の女神を狙う者がいたのだ。砂漠の東側にある街に勢力を持つ貴族が、砂漠一帯の愛の女神にまつわる利権を手に入れようとしているのだ。その為に聖具の数々を奪おうとしている上に、神鳥と神殿を支配下に置こうとしていた。
現在、愛の女神の神官達と貴族は抗争をしており、神官側としては人手が足りないのだ。それでバラーンタカに聖具を運ばせている訳だ。
もっとも、バラーンタカは神官の話を鵜呑みにしていない。人手不足である事は確かだろうが、所詮バラーンタカは囮に過ぎないだろう。自分が運んでいる聖具が本物だとは思っていない。
おまけに神官はこう言っていた。神鳥ガンダルヴァは、音楽を奏でる事を任務とする。笛を吹くバラーンタカは、ガンダルヴァに気にいられるだろうと。
バラーンタカは、笑いを堪えるのに苦労する。囮にしている事を誤魔化すために、そんな下らない詐話までするのかと笑いたくて仕方がない。
バラーンタカは、陰鬱な表情で赤く染まった砂漠を見渡していた。
神鳥の居る神殿のあるオアシスは、今までのオアシスよりも広い。豊かな水を湛えて緑に恵まれている。既に夜だが、水と緑の匂いがバラーンタカの鼻を覆う。乾いた世界を歩き続けて来たバラーンタカには、楽園のように思える。
だが、楽園にはすでに不穏なものが混ざっていた。武器を手にした男達が闊歩していており、そこかしこに怒号と悲鳴が上がり、鉄の武器が奏でる音が響く。
バラーンタカは剣を抜いた。剣は、中継地のオアシスで神官にもらったものだ。バラーンタカは奴隷時代に戦争に駆り出された事が有り、少しだけ剣を扱う事が出来る。身を屈めて体を隠しながら、前進していく。同行の男も剣を抜いて進んでいる。
二人の男がバラーンタカ達の前に躍り出た。神官達と戦っていた男達だ。同行の男は何も言わずに切りかかる。バラーンタカもそれに倣う。
剣がぶつかり合い、闇の中に金属音が響き渡る。バラーンタカは石を投げ、砂を蹴り上げながら剣で突く。敵が突っ込んでくるのを、木の枝をしならせてぶつける。動きの読めない支離滅裂な攻撃の為、敵は戸惑った様子を見せる。
だが、相手はきちんと戦闘訓練を受けた者達だ。実戦経験もあるらしく、バラーンタカの攻撃を受け流すようになる。バラーンタカはすぐに余裕が無くなり、体勢を崩す。敵はすかさず剣で突きを入れる。剣が右足を掠めて、バラーンタカは地面に倒れる。敵は剣を振り上げ、バラーンタカを切り殺そうとする。
その時、楽の音がオアシスに響き渡った。弦を引く音がゆっくりと宥めるような調子で流れる。激しい殺し合いをしているはずなのに、楽の音は体の中に染み渡ってくる。無視をして殺し合いを続けようとしても、楽の音は体と心を慰撫する。
バラーンタカを殺そうとしている男は、ぼんやりとした表情で動きを止めた。自分が何をしているのか分からないような、心ここにあらずの表情だ。
バラーンタカはこの隙に敵を殺そうとするが、バラーンタカの体はうまく動かない。殺す気力も湧いてこない。音楽を体から振り払おうとするが、音楽は確実にバラーンタカの中へと染み込み、広がってゆく。
目の前の敵は剣を持った手を下ろし、そのまま剣を手から落とした。バラーンタカも、剣を地に置く。オアシスからは怒号と悲鳴は消え、武器の打ち鳴らす音も消えていく。弦の奏でる音楽が、夜のオアシスに流れ続けた。
バラーンタカが夢見心地から浮かび上がると、目の前に一人の魔物が立っている事に気が付いた。月明かりでぼんやりとだが魔物の姿が見え、鳥の羽を持った女の姿をしている事が分かる。魔物娘からは香気が漂って来る。
これが神鳥ガンダルヴァか。バラーンタカは、心の中で呟きながら魔物娘を見上げる。バラーンタカに依頼した神官や中継地の神官から聞いた特徴を備えている。ガンダルヴァらしき魔物娘は、月の光を背に受けており表情は見えない。
「私の名はアマンガ。この神殿で愛の女神に仕えるガンダルヴァの一人よ。あなたは誰かしら?この神殿を襲って来た者達とは違うようだけど」
アマンガと名乗る魔物娘は、艶のある音楽的な声で尋ねてきた。
バラーンタカは自分の名を名乗り、自分の目的を話す。懐に入れていた入殿許可書と書簡、聖具をアマンガに渡す。共に来た男も側にいて、バラーンタカの言葉を補足する。
アマンガは、月明かりの下で金製の聖具を照らして見つめた。聖具を懐にしまうと、バラーンタカ達に微笑みかける。
「ご苦労様でした。神殿に案内するから、そこで休みなさい」
バラーンタカは、艶のある声と漂ってくる香気に気を取られながらぼんやりとうなずいた。
バラーンタカは、アマンガに神殿の中に案内された。神殿は石造りであり、所々が白い大理石で覆われている。神殿の至る所に彫像や彫刻が彫ってあり、その大半は様々な愛の姿を描いたものだ。神殿の中は無数の燭台で照らされており、官能的な彫像が陰から浮かび上がる。露骨な性描写もあり、バラーンタカは思わず目を見張る。
明かりに照らされて、アマンガの姿も露わとなった。肉感的で整った顔立ちをした若い女であり、良く動く瑠璃色の眼をしていた。赤みがかった茶色の髪は、金の髪留めに飾られている。豊かでありながら引き締まった肢体は褐色であり、健康的な魅力がある。体の大半をさらけ出した紫の薄物の服と、女の大事な部分を強調する金の装身具によって、女の官能的な肢体は引き立てられている。
これらの蠱惑的な人間の女の体に、鳥の体が付いていた。腕は、黄金色の羽で輝いている翼である。足には紫の毛が生えており、足指からは金の爪が出ている。尻からは鳥の尾が生えており、金色に輝いている。人間から見れば異形の姿だが、官能的な美女と黄金の鳥が合わさった美しい姿だ。
バラーンタカは、股間に力が入らないように気を付けていた。男女な交わりの姿を描いた彫像が神殿には溢れており、その神殿を艶やかな肢体を持った魔物娘が導いている。魔物娘から漂う香気は、バラーンタカの意思を嬲り、官能を煽りたてる。
女の肢体が、バラーンタカの心の中に満ち溢れてくる。女が動くたびに、バラーンタカの官能は愛撫され、女の中へと導かれて行く。バラーンタカは、自分が何をしに来たのか分からなくなりそうになる。
バラーンタカは、頭を強く振って官能を追い払おうとした。
バラーンタカは、アマンガに神殿の一室に案内された。大理石でできた彫像が部屋を覆っており、その彫像はいずれも性交を表現している。バラーンタカには想像した事さえない性技を現しており、果たして実行可能なのかと思える体位で交わっている物も数多くある。金の燭台は、これらの性の饗宴を怪しく照らし出していた。
アマンガは、金の盃に入った酒をバラーンタカに勧める。バラーンタカと共に来た男は、別室に案内されたようだ。部屋には、バラーンタカとアマンガしかいない。酒は葡萄酒だ。バラーンタカの国では、葡萄酒は階級が高くなければ飲む事が出来ず、低い階級の者は小麦や雑穀で出来た酒を飲んでいる。バラーンタカは、金の盃に入った葡萄酒を恐る恐る口に付ける。飲んでみたが、味は良く分からない。ただ、意識がますます朦朧としてくる。
アマンガは、バラーンタカから受け取った入殿許可書を確認し、書簡を読む。そして再び聖具を燭台の明かりで確認する。それを終えると、バラーンタカに微笑みかけた。
「あなたは大変な時に来たものね。愛の女神を自己の権益の為に利用しようとする者達がいるの。彼らに襲撃を受けている所だったのよ。騒ぎは収まったわ。彼らは、今はおとなしくしているわ」
バラーンタカは、戦いの最中に聞こえてきた楽の音を思い出した。あれほど気を立たせていた者達が、鈍牛のように大人しくなってしまった。あの楽の音は、神鳥達によるものだろうか?
「あなたに一つ頼みがあるの。あなたは懐に笛を持っているわね。私のヴィーナと合奏してくれないかしら」
バラーンタカは困惑した。懐に何か入っている事は分かるかもしれないが、何故笛だと分かったのだろうか?ヴァーシシカが、神鳥への書簡にわざわざ笛の事を書いたのだろうか?しかも何故、アマンガは素人の自分と合奏しようとするのだろうか?
「俺は誰からも笛の吹き方を習っていない。素人が勝手に吹いているだけだ」
バラーンタカはそっけなく言う。
「構わないわ。音楽は玄人だけのものでは無いわ」
そう言うと、アマンガはヴィーナを取り出す。ヴィーナは弦楽器であり、様々な種類の物が有る。アマンガが持ち出した物は、膝の上に持ち抱えながら演奏する種類の物だ。確か女神の名を冠したヴィーナだったと、バラーンタカは不確かな記憶を探る。アマンガのヴィーナは、質の良い木で出来ているらしく艶やかな光沢がある。弦は張りつめており、ヴィーナの所々が金で装飾されている。一目で高価な物だと分かる。バラーンタカの粗末な笛とは釣り合わない。
俺を馬鹿にしているのか?バラーンタカは、激しい怒りに駆り立てられる。粗末な笛でへたくそな吹き方をする俺を笑おうと言うのか?バラーンタカは、顔を赤黒く染める。いいだろう、俺は勝手に吹く。合奏したければ勝手にしろ。お前に合わせるつもりは無い。心の中で悪罵を吐き散らす。
バラーンタカは、合図も無しに笛を吹き始める。頭の中から他人を締め出し、一人の世界に入って笛を吹く。孤独な世界での孤独な演奏、それがバラーンタカにとっての音楽だ。他者は夾雑物に過ぎない。バラーンタカの世界に、冷たく突き刺すような笛の音が響き渡る。
バラーンタカの世界に、温かなヴィーナの音が響き始める。ゆっくりと宥める様に、冷たい笛の音を包み込む。笛の音は、ヴィーナの音を撥ね付けて一人進もうとする。だが、ヴィーナの音はめげる事無く包み込もうとする。敵意を込めて拒否する笛の音を、辛抱強く愛撫する。
幾度となく続けられる攻防の末、笛の音は根負けしたようにヴィーナの音と歩調を合わせ始めた。ヴィーナの温かな音色は、笛の冷たい音色と合わさり合奏を形作る。世界に笛とヴィーナの合奏が響き渡った。
バラーンタカは、奇妙な気分に襲われていた。いつもは演奏後の虚脱感に浸るのだが、今は空虚な感じはしない。ヴィーナの奏でた曲が埋めているような気がする。
「良い演奏だったわ。私は楽しむ事が出来た」
アマンガの微笑みに対して、バラーンタカは顔を背ける。アマンガは、バラーンタカに擦り寄り肩を撫でる。アマンガの香りが、バラーンタカを包む。
「あなたが何故、私の元へ遣わされて来たのか分かったわ」
アマンガは、バラーンタカを愛撫し続ける。バラーンタカの眼に、アマンガのむき出しの胸が見えた。褐色の肌は、薄っすらと汗を掻いており光っている。乳首は金の装身具で隠されているが、尖った卑猥な形状の装身具であり、却って官能を掻き立てる。バラーンタカはアマンガから目を逸らすが、アマンガの香りは纏わり続ける。香りを嗅ぐごとに、バラーンタカの腰に力が入るのだ。
アマンガはバラーンタカにしな垂れかかり、滑らかな頬を摺り寄せてきた。上目づかいに見上げると、自分の口をバラーンタカの口に重ねる。甘い味のする舌をバラーンタカの口の中に滑り込ませようとする。
この女は俺をからかっているのか?バラーンタカは体を強張らせる。いいだろう、お前とやってやる。俺は奴隷だ。俺の体の焼印を見ればわかるだろう。俺を嫌悪して叩きのめそうとするだろう。だが、もう遅い。お前を犯してやる。
バラーンタカは悪意を込めて笑い、アマンガを抱きしめた。
バラーンタカは、アマンガの胸に顔を埋めていた。濃密な香りがバラーンタカの鼻を、頭の中を満たす。バラーンタカは、執拗に滑らかな胸に顔をすり付け、舌を這わせる。胸の谷間の汗が甘露の様に思える。アマンガは、黄金色の羽の生えた翼でバラーンタカを愛撫していた。羽が肌をくすぐるたびに、バラーンタカの体に快楽が走る。
アマンガは、バラーンタカの服を脱がしながら顔を体に摺り寄せた。バラーンタカの臭いを嗅ぎながら、口付けて行く。バラーンタカの背がむき出しになり、奴隷である事を示す焼印が露わとなる。
バラーンタカは唇を歪めて笑った。この女は、これで俺を突き放すだろう。俺を嫌悪の眼で見るだろう。俺は、嫌悪で満ちた眼を、顔を見ながら犯してやるのだ。バラーンタカの顔に笑いが広がる。
アマンガはバラーンタカの背に顔をすり付け、焼印の痕に口付けた。バラーンタカは思わず震えるが、アマンガは口付けを繰り返す。そしてゆっくりと舌を這わせる。傷痕をいたわるように、丹念に舐め回す。
どういうつもりだ、こいつ?バラーンタカには、目の前の女が何故、奴隷である自分を嫌悪せずに愛おしげな態度を取るのか分からない。
「いい臭いがするわね。男の臭い…」
アマンガは、バラーンタカの体に顔をすり付けながら臭いを嗅ぎ続けた。首と肩に顔をすり付け、胸に頬刷りをし、腋に顔を付ける。顔をすり付けながらゆっくりと口付け、いたずらっぽく舌を這わせ、優しく甘噛みをする。アマンガは、腹に頬ずりをしながら顔を下腹部へと下ろしていく。
「ここの臭いも好きよ。男の臭いが一番濃いわ」
アマンガはバラーンタカの股間を露出させ、すでに猛り立っている物を愛おしげに頬ずりをした。先端から透明な液を溢れ出させている赤黒い肉棒に、官能的な褐色の顔を擦り付ける。上気した美貌が液で濡れていき、燭台の明かりを反射して輝く。
アマンガは顔を上げると、翼を使って胸を寄せた。そのままバラーンタカの肉棒を挟み込み、ゆっくりと褐色の肉で愛撫する。首と乳首を覆っていた金の装身具は、バラーンタカが顔をすり付けていた時に外れている。固くとがった赤い突起は、肉棒の先端から根元まで絶え間なく刺激する。液が留まる事無く溢れ続ける肉棒の先端を、紅を塗った唇で繰り返し口付ける。液で濡れてぬめり光る唇を、桃色の舌で見せ付ける様に舐め回す。
アマンガは顔を股間に埋めた。唇をくびれや裏筋に押し付け、舌を熱心に這わせる。鼻を液で濡れている先端に擦り付け、執拗に刺激する。胸も絶え間なく動かし、根元や陰嚢を愛撫し続ける。バラーンタカは、下半身を支配する悦楽だけでは無く、淫猥な光景によっても官能の爆発へと突き動かされていく。
バラーンタカは、こらえる事が出来ずに精を放出させた。白濁液が勢いよく噴出し、アマンガの褐色の顔を白く染めていく。アマンガは、精の放出を助けるかのように痙攣する肉棒に顔を擦り付け、舌を蠢かし、胸肉でしごき続ける。バラーンタカには信じられないほどの量の白濁液を、肉棒は放ち続けた。
バラーンタカは、快楽と衝撃で頭が上手く働かない。ぼんやりと宙を見ている。ゆっくりと意識が戻って来て、荒い息をつきながらアマンガを見る。
アマンガの顔は、重たげな白濁液で至る所が汚れていた。褐色の肉感的な美貌の上を、ゆっくりと白い液が流れて落ちていく。流れていく精液は、顔から垂れて胸に落ちていく。胸は肉棒を挟んだままであり、豊かな膨らみと先端の赤い突起、そして谷間は白く染まっている。辺りには、アマンガの濃密な香りとバラーンタカの精が放つ刺激臭が、混じり合って充満している。
「すごい臭いね…染み付いて取れなくなりそう…。あなたの臭いで狂いそう…」
アマンガは、陶然とした顔で鼻を蠢かす。汚液で顔を汚されたにもかかわらず、アマンガの顔は歓喜に染まっている。
アマンガは微笑みを浮かべ、再びバラーンタカの股間に顔を埋めた。バラーンタカの欲望を体現した肉棒に舌を這わせ、性欲の証である白濁液を舐め取っていく。先端はもちろんの事、くびれや裏筋、根元から陰嚢まで丁寧に舌を這わせる。再び先端に口を付けると、中に残っている精を水音と共に吸い上げる。バラーンタカは、腰の奥底から欲望の力が吸い上げられているような気がした。
「元気なのね、もう回復しているわ」
アマンガは、再びそそり立ち始めた肉棒に頬ずりをした。頬に付いた白濁液で、肉棒はまた汚れる。
「あら、また汚れてしまったわね」
アマンガは、笑いながら肉棒を舐める。
アマンガは身を起こし、下腹部を辛うじて隠していた紫の布と金で出来た服を脱ぐ。赤い陰毛で覆われた桃色の肉の割れ目が露わとなる。肉の割れ目からは蜜があふれており、濡れた陰毛は燭台の光により輝いていた。アマンガは、黄金色の翼で包み込みながらバラーンタカを抱きしめる。甘酸っぱい匂いを放つ肉の裂け目に、バラーンタカの肉棒を飲み込んでいく。
バラーンタカは、アマンガを抱き返して腰を激しく動かす。快楽を貪ろうと、肉棒を奥へと突き入れていく。アマンガは笑いながらバラーンタカを受け止め、蜜で濡れた渦を引き絞り翻弄する。柔らかい肉の渦に引きずり込まれ、肉棒は奥の堅い部分に突き当たった。刺激を求めてバラーンタカは繰り返し奥を突き、喘ぎながらもアマンガは余裕を持って受け止める。アマンガの顔や胸は精液で汚れ、その強い臭いはアマンガの香気と混ざり合う。その性臭は、バラーンタカの興奮を高める。
「ねえ、ここも舐めてみないかしら。あなたは胸と一緒にここも見ていたでしょう」
アマンガは、右の翼を上げて汗で濡れた腋を露わにする。バラーンタカは腋に顔を埋めて、犬のように舌を這わせた。アマンガの腋のくぼみは、人間の悪臭を放つ腋とは違い、濃密な官能の香りがする。腰に力が入り、精力が奥底から湧きあがってくる。アマンガは腰を動かしながら、左の翼でバラーンタカの背や腰を愛撫した。柔らかい羽毛がくすぐったいような快楽を与えてくる。バラーンタカの限界が近づいていく。
バラーンタカは、アマンガの中で弾けた。二度目とは思えぬほどの精液が、濡れた肉の壺の中へと放たれる。壺の奥にある子を孕む器官が打ち抜かれ、官能に酔いしれる神鳥は声を上げる。神鳥を犯す雄獣は、腰を叩き付けながら精を撃ち続ける。神鳥は、声を上げ続けながら震える。
神鳥と雄獣は、抱き合いながら震えていた。長く震えは続いたが、ゆっくりと収まっていく。雌と雄は、お互いに抱きしめ合い続ける。
バラーンタカは、顔を上げてアマンガを見た。アマンガの美貌は精液で汚れており、灯りを反射して光っている。アマンガは、微笑みを浮かべながらバラーンタカを見つめている。
「天にも昇る心地よ。あなたも悦楽を味わったでしょう。まだまだ出来るでしょう。悦楽を味わい尽しましょう」
貪欲な雌は、濡れた唇に笑みを浮かべながら囁いた。
バラーンタカとアマンガは、抱き合いながら横たわっていた。アマンガはバラーンタカの左腕を枕とし、左の翼でバラーンタカの体を抱いている。アマンガの体からは、交わりにより一層濃くなった香気が放たれ、バラーンタカを包む。羽の心地良さと共に、香気はバラーンタカを酔わせる。
バラーンタカは、何故この神鳥が自分と交わり合ったのか分からない。自分が奴隷である事は分かったはずだ。普通ならば交わろうなどとは考えないはずだ。バラーンタカが美貌ならば話は別だが、人並みの顔しか持っていない。
「これであなたには私の匂いが付いた。あなたの臭いは私に付いた。もう、お互いに取れないわよ」
アマンガは、そう言ってバラーンタカに微笑みかけた。お互いに所有し合っていると言いたいのか?神鳥と奴隷が?訳が分からない。バラーンタカは、アマンガの言う事やる事が理解できない。
俺は奴隷だ。生まれた時から奴隷であり、死ぬまで奴隷だ。それがこの国の法だ。バラーンタカは唇を噛みしめた。
バラーンタカは、奴隷の父と母から生まれた。バラーンタカの国では、奴隷の子は奴隷階級に入れられる。奴隷の子が子を作ったら、その子も奴隷となる。法と慣習、倫理がそう定めている。解放奴隷など、バラーンタカの国では存在しない。
バラーンタカは、物心ついた時は酷使されていた。鞭や棒で殴られながら、過酷な肉体労働をさせられた。家畜のように働かせると言う言葉は不適切である。家畜はある程度いたわりを受けるが、奴隷は欠片ほどもいたわりを受ける事は無い。死んでもおかしくは無い暴力と重労働を叩き付けられてきた。
母は、バラーンタカの五歳の時に死んだ。流行病が奴隷の間に蔓延した時に、他の奴隷と共に奴隷小屋に監禁されて焼き殺されたのだ。母が監禁された奴隷小屋が激しく燃える様を、バラーンタカは良く覚えている。
父は、バラーンタカの十一歳の時に死んだ。両耳に溶かした鉛を流し込まれて殺されたのだ。父は、命令に従い神官の居住区に荷物を運んだ。その時に、神官が唱える聖典の言葉を聞いてしまったのだ。奴隷が聖典の言葉を聞いた場合は、溶かした鉛を耳に注ぎ込む。法はそう定めている。
すでに棍棒で全身を殴られて半死半生の父の耳に、熱して溶かされた鉛が注ぎ込まれた。父の絶叫、鉛と焼けた肉の臭い、痙攣する父の姿、周りを取り囲む者達の楽しげな笑顔、これらの事をバラーンタカは良く覚えている。父は、刑罰の半月後に死んだ。
この国では珍しい事では無い。長年繰り返されてきた陳腐な事だ。今更、陳腐な惨劇を気に留める者などいない。
十七歳の時に、バラーンタカは人を殺して住んでいた村を逃げ出した。自分の人生に絶望したバラーンタカは、死を覚悟で人を殺したのだ。バラーンタカは、自分を虐待してきた村人の一人を嬲り殺しにした。酒に酔って夜に歩いている男の後ろに近づき、石で頭を繰り返し殴った。そしてそばに置いてある搾油器の所に引きずっていき、頭を放り込んですり潰したのだ。搾油器で頭を潰す感触、男の濁った悲鳴、搾油器からあふれ出す血と脳味噌の混ざった汚物。バラーンタカは今でも喜びと共に思い出す。
バラーンタカは村人の追跡を逃れるために、魔の森に入り込んだ。この森は夜になると悪鬼が出ると言う。闇の中を怯えながら逃げるバラーンタカに、影が立ちふさがり、悪意に満ちた言葉を叩き付けた。
「お前を助ける者はいない。お前には生涯救いは無い。お前が頼りにする事が出来るものは暴力だ」
闇の中を逃げ回るバラーンタカに、影は執拗に喚き立てた。
もしかしたら、夜の森で恐怖ゆえに味わった幻覚、幻聴かもしれない。だが、バラーンタカは、魔の森で言われた事は真実だと信じた。
それからバラーンタカは、暴力を頼りに罪人として生きて来た。闇に紛れて人を棍棒や石で殴り、金を奪う。時には小刀や剣を手に入れ、人を刺して奪う。脅したりはせずに、何も言わず後ろから殴り、刺す。バラーンタカは確認しなかったが、死んだ者もいるだろう。
バラーンタカは逃亡奴隷として、強盗として、殺人鬼として役人や庶民に追われ続けた。バラーンタカは、暴力と逃走を繰り返しながら生き延びて来た。逃走も限界を迎え、殺されそうになった挙句に砂漠へと追いやられた。神官に救われるのが少し遅かったら、死の世界へ旅立つ事となっただろう。
バラーンタカとアマンガは、共に砂漠を歩いていた。バラーンタカと共に来た男と、神殿に仕えている男と同行している。バラーンタカを派遣した神官であるヴァーシシカの元へと戻り、その後に砂漠の東にある街へと行くのだ。神殿を襲撃した者達を調べた所、東の街で勢力を持つ貴族と関わりがある証拠を得られたのだ。貴族は証拠を持たせない様にした様だが、雇われた者はいざとなったら貴族に金をせびるつもりで証拠を持ち歩いていた。この証拠を基に、貴族の罪状を暴くのだ。
愛の女神にまつわる利権は色々あるが、貴族が狙っているのは神鳥ガンダルヴァの香気からとれる香水だ。ガンダルヴァの香水は、処女を想い人へと導く力が有る。その為に重宝されている。貴族は配下の商人達に販売経路を独占させ、香水の値を釣り上げて暴利を貪ろうとしているのだ。愛の女神の神官たちはそれに反発したために、貴族から襲撃を受けているのだ。アマンガ達は、愛の女神の神殿にある聖具を持ってきている。それをかざして、愛の女神の神殿が独立している事を砂漠の東の街で宣言するつもりだ。
バラーンタカは内心嗤っていた。愛など、階級と金次第だ。恵まれた階級の者が、金にものを言わせて香水を買う。そこに当然、利権が出来る。愛などと言っていられる者は、王や貴族に神官、後は金持ちの庶民だけだ。奴隷には愛など関係ない。
「処女を想い人へと導く香水」とやらも嗤うしかない。処女を大事に出来る者は、階級や金が有る者だ。庶民の中でも貧しい女は、体を売らなくてはいけない。奴隷女にとっては、凌辱は日常的な事だ。処女など糞の役にも立たない。
アマンガは、バラーンタカに身を寄せながら歩いていた。バラーンタカの足は、敵の剣により怪我をしている。アマンガの手当てにより既に歩く事には差し支えは無いが、アマンガはバラーンタカを支える様にしている。あたかも恋人気取りだ。こいつは何を考えている?俺みたいな罪を犯した奴隷と結ばれて、幸せになれるとでも思っているのか?バラーンタカは、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
前触れも無く、砂丘の影からいくつもの人影が飛び出して来た。無言のまま剣を振りかざして襲い掛かってくる。バラーンタカ達は剣を抜くが、不意を突かれた為にうまく迎え撃つ事が出来ない。剣戟の音が響く中、バラーンタカ達は押されて行く。
アマンガは、ヴィーナを取り出して弾き始めた。神殿を襲撃した者達の戦意を奪った曲だ。穏やかに慰撫する音楽が奏でられる。だが、襲撃者達は気に止めずに剣を振るって来る。良く見ると、襲撃者達は、耳に蝋の栓を詰めている。
血が飛び散り、男が一人倒れた。バラーンタカと共に神殿へと行った男が、左肩から右腹まで切り裂かれた。砂をおびただしい鮮血が染める。バラーンタカの左頬を剣が霞める。血が飛び散り、バラーンタカの眼に入る。バラーンタカは、剣を振り回しながら逃げ出す。
バラーンタカは、砂漠の中を走り続けた。砂につまずき、砂の中に倒れ込む。口の中に砂が入り、唾を吐き散らしながら喚き散らす。後ろを振り向くが、追手はいない。
バラーンタカは頭を抱える。俺は砂漠で一人なのか。バラーンタカは、そのまま砂の上に倒れ込んだ。
バラーンタカは、砂漠を歩き続けていた。食料と水は有り、地図も持っている。星を頼りに方角は分かるから、地図さえあれば神官の元へと行ける。他の者がどうなったかは分からない。神官の所から同行して来た男は死んだが、アマンガと神殿から来た者の生死は分からない。
バラーンタカの心は重い。アマンガが死ぬ事は不愉快な事だ。訳の分からない女だが、嫌いではなかった。アマンガとかわした情交の悦楽はまだ覚えている。アマンガの体の香気は、まだ自分の体に残っている様な気がする。
重い足を運ぶバラーンタカの耳に、男の声が聞こえた。バラーンタカは剣を抜き、身構える。
「私です、敵ではありません」
男は両手を上げる。神殿から来た男だ。
バラーンタカは、男から話を聞く。アマンガがどうなったのかは分からないそうだ。襲撃者達は、何故か襲撃を切り上げて引き上げていったそうだ。
バラーンタカは、砂の上で考える。奴らの目的はアマンガだったのか?奴らは、アマンガを殺すなり捕えるなりして目的を達したのか?では、俺はこれからどうする?最早、ヴァーシシカの元に帰る必要はあるのか?このまま何処かへずらかるか?
アマンガの顔と肢体が思い浮かぶ。振り払おうとするが消えない。アマンガの香りがしつこくよみがえる。俺は馬鹿だな、女にたぶらかされるとは。
バラーンタカは、砂の上を歩き始めた。
バラーンタカと神殿の男は、砂漠の東にある街へと入った。ヴァーシシカの元へ戻ったのだが、ヴァーシシカは東の街へと旅立ったそうだ。緊急事態が起こった為に、バラーンタカ達を待つ事が出来なくなったそうだ。オアシスの者は、緊急事態が具体的に何なのか分かっていないようだ。だが、バラーンタカにはある程度予測できる。利権を手に入れようとしている貴族が動いたのだろう。
街に入って情報収集する事で、バラーンタカの推測が当たっている事が分かった。貴族は、愛の女神の神殿を保護下に置いた事を宣言し、神鳥の香水を販売する経路の関係者達に、自分の支配下に入る事を要求したのだ。その際に、神殿に奉納されている聖具をかざしたそうだ。どうやらその聖具は、アマンガが持っていた聖具らしい。
アマンガは殺されたのか?バラーンタカは歯を噛みしめる。いいだろう、だったら復讐だ。どうせ俺の下らない命など、復讐に使って構わない。それに憎しみは俺の友だ。憎しみで動く事は慣れている。バラーンタカは唇を歪めて笑う。
神殿から来た男の名はタクトと言う。バラーンタカは、タクトの名を記憶に刻む。ヴァーシシカの所から一緒に来て、砂漠で死んだ男の名は分からないままだ。バラーンタカは、名前を聞けば良かったと後悔している。
バラーンタカはタクトと共に、ヴァーシシカと貴族が対峙している商人の館へ向った。
バラーンタカは、事の成り行に苦笑していた。今、彼の敵が笛の演奏を終えた所だ。今度はバラーンタカが笛を吹かなくてはならない。この笛の演奏合戦が、神殿と貴族の戦いの帰趨を決めるのだ。苦笑するしかない。
商人の館には、ヴァーシシカと貴族の他に、王都から来た監察官がいた。この監察官が、利権が誰にあるかを決めるのだ。
ヴァーシシカは、貴族の不正と愛の神殿の被害を監察官に訴え、その証拠を提出した。証拠の一部は、バラーンタカが持ってきた物だ。一方、貴族は愛の神殿は自分の保護下にあるべきだと訴え、聖具と神殿の協力者の証言を出した。その聖具は、アマンガが持っていた物だ。
バラーンタカは、貴族に付き従っている愛の神殿の協力者の顔を見て、目を見開く。バラーンタカを砂漠で襲撃した者達の一人だ。その事を、ヴァーシシカを通して監察官に訴える。だが、貴族は微笑みを浮かべながら言い返す。愛の神殿を自己の権益の為に利用する者達とこの者は闘った。この者は、れっきとした愛の女神に仕える神官だ。神殿にも腐敗者はおり、やむを得ずに戦わなくてはならなかったのだ、と。
ヴァーシシカと貴族の論戦は激しさを増すばかりだ。そこへ監察官が割って入る。愛の女神に仕える神鳥ガンダルヴァは、音楽を司る。この戦いは音楽で決めよ。愛の神殿で剣を交えた二人を、今度は音楽で戦わせよ、と命じたのだ。
監察官の命では逆らう事は出来ない。まずは、貴族側の神官が笛を吹いた。バラーンタカは、唇を噛みしめる。自分とは段違いの技術を持っている。負けは決まった。ヴァーシシカを見ると、落胆の表情を露わにしている。
バラーンタカは、誰もいなければ声を上げて笑い出しただろう。どうする事も出来ない敗北の前では、笑うしかない。だが、監察官達の前では出来ずに、声を殺して笑い続けた。
バラーンタカは笛に意識を集中し、自分と笛以外のものを締め出す。自分だけの世界に入り込み、笛を吹き始める。
所詮俺の音楽は自分だけのもの、俺の世界でだけ通用する音楽だ。それで良い。他人に聞かせるためのものでは無いし、他人の音楽も俺にとっては意味が無い。俺一人の世界で、俺の為に吹くものだ。
冷ややかな笛の音が鳴り響く。バラーンタカには、商人の館も監察官達も目には入らない。世界に一人で立ち、一人笛を吹き続けている。人間とは醜悪な存在であり、他者を責め苛む存在だ。自分以外誰もいない世界こそが、バラーンタカの望む世界だ。誰もいない世界で笛を吹き続ける事、それがバラーンタカにとっての救いだ。
世界に一つの存在が入り込んだ。ヴィーナの奏でる曲が響き渡る。温かく包み込むようにバラーンタカの笛の音に合わさってくる。宥める様に笛の音と共に進み、笛の音と共に踊ろうとする。笛の音は拒否しようともがくが、ヴィーナの音は辛抱強く笛を誘う。やがて誘われるままに、笛の音はヴィーナと共に踊る。
世界に笛とヴィーナの合奏が響き渡った。
演奏を終えて意識を戻すと、人々の顔が見えた。その顔はいずれも無表情だ。
バラーンタカは笑いをこらえる。自分が負けた事は明らかだ。勝負はついた。わざわざ聞くまでも無い。バラーンタカは、人々から顔を背ける。
ふと、自分が演奏している最中に、ヴィーナの奏でる曲が聞こえた気がした事を思い出す。バラーンタカは内心苦笑する。幻聴に過ぎない。ヴィーナを奏でる者はこの場にはいない。アマンガはいないのだ。
無表情を保っていた監察官は、口を開き始める。
「技術は神官の方が上だ。それに異存の有る者はこの場にはいない」
監察官の冷然とした口調に、バラーンタカは唇を噛みしめる。貴族とその配下である神官の顔に冷笑が浮かんでいる。
「だがガンダルヴァは、演奏の仕方に独特の好みが有る。この者は、ガンダルヴァが好む笛の吹き方をした。私は、ガンダルヴァ好みの演奏を王都で聞いているから分かる」
室内にざわめきが広がる。貴族達の顔から笑みが消える。
「その上、この男の笛の吹き方は、ガンダルヴァと合奏した事のある者独特の吹き方だ。愛の女神に捧げるのにふさわしい音楽を、どちらが奏したかは明らかだ」
ヴァーシシカの顔に笑みが広がる。バラーンタカは、状況の流れに付いて行けずにぼんやりとした顔をしている。
「彼の笛の演奏は、確かに愛の女神に捧げるのにふさわしいものです。愛の女神に音楽で奉仕するガンダルヴァとして、その事を保証します。同時に、その貴族に従っている神官を、ガンダルヴァと愛の神殿を襲撃した背信者として告発します」
高らかに響く声に、バラーンタカ達は振り向く。部屋の入り口に、黄金色の翼を広げる神鳥が屹立していた。
アマンガは、襲撃者に囚われて聖具を奪われた。だが、襲撃者から逃れる事に成功し、この東の街へと飛んで来たのだ。裏切り者の神官と貴族を告発しようと機会を狙っていたところ、笛の戦いの事を嗅ぎつけて飛び込んだのだ。
勝負は決まり、話は次の段階に進んだ。神殿の裏切者である神官は逮捕され、現在は取り調べを受けている。白状させるまでも無く、証拠集めは順調に進んでいる。彼を雇った貴族は、彼を見捨てる事で保身を図ろうとした。貴族を逮捕するには証拠が少ないが、貴族は愛の神殿の利権からは排除された。この失敗により貴族の勢力は削がれ、衰退へと向かっている。
ただ、この勝利により愛の神殿の独立が保てるわけではない。より強力な勢力が介入しようとしているのだ。王は中央集権を進めており、地方勢力を倒そうとしている。監察官が愛の神殿側に付いた理由は、地方勢力を弱めて街を王の支配下に置く為である。王は、愛の神殿も自分の支配下に置こうとしていた。
愛の神殿側は、この先一層困難を強いられる。王や貴族、地方勢力の対立を利用し、独立を保つために立ち回らなくてはならないのだ。ヴァーシシカは、他の神官と共にすでに策略を巡らしている。
策略の駒となったバラーンタカは、法による裁きは逃れる事が出来た。だが、別の枷が付けられる事となった。バラーンタカには、紫色の紋章が付けられた。愛の女神の僕として人々に奉仕する事を義務付ける紋章だ。愛の女神が罪を償ったと見なすまでは、この紋章が取れる事は無い。バラーンタカは罪を重ねてきており、罪を償う事を要求されたのだ。アマンガがバラーンタカの監督をする事になった。
「あなたの罪はあなただけの責任ではない。でも、あなたにも責任は有る」
アマンガは、バラーンタカにそう言い放った。バラーンタカは唇を歪めながら笑い、顔を背けた。
バラーンタカは、愛の女神の囚人として人々に奉仕する生活をしていた。アマンガの監督の下、昼は人々に奉仕する為の労働に従事する。夕方になると、二人は笛とヴィーナの合奏をする。女神と人への奉仕の一つだ。
一人で笛を吹いていても、バラーンタカの耳にはアマンガのヴィーナの音が聞こえる。裏切り者の神官と笛を競った時に起こった現象と同じだ。ガンダルヴァと合奏した者に、時折起こる現象らしい。既に孤独な世界で笛を吹く事は、バラーンタカには出来無くなっている。
夜になると、二人は性の交わりを行う。バラーンタカは、アマンガのものとなっている。アマンガは、自分の香りをバラーンタカに染み付け続けている。既にバラーンタカからは、アマンガの香りは取れなくなっている。バラーンタカを嗅げば、ガンダルヴァのものだと分かるようになっているのだ。バラーンタカは、アマンガの香りを取り除く事が出来ない。それどころかアマンガの香りに酔いしれている。
アマンガも、バラーンタカの臭いを貪っている。顔を、鼻を体中に擦り付けて臭いを嗅ぐ。顔に、髪に、首筋に、胸に、腕に擦り付けて臭いを嗅ぐ。腋や股間にまで顔と鼻を擦り付けて臭いを貪る。そうしてアマンガは、自分にバラーンタカの臭いを染み込ませた。
アマンガは、愛の女神に仕える者として様々の性技を習得している。その性技をバラーンタカ相手に駆使した。口や胸で男根を愛する性技はもちろんの事、バラーンタカには経験した事も想像した事も無い性技を使った。肉感的な美貌を股間に摺り寄せ、たぎり立つ肉棒に頬ずりをし、顔じゅうを擦り付けて愛撫する。汗で濡れて香気を漂わせる腋に、わななく肉棒を擦り付けて挟み込み、腋と胸肉で愛撫しながら扱き上げる。バラーンタカの後ろに跪き、尻の穴に滑る舌を這わせ、滑らかな羽根で覆われた翼で肉棒と陰嚢を愛撫する。アマンガの繰り出してくる様々な性技により、バラーンタカは興奮と快楽の中に沈んでいった。
獣以上の欲望に支配されたバラーンタカは、アマンガの穴と言う穴に欲望の液をぶちまけ続けた。女陰はもちろんの事、口や尻の穴にも白濁した子種汁を注ぎ込み続ける。女陰や尻の穴に入れた男根を、口の中にねじり込む。アマンガは、嫌がる事も無く受け入れて奉仕をする。再びたぎり立った男根を、バラーンタカは精で溢れる穴へと埋め込んだ。
女陰に入れて交わるにしても、二人は様々な体勢で交わった。アマンガが下になる事も有れば、バラーンタカが下になる事もある。お互いに身を起こして抱き合いながら交わる事も有れば、バラーンタカがアマンガを抱えて歩き回りながら交わる事もある。立って背を向けるアマンガをバラーンタカが後ろから貫く事も有れば、這い蹲ったアマンガをバラーンタカが後ろから貫く事もある。横たわったアマンガの足を持ち上げて抱きしめながら、突き入れる事もあった。アマンガから体位を教わり、バラーンタカが実践したのだ。
バラーンタカとアマンガは、愛の女神に仕えながら愛の女神の教えを実践し続けた。
バラーンタカは、アマンガと抱き合いながら寝台に横たわっていた。部屋の中には濃厚な性臭が漂っている。アマンガは、酔いそうなほど濃い臭いを楽しそうに鼻で吸い込んでいる。バラーンタカも、共に臭いを楽しんでいた。
「お前は、俺が奴隷だと分かっているだろう。なぜ俺と体を交えるのだ?」
バラーンタカは唐突に呟く。奴隷である自分と神鳥が体を交える。本来ならばありえない事だ。何度アマンガと性の交歓を楽しんでも分からない事だ。
「奴隷や貴族と言った区分けは、人間だけのもの。私達魔物には関係の無い事よ。愛の女神も奴隷を差別していないわ」
アマンガは、軽く笑いながらバラーンタカを翼で愛撫する。
「それにあなた達は優れた者達よ。かつてこの国に最古の文明を築いたのは、あなた達の先祖よ。高貴な文明を築いたあなた達の先祖は、新参の侵略者達に滅ぼされた。あなた達の先祖は大勢殺され、生き残った者は奴隷とされた。それがこの国の奴隷の起源よ」
バラーンタカは、聞いた事が無い話だ。奴隷の先祖は汚らわしい者であり、奴隷の子孫は未来永劫汚らわしい者だと言われている。
「あなたは自分の血を恥じる事は無い。高貴な一族の末裔なのだから。もっとも私達魔物は、人間の言う高貴や下賤はどうでもいい事なのだけどね」
アマンガは、微笑みながらバラーンタカに顔を寄せた。アマンガからは、嗅ぎなれた香気が漂って来る。
「私は、あなたとあなたの笛の音が好きになった。愛と音楽は、全ての人間と全ての魔物のものよ」
アマンガは、バラーンタカの左右の頬の傷に口付ける。
バラーンタカは、アマンガを抱きしめながらも顔を背ける。俺には愛など関係ない。俺の人生には存在しないものであり、無意味で無価値なものだ。これからも変わらない。だが、
アマンガは、バラーンタカを翼で柔らかく愛撫する。アマンガの香りと感触が、バラーンタカの体に染み込んでくる。
俺はこの女を失いたくない。たとえ法が、倫理が、人間が認めなくてもだ。バラーンタカは、人間とは違う温かい体を抱き寄せた。
15/02/15 02:23更新 / 鬼畜軍曹