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これまでとこれから、あなたの夢は何ですか?

《 これまでとこれから、あなたの夢は何ですか? 〜 ワーラビットのノアさんの場合 》

 目を閉じれば、今もハッキリと思い出せます。

 鼓笛隊のドラムロール。
 舞台上に緊張した面持ちで整列している、ボク達二十八人の新人料理人。
 ワクワクした瞳でそんなボク達を見つめている、大勢のお客さん。
 そして、成績優秀者のリストと魔法拡声器を持った司会の女性。

「新人料理人コンテスト:スイーツ部門銀メダルは……ミストラル総菜店所属、ワーラビットのノアさんです!」

 自分の名前がコールされた時の、あの驚きと嬉さったら、もう!
 まず最初に、「えっ!?」と思って、固まっちゃったんです。
 次に「ボクっ!?」と驚いてから、無意識に両腕を空に向って突き上げてました。
 さらに、「うひゃああっ!?」とか訳のわからない事を言いながら、舞台の上をピョンピョンと勢い良く跳ね回っちゃって。
 お客さんや審査員の先生方に笑われちゃいましたけど、本当に色々な感情が爆発して、どうにもこうにもならないほど嬉しかったんです!

 そうしてひとしきり喜んだ後、鼓笛隊の皆さんが演奏するメダル授与の曲が流れ出して……。

「銀メダル、おめでとう! 人間以外の存在として、君はコンテスト史上三番目のメダル獲得者だ。これは素晴らしい成果だよ。『料理の道において、種族の違いなど関係ない』という事を、君は証明して見せたんだ。同じ料理人として、君に尊敬の気持ちを捧げるよ」
「あ、ありがとうございます! 嬉しいです! 光栄です! な、泣きそうですっ!!」

 審査員兼プレゼンターとして招かれていた、隣国の有名シェフの方が、ボクの首にメダルをかけながら、そんな事を言ってくださったんです。
 ボクにとってその言葉は、大げさではなく、銀メダル以上の価値があるように感じられました。

「さぁ、それではノアさん、どうぞこちらへ。銀メダル獲得の喜び……その声を聞かせてください」

 感極まりかけていたボクを、司会者の女性が舞台の中央へ招きました。
 そして、魔法拡声器を優しく手渡してくれて……ボクは、舞台の上から旦那さんを探したんです。
 キョロキョロと視線を走らせると、彼は客席の真ん中辺りいて。
 こちらに向って満面の笑顔で、ブンブンと大きく手を振ってくれていました。

 その姿を見て、ボクは心から思ったんです。
 あぁ、今なら、自分の本当の気持ちを、彼に伝えられそうだなぁ……って。


 ……ところで、アカオニのハルナちゃんは元気にしてましたか?

 うんうん、なるほど。相変わらずお酒を呑んでいましたか。
 フフフ、いつも通りで結構結構、ですね。

 はい、そうです。
 ハルナちゃんの言う通り、ボク達はあの草原の集落で生まれ育った幼馴染なんです。
 いつも一緒に遊んで、叱られて、ご飯を食べて、時々ケンカもして、でもすぐに仲直りをして……ボク達は、そんな二人だったんですよ。

 本当にあの集落は、ボクのふるさとは、素敵な場所なんです。
 あそこには、種族や魔力がどうだとか、人間と魔物の関係がこうだとか、そんなツマラナイ事を言う存在はいないんです。
 集落の住人同士はもちろん、近くの人間の村の皆さんとも仲良しな事が、その一つの証拠ですよね。
 魔物といがみ合っている国の人が見たら、驚き過ぎて目を回すような、そんなほのぼのとした素敵な関係ですから。

 う〜ん、例えばそうですね……毎年秋には、ボク達と人間の皆さんの合同で、運動会を開いてるんですよ?
 ハルナちゃんのママなんて、綱引きの名手として有名なんですから。
 腕自慢の人間の男性達が束になってかかっていっても、ハルナちゃんのママがブンと片腕を動かしただけで、みんな吹き飛ばされちゃったり。

 あと、プログラムの最後は、人間&魔物の混成チームをいくつか作って、対抗リレーをするんです!
 やっぱり、運動会の花形といえばリレー! そして駆けっこといえば、ボク達ワーラビットです!
 毎年みんなを熱狂させた、ボクとボクのママの大活躍……是非ともご覧に入れたかったですねぇ。


 おっととと、話がズレちゃいましたね。ごめんなさい。

 え〜っと、それでは次に何をお話しましょうか。
 それでは……そもそも、『どうしてボクがお菓子作り、料理作りの道へ進んだのか』という所から行きましょうか。

 いきなり結論を言ってしまうと、【行商ゴブリン隊の方が持って来た、美味しいケーキに心を鷲づかみにされたから】という事になります。

 ボク達の集落は本当に素晴らしい所なんですけど、唯一、買い物に不便という難点がありまして。
 基本的には、自給自足。
 そして足りない物や自分達で作れない物は、人間の皆さんの村で買う。
 ……という形だったのですが、やっぱりどうしても『目新しいもの』とか『流行のもの』とは縁遠くなっちゃうんですよね。

 で、そんな問題を解決してくれるのが、およそ三ヶ月に一度のペースでやって来る行商ゴブリン隊のみなさんなんです。
 小柄なゴブリンさん達が大きな荷物を背負って、賑やかにラッパを吹きながらやって来るんですよ。
 ボクはもう子供の頃からその音が好きで好きで、楽しみで楽しみで。「もうそろそろやって来るかな?」という頃になると一日中そわそわしっ放しで、よくママに叱られてました。

 そうして運ばれて来る商品の中身は、衣類から日用品、各種雑貨、本や楽器、食料品に至るまで様々で。

「さぁさぁ、どうですか奥さん、このワンピース! 山の向こうの有名なアラクネが丹精込めて織り上げた逸品だよ!」
「都会から仕入れた流行の品はこちらだよ! 今、街ではこんな素敵なモノが人気なんだ! ほらほら、ボ〜っとしてたら田舎者だって笑われちゃうよ!」
「そりゃそりゃ、今回の目玉はこちら! 水をつけるだけでお皿の汚れが見る見る落ちる、洗剤要らずのスポンジだ! これ一つあれば、毎日の家事がグ〜ンと楽になること間違いなし!」

 ……なんて、皆さんが並べ立てる威勢の良い口上を聞くだけでも最高でしたね。
 
 そしてある年の秋、いつものようにゴブリン隊の皆さんがやって来て……ボクは、一つ目の運命のポイントと遭遇する事になるんです。


「やぁ、ノアちゃん元気かい? 今回は、良い物を持って来たんだよ!」

 顔なじみの、主に食料品を扱っているゴブリンさんが、ボクを呼び止めて言いました。

「良い物?」
「あぁ、そうさ。ほらほら、こっちに来てごらん」

 そう言って、ボクを右手で招くゴブリンさん。
 そして左手には、白い厚紙で作られた箱。

「その良い物は、この中に……ほら、これさっ!」
「うん……わっ、すごいっ!!」

 その箱の中には、綺麗で、可愛くて、小さくて、とっても美味しそうな、苺のケーキが入っていたんです!

「昨日の夜、人間の菓子屋から仕入れたばかりの生クリームたっぷり、スポンジふわふわのケーキだよ! あんまり日持ちするもんじゃないから、ノアちゃんに買って欲しいんだけどなぁ〜?」
「うん、欲しい! ……けど、ママから貰ったお小遣いで足りる、かな?」

 生活に必要な物は、ママがゴブリンさんと交渉しながら買っていました。
 そしてそれとは別に、ボクが自分で欲しいと思った物は、お小遣いと家事を手伝った時にもらえるお駄賃で買うこと……それが、我が家のルールだったんです。
 「頑張ってお金を稼ぐ事。そしてそれを、よく考えて使う事。それはどちらも、大切な勉強だよ」という、ママの教育方針でしたから。

 とにかく、そうして訊ねたケーキの値段は、ボクが持っていたお金でギリギリ買える数字でした。
 ボクの頭の中では、グルグルと色んな考えが渦巻きます。

 買える……けど、これを買っちゃうと、本や服が買えなくなっちゃう。
 あぁ、でもでも、あんな素敵なケーキは初めて見たよぅ。食べたいよぅ。
 だけど、ここでお金を使い切ったら、また三ヶ月待たなきゃ駄目なんだよね……。
 ん〜、それでもやっぱり、あのケーキはすごいよ〜。ママの料理の本の挿絵みたいな、すごい苺のケーキなんだもん。
 あ……最近はママのお手伝いでお料理もしてるし、あんなのをボクが自力で作ればいいのかな? ママにも手伝ってもらったら……。
 って、そんなの絶対無理だよぉ〜。あんな可愛くなんて出来る訳ないよぉ〜。

「あの、えっと、ノアちゃん? お〜い。帰って来ぉ〜い」
「ふぁっ!? ふゃい!?」

 ウンウンと唸りながら頭を抱えてしまったボクに、ゴブリンさんが苦笑いしながら声をかけて来ました。

「そうだなぁ〜。ノアちゃんには、ちょっと高いかなぁ〜?」
「う、うん……でも、すごく美味しそうだし、可愛いし……」
「あ〜……それじゃあ、ここはちょっとお姉さんが格好良い所を見せてあげようかな?」
「え?」

 キョトンと目を丸くしたボクに、ゴブリンさんはドンと自分の胸を叩きながら言いました。

「値段はさっき言ったまま。だけどそこに、この初心者向けお料理レシピ本と、お菓子のレシピ本をオマケしてあげよう! どうだい? これなら、超お値打ち品だろ?」

 その言葉に、ボクは耳が取れるほどの勢いでブンブンと激しく頷きながら言いました。

「い、いいの!? 本当にっ!?」
「あぁ、構わないさ。ゴブリンの商売に二言はないよ。特に、ノアちゃんみたいな可愛いお得意様にはね!」
「やったぁ! ありがとう! 買います!!」
「おぅ、こちらこそありがとよ! 毎度ありっ!」

 そして、ケーキが入った白い箱と二冊のレシピ本は、ボクの腕の中に納まりました。

「ハハハっ! あんまりピョンピョン跳ねちゃ駄目だよ! ケーキが崩れちゃうから、ゆっくり落ち着いて帰んな!」
「うん、ありがとう! 本当にありがとう!」

 ボクはゴブリンさんに何度も何度もお礼を言って、家への道を歩いたり走ったりしました……。


 え? その苺ケーキの味、ですか?

 いやぁ〜、美味しかったですよぉ〜!
 箱の中には、ケーキが三つ入ってたんですけどね。
 早速、その日の夕飯のデザートとして、家族三人で食べたんです!

 ん? あぁ、そうですね。言ってませんでしたね。
 ボクのパパは、農業技術の研究したり、作物の品種改良に取り組んだりする学者さんなんです。
 そんな仕事柄、出張や学会が多くて、一年の半分以上は家を空けていたんですけど……偶然にも、その日の夕方に帰って来てくれたんですよ!

「あらぁ〜、本当に美味しいわぁ。ママ、こんな美味しいケーキを食べたの初めてよ」
「うん、これはなかなか素晴らしいね……ところでノア、ちゃんとお金は足りたのかい?」
「えへへ〜♪ 大丈夫だよ。ちゃんとゴブリンさんと『交渉』したもん!」
「あらあら、この子は。一丁前の事を言っちゃって!」

 雪のように白くて、雲のようにふわふわで、夢のように甘いケーキ。
 明るい笑顔のママと、久しぶりに帰って来た優しいパパ。
 そして、そんな二人に自分のお小遣いで買ったケーキをご馳走してあげられたという、ちょっぴり誇らしい思い。

 あの日の食卓のぬくもりを、ボクは生涯忘れる事はないでしょうね。
 うん……間違いありません。
 あの時、心に宿った小さな灯火こそが、今のボクを作り出しているんです。


 ……ちなみに、その日の夜、ボクがベッドに入った頃。

 パパがママに見つからないよう気をつけながら、そ〜っとボクの部屋にやって来たんです。
 ベッドサイドで片膝をついたパパは、いつもの優しい眼差しをボクに向けながら、一つの封筒を手渡してくれました。

「ノア、今日は美味しいケーキをありがとう。これはパパからの感謝の気持ちと、今後の『研究費』だよ」
「研究費……?」
「ケーキと一緒に買った、あのレシピの本。これからは、あの本に書いてある料理やお菓子作りに挑戦するんだろう? だから、その材料や調理器具を買うための『研究費』さ。研究や挑戦には、先立つものが必要だからね」

 そう言ってパパは、茶目っ気たっぷりにウインクをしてくれました。
 いやぁ〜、やっぱりパパって、父親って、すごいですよね。
 何も説明しなくても、ボクの表情や行動を見て、あっという間に全てを理解しちゃったんですから。

「パパ……ありがとう」
「うん、どういたしまして。あ、でも、ママには内緒だよ? 『パパはノアに甘いんだから!』って、また怒られちゃうからね」
「フフフ……うん。わかった」
「パパとノアの秘密だ。それじゃあ、おやすみ。美味しいノアの手料理を楽しみにしているよ」

 ボクの額にキスをして、パパは微笑みと共にドアを閉じました。

(よ〜し! 明日から、お料理ガンバルぞ!)

 ベッドの中でそんな事を思いつつ、小さく拳を固めた事を、今も鮮明に覚えています。


 その後のボクは、ママやハルナちゃんが驚くほどの勢いで料理に熱中しました。

 まず最初は、一人でも作れる簡単な料理やお菓子から。
 次に、ママのワンポイントアドバイスを貰いながら、初級終了レベルの一皿を。
 引き続きママの監督の下、さらならステップアップを目指して中級から上級レベルへ挑戦。

 毎日毎日、本当に楽しかった……のですが、この辺りからポロポロと失敗もし始めて。
 焦がしたり、煮詰まらせたり、自分の指を切ったり、奇想天外な味付けになったり、その他にも色々と。
 試食役を買って出てくれたハルナちゃんが「ウっ……」と唸って黙り込む場面が出て来たのも、このレベルに突入した頃でした。

 でも、熱意があれば多少のハードルは乗り越えられるんです。
 ケーキと一緒に買ったレシピ本は間もなく卒業して、ママのレシピ本に挑戦。
 それも攻略すると、行商ゴブリン隊の本屋さんや食料品屋さんから本を買って、また挑戦。

 そうして季節が巡って、年が過ぎて、ボクもある程度大きくなった頃には、一通りの料理やお菓子を問題なく作れるようになっていました。
 ……もちろん、ハルナちゃんを沈黙させたり悶絶させたりする事もなくなりました。

「今だから言えるけど、あの頃のお前は三回に一回くらいの確率で【悪い方向にパンチが効いたもの】を生み出してたからな……」

 去年のお正月、集落に里帰りした時、ハルナちゃんにそんな事をしみじみ言われましたからね。
 うん。何と言いますか……持つべきものは、よき幼馴染であり親友ですね。
 

「パパ、ママ。真剣なお話があるの」

 夕食の後、ボクがそんな事を言ったのは、十七歳の春の日のことでした。

「ボク、料理の道へ進みたい。街へ出て、レストランか、ケーキ屋さんか……とにかく、料理を作る人になって働きたいの! お願い。家を出る事を許してください!」

 ボクの言葉に応えるように真剣な表情を見せる両親へ、深々と頭を下げてそう告げました。
 そして、食卓に一瞬の静寂が満ちた後、パパがいつも通りの優しい声で、問いの言葉を投げかけてくれたんです。

「うん。ノアがそう言い出す事を、パパもママも予感していた。ノアの料理に対する興味と情熱は、体から迸るようだったからね。だから、驚いたりはしない……けれど、いくつか確かめなければいけない事があるね」

 ボクはきちんと頷いて、パパの次の言葉を待ちました。

「熱意と希望なき挑戦は、失敗しか生み出さない。そして同時に、熱意と希望のみの挑戦もまた、挫折しか生み出さない。働き口を探し出し、厳しい修行や上下関係に耐え、大変な苦労や不条理を飲み下し、それでも料理の道で生きていく覚悟……今のノアに、そんな心の強さはあるのかい?」

 ボクは、迷いなく答えました。

「どんな世界であっても、その道のプロとして、専門家として生きていく事は容易い事ではない……昔、そう教えてくれたのは、パパだったよね。料理の世界の厳しさは、ボクも知ってる。そして現実は、そんな知識を軽く越えるくらい辛いものだという事もわかる」

 パパは、優しい瞳で頷いてくれました。

「でも、それでも、ボクは料理の世界に飛び込みたいの!」
「なるほど……なら、パパから言う事は何もないね。全力で挑んで、全力で打ちのめされて、全力で成功しなさい」
「うん。ありがとう、パパ」

 そしてボクは、視線をずっと黙ったままのママへ向けました。
 ママはいつもの快活な笑顔ではなく、どこか寂しそうな表情で言いました。

「ママは、ノアの夢を応援したい。でもね、家を出る以上は、中途半端な結果なんて認めないよ? ひと度この家から旅立ったのであれば、明確な結果や成果を残すまで、玄関の扉を開ける事は許さない。それでも……ノアは、旅立てるのかい?」

 その言葉に、ボクはゴクリと唾を飲みました。
 無意識のうちに手が震えて、下半身の毛も逆立っていました。
 だけど……それでもボクは、ママの瞳をまっすぐに見つめて言いました。

「旅立ちたい。ボクは、ママとパパの娘だという誇りを持って、自分の夢に挑んでみたい!」

 するとママは、ふっと柔らかく微笑んで、こう言ってくれました。

「それなら、頑張りなさい。そして立派な料理人になって、この集落へ凱旋しなさい。心配しなくても、ノアにはママ譲りのド根性と、パパ譲りの知的好奇心があるんだから。無理難題にも、ガーンとぶつかって行きなさいな! そうすれば、道でも何でも開けて行くわよ!」
「うん……うん! ありがとう、ママ! パパ!」

 そうしてボク達親子三人は、互いの手を握り合ってポロポロと涙を流しました。
 それが、ボクにとって二つ目の運命のポイントでした。


「う〜ん、悪いけど他を当たってくれないかな。申し訳ないねぇ」

「あぁ、先週まで募集を出してたんだけどねぇ。もう新しい人が入っちゃったから」

「お前さんは、どこの料理アカデミーの出身なんだい? ハァ? 独学ぅ? ハハハっ、だったら無理だよ。そんな素人同然のワーラビットなんて、雇える訳がない」

「う〜ん、『何でもします』って言われてもねぇ。アンタは、ワーラビットだろ? だったら料理人じゃなくて、バニークラブの給仕係でもした方が、よっぽど金になるんじゃないか?」

「お前は料理をナメてんのかっ!? いくらこの国が魔物友好国だからって、厨房に魔物を入れる訳に行くかよっ! 塩をぶつけられたくなかったら、さっさと出て行けっ!!」

 ……その他にも、色々と、たくさん。
 四十二までは、数えていました。
 「雇えない」と言われたお店の数を。

 でも、途中から心が麻痺してきて、数えるのが嫌になったんです。
 そうしてどこかボンヤリした気持ちになった方が、断られた時も、嘲笑された時も、罵声を浴びせられた時も、楽でしたから。

 今思い返してみれば、当たり前の事なんですよね。
 名も知れぬ草原の集落からやって来た、学歴も実績もコネも無いワーラビット。
 大きな街であろうと、小さな街であろうと、そんなボクみたいなのを好んで雇い入れてくれる奇特な方が、そうそう居るはずもありません。

 次の街なら、次の店なら。
 明日になれば、明後日になれば。

 そう思いながら次々に扉を叩いて、次々に断られて。
 両親から貰った路銀が心もとなくなってきたから、一日一食にして、交通費を節約して、宿代を削って。
 すると見た目がドンドン貧相になって、ますます断られる確率が高くなって。

 パパとママにあんな事を言っておきながら、今の自分のこの姿は何なんだろう?
 料理の世界以前に、自分は働き口すら見つけられていないじゃないか。
 パパもママも、ボクがこうなるのではないかと思って、心配してくれてたんだ。
 もしかすると本当は、「馬鹿な事を言うな!」と止めたいくらいだったんじゃないかな?
 家に帰ろうか。集落へ戻ろうか。
 でも……一体どんな顔をして帰ればいいんだろう?
 ハルナちゃんも、集落のみんなも、笑顔で見送ってくれたのに。
 「頑張れ」って、心から言ってくれたのに。

 何番目かにたどり着いた小さな街で、ついに路銀が底をつきました。
 売ってお金になりそうな物といえば、ママから譲り受けた銀の時計と、この体くらいなもの。

(……ボクは、何を馬鹿な事を考えているんだろう)

 夜の闇の中で、こっそりと忍び込んだどこかの家の物置の中で、ボクはそんな事を思いながら瞼を閉じました。



 そして、翌朝。

 ボクは相変わらず薄汚れた姿のまま、だけど一つの覚悟を持って、街の小さな通りへと歩み出しました。

 今日、最初に目にした、料理に関するお店の扉を叩く。
 そうして、また断られたら……自警団事務所か騎士団出張時へ入って、身柄の保護を頼もう。

 一歩、また一歩。
 顔上げたり、うつむいたり。
 服飾店、雑貨店、本屋さん、武器防具屋さん、診療所、魔術相談所……惣菜店。

 看板には、【ミストラル惣菜店】とありました。
 まだ開店時間ではないようですが、店内からは炒め物を作る音と、何とも言えない美味しそうな匂いが漂って来ます。

「やっぱり、開かない……よね」

 試しに軽く引っ張ってみましたが、やはり店の入り口には鍵がかけられていました。
 しかし、明らかに店内では誰かが料理をしている訳で……。

「裏口とか勝手口みたいなのが、あるのかな」

 力なくそう呟いて、ボクはフラフラと店の裏口を探しました。
 すると、すぐにその扉は見つかり……ふぅと重いため息を一つついた後、右手で最後になるかも知れないノックをしました。

「開店前に失礼します……どなたか、いらっしゃいますか?」
『あ、は〜い! 開いてますから、どうぞ〜!』

 ボクの問いかけに、まだ若そうな男性の声が答えてくれました。

「失礼します……」

 怯えたような調子で扉を開けると、そこには入り口で感じたよりもさらにハッキリとした、素敵な匂いが漂っていました。

「あ、あの……」
「は〜い? 何か御用でしょうか……って?」

 大きな寸胴鍋から立ち昇る、湯気の向こう。
 そこにいた人影がこちらへ歩み寄って来て、ピタリと止まりました。
 年の頃なら、二十代半ば。清潔そうな白い調理服と、短く刈り込まれた黒い髪。
 だけどその表情には、これまで何度も向けられて来たものと同じ、疑問と困惑の色が浮かんでいます。

 ボクは、その様子に何とも言えない息苦しさと申し訳なさを覚えつつ、わたわたと落ち着き無く言いました。

「あ、あの、ボクは、ワーラビットなんですけど、その、料理人になりたくて、ふるさとから出て来たんです……。それで、あの、もしよろしければ、調理師として雇っていただきたいのですが、あ、えっと……無理、でしょうか……?」

 最後の最後に、この要領を得ない不審者丸出しの説明とお願い。
 あぁ、もう完璧に終わった……ボクは、そう観念しました。


 けれど、ボクにとって第三の運命のポイントは、音も無く大きく動いたんです。

「う〜ん、そうですね。えぇ〜っと……どうしようかな? ではまず、そこの階段を上がって二階へ行って、シャワーを浴びて来てください。突き当たりに浴室がありますから」
「……は?」

 この人は一体、何を言っているのだろう?
 さっぱり訳がわからなかったボクは、思わず変な声を出してしまいました。

「あ、いや、妙な意味で言ってるんじゃなくて、ですね。うん、あ、女性に対してこれは失礼だったかな……ごめんなさい」
「あぁ、いいえ……」
「とにかく、料理は清潔第一ですから。で、脱衣所の所に茶色の箪笥みたいなのがありますから、そこに入ってるタオルを自由に使ってください。あと、一番下の段には調理服が入ってるので、それに着替えて降りて来てもらえると助かります。ちょっと、大急ぎで」

 『ちょっと、大急ぎ』とは、どんな状態の事なんだろう?
 ……なんて疑問を抱きつつ、ボクは「あ、はい」と答えて指示された階段を上がりました。
 そして言葉通りに突き当たりの浴室へ入り、何日ぶりかに全身を洗い、タオルを取り出して体を拭いた後、調理服に着替えました。

「あの……着替え終わりました」
「はい、待ってました! それじゃあ、そこにあるキャベツを全部千切りにしてください! それが終わったら、あっちに積んであるタマネギの皮を剥いて、片っ端からみじん切りでお願いします!」
「あ、えっと……はい」

 裏口の扉を開けた所から、予想外の出来事の連続です。
 ただ一つ確実に言えることは、男性が猫の手ならぬ、ワーラビットの手も借りたい状態にあった、ということで。
 何が何だかわからないぞ……という思いを抱えたまま、ボクは必死になってキャベツを千切りにし、大量のタマネギをやっつけ、その後さらにニンジンと茸の下ごしらえを手伝い、最後にハンバーグの肉を捏ねました。


「いやぁ〜、いきなり仕事をさせちゃって、ごめんなさい。でも、本当に助かりました。ありがとう!」
「あ、いいえ、お役に立てたのなら……」

 作業が一段楽した後、ボクと男性は店の二階で向き合っていました。
 さっきは混乱していて良くわかりませんでしたが、どうやら店の二階、三階部分が、そのまま男性の家になっているようです。

「で、え〜っと……調理師になるために、故郷から出て来られた訳ですね?」
「あ、はい! あの、順を追って説明させてください!」

 今度こそ、落ち着いて自分の思いを伝えなければ。
 再び巡ってきたチャンスに、ボクは必死になってすがり付きました。

「う〜ん、なるほど。すごい熱意だなぁ……ちょっと無謀にも思えるけど」

 一通りの説明を終えた後、男性は腕組みをしながらそう言いました。
 そして何度か「うんうん」と頷き、ペチペチと額を二度叩いた後……近くにあったペンとメモ帳を手にとって、迷い無く何かを書き始めました。

「では、ちょっと少なくて申し訳ありませんが……月々のお給料はこんな感じで。その代わり、毎日三度の食事と、三階の空き部屋を提供します。安息日が定休日で、今後の頑張り次第では昇給もアリです」
「はぁ……」

 その言葉の意味が理解できず、ボクはポカンとした表情を浮かべてしまいました。

「ん? あれ? この内容じゃ駄目かな?」
「いや、あの、えっと……」
「いわゆる、『雇用内容の伝達と確認』って奴なんだけど、これじゃイヤ?」

 雇用。お給料。伝達。確認。今後の頑張り。昇給もアリ。
 伝えられたそんな言葉がようやく頭の中に入って来て、理解に達して、次の瞬間、ボクは……

「うぅ、グスっ……う、う、うわあぁぁぁぁぁんっ!!」
「ちょっ、ええぇぇっ!?」

 子供のように、声を上げてわんわんと泣き出してしまいました。
 何の前触れもないボクの大号泣に、男性はもう大慌てです。

「え、何で? どうして? 俺、何か悪いこと言ったかな? え? えぇぇっ!?」
「うわあぁぁぁぁん! ぢ、違いわふぅぅ、う、う、嬉じいんでびゅうぅ……っ!」

 ひっくひっくとしゃくりあげながら、涙も鼻水もそのままで、ボクは言いました。

「や、やどっでぼえうぇで、ぶぅれじぃんで……ぐっ、ふっ……うわあぁぁぁぁん!!」
「ん? え? 『雇ってもらえて嬉しいんです』?」
「ヴぁい」
「じゃ、じゃあその涙は、嬉し涙なんだね? 痛いとか辛いとかじゃないんだね?」
「ヴぁい」

 すると男性は、心底ほっとした様子で口を開きました。

「あぁ……なるほど。うん。良かった。さっきの仕事振りとその熱意を見れば、君が料理を愛してる事は一目瞭然だからね。丁度、料理人の募集も考えてた所だったし……俺ひとりの小さな店だけど、これからどうぞよろしくね」
「ヴぁい、ごぢらごぞ、よ、よ、よろじぐおねが……うぅわあぁぁぁんっ!!」
「ヒぃっ!? また泣くのっ!?」

 ……その後、ボクはたっぷり一時間泣き続けました。
 もともと赤いこの目が、さらに真っ赤になりました。


 お察しの通り、その男性こそが、今のボクの旦那さんです。

 ノロケ話に聞こえちゃうかも知れませんけど、彼はすごい人なんですよ?
 何と言っても、ボクも出場したあの新人料理人コンクールの【最年少複数メダル記録保持者】なんですから!

 スープ部門 : 銅メダル / メインディッシュ部門 : 金メダル
 ……この二つのメダルを一つの大会で、それも若干十五歳と八ヶ月で獲得しちゃったんです!

「小さな頃から料理が好きでね。祖母ちゃんや母ちゃんの真似事をしてたら、いつの間にか人生がそっちの方向に流れて行っちゃったんだよ」

 なんて、本人は照れくさそうに言ってますけど、これはなかなか出来る事じゃありません。
 何せあの大会には、国内はもちろん、近隣の国々からも素晴らしい料理人達がやって来ますから。
 大会のレベルも、皆さんからの注目度も、ものすごいんです!

 ……え? あなたも、その大会でメダルを獲得したんでしょう?

 はい、確かにボクも銀メダルをいただきました。
 でもそこに至るまでには、彼の的確な指導と大きな優しさがあったんです。
 本当、あの銀メダルは、『ボク達二人で獲得したもの』なんですよ。


 あの出会いの日から、ボクは彼のお店:ミストラル惣菜店で働く事になりました。

 『惣菜店』と聞くとレストランよりも一段下のように感じられるかも知れませんが、とんでもありません!
 主菜、副菜はもちろん、スープ、デザート、パンやご飯、さらには行楽弁当の注文を受けたりもするんです。
 ……ちなみに、出会いの日に彼がてんてこ舞いをしていた理由は、敬老会の皆さんから突然三十個のお弁当注文をいただいたからでした。

 とにかくボクは、毎日一生懸命に働きました。
 働き口を探していた時にも痛感した事ですが、ボクには学も、実績も、コネも、何もありません。
 そんな『何も持っていないワーラビット』が、努力とひたむきさを失ってしまったら……もうそれは、ただ跳ね回るしか能の無い穀潰しです。

 毎日早朝に起きて、仕込みをして、商品を並べて、接客をして、出前にも出て。
 そして閉店後は、器具の手入れから食材の選び方、調理に関する様々な技術などを彼から徹底的に教えてもらいました。
 一切の嘘偽りなく、「料理漬けの日々でした!」と宣言できるような、そんな生活でしたね。
 『ワーラビットって、年中発情期みたいな種族なんでしょ?』なんて失礼な事を言う人もいますけど、そんな欲望なんてどこかへ吹っ飛んでしまうような毎日を過ごしていたんです。はい。

 
 そうした勉強の積み重ねの中で、予想外の事があったとするなら……それは、彼の指導スタイル、ですね。

 ご存知の通り、料理の世界はとても厳しい世界です。
 師匠や兄弟子からの鉄拳制裁なんてありふれた話ですし、お店によってはお客さんの食べ残しを貪る事によって味を覚える……なんて言いますからね。

 でも彼は、そんな指導の形とまったく正反対の人だったんです。
 例えば、ボクがよくかけられた言葉は……

「ん、惜しい! そこは火力と鍋の振り方がポイントなんだ。もう一度やってみようか」

「うん、なかなか良いアイデアだね。そこに例えば、季節の果物を取り入れることによって、新たな解釈が生まれると思わない?」

「お、なかなか素敵。ちなみに、ここで塩をもう一つまみ加えると、味がさらに引き立ってより魅力的な一皿になるんだよ。覚えておいてね」

「あらら、それはちょっと難しいかな。料理人は、素材の味を信じる事も大切なんだ。だから、味付けで縛るんじゃなく、優しく化粧してあげるような気持ちを大切にね」

 ……そう、決して頭ごなしに叱り飛ばしたり、こちらの考えを全否定したりしないんです。
 必ずボクの言動を見届けて、それを理解したうえで的確な助言と手本を示してくれました。

「『怒鳴られ、殴られ、心が腐った状態で覚えた料理が、果たして人を感動させられるのだろうか。私は、そうは思わない』 これは、俺の師匠の受け売りなんだけどね。でも、一つの大きな真理だと思うんだよ。だから、かな?」

 その指導方法についてボクが率直に訊ねると、彼は少し恥ずかしそうにそう答えてくれました。

「肯定と否定をしっかりと行いつつ、弟子の動きをきちんと見届け、自分自身もまた確認と学習を重ねていく。『教える事と学ぶ事は、表裏一体なのだ』って師匠の言葉……今ならよくわかるなぁ」

 料理コンテストで二つのメダルを獲得した彼は、首都にある小さな有名レストランに所属する事になりました。
 そして、その厨房を取り仕切っていた料理長こそが、彼の師匠であり、ボクにとっては大師匠にあたる方だったんです。

「師匠からは色んな事を教わったよ。料理に限らず、人としての生き方も学んだね。『器の大きな男』というのは、きっとああいう人に対して使う言葉なんだろうなぁ」

 憧れの英雄を思い浮かべるような表情で、彼はそう言いました。

「厨房副主任にまで引き立ててもらったのに、俺は『高級な料理ではなく、一般の皆さんに食べてもらえるものを作りたいんです』なんて言ってね。二年前に店を辞めたんだけど……」

 先程とは全く違う、少し悲しそうな色を浮かべた彼が、言葉を続けます。

「師匠は、俺みたいな不肖の弟子の言葉にもきちんと頷いて、『君の思いは、よくわかった。自分が決意した道を真っ直ぐに歩みなさい』って、慰留するオーナーや仲間達を説得してくれたんだよ」

 そんな彼に、ボクはほとんど無意識のうちに、こんな事を言いました。

「……頑張りましょう! 大師匠のためにも、二人で頑張りましょう! ボク、もっともっと勉強して、良い料理人になりますから! これからもガンガン鍛えてください!」

 すると彼はキョトンと目を丸くしてから、少年のように明るくニッコリと笑って……

「おぅ! そうだな、頑張ろう! 頼りにしてるぜ、我が一番弟子!」
「はい、任せて下さい、旦那様!」
「よし! って………………旦那様?」

 優しくて、凄腕で、笑顔が可愛くて、照れ屋さんで、独身なんです。
 そんな素敵な人と四六時中一緒にいて、乙女の心に恋の明かりが灯らない訳がありますか? いいえ、ある訳が無いのですっ! ね? そうですよね?

 もう本当、いつからかわからないほど自然に、ボクは彼の事を好きになっちゃってたんですよねぇ〜……。


 《それでは、新人料理人コンクール:デザート部門……調理、開始!!》

 そんなアナウンスとともにドンドンと太鼓が鳴らされて、ボク達出場者は一斉に動き始めました。
 極度に集中すると、周りの音も光も気にならなくなる……というのは、本当ですね。
 コンテスト会場に作られたオープンキッチンに吹き込む風も、太陽の光も、お客さんの歓声も、ボクには一切感じられませんでしたから。

 彼の指導のもと、働き始めて二年半。
 「ノア、そろそろこいつに挑戦してみないか?」と彼が持って来た新人料理人コンクール・エントリー用紙を見た時が、ボクの生涯の第四ポイントでした。

 先程も言いましたが、惣菜店の守備範囲は広大です。
 その気になれば、設定されている全ての部門に挑む事だって出来るんです。
 でも、ボクが叩く挑戦の扉は、一つしか無いと思いました。

「デザート部門、これ一本でお願いします!」
「ふむ……なるほど。理由を説明してくれるかな?」

 子供の頃、あのゴブリンさんから買った、ふわふわの苺ケーキ。
 そして、おまけで付けて貰った、二冊のレシピ本。
 そこから始まった、今日に到るまでの料理との日々……。

 ボクは全ての記憶と思いを、彼に伝えました。
 すると彼は静かに頷き、穏やかに微笑んでこう言ってくれました。

「うん、よくわかった。なら、この大会はノアにとって、これまでの人生をかけたものになるね。俺もきちんとバックアップするから、精一杯頑張ろう」
「はい! よろしくお願いします!」

 コンクールは、制限時間内に規定のサイズのオリジナルケーキを作り、それを五人の審査員さんと十人の一般審査員さんが食べた上で投票、順位を決定します。
 見た目や味わいだけではなく、食べた人の心に響く何かが無ければ、上位入賞は望めません。

「さて、それじゃあ何を作るのかが問題になるんだけど……考えはあるのかな?」
「はい。キャロットケーキで行ってみようと思います」
「おぉ〜、なるほどね。ノアはニンジンの扱いが上手だもんなぁ」

 古来よりニンジンは、ボク達ワーラビットの大好物なんです。
 ですから、事ニンジン料理に関しては、人間の皆さんよりもボク達の方に一日の長があります。
 それと同時に、キャロットケーキは、ボクにとっての『おふくろの味』でもありました。
 子供の頃、「さて、今日はキャロットケーキを作っちゃおうかな?」というママの言葉が、どれほど嬉しくて待ち遠しかった事か……!

「ボクは、人間の方が作ったケーキに感動して、料理に目覚めました。だから今度は、ボクが最高のキャロットケーキをつくって、人間の皆さんの心を震わせたいんです!」
「……うん! 素晴らしいと思うよ。よし、方針は完璧に固まったね。気合を入れていこう!」
「はいっ!」


 そこから、ボクのキャロットケーキ研究が始まりました。

 思い浮かべるのは、素朴だけど美味しい、心が暖かくなるようなママのキャロットケーキ。
 再現したいのは、素直な感動と家族の団欒を作り出した、あの苺ケーキのような魔法。

 虚飾なんていらない。ハッタリも必要ない。高尚な理屈なんて無視しちゃっていい。
 今のボクにしか、ワーラビットのボクにしか作れないキャロットケーキを作りたい。

 例えば、大切な家族のために、素敵なケーキを作りたいと思ったら、どうするだろう?
 きっと、卵も小麦粉も砂糖も、ちょっと高くていい物にするはずだ。
 だけどそこに、それ以上の背伸びはないと思う。
 山を超えて素材を集めたり、海を渡って来た香草に大枚をはたいたり……そんなものすごい事は、お金持ちや貴族の人しかしないはずだ。

 ボクは、自分自身がそうであるように、普通の暮らしをするみんなのための、普通に買える美味しいものを作りたい。
 ボクの料理の師匠であり……そして、密かにボクが恋をしている彼だって、同じ事を考えているはず。
 だってそうでなければ、地位も名誉もある高級店から飛び出して、みんなのためにお惣菜を作ろうと思ったんだ、なんて言わないはずだから。

 街の中で買える、ちょっと良い材料を揃えて。
 どこの家庭にもあるような、あるいはどこのお店ででも集められるような、そんな調理器具を活躍させて。
 混ぜたり、切ったり、捏ねたり、焼いたり……そして美味しそうに出来あがったら、さぁ食べよう!

「ノア」
「……はい」
「こりゃ、金メダル取れちゃうかもよ?」
「……はいっ!」

 ボク達の準備と努力は、万全でした!


 そうして迎えたコンテスト当日。
 結果は、最初にお話したとおりの銀メダル。二等賞でした。

 え? 悔しくなかったですか、と?

 「惜しかったかも?」とは思いましたけど、悔しさはありませんでした。
 むしろ、銀メダルだった事に意味があるんだと思っています。
 それはきっと、料理の神様が

『なかなかよく頑張ったな。だが、上には上がいるものだ。この結果に満足すること無く、これからも精進するが良いぞ』

 って、そう仰ってるんだろうなぁ〜と。
 強がりとか負け惜しみとか、そういうのではなくて、素直にそう思うんです。

 それに……フフフ。
 ボクは、金メダル以上に輝かしくて大切な存在を手に入れましたから!


 司会の女性から魔法拡声器を受け取ったボクは、深々と一礼をしました。
 会場に詰めかけたお客さん達が、あたたかい拍手を送ってくださいます。

 ボクは、魔法拡声器を口元に添えて言いました。

「名誉あるこのコンテストのメダルを頂戴し、心と体が震えるような感動を覚えています。名も知れぬ草原からやって来たワーラビットのボクを受け入れ、そして公平に審査してくださった皆様に、大きな大きな感謝の気持ちを捧げます」

 そしてボクは、再び深々と一礼をしました。
 すると、お客さん達も同じように、再びあたたかな拍手を送ってくださいました。
 視線を送ると、客席の中の彼も、何だか泣きそうな表情で手を叩いてくれていて。
 その姿を見た途端、ボクはなんだかグッと来ちゃって……。

「この銀メダルを、海の物とも山の物ともつかないボクを雇い、鍛えてくださった、ミストラル惣菜店の店主様に……彼に……グスっ……!」

 そこでボクは、こみ上げてきた涙に遮られ、喋れなくなってしまいました。
 でも、お客さん達の拍手と「ガンバレ〜!」という声援のおかげで、何とか持ち堪える事が出来たんです。

 そうしてボクは、一つ深呼吸をして、自分の思いを素直に言葉にしました。

「ボクの師匠であり……ボクが恋し、愛している、あなたに捧げますっ! これからもずっとずっと、ボクと一緒をにいてくださいっ! ボクと、結婚してくださいっ!!」

 会場は一瞬シンと静まり返り……次の瞬間、大歓声と指笛と拍手に包まれました。
 さらには、「おい、あのお嬢ちゃんの雇い主はどこだ?」とか「ここで応えなきゃ男じゃないわよ!」とか、色んな声が聞こえて来て。

 そんな騒然とした状況の中、司会の女性が静かにボクのそばへやって来て、こう耳打ちしたんです。

「あなたの想い人は、どこにいるの?」
「あ、あの客席の真ん中辺りにいる、青い服を来た短髪の、黒髪の人です」
「え〜っと……あ、うんうん。あのご婦人の一団の隣にいる人ね。わかったわ、任せておいて!」

 そう言い残すと、女性は素早く舞台袖に移動して、そこに控えていたスタッフさんに二言三言……。
 すると、そのスタッフさんが手に魔法拡声器を持って客席に入り、お客さんをかき分けて彼にそれを手渡しているじゃありませんか!
 最初彼は「えっ!?」という表情で拒んでいたのですが、周囲のお客さんに気付かれ、囃立られるうちに観念したらしく……。

 他のお客さん達は全員席につき、舞台上のボクと客席に立っている彼とを交互に見ています。
 何とも言えない表情でポリポリと頭をかきながら、彼が言いました。

「あのね、ノア……」
「はい……」
「この状況、俺、ものすごく恥ずかしいんだけど」

 その言葉に、お客さん達がドッとわきます。
 隣に座っているご婦人方から、バシバシと色んな所を叩かれていた彼が、苦笑いしながら再び口を開きました。

「とにかく、銀メダルおめでとう」
「……はい。ありがとうございます」
「これでうちの店には、俺の金と銅、ノアの銀……三色全てのメダルが揃ったね」

 そんなやりとりに、お客さん達が拍手をしてくださいます。

「これからも、お互いに精進していこう」
「……はい。よろしくお願いします」
「そして……いつか俺達の子どもが、またこの場でメダルを獲得出来たら、素敵だね」

 お客さん達が発する、『おぉぉおぉ〜?』というどよめきの声が響きます。

「ノアっ! 俺もずっと前から、お前の事が好きだ! どうしてこんな公開プロポーズになってるのかは知らないけど、一生俺のそばにいてくれっ!!」
「っ……はいっ!!」

 もうそこから先は大騒ぎでした。
 お客さんは大歓声、審査員の中には涙している方もいて、舞台上のライバル達はボクを胴上げ。
 さらに客席にいた教会の方が舞台に上がり、金メダルの発表前に即席の婚礼の儀が始まって。

「……なぁ、ノア」
「……はい?」
「もう何も言えないくらい滅茶苦茶だけど……幸せだね」
「はい! もう何も言う必要がないくらい、滅茶苦茶幸せです!」

 そしてボク達は、誓いのキスを交わしました。
 ……ちなみに、この出来事は街道ニュースになって、ふるさとの集落にも伝わってしまいました。
 ハルナちゃん曰く、その時の様子は、

「うちのお袋は、『でかした、ノア!』って大爆笑。お前ん家のおばさんは『あらあら、やる事が派手ねぇ』って微笑んで、おじさんはすげぇ複雑な顔してたぜ? 後で謝っとけよ?」

 パパに心配をかけちゃったのは、反省……ですね。


 あぁ〜、ものすごく長いお話になっちゃいましたね。
 帰りの馬車の時間に間に合いますか? 大丈夫ですか?

 あ、そうそう、これ、うちのお店の新製品です。ボクが作ったんですよ。
 焼き菓子なのである程度日持しますから、会社の皆さんとどうぞ!

 ん? 旦那さんですか?
 毎月第三安息日には町内会の寄り合いがあるので、今はそちらへ行っています。
 いつもは夫婦揃って出席するんてすけど、『ノアは大人しくしてなさい』って言われちゃって。

 あぁ、いえいえ、怪我や病気じゃないんです。
 実は、その……今、ボクのお腹には新しい家族が宿っていまして。

 はい、ありがとうございます!
 ワーラビットは、飛び跳ねても平気な安産の種族だからって言っても、『心配なんだよ〜』って泣きそうな顔で言うんですもん。
 だからボクもお腹を撫でながら、「心配性のパパだね〜」って。フフフ。

 え? 娘に料理の道へ進んで欲しいか、ですか?
 う〜ん、そうなればとても嬉しいとは思いますけど……絶対に、無理強いはしないつもりです。
 この子にはこの子の、歩むべき道があると思いますから。
 親として、それを支えて、認めて、応援してあげたいなって。そう思っています。
 パパとママが、あの日、ボクの旅立ちを認めてくれたように。

 ちなみに今、二人は「初孫だ〜♪ 初孫だ〜♪」って小躍りしてるらしいです。
 『生まれたらすぐに里帰りしろよ!』って、ハルナちゃんからの手紙にも書いてありました。
 ボクもこれで少しは親孝行が出来た……かな?

 おっと、馬車の時間ですね。気が付かなくて、ごめんなさい。
 お見送りに……店の入口まででいいですか? う〜ん、気を使わせちゃって申し訳ないです。

 はい、それではどうかお気をつけて。
 今までもこれからも、ボクも旦那さんも、真心を込めてここで料理を作っていますから。
 料理の道に終りはありません。本当に素敵な世界なんです。
 ですから、また近くまでお越しの際は、ぜひお立ち寄りくださいね。

 美味しいものを揃えていますから……それでは、さようなら!

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前回の更新から一ヶ月。ようやくの進展でございます。
お待ちいただいていた皆様には、心から感謝とお詫びを申し上げます。

実は、このお話を書くのに大苦戦いたしまして。
五回目のチャレンジでようやく形にすることができました。
出来上がりの程は、いかがでしたでしょうか?

『あれこれとイメージは浮かんでいるのに、それが一本のお話にならない』
……というのは、楽しくもあり、苦しくもありますね。

さてさて、それでは引き続き第四章のQ&Aをお楽しみ下さい……!

10/04/27 11:32 蓮華

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