くまの無職《プー》さん
「占い屋……?」
男がとある建物を見て何気なく口から漏れた一言は、小声ながら静かな裏通りを伝ってゆく。
何故それが占い屋と理解できたのかというと、深紫色の天蓋で覆われた縦長のテントのような建物の正面に『うらない』と大きく書かれていたからだ。
常連客しか迎え入れないような寂れた酒場などしか無いような、うらぶれたニオイが全体的に漂うこの路地においては充分占い屋としての雰囲気を醸し出していた。
だが、男はその存在が不思議に思えて仕方なかった。
「占い屋なんてここに無かった気がしたけど……」
看板ではなく、天蓋の布地に直接白ペンキで書いてある店の名前。
首をかしげつつも『うらない』の文字を二度見三度見してみたが、とんと見当つかなかった。
彼は毎週末に買い物をしつつ帰るため、市場にショートカットできるこの裏通りの同じ道を週一で通っている。
先週はここにこんなもの無かった。断言するほどではないが、おぼろげながら意見するならそう言い張れる。
そもそもレンガ屋根の白や黄色の建物の合間に紫色があったのなら、普通は気がつかないほうがおかしい。
「まぁ、宣伝してまで店出す占い屋はいないか」
新装開店で派手に宣伝するのはチェーン店や大規模な店くらいなので、小さな個人経営店舗が前触れなく開店することはままある。
まして占い屋などは派手にやることは無いし、これも建物というよりはテントとか小屋に近いので一週間で出来ていても不思議ではない。
わざわざこんな立地を選んだのかは甚だ疑問ではあるが。
「なんか気になるよなぁ、コレ」
占い屋に足を運ぶほど人生に息詰まってもいなかったし、そもそも占ってほしい事もまた無かったので、入る理由は正直なところ無い。
しかし、この突然現れた小屋には興味をそそられるのもまた事実。
人通りが多いメインストリートなら憚られるが、人もいないし静かなこの場所ならバレないようにほんの少し覗いても怒られないだろう。中の人にも気づかれないくらい、ほんのちょっとなら大丈夫だろう。そう考えていた。
好奇心に負けた男はそっと入口に近づくと、扉代わりの紫色の垂れ幕を左手でそっと摘む。
左目がギリギリ中を見渡せるくらい小さくめくりあげて、そこを見渡した。
白地のテーブルクロスがかけられた木製テーブル。
透き通った丸い水晶玉みたいな物と、内部を仄暗く照らし出すロウソク。
そして……。
「ぐー……ぐー……」
テーブルの向こう側で寝息を立てながら船を漕ぐ、パーティー用三角帽子を付けたグリズリー。
そこまで認識したところで、男はめくった布をそっと戻した。
「何だあれ……」
開口一番に飛び出した感想はそれだけだった。
ステレオタイプに想像する占い屋と占い師の姿とは当たらずとも遠からず、結構ずれているというか、何か違う。
あの三角帽子は何なんだとか、むしろ占いっぽい雰囲気出ているのはテーブルだけじゃないか等、色々言いたい気に駆られた。
言ってどうこうなる話でも無いので、そっとめくった布を戻し、静かにその場を離れようとした。あのグリズリーは寝ていた、きっと気付かれてはいないだろうと確信していた。
しかし、次の瞬間。
「あ、おきゃくさんですか? えんりょなさらず、どうぞどうぞ」
すっかり油断していた男は面食らう。一瞬ビクリと体を震わせた。
完全に寝ていると思っていたからまさか入口越しに声をかけられるとは。
口から心臓が飛び出そうになるとはこういう場面なのだと身を持って覚えた。
今日は夕食の材料に何を買おうか、と考えていた買い物のことなど頭からすっ飛んだ。
「えぇと」
いないふりをして帰ろうとも考えたが、相手に気づかれては冷やかしとしても正直ばつが悪い。そもそも興味があるというだけで用事も無いくせに勝手に覗こうとした自分が悪い。
そんな後戻りの出来ない良心の呵責に苛まれながら、結局は後ろ髪引かれる思いで渋々テントへと入った。
ロウソク以外に明かりは無い。
炎の明かりで内部の真紫色が綺麗に水晶玉に反射している。
外から見た印象に比べれば、天井は見た目より低く内部は見た目より広い。広いといっても別にスペースに余裕があるわけでは無い。
薄明るいロウソクと水晶玉から向かって対面に座っている、寝ぼけまなこのグリズリーが問いかける。
「さてさて、うらなってほしいことはなんですか?」
「いや……特段相談したいような事も無いんだけど。ここに先週無い建物があるなー、ってちょっと気になっただけで」
「まぁ、できたのはきのうですから。おにいさんが¨だいいちまちびと¨というやつです」
そこは第一号客とかじゃないのか、と言おうとしたが話の腰を折って面倒な事態になりたくなかったので、すんでのところで飲み込んだ。
入口から見たときは半分間違いではないかと思ったが、近くで見てもやはりこのグリズリーに占い師というオーラは無い。
むしろ、お誕生会の主役がケーキのロウソクを吹き消そうとしているあの姿がだいぶ近い。
「せっかくですから、こんかいむりょうでうらないます! もってけドロボー!ですよ」
せっかく来た客に逃げてほしくないためか、半ば強引に引き止められてしまった。
眠いなのか惚けているのか判断のつかない顔で、テンションも謎のベクトルに伸びる姿には不安しか感じられない。
そこまで客に飢えているのか、と憐憫の情すら男には沸いた。
そして、間もなくグリズリーは手元の水晶玉に視点を落とし、中を凝視し始めた。
「むむむ……むぅー……」
眉間に縦じわが深く彫られるほど透明の球体を見つめる。
それはもう穴が空くほどなどという表現では足りないくらい徹底的に。
しかしながら、パーティーの主賓みたいな格好だから余計にアンバランスで、顔も眠そうなままだから睡魔と闘っているようにしか思えない状況である。
そんな中で、ふと水晶が気になって男は上から覗いてみた。
水晶を乗せているクッションが向こうに見えた、他には何も見えない。彼女は何を見ているのだろうか。
「でました」
その声が耳に入ったので、男は水晶玉から目を離し彼女の方を向いた。
先程とは打って変わっていたく神妙な顔がそこにはあり、思わず彼も表情が固くなる。
向こう側しか見えない水晶玉に何が見えたのかは知らないが、この顔になるような何かが見えたのだろう。
男はただ無言で目を見る。
グリズリーは少し長めに目を閉じ、深呼吸してからゆっくりまぶたを上げた。
重苦しい空気が暗いテントに行き渡ったところで、彼女はやっと口を開き、こう言った。
「おにいさんは、むしょくですね? ハンサムなプーですね?」
「ちげーよ! 職持ちだよ! これでも公務員だよ! なんだよハンサムなプーって!?」
やっと話したと思えば予想の斜め上の答えを持って来た。しかも全然正解していない。
よく考えたら無料で占うと言われたものの、どういう内容の占いをするかということは一切言われていないので、そもそも何を占っているのか。
ハンサムなプーという謎単語のインパクトの強さと共に、疑問符が脳内を突っ走る。
全力否定から少々間を置いて、グリズリーは不服そうな表情を浮かべていた。
「ちがいましたか。では、うむむ……」
またうんうん唸りながら、さらに集中した様子で水晶玉に向けて眼力をぶつける。
今度はさらに気合いを入れているのか、両手を水晶に近づけていた。見えない力でも注ぎ込んでいるのだろうか。獣じみたもふもふの手から出る力なんて想像できない。
一分くらいの間を置いてから両手と両目をそこから離し、今度は余裕しゃくしゃくと言える表情で青年を見た。
次いで、今度は見えたであろう質問を何個が問いかけてきた。男はそれに合わせて答えを提示してゆく。
「さいしもちですね?」
「いや、独身だけど」
「しゃくやでくらしてる?」
「ボロ屋を改修した一戸建て平屋だよ」
「さいきん、きゅうりょうがひくくてふまんがありますね?」
「無い」
「……」
やりとりがそこまで続いたところで、グリズリーは俯いてだんまりを決め込んでしまった。
百発百中ならぬ全弾回避で見事なほどの即答ぶりで、彼女が提示した質問は一寸の合致もなく、まさにかすりもしないで男の脇を通過していった。まさに無残。
占い師って何だろう、そう思ってしまうほどだった。この子は一体何をしたいのか。そもそも何故その質問だったのだろうか、意図がわからなかった。
その間は深海の如く暗い気まずさに包まれて空気が重い。とにかく一秒が長く感じた。
「はっ」
だいたい三十秒くらい経った頃だろうか、何かを思い立ったかのようにグリズリーが急に顔を上げた。
いきなり動くとは考えていなかったので、男も思わず身じろいだ。
彼女はまさに勝ち誇ったような、それでいて何かを理解したような自信を浮かべた顔で語りかけてきた。
「いままでしつもんしたこと、ぜんぶがぎゃくのけっかでしたね?」
「あぁ、うん」
間違いない、といった余裕の表情をグリズリーは浮かべた。直前までのミスはすべてこれで帳消しになるとも言いたげな顔だった。
「となると、ぐるっといっしゅうまわって、ぎゃくに『ぜんぶあっていた』ということになるのでは」
「いやいやいや!! 何でそうなるんだよ!!」
「えー」
予想だにしない彼女の発言に男は全力で否定する。しかも彼女はその意見が肯定されると見込んでいたのか、非常に不満げな声を上げた。
ここまで来ると、もはや占いではなく屁理屈ではないか。
しかし、石が流れて木の葉が沈むかの如く、自分の意思は一貫していた。
「おさけは、のみつづければつよくなります。うらないも、やりつづけていればあたるようになるはずです」
さも当然とばかりにグリズリーは力強く言いきった。自信に満ちた表情で、ふふんと自慢げに鼻を鳴らした。
確かに占いにも経験を積むことは必要なのかもしれないが、それは別にこの場で気合入れて開き直って宣言するような事ではない。
彼はというと、釈然としない気持ちで何と言って良いかわからず、無言で頭を掻くしかない。
間もなく、腑に落ちなさそうな顔で彼は再び語りかけた。
「占い師なんだよね? 俺、占いってしたことないんだけどさ、なんか占いっぽく無い気がするんだけど……」
オープンしたのは昨日だと言った。占い師になったのは昨日とは言っていない。
よくわからないが、少なくとも今までの流れで到底『占いをしている』とは思えなかった。占いというよりも心理テストを受けている感じであった。
まさか……とも思ったがその辺りは一体どうなっているのか。
「…………」
質問をするとグリズリーは特に目立ったリアクションは見せず、表情もそのままだった。
ただ、黙して語らず、顔を正面から逸らす。
先頃の質問の際には顔を伏せただけであったが、今回はそうではなく露骨に真横に向けている。
男はテーブル越しに状態を乗り出して彼女の顔を覗こうとしたが、今度はすっと反対方向を向いてしまった。
猜疑の視線を飛ばしつつもそのままイスに腰を降ろし、じっと前を見続けていたところで、やっとグリズリーは彼の顔に視線を合わせた。
「そうか、そうか。つまり、きみはそういうやつなんだな」
「突然何!?」
「いえ、いってみただけです」
グリズリーは顔を背ける前と同じように、掴みどころのない飄々としたテンションだった。これは素なのかもしれない。そして相変わらず眠そうな顔をしている。
「じつをいうと、わたしには、うらないのさいのうはないです。そりゃあもう、これっぽっちも」
獣じみた体毛に覆われた手の先、真っ黒で鋭そうな人差し指と親指の爪先で豆粒ほどの隙間を作って見せた。いやいやもっと小さいかも、と彼女は笑った。
「やまから、このまちにきました。でもやっぱり、とくぎもスキルも、なにもないので、しゅうしょくがむずかしいんです。おかねもないですし」
悲壮感漂う話題だというのに、当たり前のように淡々とグリズリーは語る。
なぜ占い師だったのか。それは占い師が特に道具も元手も何も必要とせず、裸一貫でもすぐに開始できると思ったからだという。
この小屋も手頃な廃材を組み合わせた突貫工事で作り上げたもので、パーティー帽子や水晶玉(実際はガラス玉らしい)も、山にある不法投棄場所から拾ってきた物。
占い師にしては見た目も能力もちぐはぐだった原因は、実に簡単なものであった。
男は無言で、ただただうなづく。
彼も公務員になるまでには人並みに苦労はした。しかし、対して目の前にいる相手は種族も違うし、わざわざ遠出して一からチャレンジをしている。
『大変だね』『頑張ってね』などと軽い励ましの言葉で慰めるなど、あまりに無礼というものである。
その様子を察したのか、グリズリーは男の顔を見るとからりと笑って見せた。
「ま、なんとかなりますよ。だってほら、みんな、いがいと、なんとかなってますし」
明日の心配なんてぶん投げてやれとばかりに、彼女は清々しく言い切った。
一見すると開き直りとも無鉄砲ともとれるこの発言は、まさに彼女の覚悟を現していた。
『適当にぶらぶら生きている』のではなく、『結果的にみんな自分なりの着地点を見つけている』という答えに達したことで、苦労は結果に行きつくための家庭だと捉えたに他ならない。
ことさら魔物の中でもマイペースだと言われるグリズリーの、マイペースなりに辿り着いた意思に、男は思わず唸りそうになった。
「でもまぁ、おにいさんのおよめさんとなれば、まさに¨えいきゅうしゅうしょく¨なのですが」
「……えっ、なんだって。何すると永久就職だって?」
それはもう、机の下で握りこぶしまで作るほど感心していた。
ほどよく場が盛り上がってきたところで、先の流れを丸々見事にぶち壊す発言が彼の耳に届いた気がしたが、いやいやそんなわけはないだろう。
「『どくしん』『いっこだて』『こうむいん』、あとは、およめさんがいればカンペキじゃないですかーやだー」
聞き間違いとしたかったが別にそんなことは無かった。余りにも温度差のある発言に、思わずがくりと肩を落とした。
だが、同時に今の発言で気が付いた。
独身で一人暮らしで公務員ということは全て、彼自身の口から出た物。
それは見事なまでに全部聞き出されていたのである、他でもないグリズリーの"占い"という形で。
再び顔を上げると、やはり彼女はニコニコと笑みを浮かべてるではないか。
(そうか、それを狙ってあの質問したのか!)
彼女の目的はそうだったのだ。生活するための手段は必ずしも働いて稼ぐだけではない、稼いでいる人に身を寄せるのもまた一つの手段である。
だから、『なんとかなる』なると言ったのだ。のんびりに見えて予想以上にしたたか。
まんまと策に乗せられた男であった。
そうこうしているうちに、グリズリーはその場から腰を上げた。
「じゃあ、このおみせは、みせじまいですね。かいたいするので、ちょっとまっていてもらえませんか」
「え、何、本当に押しかけ女房するつもりなの?」
「たいりょくとパワーくらいしかない、ふつつかものですが、よろしくおねがいします」
まだまだ言いたい事はあったが、反論の余地も無くグリズリーは入口の向こうへすっ飛ぶように出て行き、直後に入口の布を外し始めた。
しょうがないな、と呟きながら男は立ちがって、もう一度、天蓋とかを取っ払う彼女の表情を覗き見た。
今までのねぼけ面とはまた違う、屈託の無い、クリスマスの朝の子供みたいに喜んでいた。
「そんな顔をされたら、なんか俺まで嬉しくなっちゃうじゃん。わかんないなホント」
ある意味、半ば諦めたようなこの納得こそ、男の着地点なのかもしれない。
気づけば口の両端が釣り上がっていた。いつの間に笑っていたのか彼もわからなかったが、ただ、何となく気持ちの高揚に近い、ほがらかな感情は心の中にあった。
「どうかしました?」
「いや、何でもない」
今をもって彼女は。
何よりも幸せな職に就いたのであった。
13/05/07 12:02更新 / トロワ