読切小説
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森の賢者(かりうど)
 私は考える羽毛である。いや、私は別に羽毛ではないが、この言い回しは気に入っている。友人である魔女の無駄に多い蔵書の中には、童話もあれば奇特な小説もある。その中の一つの、文章の一節からこの言い回しは生まれた。私自身とはほとんど関係ないが、特徴の一つを切り出して比喩表現に組み込む手法は、実に面白い。
 さて、私は羽毛ではないが、羽毛を備えている。竈の灰に似た羽の上から夜色の濃い模様で飾られた翼を持ち、高い魔術適正と比較的学術に向いた種族特性を持つハーピーの一種。つまり、オウルメイジと呼ばれる魔物である。名前はないが、友人の魔女は『灰かぶりの少女』の童話になぞらえた名前で呼ぶ。私は『灰のオウルメイジ』と自称している。名前は、特別な時に得るものと考えているため、今は名無しが良いのだ。

 私は友人の魔女と共に森に棲んでいた。あの退廃的な享楽にはついていけないが、魔術の知識と好奇心は彼女の最大の取り柄だ。彼女の研究を手伝い、魔術実験で使う人間の男をさらってきたりもした。その長くも短い生活は、友人が生涯を共に過ごすと決めた男と出会った時、唐突に終わった。私の好みでもない男を共有する気もなく、また彼女も男の独占を望んでいた。気が向け場合に行くとだけ告げ、数少ない友人と別れた。
 私は夜の森を好むハーピー種であり、必然的に住処は森の中。盛りから森へ旅をする中、薬草が多く自生している森を見つけた。私はこの森で羽を落ち着かせることに決め、木々を加工した巣を構築し、魔術で家具を作り上げ、住処を充実させていった。十分な巣を作り上げた後は、森の散策と薬草の採取、薬の調合と魔術の研鑽、そして魔法の開発と修練の日々だ。彼女から譲り受けた数冊の魔術書は彼女の趣味が入った誘惑魔術、魅了魔術、特殊な拘束魔術と様々で、私も全てを習得しているわけではなかった。使う予定もないが、新たな魔術を習得し、磨き上げる。それはとても面白い物だ。残念な事に、色事のために魔術の深奥を追求する彼女とは意見が合わなかったが。


 さてさて。私は森に住まう獣魔物を含めた上で、最も知性が高いと自負している。その私でも理解できないものというのは、やはり存在する。

「少年よ。君は魔物の餌にでもなりたいのか」

 眼下で無防備に薬草採取をしている少年は、私の声を聴いてびくりと背を震わせる。そして周囲を見回す。だが私の位置がつかめていない様で、慌てふためき、旋毛風に遊ばれているかのようにくるくるりと回り続けている。

「どこ? だれ? どこにいるんですか?」

 この少年。実は魔術師見習いであるようだ。本を片手に薬草採取をしている所を何度も見かけている。森の探索にはあり得ないほど軽装で、無警戒に。ワーウルフに襲われそうになったことも何度かある。本来なら、既にワーウルフに『喰われて』いるだろうが、私の魔法で遭遇しないよう対処した。私がまだ魔術のまも分からなかった頃を思い出した事もあり、また、少年がなぜ魔術を学ぼうとするのか、なぜ一人で行動しているのか。様々な疑問が品の悪い好奇心と結びつき、少年の保護という大した益もない行動を取るに至った。

「私は木の上に居る。気づかなかったのか」

「きの、うえ?」

 少年を観察していても、疑問は全く解消されなかった。だから今、会話による情報収集に取り組むことにした。さて、少年はどう反応するだろうか。

「えっと、んーっと。あっ、そこだ!」

「うむ。ここだ」

 不躾に指さされた。だが少年の愛嬌は、不思議と無礼を無礼と感じさせない。魔物を見ても恐れない胆力も気に入った。もう少し近くで観察してみようか。

「少年。森の中で、何をしている?」

「僕はね、薬草を集めているんだ」

「見ればわかる」

「分かるんだ!?」

 少年の表情変化は目まぐるしい。自慢そうに笑うかと思えば、目を大きく開いて驚く。友人とは別の意味で、見ていて飽きない顔だ。

「その草の根は乾燥させて擂り鉢で粉末にすると、喉の痛みに効く薬になる。その白い花弁は喉に貼ると呼吸に清涼感を与える」

 その他、少年が採取している植物の用途を挙げていくと、少年は口を開けたまま何も発しなくなった。

「すごい! 何でも知っているんだ!」

「私は物知り」

 知的好奇心は強い方であり、多くの魔術書を読んできた。知識には自信がある。

「じゃあ、じゃあ。これは? これは何に使うの?」

 少年が腰の革袋から数粒の種を取り出した。

「これは外側の殻の部分を砕いて粉末にすると、食欲増進の薬になる」

「じゃあ、じゃあ、これは?」

 少年が革袋から次々と出す物に対し、応える。応えながら感じるのは、少年の強い好奇心。少年は、きっと良い魔術師になる。

「少年」

「なに?」

「そろそろ日が落ちる。少年の足なら、早く帰るべき」

「もうそんな時間?」

「もうそんな時間」

「また会えるかな」

「少年が獣にも魔物にも襲われなかったら」

「ええ!? ここって、実は危ない場所なの!?」

「実は危ない場所」

 いまさらになって森の怖さを知った少年の慌てぶりを見て、私は少しだけ、くすりと笑った。



 その日から、少年とは毎日会うようになった。ある時は魔術の講義をした。ある時は少年が持ってきた昼食を共に食べた。少年が気付かない内に背後に回り、不意に脅かして遊んだりもした。戯れに他の魔物を誘導してきて、追いかけまわされる様を眺めたりもした。無論、最終的には逃げられる様に手助けはした。
 少年は魔術師になりたいわけではなかったようだった。村に住んでいた高齢の魔術師が村の薬を作っていたが、森に入れなくなったため少年が代わりを担っていただけであり、少年は薬草学の基礎知識しかもっていなかった。少年に魔術の手ほどきをすると、少年は夜の星に似た輝きを目に浮かべる。ついつい少年の好奇心を満たそうとして、うっかり触手系の拘束魔術をかけてしまう事もあった。あれはあれで可愛らしかったので、また今度『うっかり』かけてしまおう。

 少年と過ごす日々は深い森に差す木漏れ日にも似た温かさがあり、冷たい湧き水に似た刺激も、さわさわと奏でる木々のざわめきに似た落ち着きもある。私が少年に対して抱く感情が何であるのか。実のところ、想像がついている。
 これは、好意だ。恋慕、思慕。その類に相違ない。きっとそうであるだろうし、違っていても大きな問題はない。少年を番(つがい)とすることに忌避感はなく、むしろ強い好奇心が刺激されてたまらない。少年はどんな声を上げるのだろう。どんな顔をするのだろう。
 今が発情期である事は理解している。だからこそ、今、行動に移そう。この心地よい熱病をより長く味わうためにも。互いの好奇心を満たし合うためにも。ああ、私は分かっている。気づいている。少年が私に向ける視線に、どんな色が混ざっているのかを。私の飛行に邪魔な大ぶりの胸部に。羽毛を敢えて排除している腰部に。どんな感情を向けているのかは、最初から分かっている。
 満たしたいのだろう。好奇心を。知りたいのだろう。私の体の隅々を。安心していい、少年。私も同じだ。だから準備を整えよう。発情期が本格的になる日まで。



「少年」

「なぁに?」

「今日は少々、長い時間をかけてしまったようだ。季節の関係もあり、もう日が沈んでしまう」

「そういえば、これからの時期は日が落ちるのが早いんだよね」

「そうだ。だから今晩は。そう、『今晩』は私の家に案内する。泊って行くといい」

「え、いいの?」

 無邪気に喜ぶ少年は、しかし、欲情の色が隠せていない。安心していい。君の好奇心は、充たしてあげよう。

「アッシェラ、また、じぃっと見てる」

「私の眼は、怖いか?」

「ううん。ただ、こう。すぅって、吸い込まれそうになる」

 少年にはまだ話していなかったか。魔術と魔法の違い。魔術とは理解と発動の難易度こそあるが、誰にでも習得可能である。しかし、魔法は本質的には種族固有の魔術と言える。ああ、ゲイザーやメドゥーサも似た特徴があったかな。

「安心していい。私の眼を見ていれば、問題がない」

「そう、なんだ?」

 少年の体を、あえて緩く翼で抱き寄せる。羽の魔法と眼の魔法。その両方を発動させた誘惑『魔法』。夜の森は恐ろしいのだよ、少年。私の羽は温かく包んで獲物を逃さない。私の眼は獲物の理性を惑わせて迷子にする。
 夜の森は、狩人の猟場。後は、巣に持ち帰るだけだ。

「今日は長い夜になる。ずっと、語らおうじゃないか。少年が気になっている、隅の、隅まで」

 そっと少年の耳元でささやく。緊張と期待で体を震わせる愛おしい少年から不意に体を離す。

「夜の散歩は心地が良い。好奇心を燻ぶらせながら、さぁおいで」

 月の光の差さない深い森の中で、狩人が獲物を持ち帰る。少年が迷子にならないように、そして迷子になる様に、魔力の籠った目を光らせて。森の狩人が、獲物を持ち帰るのだ。


21/01/02 20:57更新 / るーじ

■作者メッセージ
元旦に書く予定だった話の代わりに、「ぴん!」と来たこの子のお話(。。

ジト目っていいもんですよね?(_’

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