Bee war #1
魔法、或いは魔術と呼ばれる力がある。まぁ、一括りに魔術や魔法と言っても、実際の所は数えきれない程の様式や体系があるわけだが。例えば一般的な魔法――呪文の詠唱を行い、様々な効果を発生させる『詠唱型の魔法』一つを取ってもその事実は明らかだ。
呪文の詠唱によって自らの魔力を光や熱等の物理的物理的エネルギーに変換し、対象に被害を与える『一般的な魔法・魔術』。魔力を乗せた声で呪文を詠唱し、光の精霊の力を借りて対象に被害を与える『精霊魔法』。両方とも呪文を詠唱し、光と熱で対象に被害を与えるのは同じだが、そこに至るプロセスは全く異なるわけだ。
つまり、この二つの魔法は同じ詠唱魔法でありながらそのルーツは全く異なるモノであるという事が――
「こんにちはー、マクレインさーん」
――前者は基本的に条件に左右されずに使用が可能であり、習得そのものも全体的に見て比較的容易である。しかし、高位の術になるにつれて消費魔力が増大するため、魔力の確保がネックとなる。
後者でネックとなるのは精霊そのものである。いくら呪文を唱えようとも、周辺に行使するための精霊が居ないのではお話にならない。
しかし、前者に比べて圧倒的に少ない魔力で大きな威力の魔法が行使できる点はその欠点を補って余りあると言える。ただし、精霊と仲良くなるのは容易な事ではない上に、制御を離れて暴走した精霊魔術は危険極まりないので制御には細心の注意を払う必要がある。
さて、ここで各々の魔法のルーツの話に――
「マクレインさーん？ 無視しちゃ嫌ですよー？」
――など、そもそも高い魔力を持つ者を基準として作られている可能性が高い。よって『一般的な魔法・魔術』のルーツは魔物や魔族と呼ばれる『生まれながらにして強い魔力を持つ種』がルーツである可能性が考えられる。
次に精霊魔法についてだが、こちらはエルフやフェアリーなどの妖精族がそのルーツであるという説が有力だ。元々精霊との親和性が非常に高い種族であるためか、中には呪文の詠唱すら必要とせずに精霊魔法を行使できる者も多い。人間種族からすれば正に驚きで――
バンッ！
激しくテーブルを叩く音が大きく響き、テーブルの上に置かれていたカップが一瞬浮き上がる。幸いなことに中身は零れなかった。
「俺様の優雅な読書タイムを妨害するとは良い度胸だな」
本から目を離し、ジロリとテーブルを叩いた人物を睨みつける。視線を上げた先にあったのはよく見知った顔だった。俺はその顔を見なかったことにし、再び視線を本に戻す。
「なんですかその『見なかったことにしよう』って態度！」
「お前に関わるとロクなことがない。帰れ帰れ、シッシ」
「ひどっ！？ 酷い！ あんまりですよその対応は！」
ギャーギャー喚いては大きな胸を揺らして地団駄を踏む騒がしい人物の名はフィル。正確な名前を以前に聞いた気がするが、覚えていない。
生物学上は雌、つまり女。種族は人間…のように見えるが、その正体はサキュバスだ。角やら翼やら尻尾やらは擬態の魔法で隠しているが、紛う事なき『魔族』だ。ただし『生粋』の魔族ではなく、元々は人間だったらしい。
「どうせまたギルドから厄介な案件を持ってきたんだろうが」
「いぇーす♪ マクレインさんにぴったりのヤツ仕入れてきましたよー！」
俺の言葉にフィルはぱちりとウィンクをしてみせた。普通の男ならフィルのこういう仕草でイチコロなのだろうが。
「要らん、帰れ、失せろ」
「んもー、マクレインさんったら相変わらずツンデレなんだからー」
しなを作ってフィルが俺に寄り添ってくる。胸板の『の』の字を書くな、『の』の字を。
「この依頼、受けてくれたら私がイイコトして――」
「要らん」
ビシィッ！という音と共にフィルが勢い良く転がっていく。
「いだっ！？ いたぁ！？」
「ただのデコピンでも魔力を込めるとあら不思議、サキュバスすら悶絶させる必殺技に」
煙の上がる額を押さえながら転げまわるフィルを尻目に俺様は立ち上がり、すぐ近くの壁にかけてあった外套を羽織った。古い知り合いのアラクネが織ったものに俺様自身が魔力を込めた逸品だ。
「出かけてくる。店内のモノには触らないほうが身のためだぞ。それと鍵はいつも通り自動錠だからそのまま出ろ」
未だに転げまわっているフィルをそのままにして俺様は店の扉をくぐり、外へ出た。眩しい日差しに思わず目を細める。今日は快晴のようだ。
「ちっ、面倒だな…」
舌打ちをながらチラリと自分の店を見上げる。我が家であり我が店でもあるトロン＝マクレイン魔法店は店主不在のため本日も休業だ。『Closed』の札を下げて扉に背を向ける。
「店員でも雇うしかないか…」
俺様トロン＝マクレインは腕の立つ魔術師だ。どれくらい腕が立つのか、と言えばサキュバスを軽くいなせる位に腕が立つ。魔法の扱いはもちろん、魔導器の製作や魔法薬の練成もお手の物。正に欠点の無いパーフェクト魔術師、それが俺様だ。
「あー、ちびっ子トロンだー！」
「やーいちびっ子ー」
「本物のちびっ子に言われたくないわこのクソガキどもがぁっ！」
俺様が吼えるとクソガキどもは笑いながらダッシュしていった。軽く呪いでもかけてやろうと思ったのだが、逃げ足の速い奴らだ。
「…ふん」
忌々しいことだが俺様は背が小さい…というより見た目は完全に少年だ。過去にただ一度、パーフェクトな俺様が魔法実験で失敗をしたことがある。そのために俺様は年をとるごとに身体がどんどん若返るようになってしまった。
何とか若返りの進行を止めることができるようになったのが今の姿になってからだ。それから何度か元の姿に戻ろうと試みているが、成果は上がっていない。流石はパーフェクトな俺様のかけた呪いだ、畜生。
心の中で悪態を吐きながら歩き始める。
道行く人々の姿形は実に様々だ。俺と同じ人間族が多いが、それ以外の者も沢山いる。
例えば元々人間族と友好的であるワーラビットやハーピー、比較的友好度が低めなラミアに悪戯好きで知られるゴブリン。危険であるとされるワーウルフまでもが街の中を闊歩している。
「それに混じってインプが少々、フェアリーもちらほら。サキュバスは…流石にそうそういやしないな」
道行く人々を観察をしながら向かっている先は冒険者ギルドだ。何故冒険者ギルドに向かっているのかって？
面倒なことはさっさと終わらせてしまうに限る。フィルは何度追い返しても諦めずに粘ってくるので、追い返そうとするだけ時間と魔力の無駄なのだ。
一日中ヤツに纏わりつかれたことがあるが、おちおち本も読めやしない。
暫く歩いて辿り着いた酒場兼宿屋兼ギルド支部の扉をくぐる。店内は開店休業状態の我がトロン魔法店とは比べ物にならないほど繁盛していた。畜生。
とりあえず店内に足一歩踏み入れ、ぐるりと店内を見回してみる。
身の丈ほどもある大剣を帯びたリザードマンの剣士、見るからに怪しげな盗賊風の男、ウェイトレス服を着て店内を忙しそうに走り回るワーラビット、男を妖しく誘うインプ…なんというカオス、ここは魔界か。
「マクレインさん」
名前を呼ばれ、辺りを見回す。声の主は酒場の片隅に居た。
「昼間から酒とは景気良さそうだな」
テーブルに並んでいるボトルとグラスが『昼間から呑んでます』ということを全力でアピールしている。しかも置いてあるボトルはなかなかの上物だ。
「まぁねー。ついさっき依頼を一つ終わらせてきたところだから」
そう言って彼女はにへらー、と笑みをこぼす。
彼女の名はシエラ。なかなか腕の立つスカウトで、俺様も何度か一緒に仕事をしたことがある仲だ。ちなみに純粋な人間族である。
「珍しいねぇ、こんな時間にいるなんて。いつも昼間は店に引き篭もってるのに」
「フィルの奴が来やがってな、なんぞ手に負えない案件が出たらしい」
「ふーん、フィルにねぇ…」
シエラが栗色の瞳を細めながらニヤニヤと笑う。
「なんだその目は。俺様の名誉のために言うが、断じてあのポンコツ淫魔に誑かされたわけではないぞ」
「そうなの？」
「追い返すために魔法で痛めつけた事があるんだがな、終いには『もっとぉ』とか抜かしやがった」
「あ、あー…それはなんというか…難儀だね」
シエラが苦笑いを浮かべる。俺は泣きたい。
「迷惑極まりないぞ…いや、折角お楽しみの所に愚痴るのは野暮だな。楽しんでくれ」
貴方もね、とのたまうシエラに中指を立ててギルドカウンターへと歩を進める。途中声をかけてきた知り合いの冒険者や従業員に適当に手を挙げて応えつつ、だ。
俺様は実力とこの忌々しい見た目のせいで有名人なのだ。畜生。
「やぁ、トロン。待っていましたよ」
「なにが待っていましたよ、だ。フィルを寄越すのはやめろと言っただろうが」
俺様には若干高すぎるカウンターの向こうからギルド支部で筆頭仲介人をしている男がこちらを見下ろしてくる。
奴の名はアール。どうやら偽名らしいが、誰も本名を知らない。知りたいとも思わんが。
「はっはっは、やだなぁ。だってフィル以外の使いは追い返しちゃうじゃないですか」
「たわけ、俺様には店があるんだぞ。お前は自重という言葉を知らんのか？」
「どうせ開店休業状態で暇なんでしょう？ 店の中で読書しているくらいなら世のため人のために働いて下さいよ」
ぐぅの音も出ない。しかし度々ギルドに呼ばれて店を空けるというのも要因の一つだと思うのだがどうか。
「まぁサクッとお仕事の話をしましょうか」
「…よかろう、わざわざ多忙な俺様を呼び出した経緯を聞いてやる」
俺の返事を聞くとアールはカウンターの上に地図を広げた。
「なんだ貴様、それは俺に対する嫌がらせか？ それとも喧嘩を売っているのか？」
「ああ、そうでしたそうでした。誰か、トロンに踏み台になるものを持ってきてあげてください」
アールの声に反応してウェイトレスの一人が一抱えほどの木箱を持ってきた。大きさからすると酒のボトルが入っていたものだろう。
「何を見ている貴様ら。消し飛ばすぞ」
俺様の言葉にニヤニヤしながらこちらを見ていた数人が慌てて目を逸らすが、シエラ他顔見知りの数名は相変わらずニヤニヤしながらこちらを見ていた。いつか泣かしてやる。
「ふん…なんだ、周辺の地図ではないか。北西の街道付近にいくつか印がつけてあるようだが」
「うん、それが問題が起こった地点でしてね。最近その辺りを通る人が襲われている…というか巻き込まれているんですよ」
「何にだ」
俺が聞き返すとアールは珍しく苦笑いを浮かべた。
「ハニービーとホーネットの紛争です」
「よりによって街道の近くでか…なんと傍迷惑な」
ハニービーとホーネットは共に昆虫型の魔物である。名前からもわかるように蜂に似た社会を形成して生活をしている種族なのだが、その標的は花の蜜だけでなく人間族の男も含まれる。
彼女らは常に女王蜂の夫となるに相応しい人間族の雄を探しており、人間族の男を見るなり襲い掛かって手篭めにしてしまう。気に入られた男は巣へと連れ帰られ女王蜂の夫となるか、もしくは選定に外れれば連れ帰った働き蜂のモノとなる。解放されることは極稀らしい。
話を戻すが、この似た生態を持つ二つの種族はとてつもなく仲が悪い。それはもう絶望的なまでに。
「…被害は？」
「行方不明者はわかっているだけでも四十八名、死者二名、物資多数。実際にはもっと被害が出ているでしょうね」
「軍の仕事だろう、常識的に考えて」
当然のことながら、街と街を繋ぐ街道の警備は冒険者ではなく領主や国が有する軍の仕事だ。それを放り出して一応一般市民である冒険者に頼ろうというのは税金泥棒も甚だしい。
「そうしたいのは山々らしいんですがねぇ、そうも行かないのがお上の事情らしいです」
「その尻拭いが俺様か？ そこらにいくらでもアテはあるだろうが」
俺様はそう言い、店内にたむろする冒険者やらゴロツキやらを見やった。個々の能力のばらつきは大きいが、それなりの数を動員すれば蜂の巣退治くらいはできるだろう。
「いや、それが思ったより集まりが悪いんですよ…それでもいくつかのパーティが結成されて討伐に向かったんですがね」
「俺様に泣きついてくるところを見ると結果は聞くまでも無いな」
「ええまぁご想像の通りです。十二人中無事なのは六名、三名負傷、三名はドナドナされていったそうです」
荷車に載せられて市場へと連れられてゆく子牛の姿が脳裏をよぎり…思わず噴出してしまった。
「連れて行かれたのは男だろう？ 今頃は自分の未熟さと運の無さを呪いつつも、ある意味幸せ絶頂だろうよ」
「いやまぁそうでしょうけどね。任された以上は放っておくわけには行かないんですよ、ギルドとしては」
「ふん、解決方法を俺様に一任するなら受けてやる。ちなみに己の身を守ることもできない未熟者にかける情けは俺様には無いのでそのつもりでな」
「はいはい、行方不明者を救出しろとは言いませんよ、手段も貴方に一任します、金額はこんなものでどうですか？」
苦笑いしながらアールが契約書を出してくる。それなりの金額だ。俺にとってははした金だが。
「ふむ、よかろう」
魔力を込めた指先で署名欄をなぞり、魔術で契約書にサインする。
「予定は？」
「さてな、情報が少ないからなんとも言えんね。双方皆殺しにするだけなら三日もあれば足りると思うが」
「いやいや。 そこは穏便に頼みますよ、穏便に」
俺のサインを確認したアールが契約書を折りたたみながら再び苦笑いをこぼす。ふむ、こいつを困らせるのは少しだけ良い気分だ。
「努力はしよう、努力はな」
俺様はそう行って木箱から降り、後ろ手にヒラヒラと手を振りながら酒場兼宿屋兼ギルド支部を後にした。
「ふむ、この辺りか」
街を離れて街道を北西に進むこと二時間弱。この辺りからがハニービーとホーネットの目撃、及び被害報告が相次いでいるエリアだ。
広範囲に魔力探査をかけ、辺り一帯の様子を窺う。探査に引っかかった魔力反応のうち、比較的近くにある反応は七、いずれもこちらには気付いて――いや、そのうちの一つがこちらへと接近を始めた。どうやら魔力に特別敏感な固体が居るらしい。
それにつられるようにして更に二つの反応がこちらへと接近を開始する。ハニービーかホーネットかはわからないが、接触には成功できそうだ。
「よっこいせ、と」
腰掛けるのに手ごろな岩を見つけたので、そこに座って蜂どもが現れるのを待つことにした。
少々風の精霊が興奮気味だ。恐らくハニービーとホーネットがこの辺りで争っているのが原因だろう。
彼女らは無意識に風の精霊を使役して空を飛ぶと書物で読んだ覚えがある。その彼女らが大人数で、しかも限定されたエリア内で長期間争っているのだから、風の精霊達が興奮状態になるのも無理は無い。
急に、日が翳った。
何事かと思い空を見上げてみると、空中に浮かぶ姿が三つ。いずれも背から透明な羽を生やし、臀部に蜂の腹のようなパーツをつけた女性体だ。槍を持たずに蜜壷のようなものを腰にぶら下げているところを見れば、どうやらハニービーの方らしい。
皆同様に蜂蜜色の髪の毛をしているが、その髪の長さや顔立ちは三人とも異なる。ふむ、個体ごとにしっかり個性はあるようだ。
「人間の男の子はっけーん」
「かわいいかもー」
「でもちょっと小さすぎない？」
そんなことを言いながら三人…いや、三匹のハニービーが俺の周りをブンブンと飛び回る。正直鬱陶しい。
しかしどうしたものか。接触はできたものの、この三匹を撃退したところで何の問題解決にもなりはしない。ここは上手く利用して、巣までお持ち帰りしてもらうのが得策だろうか。
「なにはともあれ味見をしてみないとね」
「そうだね、それがいい」
「うふふ…怖くないからね〜」
ハニービー達が地面に舞い降り、岩に腰掛けたままの俺へとにじり寄ってくる。
「逃げようとも抵抗しようともしないのね？」
「怖くて動けないのかも？」
「どうでもいいよ、楽だしね。いただきまーす…んっ」
ハニービーうち一匹が俺様にキスをしてきた。甘ったるい、蕩けるような蜂蜜味のキスだ。されるがままの俺の舌をまるで絡めとるかのように貪欲にこちらの口腔を貪ってくる。
同時にもう一匹が俺様の手の指をしゃぶり、更にもう一匹が服の上から股間を刺激してきた。
「ぷぁっ…なんか余裕あるわね、この子」
「んちゅ…でもほら、見て」
「身体の大きさの割に随分立派よ〜」
服の上からでもはっきりとわかるほど奮い立っている俺様のマジカルステッキを見て三匹のハニービーが生唾を呑む。色々と『使う』ことが多いので、身体が小さくなっても『ここ』だけは真っ先に戻した。性と魔術は切っても切れない関係にあるのだ。
しかし、自分でもこの短時間でここまでになるのは驚きだ。もしかしたらハニービーは唾液に催淫成分を含んでいるのかもしれない。
「ねぇお姉ちゃん達…」
少年らしい純粋な声音で話しかけると、三匹のハニービーは一斉に俺様の顔を見た。
『私の目を見ろ』
瞳を介して三匹のハニービーに精神操作の魔術をかける。三匹のハニービーには一瞬俺様の目が紅く光ったように見えたことだろう。
三匹のハニービーの瞳は焦点を失い、まるで魂を失った人形のように濁った光を放っている。俺様は精神操作の魔術が上手くいったことを確認すると手を強く鳴らしてハニービー達を正気に戻した。
「あ、あれ？」
「私達は何を…」
「この子を味見してたんじゃなかった〜？」
ああそうだったと思い出したように頷きあい、三匹の蜂は再び俺様に手を伸ばしてくる。
「もう味見は済ませただろう？ 俺様を女王の下へと連れて行くんじゃなかったのか」
俺様の言葉にで三匹の蜂の動きがピタリと止めた。精神操作の魔法をかけられた彼女達は俺様の言葉を疑うことができない。
「そ…うだったかしら？」
「だとしたらなんでこんなに欲求不満っぽいのかしら…」
「とりあえず、私達の巣へごあんな〜…っ！？」
ブゥゥゥンッ！
大きな羽音を残して一つの影が上空を通過する。
ブゥンッ！ ブゥンブゥン！
それに続いて更に三つの影が現れ、俺様達の上空を旋回し始めた。先ほどハニービー達が俺様の周りをブンブンと飛んでいた時とは比べ物にならないスピードだ。
気がつけば三匹のハニービー達はまるで俺様を守るかのように両手を広げ、上空を飛び回る四つの影を睨みつけていた。
どうやら俺様を守ってくれるつもりらしい。これは心づよ――
「あうっ」
「きゃんっ」
「はう〜」
…くなかった。
突如方向を変えて突撃してきた影に弾き飛ばされ、三匹は為す術も無く昏倒させられてしまった。なんだこのポンコツども。フィルの三倍はポンコツなんじゃないのか。
「ふん、やはり数に頼らなければまともに戦うこともできないか」
目を回しているハニービー達に対して勝ち誇ったような笑みを浮かべて見下ろす影が四つ。ハニービー達よりも全体的に身体が大きく、体型もよりグラマラスな女性体…恐らくホーネットだ。
「貴様らはホーネットか」
「お前達はそのように私達を呼ぶらしいな」
ホーネットはニヤリと笑い、俺様に手に持った槍の穂先を向けてきた。あの槍には身体を麻痺させる神経毒が塗られている、と本で読んだ。その効果を試す気には到底なれないが。
「失せろ、今のところ貴様らには用は無い」
「お前には無くとも私達にはあるさ」
ホーネット達が再び旋回を開始する。どうやら次の標的は俺様らしい。
「――。」
口笛のような音が辺りに響く。その発生源は俺様の口、高速圧縮詠唱の音色だ。それと同時に俺様は虚空に指を走らせ、幾つもの光り輝く秘印が刻み込みはじめる。
「こいつ、魔術師かっ！」
ホーネットのうち一匹が俺の正体に気付き、すぐさま疾風の如く突撃してきた。石突をこちらに向けているところを見れば、一応殺すつもりは無いらしいが。もう遅い。
「ぁっ――！？」
突撃してきたホーネットが空中で痙攣し、そのまま意識を失ってそのままの勢いで地面に叩きつけられ、ゴロゴロと…というかズシャーっと凄い勢いで転がっていく。凄く痛そうだが、まぁ死にはしないだろう。
彼女を一瞬で先頭不能に陥らせたモノの正体は高速圧縮詠唱によって俺様の周りに張り巡らされた攻性防壁だ。物理的強度は皆無に等しいが、触れた者の魂に強力な負荷をかけて一瞬で気を失わせる威力がある。
俺様は戦闘不能になったホーネットに構わず上空を飛び回る残り三匹に向けて両手を掲げた。それに合わせて虚空に刻まれた秘印が収束し、一個の魔砲陣を形成する。
「堕ちろ」
ドドドドドンドンドンドンドンッ！
魔砲陣から連続で放たれた光弾が空中で何度も炸裂し、爆音と閃光と衝撃波を撒き散らす。直撃すればそれでよし、直撃しなくとも撒き散らされた爆音と閃光が視覚聴覚平衡感覚を失わせる。
空中で視覚聴覚平衡感覚を失えばどうなるかは言うまでも無い。その先に待っているのは墜落という悲劇だけだ。
「がふっ…く」
案の定残りの三匹が為す術も無く墜落してくる。
「ふむ、これはまた随分と運の悪い個体がいるものだな」
運悪く俺様の近くに落ちてきた一匹のホーネットに近づき、その頭を踏みにじった。苦しげにホーネットが呻き声を上げる。
「ぐっ、貴様…！」
「お前達の女王に伝えろ。とっとと巣を別の場所へ移せ、さもなければ一族郎党皆殺しにするぞ、とな」
「ふ…クク…その話を伝えれば母は貴様に興味を持つだろうな。我が母は常に強い雄を求めている」
ホーネットが俺様に足蹴にされたまま不敵に笑う。むむ、もしかしたらこれは墓穴を掘ったかもしれんな。
「だーめ」
そんな声と共に後ろに引っ張られ…というか抱え上げられた。
「この子は私たちが先に見つけたのよ」
「私たちのものなんだからー」
いつの間に復活したのか、三匹のハニービー達が俺様を両脇から抱え上げていた。
「一名様ごあんなーい」
「おっもちかえりぃー」
「ゆっくりしていってねー」
「おい、貴様ら！ 離さんかコラ！」
両足をばたつかせながらハニービー達に歯を剥くが、ハニービー達はまったくこちらの抗議を意に介さずぐんぐんと高度を上げ始めるのだった。
呪文の詠唱によって自らの魔力を光や熱等の物理的物理的エネルギーに変換し、対象に被害を与える『一般的な魔法・魔術』。魔力を乗せた声で呪文を詠唱し、光の精霊の力を借りて対象に被害を与える『精霊魔法』。両方とも呪文を詠唱し、光と熱で対象に被害を与えるのは同じだが、そこに至るプロセスは全く異なるわけだ。
つまり、この二つの魔法は同じ詠唱魔法でありながらそのルーツは全く異なるモノであるという事が――
「こんにちはー、マクレインさーん」
――前者は基本的に条件に左右されずに使用が可能であり、習得そのものも全体的に見て比較的容易である。しかし、高位の術になるにつれて消費魔力が増大するため、魔力の確保がネックとなる。
後者でネックとなるのは精霊そのものである。いくら呪文を唱えようとも、周辺に行使するための精霊が居ないのではお話にならない。
しかし、前者に比べて圧倒的に少ない魔力で大きな威力の魔法が行使できる点はその欠点を補って余りあると言える。ただし、精霊と仲良くなるのは容易な事ではない上に、制御を離れて暴走した精霊魔術は危険極まりないので制御には細心の注意を払う必要がある。
さて、ここで各々の魔法のルーツの話に――
「マクレインさーん？ 無視しちゃ嫌ですよー？」
――など、そもそも高い魔力を持つ者を基準として作られている可能性が高い。よって『一般的な魔法・魔術』のルーツは魔物や魔族と呼ばれる『生まれながらにして強い魔力を持つ種』がルーツである可能性が考えられる。
次に精霊魔法についてだが、こちらはエルフやフェアリーなどの妖精族がそのルーツであるという説が有力だ。元々精霊との親和性が非常に高い種族であるためか、中には呪文の詠唱すら必要とせずに精霊魔法を行使できる者も多い。人間種族からすれば正に驚きで――
バンッ！
激しくテーブルを叩く音が大きく響き、テーブルの上に置かれていたカップが一瞬浮き上がる。幸いなことに中身は零れなかった。
「俺様の優雅な読書タイムを妨害するとは良い度胸だな」
本から目を離し、ジロリとテーブルを叩いた人物を睨みつける。視線を上げた先にあったのはよく見知った顔だった。俺はその顔を見なかったことにし、再び視線を本に戻す。
「なんですかその『見なかったことにしよう』って態度！」
「お前に関わるとロクなことがない。帰れ帰れ、シッシ」
「ひどっ！？ 酷い！ あんまりですよその対応は！」
ギャーギャー喚いては大きな胸を揺らして地団駄を踏む騒がしい人物の名はフィル。正確な名前を以前に聞いた気がするが、覚えていない。
生物学上は雌、つまり女。種族は人間…のように見えるが、その正体はサキュバスだ。角やら翼やら尻尾やらは擬態の魔法で隠しているが、紛う事なき『魔族』だ。ただし『生粋』の魔族ではなく、元々は人間だったらしい。
「どうせまたギルドから厄介な案件を持ってきたんだろうが」
「いぇーす♪ マクレインさんにぴったりのヤツ仕入れてきましたよー！」
俺の言葉にフィルはぱちりとウィンクをしてみせた。普通の男ならフィルのこういう仕草でイチコロなのだろうが。
「要らん、帰れ、失せろ」
「んもー、マクレインさんったら相変わらずツンデレなんだからー」
しなを作ってフィルが俺に寄り添ってくる。胸板の『の』の字を書くな、『の』の字を。
「この依頼、受けてくれたら私がイイコトして――」
「要らん」
ビシィッ！という音と共にフィルが勢い良く転がっていく。
「いだっ！？ いたぁ！？」
「ただのデコピンでも魔力を込めるとあら不思議、サキュバスすら悶絶させる必殺技に」
煙の上がる額を押さえながら転げまわるフィルを尻目に俺様は立ち上がり、すぐ近くの壁にかけてあった外套を羽織った。古い知り合いのアラクネが織ったものに俺様自身が魔力を込めた逸品だ。
「出かけてくる。店内のモノには触らないほうが身のためだぞ。それと鍵はいつも通り自動錠だからそのまま出ろ」
未だに転げまわっているフィルをそのままにして俺様は店の扉をくぐり、外へ出た。眩しい日差しに思わず目を細める。今日は快晴のようだ。
「ちっ、面倒だな…」
舌打ちをながらチラリと自分の店を見上げる。我が家であり我が店でもあるトロン＝マクレイン魔法店は店主不在のため本日も休業だ。『Closed』の札を下げて扉に背を向ける。
「店員でも雇うしかないか…」
俺様トロン＝マクレインは腕の立つ魔術師だ。どれくらい腕が立つのか、と言えばサキュバスを軽くいなせる位に腕が立つ。魔法の扱いはもちろん、魔導器の製作や魔法薬の練成もお手の物。正に欠点の無いパーフェクト魔術師、それが俺様だ。
「あー、ちびっ子トロンだー！」
「やーいちびっ子ー」
「本物のちびっ子に言われたくないわこのクソガキどもがぁっ！」
俺様が吼えるとクソガキどもは笑いながらダッシュしていった。軽く呪いでもかけてやろうと思ったのだが、逃げ足の速い奴らだ。
「…ふん」
忌々しいことだが俺様は背が小さい…というより見た目は完全に少年だ。過去にただ一度、パーフェクトな俺様が魔法実験で失敗をしたことがある。そのために俺様は年をとるごとに身体がどんどん若返るようになってしまった。
何とか若返りの進行を止めることができるようになったのが今の姿になってからだ。それから何度か元の姿に戻ろうと試みているが、成果は上がっていない。流石はパーフェクトな俺様のかけた呪いだ、畜生。
心の中で悪態を吐きながら歩き始める。
道行く人々の姿形は実に様々だ。俺と同じ人間族が多いが、それ以外の者も沢山いる。
例えば元々人間族と友好的であるワーラビットやハーピー、比較的友好度が低めなラミアに悪戯好きで知られるゴブリン。危険であるとされるワーウルフまでもが街の中を闊歩している。
「それに混じってインプが少々、フェアリーもちらほら。サキュバスは…流石にそうそういやしないな」
道行く人々を観察をしながら向かっている先は冒険者ギルドだ。何故冒険者ギルドに向かっているのかって？
面倒なことはさっさと終わらせてしまうに限る。フィルは何度追い返しても諦めずに粘ってくるので、追い返そうとするだけ時間と魔力の無駄なのだ。
一日中ヤツに纏わりつかれたことがあるが、おちおち本も読めやしない。
暫く歩いて辿り着いた酒場兼宿屋兼ギルド支部の扉をくぐる。店内は開店休業状態の我がトロン魔法店とは比べ物にならないほど繁盛していた。畜生。
とりあえず店内に足一歩踏み入れ、ぐるりと店内を見回してみる。
身の丈ほどもある大剣を帯びたリザードマンの剣士、見るからに怪しげな盗賊風の男、ウェイトレス服を着て店内を忙しそうに走り回るワーラビット、男を妖しく誘うインプ…なんというカオス、ここは魔界か。
「マクレインさん」
名前を呼ばれ、辺りを見回す。声の主は酒場の片隅に居た。
「昼間から酒とは景気良さそうだな」
テーブルに並んでいるボトルとグラスが『昼間から呑んでます』ということを全力でアピールしている。しかも置いてあるボトルはなかなかの上物だ。
「まぁねー。ついさっき依頼を一つ終わらせてきたところだから」
そう言って彼女はにへらー、と笑みをこぼす。
彼女の名はシエラ。なかなか腕の立つスカウトで、俺様も何度か一緒に仕事をしたことがある仲だ。ちなみに純粋な人間族である。
「珍しいねぇ、こんな時間にいるなんて。いつも昼間は店に引き篭もってるのに」
「フィルの奴が来やがってな、なんぞ手に負えない案件が出たらしい」
「ふーん、フィルにねぇ…」
シエラが栗色の瞳を細めながらニヤニヤと笑う。
「なんだその目は。俺様の名誉のために言うが、断じてあのポンコツ淫魔に誑かされたわけではないぞ」
「そうなの？」
「追い返すために魔法で痛めつけた事があるんだがな、終いには『もっとぉ』とか抜かしやがった」
「あ、あー…それはなんというか…難儀だね」
シエラが苦笑いを浮かべる。俺は泣きたい。
「迷惑極まりないぞ…いや、折角お楽しみの所に愚痴るのは野暮だな。楽しんでくれ」
貴方もね、とのたまうシエラに中指を立ててギルドカウンターへと歩を進める。途中声をかけてきた知り合いの冒険者や従業員に適当に手を挙げて応えつつ、だ。
俺様は実力とこの忌々しい見た目のせいで有名人なのだ。畜生。
「やぁ、トロン。待っていましたよ」
「なにが待っていましたよ、だ。フィルを寄越すのはやめろと言っただろうが」
俺様には若干高すぎるカウンターの向こうからギルド支部で筆頭仲介人をしている男がこちらを見下ろしてくる。
奴の名はアール。どうやら偽名らしいが、誰も本名を知らない。知りたいとも思わんが。
「はっはっは、やだなぁ。だってフィル以外の使いは追い返しちゃうじゃないですか」
「たわけ、俺様には店があるんだぞ。お前は自重という言葉を知らんのか？」
「どうせ開店休業状態で暇なんでしょう？ 店の中で読書しているくらいなら世のため人のために働いて下さいよ」
ぐぅの音も出ない。しかし度々ギルドに呼ばれて店を空けるというのも要因の一つだと思うのだがどうか。
「まぁサクッとお仕事の話をしましょうか」
「…よかろう、わざわざ多忙な俺様を呼び出した経緯を聞いてやる」
俺の返事を聞くとアールはカウンターの上に地図を広げた。
「なんだ貴様、それは俺に対する嫌がらせか？ それとも喧嘩を売っているのか？」
「ああ、そうでしたそうでした。誰か、トロンに踏み台になるものを持ってきてあげてください」
アールの声に反応してウェイトレスの一人が一抱えほどの木箱を持ってきた。大きさからすると酒のボトルが入っていたものだろう。
「何を見ている貴様ら。消し飛ばすぞ」
俺様の言葉にニヤニヤしながらこちらを見ていた数人が慌てて目を逸らすが、シエラ他顔見知りの数名は相変わらずニヤニヤしながらこちらを見ていた。いつか泣かしてやる。
「ふん…なんだ、周辺の地図ではないか。北西の街道付近にいくつか印がつけてあるようだが」
「うん、それが問題が起こった地点でしてね。最近その辺りを通る人が襲われている…というか巻き込まれているんですよ」
「何にだ」
俺が聞き返すとアールは珍しく苦笑いを浮かべた。
「ハニービーとホーネットの紛争です」
「よりによって街道の近くでか…なんと傍迷惑な」
ハニービーとホーネットは共に昆虫型の魔物である。名前からもわかるように蜂に似た社会を形成して生活をしている種族なのだが、その標的は花の蜜だけでなく人間族の男も含まれる。
彼女らは常に女王蜂の夫となるに相応しい人間族の雄を探しており、人間族の男を見るなり襲い掛かって手篭めにしてしまう。気に入られた男は巣へと連れ帰られ女王蜂の夫となるか、もしくは選定に外れれば連れ帰った働き蜂のモノとなる。解放されることは極稀らしい。
話を戻すが、この似た生態を持つ二つの種族はとてつもなく仲が悪い。それはもう絶望的なまでに。
「…被害は？」
「行方不明者はわかっているだけでも四十八名、死者二名、物資多数。実際にはもっと被害が出ているでしょうね」
「軍の仕事だろう、常識的に考えて」
当然のことながら、街と街を繋ぐ街道の警備は冒険者ではなく領主や国が有する軍の仕事だ。それを放り出して一応一般市民である冒険者に頼ろうというのは税金泥棒も甚だしい。
「そうしたいのは山々らしいんですがねぇ、そうも行かないのがお上の事情らしいです」
「その尻拭いが俺様か？ そこらにいくらでもアテはあるだろうが」
俺様はそう言い、店内にたむろする冒険者やらゴロツキやらを見やった。個々の能力のばらつきは大きいが、それなりの数を動員すれば蜂の巣退治くらいはできるだろう。
「いや、それが思ったより集まりが悪いんですよ…それでもいくつかのパーティが結成されて討伐に向かったんですがね」
「俺様に泣きついてくるところを見ると結果は聞くまでも無いな」
「ええまぁご想像の通りです。十二人中無事なのは六名、三名負傷、三名はドナドナされていったそうです」
荷車に載せられて市場へと連れられてゆく子牛の姿が脳裏をよぎり…思わず噴出してしまった。
「連れて行かれたのは男だろう？ 今頃は自分の未熟さと運の無さを呪いつつも、ある意味幸せ絶頂だろうよ」
「いやまぁそうでしょうけどね。任された以上は放っておくわけには行かないんですよ、ギルドとしては」
「ふん、解決方法を俺様に一任するなら受けてやる。ちなみに己の身を守ることもできない未熟者にかける情けは俺様には無いのでそのつもりでな」
「はいはい、行方不明者を救出しろとは言いませんよ、手段も貴方に一任します、金額はこんなものでどうですか？」
苦笑いしながらアールが契約書を出してくる。それなりの金額だ。俺にとってははした金だが。
「ふむ、よかろう」
魔力を込めた指先で署名欄をなぞり、魔術で契約書にサインする。
「予定は？」
「さてな、情報が少ないからなんとも言えんね。双方皆殺しにするだけなら三日もあれば足りると思うが」
「いやいや。 そこは穏便に頼みますよ、穏便に」
俺のサインを確認したアールが契約書を折りたたみながら再び苦笑いをこぼす。ふむ、こいつを困らせるのは少しだけ良い気分だ。
「努力はしよう、努力はな」
俺様はそう行って木箱から降り、後ろ手にヒラヒラと手を振りながら酒場兼宿屋兼ギルド支部を後にした。
「ふむ、この辺りか」
街を離れて街道を北西に進むこと二時間弱。この辺りからがハニービーとホーネットの目撃、及び被害報告が相次いでいるエリアだ。
広範囲に魔力探査をかけ、辺り一帯の様子を窺う。探査に引っかかった魔力反応のうち、比較的近くにある反応は七、いずれもこちらには気付いて――いや、そのうちの一つがこちらへと接近を始めた。どうやら魔力に特別敏感な固体が居るらしい。
それにつられるようにして更に二つの反応がこちらへと接近を開始する。ハニービーかホーネットかはわからないが、接触には成功できそうだ。
「よっこいせ、と」
腰掛けるのに手ごろな岩を見つけたので、そこに座って蜂どもが現れるのを待つことにした。
少々風の精霊が興奮気味だ。恐らくハニービーとホーネットがこの辺りで争っているのが原因だろう。
彼女らは無意識に風の精霊を使役して空を飛ぶと書物で読んだ覚えがある。その彼女らが大人数で、しかも限定されたエリア内で長期間争っているのだから、風の精霊達が興奮状態になるのも無理は無い。
急に、日が翳った。
何事かと思い空を見上げてみると、空中に浮かぶ姿が三つ。いずれも背から透明な羽を生やし、臀部に蜂の腹のようなパーツをつけた女性体だ。槍を持たずに蜜壷のようなものを腰にぶら下げているところを見れば、どうやらハニービーの方らしい。
皆同様に蜂蜜色の髪の毛をしているが、その髪の長さや顔立ちは三人とも異なる。ふむ、個体ごとにしっかり個性はあるようだ。
「人間の男の子はっけーん」
「かわいいかもー」
「でもちょっと小さすぎない？」
そんなことを言いながら三人…いや、三匹のハニービーが俺の周りをブンブンと飛び回る。正直鬱陶しい。
しかしどうしたものか。接触はできたものの、この三匹を撃退したところで何の問題解決にもなりはしない。ここは上手く利用して、巣までお持ち帰りしてもらうのが得策だろうか。
「なにはともあれ味見をしてみないとね」
「そうだね、それがいい」
「うふふ…怖くないからね〜」
ハニービー達が地面に舞い降り、岩に腰掛けたままの俺へとにじり寄ってくる。
「逃げようとも抵抗しようともしないのね？」
「怖くて動けないのかも？」
「どうでもいいよ、楽だしね。いただきまーす…んっ」
ハニービーうち一匹が俺様にキスをしてきた。甘ったるい、蕩けるような蜂蜜味のキスだ。されるがままの俺の舌をまるで絡めとるかのように貪欲にこちらの口腔を貪ってくる。
同時にもう一匹が俺様の手の指をしゃぶり、更にもう一匹が服の上から股間を刺激してきた。
「ぷぁっ…なんか余裕あるわね、この子」
「んちゅ…でもほら、見て」
「身体の大きさの割に随分立派よ〜」
服の上からでもはっきりとわかるほど奮い立っている俺様のマジカルステッキを見て三匹のハニービーが生唾を呑む。色々と『使う』ことが多いので、身体が小さくなっても『ここ』だけは真っ先に戻した。性と魔術は切っても切れない関係にあるのだ。
しかし、自分でもこの短時間でここまでになるのは驚きだ。もしかしたらハニービーは唾液に催淫成分を含んでいるのかもしれない。
「ねぇお姉ちゃん達…」
少年らしい純粋な声音で話しかけると、三匹のハニービーは一斉に俺様の顔を見た。
『私の目を見ろ』
瞳を介して三匹のハニービーに精神操作の魔術をかける。三匹のハニービーには一瞬俺様の目が紅く光ったように見えたことだろう。
三匹のハニービーの瞳は焦点を失い、まるで魂を失った人形のように濁った光を放っている。俺様は精神操作の魔術が上手くいったことを確認すると手を強く鳴らしてハニービー達を正気に戻した。
「あ、あれ？」
「私達は何を…」
「この子を味見してたんじゃなかった〜？」
ああそうだったと思い出したように頷きあい、三匹の蜂は再び俺様に手を伸ばしてくる。
「もう味見は済ませただろう？ 俺様を女王の下へと連れて行くんじゃなかったのか」
俺様の言葉にで三匹の蜂の動きがピタリと止めた。精神操作の魔法をかけられた彼女達は俺様の言葉を疑うことができない。
「そ…うだったかしら？」
「だとしたらなんでこんなに欲求不満っぽいのかしら…」
「とりあえず、私達の巣へごあんな〜…っ！？」
ブゥゥゥンッ！
大きな羽音を残して一つの影が上空を通過する。
ブゥンッ！ ブゥンブゥン！
それに続いて更に三つの影が現れ、俺様達の上空を旋回し始めた。先ほどハニービー達が俺様の周りをブンブンと飛んでいた時とは比べ物にならないスピードだ。
気がつけば三匹のハニービー達はまるで俺様を守るかのように両手を広げ、上空を飛び回る四つの影を睨みつけていた。
どうやら俺様を守ってくれるつもりらしい。これは心づよ――
「あうっ」
「きゃんっ」
「はう〜」
…くなかった。
突如方向を変えて突撃してきた影に弾き飛ばされ、三匹は為す術も無く昏倒させられてしまった。なんだこのポンコツども。フィルの三倍はポンコツなんじゃないのか。
「ふん、やはり数に頼らなければまともに戦うこともできないか」
目を回しているハニービー達に対して勝ち誇ったような笑みを浮かべて見下ろす影が四つ。ハニービー達よりも全体的に身体が大きく、体型もよりグラマラスな女性体…恐らくホーネットだ。
「貴様らはホーネットか」
「お前達はそのように私達を呼ぶらしいな」
ホーネットはニヤリと笑い、俺様に手に持った槍の穂先を向けてきた。あの槍には身体を麻痺させる神経毒が塗られている、と本で読んだ。その効果を試す気には到底なれないが。
「失せろ、今のところ貴様らには用は無い」
「お前には無くとも私達にはあるさ」
ホーネット達が再び旋回を開始する。どうやら次の標的は俺様らしい。
「――。」
口笛のような音が辺りに響く。その発生源は俺様の口、高速圧縮詠唱の音色だ。それと同時に俺様は虚空に指を走らせ、幾つもの光り輝く秘印が刻み込みはじめる。
「こいつ、魔術師かっ！」
ホーネットのうち一匹が俺の正体に気付き、すぐさま疾風の如く突撃してきた。石突をこちらに向けているところを見れば、一応殺すつもりは無いらしいが。もう遅い。
「ぁっ――！？」
突撃してきたホーネットが空中で痙攣し、そのまま意識を失ってそのままの勢いで地面に叩きつけられ、ゴロゴロと…というかズシャーっと凄い勢いで転がっていく。凄く痛そうだが、まぁ死にはしないだろう。
彼女を一瞬で先頭不能に陥らせたモノの正体は高速圧縮詠唱によって俺様の周りに張り巡らされた攻性防壁だ。物理的強度は皆無に等しいが、触れた者の魂に強力な負荷をかけて一瞬で気を失わせる威力がある。
俺様は戦闘不能になったホーネットに構わず上空を飛び回る残り三匹に向けて両手を掲げた。それに合わせて虚空に刻まれた秘印が収束し、一個の魔砲陣を形成する。
「堕ちろ」
ドドドドドンドンドンドンドンッ！
魔砲陣から連続で放たれた光弾が空中で何度も炸裂し、爆音と閃光と衝撃波を撒き散らす。直撃すればそれでよし、直撃しなくとも撒き散らされた爆音と閃光が視覚聴覚平衡感覚を失わせる。
空中で視覚聴覚平衡感覚を失えばどうなるかは言うまでも無い。その先に待っているのは墜落という悲劇だけだ。
「がふっ…く」
案の定残りの三匹が為す術も無く墜落してくる。
「ふむ、これはまた随分と運の悪い個体がいるものだな」
運悪く俺様の近くに落ちてきた一匹のホーネットに近づき、その頭を踏みにじった。苦しげにホーネットが呻き声を上げる。
「ぐっ、貴様…！」
「お前達の女王に伝えろ。とっとと巣を別の場所へ移せ、さもなければ一族郎党皆殺しにするぞ、とな」
「ふ…クク…その話を伝えれば母は貴様に興味を持つだろうな。我が母は常に強い雄を求めている」
ホーネットが俺様に足蹴にされたまま不敵に笑う。むむ、もしかしたらこれは墓穴を掘ったかもしれんな。
「だーめ」
そんな声と共に後ろに引っ張られ…というか抱え上げられた。
「この子は私たちが先に見つけたのよ」
「私たちのものなんだからー」
いつの間に復活したのか、三匹のハニービー達が俺様を両脇から抱え上げていた。
「一名様ごあんなーい」
「おっもちかえりぃー」
「ゆっくりしていってねー」
「おい、貴様ら！ 離さんかコラ！」
両足をばたつかせながらハニービー達に歯を剥くが、ハニービー達はまったくこちらの抗議を意に介さずぐんぐんと高度を上げ始めるのだった。
09/12/23 04:34更新 / R
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