賢者と愚者の語り合い |
寒い北風と暑い日差しのアンバランスな日々が続く。
朝は寒く、昼は暑く、夜は寒い。 今日も昼の日差しは容赦なく襲い掛かってくる。 脱いだ背広を抱えて早足に歩くと、行きつけの喫茶店に逃げ込んだ。 「いらっしゃい」 ほの暗いランプ球の明かりと冷えた空気。 そして温度を感じさせないアルトボイス。 いつも通りに迎えてくれる店の主人に会釈をすると、カウンター席に座る。 コトン。 無言でコップが置かれる。 氷の入っていない冷えた水を一気に飲み干す。 「ぷはぁ」 割れない程度の力加減でコップを下ろすと、金属製の水差しでお代わりが注がれる。 礼を言うと、ランチセットを頼む。 「今日も仕事?」 「営業は何時だって足で稼ぐもんだって煩いからな」 この店には俺以外には店の主人である彼女しかいない。 だから俺はいつも彼女を一人占めしている。 百合のように白い肌と墨のように黒い髪。 店内は暗く、フードを被った彼女の表情は非情に分かり辛い。 俺はきつね色の焼き目がついたサンドウィッチをかじる。 具はレタスと半熟卵か。 イタリアンドレッシングの塩気と酸味が美味い。 問題は、卵がこぼれない様に食べる必要があるわけで。 慌てて両手で掴みなおすと、角度を調整しながら食べていく。 「お得意先が出来ているから、首にはならないんだけどな。後輩育成もあるから全然自分の仕事につけなくて難儀なんだよ」 彼女は基本的に聞き役だ。 ほとんどが無言。 疑問を感じた時は、時折こちらを見て声をかけてくる。 音量を抑えたジャズの曲が店内にかかっている。 彼女の声はその曲に負けそうなほど小さい。 けれど不思議なことに、彼女の声が聞こえなかったことはない。 「それにしても。いつ料理を作っているんだ?」 2つ目のサンドウィッチはBLTサンド。 シンプルに塩だけを味付けしている。 塩の効いたトマトとベーコンが、また美味い。 汗をかいたからだろうか。 「魔法を使ってる」 ことん。 皿の横に置かれたコーヒーカップにはコーヒー。 いつ淹れたのかわからないが、湯気が出ている。 「料理としては外道。だからこそ、私は使っている」 「ははは。魔法使いなんだ?」 「一般家庭の奥さん達は料理に愛情を込める魔法を使っている。別に珍しい話じゃない」 「愛情って、魔法なんだ」 「うん。魔法なんだ」 彼女の雰囲気は独特だ。 声の質も口調も落ち着いているのに、時々子供のように思えてくる。 年齢? わからないなぁ。 前に聞いた時は「数えるのを忘れたからわからない」ってはぐらかされた。 「何で魔法使いさんが喫茶店を開いているんだ?」 「実験」 「実験って?」 「美味しい料理は、愛情の魔法無しでも作れるのかどうか」 「だったらコックになればいいんじゃないか」 「白服は嫌い」 どことなく口を尖らせたような口調に、思わず吹き出す。 すると、やはりどことなくだが、彼女が不満そうにこちらをにらんできた。 「白い服が苦手なら、ウェディングドレスも着れないだろう」 「……む」 彼女は少しだけ言葉を詰まらせる。 「いい。結婚はどの道できないから」 「相手がいないから?」 「教会は昔から苦手」 「まるで吸血鬼かゾンビみたいだな」 「花も恥じらう乙女にそれはひどい」 先ほどよりも強く、彼女に睨まれてしまった。 彼は代金を支払うと、店を出ていった。 指を鳴らし、認識阻害の結界を張る。 これでもう誰も入って来ない。 店に奥に戻る。 2畳ほどのスペースの我が家。 私はロッキングチェアに腰掛けると、目を閉じる。 数言呪文を呟くと、脳裏に彼の姿が浮かぶ。 「まったく。営業の真似事なんて似合わないのに」 彼は次の会社に向かうのだろう。 営業ではなく、就職のために。 私の家は代々、魔女の家系だった。 他の世界からやって来たちびっ子魔女とは異なる、薬学と動物学を追求したような魔女だ。 違法合法を問わず薬を調合し、中毒性のある薬を使って動物を使役する。 昔は本当に魔法の様な事もして来たみたいだけど、今の世代にはそんな力はなかった。 もっとも、異界とつながった影響で私たちにも強い影響は生じた。 ま、私はそのとき既に死んでいたんだけどね。 この界隈のカラスや猫はすべて私の使い魔。 日の下に出られない私の代わりに、彼を見守る。 彼は私の生前の恋人の生まれ変わり。 何てことはなく、ただの男性だ。 単に、私が一目ぼれをしただけの話。 自分でも驚いた。 きっと、異界とつながった影響で異性に惚れっぽくなっているのだろう。 困ったものだ。 私は魔法の存在も信じていなかった。 母が、自分たちは魔女の家系だと言った時、私はうれしさより悲しさが強かった。 悪い宗教を信じている親を見るような心境だった。 事実、母や祖母が行っている魔術は、まさに悪徳宗教が行うような麻薬と洗脳の類だったからだ。 でも、私は魔法を信じたくなってしまった。 母や祖母が今どこにいるのかはわからないし、暴言を吐いて出てきた過去があるため合わせる顔もない。 唯一、母や祖母が口にしていた言葉の中で信じていたものがあった。 料理は愛情。 母や祖母の作るハーブティや香草蒸しなどは、今でも私の好物だ。 ああ。 思いだしたら、また欲しくなってきた。 困った。 私は喫茶店なんてやっていない。 ここは単に、店の主人が夜逃げしていたので勝手に借りているだけだ。 日々の生活に疲れている彼を癒したくて。 だから、私は彼に嘘をついている。 彼も嘘をついているのだからお互いさまだ。 明日も彼は来るだろう。 中毒性の薬を入れずとも、彼は来る。 母や祖母の言葉を思い出す。 料理は愛情。 私もいつか、その魔法を使えるようになるだろう。 それまでは実験を続けよう。 魔女の家系の一員として。 喫茶店の屋根で、カラスがかぁと鳴いた。 「やれやれ。あの馬鹿娘は、変わらんな」 カラスの隣に腰掛ける幼い少女は、大人びた顔で笑う。 「不器用なのも相変わらずか。まったく、バカは死んでも治らないとは、この事だな」 口調は荒く、表情には親しみを浮かべ。 魔女は呪文を唱えるように、告げる。 「魔女ではなく、一人の女として料理を作っているのだろう? この嘘つき娘が」 |
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