私の単眼(め)を見つめないで!

ある洞窟に若者がいた。
数日のキャンプに必要な資材を詰め込んだザックを背負い、彼は探しものをしていた。
「今日も外れか」

洞窟内の泉の傍に腰掛ける。
鍾乳洞の広まった場所で、物を投げても届かないほど天井が高く、ゴブリンの大群が横切っても余裕があるほど広かった。
泉の水は冷たく、喉を通すと全身が透き通るような心地になる。

「喉乾いたー。みずー」
彼が目を閉じてひと心地ついていると、どこからか少女の声が聞こえてきた。
不思議なことに、声は上から聞こえているような気がする。
まるで、洞窟の天井近くに声の主がいるようだ。
彼は洞窟内で声が反響したのだろうと思い直し、少女の姿を見ようと後ろを振り返る。
しかし、誰もいなかった。
いや、視界の端に何かが映った。
まさかと思い視線を上げるのと、再び彼女が言葉を発したのは同時だった。

「ちょっと香辛料をかけすぎたー。喉がカラッカラでどうしようもないよ」
何かが『空中』からやってきて、泉の傍に降り立った。


彼女は、魔物だった。
その姿は異形の一言に尽きる。
顔には巨大な一つの目玉が、コバルトブルー色に輝いている。
彼女の背中からは、黒い触手が何本の伸びていて、その先端は顔についている目と同色の目玉が付いている。

そして、彼女は全裸だった。

「って、ええええ!? ちょっと、魔物だからって、全裸は無いでしょう! 全裸は!」

彼は思わず大声を出してしまう。
無論、その声に気づかないはずもなく。
彼女は彼の方に顔を向ける。

「……」
「……」

暫しの間、時が凍ったように見つめ合い。




「私の目を見るなぁあああああ!!」
「ぐはぁっ!?」
彼は彼女にぐーで殴り飛ばされた。




「なるほど。事情は分かりました」
彼の方を見ず、しかし体は欠片も隠さずに。
彼女は泉を見下ろし続ける。
まるで、視線が合う事を恥らう乙女の様に。
しかし体は欠片も隠さない。

「貴女の暗示による悪戯が余りにも酷いので、貴女の姉に暗示を封じられた、と言う事ですね」
「そう、そうなんだよ! 全く、姉貴ったら器が小さいんだよねぇ。背丈と胸とアソコのサイズが小さいからってさぁ」
ちなみに彼女は姉をからかうのが好きで、よく暗示で姉を金縛りにした挙句、触手を使って『アソコのサイズ』を観察したりしてからかっていたのだそうだ。

「姉貴ってさ。い〜い声で鳴くんだよねぇ♪」
「そして逆襲として、『誰かと目を合わせると恥ずかしさのあまり、見つめられなくなる』と言う暗示をかけられたわけか」
「そう! そうなんだよねぇ。姉貴に戻せって言っても戻してくれないから、気絶するまで責め立ててやったよ」

果たしてどちらの方が性質が悪いのか。
彼は敢えて、口にしなかった。


暗い洞窟の中は静かで、そして退屈だ。
二人は目を合わせないまま、並んで洞窟の中を歩く。
「しかし、難儀な物だな。自分自身に暗示をかけようにも、上手くいかないのだろう?」
「あー、わかる? さっきも目を瞑ったまま水を飲んでたんだよ。ほら、透き通った水ってさ、鏡みたいになるでしょ?」

彼女の目はどこにでも届く。
今も彼女の触手がゆらめき地面も天井も、ありとあらゆる場所を見ている。
唯一、彼と視線が合わないように、背後に対しては触手も向けられていない。
「そんな状態でよく生活が出来ますね。触手同士で目が合うとか、あるのでしょう?」
「慣れればたいしたことないよ。『目と目』が合わなきゃ、視界に入っていても大丈夫だしねー」

彼女はゲイザーという種族の魔物で。
自身の目を通じて相手に呪いをかけるのだという。
ゲイザーという魔物が得意とする、上位の魔物にさえ引けを取らない呪い。


その呪いとは、『暗示』。
本人の意思よりも上位の命令権限を有し、自覚の有無に関係なく生理現象さえ支配する。
赤色を見れば暑いと感じる、という暗示をかけられたとき。
雪山で裸の状態でいても暑さのあまり汗をかき続ける。
だからこそ、彼女の状況はきわめて厄介な物となる。

「恥ずかしいってだけならまだしも、『見つめられなくなる』からねぇ。目を見る事が出来ないんだよ」
『暗示』がないゲイズは、目が多いだけの魔物にしかならない。
彼女は翼をもがれたハーピーも同然だ。

「可哀想、とか思ってるわけ?」
おかしそうに笑みを浮かべながら、目を閉じた彼女が彼に振り向く。
「生憎だけど、アタシはいま楽しい毎日を送ってるよ」
彼にはその笑みに嘘を感じられなかった。
だからこそ、信じられなかった。
抱いた疑問を口にすると、彼女は笑う。

「そういう魔物だからだよ」




ゲイザーという魔物は、元々存在しなかったと言う。
闇から覗く目。
暗がりから誰かが見ている。
そんな人々の恐怖が形となったもの、それこそがゲイザーとする学者がいる。
彼がその説を口にすると、彼女は笑った。

「そりゃ、あんたら人間が怖がりなだけだろーに」
「ならどういうことなんだ?」
「知るわけないでしょ、そんなの」
笑って切り捨てる彼女は、目を閉じたまますぃと彼の胸元に近付く。

「人間は何故生まれた? 人間は善人か、悪人か?」

唐突な問いに彼は体を反らし、問いの答えを探し、悩む。
彼の反応に満足した彼女は、彼の顎を指先でくすぐってから離れ、また歩き出す。
慌てて追いかける彼に向け、彼女は触手を尻尾の様に揺らす。

「そんなの『わからない』でしょ? そーゆーことだよ」
彼は煙に撒かれた心地で、彼女の後をついて歩いた。


「ゲイザーってのは元々、見るだけの魔物だったんじゃないかな。見て何をするんだって言われても、何もしないけど」
「君は悪戯をしているだろ」
「見るだけじゃ詰まらないじゃん」
彼が突っ込むと、彼女は悪びれる風も無くチロと舌を出す。

「ねーねー」
「なんだい」
「アタシってさ、かわいい?」
予想外の質問に彼は咳き込む。
彼女は笑いながら、あえて扇情的なポーズを取ってみせる。

「どーぅ? えっちしたくなってきた?」
「君は何がしたい!」
「イタズラー。あ、膨らんでる膨らんでる。アンタもイタズラしたくなってきた?」
目と目が合わなければ問題ないのだろう。
彼女の触手がいっせいに、彼の股間へと殺到した。

「なんなんだ、一体!」
「ほら、女は魔物、男は狼って言うでしょ」
「とっとと歩いていけ! 触るな!」
突付いてくる触手を手で払いのけると、彼女は笑いながら歩き出した。



「ゲイザーの目がどうして一つだけだと思う?」
彼は首をかしげる。
彼女の髪の延長線にある目玉が付いた触手は両手の指よりも多いと言うのに、なぜ一つなのか。
「あのねぇ。この触手の目はカウントしないよ。だって、ほら」

彼女の声を合図に、髪から大量の触手が現れた。
20,30、いや、それ以上。
洞窟の壁や天井へ広がる触手の波を見て、彼は息を呑む。
しかし、直ぐに触手は縮み、元の数に戻る。
彼女にとっての触手は目ではない、別の感覚器官なのだろう。
そう、彼が納得していると、いつのまにか彼女は立ち止まっていた。


「ゲイザーの目が一つなのは、顔を近づけてもっと良く見るため」
くるりと目を閉じた彼女が振り返る。

「ゲイザーの目が一つなのは、恥ずかしがり屋でずっと片目を閉じていたから」
触手の目を地面に向けながら彼女が彼に近付く。

「ゲイザーの目が一つなのは、最後に見た大切な物を永遠に記憶するため」
イタズラ好きな笑みと、淡々とした口調。
そのアンバランスさが胞子の様に漂い、彼を痺れさせ、身動きを取れなくさせる。
一種異様な雰囲気に呑まれた彼を置き去りにし、彼女は声もなく笑っている。

「ゲイザーの目が一つなのは、失った片目で死んだ後も恋人を探し続けているから」
一歩ずつ近付くたびに少女は笑う。

「ゲイザーの目が一つなのは、取り外した目玉に呪いをかけたから」
尖った牙のような歯が笑みを飾る。

「ゲイザーの目が一つなのは、見たくも無い現実を見て目玉を潰したから」
手が届く距離にまで近付いても、少女は語り続ける。

「ゲイザーの目が一つなのは、その美しさに嫉妬した神が呪いをかけたから。ゲイザーの目が一つなのは、片目を大切な誰かに上げたから。ゲイザーの目が一つなのは、遠く遠くの彼方を見るため。ゲイザーの目が一つなのは、イタズラをし過ぎて罰を受けたから。ゲイザーの目が一つなのは、不治の病にかかって目玉以外全てが腐り落ちてしまったから」
少女は額を彼の胸に預けたまま、声を止めない。


「……ねぇ。どれが本当だと思う?」
クスリと笑みを零し、目を閉じた少女が顔を上げる。
彼が返答に戸惑っていると、少女はまた離れて歩き出す。
「ゲイザーは嫌われ者の魔物。覗き魔。日陰に篭って日差しを嫌う根暗」
話す内容とは違い、彼女の口調は明るく、小ばかにしたように笑いが混じる。

「そうは見えないでしょ? 噂なんてそーゆーもん。信じたところで何の意味も無いでしょ」
彼は彼女の背中を見たまま立ち尽くしていた。
彼女から声をかけられるまで、ずっと彼女の小さな背中を見ていた。




彼女は彼を様々な方法でからかった。
洞窟の怪談話を聞かせたり、曲がり角を曲がったと見せかけて背後から声をかけたり。
先のゲイザーに関する話を忘れさせるように、子供っぽいいたずらを続けた。
あまりに見事な変わりよう。
どちらが本当で、どちらが嘘なのか。


迷う彼と、迷わない彼女。
幼い少女の様にケラケラと声を上げて笑い、人間を惑わせる魔物。
人々の恐怖を形にしたように、暗闇を好み、暗がりから覗き込む目玉の魔物。

彼はどうして、こんな魔物と一緒に行動しているのか。
ふと疑問を抱いたが、だからと言って彼女と離れて行動をしようとは思わなかった。
食事を取る時もつかず離れず。
と言うか、背中に胸を押し付けながら人の食事を奪い取った少女にどぎまぎしたり。
なぜか洞窟に生えているキノコの投げ合いをして、その胞子でむせたり。

ちなみに、彼女は胞子が触手の目に入り、声にならない声を上げながら地面を転がった。
寝る時は別々だが、起こしに行った時に目が合って、彼女にぐーで殴られたり。
彼は探しものをしながらも、彼女とのやりとりを楽しんでいた。


「おにーさん、おにーさん」
「なんだい」
「探しものはこの蛙かい?」
「全然違うよ」
「わかった。この蛙でしょ!」
「全くもって違うよ」
「めんどーだなー。じゃあ、この蛙で妥協して」
「いい加減、蛙から離れてくれるかな」
「じゃあ、離す」
「こっちに投げろとは言っていな、こら、投げるな!」

彼女は楽しそうによく笑う。
尖った歯を見せるように笑う。

「あはは、逃げろ逃げろー」
「逃げながら蛙を投げるんじゃない!」

子供の様に笑いながら、いたずらをしては走り出す彼女。
目の事を別とすれば、どこにもでもいるイタズラ好きの村の小娘にしか見えない。


ただし、全裸だが。


「便利な物だな、その目玉」
「こと目玉や視線を使った魔術に関しちゃ、右に出る物はいないよ」
彼女は触手の目から光を発生させてキノコを焼いている。
「幻覚魔法。光の調節。何でもござれリだよ」
「これでいたずら以外に使ってくれたら、なぁ」
「なーに言ってんの。アタシからイタズラをとったら何が残るんだよ」
「目玉?」
「怒るよー!」

「そんな格好で大丈夫なのか?」
「大丈夫だ、問題ない」
「そうなのか」
「……」
彼女はなぜか不機嫌そうに地面の石コロを蹴飛ばす。

「魔物だからねー。魔力で勝手に何とかしてくれるから、岩場で寝転んだくらいじゃ問題ないよー」
「目玉は胞子に弱いけど」
「誰にだって弱点はあるもんだよ!」
歯をむき出しにするように怒る彼女だが、彼はおかしそうに笑う。
「むー」
もう一度彼女は、不機嫌そうに石ころを蹴飛ばした。

「たまには服を着てみたらどうだ」
全裸に見かねて提案してみる。
するとこんな返答がやってくる。
「なーに? アタシの素肌は隠すようなもんじゃないでしょー」
キシシと笑いながら体をすり寄せてくるのだ。
彼女の体を見ないように引き離し、諭そうとする。
「人間と旅をすると言う事はそういうことなのだ」
「魔物と旅をすると言う事はこういうことなのよ」
ぐぅの音も出ない。
「でもさ。いーでしょ。こんな魔物と一緒に探検するのもさ」
彼は降参の証として、両手を挙げた。




洞窟の中での探索は時間の概念を喪失させる。
彼は探しものを始めた時、必ず朝に入って夜には出るようにしていた。
しかし、彼は今が何時なのか、時間感覚を完全に喪失していた。

空腹になれば食事をとり、喉が乾けば水を飲み、睡魔に襲われれば眠りにつく。
原初の頃から行われていた営みを繰り返していた。
元々彼の習慣は、洞窟の中で遭難しないように決めていた心がけでしかなく。
魔物の彼女と共に探索をしている現在、彼にはその心がけを守る必要性を感じられなかった。

魔物に騙されているのかと何度も思った。
彼は彼女の横顔を見る。

「ん、どうかした?」

相も変わらず尖った歯を見せるように笑う彼女を見て、彼は何でも無いと返す。
彼は思った。
騙されているとしても、もう手遅れだ。
彼には彼女がどうしても悪い魔物には思えなかった。
騙されているとしても構わないと思うほど。


彼は彼女に気を許していた。
惚れていたと言ってもいいほどだが、本人に自覚のない恋心と親愛の情の違いは、思いが花開くその時までは誰にもわからないもの。
魔物である彼女でさえ、どちらであるかを掴めない。
目を見ることさえできりゃ、その思いを見て取れる。
彼女の独りごちた言葉は彼の耳には入らず、彼は彼女との距離に居心地の良さとともに言いようのない何かを感じていた。
胸の奥を焦がす焦燥感のようでもあり、新芽をやさしく撫ぜる春の息吹のようでもある。
彼はその何かへの対処に戸惑いながら彼女と話をしていた。

不幸か幸福かと問われれば、幸福と答えるだろう。
彼は、この陽気な魔物との洞窟探索を楽しんでいた。
彼女の胸の様に起伏のない、ゆるやかな時間の流れを。

「いたい。なぜ石を投げるんだ」
「べっつにー?」

時折、唐突に機嫌を損ねる彼女の態度もまた、厄介ではあるものの不愉快ではない。
だから彼は全く気付いていなかった。

陽気で悪戯好きな彼女がついている嘘に。




二人は、気が向いた時に食事をとり、気が向いた時に眠った。
特に悩むこともなく、ただただ二人で過ごした。




彼女は、眠る彼を見ている。
彼の寝顔を見つめる彼女の顔は、穏やかだ。
満ち足りているとも言える。
子を見守る母親のようでもあり、恋人にひざまくらをする女性のようでもある。

彼女は、彼の髪を手で梳く。
あやすように彼の頭を撫でると、彼はくすぐったそうに微かに笑みを浮かべる。

「今はどんな夢を見ているのやら、ね」

彼女は彼に、嘘をついている。
と言っても彼女からすれば些細な嘘だ。
ごく、簡単な話。
彼女は『目と目を合わせることができない』暗示にかけられているのであって。
邪眼を使えなくなっているわけではない。
例えば。


「鏡のように反射率の高い水面を使えば、暗示くらいかけられるんだよ」
悪戯好きな彼女は、しかし愉快そうに笑っていない。
彼女は彼に嘘をついている。
暗示のことではない。
そもそも彼女は、暗示が使えないとは言っていない。
では、彼女がついている嘘とは何か。

「ほんと。しあわせそーに笑っちゃってさ」
彼はきっと、夢の中で愉快な洞くつ探検をしているのだろう。
だからこうして笑っているのだろう。
夢の中で彼女の悪戯に笑って応えているのかもしれない。

『暗示』は強い能力と言える。
相手の現実を夢で上書きしてしまう。
時に暗示で人を殺すことさえ出来てしまう。
彼女は、彼の頭を撫でる。

強力な邪眼の効果は、人を永遠の眠りに就かせることも出来る。
だから、彼女は彼に邪眼を使用した。

夢の中でも彼は探し物をしていた。
だから、探し物のことを忘れさせた。
今の彼は、ただただ変わり映えのない洞窟生活を楽しんでいる。
現実のことなど何もかも忘れて。


彼には手がなかった。
彼には足がなかった。
どういう旅をして来たのかわからない。
ただ、運がなかったのだと思う。
彼女は見上げる。


『彼が落ちてきたであろう、天井の穴』を。




彼女が彼を見つけた時、彼は泉の傍に居た。
手も足も砕けて肉と骨の合成物になり果てていた。
現実を見失っていたのか、痛みを感じている様子もなかった。
激痛のあまり頭が壊れてしまったのかもしれない。

彼女が姉にかけられた暗示は、真実だった。
だから彼女は彼に暗示をかけることができない。
困り果てた末、彼女は気づいた。
彼女が見下ろした先に、力なくうなだれている自分が映し出されていたことに。

だから彼女はまず、水面越しに彼に暗示をかけた。
彼は水面に映る彼女には全く気付いていないようだった。
天井から開いた穴で十分な明かりがもたらされていたにも関わらず、彼は彼女に気づいていなかった。
眼も見えなくなっていたのかもしれない。
けれど、彼女の邪眼は見える見えないに関係なく発動した。
無理やりに発動させた。
代償として彼女は疲れ果てて、しばらく動けなくなったが。


そうして、彼女と彼の日々が続いた。
魔物の魔力は、今の魔王の代になってからは便利になった。
殺傷能力が落ちた代わりとして、他者を生存させる能力が向上した。

彼女は彼を生かすことにした。
今の魔王の代になってから、性格が変化したからだろう。
丁寧に、ていねいに。
彼女は彼の手当てをした。

魔物風に。

その結果、順調に彼は回復してきている。
怪我も治り、手足も筋力こそ落ちているが元に戻っている。
魔王万歳と彼女は拳を何度も固めた。

彼が目覚めたら何を話そうかと悩み、さりげなく暗示中の彼の夢の中を見ながら彼の好みを探り、実際に起きたら何を話せばいいのかと心の中で魔王様に助けを求めたり。
幸せそうに眠る彼とは違い、彼女は誰も見ていないことを良いことに百面相を繰り返していた。

魔物風の手当てをしながら。


「でも、あれだね〜」
踏ん切りがつかないまま、彼女はぼやく。
「どこかの物語にあったっけ。眠っている女性は、運命の男性のキスで目が覚めるって」
魔物なら、目を覚ました直後に押し倒すなり誘うなりして男と交わり、番になるところまでがセットとなる。

彼女が知る物語の結末はハッピーエンドだった。
では、彼女と彼の物語はどうなるのだろうか。
彼女はそれを知りたいと思いながら、知るのが怖いとも感じている。
まるで乙女だと、少しだけ愉快になった彼女は小さく声を出して笑う。

「物語の乙女じゃないけれど。キスで目覚めるってのは、ちょっとロマンがあるよね?」
キシシと彼女は笑い、(直後に触手で周囲を警戒し)彼の唇にキスを落とす。
「これで目が覚めたら笑いもんだよ」
もう一度、キシシと彼女は笑う。

しかし、彼女は忘れていることがあった。
手当をしながらも彼女は全力で彼に邪眼を使用し続けていた。
だから、それが途切れれば、効果は切れる。

彼は目を開いた。
彼女が照れくさそうに見下ろす中で。

「……あれ?」
「……あれぇ?」

彼は事情が理解できず。
彼女は何故彼が起きているのかと理解が追い付かず。

暫しの間、時が凍ったように見つめ合い。




「私の目を見るなぁあああああ!!」
「ぐはぁっ!?」
彼は彼女にぐーで殴り飛ばされた。

「あー、あんた。なにやってんの?」
「げげ! 姉貴! いや、これは、さ。とりあえず、後で!」
「きしし、顔赤くしちゃってさ。あれは恋だねー」
「あ、そこの君! ここで君みたいな姿をした子、見なかった?」
「あっちだよー」
「ありがと!」

「あっはっは。あの馬鹿妹にも春が来たか」
「だーれーが、馬鹿妹って?」
「あんただよ、あんた。あんないー男捕まえてさぁ」
「うっさい! 馬鹿姉貴!」
「はいはいっと。で、逃げてるんじゃなった? 足跡が近づいてるけど」
「聞き間違いだろ。ありゃ複数の足音だろ。あいつは一人だし」
「だよね〜」

「……」
「……」

「で、なんで姉貴も逃げてるんだよ」
「色々と事情があってね〜」
「あ〜、さては。あの男に惚れたか〜?」
「そ〜ゆ〜あんたはどうなのよ」
「……」
「……」


迷宮のような洞窟の中で。
悪戯好きな姉妹の、初々しくも微笑ましい話し合いがあったとか、なかったとか。

ただ、一言付け加えるなら。

洞窟の主は二人で。
二組の番であったとか。


「錯覚じゃないでしょ、その思い」
「暗示をかけなきゃ目を合わせても大丈夫でしょ。ちゃんと見つめ合いなよ」
「姉貴がやったら、やる」
「あんたがやったら、やる」
「……」
「……」


ただ、それはまだ少し先のお話。


15/04/13 00:37 るーじ

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