月無き僕等と、燃える炎
「おはよう、ネロ」
「おはよう、ミィ……」
僕の隣に寝ていたミィが輝かしいほどの笑顔で寝起きの僕を出迎える。
しかし、それに対して僕は疲れきった顔で、そして声で返事をする。
別にミィが嫌いだからこんな態度をしてるわけじゃない。むしろ愛してる。
愛してるし、ミィも僕を愛してくれてると自負してるんだけど……
「夜通し20発っていうのは、いくらインキュバスになりかけの僕でもキツイとしか言いようが無いよ」
「ご、ごめんなさい……」
まぁ、要するに僕に向けての「愛」が大きすぎるね、ってことで。
僕の言葉に、ミィはしゅーんとした表情をする。
しかし、その肌はツヤツヤと輝いており、なんていうかもう
「私大満足ですっ!」と自己主張。
同じくらい激しくヤって、何故こうも違いが出るのか?
納得がいかない、実に納得がいかない。
「あ〜……よし、起きよう」
しかし、いくら疲れ果てたからってそろそろ起きなければならない。
何せ今日は平日で、僕とミィが(正確には僕が)生きていくためには稼ぎというものが必要で。
つまるところ、仕事がある。
一応仕事までに時間はあるが、しかしながら人間には身支度というものが必要で。
「さて、それじゃちゃちゃっと朝ごはん作るから」
「あ、だったら私が……」
「却下」
「はぅあ!?」
僕の言葉に、ミィが反応するが、笑顔で却下。
何でかって?
……壊滅的なんだ、ミィは。
何がって部分は彼女の尊厳のためにあえて言わない。
「う〜……擬態してたときはきちんとできてたのに……」
「今は擬態してないしね」
一応自分がこうやっていたという記憶は残って入るらしい。
が、行動が伴っていないのだ。
ドッペルゲンガーという種族がこういうものなのかは、他のドッペルゲンガーにあったことが無いから分からないけど。
というわけで、軽めの朝ごはんを終え、身支度を整え、僕は仕事に出かける。
「それじゃ、いってくるよ。どこかに出かけるなら鍵はちゃんとかけてね」
「うん……いってらっしゃい」
若干寂しそうな顔をするが、それでも僕を引きとめようとしないところから、
僕のことをちゃんと気遣ってくれているのが分かる。
(だからこそ、つらいんだけどね)
ミィの表情に、若干後ろ髪を引かれる思いをしつつ、それでも明日を生きるために仕事へ向かう。
「ありがとうございました」
また一人、客を見送る。
ここは喫茶店。
ちょっとは名の知れた店だとは思う。
そこが僕の仕事場だ。そこで、僕は接客担当って所。
普段はあまり人付き合いとかは積極的にしないほうだが、お金がかかわるとなったら別。
まるでスイッチを切り替えたかのように働ける。人間って不思議。
「ふぅ……なんとかピークは乗り切った……かな?」
「ネロ君お疲れ〜」
やけに間延びした声で僕に声をかけてきたのはこの喫茶店のマスターの妻で、僕と同じく接客担当のホルスタウロスのララさんだ。
わざとなのかそれとも無意識なのか、妙に脱力してしまう話し方をする人で、この喫茶店がちょっとは名の知れる店になった理由でもある。
「おう!お疲れさん!いや〜今日も客が多かったな!ほら、これでも飲め」
「あ、どうも」
厨房からマスターが出てきて、手に持っていたアイスミルクティーを僕に差し出す。
それを受け取り、ぐいっと一口。
「相変わらずおいしいですね、これ」
「おうよ!なんてったってララのを使ってるからな!」
そう、この店が有名になった理由の一つ、それがこれだ。
まぁ、もっと詳しく言うと、この店で使われてる乳製品は全部ララさんのを原材料にしてるってこと。
そりゃおいしいわけだよ。
あ、ちなみに変な媚薬作用とか、そういうものは一切含まれておりません。
少なくとも、一般客に出す物には。
うん、少なくとも、一般客には、ね。
「さて、それじゃ、午後の分の仕込みをやっちまうか?」
「そうね〜、今のうちにヤっちゃいましょうか〜」
今、ララさんから微妙にイントネーションが違う言葉が出た気がしたんだが、きっとそれは気のせいだろう。
うん、気のせいだと思いたい。そうだと言って!
カランカラン
そんな時、店のドアにつけられたベルが鳴る。
つまり誰か客が入ってきたって事。
「あの、申し訳ありません、今から仕込みに入りますので……って」
「あの、その……来ちゃった」
これからあの夫婦が行うことを部外者に見せるわけにはいかないので(ちなみに、僕は従業員だから例外だそうだ)、お帰り願おうと声をかける。
しかし、やって来たのは意外な人物だった。
「えっと、ここのこと教えたっけ?ミィ」
「ううん、街の人に聞いたの」
やってきたのは僕の同居人で、恋人、ミィだった。
「やぁん、この子可愛い〜。名前はなんていうの?」
「えと、あの、ミィです……」
「ミィちゃんっていうの?ん〜、いいわねぇ、可愛い名前ね〜」
「は、はい……」
現在、ミィはララさんからの熱烈な歓迎を受けている。
そのあまりの威圧感に、それを受けている本人はもちろん、僕やマスターもタジタジだ。
「んもぅ、ネロ君もこんなに可愛い恋人ちゃんがいるなら、もっと早く教えてくれればよかったのにぃ〜」
「あははははは……まぁ、すみません」
「あれ?でも前まで別な子と付き合ってたような〜……浮気?」
「違います!!」
いや、微妙に違う気がしなくも無いけど、僕の名誉のために否定させていただく。
「あの、それ、私です。私が擬態して……」
「ふ〜ん……なるほどなるほど〜」
実際は、ここで働き始めたときは普通に『彼女』と付き合っていて、あの事件の日以来からミィと付き合っているんだが、説明がめんどくさく、なおかつララさんも納得しているのでこれでよしとしよう。
「擬態ってぇと、ドッペルゲンガーか?」
「あ、はい、ミィはドッペルゲンガーですよ」
「ふむ……擬態してたときと姿が違うってことは……」
「はい、「本当」の彼女を僕は愛しています」
「なるほどな」
マスターはそっれをきくと、それっきり何も言わなくなった。
ただ、僕を見る視線がどこと無く優しいものになっている。
「……?」
結局、マスターのその態度の謎が僕は分からなかった。
「い、いらっしゃいませ……」
なぜ、こんなことになっているのだろうか?
僕は接客をしながらちらりとある方向を見る。
そこにいるのはこの喫茶店の女性用制服を着て、注文書片手にあわあわとしている我が恋人。
「……どうしてこうなった」
誰にも聞かれないように、ポツリとつぶやきながら、ため息をついた。
事の始まりは至極単純にして、明快なもの。
「そうだミィちゃん、ミィちゃんもウチで働かない?」
とララさんの鶴の一声でマスターが乗り気になり、以前勤めていたちっこいサキュバス(マスター談)の制服を着せてみたらあら不思議、サイズがぴったり。
これに気を良くしたのか、あれよあれよという間にミィはここで働くことになった。
が、ミィは僕以外の人とあまり接したことが無く、しかも接客業という多くの人の相手をしなければならない職種なため、もはやミィは混乱の極みにあるだろう。
もっとも、その混乱の極みにあるあわあわとしている仕草が客に好評だったのは、果たして皮肉なのだろうか?
「……そういや、何でここに来たんだ?ミィは」
いまさらになって思い出した。
結局ミィは何をしにここに来たのだろうか?
「でも……聞けそうにないなぁ……」
ミィを見ると、あまりにあわてたせいなのか、床に躓いて転んでいた。
トレーの上には何も無かったため、何かが飛び散る心配は無かったが、ミィの鼻頭が赤くなる程度の被害はあった。
カランカラン
ミィのそんな様子に、恋人だという贔屓目を抜きにして不覚にもグッと来るものがあったが、新たな来客を迎えなければならない。
「いらっしゃいませ、何名様でしょうか?」
「2名で頼むよ」
おや、この声は……
「ナナ、やはりやめておこう。こういう場所は俺には合わない」
「だぁー!気にし過ぎだっての。誰もんなこたぁ気にしないよ!」
軽く、しかし相手の顔が見えないくらいの深さでお辞儀をしていた僕は顔を上げる。
そこには、僕の予想通りの人が立っていた。
ただし、その隣に見たことの無い男の人を連れて。
「おう、お前さんも元気かい?ネロ」
「……ええ、おかげさまでこのとおりです……ナナリーさん」
新たな来客はナナリーさんとその連れ人。
あの日、僕の日常が変わるきっかけの日に、僕を医者まで運んでくれたサラマンダーと、ナナリーさんの伴侶だった。
「どうぞ」
「お!ありがとな!」
「む……感謝する」
とりあえず、思いがけない再開を入り口で長々と喜ぶわけにも行かないので、二人を席に案内し、お冷をテーブルに置く。
ナナリーさんはいつもどおり豪快な笑みで、もう一人の男の人、ジンさんはあまり表情を変えないで礼を言ってくる。
「ご注文は何になさいますか?」
「そうだね〜、私は……まぁ、いつものかな?」
「……俺はこういう店は初めてだからな、何を頼めばいいのか……」
「だったら私と同じのにしとけばいいよ、アレはうまいからなぁ」
「む……なら俺もナナと同じので頼む」
「かしこまりました」
二人から注文を受け、それを厨房にいるマスターに伝える。
程なくして、二つのコーヒーを渡され、僕はそれを二人のところへと運んでいく。
「お待たせしました、当店自慢のブレンドコーヒーです」
このコーヒーはこの店が有名になったもう一つの理由。
マスターが源泉に厳選を重ねた豆を、試行錯誤の末に見つけ出した比率でブレンドしたものを使っている。
ちなみに、ミルクはもちろんララさんの。
正直、詳しくない僕が言っても説得力はないだろうけど、この組み合わせは卑怯なほど隙が無いと思う。
「お!来た来た!いただきま〜すっと」
「これがコーヒーというものか……初めて実物を見たが、いい香りだ」
ジンさんの一言に思わず唖然となる。
この人、コーヒーを知らないなんて、どんな環境で生きてきたんだろうか?
そんな考えが顔に出ていたのか、ナナリーさんが苦笑いしながら、
「ま、ジンはいろいろあるのさ。あまり詮索しないでやってくれ」
といってきた。
もちろん、気になってはいるが、僕は人の過去を詮索する趣味は持ち合わせてない。
人にはそれぞれの事情があるのだ。
二人が一通りコーヒーに舌鼓を打っていると、ふとナナリーさんがこう言ってきた。
「しかし、あれだね。あの一件から、どうにも違和感のある表情しかしてなかったけど……ずいぶん自然に笑えるようになったじゃないか」
「へ?」
いきなり何のことだろうと思ったが、それほど時間をかけずしてああ、と納得する。
ナナリーさんが言っているのは僕が「彼女」を失った直後のことだろう。
ミィが「彼女」を演じてくれていたし、当時は僕自身記憶に蓋をしていたが、やはり心の片隅にでも、「彼女」の末路が残っていたのだろう。
自分ではそんなつもりは無かったのだが、ナナリーさんが言うんだったらそのとおりだったのかもしれない。
ナナリーさん、嘘つかない人だから。
いや、つかないというより、ついてもバレるから必然的につかなくなったのかな?
「……どうにも失礼なことを考えられた気がするんだが、まあいいか。一体どんな心境の変化だい?」
「そうですね……」
僕の心の持ちようの変化……
となれば、要因はひとつしかないだろう。
ちょうど、その要因が僕の傍を通って厨房に行こうとしてたので、それに腕を回し、懐に抱きいれた。
「……ふぇ?」
要因たる彼女は何が起こっているのか理解していない様子。
しかし、次第に何が起こったのか理解したのか、顔が一気に赤くなった。
わぁお、サラマンダーであるナナリーさんの尻尾以上の発火速度だ。
「心境の変化は……間違いなくこの子のおかげですかね?」
「へぇ……」
ナナリーさんは僕とミィを交互に見て、そして普段の豪快な性格からは想像できないくらいの穏やかな微笑で言ってきた。
「よかったじゃないか。アンタを支えてくれる子に出会えてさ」
それに、僕は心からの微笑で答える。
「はい、もちろん」
そういってミィを抱く力をやや強くする。
いよいよ、ほんとに顔から火が出そうになるミィ。
その様子を見て、僕とナナリーさんは苦笑い。
ちなみに、周りの客も苦笑いしていたが、そっちの原因は僕のほうだったらしい。
「おはよう、ミィ……」
僕の隣に寝ていたミィが輝かしいほどの笑顔で寝起きの僕を出迎える。
しかし、それに対して僕は疲れきった顔で、そして声で返事をする。
別にミィが嫌いだからこんな態度をしてるわけじゃない。むしろ愛してる。
愛してるし、ミィも僕を愛してくれてると自負してるんだけど……
「夜通し20発っていうのは、いくらインキュバスになりかけの僕でもキツイとしか言いようが無いよ」
「ご、ごめんなさい……」
まぁ、要するに僕に向けての「愛」が大きすぎるね、ってことで。
僕の言葉に、ミィはしゅーんとした表情をする。
しかし、その肌はツヤツヤと輝いており、なんていうかもう
「私大満足ですっ!」と自己主張。
同じくらい激しくヤって、何故こうも違いが出るのか?
納得がいかない、実に納得がいかない。
「あ〜……よし、起きよう」
しかし、いくら疲れ果てたからってそろそろ起きなければならない。
何せ今日は平日で、僕とミィが(正確には僕が)生きていくためには稼ぎというものが必要で。
つまるところ、仕事がある。
一応仕事までに時間はあるが、しかしながら人間には身支度というものが必要で。
「さて、それじゃちゃちゃっと朝ごはん作るから」
「あ、だったら私が……」
「却下」
「はぅあ!?」
僕の言葉に、ミィが反応するが、笑顔で却下。
何でかって?
……壊滅的なんだ、ミィは。
何がって部分は彼女の尊厳のためにあえて言わない。
「う〜……擬態してたときはきちんとできてたのに……」
「今は擬態してないしね」
一応自分がこうやっていたという記憶は残って入るらしい。
が、行動が伴っていないのだ。
ドッペルゲンガーという種族がこういうものなのかは、他のドッペルゲンガーにあったことが無いから分からないけど。
というわけで、軽めの朝ごはんを終え、身支度を整え、僕は仕事に出かける。
「それじゃ、いってくるよ。どこかに出かけるなら鍵はちゃんとかけてね」
「うん……いってらっしゃい」
若干寂しそうな顔をするが、それでも僕を引きとめようとしないところから、
僕のことをちゃんと気遣ってくれているのが分かる。
(だからこそ、つらいんだけどね)
ミィの表情に、若干後ろ髪を引かれる思いをしつつ、それでも明日を生きるために仕事へ向かう。
「ありがとうございました」
また一人、客を見送る。
ここは喫茶店。
ちょっとは名の知れた店だとは思う。
そこが僕の仕事場だ。そこで、僕は接客担当って所。
普段はあまり人付き合いとかは積極的にしないほうだが、お金がかかわるとなったら別。
まるでスイッチを切り替えたかのように働ける。人間って不思議。
「ふぅ……なんとかピークは乗り切った……かな?」
「ネロ君お疲れ〜」
やけに間延びした声で僕に声をかけてきたのはこの喫茶店のマスターの妻で、僕と同じく接客担当のホルスタウロスのララさんだ。
わざとなのかそれとも無意識なのか、妙に脱力してしまう話し方をする人で、この喫茶店がちょっとは名の知れる店になった理由でもある。
「おう!お疲れさん!いや〜今日も客が多かったな!ほら、これでも飲め」
「あ、どうも」
厨房からマスターが出てきて、手に持っていたアイスミルクティーを僕に差し出す。
それを受け取り、ぐいっと一口。
「相変わらずおいしいですね、これ」
「おうよ!なんてったってララのを使ってるからな!」
そう、この店が有名になった理由の一つ、それがこれだ。
まぁ、もっと詳しく言うと、この店で使われてる乳製品は全部ララさんのを原材料にしてるってこと。
そりゃおいしいわけだよ。
あ、ちなみに変な媚薬作用とか、そういうものは一切含まれておりません。
少なくとも、一般客に出す物には。
うん、少なくとも、一般客には、ね。
「さて、それじゃ、午後の分の仕込みをやっちまうか?」
「そうね〜、今のうちにヤっちゃいましょうか〜」
今、ララさんから微妙にイントネーションが違う言葉が出た気がしたんだが、きっとそれは気のせいだろう。
うん、気のせいだと思いたい。そうだと言って!
カランカラン
そんな時、店のドアにつけられたベルが鳴る。
つまり誰か客が入ってきたって事。
「あの、申し訳ありません、今から仕込みに入りますので……って」
「あの、その……来ちゃった」
これからあの夫婦が行うことを部外者に見せるわけにはいかないので(ちなみに、僕は従業員だから例外だそうだ)、お帰り願おうと声をかける。
しかし、やって来たのは意外な人物だった。
「えっと、ここのこと教えたっけ?ミィ」
「ううん、街の人に聞いたの」
やってきたのは僕の同居人で、恋人、ミィだった。
「やぁん、この子可愛い〜。名前はなんていうの?」
「えと、あの、ミィです……」
「ミィちゃんっていうの?ん〜、いいわねぇ、可愛い名前ね〜」
「は、はい……」
現在、ミィはララさんからの熱烈な歓迎を受けている。
そのあまりの威圧感に、それを受けている本人はもちろん、僕やマスターもタジタジだ。
「んもぅ、ネロ君もこんなに可愛い恋人ちゃんがいるなら、もっと早く教えてくれればよかったのにぃ〜」
「あははははは……まぁ、すみません」
「あれ?でも前まで別な子と付き合ってたような〜……浮気?」
「違います!!」
いや、微妙に違う気がしなくも無いけど、僕の名誉のために否定させていただく。
「あの、それ、私です。私が擬態して……」
「ふ〜ん……なるほどなるほど〜」
実際は、ここで働き始めたときは普通に『彼女』と付き合っていて、あの事件の日以来からミィと付き合っているんだが、説明がめんどくさく、なおかつララさんも納得しているのでこれでよしとしよう。
「擬態ってぇと、ドッペルゲンガーか?」
「あ、はい、ミィはドッペルゲンガーですよ」
「ふむ……擬態してたときと姿が違うってことは……」
「はい、「本当」の彼女を僕は愛しています」
「なるほどな」
マスターはそっれをきくと、それっきり何も言わなくなった。
ただ、僕を見る視線がどこと無く優しいものになっている。
「……?」
結局、マスターのその態度の謎が僕は分からなかった。
「い、いらっしゃいませ……」
なぜ、こんなことになっているのだろうか?
僕は接客をしながらちらりとある方向を見る。
そこにいるのはこの喫茶店の女性用制服を着て、注文書片手にあわあわとしている我が恋人。
「……どうしてこうなった」
誰にも聞かれないように、ポツリとつぶやきながら、ため息をついた。
事の始まりは至極単純にして、明快なもの。
「そうだミィちゃん、ミィちゃんもウチで働かない?」
とララさんの鶴の一声でマスターが乗り気になり、以前勤めていたちっこいサキュバス(マスター談)の制服を着せてみたらあら不思議、サイズがぴったり。
これに気を良くしたのか、あれよあれよという間にミィはここで働くことになった。
が、ミィは僕以外の人とあまり接したことが無く、しかも接客業という多くの人の相手をしなければならない職種なため、もはやミィは混乱の極みにあるだろう。
もっとも、その混乱の極みにあるあわあわとしている仕草が客に好評だったのは、果たして皮肉なのだろうか?
「……そういや、何でここに来たんだ?ミィは」
いまさらになって思い出した。
結局ミィは何をしにここに来たのだろうか?
「でも……聞けそうにないなぁ……」
ミィを見ると、あまりにあわてたせいなのか、床に躓いて転んでいた。
トレーの上には何も無かったため、何かが飛び散る心配は無かったが、ミィの鼻頭が赤くなる程度の被害はあった。
カランカラン
ミィのそんな様子に、恋人だという贔屓目を抜きにして不覚にもグッと来るものがあったが、新たな来客を迎えなければならない。
「いらっしゃいませ、何名様でしょうか?」
「2名で頼むよ」
おや、この声は……
「ナナ、やはりやめておこう。こういう場所は俺には合わない」
「だぁー!気にし過ぎだっての。誰もんなこたぁ気にしないよ!」
軽く、しかし相手の顔が見えないくらいの深さでお辞儀をしていた僕は顔を上げる。
そこには、僕の予想通りの人が立っていた。
ただし、その隣に見たことの無い男の人を連れて。
「おう、お前さんも元気かい?ネロ」
「……ええ、おかげさまでこのとおりです……ナナリーさん」
新たな来客はナナリーさんとその連れ人。
あの日、僕の日常が変わるきっかけの日に、僕を医者まで運んでくれたサラマンダーと、ナナリーさんの伴侶だった。
「どうぞ」
「お!ありがとな!」
「む……感謝する」
とりあえず、思いがけない再開を入り口で長々と喜ぶわけにも行かないので、二人を席に案内し、お冷をテーブルに置く。
ナナリーさんはいつもどおり豪快な笑みで、もう一人の男の人、ジンさんはあまり表情を変えないで礼を言ってくる。
「ご注文は何になさいますか?」
「そうだね〜、私は……まぁ、いつものかな?」
「……俺はこういう店は初めてだからな、何を頼めばいいのか……」
「だったら私と同じのにしとけばいいよ、アレはうまいからなぁ」
「む……なら俺もナナと同じので頼む」
「かしこまりました」
二人から注文を受け、それを厨房にいるマスターに伝える。
程なくして、二つのコーヒーを渡され、僕はそれを二人のところへと運んでいく。
「お待たせしました、当店自慢のブレンドコーヒーです」
このコーヒーはこの店が有名になったもう一つの理由。
マスターが源泉に厳選を重ねた豆を、試行錯誤の末に見つけ出した比率でブレンドしたものを使っている。
ちなみに、ミルクはもちろんララさんの。
正直、詳しくない僕が言っても説得力はないだろうけど、この組み合わせは卑怯なほど隙が無いと思う。
「お!来た来た!いただきま〜すっと」
「これがコーヒーというものか……初めて実物を見たが、いい香りだ」
ジンさんの一言に思わず唖然となる。
この人、コーヒーを知らないなんて、どんな環境で生きてきたんだろうか?
そんな考えが顔に出ていたのか、ナナリーさんが苦笑いしながら、
「ま、ジンはいろいろあるのさ。あまり詮索しないでやってくれ」
といってきた。
もちろん、気になってはいるが、僕は人の過去を詮索する趣味は持ち合わせてない。
人にはそれぞれの事情があるのだ。
二人が一通りコーヒーに舌鼓を打っていると、ふとナナリーさんがこう言ってきた。
「しかし、あれだね。あの一件から、どうにも違和感のある表情しかしてなかったけど……ずいぶん自然に笑えるようになったじゃないか」
「へ?」
いきなり何のことだろうと思ったが、それほど時間をかけずしてああ、と納得する。
ナナリーさんが言っているのは僕が「彼女」を失った直後のことだろう。
ミィが「彼女」を演じてくれていたし、当時は僕自身記憶に蓋をしていたが、やはり心の片隅にでも、「彼女」の末路が残っていたのだろう。
自分ではそんなつもりは無かったのだが、ナナリーさんが言うんだったらそのとおりだったのかもしれない。
ナナリーさん、嘘つかない人だから。
いや、つかないというより、ついてもバレるから必然的につかなくなったのかな?
「……どうにも失礼なことを考えられた気がするんだが、まあいいか。一体どんな心境の変化だい?」
「そうですね……」
僕の心の持ちようの変化……
となれば、要因はひとつしかないだろう。
ちょうど、その要因が僕の傍を通って厨房に行こうとしてたので、それに腕を回し、懐に抱きいれた。
「……ふぇ?」
要因たる彼女は何が起こっているのか理解していない様子。
しかし、次第に何が起こったのか理解したのか、顔が一気に赤くなった。
わぁお、サラマンダーであるナナリーさんの尻尾以上の発火速度だ。
「心境の変化は……間違いなくこの子のおかげですかね?」
「へぇ……」
ナナリーさんは僕とミィを交互に見て、そして普段の豪快な性格からは想像できないくらいの穏やかな微笑で言ってきた。
「よかったじゃないか。アンタを支えてくれる子に出会えてさ」
それに、僕は心からの微笑で答える。
「はい、もちろん」
そういってミィを抱く力をやや強くする。
いよいよ、ほんとに顔から火が出そうになるミィ。
その様子を見て、僕とナナリーさんは苦笑い。
ちなみに、周りの客も苦笑いしていたが、そっちの原因は僕のほうだったらしい。
11/07/07 00:46更新 / 日鞠朔莉