読切小説
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喪失物 -ナクシタモノ- 喪失者
その日は呆れるぐらいの晴天だった。
普通であるなら、おそらく吉兆の前触れだと歓迎されるような、雲ひとつ無い青空。
そんな青空の下で、俺は幼馴染を亡くした。
原因はなんてことは無い。
誰が悪いでもなく、ただ運命は残酷ですねとしか言い表しようが無い事。
癌だったのだ。
誰の体の中でも、理由無く必ず生み出される癌細胞。
本来、生み出されたら遅かれ早かれ免疫細胞によって駆除されると言う運命をたどるはずだったそれが、なんの因果か駆除されずに幼馴染の体の中に居座り続けたと言うだけ。
たったそれだけの事で幼馴染の体はぼろぼろになっていった。
そして自力はもちろんの事、他力に頼ったところでそのぼろぼろになった体を治す事は叶わなかった。

予兆は確かにあったのだ。
ただ、その予兆を誰もが見逃していただけ。
確かに顔色を青白くしていたのに、誰しもがこう思った。

『ひどい風邪か何かだろう』

身近な病でありながら、しかし誰しもがその毒牙にかかりえると言う事実を忘れてしまっているが故の楽観視。
いや、正しく言うなら忘れているのでは無いのかも知れないし、楽観視ではないのかもしれない。
身近なくせに、たやすく命を刈り取っていくその病の恐ろしさから、誰も彼も目を背け、逃げていただけなのかもしれない。
心のそこで、誰かは「もしかしたら」と思っていたのかもしれない。
でもその「もしかしたら」はそんな逃げから来る「まさか」と言う思いで上書きされる。
少なくとも、俺はそのクチだった事は確かだ。
だから、幼馴染が急に倒れた時には、もはや手遅れだったんだ。


※ ※ ※


「星が見たい」
「は?」
「だから、星が見たいんだ。病室からじゃ一つも見えやしないしな」

ベッドに横たわりながら、彼女は黄色くなった顔に笑顔らしき表情を浮かべそう愚痴る。
しかし十人中九人が、その表情を見ても笑顔だとは気づかないだろう。
恐らくその九人はこう口をそろえるはずだ。

『まるで苦しみをこらえているかのような顔だ』

実際そうなのだろう。
ただ、苦しみをこらえることがもはや彼女の当たり前になってしまったため、その顔に笑顔を浮かべるとそんな表情になってしまうと言うだけ。
そしてただでさえ痛ましいその表情は、黄疸が顕れた肌と相まって直視することもはばかられるぐらい痛々しい。
徐々に、しかし医者が匙を投げる速さで幼馴染の体を侵食していった癌細胞は、とうとう彼女の肝臓も侵してしまったらしい。
そしてそれは恐らく昨日の夜の間の出来事。
昨日見たときは顔色は悪かったが、それでも黄色い肌などではなかった。
それが翌日に来て見たらこれだ。
恐るべき侵食速度。
癌とはこんな物なのか、これが普通なのかは俺にはわからない。
でも、彼女が恐ろしい速度で体を蝕まれていると言うことはもはや覆しようが無い事実だ。
尋常ではないその黄色い肌を、俺は直視できない。
やや彼女から目をそらしながら、俺は幼馴染の愚痴の答えた。

「そりゃお前……街中だしな。街灯やらネオンやらで夜でも明るくて、星なんか見えなかろうよ」
「それは分かっていたんだがね。だが近いうちに私は死ぬだろう。だからそれまでには星を見てから死にたいなと思ってね」

彼女から出た言葉は達観と諦観にあふれたなんともすばらしいぐらいに胸糞悪い言葉。
その言葉たちは、俺の胸に容赦なく突き刺さったのか、胸の置くがズキリと痛んだ。

「……簡単に死ぬとか言うなよ。もしかしたら明日になったら治るかもしれねぇじゃん」

自分で言っておいて、なんと白々しく、そして無責任な言葉なのだろう。
口ではそういいながら、そうなれば言いと頭の中で思っておきながら。しかし頭の中のさらに奥では絶対にそんなことにはならないだろうと分かりきっている。
虫唾が走る。
あぁ、なんと虫唾が走る言葉だろうか、思考だろうか。
でも、たとえ虫唾が走ろうと、少しでも幼馴染が安心できるなら。
それがひいては彼女が一秒でも長く生きるための糧となるならば。
ならばこの走る虫酸を表情に出してなんかやらない。
でも、たぶん幼馴染はそんな俺の考えは手にとるように分かるのだろう。
俺の言葉を聞いて、相変わらず痛ましい笑顔を浮かべながら彼女は決まってこう返事をするのだ。

「そうだね。きっとそうに違いない」

しかし、今日に限ってはそれだけじゃなかった。

「……そうだ。もし私が元気になったら、一緒に星を見に行こう。好きだろう? 君も」
「いや、俺は……」

別に星が好きって訳じゃない。
ただ、星を見ている彼女が……

「……いや、なんでもない。そうだな、一緒に行くか」
「それはいい。約束だぞ?」
「あぁ、約束だ」

下手なことを言う必要は無いだろう。
俺はしばらく言葉を途切れさせたが、最終的には彼女の提案に賛成した。
俺が賛成したときに浮かべた彼女の笑顔は、苦しみが無い本当の笑顔だった気がする。

……そしてその夜、彼女は帰らぬ人となった。
互いに交わした小さく、ほんの些細な約束。
それが俺達の最後に交わした言葉。


※ ※ ※


葬儀は思った以上に慎ましやかに行われた。
参列者も多くは無い。
と言うより、幼馴染の家族と俺しかいなかった。
幼馴染が横たわっていた病室のベッドの枕の下に、葬式はそのようにしてくれと言う遺書があったのだ。
なぜ俺の家族ではなく俺個人は参列してもよかったのか、理由は想像もできない。
ただ、あの幼馴染の事だ、何かしらの意味は絶対にあるのだろう。
見せてもらったその遺書は、痛みにこらえながら書いたのだろうか。
まるでミミズがのたくったような、かろうじて文字であると分かるようなそんな文字。
けど、そんなミミズ文字が並ぶ中で唯一、最後に書かれた文だけはしっかりとした文字で書かれていた。

『約束を守れなくて申し訳ない』

最後まで、本当に命が尽きる最後まで気にしていたのはそれか。
少しは自分の体の事を気にしやがれ。
なんで……なんで……っ!

「なんで最後まで人の事気にしてんだ……ばかやろうが」

そんな俺の言葉も、もはや彼女には届かない。
死人に口無し。
ついでに耳も目も無し。
そんな死人になった彼女に、俺の言葉は届かない。

届けたい言葉を届けられないと言うことは、なんと無情な事か。

ふと、彼女と病院でしたあるやり取りが脳裏に浮かんできた。

『なぜ時計は止まったんだろうな』
『いきなり何言ってんだ?』
『いや何、有名な歌にあるじゃないか「今はもう動かない、おじいさんの時計」とな。昔は特に疑問も無く聞いていたが、今聞くと疑問しか浮かばないよ。それで自分なりに推測してみたんだ。何、こんな状況だからな、暇な時間はごまんとある』
『……で? その推測とやらは? 聞いてやろう』
『私の推測だが……時計はおじいさんを愛していたのだろう。……こらそこ、別にふざけているわけじゃ無いのだから笑うな。最後まで聞け。ともかく、その時計には意思があった。この日本にあるだろう? 付喪神と言う奴さ。ずっとおじいさんに大事にされ、一緒にいた時計だ。もはや半身とも呼べるおじいさんを亡くしてさぞ身が引き裂かれるほどの悲しみに襲われただろう。だから時計は自分の時を止めた……自ら死ぬことを選んだのさ』
『……なるほどよく分かった。お前頭おかしくなったんだな』
『失敬な!!』

あぁ、今ならあのやり取りでの彼女の言葉に大いに賛成できる。
幼馴染の死からはや数年。
未だに幼馴染の死から立ち直れない俺は、きっと時計の針を止めてしまったのだろう。


※ ※ ※


あれから数年。
当時中学だった俺ももはや高校生。
周りに心配をかけないように対外的には立ち直ったかのように見せている。
けれど、ふとした拍子に思い出してしまう。
今まで、当たり前のように隣にいた彼女がいないと言うことの、この言葉に言い表せない感情を。

好き……だったんだろうか?
近くにいるのが当たり前すぎて、あの頃はよく分からなかった。
でも、今ではもしかしたら好きだったのかもしれないとも思えるようになってきた。

「結局、今更気づいたって遅いんだけどな」

なんという皮肉だろうか。
こんなことなら、気づきたくなかった。
でも、幼馴染の事を忘れられない俺は、遅かれ早かれこれに気づいてたんだろうな。
そんな事を星を見上げながら考える。

高校生になって、俺は夜中に家を抜け出すようになった。
高校生になってから見つけた、街中にあるくせにやけに星が見える丘で星を見るために。
別に星は好きじゃない。
ただ星を見上げる彼女が好きだっただけ。
けど、俺はこうして星を見上げている。

彼女の事を決して忘れない為に。
彼女との約束を忘れない為に。

こんなことをしている俺は、やはりあの時で針を止めた時計みたいなものだなと自嘲する。

『星はいいものだな。私たちがいかにちっぽけか教えてくれる』

あぁ、とうとう幻聴まで聞こえてきた。
昔、幼馴染に連れられて星を見に行ったさい、幼馴染は必ず星を見上げながらそんな事を言っていたっけ。
いっそこれが彼女のお迎えだったらなとかくだらないことを思ってしまう。


「それは困るな。せっかく帰って来たというのに」

しかしこの幻聴、やけにはっきりとした物だ。
てっきり、幻聴と言うのはこう、あやふやとした感じだと思っていたのだが。

「悪いが幻聴ではないぞ。どうでもいいがこっちを向け。私におかえりの一言ぐらいかけて見せろ」

やけに絡んでくる幻聴だ。
もう少し静かにしてて欲しいものだ。
最近はこうして星を見ながら静かに彼女の事を思い浮かべるのが日課なんだ。

「まぁなんだ、そこまで私の事を考えてくれていたのはうれしいが、実物がここにいるのだから実物を構うべきだと私は思うぞ、うん」

実物も何も、彼女は死んだし、その骨が燃やされるところを俺はしっかりと見ていた。
死んだものが帰ってくるはずが無い。

「確かに普通はそうだろうな。だがまだ分からないことだらけの世の中、ぽっと死者が帰ってきてもおかしくは無いだろう?」

なんだそりゃ?
と口に出しかけた俺の背中にとすんと何かが寄りかかってきた。
それは硬くて冷たくて、ところどころ尖っているのか背中のあちこちが痛い。

「……な? 私はここにいるぞ?」
「……だろうな。あのへんてこな理論を平然と言えるのは、世界広けれどお前ぐらいなものだ」
「失礼な」

今のやり取りで確信した。
何の因果かは分からないが、幼馴染はどうやら黄泉路を逆走して帰ってきてしまったようだ。
けど、振り向かない。
振り向いたら、背中のこの痛みが、彼女がここに帰ってきた証が、もしかしたら俺の妄想だという現実を叩きつけられそうだから。

「……星がきれいだな」

そんな俺の考えが手に取るように分かるのか、背中にいるはずの彼女はため息を一つつき、そして星を見上げ始めたのかそんな事を言い始めた。
そのさい、何かしゃかしゃと何か硬いものがこすれあうような音が聞こえた。

「覚えているか? 最後の約束」
「……あぁ」
「そうか……遺書にはああ書いたが、なんだかんだで守れたな、約束」
「そうだな」

ここまできて、ようやく俺は背中に寄りかかっているはずの彼女のほうを振り向く。
見えたのは白。
青白いとかではなくほんとに白い何か。
視線を徐々に上げていくと、こちらをじっと見つめる赤い瞳に、その反対にあるがらんどうな穴の中に光る赤い光……

「……は?」
「まぁ、ナリはこんなんだが、戻ってきたぞ」

そうやって胸を張る彼女は、ナリは変わってもやはり彼女なのだと言うことがよく分かった。


※ ※ ※


人々は、あの日の事を黄泉返りの日と呼ぶようになった。
幼馴染の彼女が骨となって戻ってきたように、今まで死んださまざまな人が骨となり、あるいは幽霊となり戻ってきたためだ。
それとその日を境に俺達の住む町にちょっとした変化が現れた。
明らかに人ではないだろう、しかし人型の生命体があちらこちらで目撃されるようになったのだ。
詳しいことはあまりいられていない。
しかし、俺みたいに身内や知り合いに黄泉路を逆走してきた人がいる奴はそれらが何者かを知っている。
最初聞いたときはなんとも突拍子も無い話だと眉唾物だったが、しかし目の前の彼女の存在はその話の信憑性を強めていた。

魔物。

俺達がいる世界とはまた別の世界に住まう存在。
それが何の因果かこの世界に流れ着き、その魔物の魔力とやらで死んだ人々は魔物となってよみがえったのだ。
しかし、燃やして灰になっちまった骨まで元に戻すとか、魔力パネェ。
まぁ、実際はもっといろいろ話されたんだが、俺の頭ではとにかく魔力パネェと言うことしか分からなかった。
まぁ、細かい事は同でもいいだろう。

彼女が隣にいる。
それだけで十分だ。

だから俺は今日も今日とて星を見上げる。
彼女と一緒に、星を見上げる。
12/12/17 21:06更新 / 日鞠朔莉

■作者メッセージ
確かにいくら喚いても無くした物は見つからない。
でも、諦めかけた頃にひょっこり戻ってくるもんさ


朔莉には珍しくガチシリアスと言うか、ガチ鬱かつハッピーエンド物を書こうとした
……その結果がこれだよ!!
これでやはりはっきりした。
朔莉にシリアスは合わないと言うことが。
と言うか、最初のシリアス部分と言うか鬱部分、書いてて胃が痛くなりました。
最後らへんのノリが違うのは筆者が耐え切れなかったせい。

おとなしくギャグ書いてろって事ですね、わかります。

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