竜と囚われの姫
ウィリアムス・ガリバーと魔法の日記
第一話……
私は、書類や本で散らばった自室で、お気に入りの椅子に腰かけ、長年かけて製作した日記に目を通していた。
一枚一枚ページをめくる、この緑色の装飾を施された表紙の日記は、私の好奇心と、趣味が作り上げた物である。
書き始めの頃に比べたらだいぶ古く、ページも継ぎ足しで、ボロボロに汚れてしまっているが、今では最高の宝物だ。
私はそんな日記に一通り目を通すと、懐かしい思い出を胸に抱きながらゆっくりと閉じた。
そしてこの日記を、手を少し伸ばすと届く位置にある、羽ペンにインク、それと手紙が散らばった机にそっと置いた。
「さて、……そろそろ頃合いかな?」
私は呟きながら、どことなく部屋の小窓を見る。
小窓からは元気な太陽の光が入り、時折気持ちのよいそよ風が吹いていた。
そして、その風に乗って家の裏手にある森から木々の香りが部屋に漂ってくる。
今日は休日。
一週間の中で、私が一番楽しみにしている日だ。
そして今はまだ、お昼には少し早い、農業を営む者達が午前作業を終えて一段落する時間帯。
休みの日の、この時間帯になれば彼は必ずやってくる。
満面の笑みを浮かべ、私のことを”せんせー”と呼びながら――――
トン、トン……
「せんせー!」
部屋のドアが鳴った……
「……来ましたか」
噂をすればなんとやら……私はそんなことを思いながら、自分の考えに思わず頬が緩み、笑ってしまった。
私は緩んだ頬を撫でるように触ると、おそらくドアの向こうで、今か今かとそわそわしながら立っている彼を待たせるのも悪いと思い、ノックに返事を返すことにした。
「……どうぞ」
私が間を取って返事をすると、彼はドアを開き、小さい体をさらに小さくし、申し訳無さそうに部屋に入って来た。
入ってきたのは一人の少年。
着ているものは上質なものだが、普段から外で活発に動いているためか肌は日焼けし、ブラウン色の髪の毛は動きの邪魔にならないように短めに切ってある。
顔立ちは両親の良いところだけを受け継いだのか、とても可愛く、あと十年もしたら誰もが認めるカッコいい青年になるだろうと、彼の周りの大人たちは期待している。
「せんせー、こんにちは……ヘヘへ」
彼は私に挨拶をすると、何が恥ずかしいのか、恥ずかしそうに笑っていた。
「はい、こんにちは、王子」
彼は、この国の王子様。
名前は、ボルス・ジェット・ブロンド。
小さくもなく、ましてやそこまで大きくもない島国、ブロンド王国の国王様の一人息子だ。
今はまだ、体も小さく体力も少なく、けど好奇心だけはいっぱいある年頃の少年。
私にとって彼と話すのが、休日の何よりも待ち遠しい時だ。
「せんせー、今日はどんなお話してくれるの?」
彼との出会いは一年ぐらい前だろうか。
私が家の裏の森を探索していたら、アラルウネの蔓を足に絡ませ、宙吊りの状態で目に涙を浮かべていた。
彼は逆さまの状態で必死にもがき、何とか脱出しようと心見たがどうしても脱出できず、痛みに我慢をしてなのか、自分なりのプライドなのか、それはわからなかったが、それでも号泣せずに目に涙を溜めながら、もがいていたようだった。
幸いな事に、アラルウネは太陽の暖かい日差しが気持ちよかったのか、お昼寝をしていた。
寝ぼけて無意識に彼の足を蔓でつかみ宙吊りにしているようで、ちょっとのことでは起きそうになかった。
私はアラルウネの彼女にお昼寝を誘った暖かい太陽に感謝をしつつ、彼に静かに近寄り、静かに言った。
“どうしたのかな少年?”
王子だと知ったのは助けた後のことだったのだが、あの時の彼は私の言葉に、僅かながらのプライドと、王子としての威厳のこもった強い口調で返してきたのだと思う。
“み、見てわかんな――”
けど私は彼に最後まで言葉を言わせなかった。
彼の逆さまになった顔の唇に軽く手を当て黙らせ、自分の口元には反対の手を、人差し指を立て小さく、そして優しく“静かに”と伝えた。
彼は素直に私の言葉に従い、口を塞いだ。
“いい子だ、あまり騒いではダメだよ、気持ちよく寝ている彼女が起きてしまう”
私は口を塞いだ彼に、彼女=アラルウネが、自らの下半身にある大きな花弁に寄りかかり、涎を垂らして寝ている様子を指をさして見せた。
“じゃあ、どうしたら”
彼は気持ちよさそうに寝ているアラルウネを見ながら、小さな声で言ってきた。
その声にはどうしたらいいのか困惑が紛れ、不安も出ていた。
しかし、私からしたら簡単なことだった。
“簡単だ、今助けてあげよう”
そう言って私は彼に笑顔を見せ、彼の足を掴む彼女の蔓にそっと、指をなぞらせた。
すると、彼女の蔓はなぞられたのがくすぐったかったのか、反応し彼の足を掴む蔓を緩ませ、彼を放した。
そして、私は彼が堕ちて地面に頭をぶつけないように、優しく抱き抱え地面におろしてあげた。
それからお昼寝をしている彼女を起こさないように、彼を連れてその場を離れ私の家に向かった。
私の家に向かったのは、宙吊りになった時にもがき、その際に足に擦り傷ができてしまったらしく、それの手当てをするためである。
私の家に到着するまでの30分間、彼は私にいろんなことを話してくれた。
彼がなぜ森にいたのか。
自分が国王の息子のボルス王子であること。
なぜ蔓に捕まってしまったのか。
いろいろなことを話してくれた。
それと同時に私も彼にいろいろと話した。
私はウィリアムス・ガリバーと言う、森の岬に住む学者であること。
私がなぜ偶然にもあの森にいたのか。
また、彼がアラルウネの蔓に宙吊りにされていた光景を見た時、最初、とある童話に出てくる、とある場面と似ていて、まるで自分が童話の中に入ってしまったと勘違いし、その光景に見とれてしまったこと、など。
まぁ、童話みたいだったと話した時は、彼に”何ですぐに助けてくれなかったのか”と怒られてしまったのだが……
だがそれもまた、笑い話の思い出である。
何はともあれ、彼と共に私の家に着いたあと王宮に連絡を取り、彼の迎えがくるまでの間、彼の怪我の手当てをした。
そして、彼に“童話みたいだった”と言った話の事を聞かせてくれとせがまれ、その童話を話し、その童話を聞いた彼は目をキラキラと輝かせ、迎えが到着するまでずっと話をしていた。
それからいつの間にか彼は、毎週休日になると私の家に来ては、世界中の童話に神話、国の歴史に世界の成り立ち、様々な話を聞かせてくれとせがみ、私のたわいもない話を聞いてくれた。
そしてその関係が、一月、二月、三月と経つにつれ、彼は私を“せんせー”と呼ぶようになり、現在に至る訳である。
まぁ、彼との出会いの詳しい事は、時がくれば自然と私の口から出ることだろう。
ともあれ、彼は今日もまた私の目の前に居て、今日もまたお話をしてくれと急かしている。
「ふむ……、今日は何を話すか?」
お話をしてくれとせがむ彼の言葉に、私は顎に手を添えて返答したのだが、彼は目を宝石のように輝かせて私の目を見ている。
…………
ふむ、今日はあの話にしてみるかな。
ちょうど私の娘も訳あって居ないわけだし。
「王子、今日はリリーと一緒じゃなくていいのかな?」
私はいつも彼と一緒に私の話を聞いている、私の娘=リリーがここに居ない理由を知っているにも関わらず、あえて質問してみた。
すると、彼の返答は案の定予測していた通りであった。
ただ返答するとき、頬を少し膨らませて膨れっ面になり、目を濁らせてうつむいたのは予想外だったのだが……
「……ほんとは、リリーと一緒にせんせーの話を聞きたかったんだけど……リリーが“今日はララさんと、修行するからダメ!”って……」
やはりな、
やはりリリーは、我が最愛の妻=ベルララと修行する事を選んだか。
まぁ、娘であるリリーは私の話しなど何時でも聞けるのだから、別にいいのかもしれないが……
ただ、どこか寂しい気持ちになるのも、父親としての心情なのか……
だが、それ以上に目の前の彼は残念に違いない。
それにしても我が最愛の妻、ベルララよ、王子と歳が一つしか違わない娘に、もう修行を本格的に始めるのか。
しかも、“私を越えていつか闘神と呼ばれるぐらいには育てる”など、行き過ぎではないのか……?
……はぁ
私は妻の言葉を思いだし、胸の内で静かに溜め息をついた。
それにしても、ベルララの厳しい修行に応じた娘、リリーも、種族としての本能なのか、いやはや……小さいながらも大きくなったものだ。
そんなことを私は心の中で思い、しばらくの間娘と妻が家に入って来ないことを再度確認した。
「……そうか、それならば一つ、今日は、リリーにも誰にも話した事のないお話をしようか」
「……ほんと!!」
彼は私の言葉に再度目の輝きと元気を取り戻した。
子供というものは、独占意欲が強いものだ。
だが別にそれが悪いということではない。
彼の歳ぐらいになれば、“自分だけ”と、いうものはとても嬉しい物である。
でもいつか彼が成長し、強い独占意欲を自分で抑えられるようになれば、周りの事を考えて働くようになる。
そして、彼はいずれ王として、この国を引っ張る人間に成長する力を持っているのだから、独占意欲に駆られる人間だけには成長しないでほしい。
これは私だけでなく、彼の両親の国王と妃様の願いでもあるのだから。
……ただ心配なのは、当事者である最愛の妻、ララに、私がこの話をしたと知れ渡ったら、命の保障がないということなの、だが……
私は心の中で冷や汗をかきつつ、自分の命の保険をかける意味も含めて彼に伝えた。
「ああ。ただし……この話は時が来るまで、誰にも他言無用だ、分かるかな?」
「はい! せんせー!」
いい返事だ。
「それでは話そうか。……王子、いつものように楽にして」
私が言うと、目の前の彼は直接木の床に胡座をかいて座った。
もしこの光景を王宮の使用人達がみたら、“まあなんてはしたない”と、キィキィの金切り声で言ってくるだろう。
しかし、今はそんなうるさい事を言ってくる者は居ない。
それに彼にとっても、礼儀正しく座るよりは堅苦しく無くていいのだから。
「このお話は……この国の三大童話の一つ、「竜と囚われの姫」の、本当のお話……」
―――――――
第一話改め――― 第一章 「竜と囚われの姫」
昔、この国の十七代目国王が国を納めていた時のお話で、私はまだ王子のように小さく、王子よりも体力が無く、体の弱い少年でした。
そんな私―――
「ちょっと待って、せんせー!」
「なんだね王子?」
「十七代目国王は僕の曾曾曾曾祖父さんに当たる人だよ?」
「ええ、その通り」
「だったらやっぱり可笑しいよ、だってせんせーがその時子供だったら、今いるせんせーは300歳を越えてるよ! どう見ても父上よりせんせーのほうが若いし、しわくちゃなお爺さんでもないもん!」
「確かに、そうかもしれない……王子、良いところに気が付きました。しかし、ただ見た物だけが真実だけでは無く、目に見えないものにも事実は隠れているもの」
「……? どう言う意味?」
「それは……まぁ、いずれ分かる時があります」
「……はぃ」
「とりあえず、途切れてしまったお話を続けますよ? ……そんな私は――」
そんな私。
……いや僕は、同年代の子供達に虐めの滑降の的にされ、頻繁に虐められていた。
「へっへっへっ! 弱虫ウィル、返してほしけりゃココまでおいでぇ〜!」
今日も僕の目の前で、街のガキ大将とその仲間がきゃっきゃっ騒ぎながら、僕の大切な日記を奪って駆け出した。
当たり前だけど、僕は泣いた。
大切な物をとられたんだから、我慢できるわけがない。
本当なら、大泣きしながら追いかけて奪い返すのに必死になるのだが、僕は体が弱いからあんまり走れないし、追いかけても追い付けない。
でも、いつもちゃんと取り返している。
だって、いつも日記を取り返す作戦はバッチリだから。
泣きながら僕が“返してよ〜”と騒ぐと、案の定ガキ大将達は路地を左に曲がって空地に向かった。
その時の僕は、涙は止まらないが、路地を曲がるガキ大将達を見てニヤけてたに違いない。
「ヘっへ、今日こそウィルから、って―――うわぁぁぁぁあ!!?」
路地を曲がり見えなくなったガキ大将達から悲鳴が聞こえた。
悲鳴を聞いた僕は涙を拭きながら、追うように歩いて路地を曲がる。
そして、路地を曲がった僕の目の前に、ネバネバの糸に絡まり身動きができなくなったガキ大将達がいた。
僕は糸によって身動きがとれないガキ大将に近付くと、足元に落ちている僕の大切な日記を拾い上げ、埃を払った。
「へへへ、今日も取り返せた」
きっと目に涙を溜めながらも、満面の笑顔を浮かべてガキ大将達に言っていただろう。
それに比べ、ガキ大将達は悔しそうにしている。
「ク、クソー……“アラクネの糸”なんて卑怯だぞウィル!!」
そうネバネバの糸の正体は、ガキ大将が言った“アラクネの糸”。
“アラクネの糸”それは、蚕の糸や動物の毛から作られる、人間が作る糸よりも丈夫で上質な糸。
市場に出回れば、たちまち人を集め競りが始まり、売った者は僅かな糸でも食うには困らなくなるだろう。
しかし、その“アラクネの糸”は、魔物の中でも知能が高く、残酷(性的に……でもウィルはしらない)で男を見つけると積極的に襲う(性的に……やはりウィルはしらない)という、あの魔物の“アラクネ”が体内で作り出す糸である。
なぜ僕がそんな物を持っているのかというと、それは……
「オトー、ただいま」
「オウ、ぉ帰りボウズ!」
「あら、お帰りウィル、お邪魔してるわ」
僕が街の外れの東の森の入り口にある、丸太で作ったログハウスの家に帰ると、いつものように大きな義父(ちち)が、力のこもった声で答えてくれた。
それと同時に、上半身は小さい僕でも見とれてしまうほど美しく、けど下半身には人なざる八本の脚と、まん丸いお尻、強いて言うならば蜘蛛の体を持つ、人の類ではない魔物、アラクネのサラさんが優しい声で答えてくれた。
そう、ガキ大将達を絡め取ったアラクネの糸は、サラさんから頂いた物。
なぜアラクネのサラさんが僕と義父の家に居るかと言うと、僕の義父は島の大半を占める森の、東の森を管理する樵であり、そんな職に付く義父がある日偶然森の中でサラさんと出会い、義父とサラさんは何故か意気投合して、種族を越えた友として関係を深め、今日も酒飲みと称して遊びに来たからである……たぶん。
「ウィル〜? あたしのあげた捕獲用糸は役にたった?」
まだ、お日様が高い位置に居るにも関わらず、サラさんの頬はほのかに紅くなっていた。
僕は、ほろ酔い気分のサラさんに若干引きながら答えた。
「は、はい、とても役に立ちましたよ」
僕の答えに“よかった〜”と言いながらサラさんは笑っていた。
サラさんの目は、にへら〜と笑っているのだか、額にある複眼がキラリと輝きそれが逆に不気味だった。
「おう、ボウズ帰ってそうそう悪いんだが、ちょっと出てくんないか? サラと大事な話があんだ」
僕がサラさんに乾いた笑顔を返していると、義父はキリッと真剣な表情をして言ってきた。
“真面目な話し”なんだろうか?
まあ、でもどうせ、何時もの事だろう。
きっと……
内心そんなことを思いながら、潜ったばかりのドアを返事してから戻ろうとした。
もちろん、何時ものようにお酒の注意も加えて。
「わかったオトー……いくら今日は休みだからって、あまりお酒飲みすぎないでよ」
僕のそんな注意に義父は“ガハハハ”と豪快に笑いながら、分かった分かったと何度も頷いていた。
僕は義父の答えに“本当に分かったの?”と言う意味を載せて、ジト目で睨んでから家を出た。
「ガハハハッ! いやはや、あのボウズにはかなわねぇなぁ〜!」
家の外に出た僕はドア越しに義父の笑い声を聞きつつ、とりあえず森に向かって歩み始めた。
「そ…しても…サラ、ほんとに……があの塔に、住み……たのか?」
森に進むにつれて、義父の大きな声も途切れていた。
――――――
どうしようか?
とりあえず、森の中に入ったけどやることがなかった。
「う〜どうしよ〜、時間帯としては、まだ太陽の肌を焼く感じはあるけど、かといって森の奥まで行くほど太陽は元気ないし……」
僕は森の奥へと続く少し荒れた小道を、途中拾った棒っこで、草やら邪魔な木の枝やらをペシペシと叩きながら歩いていた。
途中小動物が目の前を横切ったり、枝にとぐろを巻いて寝ていた蛇を棒っこで驚かせてしまったりしたけど
“いくら僕がこの森に詳しくても、森の奥に行き過ぎたら家に帰れなくなるしな”
なんてことを思いながら歩いているうちに、無意識に何時ものお気に入りの場所に出ていた。
“お気に入りの場所”
それは、僕の中で、王国の東の森で一番美しく、心が落ち着く場所であり、大好きな場所。
ちょうど今来た小道からこの場所に出ると、目の前には小さいながらも泳いでいる魚がハッキリと見える、澄んだ水の池があり、その奥には深い緑色の蔓植物に覆われた古い塔が、鬱蒼と茂る木々の中から、天に向かって聳え立っている。
この景色は本当に好きだ。
本に出てくる、お姫様が魔女や竜に閉じ込められている塔のように不気味で、それでいて幻想的でもあり、まるで本の中に入った気分になるから。
しばらくの間、大好きな景色に魅了されていた僕は、近くの木の根元に落ち着いて持っていた日記を静かに読み始めた。
コツ
「ぅう……」
なん、だろう?
頭に、何、かが?
コツ……コンッ……カン
「ぅ〜ん……やめ、て……止めてよっ!」
僕は頭に起こる異変を感じて、瞼の重たい目を擦りながら起きたのだが……
ゴッ!!
「つぅ〜〜〜〜〜!?」
何故か頭に激痛が走っていた。
それと同時に目も冴えた。
頭を両手で押さえ、涙を浮かべながら悶えている僕は、激痛の原因が知りたく木の上を見上げた。
「なんだ君か……」
すると、ちょうど僕が日記を見ながら寝てしまった場所の、真上の位置に当たる枝の上で、シマリスがシイの実や胡桃(クルミ)を食べていた。
どうやら僕の頭に当たっていたのは実の殻だったらしく、最後の激痛は、大きな胡桃の実をシマリスが落とし、偶然にも僕の頭に直撃したみたいだった。
その証拠に、足元には殻や大きな胡桃が落ちている。
「もぅ、次から気をつけて――って、いけない!?」
僕は、言葉が通じるか分からないが、シマリスに注意をしようとしたのだが、周りをみて僕がだいぶ長い時間寝てしまったことに気がついた。
もう太陽は森の奥に沈んでいる。
たが、まだ完全にではなく、僅かだが申し訳なさそう程度にオレンジ色に輝かせた輪郭を見せていた。
「そっか君は、僕を起こしてくれたんだね? ありがとう」
偶然ではあろうが、僕は僕を起こしてくれたシマリスにお礼にと手を振って答え、急いで家に帰ることにした。
でも、帰りの小道に足をかけた瞬間、塔の方から今まで聞いたこともない咆哮が耳に突き刺さった。
“〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!”
それは、聞いたことのある義父や森オオカミの咆哮のそれとは違い、鋭く、そして重く、まるで何倍もの重力により体をその場に固定された感じだった。
それは怖い、恐ろしいと言った恐怖の重力。
しかしそれと同時に、今まで聞いたことのない咆哮に身体中の神経が騒いで“今のは何か?”と、僕の中の好奇心を叩きだし、ダンスを踊り出したのを感じた。
「……よし!」
僕はいつの間にか、池を回って塔の近くの茂みにいた。
それは恐怖の重力よりも、踊りを誘った好奇心のほうが上回ったからだ。
そして茂みをかき分け、咆哮が聞こえた先を探した。
そして、胸に衝撃が走った。
僕は茂みの隙間から咆哮が聞こえた塔を見た時、今まであのお気に入りの場所が僕の中で一番美しいと思っていたのだが、それ以上に美しく、心を奪われる感覚に堕ちいったのだ。
目の前に拡がるのは、
“炎”
けど、森の一部を焦がす炎はオレンジ色に輝く太陽の僅かな光と混ざりあって暖かい絵となり、その上を、僅かに顔を出し初めたお月様に向かって少しずつ暗くなっていく空のグラデーション。
……凄かった。
でも、その中で一際凄いと思ったのは、光景の中心に立っている女性だった。
その女性はガッシリと足で……足?
……なんというか、大きな足で鋭い爪が地面にガッシリと食い込み、気のせいか尾と蝙蝠の羽っぽいものが生えた“鎧い”のような物を着ている。
そして、まるで炎に威嚇をするかのようにゆったりと構え、顔を炎へと向けていた。
そんな女性の顔の頬は、炎の紅と太陽のオレンジ色が織り成す色で紅くなり、炎の熱風でなびくブロンド色の長い髪の毛も、炎の紅を吸い込み紅色に輝き、整った顔はキッリッと威嚇している表情なのにも関わらず、それは美しく、その横顔が何とも言えず目に焼き付いた。
「ふん……去ったか腰抜けどもめ」
女性は炎の中に何かを呟いていた。
僕は、その美しい女性の顔をもっと見たいと思い、茂みを掻き分けて覗こうとしたのだが、掻き分けた時に運悪くトゲが刺さってしまい……
「痛っ!? ―――ハッ!?」
思わず声が出てしまった。
咄嗟に慌てて口を両手で塞いだのだが……
「……まだ、いたか」
バレてました。
「どうした? 早く出てくるが良い?」
僕は女性の言葉に、手汗や冷や汗が止まらなかった。
しかも、なぜか女性の言葉には殺気が込もっていて……
恐らく僕が覗き見していたのを怒っているのだろうと考えたら、余計に汗が止まらなくなった。
「出て来ないのなら、そのまま“あの世”に―――」
女性は何かを言っていたけど、怒られると考えたら罪悪感が襲ってきて聞き取るどころじゃなかった。
で、でも、と、とりあえず、茂みから出て謝らないと
そう思って謝りながら茂みを出たのだが……
「ご、ご免なさい、思わず貴女に見とれてしまっ……て? ……あれ?」
もじもじと謝りながら女性の顔を見た僕は、目を丸くした。
「なんだ“子供”か……帰れ小僧、貴様の来る所ではない」
何故なら、見とれていた女性は、小さい僕と一つ二つぐらいしか歳が変わらない、そんな年頃の少女だったのだから。
「……子供って、君も“子供”だよね? ―――ぃでぇ!?」
そして的確なはずの僕の突っ込みは、彼女の見事なビンタで返されのだった。
「いたい!? 〜〜物凄く痛い!? 何故!?」
僕は悶えた。
左頬に走る激痛に地面に転がりながら、両手で押さえて。
「黙れ小僧! 私を子供と言うな!」
しかも少女はなぜか余計に怒ったし。
「……ここはお前のような子供が来る所ではない、去れ!! そして、二度と来るな!!」
地面で悶える僕に、彼女はさらに言った。
「え?」
咄嗟のことで、意味がわからず間抜けな声を上げてしまう。
しかし、彼女は僕の間抜けな声を聞く間もなく居なくなっていた。
「あの子何だったんだろ? 怒らせちゃったかな?」
暫く経って、燃えていた炎もいつの間にか鎮火し、辺りが真っ暗なことに気がついた。
そして、慌てて家に帰った後も、頬の痛みが引いた後も、彼女の事が気にかかった。
「はぁ〜〜……ほんと、あの女の子何だったんだろ?」
――――――――――
次の日、僕はお肉とライ麦パンのサンドイッチを作って、ボロボロ革の鞄に入れ、森に行く準備をしていた。
「お? ボウズ今日は図書館に行かないのか?」
僕が準備をしていると、リビングで斧の刃を磨いでいた義父が声をかけてきた。
「うん……ちょっと今日は、森を探索して来るよ」
「そうか、体の弱いボウズは、あまり無理するなよ」
義父は体の弱い僕を心配してくれた。
「いつもありがとうオトー、今日は早めに帰って来るね」
いつも心配してくれているのだが、義父に心配されている事は純粋に嬉しかった。
そんな僕は静かに義父にお礼を言うと、
“おう! いいってことよ”
と力瘤を見せて答えてくれた。
義父の行動に、僕は乾いた笑いを見せながら家を出ていった。
「ははは、行ってきます」
いつもの事だが、あの励まし方は見ているこっちが恥ずかしい。
でも、あれを見ると不思議と元気が出る。
僕は、昨日小道を共に歩いた相棒に代わる物を探しつつ、森の塔へと向かった。
昨日は考え事をして無意識に歩いていた荒れた小道を、今日は一歩一歩踏み締めながら歩いていた。
途中蜘蛛の巣のトラップに引っ掛かりそうになり、少し前に見つけた今日の相棒でそれを払いのけ、邪魔な草や枝を昨日同様にペシペシと叩きながら歩いた。
そして何時ものお気に入りの場所に出て、池を迂回し、ようやく目的地の塔の裏まで到着することができた。
「つ、着いた」
お日様はまだ一番高い位置にまで上がってなく、丁度お昼前だと分かる。
僕は塔を迂回し、正面の入り口に昨日の少女が居ることを期待しつつ向かった。
でも、
……期待は外れた。
今日この塔に来たのは、昨日の少女に謝るためだったのだが……入り口の前まで来たものの、あの少女どころか、人影に、鳥に、虫すらも居なかった。
あったのは、昨日見た炎が焦がした森の一部とあとは普通の木々だった。
「やっぱり、いない…よね……」
当然ながら僕はがっかりした。
昨日の事を謝れ無かったのもあるけれど、それ以上にまたあの子を一目見たいと強く思っていたから。
「はぁ……しょうがないや。それにしても、この塔は近くで見ると、やっぱりでかいなぁ」
ため息をつきながら、塔を見上げた。
何せこんな近くで塔を見るのは初めてで、顔を天辺に向けているだけで首が凝りそうなぐらい大きかった。
まじまじと見上げる塔には蔦植物、恐らくアイビーがぎっしりと蔓延り、階下の層はほとんど覆われ外壁すら見えなくなっていた。
「あれ? これだけ、蔦に覆われていたら、何処から入るのだろう?」
僕は塔に蔓延るアイビーの葉を一枚ちぎり観察していたのだが、塔の中へ入るための入り口が見当たらないことに気がついた。
「う〜ん、探してもそれらしき物が……」
僕はアイビーを見ながら考え出した。
そして、意識が思考の中に呆けていると、突然後ろから声と同時に肩を叩かれた。
「おい貴様! 私の住処で何をしている?」
それは突然で、
「―――はぃぃい!!?」
僕は頭の先から足の爪先までピンッと伸ばし驚いてしまった。
「む? 貴様は昨日の小僧……」
驚きに心臓を爆発させながらゆっくりと振り向くと、あの少女が昨日の鎧みたいな格好とは違い白いドレスのようなワンピースを着て、腕を組んで眉間にシワを寄せて立っていた。
一瞬、ドキッと胸が高鳴った。
正直、その姿と仕草が可愛かったから。
僕は驚いた事と、彼女が目と鼻の先に居ることで一気に緊張の波が襲って来てしまい、カチコチに固まってしまった。
そして、上手く言葉が出なかった。
「え……あ…そ、その」
言葉にならない声を出す僕とは裏腹に、少女は透き通るような美しいソプラノ声でサラリと言ってきた。
「小僧、なぜここに居るのだ?」
あまりに緊張しすぎて彼女の言葉が理解できなかったが、ただ、美しい声と黄金の瞳に怒りの感情が含まれていて、少女がどこか怒っていることは伝わった。
「……ご、ご―――」
だから、咄嗟に出たちゃんとした最初の言葉がこれだった。
「――ごめんなさい!?」
背筋を伸ばし、頭を90度以上下げての一言。
そして、一言のあとの沈黙が……痛かった。
「……………」
それは気難しく、どうすればいいのか分からない位に。
でも、そんな沈黙を破ったのは少女の蚊の鳴くような、小さい疑問の声だった。
「―――は?」
この声がさらにこの場の空気を気難しくした。
――――――――
「ハッハッハッハッハッ!! 小僧、お前は面白いな!」
「ほんとに、ごめ……ごめんなさい///」
初めに謝ったあと、ハテナを頭の上に浮かべている少女に“なぜ謝るのか説明しろ”と言わ……命令され、説明したのだが、爆笑された。
僕はただ、昨日茂みの中で見とれてしまい、隠れて見ていた事を怒ったと思って、わざわざ謝りに来ただけなのに……
笑われた。
笑われたら、急に羞恥心が沸いてきた。
た、確かに、今思い返せば、あの時はただ見ていただけだから怒られる理由も無く、謝る必要も無かったのかもしれない……
あれ?
そしたら、今謝った意味が?
あれ?
考えたら、余計にはずしくなって、顔どころか、手足の先まで赤くなった気分だ。
「そ、そ、そんなに、わ、笑わなくても///」
赤くなった顔を見せないように下を向きながら、笑っている少女に少しばかり反抗する。
「ハッハッハッ! 悪い悪い! ……小僧、人間にしては面白い奴だ! ―――だが、まぁ、私の美しさに、見とれたのは分からんでもない!」
少女は腰に手をあて、女性としてはまだ成長していない胸を大胆に張って僕の反抗に答えた。
この少女は最初、昨日見た少女とは別人に思えた。
なにせ、見た目は日焼けなど知らないような白い肌で、その肌に似合う白いワンピースを着て、どこかのお姫様かと思うぐらい、大人しく清楚な感じに思えたのだから。
でも、今はとても豪快で、言葉には強い覇気が感じられ、昨日の面影影が少し重なって見える。
そのギャツプがまた僕の心を揺るがした。
それにしても、目の前で話している少女は昨日感じた美人と言うよりも……
「で、でも、確かに初めて炎の中で見た時、貴方は美しく感じたのですが、今は“美しい”では無く、“可愛い”に見えるのはなぜですかね……」
照れ隠しで頬を掻きながら言った。
いや“言ってしまった”と言い換えたほうがいいかもしれない。
「……な、に?」
自分の周りが、ゆらりと黒いオーラに支配された気がした。
「―――ハッ!?」
しまった!!
口が滑った!!
思った事をおもいきっり口にしてしまった!!
どうしよう!!
「小僧……」
ヤバい!!
少女の後ろで、この世の終わりが来てもおかしくない位の黒いオーラが渦巻いてる!!
*勘違いです
「―――やっぱり貴様は面白い!!」
少女は満面の笑顔で僕の両肩に手を乱暴に叩いて言ってきた。
それはもう余りにも痛くて、両肩が外れるかと思うぐらいの強さで。
「……へ?」
それにしても、少女の反応は予想外だった。
「お前は正直に物を言うのだな、やはり人間にしては面白い!!」
少女は顎に手を添えて頷き、笑いだしたのだ。
僕は何が少女の笑いを招いたのか不思議でしょうがなかった。
「あ れ? 怒らないんですか?」
僕の質問に、少女は面喰らったように驚き、答えてくれた。
「―――なに? なぜ正直に物事を言うお前を怒る必要がある? お前の言った通り、人から見た今の私は美しいと言うよりも、確かに可愛いと言われる姿をしているのかもしれない。 ……だがな“可愛い”と言われた私は大きくなれば、飛びっきりの“美人”になるのだからな! あながち間違いではない!! ハッハッハッハッ!!」
僕は、少女の答えに逆に面喰らってしまった。
正直、どういった理由で可愛いから美しいになるのか分からなかったが、怒られないと分かると一気に気が抜け、ついでに緊張の糸も溶け、ホッとした気分になった。
グゥ〜〜
「あ……///」
「……む?」
気分がホッとしたらホッとしたで、急にお腹が減りお腹の虫が鳴いてしまった。
これまた恥ずかしかくなり、顔が赤くなった。
「なんだお前、お腹空いてるのか?」
「……はぃ///」
少女の問いに、お腹をこれ以上鳴らないように両手で押さえ、恥ずかしがりながら小さい声で答えた。
そして同時に、少女に会いに来たもう一つの理由を思い出した。
「そうか、なら待ってろ、今森から林檎の実を―――」
僕は少女が森に向かって駆け出そうとしのを慌てて止める。
「あ、あの!! ……よかったら、これを……」
そして、鞄から淡色の紙に包まれたサンドイッチを取り出し、少女の前に両手で差し出した。
「なんだ……これは?」
少女は不思議そうに、紙で包まれたサンドイッチを見ている。
「―――あ!? サ、サンドイッチです///」
少女の様子をみて、慌ててサンドイッチを包んでいる紙を広げ、サンドイッチを出して見せた。
あらかじめ渡すつもりで作ったサンドイッチだったが、いざ渡すとなると気持ち的に恥ずかしくなった。
今日はなんだか、恥ずかしがってばっかりだ///
そんなふうに恥ずかしがっている僕とは逆に、少女はサンドイッチを見て固まっていた。
固まっている少女を見て僕は不安になった。
“受け取ってもらえなかたったら、どうしよう”と。
だから、僕は尋ねるように少女に聞いてみた。
「あの〜、受け取って貰えますか?」
少女は少し考え、そして
「……別に断る必要も無い、な」
そう言って僕の手から乱暴にサンドイッチを取り上げ、一口目を口に運んだ。
僕は嬉しかった。
少女は美味しいとも、不味いとも、何も言わなかったけど。
だけど食べてくれただけで、それだけで十分だったから。
黙々と無口でサンドイッチを口に運び食べている少女は、ふと僕の顔を見て言ってきた。
「……お前、なぜ私の顔をニヤニヤ見てるのだ?」
少女の言葉で僕はハッと気がつく。
どうやら僕はあまりの嬉しさに、黙々とサンドイッチ食べる少女をにやけた顔で見ていたらしい。
不味いと思い、にやけた顔の筋肉を両手でもみほぐし、僕も鞄からサンドイッチを取り出して、慌ててそれを食べ始めた。
「………………」
「………………」
お互いに無言で黙々とサンドイッチを食べる。
どちらからも話しかけようとせず、無言のままで。
お互いにサンドイッチを食べ終わった後も会話がなかった。
ただ無言で、お互いに空に浮かぶ雲を見たり、森の中で囀ずる鳥や虫達の鳴き声を聴いたりするだけ。
でも、僕はそれだけで胸が一杯だった。
それだけで、少女と同じ時を過ごした事がとても嬉しかったから。
それだけで、少女と共に過ごす時間が、とても有意義に感じられたから。
僕は暖かいような、ホワホワしたような気分で、少女と雲が流れる青空を眺めていた。
ああ、どのぐらい時間がたったのだろうか?
日も傾き、眺めていた青空が紅く染まり始めた頃、少女が口を開いた。
「なあ、そう言えば、名前を聞いて無かったな……」
少女の問いかけに、僕もふと少女の名前を聞いていなかった事を思い出した。
「言われてみれば……はい」
「なら“自己紹介”をしなければな!」
「―――!?」
「まずは私から自己紹介しよう! 私は―――」
“自己紹介”僕は少女が発したこの単語に、体をビクつかせて反応してしまった。
少女は僕の反応に気づきもせずに自己紹介をしようと話を進める。
だけど僕はすぐに少女の自己紹介を止めに入った。
「―――あ〜〜〜〜!!? ちょっ、ちょっと待って!!」
「……ど、どした?」
少女は僕の声に驚いて黄金色の瞳を見開いていた。
「ぼ、僕から自己紹介します!!」
僕が慌て止めたのには理由がある。
それは……
“いい? ウィル? 相手の名前―――特に女性の名前を聞く時は、男である貴方から自己紹介しなさい”
サラさんが過去に言っていた言葉が頭に浮かぶ。
それと同時に、額の複眼を赤く輝かせながら、鼻が当たるぐらいまで近付けてきた、あの迫力あるサラさんの顔も頭に浮かんでいた。
「あ……」
サラさんが浮かんだら、浮かんだで一瞬寒気が襲ってきた。
なぜなら、もしサラさんの言った通りに、僕が先に自己紹介をしなかったら、サラさんの事だ、糸でぐるぐる巻きにされて……
“お尻ペンペンの刑”に違いない!!
僕が心の中で、過去にイタズラして“お尻ペンペンの刑”に処された事を思い出して冷や汗をかいている間、少女は不思議そうに見ていた。
おそらく、この時の僕は切迫詰まった表情をしていたであろうから。
「……まあ、構わないが、何故だ?」
少女の質問には答えられない。
“お尻ペンペン”なんて、恥ずかしくて言えないし///
「え? あ……それは……と、とにかく、僕から自己紹介させてもらいます…!?」
兎に角、僕は強引に先に自己紹介をする事にした。
「ぼ、僕の名前は―――」
――――――
「ただいま〜♪」
「ああ、……お帰り」
完全に日が沈み、お日様の代わりに三日月お月様が顔を出した頃、僕はホクホク顔で家に帰った。
僕の鼻歌混じりのただいまに、いつもなら力強く“お帰り”と義父の返事がかええってくるのだが、今日はどこか静かで落ち着いた様子の返事だった。
「……?」
僕は不思議に思った。
ちなみに、今朝家を出る時には“今日は早く帰るね”なんて言っていたかもしれないが、この時の僕はいろいろと浮かれてしまって、忘れていた。
まあ無理も無いかも知れない、なぜなら、あの少女の名前を聞けたのだから。
少女は名を、ベルララ・ウーゼルペンといい、海に囲まれたこのブラウン国の生まれではなく、遠い遠い山脈に囲まれた名前も聞いたことない小国、アーテル国の王の娘であると言っていた。
一国のお姫様だったと知ったときは“ホントに!!!??”と失礼ながら、唾を飛ばすほどの勢いと、大声で驚いてしまった。
まあ、その後汚いと殴られたのだが……
また同時に、“一国の姫だからと言って貸し困らず、普通に接して欲しい”と頭を下げてお願いされてしまった。
ちなみに僕から先に自己紹介したのだったが、あの時いざ自己紹介しようとしたら緊張してしまい、さらには慌て、名前はもちろんのこと、何処に住んでいるだとか、趣味はなんだとか、はたまた義父のお尻のホクロに毛が一本生えているだとか、どうでも良いことまで紹介してしまった。
でも少女はそれを笑いがら、時には驚いたり、時には疑問を投げかけてきたりして聞いてくれた。
逆に少女が自己紹介した時は落ちついた様子で、説明する時の手振りも優雅で綺麗だった。
そのあと、少女の名前を聞けた事が嬉し過ぎて浮かれていたためか、夕陽が森に完全に沈むまで話し込んでしまい、僕が辺りが真っ暗になったのに気が付き、慌て帰ろうとした時にはすでに遅く、梟や夜虫が鳴いていた。
僕は少女=ベルララに、“家族が心配するんで帰ります”と頭を下げて、慌て来た時の道を帰ろうとしたのだけど、思わず足を止めてしまった。
それは、もっとベルララと話していたいし、もっと一緒にいたいと思ったから。
帰りたくないと思ってしまったから。
だからこそ“帰りたくない”その気持ちが、僕にこの言葉を言わせたのかもしれない。
「また……来てもいいですか?」
でも僕の言葉に、ベルララは星が出始めた空を眺めるだけで、答えを返してくれなかった。
でも、僕は決めていた。
例え、ベルララの答えがイエスでもノーでも。
僕は無言で、再び歩みはじめた。
一歩一歩足を進めるたびに、ベルララとの距離が遠くなり、足が重かった。
そして、僕が木々の影に差し掛かった時、ベルララは僕の言葉にようやく答えてくれた。
「サンドイッチ旨かった……また、食べさせてくれ?」
少女の答えに驚き振り向くと、ベルララは少し照れくさそうにしていた。
その仕草は、何てことのないただ眼を合わせないようにしているだけなのに、とても可愛く感じられた。
僕は、そんな照れるベルララに向かって、声を張り上げて答えた。
「はい! また明日来ます!!」
そして、三日月お月様が出てきた頃に帰ってきたわけである。
「ウィル、遅かったな……」
義父は静かに立った。
立っただけなのになぜか、凄みがあった。
そして義父が言った一言で、朝家を出る時の自分の言った言葉を思い出した。
“今日は早く帰るね”
僕は静かに立った義父に殴られるのかと思い、頭を素早く両手で隠すように謝った。
「え? あ、あ、あ、ご、ご、ごめんなさい!! ……あれ? お、怒らないのオトー?」
でも……大丈夫だった。
それどころか、義父はやけに汗を……いや冷や汗、を掻いて?
「……本当なら、こんなに遅くまで森に入っていたお前を、怒らなければいけないの、だが―――」
“バッタァン!!?”
「ビクッ……!?」
義父の後ろのドアが、勢いよく開いた。
そしてやたらと、どす黒いオーラが立ち込めて…いて…?
え…? え…!? え…!!?
「ウ〜ィ〜ル〜遅かったわね〜〜」
出てきた人物を見た瞬間、義父同様冷や汗が滝のように流れ出した。
「ササササ、サラさん……?」
どす黒いオーラの中からサラさんが、手をワキワキさせて、笑顔で出てきたのである。
でも、……目は笑って無い!!
残虐的な笑みだ!?
しかも、複眼も燃えるぐらい紅く光ってる!?
僕は、最悪の光景を頭に思い浮かべた……
それは……
“お尻ぺんぺんの刑!!”
「―――いつまで森で遊んでるのよっ!!?」
「ヒィッ!?」
サラさんが、蜘蛛の足で跳躍して飛んできた!!
捕まったら、絶対お尻ぺんぺんの刑だ!!
謝っても、絶対お尻ぺんぺんの刑だ!!
「―――とりあえず、逃げるぞウィル!!」
「ハッ―――グッ!?」
跳躍し、空中に浮くサラさんが僕を捕まえる前に、義父がタックルでもするがの如く、抱き抱えて家の外に逃げだしてくれた。
ああ、義父は何時でも僕の味方なん……
僕が義父の肩に抱かれながら感動していると、
プチッ
あ……何か切れた……
「ヴッッッチ〜〜貴方もお仕置きよぉ〜〜!!!!!」
「ヤベッ! サラがキレれた」
「まぁぁてぇぇぇい!!!!」
サラさんが悪魔と化していた。
「ギャァァァァ!!!??」
この日、三日月お月様が静かに輝く森に、悪魔の叫び声と、悲鳴が二つ轟いた。
「お尻ぺんぺん! い〜〜やぁ〜〜〜だぁ〜〜〜!!!」
今日も東の森は平和である。
つづく
11/05/09 21:59更新 / 腐れゾンビ
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