クノイチなうっ!
前略、今は空高い場所で私を見守っているだろうお父様、お母様。
そして里を逃げ出し抜け忍となったため、私はおろか師匠、親友、許婚など里に住まうありとあらゆる忍から追い掛け回され、命を狙われているであろうお兄様、いかがお過ごしでしょうか?
私こと琴羽(ことは)は元気です。
この里で暮らすくノ一となって早数年、何とか任務もこなせるようになってきました。
なのですが……
「……やだ、なにこれ」
なんだか空も飛べそうも無い小さなこうもりっぽい羽となんか変な尻尾が生えました。
……もう一度言わせていただきます。
「……なにこれ」
いつもどおりの朝を迎えたはずだった。
しかし朝起きて、何やら腰あたりから激しい違和感を感じたため、とりあえず自分の体を見下ろしたところでこれだ。
そんな感じで、いつもどおりに晴れ渡った空の下、しかし私はいつもとは違う朝を迎えたのだった。
これどうしようかと悩みに悩みぬき、結局うまい具合な方法が思い浮かばない。
たぶんお兄様なら「こいつぁどうしようもねぇな、はっはっは!」と笑い飛ばしてしまうのだろうが、あいにく私は笑って誤魔化せるとは思っていないのでとりあえず引きこもることにする。
幸い、今日は私は任務は無いし、基本私は暇なときは家に引きこもっているので誰も不審がら無いだろう。
……こういうと、私が引きこもりみたいだなぁ。
まぁ間違ってないけど。
抜け忍の妹と言うことで、里の人が私を見る目は非常に厳しいものだ。
『あいつもいつか里を抜け出すのではないか?』
私に向けられている目はそんな心の内をありありと語っているのだ。
そんな目を向けられるのは非常につらいものがある。
その原因が身内と言うことで、つらさは倍ドン。
そしてそんな苦しみを打ち明ける身内も既にいないのでさらに倍々でつらい。
そして一番つらいのが身内の恥は身内がそそげといわんばかりに私に下される任務だ。
『抜け忍となった斎賀を抹殺せよ』
現在、私は普通の任務を下されることはほぼ無い。
唯一下される任務が自らの兄を殺すことと言うものだ。
現在は兄の行方が分からなくなったため任務が下されることの無い、暇な毎日を過ごしているというわけ。
大好きなお兄様を殺すのはつらい。
でも殺さなければ私の居場所がなくなってしまう。
その板ばさみの苦しみに耐えながらも、私は今日も過ごしている。
※ ※ ※
「……こういうときに限って」
さて、早速いつものように引きこもり生活を始めようと思ったのだが、保存庫を空けたらあらびっくり、食材が待ったく無い。
そういえば、前に食材を買い込んだのが先週の頭だったっけ……それは食材も尽きるというものだ。
でも、この格好で出るの? 外に?
「……勘弁してよ、もう」
出たくない、非常に出たくない。
でも出ないと飢え死んでしまう。
究極の選択を前に、私は悩みに悩みぬき……
くきゅう……
……空腹には勝てなかったよ。
はぁ、出るしかないかぁ。
私は箪笥の中から比較的ゆったりとしていてこの羽と尻尾を隠せそうな普段着を身につけ、着込む。
うん、ちゃんと隠れてる。
しっかりと異常な部分を隠せたことを確認すると、私は訓練で身に着けた気配を消す術などを無駄に活用して家を出た。
※ ※ ※
私が住んでいる忍の里は本当に山奥にある。
猟師でさえここまでは踏み入らないだろうと言うくらい山奥の奥にある。
つまり逆を返せば任務以外で里から遠くに出ようとする忍もいない訳で、そうなると生活の全てを里で完結させなければならない。
よって食料や雑貨など、それらは全て里の中で手に入れることが出来る。
任務を任せられるほど優秀ではなく、かといって忍としてまったく不出来と言うわけでもないという者が、主に山に入って鹿や熊、猪を狩ったり、里の中に畑を作ったりなどしてと言う風に、所謂調達係としてそれらの生活必需品を販売している。
里の市場とでも言うべきそこは、やはり人であふれていた。
朝餉の食材を買いに来たもの、雑貨を買い足しにきたものなどで市場はにぎわっている。
にぎわっているのだが……
「なんか……私に似てる人がいっぱいいる」
別に私とおんなじ顔した人がいるということではない。
何と言うか、格好が同じなのだ。
私が見る限り、10人中10人が私と同じように、やけにゆったりめの服を着ている。
正確に言えば、私が見かけたくノ一が全員そんな服装なのだ。
男はいつもどおり。
はてさてこれはいったいどういうことなのやら。
それともう一つ気になる点があって……
「あれ? 琴羽じゃん。やっほ」
そういいながら私に声をかけてきたのはこの里で珍しい、私を冷たい目で見ないくノ一、名前は杏(あんず)。
彼女もやはりゆったりとした服装をしており、そしてやっぱり……
「杏、一つ聞いてもいい?」
「何? 琴羽」
「なんで耳とがってるの?」
そう、先ほどから私が一番気になった点。
それは見かけるくノ一の耳がとがっているということだ。
昨日までは普通に丸い耳だった人々が一様にとがった耳を持っている。
異常以外の何物でもない。
「何言ってるのさ琴羽。あんたの耳もとがってるだろうに。ちなみに何でこうなったかは私も分からないからね」
「え? 私のも……?」
杏の言葉に思わず耳を触る。
……とがってた。
疑いようが無いくらいとがってた。
と言うか触った際にちょうどとがった先端を触ったせいなのか、いくら触ったのが耳と言えども痛い。
もうたいていの事じゃ驚かんと思っていたのに、さすがの事態に私はこう呟くしかなかった。
「……やだ、なにこれ」
※ ※ ※
私、と言うか里のくノ一全員が例外なく羽と尻尾を生やし、耳を尖らせたあの日からはや数ヶ月。
さすがに体が変化したばかりの頃は誰も彼もが大なり小なり代わった体に戸惑ったものだが、いかんせん人間は慣れる生き物。
初めて暗殺任務で人を殺したときには人目につかない場所で思わず嘔吐していた私が、やがて人を殺すことになんら抵抗を持たなくなっていったように、全員がこの体にも慣れていった。
……うぷ、何でだろう、今人を殺すって考えただけでかつて感じた以上の吐き気がよみがえってきた。
何で今更……もうとっくに慣れたでしょうよ。
そして今私がいる場所も、今まではなんとも感じなかった場所なのに、今では吐き気を感じざるを得ない場所になっている。
その場所は、頭領の家の頭領の間。
何かしらの任務を言い渡される忍は頭領にこの部屋に呼び出され、そして頭領に任務を言い渡される。
普通の忍ならそれだけの場所。
しかし私が呼び出されると言うことは……
「琴羽よ」
「はっ」
「斎賀の居場所が分かった」
「っ! そう……ですか」
お兄様を始末しろと言う命令が下されるときだ。
「奴は今はるか西に存在している大陸にいる。なるほど道理で国中手誰に探させたところで見つからぬわけだ。まさか海を越えているなどとは……。分かっているな? 今度こそ逃がすな。必ず息の根を止めろ」
「はい……」
努めて感情を殺し、表情をなくそうと努力する。
しかし、今まで出来ていたはずのそれが、何故か今日に限っては出来ない。
そんな私の顔を見て、頭領は目つきを鋭くし、口を開く。
「どのような事情があれ、里を抜けることは許されない。ましてや任務を放り出してまでなど言語道断。これが里の掟だ」
「わかっております」
「ならばよい。では行け」
「はっ」
頭領の話が終わったため、私は立ち上がり、部屋を出る。
その表情を苦々しいものとしながら。
何が掟だ、忌々しい。
そんなもののせいで私はお兄様を殺さねばならないと言うのか?
ばかばかしい。ふざけている。
「……っ!」
頭をよぎった考えを、私は頭を振ることで追い出す。
今、私は何を考えていた?
掟が忌々しい? 何を馬鹿なことを。
両親からも幼い頃から叩き込まれていたはずだ。
掟とは守るべきものだと。
その守るべきものに対して、忌々しいなど……
しかし、どんなにその考えを振り払おうとしたところで、私の頭の中にその考えはこびりつき、決してはがれようとはしなかった。
※ ※ ※
「ここが大陸……すごい……」
目の前に広がる光景に、私は目を奪われてしまった。
石のような、それでいて医師とはまったく違う何かで作られた建物、広く、しっかりと舗装された道、そしてその道を行きかう大勢の人々。
私の国のどの城下町よりも賑わい、活力に満ち溢れ、なおかつ未知の物があふれている。
これが、これが大陸か……
今この瞬間だけは、私は任務の事など忘れ、ただひたすらに童女のように輝いた目であたりを見渡していることであろう。自分の顔は見えなくとも、そうであろうことは容易に想像が付く。
しかし、任務の事を思い出すとそんな感動も無くなり、腹のそこに重い何かが落とされたかのような気持ちになる。
そう、私はここにお兄様を殺しに来たのだ。
「うっ……」
殺すと考えたところで、私は強烈な吐き気に襲われ、急いで人目の無いところへと駆け出す。
向かった先は船着場近くの桟橋。
そこから私は海を見下ろすかのように顔をつきだし、そして海に向かって胃の中の物を吐き出した。
あの日、私たちくノ一の体が変わってから、私はこうなった。
お兄様のみならず、誰かを殺すと考えただけで吐き気が襲う。
そしてお兄様を殺すと考えたときはこうして胃の中の物を吐き戻してしまうことを耐えることが出来ない。
ずっと吐き続け、しまいには胃の中の物が無くなり、なにかすっぱい物が吐き出されるようになっても、私を襲う吐き気がなくなることは無い。
「お、おい、あんた大丈夫か?」
ふと通りかかった男性が尋常ではない私に駆け寄ってくる。
しかし、私はその男性のほうを向くことは出来ない。
「うわ、こいつぁひでぇ。船酔いか? こいつを飲みな」
そういわれ手渡された物を、何とか手に持った私は、今だに何かを吐き出そうとする体を押さえ込んで口に含み、そして再び口近くまで上ってきた焼けるように熱く、すっぱい物と一緒に飲み込む。
しばらく喉が焼けるような痛みと熱さにもだえていたが、やがて吐き気と共にその感覚も無くなってきた。
「はっ、はっ、はっ、あ、ありがとう……ございます」
「服装からして、あんたはジパングから来たんだろ? 船には慣れてないのかい?」
「えっと、その……まぁ、そんなところです……」
まさか人を殺すことを考えていたか吐きましたなどといえないわけで、とりあえず私は船酔いと言うことで話を済ませようとした。
実際、船には酔いましたし。
よくまぁあんなふらふらぷかぷかとする物に平然と乗れるものだ。
「しかしまだ顔色が悪いな。そうだ、こいつを持ってけ。さっき渡したのとおんなじ薬だ」
「あの、いいんですか? 貴重なものじゃ……」
「いんや、貴重なものなんかじゃないさ。そこらの店で売ってる薬さ。船酔いはひどいとしばらく後にぶり返してきやがるからな、吐き気がしたらそいつを飲むといい。それじゃ、お大事にな」
男はそう言って私に薬を手渡すと、すたすたと立ち去ってしまった。
そうしてその場に残された私はしばらく手に持った薬を見つめていたが、やがてそれを懐にしまいこみ、そして歩き始めた。
お兄様のいると教えられた場所へ。
※ ※ ※
今、私はじっと木の上で息を殺している。
見下ろす先には三つの人影。
大きいものが一つと小さいものが二つ。
そしてその中の大きい人影こそ……私が殺すべきお兄様。
「……うっ」
再び吐き気が襲ってきたため、先ほど男からもらった薬を飲む。
彼には感謝しなければなるまい。
ここまで来るのにもはや何回もこの薬のお世話になった。
それはもう世話になった。
この薬が無ければいくら私でも心が折れる。
そしてお兄様と他二人が近くに来たところで……っ!?
「あれは……魔物?」
お兄様が近くに来たところで飛び掛ろうと思ったとき、お兄様が連れ立っている二人の姿がはっきりと見える。
それは明らかに人ではない二人。
一人は捻じ曲がった二本の角を持つ幼子で、もう一人はまっすぐに伸びた一本の角を持った幼子。
そしてその二人はお兄様を挟んで互いに何かを言い合っている。
やがて、捻じ曲がった角を持ったほうがお兄様の服の裾を思いっきり引っ張り……っ!?
「せ、せせせせ!?」
接吻をした。
その瞬間、私の胸に吐き気とはまた違った感覚が襲い掛かってきた。
吐き気ではないのにムカムカする奇妙な感覚。
お兄様に接吻をした幼子は、もう一人の幼子に勝ち誇った顔を向けている。
それをみて不機嫌顔になったもう一人が、お兄様を接吻をした幼子から奪い取ると、顔を近づけ……
「〜〜〜〜〜〜っ!?」
やはり接吻。
それをみた私の心は大いに荒れる。
だめ、そんなのだめ……やだ……だめぇ!!
荒れた心はまとまらない思考を生み出し、それに頭を埋め尽くされた私は思わず木の上から飛び降りた。
もう、私の目はお兄様しか見えない。
※ ※ ※
「う……腰いてぇ……」
朝、お兄様が腰に手を当て、うめきながら起き上がる。
その表情は盛大にゆがんでおり、腰が痛いと言うのは嘘でもなんでもないということがよく分かる。
「お兄様、大丈夫? 張り薬をどうぞ」
「お、さんきゅ琴羽」
「さ、さんきゅ?」
「あ〜、ありがとうって意味な。どうにもこっちにも長いからなぁ、だいぶ言葉が」
そう言ってしかめっ面をするお兄様が面白くて、思わず私は笑ってしまう。
この光景から分かるように、私はお兄様を殺すと言う任務を達成することは出来なかった。
それどころか里に戻ることはせず、こうしてお兄様と一緒にいる。
つまり私も抜け忍。
私の家は、抜け忍を二人も出したと言う不名誉な家となってしまった。
でも、そんなことはどうでもいい。
こうして大好きなお兄様と一緒にいられる。
もう殺すとか殺さないとか、そんなことでなやむ必要も無いのだ。
そして、あんな忌々しい掟に縛られることも、もはや無い。
「しかし再会したときは驚いた。まさか琴羽が魔物になっちまってるとはなぁ」
そう、それと私たちの体の変化についても原因が分かった。
なんでも、私たちはクノイチと言う魔物へと変わってしまったらしい。
そしてその理由がこの大陸に住まう魔王の代替わりだとか。
大陸からはるか遠くの私たちの国までのその力が及んでくるとは、げに恐るべき力だ。
もっとも、それが私たちに牙をむくことは無いと魔物としての本能で分かっているので、特におびえることも無いが。
しかし、それはそれとして一つ気になることがある。
「しかし、なぜ私たちも急に魔物になってしまったのでしょうか」
そこが一番の納得がいかない点。
確かに今、私はクノイチと言う魔物だが、しかしかつては普通の人間だったはずなのだ。
この大陸では魔物が人を魔物にすることは日常茶飯事だったが、私の里ではそんな魔物に襲われたという者は一人もいない。
なのに、なぜ急に魔物に?
その事をなやんでいると、同じようになやんでいたお兄様が何かをひらめいたかのような表情をし、そして言った。
「もしかしてあれか? 魔王が知ってるクノイチは魔物のクノイチだけで、くノ一は全部魔物しかいないと思ってたからとか?」
「どういうことですか? それ」
「つまりだな、くノ一は魔物扱いだったんだよ。生まれが人間だったとしても」
とりあえずお兄様の言っていることの意味が分からない。
分からないが、なぜかこういわなきゃ駄目な気がしてきた。
故に、私は口を開く。
「……え? 私たちってそういう扱いだったの!?」
そして里を逃げ出し抜け忍となったため、私はおろか師匠、親友、許婚など里に住まうありとあらゆる忍から追い掛け回され、命を狙われているであろうお兄様、いかがお過ごしでしょうか?
私こと琴羽(ことは)は元気です。
この里で暮らすくノ一となって早数年、何とか任務もこなせるようになってきました。
なのですが……
「……やだ、なにこれ」
なんだか空も飛べそうも無い小さなこうもりっぽい羽となんか変な尻尾が生えました。
……もう一度言わせていただきます。
「……なにこれ」
いつもどおりの朝を迎えたはずだった。
しかし朝起きて、何やら腰あたりから激しい違和感を感じたため、とりあえず自分の体を見下ろしたところでこれだ。
そんな感じで、いつもどおりに晴れ渡った空の下、しかし私はいつもとは違う朝を迎えたのだった。
これどうしようかと悩みに悩みぬき、結局うまい具合な方法が思い浮かばない。
たぶんお兄様なら「こいつぁどうしようもねぇな、はっはっは!」と笑い飛ばしてしまうのだろうが、あいにく私は笑って誤魔化せるとは思っていないのでとりあえず引きこもることにする。
幸い、今日は私は任務は無いし、基本私は暇なときは家に引きこもっているので誰も不審がら無いだろう。
……こういうと、私が引きこもりみたいだなぁ。
まぁ間違ってないけど。
抜け忍の妹と言うことで、里の人が私を見る目は非常に厳しいものだ。
『あいつもいつか里を抜け出すのではないか?』
私に向けられている目はそんな心の内をありありと語っているのだ。
そんな目を向けられるのは非常につらいものがある。
その原因が身内と言うことで、つらさは倍ドン。
そしてそんな苦しみを打ち明ける身内も既にいないのでさらに倍々でつらい。
そして一番つらいのが身内の恥は身内がそそげといわんばかりに私に下される任務だ。
『抜け忍となった斎賀を抹殺せよ』
現在、私は普通の任務を下されることはほぼ無い。
唯一下される任務が自らの兄を殺すことと言うものだ。
現在は兄の行方が分からなくなったため任務が下されることの無い、暇な毎日を過ごしているというわけ。
大好きなお兄様を殺すのはつらい。
でも殺さなければ私の居場所がなくなってしまう。
その板ばさみの苦しみに耐えながらも、私は今日も過ごしている。
※ ※ ※
「……こういうときに限って」
さて、早速いつものように引きこもり生活を始めようと思ったのだが、保存庫を空けたらあらびっくり、食材が待ったく無い。
そういえば、前に食材を買い込んだのが先週の頭だったっけ……それは食材も尽きるというものだ。
でも、この格好で出るの? 外に?
「……勘弁してよ、もう」
出たくない、非常に出たくない。
でも出ないと飢え死んでしまう。
究極の選択を前に、私は悩みに悩みぬき……
くきゅう……
……空腹には勝てなかったよ。
はぁ、出るしかないかぁ。
私は箪笥の中から比較的ゆったりとしていてこの羽と尻尾を隠せそうな普段着を身につけ、着込む。
うん、ちゃんと隠れてる。
しっかりと異常な部分を隠せたことを確認すると、私は訓練で身に着けた気配を消す術などを無駄に活用して家を出た。
※ ※ ※
私が住んでいる忍の里は本当に山奥にある。
猟師でさえここまでは踏み入らないだろうと言うくらい山奥の奥にある。
つまり逆を返せば任務以外で里から遠くに出ようとする忍もいない訳で、そうなると生活の全てを里で完結させなければならない。
よって食料や雑貨など、それらは全て里の中で手に入れることが出来る。
任務を任せられるほど優秀ではなく、かといって忍としてまったく不出来と言うわけでもないという者が、主に山に入って鹿や熊、猪を狩ったり、里の中に畑を作ったりなどしてと言う風に、所謂調達係としてそれらの生活必需品を販売している。
里の市場とでも言うべきそこは、やはり人であふれていた。
朝餉の食材を買いに来たもの、雑貨を買い足しにきたものなどで市場はにぎわっている。
にぎわっているのだが……
「なんか……私に似てる人がいっぱいいる」
別に私とおんなじ顔した人がいるということではない。
何と言うか、格好が同じなのだ。
私が見る限り、10人中10人が私と同じように、やけにゆったりめの服を着ている。
正確に言えば、私が見かけたくノ一が全員そんな服装なのだ。
男はいつもどおり。
はてさてこれはいったいどういうことなのやら。
それともう一つ気になる点があって……
「あれ? 琴羽じゃん。やっほ」
そういいながら私に声をかけてきたのはこの里で珍しい、私を冷たい目で見ないくノ一、名前は杏(あんず)。
彼女もやはりゆったりとした服装をしており、そしてやっぱり……
「杏、一つ聞いてもいい?」
「何? 琴羽」
「なんで耳とがってるの?」
そう、先ほどから私が一番気になった点。
それは見かけるくノ一の耳がとがっているということだ。
昨日までは普通に丸い耳だった人々が一様にとがった耳を持っている。
異常以外の何物でもない。
「何言ってるのさ琴羽。あんたの耳もとがってるだろうに。ちなみに何でこうなったかは私も分からないからね」
「え? 私のも……?」
杏の言葉に思わず耳を触る。
……とがってた。
疑いようが無いくらいとがってた。
と言うか触った際にちょうどとがった先端を触ったせいなのか、いくら触ったのが耳と言えども痛い。
もうたいていの事じゃ驚かんと思っていたのに、さすがの事態に私はこう呟くしかなかった。
「……やだ、なにこれ」
※ ※ ※
私、と言うか里のくノ一全員が例外なく羽と尻尾を生やし、耳を尖らせたあの日からはや数ヶ月。
さすがに体が変化したばかりの頃は誰も彼もが大なり小なり代わった体に戸惑ったものだが、いかんせん人間は慣れる生き物。
初めて暗殺任務で人を殺したときには人目につかない場所で思わず嘔吐していた私が、やがて人を殺すことになんら抵抗を持たなくなっていったように、全員がこの体にも慣れていった。
……うぷ、何でだろう、今人を殺すって考えただけでかつて感じた以上の吐き気がよみがえってきた。
何で今更……もうとっくに慣れたでしょうよ。
そして今私がいる場所も、今まではなんとも感じなかった場所なのに、今では吐き気を感じざるを得ない場所になっている。
その場所は、頭領の家の頭領の間。
何かしらの任務を言い渡される忍は頭領にこの部屋に呼び出され、そして頭領に任務を言い渡される。
普通の忍ならそれだけの場所。
しかし私が呼び出されると言うことは……
「琴羽よ」
「はっ」
「斎賀の居場所が分かった」
「っ! そう……ですか」
お兄様を始末しろと言う命令が下されるときだ。
「奴は今はるか西に存在している大陸にいる。なるほど道理で国中手誰に探させたところで見つからぬわけだ。まさか海を越えているなどとは……。分かっているな? 今度こそ逃がすな。必ず息の根を止めろ」
「はい……」
努めて感情を殺し、表情をなくそうと努力する。
しかし、今まで出来ていたはずのそれが、何故か今日に限っては出来ない。
そんな私の顔を見て、頭領は目つきを鋭くし、口を開く。
「どのような事情があれ、里を抜けることは許されない。ましてや任務を放り出してまでなど言語道断。これが里の掟だ」
「わかっております」
「ならばよい。では行け」
「はっ」
頭領の話が終わったため、私は立ち上がり、部屋を出る。
その表情を苦々しいものとしながら。
何が掟だ、忌々しい。
そんなもののせいで私はお兄様を殺さねばならないと言うのか?
ばかばかしい。ふざけている。
「……っ!」
頭をよぎった考えを、私は頭を振ることで追い出す。
今、私は何を考えていた?
掟が忌々しい? 何を馬鹿なことを。
両親からも幼い頃から叩き込まれていたはずだ。
掟とは守るべきものだと。
その守るべきものに対して、忌々しいなど……
しかし、どんなにその考えを振り払おうとしたところで、私の頭の中にその考えはこびりつき、決してはがれようとはしなかった。
※ ※ ※
「ここが大陸……すごい……」
目の前に広がる光景に、私は目を奪われてしまった。
石のような、それでいて医師とはまったく違う何かで作られた建物、広く、しっかりと舗装された道、そしてその道を行きかう大勢の人々。
私の国のどの城下町よりも賑わい、活力に満ち溢れ、なおかつ未知の物があふれている。
これが、これが大陸か……
今この瞬間だけは、私は任務の事など忘れ、ただひたすらに童女のように輝いた目であたりを見渡していることであろう。自分の顔は見えなくとも、そうであろうことは容易に想像が付く。
しかし、任務の事を思い出すとそんな感動も無くなり、腹のそこに重い何かが落とされたかのような気持ちになる。
そう、私はここにお兄様を殺しに来たのだ。
「うっ……」
殺すと考えたところで、私は強烈な吐き気に襲われ、急いで人目の無いところへと駆け出す。
向かった先は船着場近くの桟橋。
そこから私は海を見下ろすかのように顔をつきだし、そして海に向かって胃の中の物を吐き出した。
あの日、私たちくノ一の体が変わってから、私はこうなった。
お兄様のみならず、誰かを殺すと考えただけで吐き気が襲う。
そしてお兄様を殺すと考えたときはこうして胃の中の物を吐き戻してしまうことを耐えることが出来ない。
ずっと吐き続け、しまいには胃の中の物が無くなり、なにかすっぱい物が吐き出されるようになっても、私を襲う吐き気がなくなることは無い。
「お、おい、あんた大丈夫か?」
ふと通りかかった男性が尋常ではない私に駆け寄ってくる。
しかし、私はその男性のほうを向くことは出来ない。
「うわ、こいつぁひでぇ。船酔いか? こいつを飲みな」
そういわれ手渡された物を、何とか手に持った私は、今だに何かを吐き出そうとする体を押さえ込んで口に含み、そして再び口近くまで上ってきた焼けるように熱く、すっぱい物と一緒に飲み込む。
しばらく喉が焼けるような痛みと熱さにもだえていたが、やがて吐き気と共にその感覚も無くなってきた。
「はっ、はっ、はっ、あ、ありがとう……ございます」
「服装からして、あんたはジパングから来たんだろ? 船には慣れてないのかい?」
「えっと、その……まぁ、そんなところです……」
まさか人を殺すことを考えていたか吐きましたなどといえないわけで、とりあえず私は船酔いと言うことで話を済ませようとした。
実際、船には酔いましたし。
よくまぁあんなふらふらぷかぷかとする物に平然と乗れるものだ。
「しかしまだ顔色が悪いな。そうだ、こいつを持ってけ。さっき渡したのとおんなじ薬だ」
「あの、いいんですか? 貴重なものじゃ……」
「いんや、貴重なものなんかじゃないさ。そこらの店で売ってる薬さ。船酔いはひどいとしばらく後にぶり返してきやがるからな、吐き気がしたらそいつを飲むといい。それじゃ、お大事にな」
男はそう言って私に薬を手渡すと、すたすたと立ち去ってしまった。
そうしてその場に残された私はしばらく手に持った薬を見つめていたが、やがてそれを懐にしまいこみ、そして歩き始めた。
お兄様のいると教えられた場所へ。
※ ※ ※
今、私はじっと木の上で息を殺している。
見下ろす先には三つの人影。
大きいものが一つと小さいものが二つ。
そしてその中の大きい人影こそ……私が殺すべきお兄様。
「……うっ」
再び吐き気が襲ってきたため、先ほど男からもらった薬を飲む。
彼には感謝しなければなるまい。
ここまで来るのにもはや何回もこの薬のお世話になった。
それはもう世話になった。
この薬が無ければいくら私でも心が折れる。
そしてお兄様と他二人が近くに来たところで……っ!?
「あれは……魔物?」
お兄様が近くに来たところで飛び掛ろうと思ったとき、お兄様が連れ立っている二人の姿がはっきりと見える。
それは明らかに人ではない二人。
一人は捻じ曲がった二本の角を持つ幼子で、もう一人はまっすぐに伸びた一本の角を持った幼子。
そしてその二人はお兄様を挟んで互いに何かを言い合っている。
やがて、捻じ曲がった角を持ったほうがお兄様の服の裾を思いっきり引っ張り……っ!?
「せ、せせせせ!?」
接吻をした。
その瞬間、私の胸に吐き気とはまた違った感覚が襲い掛かってきた。
吐き気ではないのにムカムカする奇妙な感覚。
お兄様に接吻をした幼子は、もう一人の幼子に勝ち誇った顔を向けている。
それをみて不機嫌顔になったもう一人が、お兄様を接吻をした幼子から奪い取ると、顔を近づけ……
「〜〜〜〜〜〜っ!?」
やはり接吻。
それをみた私の心は大いに荒れる。
だめ、そんなのだめ……やだ……だめぇ!!
荒れた心はまとまらない思考を生み出し、それに頭を埋め尽くされた私は思わず木の上から飛び降りた。
もう、私の目はお兄様しか見えない。
※ ※ ※
「う……腰いてぇ……」
朝、お兄様が腰に手を当て、うめきながら起き上がる。
その表情は盛大にゆがんでおり、腰が痛いと言うのは嘘でもなんでもないということがよく分かる。
「お兄様、大丈夫? 張り薬をどうぞ」
「お、さんきゅ琴羽」
「さ、さんきゅ?」
「あ〜、ありがとうって意味な。どうにもこっちにも長いからなぁ、だいぶ言葉が」
そう言ってしかめっ面をするお兄様が面白くて、思わず私は笑ってしまう。
この光景から分かるように、私はお兄様を殺すと言う任務を達成することは出来なかった。
それどころか里に戻ることはせず、こうしてお兄様と一緒にいる。
つまり私も抜け忍。
私の家は、抜け忍を二人も出したと言う不名誉な家となってしまった。
でも、そんなことはどうでもいい。
こうして大好きなお兄様と一緒にいられる。
もう殺すとか殺さないとか、そんなことでなやむ必要も無いのだ。
そして、あんな忌々しい掟に縛られることも、もはや無い。
「しかし再会したときは驚いた。まさか琴羽が魔物になっちまってるとはなぁ」
そう、それと私たちの体の変化についても原因が分かった。
なんでも、私たちはクノイチと言う魔物へと変わってしまったらしい。
そしてその理由がこの大陸に住まう魔王の代替わりだとか。
大陸からはるか遠くの私たちの国までのその力が及んでくるとは、げに恐るべき力だ。
もっとも、それが私たちに牙をむくことは無いと魔物としての本能で分かっているので、特におびえることも無いが。
しかし、それはそれとして一つ気になることがある。
「しかし、なぜ私たちも急に魔物になってしまったのでしょうか」
そこが一番の納得がいかない点。
確かに今、私はクノイチと言う魔物だが、しかしかつては普通の人間だったはずなのだ。
この大陸では魔物が人を魔物にすることは日常茶飯事だったが、私の里ではそんな魔物に襲われたという者は一人もいない。
なのに、なぜ急に魔物に?
その事をなやんでいると、同じようになやんでいたお兄様が何かをひらめいたかのような表情をし、そして言った。
「もしかしてあれか? 魔王が知ってるクノイチは魔物のクノイチだけで、くノ一は全部魔物しかいないと思ってたからとか?」
「どういうことですか? それ」
「つまりだな、くノ一は魔物扱いだったんだよ。生まれが人間だったとしても」
とりあえずお兄様の言っていることの意味が分からない。
分からないが、なぜかこういわなきゃ駄目な気がしてきた。
故に、私は口を開く。
「……え? 私たちってそういう扱いだったの!?」
12/12/06 19:40更新 / 日鞠朔莉