瞳に映る赤色
誰しもコンプレックスというものは生きているうちに抱え込んでしまうものだ。僕も例外ではないし、僕が出会った人間は一様に何かしらの劣等感を抱え込んで生きているように思えた。それは自分の能力だったり性質だったり、変えようとして中々変えられずに苦しむものだ。あるいは先天的な体質だったりの、変えようのないものかもしれない。
どうもこの葛藤は人間の専売特許ではないらしく、四六時中セックスの事しか考えていないような連中でも一端に苦悩しているようだ。魔王が代替わりして美醜様々だった魔物は統一された美女へと生まれ変わった。以前がどのような姿であれ、容姿の最低基準は大きく引き上げられ、今日多くの男性を伴侶として獲得するに至っている。かく言う僕も彼女らに魅入られた人間の一人だ。
アイリスという名の少女は、単眼という強烈なコンプレックスを抱えていた。
それは彼女がゲイザーという種族である以上どうしても付きまとう劣等感である。
けれども、不思議なほどに蠱惑的だ。僕は凡そこの魔物の進化とも言える変化に取り残されたような特徴をもつ少女に惹かれている。
さて、コンプレックスは誰しも持ち合わせるものだと僕は述べた。当然ながら僕もそれに喘いでいた人間の一人だ。
僕はまともな人間を愛せないらしい。言い寄る人間がいなかったわけではない。僕自身の美的感覚がひどく歪曲していたために、誰も彼もに対する情愛を見出せなかったに過ぎないのだった。しかし、魔物娘はそのような動作不良でさえも苦にはしない。彼女らにとって醜男、不能なぞは何ら問題にならない。僕ら不良品にとって魔物娘という存在は間違いなく光明であろう。彼女らの愛を拒否した時でさえ、飢えた魔物は平気でこちらの意志を無視して事に及ぶのだ。
僕はその点において幸運であった。丁重に断ってやれば大人しく引き下がってくれる出会いばかりだったのだ。僕がどういう嗜好を持つにせよ、相手方が望めば愛することになるのであれば、あるいは不幸だったのかもしれないが、とかく僕は彼女を愛するに至っているのだから幸運と評するに他はない。
僕を幸運たらしめる出会いとは、薄暗い洞窟に迷い込む僕を見つめる深紅の瞳。尋常な人間であれば一目散に逃げだしてしまうようなそれに、僕はただ目を奪われ、立ち尽くしたのだ。やがて暗闇の中に彼女の輪郭が浮かび上がってくると、いよいよ僕は雷に撃たれたような衝撃を覚えて目を見開いた。
ゲイザーの多くは真っ赤で大きな単眼と、眼の付いた複数の触手をもつ。それでいて肌は血の気の失せたような灰色で、体はどうしてか黒いゲル状の物質が覆っている。
激しい動悸。焼け付くような鼓動に襲われて、僕はすぐに察した。僕は、このような女の子しか愛せないのだ、と。上の特徴に加えて彼女の黒髪はぼさぼさで、しかも痩せぎすで肋が浮き出ている。それを認めると僕の動機はより一層激しさを増して、彼女に対する運命を信じずにはいられなかった。アイリスからすれば、自らの住処に入り込んできた闖入者。自分の眼で暗闇からちょっと見つめてやれば逃げ出してくれる、いつもの冒険者。僕は彼女の大方の予想を裏切り、詰め寄ることとなる。僕自身も認知していなかったほどの積極性だ。彼女もよもや余所者を追い払うための部位が決定打となるとは思わなかっただろう。幸い、彼女の少々消極的な性質とは上手く合致したらしく、僕たちの距離は急速に縮まっていった。
その途上で僕たちは当然、お互いの体を重ね合わせることとなる。アイリスは自分の痩身をひどく恥じていた。尤もなことである。彼女の体が女性的な魅力とは縁がないのは僕も知るところだった。
「恥ずかしい……アタシ、他の魔物ほどキレイな体してないから……」
そのような意味を含む言葉は、体を重ねる場面でなくてもよく聞いていた。けれども僕はそんな羞恥に身を苛まれながら顔を赤らめる彼女を見るだけでも充分すぎるほどであった。
「僕にとっては今までに会った誰よりも綺麗なんだ。どうか、見せてはくれないか」
情愛に捕らわれた僕の歓呼は驚くほどに稚拙でいて率直だ。飾り気はないが、それだけに彼女に伝わらないということは有り得なく、彼女をひどく赤面させた。
「僕は、君の眼に何よりも惹かれたんだ。君の真っ赤な瞳が……どうしようもなく好きで。どうか、僕に君の眼を愛することを、許してほしい」
その瞬間、アイリスは僕と眼を合わせることさえままならなくなって、逃げるように眼を閉じてしまった。僕はそれを合意と受け取ると、アイリスの瞼へ口づけをする。
驚いた彼女が再び眼を開く。
「おまっ、オマエ……何して……」
「好きだと言っただろう」
僕は瞠目する彼女を真っすぐに見つめて言う。彼女の頬の紅は一層濃くなって、眼は激しく泳ぎだした。僕は、僕がとろうとする次の行動を考えると、彼女を制止した。
「こっちを見て」
アイリスの頬を手に取り、こちらに向かせると、彼女の赤い眼は僕の黒い眼に止まる。――綺麗だ。吸い込まれてしまいそう。洞窟の薄闇が、彼女の魅惑を殊更に引き立たせている。時間の止まるような高揚。ずっと見ていられる。
「君の眼を愛したい。いいかな」
改めて訊ねると彼女は遂に硬直する。僕はそれを制止と受け取ってもよかったが、自身の内に秘める欲望を考えれば、合意と判断せずにはいられなかった。
アイリスの眼を愛する。彼女の瞼にキスをする。何度も、何度も。睫毛の一本一本まで慈しむように口づけをする。
それでも足りず、次から次へと彼女への想いが溢れてきて、とうとう彼女の眼球を舐めてしまう。ここまで来るとこの愛はもう自己満足で、僕が自分の欲望を彼女にぶつけているだけのような気もする。彼女が何かの病気を患ってしまうかもしれないなんてことは考えないで、けれども彼女に何かしらの不都合が生じないことを祈って、僕は夢中で彼女の赤眼を舐った。
――おかしなことだ。味なんかするわけがないのに、今まで味わった何よりも甘美な風味がする。
「ひっ……ひっく……」
いつの間にかアイリスはすすり泣いていて、僕は途端に狼狽した。僕の表現はやはりエゴでしかないのかとはっとして、ひどく恐れた。ならばそれは正さねばならないと、何が悪かったのかと彼女に問う。しかし彼女は首を横に振る。
「あ、アタシ……自分の眼がずっとキライで……でも……こんなに愛してくれたの……オマエが初めてで……」
上ずった声で、それでも精一杯に喜色を出そうとして口元を緩めるアイリス。大粒の涙がぼろぼろ溢れている。その告白で、アイリスが今まで受けてきた仕打ちが瞼の裏に浮かぶようだった。
――嗚呼、何て莫迦な奴等なんだろう。この子を避けた連中は全く、この子の魅力を理解してはいないのだ。なんと可憐でなんと甘美な子かを知らないのだ。今まで彼女に出会ってなお捨ててきた連中は莫迦だ。ちょっと見方を変えてみればこんなにも可憐ではないか。
途端に僕はアイリスの魅力に対する優越を覚えて、愛しさが堪らなくなった。彼女の眼下を零れる涙を啜るようにキスをする。広がる微かな塩気でさえ、背筋の震えるような快感をもたらす。
「僕だけでいい。君を愛するなんて奴は。僕なんかじゃ、他の好敵手なんかには到底勝てないだろうさ」
――そう言って、彼はまたアタシの眼を愛撫する。何度されても慣れることがない。自分の眼球を、誰かの舌が滑るなんて感覚は、きっとこれまでもこれからも、コイツのものだけだ。嗚呼、コイツなんて、最初はただ好奇心が強いだけの物好きって思うようにしていたのに。
自分の眼を舐められる感覚が、堪らなく気持ちいい。痛みなんかは全く感じなくて、愛してくれてるんだって感覚だけが体の芯を貫くように伝わってくる。眼の奥にパチパチと火花が走って、頭の奥がビリビリと痺れて、他の何も考えられなくなってしまう。こんな姿でだって魔物なんだ。好きなヤツが出来ちゃったら、もうソイツのことしか考えられないんだ。運命なんて、そんな不確かな言葉を信じて、身を委ねたくなってしまうんだ。
違う。不確かなんかじゃない。アタシが好きなんて、コイツは同情で言ってるんじゃないってこと、もう判っている。ただの憐れみで自分の眼を舐めるなんて真似ができてたまるか。もう……どうしようもなく好きなんだ。こんな、皆から嫌われるような眼をしたヤツを愛してるなんて言うバカのことが――
「負けるもんか。オマエは……アタシにとって最高のオスだ。ぜったい……離したりしないからな」
アイリスの、僕の歓呼に対する不敵な応答だ。誰かに向けられる本当の意味での愛を知らなかった僕にとってこれはあまりにも強烈な印象を伴った。魔物にとって最高のオスとは、自分の体を永遠に捧げるに相応しい相手を意味する。
僕の歓呼は無駄ではなかったのだ。アイリスに通じ、見事アイリスの心を揺らがせるのに至ったのだ。血の沸くような感覚が全身の隅々にまで横溢したかと思うと、僕は彼女の痩躯を力の限り抱擁していた。
「ああ……僕も……決して、離すものか」
お互いの感情がよほど昂ったのだろうか。僕たちは、お互いの眼から流れる雫を認めていた。僕たちはそのすすり泣く声のなかで交わり、やがてその泣き声は艶やかな嬌声へと変わっていく。絶え間ない上下運動のなかでも飛び散る汁が絶えることはなかった。それが涙か汗か、もっと別な何かかを知る者は、僕たちしかいない。
「好きだ……アイリス……」
「アタシも、好き……大好きだ……」
思いの丈を彼女の中にぶちまけて。
彼の愛を体いっぱいに受け止める。
思えば、僕はアイリスから暗示をかけられたことがない。
思えば、アタシはコイツに暗示をかけたことがない。
でも、そんな必要はない。今、目の前に映っていれば、それで。
どうもこの葛藤は人間の専売特許ではないらしく、四六時中セックスの事しか考えていないような連中でも一端に苦悩しているようだ。魔王が代替わりして美醜様々だった魔物は統一された美女へと生まれ変わった。以前がどのような姿であれ、容姿の最低基準は大きく引き上げられ、今日多くの男性を伴侶として獲得するに至っている。かく言う僕も彼女らに魅入られた人間の一人だ。
アイリスという名の少女は、単眼という強烈なコンプレックスを抱えていた。
それは彼女がゲイザーという種族である以上どうしても付きまとう劣等感である。
けれども、不思議なほどに蠱惑的だ。僕は凡そこの魔物の進化とも言える変化に取り残されたような特徴をもつ少女に惹かれている。
さて、コンプレックスは誰しも持ち合わせるものだと僕は述べた。当然ながら僕もそれに喘いでいた人間の一人だ。
僕はまともな人間を愛せないらしい。言い寄る人間がいなかったわけではない。僕自身の美的感覚がひどく歪曲していたために、誰も彼もに対する情愛を見出せなかったに過ぎないのだった。しかし、魔物娘はそのような動作不良でさえも苦にはしない。彼女らにとって醜男、不能なぞは何ら問題にならない。僕ら不良品にとって魔物娘という存在は間違いなく光明であろう。彼女らの愛を拒否した時でさえ、飢えた魔物は平気でこちらの意志を無視して事に及ぶのだ。
僕はその点において幸運であった。丁重に断ってやれば大人しく引き下がってくれる出会いばかりだったのだ。僕がどういう嗜好を持つにせよ、相手方が望めば愛することになるのであれば、あるいは不幸だったのかもしれないが、とかく僕は彼女を愛するに至っているのだから幸運と評するに他はない。
僕を幸運たらしめる出会いとは、薄暗い洞窟に迷い込む僕を見つめる深紅の瞳。尋常な人間であれば一目散に逃げだしてしまうようなそれに、僕はただ目を奪われ、立ち尽くしたのだ。やがて暗闇の中に彼女の輪郭が浮かび上がってくると、いよいよ僕は雷に撃たれたような衝撃を覚えて目を見開いた。
ゲイザーの多くは真っ赤で大きな単眼と、眼の付いた複数の触手をもつ。それでいて肌は血の気の失せたような灰色で、体はどうしてか黒いゲル状の物質が覆っている。
激しい動悸。焼け付くような鼓動に襲われて、僕はすぐに察した。僕は、このような女の子しか愛せないのだ、と。上の特徴に加えて彼女の黒髪はぼさぼさで、しかも痩せぎすで肋が浮き出ている。それを認めると僕の動機はより一層激しさを増して、彼女に対する運命を信じずにはいられなかった。アイリスからすれば、自らの住処に入り込んできた闖入者。自分の眼で暗闇からちょっと見つめてやれば逃げ出してくれる、いつもの冒険者。僕は彼女の大方の予想を裏切り、詰め寄ることとなる。僕自身も認知していなかったほどの積極性だ。彼女もよもや余所者を追い払うための部位が決定打となるとは思わなかっただろう。幸い、彼女の少々消極的な性質とは上手く合致したらしく、僕たちの距離は急速に縮まっていった。
その途上で僕たちは当然、お互いの体を重ね合わせることとなる。アイリスは自分の痩身をひどく恥じていた。尤もなことである。彼女の体が女性的な魅力とは縁がないのは僕も知るところだった。
「恥ずかしい……アタシ、他の魔物ほどキレイな体してないから……」
そのような意味を含む言葉は、体を重ねる場面でなくてもよく聞いていた。けれども僕はそんな羞恥に身を苛まれながら顔を赤らめる彼女を見るだけでも充分すぎるほどであった。
「僕にとっては今までに会った誰よりも綺麗なんだ。どうか、見せてはくれないか」
情愛に捕らわれた僕の歓呼は驚くほどに稚拙でいて率直だ。飾り気はないが、それだけに彼女に伝わらないということは有り得なく、彼女をひどく赤面させた。
「僕は、君の眼に何よりも惹かれたんだ。君の真っ赤な瞳が……どうしようもなく好きで。どうか、僕に君の眼を愛することを、許してほしい」
その瞬間、アイリスは僕と眼を合わせることさえままならなくなって、逃げるように眼を閉じてしまった。僕はそれを合意と受け取ると、アイリスの瞼へ口づけをする。
驚いた彼女が再び眼を開く。
「おまっ、オマエ……何して……」
「好きだと言っただろう」
僕は瞠目する彼女を真っすぐに見つめて言う。彼女の頬の紅は一層濃くなって、眼は激しく泳ぎだした。僕は、僕がとろうとする次の行動を考えると、彼女を制止した。
「こっちを見て」
アイリスの頬を手に取り、こちらに向かせると、彼女の赤い眼は僕の黒い眼に止まる。――綺麗だ。吸い込まれてしまいそう。洞窟の薄闇が、彼女の魅惑を殊更に引き立たせている。時間の止まるような高揚。ずっと見ていられる。
「君の眼を愛したい。いいかな」
改めて訊ねると彼女は遂に硬直する。僕はそれを制止と受け取ってもよかったが、自身の内に秘める欲望を考えれば、合意と判断せずにはいられなかった。
アイリスの眼を愛する。彼女の瞼にキスをする。何度も、何度も。睫毛の一本一本まで慈しむように口づけをする。
それでも足りず、次から次へと彼女への想いが溢れてきて、とうとう彼女の眼球を舐めてしまう。ここまで来るとこの愛はもう自己満足で、僕が自分の欲望を彼女にぶつけているだけのような気もする。彼女が何かの病気を患ってしまうかもしれないなんてことは考えないで、けれども彼女に何かしらの不都合が生じないことを祈って、僕は夢中で彼女の赤眼を舐った。
――おかしなことだ。味なんかするわけがないのに、今まで味わった何よりも甘美な風味がする。
「ひっ……ひっく……」
いつの間にかアイリスはすすり泣いていて、僕は途端に狼狽した。僕の表現はやはりエゴでしかないのかとはっとして、ひどく恐れた。ならばそれは正さねばならないと、何が悪かったのかと彼女に問う。しかし彼女は首を横に振る。
「あ、アタシ……自分の眼がずっとキライで……でも……こんなに愛してくれたの……オマエが初めてで……」
上ずった声で、それでも精一杯に喜色を出そうとして口元を緩めるアイリス。大粒の涙がぼろぼろ溢れている。その告白で、アイリスが今まで受けてきた仕打ちが瞼の裏に浮かぶようだった。
――嗚呼、何て莫迦な奴等なんだろう。この子を避けた連中は全く、この子の魅力を理解してはいないのだ。なんと可憐でなんと甘美な子かを知らないのだ。今まで彼女に出会ってなお捨ててきた連中は莫迦だ。ちょっと見方を変えてみればこんなにも可憐ではないか。
途端に僕はアイリスの魅力に対する優越を覚えて、愛しさが堪らなくなった。彼女の眼下を零れる涙を啜るようにキスをする。広がる微かな塩気でさえ、背筋の震えるような快感をもたらす。
「僕だけでいい。君を愛するなんて奴は。僕なんかじゃ、他の好敵手なんかには到底勝てないだろうさ」
――そう言って、彼はまたアタシの眼を愛撫する。何度されても慣れることがない。自分の眼球を、誰かの舌が滑るなんて感覚は、きっとこれまでもこれからも、コイツのものだけだ。嗚呼、コイツなんて、最初はただ好奇心が強いだけの物好きって思うようにしていたのに。
自分の眼を舐められる感覚が、堪らなく気持ちいい。痛みなんかは全く感じなくて、愛してくれてるんだって感覚だけが体の芯を貫くように伝わってくる。眼の奥にパチパチと火花が走って、頭の奥がビリビリと痺れて、他の何も考えられなくなってしまう。こんな姿でだって魔物なんだ。好きなヤツが出来ちゃったら、もうソイツのことしか考えられないんだ。運命なんて、そんな不確かな言葉を信じて、身を委ねたくなってしまうんだ。
違う。不確かなんかじゃない。アタシが好きなんて、コイツは同情で言ってるんじゃないってこと、もう判っている。ただの憐れみで自分の眼を舐めるなんて真似ができてたまるか。もう……どうしようもなく好きなんだ。こんな、皆から嫌われるような眼をしたヤツを愛してるなんて言うバカのことが――
「負けるもんか。オマエは……アタシにとって最高のオスだ。ぜったい……離したりしないからな」
アイリスの、僕の歓呼に対する不敵な応答だ。誰かに向けられる本当の意味での愛を知らなかった僕にとってこれはあまりにも強烈な印象を伴った。魔物にとって最高のオスとは、自分の体を永遠に捧げるに相応しい相手を意味する。
僕の歓呼は無駄ではなかったのだ。アイリスに通じ、見事アイリスの心を揺らがせるのに至ったのだ。血の沸くような感覚が全身の隅々にまで横溢したかと思うと、僕は彼女の痩躯を力の限り抱擁していた。
「ああ……僕も……決して、離すものか」
お互いの感情がよほど昂ったのだろうか。僕たちは、お互いの眼から流れる雫を認めていた。僕たちはそのすすり泣く声のなかで交わり、やがてその泣き声は艶やかな嬌声へと変わっていく。絶え間ない上下運動のなかでも飛び散る汁が絶えることはなかった。それが涙か汗か、もっと別な何かかを知る者は、僕たちしかいない。
「好きだ……アイリス……」
「アタシも、好き……大好きだ……」
思いの丈を彼女の中にぶちまけて。
彼の愛を体いっぱいに受け止める。
思えば、僕はアイリスから暗示をかけられたことがない。
思えば、アタシはコイツに暗示をかけたことがない。
でも、そんな必要はない。今、目の前に映っていれば、それで。
18/04/18 00:00更新 / 香橋