連載小説
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Enchanted
擦れる靴と地面。
抜けてゆく爽風。
行進する僕達。




 首都フロウトゥールを出て五日目。アルマリーク共和国へ入国してからは二日目になる。イヴは相変わらず眩しい位の笑顔を僕に振り撒いてくれるが、それが強がりに見えるのは気の所為だろうか。いくら彼女が魔物とはいえ、子供にはこの長距離移動は辛いものだろう。イヴは一人で暮らせる程度の知恵はあるが、流石に野宿には慣れていない。寝床であるベッドが草に変われば、女性だから渋い顔の一つもする。当の僕も、イヴが眠っている間は魔物や賊に襲われないように見張りをしなければならないので、ここのところは寝不足気味だ。だが、あと少しの辛抱。
 整備された山道を、穏やかな風が吹き抜ける。昼前の空は雲が少し多くなってきて、日差しが強くなったり弱くなったりを繰り返している。目蓋は重いが、急いだ方が良いかもしれない。隣を歩くイヴの顔も、矢張り疲れて見える。確か、この近くに集落があった筈だ。一先ず、僕の寝床と食事に関しては心配無さそうだ。
「もう少し歩けば、この先に集落があるから」
「ほんと?」
イヴの表情に光明が差す。
「ああ、今日は温かい風呂と夕飯とベッドにありつける」
「やったぁ!」
 満面の笑みで万歳をするイヴ。僕ですら有り難いと思うのだから、旅になれていない彼女の喜びも一入だろう。足取りも軽くなったようだ。そんなイヴの様子を見て、一抹の不安が過ぎる。
 まだイヴには伝えていない事だが、この先にある集落は反魔物思想が強い。アルマリークという国自体は親魔物国家だが、そうなったのはほんの十数年前で、元々は反魔物国家だ。故に、地方では反魔物から親魔物への転換が追いついておらず、未だに反魔物を謳う地域は多い。この先の集落がそうであるというだけの話だ。魔物となれば、たとえ子供であるイヴを見ても、彼らは是が非でも彼女を追いだそうとするだろう。
 集落に滞在している間は、イヴの正体を隠しておく必要がある。正体がばれて同行者が僕だと分かれば、僕も留まってはいられないだろうし、何よりもイヴの身に危険が迫りかねない。なるべく厳重に隠したいところだが、出来るのはレスカティエの国境を越える時と同じ手口だけ。不安は残るが、背に腹は代えられない。ヴェルドラならば擬態の魔導書の一つくらいは置いてあるだろうに、そこが目的地だというのがもどかしい。
 イヴは魔物ではあるが、魔法を使う場面は日常生活においてだけで、魔術師が用いる様な魔法は使わない。素養はあるのだろうが、本人にその意志が無い。
「イヴは、自分で魔法を使ったりはしないんだよな?」
「うん」
「覚えようとは思わないのか?」
「お勉強、きらいだもん」
「だろうね……」
 駄目で元々の質問に、イヴはあっけらかんとして答える。魔物は、オーガなどの一部例外を除いて、多くは人間よりも魔術の扱いに長ける。高度な魔法を覚える際にも苦労が少ないし、魔物にしか使用出来ない魔法というのも存在する程だ。僕としては、イヴがある程度の魔法を扱えるのであれば、特にこれからという時に、有り難いのだが。当人がこの調子では期待出来そうもない。無理強いするわけにもいかないし、僕一人の裁量次第だ。予想出来ていたし、分かってはいるが、言葉に溜め息が混じる。そんな感じで、少し憂鬱になっていた時だった。
「ひっ……」
 側の茂みが突然、がさがさと大きく揺れる。イヴが小さく悲鳴を上げて僕の腕にしがみついた。
「下がって」
 僕はイヴの前に立つ様にして、彼女を茂みから遠ざける。次の瞬間、茂みから黒い影が僕達の前に飛び出した。影は丁度、人間と同じ大きさだ。一度だけではない。二度、三度、四度……影は合わせて四つ、僕達の前に立ちはだかった。僕は眉を顰めてそれを見つめる。イヴの掴む力が強くなった。
「おい……命が惜しかったら、金目のもん全部置いてきな」
 野太く濁った声が投げつけられる。粗末な格好に大振りの斧。山道を通る人間を襲う山賊だ。青年と子供が一人ずつとなれば、略奪の標的としてはうってつけだと考えたのだろう。
「退くつもりは無いんだろうね」
 腰に佩いた細身の長剣を抜き、白銀の切っ先を野蛮の者に向けて重い声を響かせる。説得で切り抜けられる様な相手ではないのは分かっている。しかし、出来るならば、無駄な戦いはしたくない。無用な血は見たくない。
「ほう……やるってのか?」
 首領格と思われる大柄の男がにたりと口を歪ませる。場数で言えば、こちらは圧倒的に劣っている。故に、こいつらは自分達が負けるなどとは思っていない。蛮勇を嘲る顔だ。
 僕は一切の反応を示さず、右手の剣を握り締めて構える。矢張り。気は進まないが、これが最も手っ取り早い方法だ。嘗て勇者だった僕なら、尚更。
「やっちまえ!」
 首領格が啖呵を切ると、取り巻きの三人が斧を振り上げて、割れんばかりの雄叫びを上げながら一斉に飛びかかる。
 上方向からの強襲。一歩飛び退けば分厚い刃が空振って地面を割る。すかさず踏み込み、斬り上げれば一人目。
 負けじと斧が振り下ろされるが、身を横に捩って躱す。斧が空を薙ぐ間に白銀の刃が胴を薙いで二人目。
 最後の一人が一瞬たじろぎ、しかし突っ込んでくる。こちらも地を蹴り、すれ違いざまに剣を振り抜けば三人目。
 人間が三人倒れるのに、さほど時間はかからなかった。僕は剣に付いた露を払い、残った一人を見据える。恐らくは動揺を隠せていないだろう。カモだと思ったガキ一人に、と。しかし、実際は違った。濁った目は、未だに不敵な歪みを孕んだままだ。何か、企みがある。隠れた、何かが……。
 背後の茂みが揺れた。振り向けば、飛び出した黒い影がイヴに迫っている。黒いチョーカーを巻いたうなじが疼いた。
 僕は即座に身体に流れる魔力を剣に宿し、振るった。白銀に纏わせた真紅の炎が剣圧となり、黒い影へ向かって高速で飛ぶ。影の手がイヴに触れる瞬間、剣圧が影に直撃。影は燃え上がり、その場に崩れ落ちる。伏兵だった。もう少し反応が遅れていたら、イヴを人質に取られてしまっていただろう。
 改めて首領格の男へ振り向き、睨みと強い語勢をぶつける。
「まだ、続けるつもり?」
「チッ……覚えてやがれ!」
 男の目は今度こそ戦慄いていた。定型句とすら思える様な捨て台詞で、男は茂みの奥へと消えていった。残ったのは僕達と、四人分の屍。剣を腰の鞘に収めて、イヴの方へ駆け寄る。
「大丈夫? 怪我、してない?」
「うん……」
 イヴは怯えた目をしていた。すんでのところで、というところだったから無理も無い。
「怖がらせて、ごめん。また奴らが騙し討ちをしに来るかもわからない。僕の傍を離れないで」
 イヴは無言で、こくりと頷いた。あと少し、彼女を何か怖がらせるようなことがあれば、彼女は泣き出してしまうだろう。僕は自分から、左手でイヴの手を握った。彼女の身体が一瞬だけ強張ったが、すぐに歩き出した。僕は、繋がった手から確かに感じ取った。彼女の体温と震えとを。
 集落へ向かう間も、僕は緊張の糸を張り続けた。男を思わず逃がしてしまったが、この懸念があるならあの場で討ってしまった方が良かったかもしれない。だが、後悔しても仕様が無かった。二人分の、山肌を踏んで擦れる土の音が、会話の無い僕達の間に、虚ろさをも含んで響いていた。
 日が真上に登ってから暫く、移ろい、昼下がりの頃。それ位の時間、山道を進んで、目的の集落が視界の先に見えてきた。
「見えてきたよ、イヴ」
「あ……あれ?」
 集落の方を指差すと、イヴも声を僅かに弾ませてその方を見る。僕にとってもイヴにとっても、少なくとも今日限りではお待ちかねの目的地だ。しかし、逸る気持ちは抑えなければならない。イヴは、まだあの集落の何たるかをしらないのだから。
「イヴ。落ち着いて聴いて」
 浮き足立つイヴを宥めて目線を下げ、彼女の両肩に手を置く。
「なぁに?」
 イヴは変わらぬ無垢な瞳を僕に向けた。それに少しどぎまぎしながらも、僕は説明を始めた。
「これから僕達が行く村は、魔物が嫌いなんだ。だから、イヴが魔物であることは隠さなくちゃいけない。だから、これを羽織って」
 僕は荷物の入った袋から、街を出る時に購入したコートを取り出して、イヴに着させた。イヴの上半身をすっぽり覆う、鮮やかな赤のコート。フードを目深に被れば、さながら童話のキャラクターの様だ。目晦ましが薄汚いマント一枚では、彼女も女性なのだから目に余ると考えて買ったものだった。これで翼と尻尾を畳めば、村人が妙な真似をしない限りは大丈夫だろう。と思ったのだが、肝心のイヴがどうもぎこちない表情をしている。
「……嫌だった?」
 一応、本人に似合うかどうかも考えて買っておいたものなのだが、飽くまでもそれは僕の選択だ。本人が本当に気に入るかどうかは分からない。しかし、イヴがはっとして首を横に振る。
「ううん、違うの。でも……そのマントじゃ、だめ?」
 イヴは僕が付けている革のマントの方が良いと言う。汚れ避けに付けているものだから本当は被る様なものではないのだが、どうしてだろう。
「うーん……人前を歩くなら、こっちの方が違和感は無いと思う」
 別に駄目ではないのだが、このマントを被って人前を歩くとなると、怪しまれるかもしれない。不格好なこれでは、イヴが着ているフリフリのドレスとは水と油だ。村人に見つからないのが最優先なので、用心しておくに越した事は無い。
「そう……わかった」
 イヴは未だ納得がいかない様子だったが、これは仕方が無い。僕は軽く咳払いをして、注意事項を述べる。
「……こほん。村にいる間は、出来るだけ喋らないように。角と、翼と、尻尾は、僕以外の人間に絶対に見せてはいけないよ」
「もし、見つかっちゃったら?」
 イヴがおずおずと訊いた。
「村から追い出されて、また野宿だ。それは嫌だろう?」
 イヴはまだ子供だ。或いは、その場で殺されてしまう事すら有り得る。僕もそれを考えて身震いしそうになるが、それをそのまま伝えては彼女を徒に怖がらせてしまうだけだ。
「うん」
「じゃあ、僕の言うことをちゃんと聞くこと。いいね?」
「うん」
「良い子だ」
イヴが頷いたのを見て、僕は頬を僅かに緩ませながら彼女の頭を撫でた。まだ、少し固い感じがするけれど、イヴは目を細めて、穏やかな面持ちでいる。
「よし……じゃあ、行こう」
 僕は立ち上がり、イヴを促して歩き始める。僕も我ながら、イヴの扱いに手慣れてきたものだ、としみじみしていた時だった。
「ねぇ、エリス」
 僕を呼び止めるイヴの声で、足が止まる。いつもの、無邪気さのある声ではなかった。僕は振り向き、彼女を見た。僕が促してから彼女は一歩も歩いておらず、僕とイヴに間が出来ていた。その瞬間、僕にはその間が無限にすら思えた。
「わたしって、めいわく?」
 不安とも不満ともとれない。こういうイヴの顔は初めて見た。僕は金槌で頭を小突かれたような気分だった。彼女の言葉がうわんうわんと頭の中で反響していた。
「……違う。あんたは、そういう事を気にしなくていいんだ」
 僕は揺れている頭の中から、その言葉を押し出した。押し出して、そのままイヴの方へと歩み寄っていく。
「でも……」
 躊躇うイヴに、僕は手を差し伸べる。見下ろす様に。
「いいかい、僕はあんたの為に外の世界を見せてるんだ。だから、僕だけじゃ……あんたがいなくちゃ何の意味も無い。迷惑とか、そういうの、考えなくていいんだよ」
 少なくとも、今は。強引なものだな、と内心自嘲しながら、僕はイヴを宥めすかした。イヴが俯きがちに目を泳がせている。やがて、考えが固まったか、彼女は向き直って僕の手を握った。
「そう。それでいいんだ」
 僕はそれで安心していた。握った手から伝わる彼女の体温が、僕の胸を熱くさせる。また、だ。あれ程自己嫌悪したのに、僕はまた。振り払う様に、僕達は前を向き、歩を進めた。温かな寝床はもうすぐだ。





 斜陽が山肌に連なる家々を黄昏に染めている。今のところは、何とかなっている。宿も無事取れたし、心配は無さそうだ。首都へ繋がる山道ということで、集落としての賑わいは中々のものだった。だが、長閑な風景に混じって、時折同業者の姿が見える。反魔物思想ゆえの、武装が、集落のあちらこちらに見えている。二階建ての民宿、一室のその窓から僕は眺めていた。イヴは言いつけ通り、ベッドに腰掛けて大人しくしている。いや、腰掛けたまま、足を頻りにぱたぱたさせているから、大人しいと言えるかは怪しい。尤も、彼女は活発な性質だから、退屈に思うのは分かっていた。だから、僕は部屋を出ようとして、イヴに向かって言った。
「行くよ」
「え……どこに?」
 イヴが呆けた調子で返す。無視してそのまま部屋のドアまで歩き、そこでイヴに向き直る。
「夕飯前のお出かけ。行かないの?」
「……うん!」
 フードを被ったままだから、彼女がどんな顔をしているかは見えない。だが、今の僕であれば、それを予想するのはさほど難しいことではなかった。そんな明るい声色をされたら、尚更のことで。
「……尻尾、出てるから」
「あうっ……」
 喜びのあまりか、見えないように畳まれていた尻尾が振り子の様に揺れている。イヴを連れて集落を歩き回るのは確かに危険だ。そもそも、無理をして歩き回る必要も無い。ただリスクが付き纏うだけ。だがそれを考慮しても、イヴ……彼女が退屈に負けてしまうのは避けたいと、僕が危惧していた。僕のこの判断が間違いではないと祈る。心配でならないが。
 イヴが尻尾を引っ込めたのを確認して、僕達は外に出る。賑わっていると言っても、集落は集落。これと言って珍しいものがあるわけでもない。ここにあるのは精々、夕方の市場くらいのものだ。とは言え、陽の落ちかけた時間帯の市場というのも、昼とはまた違った姿を見せるらしい。色合いの所為だろうか。夕暮れには人に何かを思い出させる効果があると聞いた事があるが、それも関わっているのかもしれない。特に何を買うわけでもなく、露店の店先に並ぶ商品を見て歩く。市場はそれだけでも結構楽しめるというものだ。
「ねぇエリス、みてみてあれ!」
 イヴが僕の手を引っ張り、露店の一角を指差す。そのまま彼女に引っ張られて、つい棚の前にまで来てしまった。彼女が指差す先に置いてあったのは、斜光を反射して光る鉱石。見ると、形はほとんど同じだが、色合いや光度はそれぞれ違う。大人の手の爪の大きさくらいのそれらが並んで、イヴの目を引いたのだった。
「……魔宝石ですか。珍しいですね」
 僕はそれに見覚えがあった。そしてそれが、見ていてあまり気持ちの良いものではないということも。
「おっ、兄ちゃんよく知ってるな。滅多に出回らないもんだぜ、これ」
 僕の台詞に店主が食いついてくる。店主の言っていることは確かにそうだ。反魔の風潮が強い地方の集落にも魔宝石が売っているのは珍しい。
「まほうせき?」
 イヴが首を傾げて訊ねる。
「魔力を宿しやすい特殊な石のことだよ。掘り出したばかりの石は色が無くて透明だけど、込められた魔力によって色や輝きが変わるんだ。込められる魔力の種類には限りが無くて、僕達人間、それに魔物、精霊の魔力まで込めることが出来る。だから、その人だけの石を作ったりも出来る」
「その分、値は張るがな」
 店主が豪快に笑う。間違ってはいないが、店側がそういう事を言って良いのだろうか。
「じゃあ、この石はいくら?」
 イヴが棚に置いてある石の一つを手に取る。売りに出す魔宝石の大きさは大体豆と同じくらいだ。イヴが摘まんだ石は淡い金色に輝いていて、中心部に小さな星の結晶が出来ている。
「そいつは……ざっと4、50万はするだろうな」
「ええっ!?」
 値段としては僕が予想していたものとさほど変わらなかったものの、イヴが声を上げて驚いた。尻尾や羽が飛び出したりしないかとヒヤヒヤしたが、頭巾を被った外見に変化は無い。
 イヴの様な子供には想像もつかない値段だが、魔宝石はかなり貴重な鉱石だ。魔界で産出される鉱物ゆえに、反魔物国家では販売が規制されている場合もある。だが、魔宝石の魔力を吸収して変化する性質は、一部のコレクターには需要が高い。特に、名の有る勇者や魔物の魔宝石は、想像も出来ない高値がつくこともあるそうだ。尤も、ここではあまり売れ行きは良くないようだが。
「ヴェルドラから来たんですか?」
「ああ、そうだ。今日の売り出しはダメ元。流石にこういうとこじゃああんまり売れねぇしな」
 店主が溜め息がちに肩を窄める。ヴェルドラから来たとなると、次は恐らくカルベルンへと向かうのだろう。中立国ならば買い手も少なくないはずだ。
「さ、冷やかしなら帰った帰った。そろそろ店じまいだよ」
 ぴしゃりと水を打ち付けるように、店主が僕達に言う。魔宝石なんて買う余裕があるわけも無いから、ぐうの音も出ない。そもそも僕はこの店に立ち寄るつもりは無かったのだが。僕の手を引いたイヴを見ても、彼女は素知らぬふりをしているように見える。その一方、楽しそうにも見える。
「……イヴ、楽しい?」
 宝石の露店を追い出されるようにして歩きながらも、彼女に訊いてみた。
「うん、楽しいよ!」
 そう言い、僕の方に顔を向けてくる。フードで目は見えなくなっているが、鼻から下はそのままだ。口元は確かに緩んでいた。彼女の屈託の無い微笑みが、僕の目には映った。それが不思議なもの悲しさを含んで見えたのは、きっと夕暮れの所為なのだろう。
 僕達は引き続き、黄昏時の市場を練り歩く。夕飯の買い物だろうか、青果の露店の前が主婦と思われる女性たちでごった返している。こうして見ると、案外活気に溢れている。フードを被ったままで歩くイヴを怪しまないかと心配していたが、今のところはそんな様子も無い。このまま何事も無く夜になるのを願うばかりだ。
「ねぇねぇエリス」
 イヴがまた僕の手を引っ張る。その感覚にももう大分慣れてきて、僕はバランスを崩してよろける事も無かった。
「何だ」
「あれ……」
 イヴが指差した先の露店には、あるものが並んでいた。潤沢にコーティングされたシロップが、店の明かりでルビーの様に艶かしく光っている。りんご飴……そういうものも売られているのか。確かに今は収穫の季節か。女の子らしい選択ではある。
「欲しいの?」
「うん」
 おやつの様なものだから、値段としてはそれ程でもない。イヴがあれを指差す意味は何となく予想が付いた。実際、イヴは僕の質問に頷いた。
「駄目。もうすぐ夕食だから」
「うー……」
 質問の答えがどうであっても、僕の答えは決まっていた。あれは日も沈みかけている時に食べるものではない。今食べてしまったら夕食が入らなくなるだろう。つやつやしたあの輝きに心惹かれるのは分からないでもないが、ここで甘やかすのは良くない。僕があっさり切り捨てると、イヴは恨めしそうな声を上げて僕に向いた。フードの下では僕を睨みつけているに違いない。僕は気付かないふりをして歩き出した。しかし数歩進んでも、イヴが動かない。依然あの購買意欲をそそる輝きに憑りつかれたままだ。
「イヴ? 置いていくよ?」
「……もう!」
 イヴは如何にも腹立たしげにこちらへ走ってくる。不満ではあるだろうが、仕方が無い。明日にでも買ってあげるから、と宥めようとした時だった。
「あっ……!」
 イヴが地面に躓いて前のめりになる。危ない、と、僕は反射的に身体を前に進めた。倒れかかる彼女の体を真正面からしっかりと受け止める。どっ、とイヴの身体の柔かい感触が伝わった。
「危ないな、もう……気を付けてくれ」
「うん……」
 胸元のイヴを見ると、頭巾がずれて片目が見えている。受け止めるのが間に合わなかったらと思うと寒気がした。恐らく、角が衆目に曝されることになっていただろう。未然に防げて命拾いした。頭巾を整えながら、僕は叱りつけるように注意した。だが、当人のイヴはしおらしくなるよりかは、寧ろはにかんでいる様だった。
「……ほら、帰るよ。夕食が始まる」
 嘆息して頭を掻く。何となく周りの人の目が訝しげに感じられて、イヴの手を引いて気持ち早足で市場を出る。イヴがもっとゆっくり歩いて欲しいと不満を垂れたが、今の僕には彼女の要求を聞く余裕はあまり無かった。
 どうしても、どんなに意識しないように意識しても、イヴに近付くと鼓動が早くなってしまう。出発したばかりの頃はまだ大丈夫だった。だが、日数が経つにつれ、イヴを意識してしまうことが多くなって……それがあってはならないことだと分かっているのに、イヴへの想いは日に日にひどくなっていく。このままだと僕は、また同じ過ちを犯してしまう。それまでに何とか、イヴの両親を探し出さなければ。



 夕食は部屋に運ばれるルームサービスの形を取っていた。浴場は反魔物の地域にしては珍しく混浴だが、イヴと一緒に入るとなると深夜まで待つか、朝の非常に早い時間に起きなければならない。イヴは朝風呂が気に入ったらしく、後者が良いと意見した。別に僕はどちらでも良かったので彼女に同調しておいたが、そうなると今夜にすることはもう無くなる。何よりも僕はもう眠りたかった。野宿続きで寝不足、イヴの方も疲れが溜まっている様だし、仮にやる事が残っていても朝に回そうと思う程度には、僕達は疲弊していた。
「じゃあ、寝ようか」
「うん」
 寝間着に着替え、イヴは頭巾を外し寝支度を整える。数時間ぶりの彼女の素顔が新鮮に見えた。角も、羽も、尻尾も、今は全て露出したまま。いつもの姿に見慣れているからか、それに僕は安心感を覚えていた。妙な気を起こさない内に、ベッドの中に潜り込んだ。僕に続くようにしてイヴがベッドに潜り込む。
「ちょ、ちょっとイヴ! あんたのベッドはそっちだろ!」
 予想を見事に裏切られてすぐさま猛抗議する。イヴが潜り込もうとしたのは隣にあるもう一つのベッドではなく、僕のベッドだった。こんな時に同衾しては僕がどうなるか分かったものではない。
「え? でも、お外で寝るときは一緒だったよ?」
 イヴはそれがさも当然の事の様に言うが、彼女の言っていることは事実だ。確かに野宿をする時には、仕方なく一つのマントにくるまって寝ていた。しかしそれは飽くまでも野宿に限った話で、宿で就寝する際にまで同じことをしてはならない。今までがそうだった。
「中で寝る時は別々にするんだ!」
「どうして? わたし、エリスと一緒に寝たいのに……」
 僕がイヴを突き放そうとしても、本人が僕を慕っているのでは暖簾に腕押しな気がする。事実、彼女は僕と寝ることを望んでいる。それでも僕は彼女を引き剥がさなければならない。これ以上、彼女の身体に傷を付けてはいけない。
「あれは安全を確保したり、体が冷えないようにする為だ。宿ではそんな心配は要らない」
「でも、一緒に寝ればもっとあったかいよ?」
 理由を述べてもまだイヴは食い下がる。僕がどんなに自制しているかも知らないで、彼女は僕の思いを悪気も無く踏み躙ってくる。眠気も相まって、苛立ちが募る。胸がカッと熱くなって、それが身体中に広がる感じがする。不意に、ここいらで少し強く言ってしまった方が良いと思えてきた。寧ろ、それ位しておいた方がイヴも妙な気を起こす事も無くなるだろうし。二人の仲が多少ぎくしゃくするとしても、僕がイヴを傷付けない事の方が優先されるべきだ。
「鬱陶しいんだよ……」
「えっ……」
 そんな結論に至って、それを口に出すと、イヴの表情が見る見る凍って、柔和なそれが嘘の様に消えた。水を打った様な静寂が、二人用の部屋に響き渡って少し後、僕は更に続けた。
「鬱陶しいって言ってるんだ。僕はあんたの頼みで外の世界を見せてるけど、それだけなんだよ。だから、必要以上に関わる必要は無いんだ。そういうの、要らないから」
 イヴの顔がみるみる内に歪んでいく。こんな小さな子によくもこんな台詞が吐けるものだ、と言いながら自分に驚いた。僕が突き放そうと思えばこんなにも簡単に突き放せてしまうものなのか。とにかく僕は言ってしまったが、このままいけばイヴは僕を慕おうとは思わなくなるはずだ。
「ど、どうして……? どうしてそんなこと言うの……?」
 イヴの声が震えている。僕が牙を剥いたのがあまりに突然すぎて、ひどく狼狽していた。恐らく、あと一突きもすれば彼女は自分の感情が溢れ出してしまうだろう。もう、幾らも余裕なんて無かった。
「迷惑なんだよ、あんたが……っ!」
 俯いて、僕は早過ぎる撤回をした。拳を握り締め、ありったけの憎悪を込めて。意識してもいないのに、イヴと同じ様に声が震えていた。だが、震えている理由は全く違う。
 イヴが後ずさっている。信じられない、といった風に呆然と失望と……一目見ただけではその表情に含まれているものの全ては分からない。イヴは肩を震わせて、歯の隙間から嗚咽を漏らして、水玉が頬を伝って、床に落ちる。その内いたたまれなくなったのか、矢の様に部屋を飛び出していく。翻した体がテーブルを掠めて、上に置いてあった僕達の本が床に落ちた。
 後は追わなかった。いや、追えなかったのかもしれない。一人、大きく息を吐いてベッドにへたり込んだ。これでよかった。そう考えながらも、部屋を飛び出す直前の彼女の泣き顔が、いつまでも脳裏に焼きついたままだった。胸の中で、黒い靄が渦を巻いている。
 靄を抱えたまま、僕は落ちた本を拾おうとした。落ちた拍子でページが開いてしまっている。挿絵は、騎士と女の子が向かい合っている。騎士は怒った表情、女の子は悲しみの表情で、喧嘩をしている場面の様に見える。……いや、これはそういう場面だ。間違いない。
 僕は吸い込まれる様に床に跪いて、その見開きのページを読み始めた。



 
 騎士と女の子は旅を続けるうちにお互いの距離を縮めますが、騎士は自分と女の子の距離が近づきすぎる事を嫌いました。近付きすぎると、自分の心がおかしくなってしまうのです。女の子はそんな騎士の想いに気付かず、どんどん自分から騎士に踏み込んでいきます。二人がすれ違うのは時間の問題でした。
 やがて二人は言い合いになって、怒った女の子は騎士から逃げだしてしまいました。一人になってしまった女の子は、悪い山賊に攫われてしまいます。
 山賊に襲われた女の子は、このままでは殺されてしまいます!
 騎士は、すぐに助けに向かいました。女の子の無事を願いながら、自分の行いを悔やみながら。女の子を一人にさせてしまったのは自分のせいだと、騎士は暗い夜の中を獣の様に走りました。



 この先は白紙だ。本は僕達の足跡を記している。それはこれまでの経験からも明らかだ。だが、今回は違う。僕達がまだ経験していないことが描かれている。イヴはまだ賊に襲われてなどいない。しかし、このままイヴが帰ってこないとすれば……そもそも、イヴが正体を隠しもせずに外に出て行った時点で、僕は彼女の後を追わなければならない。そして、助けに行かねばならない。この騎士の様に。きっとそうだ。これは僕達が経験した事だけではなく、これから僕達が経験することも描かれる本だ。
「魔物だ! 魔物が出たぞ!」
 村人の怒号がこの部屋にまで届いた。僕は急いで身支度を整えて、扉を蹴破る勢いで外に飛び出した。夜も深い時間だというのに、辺りは魔物が出没したと聞いて騒然としている。この騒ぎは確かめるまでもなくイヴの事を指しているのだろう。なるべく僕の顔を見ていなさそうな、付近の村人を捕まえて、彼女の所在を尋ねる。
「魔物はどちらに向かいましたか? 僕が退治に向かいます」
「あんた、勇者か?」
「はい、教国騎士団の出です」
 既に失った肩書きも、こういう場面では融通が利く。もう付ける事は無いと思っていた教国の腕章を取り出して見せる。
「おお! なら安心だな。あのガキなら村の出口に向かってったぞ。もう逃げちまったかもしれんが……」
 男が腹立たしげに舌打ちする。魔物とは矢張りイヴのことらしい。僕の予想通り、この村の者達は、魔物であればたとえイヴの様な子供でも容赦はしない様だ。
「……分かりました。他の皆さんには深追いを止めるように伝えておいて下さい。子供とは言え油断は出来ません。あとは僕が引き受けます」
「ああ、助かるよ。ヤツはあっちの方にいるはずだ」
 僕が胸を張ると、男は村の出口を指差した。僕達が到着した方向、カルベルンへと続く山道だ。僕は寄せる人波を掻き分けて村の門へ向かう。そのまま、月明かりも無い夜の闇へ切り込んだ。本に描いてあったのは、山賊だった。だから、村に滞在していた他の傭兵に見つかるという事は無いだろう。何にしても、僕がやるべき事は、一刻も早くイヴを見つけ出す事だけだ。だが、走れど走れど同じ様な景色が続いている。辺りは一面、墨で塗り潰した様な闇だ。
「イヴ! どこだ、イヴッ! イヴーッ!」
 走りながら、後悔と責任との叫びが、何を考えずとも口から溢れ出ていた。





 涙が次から次へと出てきて、目の前がぐちゃぐちゃ。歩くのも難しくて、時々何かにつまづいて転びそうになる。辺りは真っ暗で、自分がどこからきたのか、戻る道も分からない。それが怖くて、もう戻れないのかもって思うとまた涙がいっぱい出てくる。パジャマで出て来ちゃったから、夜の空気がひんやりして寒い。
「ひっく、うぅ……エリス……」
 つい、エリスの名前を呼んでしまうけれど、エリスには頼れない。エリスにとってわたしはめいわくだから。だから、こうして外に出てきた。けど、また、一人ぼっち。一人だと、周りはとても、寂しいくらいに広い。真っ暗な中で、誰もいない。怖くて、誰かそばにいてほしいって思うけど、誰かって、誰だろう。わたしには、エリスしかいない。時々、とても怖い顔をしていて、わたしも上手に話せなくなっちゃうけど、ほんとうはとっても優しいエリス。わたしはそんなエリスが大好き。だから、ずっといっしょにいたい。でも、エリスはわたしがキライだから、ダメなんだ。でも、一人ぼっちはイヤだ。もう、どうしていいのかわからない。わたしはエリスの言うこともちゃんと守れなくて、村の人たちに見つかっちゃって、追い出された。もう、歩くのも疲れた。わたしは悪い子なんだ。
「やだよぉ……っく、うえぇん……」
 どうにもならなくなって、悲しくて、しゃっくりと涙が止まらない。
 急に横の茂みが音を立てて揺れた。しゃっくりも止まるくらいにびっくりして、そっちを見た。
「だ、だれ……?」
 もしかすると、お腹を空かせたオオカミかもしれない。わたしは悪い子だから、オオカミに食べられてしまうのかもしれない。そう思うと、足ががくがく震えた。
「お嬢ちゃん、昼間の……」
 茂みから出てきたのはオオカミではない。誰かは分からないけど、黒い影がのそのそと出てきた。体がクマみたいに大きく、声もエリスみたいにキレイじゃない。
「おじさん、だれ?」
「覚えてないかい? 昼間、ここで会っただろう」
 昼間にこの道で会ったおじさん。夕方じゃないから、誰なのかを探すのは難しくなかった。おじさんが誰なのかを思い出すと、頭がさあーっとした。エリスにいじわるしたおじさんだ。
「いやぁっ!」
「ち、違う違う! おじさんは仲直りしにきたの!」
「……え? そうなの?」
 エリスに負けたからわたしを狙おうとしているわけではないのかも。
「そうさ。昼間、お嬢ちゃんのお兄さんとケンカしたから、おじさんはその仲直りがしたいんだ」
 おじさんはわたしを襲いにきたわけではないみたい。でも、仲直りするはずのエリスは、今はわたしといっしょじゃない。おじさんはエリスと仲直りしたがっているけど、わたしは今一人ぼっちだ。
「でも、エリスはいないよ?」
「今、おじさんの家に来てるよ。だから、お嬢ちゃんも一緒に来てほしいんだ」
「ほんとう!? でも……」
 エリスがおじさんの家に来ている。今からおじさんの家に行けば、またエリスに会える。それは嬉しい。けれど、エリスとわたしは今、ケンカしている。エリスはわたしに会いたくないかもしれない。そう思うとつらくて、いっしょに行きたいとは言えなかった。
「みんな、仲良くした方が良いだろう? お兄さんもきっと喜ぶよ」
「……ほんとに?」
「そうとも」
 それでもおじさんはエリスと仲直りしようとしている。みんな仲良くした方がいいって言うのも、正しいと思う。今、いっしょに行かなかったら、わたしはずっと一人ぼっちだ。そうなりたくない。それに、エリスが喜んでくれるなら、わたしはそれが一番いい。
「じゃあ、行ってみる」
「よし、じゃあ決まりだ。ついて来てくれよ」
 わたしががんばって言ってみると、おじさんは嬉しそうな声でわたしの前を歩きだした。その時に、ちょうど雲に隠れていたお月さまが顔を出して、辺りが明るくなった。黄色い明かりに照らされて、おじさんの口元が少し見えた。にっこりしていたから、きっとエリスと仲直りできるのがとても嬉しいんだと思った。わたしもいつまでもメソメソしてちゃ、エリスに笑われちゃう。びしょびしょの目をこすって、遅れないようにおじさんの後ろを走りだした。



 おじさんの家は、道から外れた茂みの奥の奥に、ぽつんと立っていた。石づくりで、古くて少しぼろぼろ。小さな窓から明かりがこぼれていて、あそこにエリスがいるんだと思うと、なんだか緊張してくる。
「こ、ここにエリスがいるの?」
「ああ、そうさ。さ、早く入って」
 おじさんはわたしを急がせるように家の中へ招き入れた。おじさんもわたしといっしょで緊張しているのかもしれない。わたしが家の中に入ると、ばたんとドアが閉められた。中は外よりいくらか暖かいけど、エリスがいない。怖い顔をした別のおじさんが、二人いるだけ。ぐいっと、乱暴に腕を引っ張られた。
「ねぇ、エリスはどこ?」
「エリス?あのガキならいねぇよ。どこほっつき歩いてんだかな。ぎゃはは!」
 気持ちの悪い声で笑われた。さっきまでのおじさんじゃない。エリスがここにいないと分かって急に怖くなる。今のは、きっとエリスがたまたま出かけているっていう意味じゃない。なら、どうしてわたしはここに連れてこられたのか。
「ねぇ、どうして……きゃっ」
 背中を強く押されて、床に倒れ込んだ。起き上がろうとすると、今度は腕を押さえつけられた。
「まぁ大丈夫だとは思うが、しっかり押さえておけよ」
「へい」
 仰向けにされて、見下ろされる。おじさんがあの時笑っていたのは、仲直りしようとしているわけじゃないと、今分かった。わたしは騙されたんだ。
「は、はなして!」
 腕は強い力で押さえつけられて、びくともしない。
「暴れんじゃねぇ」
 目を剥きながらにそう言われて、思わず息が止まった。ぎらりと光るナイフが、首のすぐそばに突きつけられた。身体がカチカチに凍ったみたいに動かなくなる。
「叫んだってどうせ助けはこねぇし、声は好きにしていいが……あんまり暴れっと、刺さるかもしれねぇな?」
 刃をちらつかせながら、にやにや笑っている。その顔を見ると、歯ががちがち鳴って、声が喉の奥に戻っていく。わたしはやっぱり死ぬのかもしれない。
「そんなにびびんなよ。大人しくしてりゃ、ちゃーんと帰してやるから、なぁ?」
 ほっとさせたいのか、怖がらせたいのか、よく分からない様な調子で言われる。怖くて声が出ないから、首を縦に振るしかできなかった。
「よし、良い子だ」
 おじさんが満足そうに言った。……違う。言えなかったけど、そう思った。わたしは良い子なんかじゃない。良い子だったら、悪いおじさんに連れて行かれたりはしないから。そんなことよりも、どうしてだろう。エリスに良い子って言われたときはあんなに嬉しかったのに、こんな人に言われても全然嬉しくない。おじさんが悪い人だから、わたしをひどい目に遭わせているからなのかも。
「動くんじゃねえぞ」
「やっ……!」
 ナイフがパジャマの真ん中を滑って、内側に着ているキャミソールごと切り開かれる。下の方も同じように切られた。肌が空気に触れて冷たい。
「あ……ぁ……」
「流石にガキだな……ま、お礼参りにゃ丁度良いが」
 見られている。エリスにしか見られていないところを、まじまじと、べっとりした目で。隠そうとしても、腕が動かない。とても恥ずかしくて、つらい。今すぐ逃げ出したくなったけど、それもできない。体がかたかた震える。何をされるのか分からなくて、怖かった。
「どれ、味は……」
「ひゃっ!?」
 胸に気持ち悪いものが走る。おっぱいを舐められてる。誰にも、エリスにも触られた事のない場所を好き勝手にされている。ぬめぬめした舌がナメクジみたいに這い回っていて、体中がぞわぞわする。震えが止まらない。先っぽをじゅるじゅるとイヤな音を立てて吸われている。見ないように目をつぶると、ぞわぞわした感じがひどくなって、体がまたびくびく震えた。
「っ……うぅ……あっ……」
 逃げたくて精一杯体を動かしてみるけど、もちろん逃げられない。気持ち悪くてたまらない。イヤな感じが声になって喉から出てくる。
「けっ、ガキっつっても魔物は魔物か。いっちょまえに濡れてやがんの、けけっ」
 やっと口が離れた。おっぱいがよだれでべとべとになっている。空気に触れて冷たい感じがして、それがまた気持ち悪い。体がぶるぶるするのも、お腹の奥が変な感じがするのも全部、全部がイヤだ。
「やだ……ひぅぅ……やだっ……」
 つらくて、また涙が出てきた。
「いやだぁ? そんでやめると思うかよぉ! 心配すんな、すぐによくなっからよ」
 割れそうな声がわんわんと耳に響く。よくなるのがウソだってことは、今のわたしにだって分かる。きっとひどいことをされる。もっともっとひどいことを。足を開かれて、一番恥ずかしいところが丸見えになる。
「さて、開通式といくか……しっかり見てろよ」
 おじさんのズボンから赤黒いものが飛び出た。どくどくと、心臓の音みたいに脈打っている。エリスとお風呂に入った時に見たものとは全然違う。見ているとイヤになって、目をそらしたくなる。それがおちんちんだってことはわたしも知っている。
 わたしのおまたにこすられると、それが熱くなっているのが分かる。とても大きい。こすられて、にちゃにちゃと、またイヤな音がたった。ヘンなにおいもする。思い切りすいこんだら、おえってなっちゃいそう。
 もう、何が始まるのか、何となくわかる。これをわたしのおまたに入れられるんだ。よく分からないけど、それはとっても悲しいことな気がする。何をされるよりも、一番イヤなことだって、なんでかは分からないけど、はっきり分かる。
 イヤ。イヤだ。こんなの。怖い。つらい。たすけて、だれか。……だれかって、そんなの!
「……いやぁぁっ! たすけて、エリスッ!!」
 自分でもびっくりするような声が出た。けど、うるさい声で塗り潰された。
「叫んだところで誰もきやしねぇよっ! あのガキもなぁ!」





「……来るさ!」
 ばんっと大きな音がして、家のドアがばらばらに壊れた。オレンジ色の何かが二つ飛んできて、わたしの腕を押さえている二人のおじさんが倒れた。オレンジ色の、火だ。おじさんは苦しそうにしているけど、火は近付いてもぽかぽかと温かい。声のした方に、わたしが一番逢いたかった人がいた。
「はぁ、はぁ……ギリギリ、間に合った、か……?」
「エリスッ!」
 もう駄目だと思った。けど、エリスがほんとうに助けに来てくれた。あんなに息を切らして、きっと、わたしのためにずっと走り回っていたんだ。
「イヴを返してもらいに来た」
 助けに来てくれたのが嬉しくて、わたしはエリスのところへ走ろうとした。そのために動かした足が、途中で止まってしまった。
「はぁ? てめぇ、自分の立場わかってんのか? ……妙な真似してみろ、死ぬのはこいつだぜ」
 太い腕が後ろから首に回されて、またナイフを突きつけられた。自由になったと思った体が固まる。この人はまだ諦めたわけじゃなかったんだ。わたしを人質に使って、身動きをとれなくさせるつもりなんだ。エリスは何も言わないで、じっとこっちを見つめている。また、わたしがエリスのめいわくになっている。もう、めいわくなんてかけたくないのに。
「気にしないで……エリス」
「って言ってっけど、どうすんだ? おい」
できるだけ落ち着いて、気にしていないように言ってみたけど、エリスはつらそうに歯ぎしりしている。エリスが、右手の剣を捨てた。気にしないでって、言ったのに。
「よぅし、これであのめんどくせぇ火も無くなったな。話が早えぜ」
「エリス……」
 これからわたしたちをどうするつもりなのだろう。このままだと、わたしもエリスも、大変なことになる。わたしがあの時逃げないで、ちゃんとエリスと話してればって、そんな思いがよぎった。
「じゃあ、続きといくか」
「!?」
 悪いおじさんが信じられないことを言った。さっきの続きを、エリスの前でするって言った。大好きなエリスにあんな恥ずかしいところを見られるなんて、それを考えると、顔がどんどん冷たくなっていく感じがした。
「いや……いやっ! エリス!」
 けっきょく、わたしは一人じゃダメで、エリスに頼らなくちゃいけない。でも、エリスは黙ったまま動けない。きつい目で、にらんでいる。わたしが暴れようとしても、ナイフがあって動けない。わたしもエリスも、それは同じ。エリスがすぐそこにいるのに、もどかしい。悪いおじさんの硬いものが、おまたにこすられている。また、にゅちにゅちと嫌な音が立った。イヤなのに、びくびくしているこの体がだいきらいだ。
「いやぁ……やめてよぉ……」
 何よりも、エリスにそれを見られているのが恥ずかしくてたまらない。これからもっとつらいことをされるのに。でも、どうにもならなくて。
「……止めろ」
 エリスがその場に手を付いてひざまずいた。
「僕はどうなってもいい。だから、イヴを……放せ」
 エリスは自分の体を投げ出してでもわたしを助けようとしているんだ。わたしなんかを、こんな悪い人に、頭を下げてまで。
「はなせぇ?」
「放して下さい。お願いします」
「そうだな……じゃあ、床でも舐めてもらおうか」
「はい……」 
おじさんはそれをいいことにエリスに命令する。言いなりにならなくてもいい。わたしのことは気にしないで。それを言う前に、エリスがそのままの姿勢で床を舐めはじめた。嫌な顔一つしないで、こんな人の言いなりになっている。これが全部わたしのせい。エリスがわたしの為にしてくれていること。それが分かるから、もっと胸が痛くなる。
「へへっ、ほんとに舐めてやがる」
心の底からバカにしているような目でエリスを見ている。このナイフさえ無ければ、今すぐにエリスのところへ行くのに。
「どうよ、自分の為に床舐めてる奴を見下ろす気分は? 俺は最っ高だね」
 声がとても耳障りに感じる。せいいっぱいの仕返しをしてやろうとして、きっ、とにらんだ。
「おお、こわいこわい。……よし、もう止めていいぜ、十分満足したからよ」
 エリスが顔を上げ、床に手を付いたまま、こちらを仰ぎ見た。
「僕が代わりに捕まる……お願いだ」
 エリスは本気で、わらにもすがるような思いで、そんな顔で頼み込んでいる。でも、それは無視されてしまった。
「じゃあ、挿れるぜ」
「や、止めろ! 僕は何でもする! 何でもするから!」
 エリスがこんなに必死になっているのに、それを聞き入れようとはしない。なんてひどい人なんだろう。悪いおじさんはエリスの顔を見ても、何とも思ってない。かえってすっとした顔で、エリスを見下ろしていた。
「あのな、てめぇに礼をしてんだから、こいつを放したら意味ねぇだろ、あぁ?」
「……どうしてもイヴを返してはくれないのか」
「当たりめぇよ! てめぇに最大の屈辱を味わわせてから皆殺しだ!」
 目の前が真っ暗になった。このおじさんは最初から、わたしもエリスも帰すつもりなんて無かったんだ。この人に捕まったときにはもう、助からなかったんだって、そう思った。真っ暗な世界の中で、ほんの少しの時間だけ、何かが赤く光った気がした。

「なら、僕も容赦はしない」
 エリスの冷たい声が、真っ暗になったわたしの目を開かせた。
「あっつ!」
 おじさんの手に握られたナイフが床に零れ落ちた。どうしてか、ナイフは真っ赤に燃えている。ナイフが落ちたのはこのせいだ。
「てめぇ……ぐあぁ!」
 息を吐く前に、今度はおじさんの体が燃え上がった。あっという間に爪先から頭まで炎がめらめら燃えて、少しもしないでおじさんがその場に崩れた。火はわたしにも燃え移るはずなのに、髪にも服にも火は付かない。触ってみても、さっきと同じで温かいだけ。
「詠唱無しで、しかも気付かれずに術式を開く。成功してよかったよ」
 不思議に思っていると、すぐそばにエリスがいた。 
「大丈夫? 怪我、してない?」
 ちょっと疲れてるみたいだけど、いつもの優しいエリスだった。それを見ると、わたしはほっとして。ほっとすると、胸がいっぱいになって。胸がいっぱいになると、涙があふれてきて。
「エリ、ス、ぅ……う、わあぁぁぁん!」
 泣きじゃくって、エリスの胸に思い切り飛び込んだ。
「やっぱり、どこか痛いのか? 乱暴されて……」
 エリスが困った様な声を上げるけど、そうじゃない。
「っ、ぢがう、ぢがうの……っ、ごめっ、ごめんなざいぃ……」
 違うから説明したいけど、頭がぐちゃぐちゃになってて、ちゃんと言えなかった。エリスにあやまらなくちゃってずっと思ってたから、そればっかりが口から出てきた。
「……謝るのは僕の方だよ。酷い事言って、ごめん」
「うん、うん……」
「今度はちゃんと、傍に居るから」
 わたしが落ち着くまで、エリスはずっと優しかった。赤ちゃんに戻った気分で、わたしは涙が止まるまで背中を撫でてもらった。お日様に包まれてるように温かかった。



 それから、ダメになったパジャマからいつものドレスに着替えて、エリスにおんぶしてもらって帰ることになった。前にお姫様だっこをしてくれた時は歩かされたけど、今度は帰るまでずっと。お月様がわたしたちを柔らかく照らしている。一人の時は怖かった道も、エリスが傍にいれば怖くない。エリスの背中で揺られていると、エリスのにおいがして、胸がどきどきする。時間が経っても、よくなるどころかひどくなってきてる。
「ねぇ、エリス……」
「どうかした?」
 我慢できなくなって、エリスに言おうとした。おんぶされてるから顔は見えないけど、声は優しいエリスのまま。聞いていると、安心して眠くなりそう。でも、今は違う。エリスの大きな背中、優しい声、全部がわたしの胸をきゅっとさせる。
「あの、ね?」
「ああ」
「おまたが、じんじんするの」
 エリスの足音が止まって、夜の静かな音が大きくなった。エリスなら、わたしの変なところを治してくれる。本当に治してもらったわけでもないのに、そう思ってた。
「……そう、か。分かった。じゃあ……木に寄り掛かるしかないかな」
 エリスは少し考え込んで、そうなるのを分かっていたみたいに呟いた。何かを探してきょろきょろした後、丁度良さそうな木を見つけると、道を外れてわたしを大きめの木の下に座らせた。羽や尻尾が痛んだりしないように、気をつかってくれて。柔かい草がちょっと冷たい。すぐ前にエリスが座ると、深く息を吐いた。お月さまを背中にしているせいで、エリスは暗く見える。緊張しているみたいで、少しほっとした。
「どうするの?」
 エリスに治してと頼んでみたけれど、どうやったら治るのかはわたしは知らない。エリスは聞いても言いにくそうにしている。難しいことなのかもしれない。
しばらく悩んだあとに、エリスがゆっくり口を開いた。
「……イヴの疼きは、気持ちよくなれば、治る……と、思う。だから、僕が気持ちよく、する」
「そうなの?」
「……でも、イヴはきっと恥ずかしい思いをする。それでも良い?」
「なにをするの?」
 エリスがまた言いにくそうにしている。言葉だってたどたどしい。
「その……そこを……触る。触らなきゃ、多分治せない」
 エリスが目を逸らしながら言った。エリスに触られる。不思議と嫌な感じがしなかった。それどころか、胸のどきどきがひどくなってきてる。嫌じゃないなら、触られたいってことなのかもしれない。
「大丈夫だよ。エリスなら、大丈夫」
「じゃあ……脚、開いて」
 嫌じゃないけど、やっぱり恥ずかしいと思う。それでもエリスに言われるままにした。両ひざを立てているから、エリスから見たらわたしのパンツが見えてる。パンツはしっとりと濡れていて、肌にぴったり張りついていた。顔が熱くなってくる。顔が熱いのは、きっとエリスも同じ。エリスも顔が真っ赤になっている。
「……触るよ」
 エリスが口を結んでいる。真剣な表情で見られると、顔を背けたくなる。
「ひゃっ……あっ、んぅ……ぅあっ!」
 エリスの指がパンツの上からすりすり撫でる。丸く触ったり、八の字を書いたり、割れ目に沿って指がくねる。割れ目の上の膨らんだところを触られると、体がびくっとして、変な声が出た。
 触られたところが熱くなって、でももっと触られたいって思う。すりすりされるのはおじさんにもやられたのに、エリスにされると、全然嫌じゃない。
 ずっとされてると、お腹の奥がきゅっとして、苦しくなってきた。じんじんする感じがひどくなると、おまたも同じようにびしょびしょになる。でも、この感じは初めてじゃない気がした。
「もう、いいかな」
「あっ……」
 エリスがパンツをずらすと、つるんとしたわたしのおまたが出てきた。付いた雫が外の空気でひんやりとして、明るいお月様できらりと光っている。
「指、入れるから。痛かったら言って」
 エリスの息が荒くて、疲れてるみたいだった。割れ目に指が入ると、どうなるんだろう。わたしは少し怖くて、でもわくわくしてる。
「あんっ……!」
 エリスの指が割れ目の中に飲み込まれていく。エリスにお腹の中を触られてる。指でくちゅくちゅされると、お腹がきゅんきゅんして、じんじんした感じが体いっぱいに広がる感じがする。
「……大丈夫? ちゃんと……気持ちよくできてる?」
 エリスが不安そうに聞いてくるけど、これが気持ちいいってことなのか、わたしは分からなかった。
「あっ、んっ……ひぅ、わかんない、よぉ……!」
 ずっとされてると、だんだん頭がぼーっとして、ふわふわしてくる。もっとこの感じがほしい。もっとエリスの指でいじられたい。
「でもっ、これ、すきぃ……もっと、もっとぉ……!」
 エリスの指でお腹の中をいっぱいすりすりされてる。息が走ってる時みたいに苦しくなって、エリスと同じ様に荒くなる。体もどんどん熱くなって、おまたからねばついた水があふれる。
「きゃうっ!?」
 指がもう一本入ってきた。お腹をもっとこすられる。二本の指が別々に動くと、目の前がかすんで、頭が白くなる。
「はあっ、ひっあぁっ……やっ、あぁぁ……」
「頭、ざわざわしてる?」
「へっ、へんなの……あっ、これっ、だめぇ……!」
 エリスに耳元で囁かれる。優しい声がくすぐったくて、体中がぞわぞわする。すぐそばにいるから、エリスのにおいで鼻がいっぱいになる。
「きっと、イヴが今感じてるそれが、気持ちいいってことだよ。変じゃない」
 苦しくなってるわたしを安心させようとして、エリスが空いた手でわたしの頭を撫でた。でも、落ち着くどころか、ぞわぞわしたのがひどくなった。
 撫でられて、囁かれて、こすられて……身体中、エリスの優しいのでいっぱい。頭がふわふわして、でもそれがもっとほしくなる。それが気持ちいいってことだって、エリスが言った。その意味がすうっと、そうか、これが気持ちいいなんだって、頭の中に入ってきた。
「気持ちいい……気持ちいいよぉ、エリス……もっと、もっとしてぇ……!」
 もっと気持ちよくなりたい。エリスに、もっと気持ちよくしてもらいたい。自分でも出したことがないような声で、エリスに頼んでいた。
「じゃあ、もう少し強くするよ」
 エリスがそう言うと、指の動きが深く速くなった。
「ひゃっあっあっ! あぁぁっ、ふあぁぁ……!」
 二本の指が奥まで入り込んできて、ごしごしとこすってくる。気持ちいいのがとたんに強くなって、頭の中までエリスの指でかき混ぜられてるみたい。指を出し入れするぐちゅぐちゅした音が耳の中を通り抜ける。恥ずかしいはずなのに、もっと気持ちよくなって、変な声が喉から勝手に出てくる。指がヘビみたいにぐねぐねしていて、捻るようにこすられたり、ぐーっと押し広げられたり、バタ足みたいにばたばたされたり、色々なやり方でいじくられた。頭がヘンになりそうだった。
「ひゃあぁ!? そ、そこっ……!」
「ここ?」
「あぁっ、そこらめっ、あっあっあっあっ!」
 お腹の奥のとても気持ちいいところ。わたしもどこにあるか知らなかったそこを触られて、体が跳ねて高い声が出た。ちょっと触られただけでも頭がぴりぴりするのに、エリスはいじわるしてそこばっかり触ってくる。触られるたびに気持ちいいのが指の先にまで広がって、それしか考えられなくなる。気持ちよすぎておかしくなりそう。思わずエリスに抱き付いてみたけれど、全然よくならない。
気付くと、息を激しくしながら、恥ずかしいのも忘れて足を大きく開いていた。エリスがくれる気持ちいいを、自分でも分からない内に欲しがっていた。
「もっと気持ちよくするよ」
 エリスが怖いことを言ったと思うと、すぐにもっと強い気持ちよさが襲ってきた。
「ふぇっ!? ぇあっ、あぁぁっ! それだめぇ!」
 空いた手で、今度は割れ目の上の出っ張りも一緒にいじられた。出っ張りはさっきよりも大きく膨らんでいて、そのせいで指でもっとくりくりいじられて、気持ちよさはひどくなる。さっきまででもあんなにすごかったのに、指の動きははげしさを増して、気持ちよさから逃げられなくなる。
「やっ、えりしゅ、やめてぇ……なんか、でひゃうよぉ……」
 もう、舌もうまく回らないくらい。わたしは調子のおかしくなった声で、今にも泣きそうに頼んだ。とうとう身体までおかしくなったみたいで、足ががくがく震えだした。お腹がかあっと熱くなって、トイレをする時みたいに縮み上がっている。
「いいよ、出して」
 エリスはそんなわたしを見て、手の動きを緩めるどころか、もっと激しくする。いじわるなのに、声も目も、甘えたくなるほど優しくて。
「あっはっ、うああっ、あっああぁぁぁぁぁぁうぅぅっ……!」
 目の前が空に浮かんでいるお星さまみたいにチカチカして、今までで一番強い気持ちよさが爪先から頭のてっぺんまで走り抜けた。意識も飛びそうな気持ちよさと一緒に、まるでそれに体が喜んでいるみたいに強く跳ねて、ぷしゅっとおまたから水が噴き出した。
 ぬるりと、エリスの指が引き抜かれる。たったそれだけのことでも、体が喜んで、びくんと震えた。身体からゆっくりと力が抜けて、とろんとした感じがする。荒くなった息がだんだんと落ち着いて、まぶたも重くなる。頭がぼんやりして、眠くなってきた。夜の風がとっても涼しい。木も草も、もう寝る準備をしているようにざわざわ揺れている。
「もう、おやすみ」
 降りてくるまぶたで目の前が細くなっていく中で最後に見えたエリスの顔は、誰かに似ていた。



 不思議なゆめを見た。おもちゃ箱をひっくり返したようなカラフルですてきな国があって、そこでは男の人も女の人もみんな仲良し。ネコさんもトリさんもウサギさんもネズミさんもトカゲさんも、それに帽子屋さんから女王さままで、みんなお家でもお外でも自分のパパといっしょ。でも、その国にはエリスがいない。わたしにだけパパがいない。お城も、森も、海も、カフェテラスも、どこを探してもいない。他のみんなは自分のパパとデートをするのに忙しくて、話を聞いてなんかくれない。それでもそこらじゅうを歩き回って、やっと見つけたエリスは、ドアの向こうにいた。鍵穴の先で、木に寄りかかって眠っている。わたしはドアを開けようとしたけれど、鍵がかかっていて、ノブはガチャガチャと空回りする。押しても引いても叩いても、うんともすんともいわない。鍵穴に向かってエリスの名前を叫んでも、エリスは眠ったまま。どうしようかと考えていたら、後ろから肩をぽんと叩かれた。振り向くと、そこにエリスが立っていた。わたしは驚いて鍵穴を覗いてみるけれど、鍵穴の向こうのエリスは消えてない。エリスが二人いる。どうしてなのかは分からないけれど、エリスは眠った自分から抜け出している。エリスはそのままわたしにチューした。エリスの舌が口を割って入り込んできて、好き勝手に舐め回された。味がどうなのかは分からない。ただ、それで頭がぼんやりしていく。




「ん……」
「おはよう、ねぼすけさん」
 体が土を踏む音と同じリズムで揺れていた。眠ったまま、エリスにおんぶされていたんだ。朝はまだ早いみたいで、出てきたお日さまはまだ森の奥に隠れたままだ。エリスはもっと早く起きて、準備をして歩き始めたみたい。この前まではエリスの方がおねぼうさんだったのに。
「……ちがうもん」
「ごめんごめん。お腹、空いてない?」
 わたしがおねぼうさんなのは、エリスの背中が大きくてあったかいせいだ。口をへの字に曲げると、エリスが慌てて謝ってきた。エリスは朝ごはんを食べないかと聞いてくるけど、それならエリスはきっとお腹が空いている。
「エリスはいいの?」
「僕は大丈夫だけど……イヴは? 食べなくてもいい?」
「うん」
「……そうか」
 エリスは足を止めずに歩き続ける。わたしは強がってなんかいなかった。昨日、夜ごはんを食べてからは、他には何も食べていない。それなのに、お腹は空いていない。体の調子が悪いわけでもない。かえって気分はとってもいい。朝の空気が澄んでいるからかもしれないけど、なんとなく違う気がした。これは何だか、体の中からくるみたいで。
「イヴ」
「どうしたの?」
「昨日のこと、覚えてる?」
 そんなに真面目な話でもないのに、エリスの声は真剣で、おかしく感じた。昨日は、エリスとケンカして、一人で飛び出しちゃって、悪いおじさんに捕まって……
「エリスがわたしを悪いおじさんから助けてくれたんだよ?」
 あの時のエリス、とってもかっこよかった。
「……その後は?」
「あと?」
「そう。僕と仲直りして、その後」
 エリスに助けてもらったあと。それからもはっきり覚えていた。思い出すのも簡単だった。
「夜遅くなっちゃったから、お外で寝ることにしたんだよね。それがどうかしたの?」
「……それだけ?」
 それから一緒に寝たんだから、特別なことなんて何もない。特別……でも、寝てる間のことも、話しておいた方がいいのかも。
「あと、ゆめを見たの」
「夢?」
「うん。ヘンなゆめなんだよ……」
 わたしは昨日見たゆめのお話をエリスに伝えた。エリスの足取りが、だんだんと軽くなっていってる気がした。
15/12/15 00:15更新 / 香橋
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■作者メッセージ
12月末までには上がりました。次回更新もかなり遅くなるかもしれません。やきもきさせます。

女の子の視点から、それも幼いのを書くというのに挑戦してみたので、どうしたものかと概ね苦心しました。幼女っぽさを出すために熟語の使用を控えたり平仮名に直したり、試行錯誤しながらも割と楽しんでいたような気もします。特に濡れ場。

次もよしなに願います……

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