侵略! タコ娘
僕は林 武人。
普通の大学生だ。
現在アパートに部屋を借りて一人暮らしを……。
おっと、もう一人じゃないんだった。
そう、今僕はこの前できた彼女と一緒に住んでいるのだ。
その彼女というのが僕にはもったいないほどの美人で、性格はちょっと気が強いけどそこがまたイイっていうか……。
それに本当はすごく優しいし。
とにかく僕はそんな彼女のおかげで、幸せいっぱい夢いっぱいな生活を満喫している。
そりゃ家に向かう足も自然と弾むってもんだ。
「ただいまー」
僕が自分の家の玄関に入ると、そこには一人の女性がいて僕に挨拶を返してくれる。
「おかえり」
そう。
この女性こそ、僕の最愛の彼女――
「……でゲソ」
――スキュラのブリジットさん……だよね?
ブリジットさんは僕の恋人だ。
この前海に行ったときに出会い、いろいろあって恋人同士になった。
実はこのブリジットさん、人間ではない。
ブリジットさんが言うには、スキュラと呼ばれる魔物らしい。
最初知ったときは驚いたが、今ではもう気にしていない。
たとえ魔物だろうと、僕にとってブリジットさんが大切な女性だというのに変わりはない。
スキュラの特徴であるタコの触手も、今では立派な個性と思っている。
そんなスキュラで魔物なブリジットさん。
問題はそのブリジットさんが今、なぜに。
「頭に白い頭巾、青い髪のウイッグ、さらに語尾に変な言葉をつけているのかってことだ……」
「どうしたの……でゲソ」
「それはこっちのセリフだよ!」
僕はブリジットさんの肩を掴んで揺さぶった。
「どうしたんだよ、ブリジットさん!
一体、何があったんだ!?」
「べ、べつにどうもしない……でゲソ」
「それ無理してつけなくていいよ!」
なんなんだ、一体……。
っつーか、ゲソって……?
ん?
ゲソ?
「まさか……」
僕はブリジットさんの格好をもう一度よく見てみる。
白い頭巾、イカの足のようなウイッグ、そしてその語尾。
これって、もしかして。
「……イカ娘?」
ブリジットさんの体がビクッと動く。
どうやら正解みたいだけど、しかしなぜ?
「なぜにイカ娘の格好を……?」
意味がわからない。
と、僕が不思議に思っていると、ブリジットさんが頭の頭巾を取って呟いた。
「だって……」
「だって?」
僕が聞き返すと、ブリジットさんは僕を睨みつけ、叫んだ。
「イ、イカの方が良いんでしょ!」
……は?
目が点になっている僕を置いてけぼりにして、ブリジットさんは続ける。
「とぼけたって無駄よ!
だって、あなたの本棚にイカ娘の漫画が全巻揃ってるし!
アニメは毎週欠かさず観てるし!
主題歌のCDだって買ってるし!」
「いや、それはイカが好きなわけじゃなくて、その漫画が」
「それだけじゃないわ!」
って、無視かよ。
僕の言葉を遮ったブリジットさんがさらにヒートアップする。
「コンビニでイカ焼きばっかり買ってくるし!
イカスミスパゲッティが大好物だし!
イカデビルのフィギュア持ってるし!」
いや、でもブリジットさんの前でタコ焼き食べるのもどうかと思うけど。
っていうか、いくら何でもイカデビルは関係ないだろ。
僕は、叫び疲れたのか肩で息をしているブリジットさんをなだめようと声をかける。
「あのね、だからねブリジットさん。
僕は別にイカが好きなわけじゃなくて……」
「……そうよね」
ブリジットさんが急に大人しくなった。
僕の言うことを、やっとわかってくれたのか。
ほっ……と安堵の息を吐く、が。
「タコなんて、イカより足2本少ないし。
タコ焼きなんてイカ焼きと違って足しか入ってないし。それもたまに入ってないし。
イカスミのはあるのに、タコスミのスパゲッティはないし。
タコなんて、タコなんて……」
「って、全然分かってない!?」
僕は頭を抱えるが、ブリジットさんは俯いてぶつぶつと呟きつづけている。
そうしてしばらく呟きつづけた後。
ブリジットさんが急に顔を上げて、僕を真剣な表情で僕を見つめてきた。
その迫力に気圧される僕。
その僕に、ブリジットさんはとんでもないことを言った。
「別れましょう」
………え?
ええええええ!?
「な、なんで!?」
この流れで、どうしてそういうことになるんだ?
一体ブリジットさんの脳内でどんなマジックが起きた!?
「ごめんね……。
私がタコ足なのが悪いの。
だから……」
ブリジットさんが顔を手で隠し、震えている。
まさか、泣いているのか?
こんな、タコだイカだって話で?
さっきから戸惑ってばかりの僕をよそに、ブリジットさんは手で目を拭い、泣きながら笑顔を見せる。
「……こんな顔してちゃダメよね。
最後は笑って、綺麗にお別れしましょ」
ブリジットさん、何か勝手に自己完結しちゃってるぞ。
なんなんだ、一体何を考えてるんだブリジットさんは?
「それじゃ……私、もう行くね。
今までありがとう。
さよなら……」
そう言い残して、ブリジットさんは玄関から出て行こうとする。
だが妙に足取りはゆっくりだし、こっちをチラチラ見てくるし。
引き止めて欲しいのがバレバレだ。
……やれやれ。
「待って、ブリジットさん」
僕は、ブリジットさんの手を掴む。
「やめて、私たちはもう終わったのよ!」
ブリジットさんは僕の手を振り解こうとする。
ブリジットさんの触手も僕に絡みついてくるが、その力は明らかに本気じゃない。
もしかしてブリジットさん、こういう去る女と追う男ってシチュエーションが好きなのか?
そういえば、この前一緒に見たテレビでこういうのがあったような……。
「離して、離してよ!」
僕がそんなことを思い出している間も、ブリジットさんの形ばかりの抵抗は続いていた。
ブリジットさんは魔物なんだから、その気になれば僕なんて簡単に引き剥がせるはず。
これはやっぱり……そういうことなんだろうなあ。
はぁ……。
ほんと、やれやれだ。
僕はこっそりため息をつき、覚悟を決める。
……よし!
「ブリジットさん!」
僕はブリジットさんの名を叫び、彼女の体を抱きしめた。
するとブリジットさんの動きが一瞬止まる。
今だ!
僕はその瞬間を逃すことなく、ブリジットさんが期待しているだろう言葉を叫んだ。
「好きだ!」
「えっ……」
空中で止まっていた触手がすとん、と床に落ちる。
ちょっと面白いな、今の。
と、ちょっと別のことに気を取られた次の瞬間。
「嘘よ!」
ブリジットさんが僕の腕の中から離れた。
「イカの方が好きなくせに!」
ブリジットさんが叫ぶ。
どうやらこの下りはまだ終わらないようだ。
でもまあ、そうくるとは思ってたよ。
予定どおり、僕はとどめの言葉を口にした。
「ブリジットさん。
タコだからとかイカだからとか、そういうことじゃないんだ。
僕はね。
ブリジットさんが好きなんだ。
ブリジットさんだから愛しているんだよ」
その言葉の後、僕とブリジットさんは見詰め合っていた。
この場所はしばらく静寂が支配していたが、ブリジットさんの声がそれを破る。
「……それ、本当?」
「もちろん、本当だよ」
頷く僕をみつめるブリジットさんの目に、涙が溜まっていく。
「た、武人ぉ……」
ブリジットさんが、僕の胸に飛び込んでくる
僕はそれをしっかり抱きとめる。
ブリジットさんの涙で服が濡れていくのを感じながら、僕はほっと息を吐いた。
ふう……。
何とか、うまくいったみたいだな。
あんな恥ずかしい台詞を言った甲斐があったってもんだ。
ま、これでもう安心だろう……。
それから。
ひとしきり涙を流したブリジットさんが、僕の腕の中から離れる。
真っ赤に泣き腫らした目をこすりながら、ブリジットさんは僕に笑顔を見せてくれた。
「えへへ。
ごめんね、変なこと言って」
「大丈夫。気にしないで」
まあ、びっくりはしたけど。
こんなことでブリジットさんを嫌いになったりはしない。
「ところで」
ブリジットさんに話し掛けられたこの時、僕は完全に気を抜いていた。
だからだろう。
「武人は結局タコとイカ、どっちが好きなの?」
「そりゃ、当然イカ」
……こんな失言をしてしまったのは!
「ち、違うんだブリジットさん!
今のは油断しててつい本音が出ちゃったというか!
いやそうじゃなくてそのだからあの」
まずい、このままじゃまたさっきの繰り返しになる!
と、僕はパニックになっていたが。
「大丈夫、わかってるわ。
武人はタコよりイカより、何よりも私のことが好きなのよね」
当のブリジットさんはまったく気にすることなく、僕に微笑みかけている。
良かった。
もうさっきみたいなことにはならないみたいだ。
と、安心している僕だったが。
「ん?」
何やらブリジットさんの触手が僕に絡みついてくる。
「あの、ブリジットさん?
これは一体……」
ブリジットさんに聞いてみるが、ブリジットさんは笑うだけで何も言わない。
その笑った顔はにこり、というよりニヤリっていうような顔だった。
……あれ。
何だろう。
すごく嫌な予感がする。
冷や汗を流している僕に、ブリジットさんは笑った顔のままで言った。
「武人には、タコの良さをその体にたっぷり教えてあげなくちゃね」
「ええ!?」
「もう二度と、イカの方が好きなんて言えないようにしてあげる!」
「触手じゃ、タコもイカも大して変わらな――――ああっ……!」
その後、僕がどうなったか。
言うまでもないだろう。
10/11/07 13:34更新 / ぞろ