雨とハーピーと彼と彼女

鳥は自由に空を飛ばない。
渡り鳥は季節に住処を左右されるし、他の鳥の縄張りにうっかり入れば身の危険さえある。
地上の小動物や魚を食べる時は他の獣に襲われる時でもある。
人間が考えているほど鳥は気楽じゃない。

「あー、忙しい忙しい」
腕を上下に素早く動かしてスピードを上げる。
顔に当たる風の強さが増し、湿気を含んだ空気が体を冷やす。
堅い素材の制服が風圧で波打つ。
頭に被るツバつきの帽子が落ちないように顎を引き、ゴーグル越しに前方を睨む。
「やばいなー。雨が降ってきたらどうしよう」
黒く分厚い雲が空に広がっている。
雨に濡れると雨宿りをしないといけない。
人間やケンタロスとは違うから雨に濡れると大変。
なにせ水鳥じゃないから、羽が触れると重くなってしまう。
雨に濡れて墜落なんてあった日には、飛鳥新聞社の名が泣くというもの。
肩から斜めがけにしている鞄のマークにも申し訳がない。
というか上司に蹴り殺される。物理的に。
「あー、もう。これは降って来るぜったい降って来るというか既に降って来てるし!」
ゴーグルに雨粒が当たった、と気づいた時には既に土砂降りだった。
「うそぉ!? 何コレぇえー!!」
叩きつけるような雨とは良く言ったものだ。
広げた翼はあっという間に重くなり、私は翼を広げたまま地面へと滑り落ちる。
「堕ちる堕ちる堕ちる〜〜!」
その時、私は慌てていたんだと思う。
地面に降りる時、普段なら絶対にしないきりもみ飛行をしていたんだ。
当然、堕ちるスピードは急激に上がって、あっという間に地面が視界一杯に広がる。
「うわわわ、これまずいって!」
墜落する速度を抑えるために体をひねって翼を羽ばたかせる。
「わぷっ!」
そしたら進行方向が変わって木に激突してしまった。


「あいたたた」
翼で頭を擦る。
「怪我は、大した事なさそう」
額からは血が少し垂れていたみたいだけど、もう流れていない。
どうも頭を打ってから少しの間気絶していたみたい。
「怪我は、問題ないね」
同じ様な言葉をもう一度呟いて、はぁと息をつく。
翼は布団を被せたみたいに重くなっていて、服もぐしょぐしょ。
幸い、飛行用のゴーグルは壊れていない。
「でもこれじゃあ飛べないなぁ」
雨が上がるまで待つしかない。
でも。
「配らないといけないよね。みんな待っているんだから」
地面に落ちて汚れた帽子の土を払って被る。
こんな帽子でも無いよりマシだし、何より私はこの帽子が好きだから今の仕事を選んだんだ。
「鳥と違ってちょっとは歩けるんだから、歩いていこう」
よし、と気合を入れてぬかるみ始めた地面を踏みしめる。
「……そう言えば、ここってどの辺だったっけ?」
一歩足を進めたところで私は現在地を大雑把に思い描く。
「飛んで15分。何にも無い平坦な道なら歩いたら2時間くらい? 雨の中、しかも森の中な

ら」
考えれば考えるほど気が遠くなる距離に感じられてしまう。
もしかしたら1日歩いてもたどり着けないかも知れない。
だって私はハーピーだから、普段はこんなに長い距離を歩かない。
足にまめは出来ないけど、爪が割れたらどうしよう。
「で、でも、新聞を待っている人がいるから!」
私は自分に活を入れて2歩目を踏み出す。
「へ、はれっ?」
でも2歩目は空を切った。
地面だと思ったら、丈の高い草地だった。
「わぷっ!」
小さな崖、大きな段差。
私は中をくるんと前転するように草地を転がった。
「あいたたた。草地があるなんて酷いよ」
「あいたたた。一体何が落ちてきたんだい」
頭を擦っているとどこからか人の声が聞こえた。
振り向くと草地の中から人が起き上がっていた。
「誰?」
「あー、えっと。怪我は無い?」
「怪我はないけど。それより、だれ? 何でこんな所にいるのよ」
森の中と言っても雨が降り注いで話をするだけでも辛いくらい。
「えーっと、僕はパース。薪を取りに来たんだよ」
「この雨の中?」
「雨? あー、えっと、あれぇええ!?」
ぼーっとしたまま空を見上げた後、彼はたった今雨に気づいたとばかりに声を上げた。
「まさか、気づいてなかったの?」
「あー、さっきから冷たいなぁと思ってはいたんだよ。ほんとだよ」
「うそ臭いわね」
「ほんとだって」
ぽたぽたと前髪から滴を垂らしている彼を見ると、とても「気づかなかった」だなんて信じら

れない。
私は濡れ鼠と関わっている暇は無いので、濡れた土を払うと村へと歩き始めた。


空飛ぶ鳥の足は掴む事は得意でも、歩くには向いていない。
走るのが得意な鳥はいるけど、だからってハーピーも走りが得意なわけじゃない。
ちょっと歩くだけでもう足が痛くなってしまった。
「参ったな。これじゃ着く前に夜を過ぎて朝になっちゃうんじゃない?」
何度目かの休憩を挟んでから立ち上がり、また歩き出す。
「いたっ」
慎重に木の根を避けて足を踏みしめると鉤爪に痛みが走って転んでしまう。
「あいたたた。何は踏んづけたかな」
鳥の足に何か刺さっているか見ようとして、爪が割れている事に気づいた。
「あー、爪が割れてる、というか折れてる」
折れた爪から血が流れていく。
怪我に気づいてから痛みが増していく。
「うぅ、本当にこんなのでたどり着けるの?」
弱音を吐いてしまう。
木の根に腰掛けて空を仰ぎ見る。
雨はまだ止みそうに無くて、ざぁざぁと冷たい雨が降り注いでくる。
「ねぇ、大丈夫?」
その雨を遮るように影が現れた。
先ほどの暢気な青年だ。
「大丈夫じゃないよ」
「そうなんだ。何度も休憩しているから疲れているのかなって見ていたんだけど」
「あなた、まさかずっと着いてきていたの?」
暇人、と付け足して睨んでやる。
「着いてきたんじゃなくて、たまたま歩く道が同じだけだよ」
僕はこの先の村に帰るんだよ、と私が進む先を指差す。
「ふーん。そうなんだ」
「そうなんだよ」
暢気に笑う彼を見て、私は腹が立った。
「ねぇ。私が疲れているっていうのに何で助けてあげようとか思わないわけ? それとも何?

 私が苦しむのを見て笑っていたの!?」
「え、え〜?」
「私が魔物だから? 魔物だから苦しめばいいって?」
「え〜、あー、ええ〜?」
彼が悪いのか悪くないのかわからないくらい私は怒っていた。
雨が降っているとか新聞を届けないといけないとか、そういうことが気にならないくらい怒っ

て大声を出し続けた。

散々怒鳴り散らして息を切らせ、呼吸を整える。
座ったまま俯いて、降り注ぐ雨を帽子に受けながら私は自分で自分を蹴り飛ばしたくなった。
理不尽な事を言ってしまった。
このあたりの地域はまだ魔物に対しての偏見が弱くて温和な人たちが多い。
でも他の地域なら見つけ次第に村総出で狩り出されてもおかしくない。
だって私は魔物だから。
折れた爪がじくじくと痛む。
「はぁ。もう、どうしたらいいのよ」
足は痛いし体はずぶぬれで、新聞もずぶぬれでしかも遅れに遅れている。
飛べない、歩けない。
今できる事といえば雨が止むのを待つか、足の痛みが引くのを待つ事だけ。
「クビになっちゃうかな。やだなぁ」
「…あのー」
「ん、あー、あなたまだ居たんだ。ごめんね、さっきは滅茶苦茶言っちゃって……、……なに

してるの?」
「えっと、待ってるんだけど。というかこの姿勢でずっといると疲れるんだよ?」
彼は私の前に座っていた。
ちょうど誰かを背負おうとしているように見えた。
「雛のマネ?」
「違うよ。ほら、足、怪我しているんだろ?」
「……それがどうかしたっていうの?」
「えっと〜、おんぶだけど?」
「おんぶ? ……あ」
言われてやっと彼の意図に気づいた。
「送っていくよ。村に行けば怪我の手当てくらい出来るからね」


パタパタと雨が降って帽子が音を立てる。
彼は暢気で間抜けな人間だけど、雨で翼が濡れた私を背負っても平気で歩けるくらいには健康

的だった。
鞄に新聞紙を詰め込んでいるのに、その重さも気にしていないみたい。
「雨に濡れても気づかない鈍感なのに、力持ちなのね」
「あはは。畑仕事をしていれば誰でも力持ちになれるよ」
「畑仕事? このあたりで何が出来るの」
「色々取れるよ。でもやっぱり一番は麦かな。収穫期になるとたくさんの麦穂が綺麗なんだ。

昼に見る麦穂は太陽みたいに光って綺麗だけど、夕焼けに染まる麦穂も好きなんだ」
「ふーん」
彼は子供みたいだと思った。
話し方に気取った所は無くて、格好付けようともしていない。
かけっこが好きな子供をそのまま大きくしたみたいだ。
畑の話をすると聞いていないことまでドンドンと話してくる。
特に麦の話になると話は尽きない。
麦わらを使った篭の作り方や、刈り残した茎を使った兎取りの罠、兎を殺す時は悲しくて辛い

けど兎鍋は美味しくて困ってしまうとか。
背負われているから顔はよく見えないけど、少しだけ見える横顔は本当にうれしそうで、話を

聞いているこっちも楽しくなってしまう。
「ねぇ」
「なんだい」
「あなたは魔物が怖くないの?」
「んー。むしろさ、君はぼくが怖くないの?」
何で魔物の私が人間を怖がるのだろう。
予想外の質問に私は言葉を迷ってしまう。
「えっとさ。僕はほら、鳥とか食べるからさ」
「あー、なるほど、ってぜんぜんわからないわよ」
「僕が君を食べちゃわないか、不安じゃないの?」
「なにそれ」
普通逆でしょう。
呆れて物も言えない。
「あなたねぇ、魔物に食べられるとか思わないの?」
「どうして? だって僕は色んな鳥や動物を食べているじゃないか。それなら鳥の魔物を食べ

るかもって思われるならまだしも、なんで魔物に食べられるなんて思うの?」
「……あんた、もしかして教会のお説教さぼってるわね」
「うん。だってつまらないから」
都会で聞けば石を投げられそうな発言だって気づいてるの?
馬鹿馬鹿しくて訂正する気も起きない。
「ねぇ、どうして?」
「そんなのは教会の偉い人にでも聞きなさいよ」
「やだよ。だってえらそうだもん」

コトンと机に置かれた木のコップには暖かな茶が注がれている。
立ち昇る湯気と共に立ち昇る香ばしさに頬が緩んでしまう。
「変わったお茶ね」
「畑で取れる麦を焦げない程度に焼いたお茶なんだよ」
「穀物茶ね。でも他にも色々入ってるわね。あと、これって本当に炒ってるの?」
「生じゃないよね」
「知らないのね」
「いいじゃないか。おいしいんだからさ」
ざぁざぁと叩きつける雨の音。
開いた木窓の外は今も強い雨が降り注いでいる。
「ありがとね。あなたが居なかったらまだ森の中で雨に降られていたよ」
「新聞、全部配れてよかったね」
「まーね。この村が最後でよかったよ」
部屋の中には濡れて重くなった私の制服が干してある。
でも私は別に裸になんかなっていない。
彼の服を着せてもらっている。
「雨がやむまでゆっくりしていきなよ。どのみち、雨の中じゃ飛べないんだろう」
「そうね。人に借りを作るのは癪だけどさ。お言葉に甘えるよ」
「ふーん。じゃあ何かあったら声をかけてね」
彼は私にあまり興味が無いみたいで、さっさと部屋を出て行ってしまった。
残された私は彼の事を思い出す。
雨の中で寝ていたらしい彼の背中は最初の印象と違っていて、細いのに体つきはしっかりとし

ていた。
畑仕事に慣れているだろうことを考えても、彼は土のにおいが強かった。
普段から土に埋まっているんじゃないかと思うくらい。
風の匂いと雲の匂いに慣れている私にとって、彼の匂いはとても新鮮だった。


「へぇ〜。そうなんだ〜」
「ん、なによ」
雨が上がって会社に戻った。
同僚のケルラの何とも言えない笑みをツバサで叩く。
「変な顔しないの。そんなのじゃないから」
「またまた〜。ふふ、へ〜」
「もう。違うったら。あんまりしつこいと怒るよ」
「はいはい」
ケルラは私と違って羽が黒い。
ブラックハーピー特有の険の強さを感じる目つきだけど、怖さは感じない。
ケルラの性格はきついというより、他人をからかうのが好きな方だから余計にそう感じるのか

もしれない。
「次の雨の日が楽しみね〜」
「何言ってるのよ。雨の日なんて最悪じゃない」
「またまた〜」
「もう、ケルラっ」

あの雨の日からもう何日も過ぎた。
私は新聞配達の区域が最後だからという理由で、会社に戻るまでの時間をあの村で過ごすよう

になった。
村の人たちは魔物である私を怖がらず、襲い掛かってくる事も無かった。
たまにお土産を持ってくると子供たちが群がってお菓子を欲しがってくる。
「ああ、また来たんだね」
「そりゃそうでしょ。新聞配達の区域なんだからさ」
「そういえばそうだったね。今日も雨宿りしていく?」
「うん。雨が降ったら飛べなくなるからね」
「でも今日も雨は降らないと思うよ」
「羽が無いあんたにはわからないんだろうケドさ。ツバサが濡れると重くって仕方が無いのよ


「そうなんだ」
そう。
ツバサが濡れると重くって仕方が無い。
だから私は今日も雨宿りをして休んでいく。


濡れてもいない翼が重くて、会社に戻れないから。
羽に土の匂いが染み付くくらいゆっくり休んでいくんだ。




----作者より

雨とハーピー。
でも殆ど雨が関係ないというのは、ご愛嬌(。。

ちなみに、後日この二人はくっつきます(’’

11/09/12 21:51 るーじ

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